体育館を満たしていた歓声が、わずかに落ち着きを取り戻した。
クレセントベイ・アカデミー対ノースゲート・プレップ。CIFサザンセクション・プレーオフ一回戦は、開始早々から激しい展開を見せていた。ブレイカーズがマイルズの巧みなパスから先制点を奪えば、バイソンズはジェイソン・ヴォーンの豪快なコンタクトダンクで応じる。スコアは二対二。まだ試合開始から一分も経っていないというのに、両チームの応援席では、すでに何度も観客が立ち上がっていた。
高山時春は、フロントコートへゆっくりとボールを運んでいた。
目の前には、背番号ゼロ番のキャメロン・プライスがいる。ノースゲートのエースガードは、落ち着いた表情で腰を下ろし、時春のドリブルに合わせて左右へ動いていた。彼は先ほどの攻撃で自分からシュートを放たず、ヴォーンへボールを預けていた。つまり、まだその得意な長距離シュートを一度も見せていないことになる。
時春はプライスの位置を確認しながら、右側のローポストへ視線を向けた。
そこには、マイルズがいた。
背後ではヴォーンが大きく腰を落とし、再び力比べを仕掛けようとしている。彼の分厚い両腕はマイルズの体を囲むように広がり、ゴールへ近づく道を塞いでいた。
時春は、先ほどのマイルズの言葉を思い出した。
『もう一本、俺に回せ』
相手は地区でも指折りのパワーフォワードだ。それでも、キャプテンは真っ向から勝負することを望んでいる。
時春は小さく息を吸い、右手で鋭いパスを送った。
「マイルズ!」
ボールを受け取ったマイルズは、一度だけ相手の体を確かめるように背中を押しつけた。ヴォーンは少しも動かない。二人の肩と肩がぶつかり合い、シューズが床を擦る鈍い音が響いた。マイルズは右へターンする素振りを見せ、それから左へ切り返そうとしたが、ヴォーンはその動きにも遅れずについてきた。
「……っ!」
マイルズは一瞬だけ顔をしかめた。
ゴールへ近づけない。
先ほどの一対一ではパスを選択したが、今回は自分で決めるつもりだった。しかし、相手の守備は想像以上に強固だった。肩で押し込もうとしても、下半身がまったく崩れない。フェイクを入れても、ヴォーンは不用意に跳ばず、ただ正面を保ったまま両腕を伸ばしている。
マイルズはやむなく、右肩越しにフックシュートを放った。
ヴォーンの長い腕が、すぐ目の前へ伸びてくる。
ボールは高い弧を描いたが、リングの奥側に当たって跳ね返った。
「REBOUND!」
トムがゴール下へ飛び込む。
しかし、その前にヴォーンが跳び上がった。
巨大な手がボールをつかみ取る。トムも長い腕を伸ばしていたが、ヴォーンはその体を背中で押さえながらリバウンドを確保した。
「GO! GO!」
プライスが声を上げた。
バイソンズはすぐに速攻へ移り、ヴォーンからのパスを受けたガードがフロントコートへ走り出す。時春は必死に戻ったが、反対側を走っていたウイングの選手が先にリングへ到達し、簡単なレイアップを決めた。
『BREAKERS 2 — 4 BISONS』
開始から二分も経たないうちに、バイソンズがリードを奪った。
時春はボールを受け取りながら、もう一度マイルズを見た。キャプテンは何も言わずに守備へ戻っていたが、その表情には、先ほどまでの楽しそうな笑みが残っていなかった。
そして、そこからジェイソン・ヴォーンの猛攻が始まった。
◇
ノースゲートの攻撃は、実に単純だった。
ヴォーンにボールを渡す。
それだけである。
しかし、その単純な戦術を止めることが、恐ろしく難しかった。
ヴォーンはローポストでボールを受けると、マイルズを背中で押し込みながらゆっくりとゴールへ近づいた。マイルズも決して弱い選手ではない。二メートル近い長身に分厚い肩を持ち、ブレイカーズでは誰よりもフィジカルの強い選手だった。普段の試合なら、相手の大柄なフォワードでさえ簡単には彼を押し込めない。
だが、ヴォーンの力は、そのさらに上を行っていた。
一度ドリブルするたびに、マイルズの足がわずかに後退する。踏ん張り直しても、次の接触でまた押し込まれる。ゴールから遠ざけようと体を寄せれば、ヴォーンは鋭いターンで横を抜けた。反対にターンを警戒すれば、今度は力任せに正面から押してくる。
マイルズは、そのすべてに対応しなければならなかった。
「……くそっ!」
ヴォーンが右肩を入れた瞬間、マイルズは両脚に力を込めて踏ん張った。しかし、次の瞬間には相手が左へ回り込み、バックボードを利用したレイアップを決めていた。
『BREAKERS 6 — 10 BISONS』
スコアボードの数字が更新される。
時春は思わず唇を噛んだ。
……強すぎる。
マイルズの守備が悪いわけではない。むしろ、普段なら十分に止められているはずのプレーが、まったく通用していなかった。ヴォーンは接触を恐れず、相手のわずかな重心の変化を見逃さない。強引に見える攻撃の中にも、細かな技術が織り込まれているのである。
ベンチでは、ヘイズコーチが腕を組んでいた。
そして、次の守備で大きな声を上げた。
「ノア! ヘルプへ行け!」
「YES, COACH!」
ノアが反応した。
再びヴォーンが右のローポストでボールを受ける。マイルズは背中から強く体を寄せ、できるだけゴールへ近づかせないよう踏ん張っていた。すると、左側のウイングを守っていたノアが、一気に距離を詰めた。
二人のディフェンダーが、ヴォーンを挟み込む。
ダブルチームだった。
※ダブルチーム:ボールを持つ相手一人に対して、二人の選手が同時に守備につき、シュートやドリブル、パスの選択肢を狭める戦術。
「NOW!(今だ!)」
マイルズが叫ぶ。
ノアがヴォーンの外側へ回り込み、ボールを持つ腕へプレッシャーをかけた。マイルズは体を寄せ続け、ゴールへ向かう進路を塞ぐ。さすがのヴォーンも、二人に囲まれた状態では簡単に動くことができず、いったんドリブルを止めた。
時春は思わず拳を握った。
……よし!
その瞬間だった。
ヴォーンは焦る様子もなく、外側へ視線を向けた。
そして、長い腕を使ってボールを送り出す。
ノアが離れた左ウイングへ、鋭いパスが飛んだ。
そこには、誰にもマークされていないバイソンズの選手がいた。
「ROTATE!(ローテションだ!)」
※ROTATE、またはローテーション:味方が抜かれた際に別のディフェンスがヘルプに入り、空いたマークを連動して埋め合わせるチーム全体の守備連携
マイクが叫び、素早くカバーへ向かう。
しかし、相手はシュートを打たなかった。マイクが近づいてくるのを確認すると、今度は右側のウイングへボールを送る。トムがゴール下から少し前へ出ると、その選手もすぐにパスを回した。
ボールが、次々と動いていく。
ブレイカーズの守備も必死に追いかけていたが、最初のダブルチームによって生じた一人分のずれが、なかなか埋まらない。誰かが空いた選手を守ろうとすれば、その選手が本来マークしていた相手が自由になる。バイソンズはそのわずかな遅れを利用して、冷静にボールを回し続けた。
そして、最後にボールが渡ったのは。
スリーポイントラインの外側。
背番号ゼロ番だった。
キャメロン・プライス。
時春は慌てて振り返った。
「……っ!」
プライスは、すでにシュートの姿勢へ入っていた。
時春が全力で駆け寄る。
しかし、間に合わない。
ボールがプライスの指先から離れ、体育館の明るい照明の下を滑らかな放物線となって進んだ。その軌道には一切の迷いがなかった。リングへ向かって落ちていくボールを見ただけで、時春は外れないだろうと思ってしまった。
シュッ。
ネットが、乾いた音を立てた。
「THREEEE!」
ノースゲートの応援席から歓声が上がる。
『BREAKERS 6 — 13 BISONS』
七点差。
プライスは右手を軽く上げると、何事もなかったように守備へ戻っていった。
時春は、その後ろ姿を見つめていた。
……これが、二人のコンビネーションか。
ヴォーンを一人で止めようとすれば、力で押し切られる。二人で囲めば、空いた選手へパスが出る。そして、ボールが外へ回り始めた瞬間、プライスが待ち構えている。
相手には二人のエースがいる。
だが、それ以上に厄介なのは、その二人が互いの力を生かす術を知っていることだった。
◇
苦しいのは、守備だけではなかった。
ブレイカーズは攻撃でも、次第に行き場を失っていた。
その原因もまた、ジェイソン・ヴォーンだった。
第一クォーター残り三分。
時春は左サイドのノアへパスを送った。ノアはボールを受け取ると、相手のディフェンダーと一対一の姿勢を取った。彼の武器は、力強いドライブと高い跳躍力である。普段なら、少しの隙があれば一気にゴール下へ入り、豪快なダンクを決めることも珍しくない。
このときも、ノアは迷わなかった。
「LET’S GO!」
右へ一度フェイクを入れ、鋭く左へ踏み込む。
相手のディフェンダーが遅れた。
ノアは勢いよくペイントエリアへ進入すると、そのままリングへ向かって跳び上がった。正面には相手のセンターがいたが、彼は少し位置が悪い。ノアは体をひねりながら右手でボールを持ち上げ、バックボードの高い位置を狙った。
しかし、そのときだった。
右側から、巨大な影が伸びてきた。
ヴォーンだった。
マイルズのマークを一瞬だけ外し、ゴール下へ戻ってきたのである。
ノアがボールを放とうとした瞬間、ヴォーンの長い腕が真横から伸びた。二人はほぼ同時に最高到達点へ達したが、ヴォーンの手は、ノアが予想したよりもはるかに高い場所にあった。
バシィッ!!
