二月十七日、水曜日。
カリフォルニアの空は、朝からよく晴れていた。冬の終わりが近づいたクレセントコーストには、海からの冷たい風と、春を思わせる柔らかな陽射しが同居している。キャンパスの芝生は相変わらず青々としており、校舎の間を歩く生徒たちの姿も、普段と何ら変わらなかった。しかし、体育館へ続く歩道の脇には、いつもより多くの青と白の旗が立てられていた。
旗には、ブレイカーズのエンブレムが描かれている。
その下に記されているのは、二つの単語だった。
『CIF PLAYOFFS』
CIFサザンセクション・プレーオフ。
南カリフォルニアの高校バスケットボールにおいて、地区の頂点を目指すための戦いである。レギュラーシーズンで積み重ねた勝利によって、ようやく出場権を手にした学校だけが、この舞台へ立つことを許される。これまでの試合とは異なり、一度負ければ、その時点でシーズンが終わる。どれほど優れた選手がいても、どれほど素晴らしい成績を残してきても、その日の四つのクォーターで相手を上回らなければ、次の試合を戦うことはできない。
そして、クレセントベイ・アカデミー・ブレイカーズにとって、今年のプレーオフには特別な意味があった。
去年、彼らはこの大会の一回戦で敗れていた。
マイルズ・カーターやノア・レイノルズ、マイク・トンプソンらにとって、あの日の敗戦は、まだ過去の出来事になりきっていなかった。何か月も練習を積み重ね、ようやくたどり着いた地区大会。その最初の試合で敗れたあと、更衣室に漂っていた沈黙を、誰も忘れることができなかったのである。
今年こそは、違う。
その思いを胸に、ブレイカーズは再び同じ舞台へ戻ってきた。
そして、記念すべき初戦の相手は、決して簡単なチームではなかった。
◇
ノースゲート・プレパラトリー・スクール。
通称、ノースゲート・プレップ。
南カリフォルニアの内陸部に位置する私立高校で、男子バスケットボール部は「バイソンズ」の愛称で知られていた。学校のエンブレムには、頭を低く構えて突進するバイソンの姿が描かれ、チームカラーには深い赤と黒が採用されている。力強い守備とフィジカルを生かした攻撃を伝統的な武器としており、今シーズンも地区の強豪校を相手に幾度となく接戦を演じていた。
だが、今年のバイソンズを特徴づけているのは、何よりも二人のスター選手の存在だった。
一人は、背番号ゼロ番。
キャメロン・プライス。
身長百八十センチのポイントガードで、バイソンズの攻撃を組み立てる司令塔である。細身ながら十分なスピードを持ち、特にスリーポイントシュートの正確さでは地区でも有名だった。一般的な高校生ならシュートをためらうような長い距離からでも、彼はほとんど迷うことなくボールを放つ。相手が少しでも距離を取れば、ドリブルから素早くジャンプシュートへ移り、スクリーンを使って生まれたわずかな隙さえも見逃さなかった。
そして、もう一人。
背番号三十四番。
ジェイソン・ヴォーン。
身長二百四センチ。体重百八キロ。
ポジションはパワーフォワード。
彼こそが、ノースゲート・バイソンズ最大の武器だった。
ヴォーンは、単に大きいだけの選手ではなかった。分厚い肩と胸板、長い腕、そして高校生とは思えないほど発達した下半身を持ちながら、ガードのように滑らかに走ることができた。ゴール下でボールを受ければ、相手を押し込みながら強引に得点を奪う。トップ付近からドリブルを始めれば、長いストライドで一気にリングへ迫る。何より恐ろしいのは、一度加速した彼を止めることが、ほとんど不可能に近いということだった。
相手のビッグマンが正面で待ち構えていても、ヴォーンは躊躇しない。
そのまま跳ぶ。
そして、相手の上から叩き込む。
今シーズンの彼は、そうした豪快なダンクを何度も決めていた。
プライスが外から相手を脅かし、ヴォーンがインサイドを破壊する。二人の組み合わせは厄介だった。ヴォーンを止めようとゴール下へ守備を集めれば、外側にはプライスが待っている。反対にプライスのシュートを警戒してディフェンダーが外へ広がれば、ヴォーンが一対一でリングへ向かってくる。どちらか一人を抑えるだけでは、もう一人に好きなように攻められてしまうのである。
その二人を、どう止めるのか。
それが、ブレイカーズに課せられた最初の難題だった。
◇
試合前日の午後。
ブレイカーズのミーティングルームには、重たい沈黙が漂っていた。
前方のスクリーンには、バイソンズの試合映像が映し出されている。グラント・ヘイズコーチはリモコンを片手に、何度も映像を停止しては、相手の攻撃について説明していた。
画面の中では、背番号三十四番のヴォーンが、相手のフォワードを背中で押し込んでいた。ディフェンダーも身長二メートル近い大柄な選手だったが、その体がじりじりと後退していく。次の瞬間、ヴォーンは鋭く体を反転させ、片手でボールをリングへ叩き込んだ。
「……うわ」
時春は思わず声を漏らした。
映像が切り替わる。
今度はプライスがスリーポイントラインの外側でボールを受け取った。ディフェンダーはまだ数歩離れた場所にいる。しかし、プライスはそれを見た瞬間にシュートを放ち、ボールは綺麗な弧を描いてネットへ吸い込まれた。
「おいおい、そこから打つのかよ」
ノアが呆れたように呟いた。
「しかも、今の結構余裕あったぞ」
「それが問題なんだ」
ヘイズは映像を止めた。
