CRESCENT BAY ACADEMY   作:西野圭吾

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第6話 アメリカンホームパーティ

 

 土曜日の午後、高山時春は寮の自室で、鏡に映った自分の姿をもう三度も確認していた。

 

 白いTシャツに、少しゆったりとした黒のジーンズ。足元には日本から持ってきたお気に入りのスニーカーを合わせ、髪もいつもより丁寧に整えてある。別に特別なおしゃれをしたつもりはないが、今夜ばかりは少しくらい格好をつけても許されるだろう。何しろ、これから向かうのはアメリカの高校生が開くホームパーティーなのである。

 

 あの、映画やドラマで見るやつだ。

 

 大きな家に大勢の若者が集まり、音楽をかけ、食べたり飲んだりしながら夜遅くまで騒ぐ。部屋には色とりどりの照明が灯り、庭にはプールがあり、誰かが踊り、誰かが恋人とキスをしている。そんな光景を、時春は今まで何度も画面越しに眺めてきた。もちろん、それがアメリカの高校生全員にとって当たり前の生活だとは思っていない。それでも、十五歳の男子にとって、ああいう世界には抗いがたい魅力があった。

 

 しかも今回は、テレビの中の話ではない。自分が招待されているのだ。

 

 ノア・レイノルズ。先日のオープンジムで知り合った、あの騒々しいバスケットボール選手から、わざわざ招待のメッセージが届いた。住所と集合時間、それから最後に書かれていたのは、もちろん例の言葉だった。

 

『Don’t be late, little man!(遅刻すんなよ、チビ助!)』

 

 ……だから、誰がチビ助だよ。

 

 時春はスマートフォンを眺めて苦笑し、ベッドの上に放り投げた。

 

 部屋の反対側では、ルームメイトのラリーがいつものようにパソコンに向かっていた。カーテンを半分閉め、ヘッドホンを片耳だけずらし、画面に映るゲームのキャラクターを忙しく操作している。外には素晴らしいカリフォルニアの青空が広がっているというのに、彼の生活は相変わらず薄暗いモニターの前を中心に回っているらしい。

 

「ラリー!」

 

「What?(何?)」

 

「トゥナイト! ホームパーティー!」

 

「……Yeah?(……それで?)」

 

「キャン・ユー・カム? ウィズ・ミー!」

 

 時春は両手を広げ、できる限り楽しそうな雰囲気を表現してみせた。音楽があって、食べ物があって、たくさんの友達がいて、とにかく楽しいはずだから一緒に行こう。言葉にすれば簡単な誘いだが、それを英語で伝えるとなると話は別である。もっとも、ラリーは時春が説明を終えるより先に、椅子を回して首を振った。

 

「Nope. Absolutely not.(やだ。絶対にやだ)」

 

「ホワイ!?」

 

「Because I’d rather spend my Saturday getting hit by a bus than going to a party full of basketball dudes.(バスケ野郎だらけのパーティーに行くくらいなら、土曜日をバスに轢かれて過ごした方がマシだから)」

 

「…………」

 

 ……ん?

 

 バス?

 

 バスケットボールの話?

 

 いや、違うか。途中から何か物騒な単語が聞こえた気がする。

 

 ラリーは、理解できていない時春の表情を見て小さくため息をつき、今度は簡単な言葉で言い直した。

 

「Too loud. Too many people. Not my thing.(うるさいし、人が多いし、僕の趣味じゃない)」

 

「あー……」

 

 なるほど。それならわかる。

 

 確かにラリーは、大人数で騒ぐ場所を好まない。以前のフライデーナイト・フットボールにも誘ってみたが、あっさり断られた。まして今回はバスケ部の連中が大勢集まるホームパーティーである。あのノアが主催する時点で、静かな集まりになるとは到底思えなかった。

 

「バット……ベリー・ファン!」

 

「For you, maybe.(君にとってはね)」

 

「……オーケー」

 

 時春は少し残念に思ったが、無理に連れ出すつもりはなかった。ラリーにはラリーの楽しみ方があるし、時春だって一人で行けないわけではない。ノアもマイルズもいるのだから、少なくとも知り合いが誰もいない場所へ放り込まれるわけではないのだ。

 

 そう考えてバッグを持ち上げたところで、ラリーが思い出したように声をかけてきた。

 

「You told Ben where you’re going, right?(ベンには行き先を伝えたんだろうね?)」

 

「イエス!」

 