鋭い音が響く。
ボールはリングに触れることさえなく、コートの外側へ大きく弾き飛ばされた。
「BLOCK!」
バイソンズのベンチが一斉に立ち上がる。
ノアは着地すると、思わずヴォーンを見上げた。
「マジかよ!」
彼にとっても、あれほど完璧にシュートを止められる経験は、そう多くなかった。しかも、ヴォーンは何事もなかったように着地し、すぐに次の守備へ備えている。
マイルズがゴールへ近づこうとしても、結果は変わらなかった。
ローポストでボールを受ければ、ヴォーンは正面へ回り込み、強い体で進路を塞ぐ。肩を入れても動かない。シュートフェイクにも簡単には反応せず、マイルズが苦し紛れに放ったジャンプシュートには、長い腕を伸ばしてプレッシャーをかけてきた。
そして、トムもまた、ゴール下での攻防に苦しんでいた。
トムの長い腕は、リバウンド争いでは確かな武器になっていた。マイクのシュートが外れれば、誰よりも高い位置へ手を伸ばしてボールに触れることができる。しかし、ボールをつかんだあとにゴールへ向かおうとすれば、すぐにヴォーンや相手センターの体が迫ってくる。二人の大きな選手に囲まれた状態では、簡単にシュートを打つことができなかった。
普段なら得点源になるはずのインサイドが、まるで別の場所になってしまったかのようだった。
時春は何度もボールを運びながら、その光景を見つめていた。
マイルズが押し込まれる。
ノアがブロックされる。
トムが必死にリバウンドを争う。
そして、反対側のゴールではヴォーンが次々と得点を重ねていく。
第一クォーター終了のブザーが鳴ったとき、スコアボードには厳しい数字が並んでいた。
『BREAKERS 19 — 27 BISONS』
八点差。
ブレイカーズは、最初の八分間でノースゲートの強さを思い知らされることになった。
◇
ベンチへ戻ってきた選手たちは、誰もが険しい表情をしていた。
ノアはタオルで顔を拭きながら、何度も首を振っている。トムは水を飲み、静かに呼吸を整えていた。マイルズは両肘を膝へついたまま、床を見つめている。時春はそんな仲間たちの様子を眺めながら、自分もまたほとんど何もできていなかったことを感じていた。
ヴォーンの守備を崩せない。
ならば、どうすればいいのか。
ヘイズコーチがホワイトボードを持って近づいてきた。
「……いいか、お前たち」
選手たちが顔を上げる。
「今のままでは勝てん」
ヘイズは単刀直入に言った。
「ヴォーンを相手に、力で押し込もうとしても無駄だ。マイルズ、ノア、お前たちが弱いと言ってるんじゃない。相手の得意な場所で、相手の得意な勝負を仕掛け続けても意味がないと言っているんだ」
マイルズは静かに頷いた。
「……はい」
「それから守備だ。ダブルチームを仕掛けるなら、そのあとのローテーションまで考えろ。ヴォーンを囲むことだけが目的になっている。相手は一人じゃないんだぞ」
ヘイズはホワイトボードに、バイソンズの守備配置を書き込んだ。
「まず、攻撃を変える。インサイドへ無理にボールを押し込む必要はない。ヴォーンが中にいるなら、その外側で勝負しろ」
ペン先が、フリースローライン付近を指した。
「トキハル。お前のミドルレンジを使う」
時春は顔を上げた。
「……俺の?」
「そうだ。プライスはお前のドライブを警戒している。だが、ヴォーンがゴール下に残るなら、フリースローライン付近には一瞬だけスペースが生まれる。そこで止まって打て。無理にリングまで行く必要はない」
「はい!」
ヘイズは続いて、右ウイングにもう一つ印を書き込んだ。
「そして、マイク。お前のスリーポイントだ」
マイクは黙って頷いた。
「ヴォーンがゴール下にいるなら、外側のシュートまでは簡単に守れない。スクリーンを使ってディフェンダーを引き剥がせ。トム、マイルズ、お前たちはシュートを打つだけが仕事じゃない。体を使って味方のためのスペースを作れ」
「Yes, Coach!」
トムが答えた。
マイルズも顔を上げた。
「コーチ」
「何だ?」
「俺、まだやれます」
ヘイズはしばらくキャプテンを見つめていた。
「……わかっている」
そして、静かに続けた。
「だが、今のお前に必要なのは、ヴォーンとの力比べに勝つことじゃない。チームを勝たせることだ」
マイルズの表情が、わずかに変わった。
ヘイズはホワイトボードを閉じた。
「相手の強さを認めることと、負けを認めることは違う。お前たちには、まだ使っていない武器がある」
選手たちは立ち上がった。
第二クォーター開始を告げるブザーが鳴る。
時春はマイルズの隣へ並び、そっと声をかけた。
「……マイルズ」
「ん?」
「俺、ミドル決めるから」
マイルズが少し意外そうな顔をした。
時春は笑った。
「だから、スクリーンお願い!」
マイルズはしばらく時春を見つめていた。
それから、ようやく口元を緩めた。
「……おう。任せろ」
二人は拳を合わせた。
ブレイカーズの反撃が、そこから始まった。
◇
第二クォーター開始直後。
時春はセンターラインを越えると、すぐにマイルズへ合図を送った。キャプテンはローポストへ向かうのではなく、フリースローラインの少し上まで出てくる。ヴォーンもそれに合わせて動いたが、あくまでゴール下へ戻れる距離を保っていた。
マイルズがスクリーンをセットする。
時春はその横を抜けた。
プライスが追いかけてくる。
しかし、マイルズの大きな体に進路を塞がれ、わずかに遅れた。
時春はその隙にペイントエリアの手前へ踏み込んだ。
ヴォーンが一歩前へ出る。
だが、すぐに飛び出してくることはなかった。背後にはトムがいて、ゴール下へ走り込む動きを見せている。ヴォーンが時春を追いかければ、リングの近くが空いてしまう。
その一瞬だった。
時春はドリブルを止めた。
右足を踏み込み、体をまっすぐ起こす。
フリースローライン付近からのジャンプシュート。
ボールが高い弧を描き、リングへ向かう。
シュッ。
綺麗にネットを揺らした。
「YES!」
時春が拳を握る。
ベンチからイーサンの声が飛んだ。
「NICE SHOT!」
時春は振り返り、親指を立てた。
その直後、マイルズが大きな手で時春の背中を叩いた。
「いいぞ、トキ!」
「マイルズのスクリーンのおかげ!」
「だったら、もう一本やるか?」
「もちろん!」
二人は笑い、すぐに守備へ戻った。
だが、この日のブレイカーズには、時春のミドルレンジよりもさらに恐ろしい武器があった。
マイク・トンプソンのスリーポイントシュートである。
第二クォーター残り六分。
時春はトップ付近でボールを持ち、ゆっくりと右手でドリブルを刻んでいた。右コーナーにはマイクが立っている。彼を守るバイソンズのガードは、少しも目を離さずに距離を保っていた。第一クォーターで一本のスリーポイントを決められていたため、簡単にシュートを打たせるつもりはないらしかった。
しかし、ブレイカーズにはスクリーンがあった。
トムがゴール下から右サイドへ移動する。
そして、マイクのディフェンダーの進路へ大きな体を置いた。
マイクが走り出す。
トムの横を鋭く抜け、コーナーから右ウイングへ上がった。
相手のガードが追いかけようとする。
しかし、その進路にはトムがいた。
「……っ!」
ディフェンダーが一瞬遅れた。
時春はその瞬間を見逃さなかった。
「マイク!」
鋭いパスが飛ぶ。
マイクはスリーポイントラインの外側でボールを受け取った。
完全なフリーだった。
彼は膝をわずかに曲げ、流れるような動作でボールを持ち上げた。腕が伸び、指先からボールが離れる。その一連の動作には、無駄な力がほとんど感じられなかった。
ボールは美しい放物線を描き、リングへ向かっていった。
シュッ。
ネットが揺れた。
「THREEEEE!」
ブレイカーズの応援席が沸き上がる。
マイクは軽く拳を握ると、すぐに守備へ戻った。
しかし、それで終わらなかった。
次の攻撃でも、マイクは同じようにスクリーンを利用した。
今度はマイルズが左側でディフェンダーを引き受け、ノアが反対側へ走る。時春は一度ノアへパスを送る素振りを見せてから、突然右側へボールを回した。
そこには、再びマイクがいた。
相手のガードが慌てて駆け寄る。
しかし、マイクはすでにシュートモーションへ入っていた。
高く伸びる右腕。
静かに放たれるボール。