「プライスのシュートレンジは広い。普通のガードを守るときと同じ距離を取っていたら、好きなように打たれる。だから、ボールを持たせる前から警戒しろ。スクリーンを使って外へ出てくる動きも速い。マークを外すな」
※シュートレンジ:シュートを自信を持って決められる距離
ヘイズは次の映像を再生した。
画面には、再びヴォーンが現れる。
今度はトップ付近でボールを受け取り、正面のディフェンダーへ向かってドリブルを始めた。最初の一歩で相手の肩を抜き、二歩目にはすでにフリースローラインを越えている。ゴール下のセンターが慌ててヘルプへ出たが、ヴォーンはそのまま跳び上がり、相手の腕をものともせずにダンクを決めた。
ミーティングルームに、低い歓声が漏れた。
「……すごい」
トムが小さく呟いた。
ヘイズは映像を止め、選手たちへ向き直った。
「ヴォーンは今シーズン、平均二十点以上を記録している。リバウンドも多い。しかも、この男はまだジュニアだ。来年も高校に残ることになる」
時春は驚いて画面を見た。
「えっ、三年生!?」
「そうだ」
ヘイズは短く頷いた。
「すでに大学から注目されている選手だ。フィジカルだけでなく、足も速い。だから、ゴール下で待っているだけでは止められん。ドライブを始める前に進路を塞ぎ、簡単に加速させないことが重要になる」
そう説明してから、ヘイズは一人の選手へ視線を向けた。
「マイルズ」
「はい」
「お前がヴォーンを見る」
マイルズは静かに頷いた。
その表情に、驚きはなかった。
「わかってます」
「簡単な仕事じゃないぞ。体格ではほぼ互角だが、相手は非常に速い。特にトップからのドライブには気をつけろ。正面で止められないと判断したら、無理に一人で何とかしようとするな」
「Yes, Coach」
ヘイズは満足そうに頷き、続いて時春とイーサンを見た。
「それから、ポイントガードだが……明日はトキハルを先発させる」
時春は背筋を伸ばした。
「はい!」
「プライスは外からのシュートを中心に攻めるタイプだ。ポストアップでお前を押し込むようなプレーはほとんどしない。身長差はあるが、守備で致命的な問題にはならんだろう」
ヘイズはホワイトボードへ目を向けた。
「むしろ、プライスの素早い動きについていくことが重要だ。お前のフットワークなら対応できるはずだし、攻撃では相手のガードを積極的に揺さぶれる。明日はお前の速さを使いたい」
「Yes, Coach!」
時春は力強く答えた。
イーサンも隣で静かに頷いていた。すでに二人の間には、どちらが先発するかを必要以上に意識する雰囲気はなかった。相手の特徴によって起用が変わることは、今では当たり前になっている。明日は時春が先発するが、試合の状況次第ではイーサンが長い時間を担うこともあるだろう。二人とも、そのことを十分に理解していた。
しかし、時春の意識は、すでに別のところへ向いていた。
スクリーンに映っているヴォーン。
そして、その相手を任されたマイルズ。
自分がプライスを守ることも重要だったが、明日の試合で本当に大きな負担を背負うのは、間違いなくキャプテンの方だった。
◇
ミーティングが終わったあと、時春は一人で体育館へ向かった。
放課後の練習はすでに終わっていたが、まだ照明はついていた。コートの中央にはボールラックが置かれ、床には昼間の練習で残された靴底の跡が薄く見える。誰もいないと思っていた時春だったが、体育館へ入ると、ゴール下で一人の選手がシュート練習をしていることに気づいた。
マイルズだった。
彼は右ブロック付近でボールを受けると、背中をリングへ向け、ゆっくりと一度ドリブルをした。それから左足を軸に体を反転させ、片手で柔らかくシュートを放つ。ボールがリングへ吸い込まれると、自分でリバウンドを拾い、今度は反対側のブロックへ移動した。
「……マイルズ!」
時春が声をかけると、彼は振り返った。
「おう、トキ。どうした?」
「まだ練習してたの?」
「ああ。ちょっと確認したいことがあってな」
マイルズはボールを抱え、額の汗を拭った。時春が近づくと、彼は何でもないことのように笑ったが、その目にはいつもよりも強い集中が残っていた。
「明日の相手、すごいね」
「ヴォーンか?」
「うん。あんな大きいのに、めっちゃ速いし……」
「そうだな。ありゃ厄介だ」
マイルズは短く答えた。
時春は少し迷ってから、隣に立った。
「……大丈夫?」
「何がだ?」
「いや、明日……マイルズがずっとあの人を守るんでしょ?」
マイルズは一瞬、時春の顔を見た。
それから、にやりと笑う。
「何だ、俺が負けると思ってんのか?」
「違うよ!」
時春は慌てて首を振った。
「ただ、すっごい強そうだったから!」
「ハハッ。まあ、そうだな」
マイルズは笑いながらボールを床へ弾ませた。
「でもよ、トキ。あいつが強いからって、俺が何もできねえわけじゃないだろ?」
「……うん」
「俺だって、今まで何年もバスケやってきたんだ。簡単にやられるつもりはねえよ」
その言葉には、普段の冗談めいた調子とは違う、静かな自信があった。時春は思わず頷いたが、それでも胸の奥に残るものは消えなかった。彼が心配しているのは、単にマイルズが相手のフォワードに勝てるかどうかということだけではなかったのである。
時春は、去年の感謝祭を思い出していた。
あの日、マイルズは自分を家へ招いてくれた。