「And how you’re getting back?(帰りの足も確認した?)」

 

「ノア! カー!」

 

「……Okay. Make sure he actually brings you back.(……そう。ちゃんと送り届けてもらいなよ)」

 

「オーケー!」

 

 時春は笑顔で頷いた。すでに寮の先輩であるベンには、外出先と帰寮予定時刻を伝えてある。今夜はノアが車を出してくれるし、帰りも送ってくれる予定だった。

 

 ……うん。完璧だ。

 

 以前のように門限を忘れかける心配もない。

 

 ラリーはもう一度時春の格好を眺めると、少しだけ眉を上げた。

 

「You actually dressed up for this?(……君、わざわざおしゃれしたの?)」

 

「……イエス?」

 

「Oh my god.(やれやれ)」

 

 彼は呆れたように笑い、再びゲームの画面へ向き直った。

 

「Have fun, Toki.(まあ、楽しんでおいでよ、トキ)」

 

「サンキュー! シー・ユー!」

 

 時春は元気よく手を振り、部屋を飛び出した。

 

     ◇

 

 夕方五時を少し過ぎた頃、寮の前に一台の黒いSUVが滑り込んできた。

 

 窓が開いた瞬間、車内から音楽と笑い声が溢れ出す。運転席にはノアがいて、片手を上げながら大きな声で時春を呼んでいた。

 

「TOKI! LITTLE MAN! GET IN!(トキ! チビ助! 乗れ乗れ!)」

 

「ノア!」

 

 時春は笑顔で駆け寄り、後部座席のドアを開けた。

 

 そして、少しだけ固まった。

 

 車内にはすでに、ノア以外にも三人の男子生徒が乗っていたのである。助手席には見覚えのある巨体の黒人少年、マイルズ・カーター。後部座席には、初めて見る男子が二人並んで座っていた。

 

「Yo, Toki.(よう、トキ)」

 

 マイルズが助手席から振り返り、軽く拳を上げる。相変わらず肩幅が広く、シートが何だか窮屈そうだった。

 

 後部座席の一人目は、茶色い短髪の少年だった。身長は百八十センチほどで、引き締まった体つきをしている。人懐っこそうな顔立ちだが、口元には最初から何か悪戯を企んでいるような笑みが浮かんでいた。

 

「Yo! You’re Toki, right? I’m Ryan! Ryan Brooks!(よう! お前がトキだろ? 俺ライアン! ライアン・ブルックス!)」

 

「あっ、ライアン! ナイス・トゥ・ミート・ユー!」

 

「Dude, Noah won’t shut up about you!(お前のこと、ノアがずっと喋ってんだぜ!)」

 

「……えっ?」

 

「Yeah! The Japanese kid who broke that guy’s ankles!(そうそう! 相手を転ばせた日本人のやつ!)」

 

 ああ、あのときの。

 

 時春が苦笑すると、もう一人の少年が勢いよく身を乗り出してきた。

 

「BRO! THAT MOVE WAS CRAZY!(おい! あのプレー、マジでヤバかったらしいじゃん!)」

 

 こちらはライアンより少し背が高く、百八十五センチくらい。明るい金髪を短く整え、肩幅の広い体に派手なグラフィックTシャツを着ている。

 

「I’m Jace! Jace Miller!(俺ジェイス! ジェイス・ミラー!)」

 

「ジェイス! ナイス・トゥ・ミート・ユー!」

 

「You gotta show me that crossover sometime!(今度俺にもあのクロスオーバー見せてくれよ!)」

 

「アー……オーケー!」

 

 どうやら二人ともバスケ部の選手らしい。ライアンはガード、ジェイスはフォワードだという。ノアとマイルズに比べればずいぶん小柄に見えるが、それでも時春より十センチ以上は高い。

 

 そして何より、うるさかった。

 

 めちゃくちゃうるさい。

 

 時春が席に座るなり、ライアンは自分が先日のオープンジムに来られなかった理由を猛烈な勢いで説明し始め、ジェイスはその途中で何度も話を遮って別の話題を持ち出す。ノアも運転席から会話に割って入り、マイルズは時折低い声で突っ込みを入れていた。

 

 ……すげえ。

 

 ジェイクが三人いるみたいだ。

 

 いや、四人かもしれない。

 

「Alright, everybody buckled up?(よし、みんなシートベルトしたな?)」

 

 ノアが振り返る。

 

「イエス!」

 

「Good. Let’s roll!(よっしゃ、出発だ!)」

 