そして、またしても。
シュッ。
「YEAHHHH!」
時春が思わず両手を突き上げた。
マイクは何事もなかったように走り出そうとしたが、ノアが大きな声で呼び止める。
「BRO! お前、今日どうなってんだよ!」
「何が?」
「外さねえじゃねえか!」
マイクは小さく笑った。
「今日は、よく入るな」
「それだけ!?」
ノアが呆れたように叫ぶ。
時春はそのやり取りを聞きながら、嬉しくて仕方がなかった。
今日のマイクは、明らかに調子が良かった。
シュートを打つまでの動作に迷いがなく、ボールが指先を離れる瞬間には、もう入るだろうと思えるほどだった。相手が距離を詰めれば無理に打たず、次のスクリーンを利用して別の場所へ動く。プライスほど遠い距離から打つわけではないが、スリーポイントライン付近では恐ろしいほど正確だった。
そして、マイクが外から得点を重ね始めると、バイソンズの守備にも変化が生まれた。
ディフェンダーたちは、以前よりも外側を警戒するようになった。
ヴォーンも、スクリーンへの対応でゴール下から少し離れなければならなくなる。
そのわずかな変化を、時春は見逃さなかった。
今度は自分が、ミドルレンジへ踏み込む。
マイルズのスクリーンを利用し、プライスの横を抜けると、フリースローラインの少し手前で急停止した。ヴォーンが反応したときには、時春の体はすでに宙へ浮いている。
シュッ。
再び、ネットが揺れた。
ブレイカーズは少しずつ点差を縮めていった。
◇
観客席では、ジェイクがすでに何度も立ち上がっていた。
「BROOO! マイクやべえって!!」
隣に座るゾーイは、カメラを構えながら呆れたように笑っている。
「ジェイク、ちょっと座って! 後ろの人が見えないでしょ!」
「あっ、悪い!」
ジェイクは慌てて腰を下ろしたが、数秒後には時春のシュートに反応して再び立ち上がりかけた。ゾーイはそれを横目で見て、深いため息をついた。
その隣では、エマが両手を胸の前で握っていた。
「……よかった。少しずつ追いついてきたね」
「うん! トキ、すごいじゃん!」
マディソンが嬉しそうに答えた。
「でも、あの大きい人、まだ全然止まってないよね……」
エマの視線は、再びコートの中央へ向けられた。
ヴォーンは相変わらずゴール下で存在感を示していた。ブレイカーズが得点を重ねても、彼は落ち着いた表情でボールを要求し、マイルズを相手に力強い攻撃を続けている。
ラリーはメガネを押し上げ、少し不思議そうに呟いた。
「……あの三十四番、反則級だね」
「だろ!?」
ジェイクが身を乗り出した。
「マジで化け物だろ、あいつ!」
「いや、ゲームだったら絶対に調整されると思う」
「お前、そういう見方すんの!?」
ジェイクが笑い出す。
しかし、ラリーの表情は真面目だった。
「……でも、トキたちも負けてないよ」
その言葉に、エマが顔を向けた。
ラリーはコートを見つめたまま続ける。
「さっきまで、あの大きい人のところへ行っても何もできなかったのに、今は違う方法で点を取ってる。……ちょっと、うまくなった気がする」
エマは少し驚いた。
普段、ラリーがバスケットボールの話を積極的にすることは少ない。しかし、時春の試合を何度も見に来ているうちに、彼なりに少しずつ競技を理解するようになっていたのかもしれなかった。
「……そうだね」
エマは柔らかく笑った。
「みんなで、頑張ってるもんね」
そして、彼女は再びコートへ視線を戻した。
そこでは、時春がボールを運びながら、マイクへ向けて何かを叫んでいた。
◇
前半終了。
『BREAKERS 43 — 50 BISONS』
七点差。
第一クォーターの終わりと比べれば、ブレイカーズは確かに点差を縮めていた。時春は得意のミドルレンジで得点を重ね、マイクもスリーポイントを次々と沈めていた。イーサンが途中出場している時間帯には、落ち着いたゲームメークで相手の守備を揺さぶり、無理な攻撃を減らすことにも成功していた。
しかし、ヴォーンの勢いを完全に止めることはできていなかった。
前半だけで、彼は十八得点を記録していた。
そして、そのほとんどがゴール下からの得点だった。
ロッカールームへ戻ると、マイルズは大きく息を吐き、ベンチへ腰を下ろした。肩で呼吸をするほどではなかったが、額には大量の汗が浮かんでいた。これまでの試合で、彼がこれほど早い時間から疲労を見せることは珍しかった。
時春は少し離れた場所から、その姿を見つめていた。
前半のマイルズは、決して何もしていなかったわけではない。スクリーンを何度もセットし、リバウンドへ飛び込み、ノアやマイクの得点を助けていた。しかし、ヴォーンとの一対一では押し込まれる場面が多く、シュートを決めることも難しかった。
そして何より、彼はヴォーンを止められないことを悔しがっているように見えた。
「……マイルズ」
時春が近づくと、キャプテンは顔を上げた。
「ん?」
「……大丈夫?」
マイルズは少しだけ笑った。
「またそれかよ」
「だって……」
「心配すんな。まだ半分だろ」
そう答えたものの、声には疲れが混じっていた。
時春は隣へ腰を下ろした。
そして、少し迷ってから口を開いた。
「……マイルズ、さっきの話、覚えてる?」
「何の話だ?」
「試合前に言ってたこと」
マイルズは首を傾げた。
「うまくいかなかったら、味方を頼れって」
時春は真剣な顔で言った。
「……俺、もっと助けたい」
マイルズは黙っていた。
「マイルズがあの人を止められないなら、みんなで守ろうよ。俺もプライスにスリー打たせないように頑張るし、ノアもトムもいるし……マイルズ一人が全部やらなきゃいけないわけじゃないでしょ?」
時春は少しだけ笑った。
「マイルズ、自分で言ってたじゃん」
マイルズはしばらく、時春の顔を見つめていた。
やがて、ゆっくりと息を吐いた。
「……そうだな」
その声は、驚くほど穏やかだった。
「……俺が言ったんだったな」
マイルズは小さく笑った。
時春も笑った。
そのとき、ヘイズコーチが選手たちの前へ歩いてきた。
「いいか。前半のことは忘れろ」
選手たちが一斉に顔を上げる。
「ヴォーンを止めるのは簡単じゃない。だが、今のまま好き放題やらせる必要もない。マイルズ、相手はドライブの最後にボールを右側へ大きく持ち上げる癖がある。最初の一歩で勝負しようとするな。最後まで体を寄せ、シュートに移る瞬間を狙え」
マイルズは真剣な顔で頷いた。
「Yes, Coach」
「それから、ノアとトム。マイルズが抜かれたときは、ためらわずカバーに入れ。ただし、プライスを空けるな。トキハル、お前はスクリーンを受けても、できるだけプライスについていけ。彼に簡単なスリーポイントを打たせないことが重要だ」
「はい!」
ヘイズは全員を見渡した。
「そして、後半も攻撃の中心は外側だ。マイクのシュートが入っている。ならば、その武器を使い続けろ。相手がマイクを警戒し始めたら、今度はトキハルのミドルが空く。その繰り返しだ」
マイクは静かに頷いた。
ノアが隣から肘でつつく。
「おい、マイク。後半も頼むぜ!」
「……わかってる」
「あと何本決めるつもりだ?」
「さあ」
マイクは少し考えた。
「……空いたら、打つよ」
あまりにも普段通りの答えだったので、時春は思わず笑ってしまった。
マイルズも、ようやく表情を緩めた。
後半開始まで、もう間もない。
◇
第三クォーター。
バイソンズは、再びヴォーンを中心に攻撃を仕掛けてきた。
プライスがボールを運び、ハイポストへ上がったヴォーンへパスを送る。マイルズはすぐに体を寄せ、簡単にリングへ向かわせないよう進路を塞いだ。しかし、ヴォーンは大きなストライドを使って右へ切り返し、強引にペイントエリアへ入り込もうとした。
マイルズが追いかける。
その背後では、トムがゴール下を守っていた。
ヴォーンは一瞬だけボールを持ち上げ、シュートへ移るような素振りを見せる。トムが反応した隙に、彼は体を反転させ、逆側から柔らかなレイアップを放った。
ボールはバックボードに当たり、リングを通り抜けた。
マイルズは歯を食いしばった。
まだ止まらない。
しかし、前半との違いもあった。
マイルズは、すぐに次の攻撃へ意識を切り替えたのである。
「トキ! 走れ!」
時春はボールを受け取り、勢いよくフロントコートへ進んだ。
右側ではマイクが走っている。