海から少し内陸へ入った住宅街にある、温かな雰囲気の一軒家。母親のデニースが用意してくれた大量の料理と、四人の弟妹たちの賑やかな笑い声。ケイレブ、マヤ、レオ、ニア。あの家では、マイルズは学校で見るキャプテンとは少し違う顔をしていた。小さな弟妹たちの世話をし、母親の手伝いをして、ときには大きな体を小さく丸めながら子供たちの遊び相手になっていた。
その家へ向かう車の中で、マイルズは自分の将来について話してくれた。
大学へ進学したいこと。
できれば、バスケットボールの奨学金を得たいこと。
母親は長い間、いくつもの仕事を掛け持ちしながら家族を支えてきた。だからこそ、少しでも学費の負担を減らし、将来は安定した仕事に就いて、母親を楽にしてあげたいのだと。
時春は、あのときのマイルズの横顔を今でも覚えていた。
自分にとってバスケットボールは、NBA選手になるという夢へ近づくためのものだった。しかし、マイルズにとっては、それだけではない。彼がコートで積み重ねる一つひとつのプレーは、大学へ進むための道にも、家族の未来にもつながっている。
そして、地区大会はその力を示す絶好の機会だった。
相手は地区でも指折りのパワーフォワード、ジェイソン・ヴォーン。すでに大学から注目されている選手であり、彼を相手にどのようなプレーを見せられるかは、マイルズ自身の評価にも関わってくるだろう。もちろん、たった一試合で奨学金が決まるわけではない。だが、去年の一回戦敗退から一年を経て、自分がどれほど成長したのかを証明するには、これ以上ない相手なのかもしれなかった。
時春は、ゆっくりとマイルズを見上げた。
「……俺も、頑張るからね」
マイルズが首を傾げる。
「ん?」
「明日。マイルズが困ったら、俺も絶対助けるから」
時春は真剣な顔で言った。
「だから、何でも言ってね」
マイルズはしばらく黙っていた。
それから、少し照れくさそうに笑う。
「……お前、ほんと変なところで真面目だよな」
「えっ?」
「いや、褒めてんだよ」
マイルズはボールを片手で持ち直すと、時春の頭を軽く撫でた。
「ありがとな、トキ」
そして、静かに続けた。
「……明日は頼むぜ」
時春は大きく頷いた。
「うん!」
体育館には、再びボールの弾む音が響き始めた。マイルズがポストプレーの練習を続け、時春はその相手役を買って出た。もちろん、百七十センチの時春が二メートル近いマイルズを守れるはずもなかったが、それでも彼は必死に体を寄せ、何度も押し込まれながら文句を言った。
「ちょっと! 全然止まんないんだけど!」
「ハハッ! お前じゃ軽すぎるだろ!」
「うるさい!」
マイルズが笑う。
時春も笑った。
明日、何が起こるのかはわからない。
それでも、こうして笑いながら同じコートに立てることが、時春には何だか心強かった。
◇
試合当日。
午後六時半。
クレセントベイ・アカデミーの体育館は、普段とはまるで違う熱気に包まれていた。
観客席には青と白のブレイカーズの応援グッズが並び、反対側にはノースゲートからやって来た赤と黒の応援団が陣取っている。両校の生徒たちは試合開始前から互いに声を張り上げ、体育館の天井には絶え間なく歓声が反響していた。壁の大型スクリーンには『CIF SOUTHERN SECTION PLAYOFFS — FIRST ROUND』と表示され、コート中央にはブレイカーズのエンブレムが鮮やかに描かれている。
時春はウォーミングアップをしながら、何度も観客席を見上げていた。
「……すげえ」
思わず声が漏れる。
招待大会の決勝戦も大勢の観客で賑わっていたが、今日はまた違った雰囲気があった。あのときは優勝を争う試合だったものの、負けたからといってシーズンが終わるわけではなかった。しかし、今日は違う。勝てば次へ進めるが、負ければ終わる。その事実が、観客席のざわめきにさえ特別な緊張を与えているように感じられた。
「Yo! リトルマン!」
突然、背後から声が飛んできた。
ノアだった。
「何そんな真面目な顔してんだ?」
「えっ? いや、ちょっと緊張してて」
「ハッ! お前でも緊張すんのかよ!」
「するよ! 地区大会だもん!」
時春が抗議すると、ノアは豪快に笑った。
「だったら、いつも通りやればいいだろ! お前がパス出して、俺が決める。それだけだ!」
「簡単に言うなあ……」
「簡単じゃねえか!」
ノアはそう言って、ボールを片手で持ち上げた。
「ほら、一本やるぞ!」
彼はゴールへ向かって走り始めた。
時春は思わず笑い、少し高い位置へパスを放った。ノアは助走をつけて跳び上がると、両手でボールをつかみ、そのままリングへ叩き込む。ウォーミングアップだというのに、観客席からは大きな歓声が上がった。
「BOOOOM!」
ノアが着地して拳を突き上げる。
「LET’S GO!」
時春も嬉しくなって笑った。
その向こうでは、マイクが淡々とスリーポイントシュートを打ち続けていた。トムはゴール下でリバウンドを確認し、イーサンはベンチの近くでボールハンドリングを行っている。マイルズは一人、ハーフコート付近でストレッチをしていたが、ときどき反対側のコートへ視線を向けていた。
そこには、ノースゲート・バイソンズの選手たちがいた。
赤と黒のユニフォーム。
その中央に、ひときわ大きな選手が立っている。
ジェイソン・ヴォーンだった。
映像で見たときも大きいと思ったが、実物はそれ以上だった。肩幅が広く、腕は長く、太腿はまるで丸太のように発達している。ユニフォームの下からでもわかるほど筋肉が盛り上がっており、動くたびにその輪郭がはっきりと浮かんだ。身長だけならトムの方が高いかもしれないが、体の厚みという点では、明らかにヴォーンが上回っていた。