 車がゆっくり走り出す。

 

 窓の外ではCBAの校舎が後ろへ流れていき、やがてヤシの木が並ぶ住宅街へ入った。夕暮れの光が家々の白い壁を橙色に染め、遠くには青く霞んだ太平洋が見えている。ラジオからは重低音の効いたヒップホップが流れ、ライアンとジェイスは知っている部分だけを大声で歌っていた。

 

 時春は窓の外を眺めながら、何となく笑った。

 

 アメリカ人の友達が運転する車に乗って、ホームパーティーへ向かっている。

 

 ……うわ。

 

 俺、今めちゃくちゃアメリカの高校生してない?

 

 そう思うと、胸の奥がくすぐったくなった。

 

     ◇

 

 車が坂道を上り始めたのは、出発して二十分ほど経った頃だった。

 

 周囲の家は少しずつ大きくなり、道路沿いには背の高いパームツリーや、きれいに刈り込まれた生け垣が続いていた。どの家にも広いガレージがあり、門の向こうには手入れの行き届いた庭が見える。時春が日本で暮らしていた住宅街とは、敷地の広さからしてまるで違っていた。

 

 やがてノアが車を減速させ、白い壁と大きな門に囲まれた一軒の家の前で停車した。

 

「Alright, boys. Welcome to my place!(よっしゃ、お前ら。俺んちへようこそ!)」

 

「…………」

 

 時春は窓の外を見た。

 

 そして、ゆっくりと口を開いた。

 

「……は?」

 

 家。

 

 今、家って言った?

 

 目の前にあるのは、淡いクリーム色の外壁を持つ二階建ての大豪邸だった。大きな窓がいくつも並び、玄関までのアプローチには石畳が敷かれ、庭には背の高い木々が美しく配置されている。建物の奥には広いテラスが続き、その向こうからは青いプールの水面まで見えた。

 

 すでに何台もの車が停まっており、庭のあちこちでは同年代の男女が談笑していた。窓越しには人影が動き、玄関の外にまで音楽が漏れ聞こえてくる。

 

 ……ちょっと待って。

 

 でかすぎない?

 

 これ、本当に家?

 

 ホテルじゃなくて?

 

「ノア……!」

 

「Yeah?(ん?)」

 

「ディス……ユア・ハウス!?」

 

「Yep!(そうだぜ!)」

 

「……オー、マイ、ゴッド……!」

 

 ノアは得意そうに笑った。

 

「Pretty nice, huh?(なかなかいいだろ?)」

 

「ベリー、ベリー、ビッグ!!」

 

「HAHA! Thanks, man!(ハハッ! ありがとな!)」

 

 時春はしばらく建物を見上げていた。アメリカに来て以来、巨大なスーパー、広い校舎、立派な体育館と、何度も規模の違いに驚かされてきたが、今度ばかりは別格だった。こんな豪邸で暮らしている高校生がいるのかと思うと、もはや驚きを通り越して少し腹が立ってくる。

 

 ……金持ちすぎだろ。

 

 だが、その感情も玄関から聞こえてきた歓声によってすぐに吹き飛んだ。

 

「NOAH!(ノアー!)」

 

「YO! WE’RE HERE!(よう! 着いたぜ!)」

 

 ノアが車から降り、庭にいる友人たちへ大きく手を振る。マイルズも助手席から降り、時春はその後ろについて歩き始めた。

 

 ところが、玄関へ向かっていたノアが突然立ち止まった。

 

「Oh, crap. We forgot the stuff in the trunk.(あ、やっべ。トランクの荷物忘れてた)」

 

「Dude, you said you got it!(お前が積んだって言ったじゃねえか!)」

 

 ライアンが抗議すると、ノアは笑いながら車を指差した。

 

「Ryan, Jace, come help me. Miles, you too.(ライアン、ジェイス、ちょっと手伝え。マイルズも来い)」

 

「Seriously?(マジかよ)」

 

「Come on, big man!(ほら、力持ち!)」

 

 四人は何やら言い合いながら車へ戻っていった。どうやら食べ物やスピーカーなどの荷物を運ぶらしい。

 

 時春も手伝おうとして振り返ったが、ノアが笑顔で手を振った。

 

「Go on in, Toki! We’ll be right there!(先に入ってろよ、トキ! すぐ行くから!)」

 

「アー……オーケー!」

 

 時春は頷き、再び玄関へ向かった。

 

 そして数歩進んだところで、ふと気づいた。

 

 ……あれ?