その前には、相手のディフェンダーが一人いた。
時春は一度マイクへ視線を送った。
相手のガードが反応する。
その瞬間、時春は鋭く左へ切り返した。
プライスが追いつこうとするが、マイルズが正確なタイミングでスクリーンをセットする。時春はその横を抜けると、フリースローラインの少し手前で急停止した。
ジャンプシュート。
綺麗な弧を描いたボールが、ネットを揺らす。
「NICE!」
マイルズの声が響いた。
時春は拳を握り、すぐに守備へ戻った。
その後もブレイカーズは、外側からの攻撃を続けた。
マイクがスクリーンを利用してスリーポイントを決め、時春がミドルレンジを沈める。ノアは無理にゴール下へ突っ込まず、相手のディフェンダーを引きつけてから外へパスを回した。トムはリバウンドとスクリーンに集中し、マイルズもヴォーンをゴール下から引き離す役割を担っていた。
しかし、バイソンズも簡単には崩れなかった。
プライスが長距離からスリーポイントを沈めれば、ヴォーンは力強いドライブで得点を奪う。ブレイカーズが一度点差を縮めても、すぐに突き放される。その繰り返しが、第三クォーターの中盤まで続いていた。
残り四分。
『BREAKERS 55 — 65 BISONS』
十点差。
観客席には、再び重たい空気が漂い始めていた。
そのとき、ヴォーンが右側のハイポストでボールを受け取った。
マイルズは正面に立った。
ヴォーンがにやりと笑う。
「……またお前か」
マイルズは何も答えなかった。
ヴォーンは右手で強くドリブルをした。
その巨体が、一気に動き出す。
マイルズは横へ足を滑らせ、進路を塞ごうとした。しかし、ヴォーンの一歩目は速い。長いストライドで外側を抜かれ、わずかに遅れたマイルズは、相手の肩の横から追いかける形になってしまった。
ヴォーンはそのままリングへ迫った。
正面にはトムがいた。
しかし、先ほどのコンタクトダンクを経験している彼は、簡単には跳ばなかった。両腕を高く伸ばし、相手の進路を狭めようとする。
ヴォーンは迷わずボールを持ち上げた。
その瞬間だった。
マイルズの目が、鋭く動いた。
ヴォーンの右腕。
そして、ボールの位置。
前半、何度も見せられた動きだった。
ドライブの最後に大きく一歩を踏み込み、右側からボールを振り上げる。その瞬間、ヴォーンの長い腕は最も高い位置へ向かう。しかし、ボールが上がりきるまでには、ほんのわずかな時間がある。
マイルズは、そこを待っていた。
ヴォーンが踏み切る。
大きな体が宙へ浮かぶ。
トムが正面で両腕を上げる。
その背後から、マイルズが跳び上がった。
「……っ!」
ヴォーンがボールを持ち上げる。
そして、その瞬間。
「何回もやられてたまるかよ!!」
マイルズの右手が、ボールへ伸びた。
バシィィッ!!
鋭い音が体育館へ響き渡った。
ヴォーンの手から、ボールが弾き飛ばされる。
完全なブロックショットだった。
しかも、ただ触れただけではない。マイルズは相手のシュートの軌道を正確に読み、ボールが放たれる直前に叩き落としていた。
「OOOOOOHHHHH!!」
観客席から凄まじい歓声が上がった。
ヴォーンが着地し、驚いたように振り返る。
マイルズも着地したが、すでに視線は弾かれたボールへ向いていた。
「TOKI! GO!」
その声に、時春が反応した。
ボールはフリースローライン付近へ跳ね返り、時春の足元へ転がってきていた。彼はすぐに拾い上げると、前方へ顔を向けた。
反対側のコートが、開けている。
そして、そこへ走り出している選手がいた。
トム・ウェイクだった。
普段は静かなセンターが、このときばかりは誰よりも早く前へ走っていた。長い腕を大きく振り、ゴールへ向かって一直線に進んでいる。相手のセンターはまだ戻りきっておらず、トムの前には広いスペースがあった。
「トム!!」
時春が叫ぶ。
トムは振り返った。
二人の目が合った。
その瞬間、時春はドリブルをさらに加速させた。
センターラインを越える。
相手のガードが進路を塞ごうとする。
時春は右へ一度フェイクを入れ、左へ切り返した。ディフェンダーが反応して体を向けた瞬間、時春はボールを両手で持ち上げる。
そして、リングの上へ向かって高く放り上げた。
アリウープ。
ボールが、体育館の照明の下をゆっくりと飛んでいく。
トムが跳んだ。
長い腕が、空中へ伸びる。
相手のディフェンダーは懸命に追いかけていたが、もう届かない。
トムの大きな手が、リングの上でボールをつかんだ。
そして、そのまま。
両手でリングへ叩き込んだ。
ガシャアアアンッ!!
「BOOOOOOM!!」
体育館が揺れるような歓声が上がった。
「LET’S GOOOOOO!!」
時春が両手を突き上げた。
トムが着地すると、珍しく大きな声を上げた。
「YES!!」
ベンチではノアが飛び上がり、イーサンが力強く拳を握っている。ヘイズも腕を組んだまま頷き、選手たちへすぐに守備へ戻るよう指示していた。
そして、観客席ではジェイクが完全に立ち上がっていた。
「BROOOOO!! トムがやったぞ!!」
「すごい! 今のすごい!」
エマが歓声を上げる。
マディソンも両手を叩き、ゾーイはカメラを構えたまま嬉しそうに笑っていた。
ラリーは思わずメガネを押し上げた。
「……えっ、あの高さのボール、取れるんだ」
その声は、周囲の歓声にほとんどかき消されていた。
しかし、もっとも大きな変化はコートの中に起きていた。
マイルズが、笑っていた。
彼は自分のブロックから生まれた得点を見届けると、大きく拳を突き上げた。
「THAT’S WHAT I’M TALKING ABOUT!!(言った通りだ!!)」
その声が、仲間たちの胸に響いた。
ブレイカーズは、まだ負けていない。
◇
マイルズのブロックは、試合の流れを大きく変えた。
それまでヴォーンの存在を恐れ、ゴール下へ入ることをためらっていたブレイカーズの選手たちは、少しずつ自信を取り戻し始めた。もちろん、一つのブロックだけで相手の強さが消えるわけではない。ヴォーンは依然として危険な選手であり、プライスも外側から得点を狙い続けていた。
しかし、マイルズが正面から止められると証明したことには、大きな意味があった。
ヴォーンもまた、以前ほど簡単には攻め込めなくなっていた。
彼はドライブを仕掛けるたびに、マイルズの位置を確認するようになった。力任せにリングへ突っ込むだけでは、またブロックされるかもしれない。その意識が、ほんのわずかな迷いを生んでいたのである。
そして、その迷いをブレイカーズは見逃さなかった。
マイルズがヴォーンのドライブを遅らせる。
トムがゴール下で両腕を広げる。
ノアがパスコースを塞ぎ、時春はプライスを追い続ける。
完全に止められなくても、簡単なシュートを打たせなければいい。
相手の得意な形を、一つずつ減らしていく。
その守備が、少しずつ成果を上げ始めていた。
攻撃では、マイクが再びスリーポイントを沈めた。
トムのスクリーンを利用して左ウイングへ上がり、時春からのパスを受け取る。ディフェンダーが追いつくよりも早くボールを放ち、綺麗な弧を描いてネットを揺らした。
その次は、マイルズだった。
ハイポストでボールを受け取り、ヴォーンが近づいてくるのを待つ。相手が体を寄せた瞬間、マイルズは右へ一度フェイクを入れ、左側へ鋭く踏み込んだ。ヴォーンはすぐに追いかけてきたが、マイルズは無理にリングへ向かわなかった。
代わりに、短いジャンプシュートを放った。
ボールはバックボードへ当たり、リングを通り抜けた。
「YES!」
マイルズが小さく拳を握る。
力で押し込めないなら、別の方法で得点すればいい。
彼もまた、そのことを理解し始めていた。
そして第三クォーター終盤、マイクがこの日五本目となるスリーポイントを沈めたとき、ブレイカーズはついに逆転に成功した。しかし、バイソンズもすぐに反撃し、ヴォーンのゴール下での得点によって再びリードを奪った。
第三クォーター終了。
『BREAKERS 69 — 71 BISONS』
二点差。
十点以上あった点差は、ほとんど消えていた。
ブレイカーズのベンチには、再び活気が戻ってきた。
◇
第四クォーター。
残された時間は、八分間。
勝てば二回戦。
負ければ、そこで終わり。