「……うわあ」
時春は思わず呟いた。
「マジでゴリラじゃん……」
その隣で、トムが少し困ったように笑った。
「……僕も、あんな人とぶつかるの初めてかも」
「トムでも?」
「うん。映像で見るより大きいね」
二人は顔を見合わせた。
そんな彼らの前で、ヴォーンがボールを受け取った。
彼はスリーポイントラインの少し内側から一度ドリブルをし、勢いよくリングへ向かって走り出した。長い一歩でフリースローライン付近まで進むと、そのまま踏み切り、片手でボールを振り上げる。
次の瞬間、リングが大きく揺れた。
ドンッ、という鈍い音が体育館へ響く。
ヴォーンは何事もなかったように着地し、仲間からのパスを受け取った。
その姿を見て、時春は思わず息を呑んだ。
「……やば」
隣でノアが笑った。
「Ha! 派手な野郎だな!」
「ノア、あれ見ても普通なの!?」
「何言ってんだ。ダンクなら俺だってできるぜ!」
「いや、そうだけど!」
ノアは楽しそうに笑ったが、時春はもう一度ヴォーンへ目を向けた。
彼の隣には、背番号ゼロ番のプライスがいた。プライスはゆっくりとドリブルをしながら、スリーポイントラインよりもさらに外側からシュートを放っている。ボールは高い弧を描き、ほとんどリングに触れることなくネットを通り抜けた。
一本。
二本。
三本。
続けて放たれたボールが、次々とネットを揺らしていく。
時春は思わず目を細めた。
「……こっちもやばいな」
プライスとヴォーン。
二人のスターが、同じコートに立っている。
その姿を見て、時春は改めて理解した。
今日の試合は、簡単にはいかない。
◇
午後六時五十分。
試合開始十分前。
ブレイカーズのロッカールームには、独特の静けさが漂っていた。
選手たちはそれぞれのロッカーの前に座り、シューズの紐を締め直したり、タオルで汗を拭ったりしている。壁にはブレイカーズのエンブレムが掲げられ、その下には『FAMILY』と書かれた小さなプレートが飾られていた。普段ならノアの大きな声が響き、誰かが冗談を言って笑い声が起こる場所だったが、今日は誰もが目の前の試合を意識していた。
ヘイズコーチは選手たちを集め、最後の確認を始めた。
「今日の相手については、もう十分に話したな。プライスのシュートを警戒し、ヴォーンには簡単にペイントエリアへ入らせるな。ディフェンスのローテーションを怠るなよ。特に、ヴォーンを止めようとして全員が中へ集まれば、プライスに外からやられる。だから、コミュニケーションを絶やすな」
「Yes, Coach!」
「そして、覚えておけ。今日はプレーオフだ。負ければ終わり。だが、それを恐れて消極的になるな。ここまで積み重ねてきたものを、全部コートへ持ち込め」
選手たちが力強く頷いた。
ヘイズは一度全員を見渡すと、マイルズへ視線を向けた。
「……キャプテン。最後はお前に任せる」
マイルズは静かに立ち上がった。
その大きな体が、ロッカールームの中央へ進み出る。
彼はしばらく何も言わず、仲間たちの顔を一人ずつ見つめていた。ノア、マイク、トム、イーサン、ライアン、ジェイス。そして、一番端に座っている時春。十一月から一緒に練習してきた仲間たちが、今は全員、同じユニフォームを着てここにいる。
マイルズはゆっくりと口を開いた。
「……お前ら」
声は、普段より少し低かった。
「去年のこと、覚えてるよな」
誰も答えなかった。
しかし、その沈黙だけで十分だった。
「俺は忘れてねえ。あの一回戦で負けた日のこと、今でもはっきり覚えてる。試合が終わって、相手が喜んでるのを見て、俺たちは何もできなかった。更衣室に戻っても誰も喋らねえし、誰も顔を上げねえ。あんな気分は、もう二度と味わいたくねえ」
マイルズは拳を握った。
「だから今年、俺たちはここまで来た。夏から練習して、秋に新しい仲間が入って、何度も勝って、何度も失敗して、それでも最後まで諦めなかった」
ノアが静かに頷いた。
イーサンも腕を組んだまま、マイルズを見つめている。
「今日、俺がマッチアップするのは、ジェイソン・ヴォーンだ。あいつがどれだけすげえ選手かは、もう全員わかってるよな。この地区でも随一のフォワードだ。体はでかいし、パワーもある。足も速い。正直、簡単に止められる相手じゃねえ」
マイルズは一度言葉を切った。
そして、口元をわずかに緩める。
「……だがな」
その目に、強い光が宿った。
「俺は負けるつもりなんかねえ」
ロッカールームの空気が変わった。
「俺だって、ここまで何年もバスケをやってきたんだ。あいつがどれだけ強かろうが、簡単に好き勝手させるつもりはねえ。正面からぶつかってやる。何回でも止めてやる」
マイルズは力強く言った。
「でもな……俺は、一人で勝つつもりもねえ」
その言葉に、時春は顔を上げた。
マイルズは仲間たちを見渡した。
「俺はお前らとチームだ。俺たちは家族だ」
静かな声だった。
しかし、その言葉は、誰よりも強く響いた。
「俺がジェイソンを止められなかったら、誰かが助けてくれ。トキがプライスに抜かれたら、俺たちがカバーする。ノアがシュートを外したら、トムがリバウンドを取れ。マイクがマークされたら、別の誰かが空いてやれ」
マイルズは拳を胸の前に持ち上げた。