 

 知り合い、いなくない?

 

     ◇

 

 玄関の扉は開け放たれており、その奥には大勢の若者たちが集まっていた。

 

 吹き抜けの天井には大きな照明が下がり、壁には何枚もの絵が飾られている。広いリビングにはソファやテーブルが並び、巨大なテレビでは誰かがミュージックビデオを流していた。庭に面したガラス扉も開け放たれ、室内と屋外を人々が自由に行き来している。

 

 女の子たちは思い思いのおしゃれをしており、男子はTシャツやパーカー姿が多い。誰かが笑えば周囲も笑い、別の場所では音楽に合わせて踊っている集団がいた。カウンターにはスナック菓子やピザの箱、色とりどりの飲み物が並べられ、赤いプラスチックのカップがいくつも重ねられている。

 

 ……うわあ。

 

 本当にドラマみたいだ。

 

 時春は玄関のそばに立ったまま、夢中で辺りを見回していた。目の前に広がっているのは、まさしく自分が想像していたアメリカのホームパーティーだった。映画のセットに紛れ込んだような非現実感があり、それでいて周囲の人々は当たり前のように笑い、喋り、飲み物を口にしている。

 

 ただ、一つだけ問題があった。

 

 エマはいない。

 

 ジェイクも、ゾーイもいない。

 

 今日の集まりに彼らが来ないことは事前に知っていたが、いざこれほど大勢の知らない人間に囲まれると、その事実が急に重く感じられた。

 

 ……ノア、早く戻ってきてくんないかな。

 

 時春は何となく壁際へ移動し、スマートフォンを取り出した。とりあえず、何かしているふりをしよう。知り合いもいないのに玄関で突っ立っているのは、どうにも落ち着かない。

 

 そのときだった。

 

「Yo.(おい)」

 

 低い声がした。

 

 顔を上げると、目の前に三人の男子生徒が立っていた。

 

 全員でかかった。

 

 一人目は金髪を短く刈った、肩幅の広い少年。黒いTシャツの袖から太い腕が覗いており、身長は百九十センチ以上ありそうだった。二人目は赤茶色の髪をした、これまたがっしりとした少年で、三人目はさらに大柄だった。胸元にフットボールチームのロゴが入ったパーカーを着ており、腕を組んだ姿が妙に威圧的である。

 

 ……何だ。

 

 アメフト部か?

 

 いや、それより。

 

 近くない?

 

「Haven’t seen you around before.(お前、見ない顔だな)」

 

 金髪の少年が時春を覗き込んだ。

 

「……えっ?」

 

「Who are you?(お前、誰だ?)」

 

「ア、アイム……トキ!」

 

「Toki?(トキ?)」

 

 少年たちは顔を見合わせた。

 

「You go to CBA?(CBAの生徒か?)」

 

「イエス!」

 

「You know Noah?(ノアの知り合い?)」

 

「イエス!」

 

 時春は必死に頷いた。

 

 名前を聞かれた。

 

 学校を聞かれた。

 

 ノアを知っているかと聞かれた。

 

 そこまでは、わかる。

 

 問題は、そのあとの会話だった。

 

「Then how come I’ve never seen you at one of these things?(じゃあ何で、今までこういう集まりで見たことねえんだ?)」

 

「Maybe he snuck in.(勝手に入ってきたんじゃねえの?)」

 

「Nah, look at him. Kid looks lost.(いや、見ろよ。完全に迷子じゃねえか)」

 

「…………」

 

 速い。

 

 そして、低い。

 

 しかも、三人とも笑っているのか怒っているのか、よくわからない表情をしていた。金髪の少年がさらに一歩近づき、時春の肩越しに玄関の方を覗く。

 

「So, little dude. What’s your deal?(で、チビ。お前、何者なんだよ?)」

 

「…………」

 

 時春は固まった。

 

 リトル。

 

 またリトル。

 

 いや、今はそんなことどうでもいい。

 

 ……やばい。

 

 これ、やばくない?