体育館の空気は、試合開始前よりもさらに重くなっていた。
両チームの選手たちは、すでにかなりの疲労を抱えていた。マイルズのユニフォームは汗で体へ張りつき、ノアも普段より呼吸が荒い。トムは何度も肩を回し、マイクはタオルで顔を拭っている。それでも、誰一人として下を向いていなかった。
ノースゲートも同じだった。
ヴォーンはゴール下で激しい接触を繰り返し、プライスも外側から絶えず動き続けている。二人のスターは疲労を隠すように表情を引き締め、最後まで自分たちの攻撃を貫こうとしていた。
第四クォーター開始直後、イーサンがコートへ入った。
時春に短い休息を与えるためだった。
イーサンは落ち着いたドリブルで相手の守備を揺さぶり、マイルズへ正確なパスを送った。マイルズはゴール下でヴォーンに体を寄せられたが、今度は強引に押し込もうとはしなかった。いったんボールを高く掲げると、背後から走り込んできたノアへ鋭いパスを送る。
ノアがレイアップを決めた。
「NICE PASS!」
イーサンが叫ぶ。
マイルズは笑いながら拳を上げた。
しかし、バイソンズも簡単には引き下がらなかった。プライスが長い距離からスリーポイントを沈め、ヴォーンがゴール下で得点を重ねる。ブレイカーズが追いつけば、すぐに突き放す。その繰り返しの中で、試合時間だけが少しずつ減っていった。
残り四分半。
『BREAKERS 80 — 85 BISONS』
五点差。
ヘイズはタイムアウトを取った。
ベンチへ戻ってきた選手たちの表情には、明らかな疲労が浮かんでいた。しかし、ヘイズは焦っていなかった。ホワイトボードへ二本の線を書き込み、次の攻撃について説明を始めた。
「いいか。ここからは無駄な攻撃をするな。五点差なら、まだ十分に追いつける。マイクのスリーポイントを警戒して、相手の守備が外へ広がっている。トキハル、お前が戻ったら中央を使え。マイルズ、お前はハイポストでボールを受けろ。ヴォーンを動かし、味方のためのスペースを作れ」
「Yes, Coach!」
マイルズが答えた。
ヘイズは彼を見た。
「それと、マイルズ」
「はい」
「ここまで、よく耐えている」
その言葉に、マイルズは少し驚いたような顔をした。
「ヴォーンの得点は多い。だが、後半は簡単なシュートを減らせている。お前が体を張っているからだ。最後まで、その仕事を続けろ」
マイルズはゆっくりと頷いた。
「……はい」
ヘイズは選手たちを見渡した。
「あと四分半だ。ここで終わりにするつもりはないだろうな?」
「NO, COACH!」
「なら、証明しろ!」
「YES, COACH!」
全員の声が重なった。
時春は立ち上がり、イーサンと拳を合わせた。
「頼んだぞ、トキ」
「はい!」
そして、マイルズの隣へ並んだ。
「……行こう、マイルズ」
キャプテンは笑った。
「おう。まだ終わってねえぞ」
◇
残り二分二十一秒。
『BREAKERS 85 — 90 BISONS』
五点差。
ブレイカーズの攻撃だった。
時春はゆっくりとボールを運び、プライスの動きを確認した。相手のガードも疲れているはずだったが、その表情にはまだ落ち着きがあった。時春が右へドリブルすれば、すぐに横へ滑り、マイルズのスクリーンが近づけば、体を細くして抜けようとする。
しかし、時春は焦らなかった。
プライスがスクリーンを避けようとした瞬間、時春は突然左へ切り返した。ディフェンダーの体がわずかに遅れる。そこから一気にフリースローライン付近へ踏み込み、相手が追いつくよりも早くジャンプシュートを放った。
ボールは高い弧を描き、リングへ向かう。
シュッ。
『BREAKERS 87 — 90 BISONS』
三点差。
「YES!」
時春は拳を握り、すぐに守備へ戻った。
しかし、次の攻撃でヴォーンが再び力を見せつけた。
プライスからのパスを受け取ると、右のローポストでマイルズへ背中を向ける。マイルズは低く腰を落とし、相手をゴールから遠ざけようとしたが、ヴォーンは二度の強いドリブルで少しずつ距離を詰めた。そして、最後に鋭く体を反転させ、リングの近くからレイアップを放った。
マイルズは懸命に腕を伸ばした。
しかし、ボールは指先のわずか上を通り、バックボードへ当たってリングを通り抜けた。
『BREAKERS 87 — 92 BISONS』
再び五点差。
ヴォーンは着地すると、マイルズへ向かって小さく笑った。
「……まだ止められないのか?」
マイルズは黙っていた。
しかし、その目は少しも逸らさなかった。
残り一分十五秒。
ブレイカーズは、またしてもマイクのスリーポイントに救われた。
時春が左へドライブし、相手の守備を引きつける。トムが右側でスクリーンをセットすると、マイクはその横を抜けてコーナーからウイングへ上がった。
時春は迷わずパスを送った。
マイクがボールを受け取る。
相手のガードが懸命に追いかける。
しかし、間に合わない。
マイクはゆっくりと膝を伸ばし、ボールを放った。
その瞬間、時春は確信した。
入る。
ボールは美しい放物線を描き、リングへ向かって落ちていく。
そして、綺麗にネットを揺らした。
「THREEEEEE!!」
『BREAKERS 90 — 92 BISONS』
二点差。
ブレイカーズの応援席が、一斉に立ち上がった。
「MIKE!! LET’S GOOOO!!」
ジェイクが両手を突き上げる。
エマもマディソンも、声の限りに叫んでいた。
マイクは小さく拳を握ると、時春と一度だけ視線を合わせた。
「……いいパス」
「マイクがすごいんだって!」
二人は笑い、すぐに守備へ戻った。
残り時間は、もう一分を切ろうとしていた。
ここから先は、一つのプレーが勝敗を決める。
◇
ノースゲートの攻撃。
プライスがゆっくりとドリブルを刻んでいた。
時春は腰を落とし、相手の正面へ立った。プライスの長距離シュートは恐ろしいが、だからといって不用意に飛び込めば、簡単に抜かれてしまう。時春は相手の腰の動きを見つめながら、できるだけ一定の距離を保っていた。
プライスは右へ一度フェイクを入れた。
時春が反応する。
その瞬間、相手は左へ切り返した。
しかし、時春も遅れなかった。
滑るように横へ動き、進路を塞ぐ。
プライスはドリブルを続けながら、わずかに眉をひそめた。
そして、ヴォーンへパスを送った。
マイルズが正面に立つ。
ヴォーンはボールを受け取ると、強く一度ドリブルをした。
マイルズは体を寄せた。
もう一度、ヴォーンが押し込もうとする。
しかし、今度はマイルズも下がらなかった。
両脚を深く曲げ、腰を落とし、相手の力を正面から受け止める。ヴォーンは肩を入れて押し込もうとしたが、マイルズはその動きに合わせてわずかに位置を調整し、ゴールへ近づく道を塞ぎ続けた。
「……っ!」
ヴォーンの表情が変わった。
強引にシュートを放つ。
マイルズが長い腕を伸ばす。
ボールはリングの奥側に当たり、跳ね返った。
「REBOUND!」
トムが叫ぶ。
しかし、マイルズはすでに動いていた。
ヴォーンの体を背中で押さえ、跳ね返ったボールへ手を伸ばす。
大きな手が、しっかりとボールをつかんだ。
「YES!」
時春が叫んだ。
マイルズはすぐにボールを抱え、時春へパスを送った。
残り五十秒。
二点差。
ブレイカーズには、同点へ追いつくチャンスが生まれていた。
時春はボールを運びながら、マイルズの位置を確認した。キャプテンは疲れているはずだった。前半からヴォーンと何度も体をぶつけ合い、リバウンドを争い、スクリーンをかけ続けている。しかし、その足取りには、まだ力が残っていた。
時春は右手で合図を送った。
マイルズが動く。
ハイポストでスクリーンをセットした。
時春はその横を抜け、フリースローライン付近へ向かう。
プライスが追いかけてくる。
ヴォーンも、時春のミドルレンジを警戒して前へ出た。
その瞬間だった。
マイルズが体を反転させた。
ゴールへ向かって走り込む。
時春はすぐに反応した。
ボールを一度だけ床へ叩き、相手のディフェンダーの横を抜けるようにパスを送った。マイルズはそのボールをしっかりと受け止め、リングの手前で大きく踏み切った。
ヴォーンが慌てて追いかける。
しかし、もう遅かった。
マイルズは両手でボールを持ち上げると、そのままリングへ力強く叩き込んだ。
ガシャアアンッ!!