「うまくいかなきゃ、味方を頼れ。味方が困ってたら、助けてやれ。誰かが失敗したからって、そいつを一人にするな。それが俺たちのチームだろ」
時春は、胸の奥が熱くなるのを感じていた。
感謝祭の日、マイルズの母親であるデニースが話してくれたことを思い出す。マイルズは昔から何でも一人で背負おうとする子だった。家族のことも、学校のことも、バスケットボールのことも。自分がしっかりしなければならないと考え、疲れていてもなかなか弱音を吐かない。
だからこそ、彼女は時春へ頼んだのだった。
学校では、あの子のことを任せたよ、と。
マイルズが誰かの面倒を見るだけでなく、自分も友達に頼れるようにしてあげてほしい。
あの日の言葉が、今になって胸の奥で静かに響いていた。
目の前に立っているマイルズは、いつも頼りになるキャプテンだった。大きな体でゴール下を守り、仲間が失敗すれば励まし、チームが苦しくなれば真っ先に声を出す。しかし、その彼自身も、誰かに助けてもらっていいはずだった。
時春はゆっくりと拳を握った。
マイルズのためにも勝ちたい。
そう思った。
この試合は、マイルズが自分の実力を証明するための大切な機会でもある。大学へ進むために、奨学金を得るために、そして家族の未来へ少しでも近づくために。彼がどれほど努力してきたのか、時春はそのすべてを知っているわけではなかったが、少なくとも、あの感謝祭の日に聞いた言葉だけは忘れていなかった。
しかし、だからといってマイルズ一人に何もかも背負わせる必要はない。
自分たちはチームなのだから。
「……だからよ」
マイルズは最後に、ゆっくりと仲間たちを見渡した。
「今日、誰かがミスしても下を向くな。助けてくれる奴が、必ず隣にいる。俺たちはここまで一緒に来たんだ。最後まで一緒に戦おうぜ」
マイルズは大きな拳を中央へ突き出した。
「……いいか、お前ら」
選手たちが立ち上がる。
「今日、俺たちは何をする!?」
「WIN!!」
力強い声がロッカールームへ響いた。
「聞こえねえぞ!! 何をするんだ!!」
「WIIIIIN!!」
ノアが拳を重ねた。
マイクがその上へ手を置き、トムも続いた。イーサン、ライアン、ジェイス、そして他の選手たちが次々と輪に加わっていく。
最後に、時春もその輪へ飛び込んだ。
「LET’S GO, BREAKERS!!」
「LET’S GOOOOOO!!」
選手たちの声が、一つになった。
マイルズは笑った。
その顔には、もう迷いなどなかった。
◇
午後七時。
試合開始を告げるアナウンスが、体育館いっぱいに響き渡った。
両チームの選手たちがコートへ姿を現すと、観客席から大きな歓声が上がった。青と白のブレイカーズ応援団が一斉に立ち上がり、反対側では赤と黒のバイソンズの生徒たちが大きな旗を振っている。体育館の照明は明るく、磨き上げられたフロアには、選手たちの姿が薄く映り込んでいた。
ブレイカーズの先発メンバーが、一人ずつ紹介されていく。
ポイントガード、高山時春。
シューティングガード、マイク・トンプソン。
スモールフォワード、ノア・レイノルズ。
パワーフォワード、マイルズ・カーター。
センター、トム・ウェイク。
五人はセンターサークル付近で集まり、互いに拳を合わせた。
その向こうでは、ノースゲート・バイソンズの選手たちもコートへ出ていた。背番号ゼロ番のプライスは、軽くその場で跳ねながら足首を温めている。細身の体に似合わず、表情には落ち着きがあり、試合前の緊張を感じさせなかった。
そして、その隣にはジェイソン・ヴォーンがいた。
背番号三十四番。
二百四センチの巨体が、コートの上でゆっくりと体を動かしている。彼は首を左右へ傾け、肩を一度回すと、正面に立つマイルズへ視線を向けた。
マイルズも、その視線に気づいた。
二人の目が合う。
ヴォーンはわずかに口元を緩めた。
マイルズも、にやりと笑い返した。
言葉は交わさなかった。
しかし、時春には、その二人の間にある空気がはっきりと感じられた。
どちらも、負けるつもりなどないのだ。
審判がセンターサークルへ歩いてくる。手には試合球が握られ、両チームのセンターが向かい合うよう指示された。トムは大きく息を吐き、相手のセンターの前へ立った。腕を伸ばすと、その長さは相手よりもわずかに勝っているように見えた。
時春はセンターラインの少し後ろで腰を落とし、トムの動きを見つめた。
これまで何度も経験してきたティップオフだった。
しかし、今日は違う。
この一回のジャンプから、地区大会の戦いが始まる。
審判がボールを持ち上げる。
トムが膝を曲げた。
向かい側のセンターも、足に力を込める。
そして、ボールが高く放り上げられた。
「TIP-OFF!」
二人のセンターが同時に跳び上がった。
トムの長い腕が、わずかに高い位置へ届く。
大きな手がボールに触れた。
そのまま、後方へ弾く。
「TOKI!」
マイルズの声が響いた。
時春はすぐに反応し、転がってきたボールを両手で受け止めた。
ブレイカーズのボールから試合が始まった。
観客席から歓声が上がる。
時春は右手でボールを床へ叩きつけ、ゆっくりとフロントコートへ進んだ。目の前にはプライスが立っている。相手のポイントガードは低く腰を落とし、両腕を広げながら、時春の動きをじっと観察していた。
時春は、すぐには攻めなかった。
トン、トン、と一定のリズムでドリブルを刻みながら、コート全体を見渡す。
右ウイングにはマイク。
左サイドにはノア。