 

 知らないマッチョ三人に囲まれた。

 

 しかも全員、俺より頭一つ以上でかい。

 

 ノアたちはまだ戻ってこない。

 

 エマもいない。

 

 日本語は通じない。

 

 ……終わった。

 

 俺のアメリカ生活、ここで終わった。

 

 留学して一か月も経たないうちに、謎のマッチョ三人組に囲まれて人生終了。

 

 早すぎる。

 

 せめてバスケ部のトライアウトくらい受けさせてくれよ。

 

 時春の頭の中に、日本にいる家族の顔が浮かんだ。出発の日に見送ってくれた友達の顔も、学校へ誘ってくれたコーチの顔も浮かんだ。空港で買った六ドル四十九セントの水。初日に道に迷って出会ったエマ。ラリーと一緒に遊んだマイクラ。ダニーズのバニラシェイク。

 

 ……ああ。

 

 いい人生だったな。

 

 いや、十五歳だぞ。

 

 全然よくないだろ。

 

 そのとき。

 

 脳裏に、ある記憶が蘇った。

 

     ◇

 

 日本を出発する少し前のことだった。

 

 時春は、留学を経験したことのある大学生と話す機会があった。学校関係者を通じて紹介してもらったその青年は、アメリカの大学に一年ほど滞在していたらしく、現地での生活についていろいろと教えてくれた。

 

 英語は間違えてもいいから喋ること。困ったら遠慮せずに人を頼ること。知らない土地では夜遅くに一人で歩かないこと。そうした真面目な話をひと通り終えたあと、青年は何かを思い出したように笑った。

 

「あとさ、高山君。アメリカで知らない人に囲まれたときの、必殺技があるんだよ」

 

「……必殺技?」

 

「そう。もし怖そうなやつらに囲まれたら、有名なアニメのセリフを叫ぶんだ」

 

「……は?」

 

「日本のアニメってさ、向こうでもめちゃくちゃ人気あるんだよ。とくにネットでミームになってるやつ。あれ言っとけば、案外ウケるから」

 

「なんすかそれ!」

 

 時春が笑うと、青年は得意げに人差し指を立てた。

 

「例えば、あれ。『お前はもう、死んでいる』」

 

「いやいやいや!」

 

「マジで。北斗の拳。海外でも有名なんだって」

 

「……いや、でも、それって……」

 

「大丈夫大丈夫。イントネーションが大事だから。ちゃんと格好つけて言えよ!」

 

 青年はそう言って笑った。

 

 時春も笑った。

 

 なるほど、アメリカでは日本のアニメが人気なのか。そういう文化の違いも面白いものだな、と、そのときは素直に思ったのである。

 

 もちろん。

 

 本気で使うつもりなど、一ミリもなかった。

 

     ◇

 

 そして、現在。

 

 時春は三人の大男に囲まれたまま、ゆっくりと顔を上げた。

 

 ……あれだ。

 

 あのセリフ。

 

 言うしかない。

 

 いや、待って。

 

 冷静に考えろ。

 

 相手はマッチョ三人だぞ。

 

 そんな連中に向かって、いきなり「お前はもう死んでいる」なんて言ったら、どうなる?

 

 普通に考えて、殴られるんじゃないか?

 

 でも、ほかに何を言えばいい?

 

 英語は出てこない。

 

 ノアは戻ってこない。

 

 このまま無言で立っているのも、なかなか気まずい。

 

 ……ええい。

 

 もう、どうにでもなれ。

 

 時春は一度、大きく息を吸った。

 

 そして、できる限り低い声で。

 

「……お前はもう、死んでいる」

 

「…………」

 

 沈黙。

 

 金髪の少年が、ゆっくりと瞬きをした。

 

 隣の赤毛の少年も、目を丸くしている。

 

 三人目は、時春の顔をじっと見つめていた。

 

 ……あっ。

 

 これ。

 

 まずったか?

 

 時春の背中に、冷たい汗が流れた。

 

 言っちゃった。

 

 本当に言っちゃった。

 

 何やってんだ、俺。

 

 もう終わりだ。

 

 さようなら、日本。

 

 さようなら、アメリカ。

 

 そして。

 

「……Wait.(……待て)」

 

 金髪の少年が、突然口元を押さえた。

 

「Did you just……?(お前、今……?)」

 

「…………」

 

 時春が硬直していると、少年は隣の友達を勢いよく振り返った。

 

「BRO! DID HE JUST SAY IT!?(おい! こいつ今、あれ言ったよな!?)」

 

「NO WAY!(嘘だろ!?)」

 

 赤毛の少年が目を見開く。

 

 そして、突然。

 

「……NANI!?(……何ィ!?)」

 

 大声で叫んだ。

 

「…………」

 

 時春はぽかんとした。

 

 ……えっ?

 

 何?