「BOOOOM!!」
『BREAKERS 92 — 92 BISONS』
同点。
体育館が歓声に包まれた。
マイルズは着地すると、両拳を握って大きく吠えた。
「LET’S GOOOO!!」
時春が駆け寄る。
「マイルズ!!」
二人は力強く拳を合わせた。
しかし、まだ勝ったわけではなかった。
残り四十秒。
ノースゲートには、まだ二人のスターがいる。
◇
プライスは、恐ろしく冷静だった。
同点へ追いつかれた直後にもかかわらず、彼は急ぐ様子を見せなかった。ゆっくりとボールを運び、センターラインを越えると、左手で小さく合図を送る。ヴォーンがハイポストへ上がり、時春の進路を塞ぐようにスクリーンをセットした。
時春はその動きに反応した。
しかし、プライスはスクリーンを使わなかった。
右へ動くと見せかけ、突然左へステップを踏む。
時春の体がわずかに遅れた。
その隙に、プライスは大きく後方へ跳んだ。
ステップバック。
スリーポイントラインよりも、さらに外側。
時春は慌てて腕を伸ばした。
「……っ!」
プライスがシュートを放つ。
ボールは、恐ろしく高い弧を描いた。
観客席の誰もが、その行方を見つめていた。
そして。
シュッ。
ネットが揺れた。
『BREAKERS 92 — 95 BISONS』
残り二十六秒。
ノースゲートが、三点のリードを奪った。
赤と黒の応援席から、凄まじい歓声が上がる。
プライスは右手を軽く上げると、静かに守備へ戻っていった。
時春は一瞬、その場に立ち尽くした。
……すげえ。
今のシュートは、完全に個人技だった。
ディフェンスが悪かったわけではない。プライスは自分でわずかな空間を作り、その隙を使って長距離シュートを沈めてしまったのである。
しかし、時春はすぐに顔を上げた。
三点差。
残り二十六秒。
まだ、終わっていない。
ヘイズがタイムアウトを取った。
選手たちがベンチへ戻る。
誰もが荒い息を吐いていた。
ヘイズはホワイトボードを持ち上げ、最後の攻撃について説明を始めた。
「いいか。まずは落ち着け。三点差なら、一つのシュートで追いつける」
選手たちが真剣な顔で頷いた。
「マイクを使う。ここまで相手も徹底してマークしてきているが、スクリーンを二枚使えば一瞬だけ空くはずだ。トムとマイルズ、お前たちが道を作れ。トキハル、相手の守備を見て判断しろ。無理にマイクへ投げる必要はない。だが、空いたら迷わず渡せ」
「Yes, Coach!」
時春は力強く答えた。
マイクは静かに立ち上がった。
その表情には、ほとんど緊張が見られなかった。
ノアが彼の肩を叩く。
「おい、マイク」
「ん?」
「……頼むぜ」
マイクは小さく笑った。
「……わかってる」
そして、全員がコートへ戻っていった。
残り二十六秒。
ブレイカーズの攻撃が始まった。
時春はボールを受け取り、ゆっくりとドリブルを刻んだ。
プライスが正面へ立つ。
マイクは右コーナーにいた。
彼を守るディフェンダーは、明らかにシュートを警戒していた。少しも距離を離さず、マイクが動くたびに同じ方向へ足を滑らせている。
時春は左手で合図を送った。
トムが動く。
右側のウイングでスクリーンをセットした。
マイクが走り出す。
ディフェンダーが追いかける。
しかし、トムの長い体に進路を塞がれ、わずかに遅れた。
その先には、もう一人がいた。
マイルズだった。
彼はハイポスト付近へ上がり、二枚目のスクリーンをセットした。マイクはその横を鋭く抜け、トップの少し右側へ向かった。
ディフェンダーが追いかける。
しかし、間に合わない。
時春はその瞬間を見逃さなかった。
「マイク!!」
鋭いパスが飛ぶ。
マイクはスリーポイントラインの外側でボールを受け取った。
完全なフリー。
残り十八秒。
彼は膝を曲げ、ボールを持ち上げた。
その動作は、試合開始前のウォーミングアップとほとんど変わらなかった。疲労も、点差も、残り時間も、まるで彼のシュートには関係がないかのようだった。
右腕が伸びる。
指先から、ボールが離れた。
美しい放物線。
体育館の誰もが息を呑んだ。
そして。
シュッ。
ネットが、綺麗に揺れた。
「THREEEEEEEEEE!!」
体育館が爆発した。
『BREAKERS 95 — 95 BISONS』
同点。
残り十六秒。
マイクは、この日七本目となるスリーポイントを決めた。
「BROOOOOOOOO!!」
ノアが叫び、両拳を突き上げた。
時春も思わず飛び跳ねる。
「マイク!! 最高!!」
マイクは珍しく大きく拳を握った。
その口元には、はっきりと笑みが浮かんでいた。
しかし、試合はまだ終わっていなかった。
ノースゲートが、すぐにタイムアウトを取った。
残り十六秒。
次の攻撃を成功させたチームが、勝利へ大きく近づく。
◇
ブレイカーズのベンチへ戻ったマイルズは、大きく息を吐いた。
体は、もう限界に近かった。
肩が重い。脚も張っている。ヴォーンとの接触を何度も繰り返したせいで、背中には鈍い疲労が残っていた。これまでの試合でも激しいマッチアップを経験してきたが、今日ほど一人の選手に体力を奪われたことはなかった。
それでも、マイルズの目は死んでいなかった。
ヘイズが最後の守備について説明する。
「プライスを簡単に打たせるな。ヴォーンが中へ入ったら、マイルズが正面で受けろ。トムはゴール下を守れ。ノアはパスコースを警戒しろ。とにかく、最後まで集中を切らすな」
「Yes, Coach!」
選手たちは声を揃えた。
マイルズは一度、目を閉じた。
その脳裏に、去年のプレーオフが浮かんだ。
一回戦で敗れた日の、静かな更衣室。汗の染み込んだユニフォーム。誰も言葉を発しないまま、ロッカーの前に座っていた仲間たち。あの日、自分は何もできなかった。もっとリバウンドを取れたのではないか。もっと強く守れたのではないか。そんな後悔ばかりが頭の中を巡り、最後まで顔を上げることができなかった。
今年こそは違う。
その思いで、ここまで来た。
しかし、マイルズが勝ちたいと願う理由は、それだけではなかった。
観客席には、母親のデニースがいる。
その隣には、四人の弟妹たちがいた。
ケイレブ、マヤ、レオ、ニア。
試合前には、子供たちが手作りの応援ボードを掲げてくれていた。少し曲がった文字で『GO MILES!』と書かれたそのボードを見たとき、マイルズは思わず笑ってしまった。普段は仕事で忙しい母親も、今日は時間を作って試合を見に来てくれている。
大学へ行きたい。
奨学金を得たい。
家族に、少しでも楽をさせてやりたい。
その願いは、今も変わっていない。
そして、今日の試合は、自分がどれだけ成長したのかを示す大切な機会でもあった。
けれど。
マイルズはゆっくりと顔を上げた。
目の前には、仲間たちがいる。
時春が真剣な顔でヘイズの指示を聞いている。ノアが何度も頷き、マイクは静かに呼吸を整えていた。トムはタオルで汗を拭いながら、すでにコートへ戻る準備をしている。
この試合は、自分一人のためのものではない。
ブレイカーズ全員のものだった。
マイルズは、ようやくそのことを心の底から理解したような気がしていた。
「……お前ら」
彼は立ち上がった。
仲間たちが顔を向ける。
「最後まで、頼むぜ」
時春が笑った。
「もちろん!」
ノアが拳を突き上げる。
「LET’S GO, BRO!」
マイクも静かに頷いた。
トムが大きな手を差し出す。
マイルズはその手を握り返した。
そして、全員がコートへ戻った。
◇
残り十六秒。
ノースゲートの攻撃が始まった。
プライスはエンドラインからのパスを受け取ると、ゆっくりとドリブルをしながらフロントコートへ向かった。時春はすぐに腰を落とし、相手の正面へ立った。
残された時間は、わずかだった。
しかし、プライスは急がなかった。
彼はセンターラインを越えると、左手で小さく合図を送った。
ヴォーンが動く。
ハイポストへ上がり、時春の進路を塞ぐようにスクリーンをセットした。
時春は横へ回り込もうとしたが、ヴォーンの巨大な体に一瞬だけ道を塞がれた。プライスはその隙に右へドリブルし、スリーポイントラインの少し内側へ踏み込む。
しかし、時春も諦めなかった。
必死に追いかけ、再び相手の正面へ回り込む。
プライスはシュートへ移る素振りを見せたが、時春が腕を伸ばすと、すぐにボールを下ろした。
残り十三秒。
プライスは右へ一度フェイクを入れた。
時春が反応する。
しかし、相手はドライブしなかった。
代わりに、左側へパスを送った。
そこには、ヴォーンがいた。
マイルズが正面に立つ。
二人の視線が交差した。
ヴォーンはゆっくりとボールを持ち上げた。
そして、にやりと笑った。
「……最後は、俺が決める」
マイルズは何も答えなかった。
ただ、静かに腰を落とした。
残り十二秒。
ヴォーンが右手でドリブルを始める。
大きな体が、右へ動いた。
マイルズは横へ足を滑らせる。
ヴォーンがさらに加速する。
しかし、マイルズも遅れない。
両者の体が激しくぶつかった。
鈍い音が響く。
ヴォーンは一瞬だけ顔をしかめたが、すぐに左へ切り返した。長いストライドを利用し、マイルズの外側の肩を抜こうとする。
マイルズは必死に追いかけた。
今度こそ、絶対に止める。
その思いが、疲労した脚をもう一度動かした。
ヴォーンがペイントエリアへ入る。
ゴール下にはトムがいた。
その長い腕が高く伸びる。
ヴォーンは構わずボールを持ち上げた。
そして、勢いよく跳び上がった。
マイルズも跳んだ。
ヴォーンの右腕が、リングへ向かって伸びる。
マイルズはその動きを見ていた。
前半、何度も見せられたフォーム。
第三クォーターで一度、止めることに成功したタイミング。
そして、今。
マイルズは右腕を思いきり伸ばした。
ボールが、ヴォーンの手から離れようとする。
その瞬間。
バシィィィッ!!