ゴール下ではトムが相手のセンターと位置を争い、マイルズは右側のローポストへゆっくりと移動していた。
時春は相手の守備を観察した。
プライスは、思っていたよりも積極的には前へ出てこない。少し距離を保ちながら、時春がどちらへドライブするかを見極めようとしているらしかった。外側のディフェンダーたちも、それぞれのマークを確認しながら、ゴール下を警戒している。
なるほど。
最初は様子見ということか。
時春は小さく息を吐いた。
それなら、自分も少し試してみよう。
彼は右側へ視線を向けた。
マイルズが、すでにポストで位置を取っている。
その背後には、ヴォーンがいた。
時春は一瞬だけ考えた。
どれ。
あの怪物相手に、マイルズはどこまでやれるのだろう。
時春はプライスの位置を確認してから、右手で鋭いパスを送った。ボールは正確にマイルズの胸元へ届き、彼は大きな手でしっかりと受け止める。
ローポストでの一対一。
マイルズ対ジェイソン・ヴォーン。
試合開始から、いきなり二人のパワーフォワードがぶつかることになった。
マイルズはボールを抱え、ゆっくりと背中を相手へ向けた。
ヴォーンが腰を落とす。
両者の体が接触した瞬間、時春にはその重さが伝わってくるような気がした。マイルズは一度だけ力強くドリブルをし、背中で相手を押し込もうとする。しかし、ヴォーンはまるで動かなかった。分厚い胸板と強靭な下半身でマイルズの体を受け止め、ほんのわずかにも後退しない。
「……っ!」
マイルズの表情が変わった。
もう一度ドリブルする。
今度は肩を入れ、さらに強く押し込もうとした。
しかし、ヴォーンはやはり下がらなかった。
その体は、まるで地面に深く打ち込まれた杭のようだった。マイルズがどれほど力を込めても、相手はその場に立ち続けている。体格だけならマイルズも十分に大きいが、ヴォーンの筋力は明らかに尋常ではなかった。
観客席から小さなどよめきが起こった。
ノースゲートの応援団が声を上げる。
「LOCK HIM UP!(押さえ込め!)」
しかし、マイルズも簡単には引かなかった。
ヴォーンが押し返してくる。
その圧力を、マイルズは両脚で踏ん張って受け止めた。相手の力は恐ろしく強い。少しでも姿勢を崩せば、簡単に押し返されてしまうだろう。それでもマイルズは重心を低く保ち、背中を相手へ預けたまま、ほとんど位置を下げなかった。
力と力が、正面からぶつかっていた。
時春は少し離れた場所で、その光景を見つめていた。
……すげえ。
ヴォーンのパワーも恐ろしい。
しかし、それを真正面から受け止めているマイルズも、相当なものだった。
そして、時春は知っていた。
マイルズの武器は、パワーだけではない。
彼は大きな体を持ちながら、コート全体をよく見ている。相手の位置を確認し、仲間の動きを読み、必要なタイミングで正確なパスを出すことができる。単にゴール下で押し込むだけの選手ではないのだ。
マイルズは、もう一度だけ肩を入れた。
ヴォーンが体を固める。
相手は、次の瞬間にマイルズがターンしてシュートを打つと思ったのだろう。ゴール下にいたセンターも一歩だけ内側へ寄り、ノアを守っていたウイングの選手が、マイルズの手元を警戒して視線を向けた。
そのときだった。
左サイドにいたノアが、突然動いた。
ディフェンダーの背後を抜け、ベースライン沿いにリングへ向かって走り込む。
バックドアカット。
※バックドアカット:オフボールの(ボールを保持していない)選手がディフェンスの裏を突きゴール下へ走り得点を狙う動き
マイルズは、その動きを見逃さなかった。
彼はシュートへ移るように肩を回した瞬間、右手でボールを床へ叩きつけた。
鋭いバウンズパス。
ボールはヴォーンの足元を避け、ゴール下へ走り込んでいたノアの進行方向へ正確に転がっていく。
「YO!」
ノアが声を上げた。
ボールを受け取る。
相手のセンターは、マイルズへのヘルプに意識を向けていたため、反応が一瞬遅れた。ノアはその隙を逃さず、右足を踏み込んでリングへ近づくと、柔らかくボールを放った。
レイアップ。
ボールがバックボードへ当たり、リングを通り抜けた。
「YEAHHHH!」
ノアが着地して拳を握る。
体育館のブレイカーズ応援席から、大きな歓声が上がった。
スコアボードに、最初の数字が灯る。
『BREAKERS 2 — 0 BISONS』
先制点。
ブレイカーズが、最初の攻撃を成功させた。
時春は思わず拳を握った。
「NICE PASS! マイルズ!」
マイルズは振り返り、にやりと笑った。
その隣では、ヴォーンが少しだけ眉をひそめていた。
彼はマイルズが強引にシュートを狙ってくると思っていたのかもしれない。自分のパワーで相手を止めれば、攻撃はそこで終わる。そんな考えがあったのだとすれば、今のプレーは少し意外だったはずだ。
マイルズはゆっくりとヴォーンへ向き直った。
その表情には、先ほどまでの真剣さとは違う、挑発的な笑みが浮かんでいた。
彼は両腕を少し広げ、相手を見上げるように顎を上げた。
「COME ON, BABY! YOU GOTTA DO BETTER THAN THAT!(こいよ!見せてみろ!)」
そして、楽しそうに笑った。
ヴォーンはしばらくマイルズを見つめていた。
その目が、ゆっくりと細くなる。
やがて彼は、口元だけで笑った。
時春はその表情を見た瞬間、背筋に小さな冷たさを感じた。
……あれ。
もしかして、今の。
煽っちゃった?