マイルズの手が、ボールを叩いた。
ヴォーンのシュートが、空中で弾き飛ばされる。
「BLOCK!!」
ベンチから、イーサンの声が響いた。
ボールはリングの横を抜け、フリースローライン付近へ跳ね返った。
時春が反応した。
プライスも追いかける。
しかし、時春の方がわずかに速かった。
彼はボールを両手でつかむと、すぐに前方へ顔を向けた。
残り九秒。
反対側のコートが、開けている。
時春は走り出した。
「GO! GO!」
ノアの声が響く。
時春は全力でドリブルを続けた。
センターラインを越える。
プライスが必死に追いかけてくる。
その前方には、バイソンズのガードが一人だけ戻っていた。
時春は右へ切り返した。
ディフェンダーが反応する。
しかし、時春はシュートを打とうとしなかった。
彼の視線は、別の場所へ向けられていた。
その背後から。
大きな足音が近づいてきた。
マイルズだった。
自分でヴォーンのシュートをブロックした直後だというのに、キャプテンは全力でコートを走っていた。疲労で重くなった脚を必死に動かし、センターラインを越え、時春の後ろからゴールへ向かっている。
時春はその姿を見つけた。
そして、笑った。
……来た!
残り四秒。
時春はゴールへ向かって踏み込んだ。
相手のディフェンダーが正面へ立つ。
プライスも後ろから追いつこうとしていた。
時春はシュートへ移る素振りを見せた。
相手のガードが跳び上がる。
その瞬間、時春はボールを右側へ押し出した。
短いバウンズパス。
ボールが床を一度だけ弾む。
そして、走り込んできたマイルズの手元へ届いた。
「マイルズ!!」
時春が叫んだ。
マイルズはボールを受け取った。
目の前には、リングがあった。
ヴォーンはまだ追いついていない。
マイルズは大きく一歩を踏み込んだ。
そして、残った力をすべて込めるように跳び上がった。
両手でボールを持ち上げる。
リングが、すぐ目の前へ迫る。
マイルズは歯を食いしばった。
「うおおおおおおっ!!」
そのまま、力の限りにボールを叩き込んだ。
ガシャアアアアンッ!!
「BOOOOOOOOOOM!!」
体育館が、爆発したような歓声に包まれた。
『BREAKERS 97 — 95 BISONS』
残り一・二秒。
ブレイカーズが、ついに逆転した。
マイルズはリングから手を離し、床へ着地した。
その瞬間、彼は大きく拳を突き上げた。
「LET’S GOOOOOOOO!!」
時春が飛び跳ねる。
「マイルズ!! やったああああっ!!」
ベンチから、選手たちが一斉に立ち上がった。
ノアは両手を頭の上へ掲げ、マイクが拳を握り、トムは満面の笑みを浮かべていた。イーサンはベンチの前で何度も頷き、ヘイズコーチはすぐに残り時間を確認していた。
しかし、試合はまだ終わっていなかった。
ノースゲートが最後のタイムアウトを取る。
残り一・二秒。
バイソンズには、まだ最後の攻撃が残されていた。
ブレイカーズの選手たちはすぐに守備へ戻り、相手のスローインへ備えた。プライスが必死に動き回り、スクリーンを利用してボールを受け取ろうとしている。時春はその動きを追い続け、マイルズはゴール下でヴォーンの位置を確認していた。
そして、最後のスローインが行われた。
長いパスが、プライスへ向かって飛ぶ。
彼はボールを受け取ると、振り向きざまに長距離シュートを放った。
高く上がるボール。
観客席の視線が、一斉に集まる。
しかし、その瞬間。
試合終了のブザーが鳴った。
ボールはリングの手前側へ当たり、大きく跳ね返った。
そして、床へ落ちた。
試合終了。
『FINAL』
『CRESCENT BAY BREAKERS 97 — 95 NORTHGATE BISONS』
その数字を見た瞬間、時春の胸の奥から、熱いものが一気に込み上げてきた。
勝った。
自分たちは、勝ったのだ。
去年、一回戦で敗れたブレイカーズが。
今年は、あの舞台を越えた。
「WE DID IT!!」
時春が叫んだ。
その声に、ノアが勢いよく駆け寄ってきた。
「BROOOOO!! やったぞ!!」
ノアは時春を抱き上げ、ぐるりと回った。
「うわっ! ノア!!」
「お前のパス、最高だったぜ!!」
時春は笑いながら必死に肩を叩いた。
「下ろして!! マイルズのところ行きたい!!」
「Ha! そうだな!!」
ノアはようやく時春を床へ下ろした。
その瞬間、時春はマイルズの方へ走り出した。
◇
マイルズは、ゴール下に立っていた。
試合が終わったことは理解していた。
スコアボードにも、確かにブレイカーズの勝利が表示されている。
それでも、彼はすぐには動けなかった。
長い時間、ずっと夢見てきた瞬間だった。
去年の一回戦で敗れたあと、何度も思い返した光景がある。試合終了のブザー。歓喜する相手選手たち。静かにコートを去る自分たち。そして、何もできなかったという悔しさ。
あれから一年。
自分は、どれほど成長できたのだろう。
バスケットボールがうまくなるために、毎日練習を続けてきた。学校では成績を落とさないよう勉強し、家へ帰れば弟妹たちの面倒を見てきた。母親が少しでも楽になればいいと思いながら、それでも自分の夢を諦めたくなくて、何度も体育館へ足を運んだ。
今日の相手は、ジェイソン・ヴォーンだった。
圧倒的なフィジカルを持ち、大学からも注目されているスター選手。自分よりも強く、速く、何度もゴール下で得点を奪ってきた。
正直、前半は何もできないと思った瞬間もあった。
だが、仲間たちが助けてくれた。
時春がミドルレンジを決めた。
マイクがスリーポイントを沈めた。
ノアが体を張って守り、トムがリバウンドを取った。
イーサンがチームを落ち着かせ、ヘイズが何度も進むべき道を示してくれた。
そして、最後には。
自分がヴォーンを止めた。
時春がボールを拾い、速攻へ走った。
仲間たちが道を作ってくれた。
自分は、ただその先にあるリングへ向かって跳んだだけだった。
マイルズはゆっくりと息を吐いた。
その目から、熱いものがこぼれそうになった。
「……マイルズ!!」
背後から声が聞こえた。
振り返ると、時春が走ってきていた。
「やったね!! 勝ったよ!!」
マイルズは、その顔を見た。
そして、笑った。
「……ああ」
声が、少し震えた。
「……勝ったな」
時春が勢いよく抱きついた。
マイルズはその小さな体を大きな両腕で包み込み、力強く抱きしめた。
「……ありがとな、トキ」
「えっ?」
「最後のパス」
時春は少しだけ驚いた。
それから、満面の笑みを浮かべた。
「だって、マイルズが走ってきたから!」
マイルズは思わず笑った。
「……そりゃ走るだろ」
「うん! 絶対来ると思った!」
時春は笑いながら続けた。
「だって、マイルズだもん!」
その言葉に、マイルズはしばらく何も答えられなかった。
やがて、そっと時春の頭を撫でた。
「……お前、ほんといい奴だな」
「えっ!? 急にどうしたの!?」
「ハハッ! 何でもねえよ!」
マイルズは笑った。
その笑顔には、試合前まで抱えていた重苦しいものが、少しだけ薄れているように見えた。
やがて、ノアやマイク、トムたちも駆け寄ってきた。
「キャプテン!!」
ノアが大きな声を上げる。
「最後のダンク、最高だったぜ!!」
「お前の声の方がうるさかったけどな」
マイクが静かに言う。
「BRO! 今それ言う!?」
周囲から笑い声が上がった。
トムも嬉しそうにマイルズの肩を叩いた。
「マイルズ……本当にすごかった!」
「お前もな、トム」
マイルズは笑った。
「あのアリウープ、最高だったぞ」
トムは少し照れくさそうに頷いた。
そして、イーサンが近づいてきた。
「……おめでとう、キャプテン」
マイルズは顔を向けた。
「……おう」
イーサンは拳を差し出した。
「去年の借り、返したな」
マイルズはその拳を見た。
それから、力強く拳を合わせた。
「……ああ」
そして、笑った。
「……やっとな」
◇
観客席では、デニースが立ち上がっていた。
隣では、ケイレブが両拳を突き上げ、マヤが嬉しそうに飛び跳ねている。レオとニアは、自分たちで作った『GO MILES!』の応援ボードを何度も振りながら、大きな声で兄の名前を叫んでいた。