◇
バイソンズの攻撃が始まった。
プライスはエンドラインからのパスを受けると、ゆっくりとドリブルをしながらフロントコートへ進んだ。時春はすぐに腰を落とし、相手の正面へ立つ。プライスのシュートレンジが広いことは、昨日の映像で十分に理解していた。だから、普段の相手よりも少し高い位置でプレッシャーをかけ、簡単にシュートへ移らせないよう意識していた。
プライスは時春の姿勢を見て、わずかに笑った。
「……なるほど」
小さな声だった。
そして、左手で合図を送る。
その瞬間、ヴォーンが動いた。
彼はマイルズを背負ったままハイポスト付近へ上がり、プライスのために大きなスクリーンをセットした。時春は一瞬、その巨大な体に進路を塞がれかけたが、素早く横へ回り込み、プライスを追いかける。
しかし、プライスはシュートを打たなかった。
ドリブルを止めると同時に、後方へボールを戻す。
そこにいたのは、ヴォーンだった。
マイルズはスクリーンのあとも彼から離れず、すぐに正面へ回り込んでいた。ヴォーンはスリーポイントラインの内側でボールを受け取り、ゆっくりとリングへ体を向ける。
二人の視線が交差した。
「……」
マイルズは腰を落とし、両腕を広げた。
ヴォーンはしばらくボールを片手で持っていた。
そして、突然。
ドンッ、と強くドリブルをした。
大きな体が、右方向へ動く。
マイルズはすぐに反応し、横へ足を滑らせた。ヴォーンの一歩目は速かったが、マイルズも遅れていない。しっかりと正面へ回り込み、体をぶつけて進路を塞ぐ。
鈍い接触音が響いた。
しかし、ヴォーンは止まらなかった。
今度は、左へ。
ボールを低く切り返し、マイルズの外側の肩を抜くように加速する。長い腕でボールを守りながら、信じられないほど大きな歩幅でリングへ向かっていった。
「……っ!」
マイルズが追いかける。
だが、最初の一歩で生まれたわずかな差が、簡単には埋まらない。ヴォーンの体は大きく、しかも速い。一度前へ出られると、その広い背中が進路を塞ぎ、横からボールへ手を伸ばすことすら難しかった。
時春は思わず目を見開いた。
……速っ!
あの巨体で、あのスピード。
映像で見るよりも、はるかに恐ろしかった。
ヴォーンはフリースローライン付近から、さらに加速した。
マイルズが横から体を寄せる。
しかし、ヴォーンは左腕でボールを守りながら、強引にペイントエリアへ踏み込んだ。
※ペイントエリア:ゴール下付近
その先には、トムがいた。
ブレイカーズのセンターは、すぐにゴール下から一歩前へ出た。長い腕を高く伸ばし、ヴォーンの進路を塞ぐ。普段なら、これだけで相手の選手はシュートをためらうはずだった。トムの身長と腕の長さは、同じ高校生同士の試合では十分すぎるほどの威圧感を持っている。
だが。
ヴォーンは、まったく減速しなかった。
むしろ、その顔に笑みが浮かんだ。
「……っ!」
トムが両足を踏ん張る。
ヴォーンはボールを両手で持ち直した。
そして、勢いよく床を蹴った。
二百四センチ、百八キロの巨体が、宙へ浮かぶ。
トムも跳んだ。
その長い腕が、リングの前へ伸びる。
二人の体が、空中で激しくぶつかった。
ドンッ!!
まるで、巨大な岩同士が衝突したような音だった。
しかし、ヴォーンの体は止まらなかった。
トムの腕がボールへ届くよりも早く、彼は両手でボールを振り上げ、そのまま力任せにリングへ叩き込んだ。
ガシャアアアンッ!!
リングが大きく揺れた。
バックボードの支柱まで震えるような、凄まじいダンクだった。
トムは空中で押し負け、着地したあとに一歩、二歩と後退した。倒れることこそなかったものの、表情には明らかな驚きが浮かんでいる。
ヴォーンは両手でリングをつかみ、体の揺れを抑えてから床へ降りた。
その瞬間、ノースゲートの応援席が爆発した。
「OOOOOOOOHHHHHH!!」
「LET’S GO, JASON!!」
「THAT’S WHAT I’M TALKING ABOUT!!(これがジェイソンだぜ!!)」
赤と黒の応援団が一斉に立ち上がり、両腕を突き上げた。ブレイカーズの観客席からも、思わず驚きの声が漏れていた。敵味方など関係なく、今のダンクがどれほど凄まじいものだったのか、誰の目にも明らかだったのである。
時春は、その場で固まっていた。
……マジかよ。
あのトムの上から。
しかも、ほとんど止まらずに。
相手のパワーフォワードは、二人のビッグマンを相手にしながら、強引に得点を奪ってしまったのだ。
スコアボードが更新される。
『BREAKERS 2 — 2 BISONS』
同点。
試合開始から、まだ一分も経っていない。
しかし、すでに体育館の熱気は異様なほど高まっていた。
ヴォーンはゆっくりとリングの下へ歩いた。
落ちてきたボールが床に弾み、彼の足元へ転がる。
ヴォーンはそれを拾い上げると、すぐに審判へ渡そうとはしなかった。
彼の視線は、別の場所へ向けられていた。
マイルズだった。
ブレイカーズのキャプテンは、ゴール下で静かに立っていた。先ほどヴォーンに外側を抜かれたあと、そのままトムのカバーへ向かったが、ダンクを止めることはできなかった。
ヴォーンはそんなマイルズを見つめ、ゆっくりと歩み寄った。
その顔には、先ほどまでとは違う、明らかに挑発的な笑みが浮かんでいた。
彼はボールを片手で持ち上げた。
そして、エンドラインの外へ出ようとしていたマイルズへ、わざと丁寧に差し出した。
「……ほらよ」
低い声だった。
マイルズは黙ってボールを受け取った。
ヴォーンは口元を歪めた。
「COME ON, BABY(こいよ)」
先ほどマイルズが口にした言葉を、わざと真似る。
「YOU GOTTA DO BETTER THAN THAT(見せてみろ)」
そう言って、楽しそうに笑った。
まるで、今のプレーが答えだと言わんばかりだった。
マイルズはしばらくヴォーンの顔を見つめていた。
ヴォーンも視線を逸らさなかった。
周囲では、両チームの選手たちがすでに次の攻撃へ備えて動き始めている。プライスはハーフコート付近まで下がり、時春を待ち構えるように腰を落としていた。ノアは左サイドへ走り、マイクも右ウイングへ向かっている。トムは何度か肩を回しながら、先ほどの衝突の感触を確かめているようだった。
しかし、マイルズはすぐには動かなかった。
ボールを両手で抱えたまま、ゆっくりと息を吐く。
そして。
その口元が、わずかに持ち上がった。
「……ハッ」
小さな笑い声だった。
時春はその表情を見て、思わず目を丸くした。
マイルズは怒っていなかった。
少なくとも、ただ怒っているだけではなかった。
その目には、どこか楽しそうな光が宿っていた。
地区でも随一のフォワード。
大学からも注目される、圧倒的な身体能力を持つ怪物。
その相手が、自分の目の前に立っている。
しかも、今のプレーでその実力を見せつけてきた。
マイルズはボールを抱え直した。
そして、ヴォーンの背中へ向けて、低く呟いた。
「……おもしれぇじゃねえか……」
その声を聞いた時春は、思わず笑った。
どうやら、キャプテンの闘志に火がついたらしい。
マイルズはエンドラインの外から、時春へ鋭いパスを送った。
「トキ!」
「はい!」
「……もう一本、俺に回せ」
時春はボールを受け取り、顔を上げた。
マイルズの目が、まっすぐに前を向いている。
「……任せて!」
時春は笑顔で頷き、力強くドリブルを始めた。
コートの向こうでは、ヴォーンが再び腰を落としていた。
その口元には、まだ挑発的な笑みが残っている。
しかし、マイルズもまた笑っていた。
力と力。
意地と意地。
そして、互いに譲れないものを持つ二人のフォワード。
試合は、まだ始まったばかりだった。
ブレイカーズにとっての地区大会初戦。その最初の二つの攻撃は、これから始まる戦いが決して穏やかなものにはならないことを、何より雄弁に物語っていた。ヴォーンという怪物を前に、マイルズはどこまで戦えるのか。そして、外側ではプライスが、まだ一本のシュートも放たないまま、静かに次の機会をうかがっている。
時春はドリブルを続けながら、再びコート全体を見渡した。
仲間たちが、それぞれの場所へ動き始める。
自分はその全員を見つけなければならない。
マイルズが勝負を望んでいるとしても、彼一人に何もかも任せてはいけないのだ。試合前、キャプテンは確かにそう言っていた。うまくいかなければ味方を頼り、味方が困っていたら助ける。それがブレイカーズというチームなのだと。
時春は小さく笑った。
ならば、自分の仕事はもう決まっている。
この怪物を、マイルズと一緒に倒す。
そのために、ボールを運ぶのだ。
体育館には、シューズが床を擦る鋭い音と、ドリブルの規則正しい響きが満ちていた。
プレーオフという名の戦いが、今、本当に始まろうとしていた。