「MILES!! MILES!!」
マイルズはその声に気づいた。
観客席へ目を向ける。
そこには、笑っている家族がいた。
デニースは両手を胸の前で合わせ、息子の姿を見つめていた。
マイルズはしばらく、その顔を見上げていた。
そして、ゆっくりと片手を上げた。
デニースも笑顔で手を振り返した。
その瞬間、マイルズの胸の奥に、言葉にできないほど温かなものが広がった。
大学へ行きたい。
奨学金を得たい。
家族を支えたい。
その願いが、今日すぐに叶ったわけではない。まだ地区大会の一回戦に勝っただけであり、これから先には、もっと厳しい相手が待っているはずだった。それでも、今日の試合で自分は確かに一つの結果を残した。
ジェイソン・ヴォーンという強敵を相手に、最後まで逃げなかった。
そして、仲間たちと一緒に勝った。
そのことが、何より嬉しかった。
マイルズは一度だけ目元をこすった。
それから、再びコートへ視線を戻した。
そこには、まだ大騒ぎしている仲間たちがいた。
時春はノアに肩を抱かれ、何やら大きな声で笑っている。マイクはいつも通り落ち着いた表情をしていたが、口元には笑みが浮かんでいた。トムはベンチの選手たちと拳を合わせ、イーサンはヘイズコーチの隣で何かを話している。
その光景を見て、マイルズは思った。
自分は、ずっと一人で頑張らなければならないと思っていた。
家族のためにも、将来のためにも、チームのためにも。
けれど、今日の試合で知った。
頼れる仲間がいるということは、弱さではない。
むしろ、それこそが自分たちの強さなのだ。
◇
試合後のロッカールームは、歓声と笑い声で満ちていた。
ノアは何度もマイルズの最後のダンクを再現しようとし、ジェイスに邪魔だと言われていた。ライアンはマイクのシュートについて大げさに語り、マイク本人は静かに水を飲みながら笑っている。時春はスマートフォンに届き始めた大量の通知を見て目を丸くし、イーサンに肩を叩かれていた。
そして、ヘイズコーチが選手たちの前へ立った。
「……よくやった」
その声に、ロッカールームが静かになる。
「お前たちは今日、強い相手に勝った。ヴォーンもプライスも、素晴らしい選手だった。だが、お前たちは最後まで戦い、チームとして勝利をつかんだ」
ヘイズはゆっくりと全員を見渡した。
「去年、一回戦で負けたチームが、今年は一回戦を突破した。それがどれほど大きな意味を持つのか、ここにいる上級生たちならわかるだろう」
マイルズが静かに頷いた。
ノアも真剣な表情で聞いていた。
「だが、忘れるな。これはまだ始まりだ。地区大会で勝ち進めば、相手はさらに強くなる。今日のように、簡単には得点できない試合も増えるだろう。それでも、今日お前たちは証明した。苦しい状況でも、互いに助け合えば戦えるということを」
ヘイズは、マイルズへ視線を向けた。
「……キャプテン」
「はい」
「最後のブロック、見事だった」
マイルズは少し照れくさそうに笑った。
「ありがとうございます」
「だが、俺が一番評価しているのは、そのあとのプレーだ」
マイルズが顔を上げる。
「お前はブロックしたあと、最後まで走った。トキハルを信じてな。そして、トキハルもお前が走ってくることを信じていた。あの一本は、単なる個人技じゃない。チーム全員でつかんだ得点だ」
マイルズは静かに頷いた。
「……はい」
ヘイズは口元を緩めた。
「いいキャプテンになったな」
その言葉に、マイルズは少しだけ目を見開いた。
そして、ゆっくりと頭を下げた。
「……ありがとうございます、コーチ」
ロッカールームには、温かな拍手が広がった。
時春も嬉しくなって、誰よりも大きな音で手を叩いていた。
「マイルズ!! 最高!!」
その声に、ノアがすぐに続ける。
「BEST CAPTAIN EVER!!(史上最高のキャプテンだぜ!)」
マイルズは笑いながら首を振った。
「おいおい、やめろって!」
しかし、その表情は嬉しそうだった。
◇
夜十時を少し過ぎた頃。
試合を終えた時春は、学生寮へ向かう歩道をゆっくりと歩いていた。
隣にはラリーがいた。
夜の空気は少し冷たく、遠くからは海風に揺れるヤシの葉の音が聞こえていた。昼間の賑やかさが嘘のように、キャンパスには静けさが戻っている。しかし、体育館の方からは、まだ何人かの生徒たちの笑い声が聞こえていた。
「……すごかったね」
ラリーがぽつりと言った。
「うん!」
時春は嬉しそうに頷いた。
「めっちゃすごかった!」
「最後のダンク、僕でもびっくりしたよ」
「でしょ!?」
時春は思わず立ち止まった。
「マイルズ、マジでかっこよかったんだよ!」
ラリーは少し笑った。
「……うん。知ってる。見てたから」
「でもさ! あのブロックもすごかったし! 最後まで走ってくるなんて思わないじゃん!?」
「……いや、君は思ったんじゃないの?」
時春は一瞬、きょとんとした顔をした。
それから、笑った。
「……うん!」
ラリーは小さくため息をついた。
「……ほんと、君たちって不思議だね」
「えっ? 何が?」
「……何でもないよ」
ラリーはそう答えると、ゆっくりと歩き始めた。
時春もその隣へ並んだ。
頭の中では、まだ試合の光景が何度も繰り返されていた。ヴォーンの豪快なダンク。プライスの長距離シュート。マイクの七本のスリーポイント。そして、最後にマイルズが決めた、あの勝利を決定づけるダンク。
どの場面も、鮮明に思い出すことができた。
しかし、時春の胸にもっとも強く残っていたのは、試合前のマイルズの言葉だった。
『俺はお前らとチームだ。俺たちは家族だ』
あの言葉の意味を、時春は今日、改めて知ったような気がしていた。
バスケットボールは、五人で戦う競技だ。
それは、ずっと前から知っていた。
しかし、誰かが苦しいときに支えること。自分が困ったときには、仲間を頼ること。そして、互いを信じて最後まで走り続けること。それらすべてが、チームというものを形作っているのだと、時春はこの数か月間で少しずつ学んできた。
そして、今日のマイルズは、そのすべてを見せてくれた。
時春は夜空を見上げた。
カリフォルニアの空には、いくつもの星が輝いていた。
十一月に初めてブレイカーズのユニフォームを着たときには、プレーオフで勝つことなど、まだ遠い未来のように思えていた。それが今では、仲間たちと一緒に一回戦を突破している。
自分たちは、確かに前へ進んでいる。
時春は小さく笑った。
「……ラリー」
「ん?」
「俺、もっと先まで行きたい」
ラリーは顔を向けた。
「……バスケ?」
「うん」
時春は大きく頷いた。
「地区大会、もっと勝ちたい。マイルズたちと一緒に、州大会まで行きたい!」
ラリーはしばらく時春の顔を見つめていた。
それから、少しだけ笑った。
「……じゃあ、頑張らないとね」
「うん!」
時春は力強く答えた。
そして、二人は再び寮へ向かって歩き始めた。
その背後では、体育館の照明が一つ、また一つと消えていく。
CIFサザンセクション・プレーオフ一回戦。
クレセントベイ・アカデミー・ブレイカーズは、ノースゲート・バイソンズを九十七対九十五で破り、二回戦進出を決めた。
強敵ジェイソン・ヴォーンを相手に最後まで戦い抜いたマイルズ・カーターは、ブロックショットから始まる最後の速攻で決勝点を奪い、チームを勝利へ導いた。
だが、その勝利は決して一人の力でつかんだものではなかった。
高山時春の正確なゲームメーク。
マイク・トンプソンの七本のスリーポイント。
ノア・レイノルズの果敢な攻撃。
トム・ウェイクの献身的なリバウンドと、豪快なアリウープ。
イーサン・コールの落ち着いたプレー。
そして、仲間たちを信じて最後まで走り続けたキャプテンの姿。
そのすべてが、あの最後の二点へとつながっていた。
去年の屈辱を越え、ブレイカーズは新しい一歩を踏み出した。
しかし、戦いはまだ終わらない。
二回戦。
準々決勝。
準決勝。
そして、地区の頂点へ。
彼らの前には、まだ数多くの強敵が待ち構えている。
それでも、もう恐れることはなかった。
なぜなら、彼らは一人ではないのだから。