 

 すると、金髪の少年が腹を抱えて笑い始めた。

 

「HAHAHAHA! OH MY GOD!(あっははは! マジかよ!!)」

 

「HE DID THE FIST OF THE NORTH STAR THING!(こいつ、北斗の拳のやつやったぞ!!)」

 

「NANI!? HAHAHA!(何ィ!? あははは!!)」

 

 三人目の大男まで胸を押さえ、よろよろと後ろへ倒れる真似をした。

 

「AAAAARGH! I’M DEAD!(ぐあああっ! やられたぁ!!)」

 

 そして、三人は一斉に爆笑した。

 

「HAHAHAHAHAHA!!(あははははは!!)」

 

「…………」

 

 時春は呆然と立ち尽くした。

 

 ……え?

 

 ウケた?

 

 本当に?

 

 しかも、めちゃくちゃウケてない?

 

「Dude! That was PERFECT!(お前! 今の完璧だったぞ!)」

 

 金髪の少年が大笑いしながら肩を叩いてくる。

 

「You actually said it in Japanese!(しかも本物の日本語で言いやがった!)」

 

「That’s legendary!(最高すぎんだろ!)」

 

 赤毛の少年が拳を突き出した。

 

 時春はまだ状況を理解しきれないまま、反射的に拳を合わせる。

 

「ア、サンキュー……?」

 

 その瞬間、背後から聞き慣れた大声が響いた。

 

「YOOOO! WHAT’S GOING ON HERE!?(おいおい! 何の騒ぎだよ!?)」

 

 ノアだった。

 

 両手にスナック菓子の袋を抱え、マイルズたちと一緒に戻ってきたらしい。

 

 金髪の少年が振り返り、笑いながら時春を指差す。

 

「NOAH! YOUR BOY IS HILARIOUS!(ノア! お前の友達、面白すぎるだろ!)」

 

「What’d he do!?(何したんだよ!?)」

 

「HE JUST HIT US WITH ‘OMAE WA MOU SHINDEIRU’!(いきなり『お前はもう死んでいる』って言いやがった!)」

 

「……WHAT!?(……はあ!?)」

 

 ノアが目を丸くした。

 

 そして、次の瞬間。

 

「HAHAHAHAHAHA!!(あっはははは!!)」

 

 袋を抱えたまま大爆笑した。

 

「LITTLE MAN! YOU’RE ALREADY A LEGEND!?(チビ助! もう人気者になってんじゃねえか!!)」

 

「…………」

 

 時春は三人の大男とノアを交互に見た。

 

 全員、笑っている。

 

 マイルズも笑っている。

 

 ライアンもジェイスも、事情を聞くなり大騒ぎし始めた。

 

 ……マジか。

 

 助かった。

 

 いや、そもそも何から助かったのかもよくわからないけど。

 

 とにかく。

 

 助かった。

 

 時春は大きく息を吐いた。

 

 ……ありがとう、北斗の拳。

 

 そして、日本であの謎のアドバイスをくれた大学生。

 

 まさか本当に役立つ日が来るとは、夢にも思わなかった。

 

     ◇

 

 それからの展開は、驚くほど早かった。

 

 ノアが「日本から来た新しいバスケ仲間だ」と紹介すると、先ほどの大男たちも含めて何人もの生徒が時春に声をかけてきた。金髪の少年はコール、赤毛はブライアンという名前らしく、どうやら二人ともCBAのアメフト関係の知り合いだった。三人目も同じ仲間で、最初から時春を追い出すつもりなどなかったらしい。単に、見知らぬ小柄な新入生が玄関で固まっていたので、面白半分に声をかけてきただけだったという。

 

 ……いや、怖かったんだけど。

 

 あんな体格で囲まれたら、普通ビビるだろ。

 

 しかし、そのことをうまく英語で伝える術はなかったし、すでに彼らは時春をすっかり気に入っている様子だった。コールは何度も「Omae wa mou shindeiru!」と真似をし、ブライアンはそのたびに「NANI!?」と叫ぶ。何がそんなに面白いのか、周囲の友達まで集まってきて大笑いしていた。

 

 気がつけば、時春はパーティーの輪の中にいた。

 

 ノアが肩を組み、ライアンが食べ物を差し出し、ジェイスは自分のスマートフォンで例のアニメの動画を探し始める。初めて会う生徒たちも、何となく親しげに挨拶してくれるようになった。

 

 ……すごい。

 

 ほんの十分前までは、知らない人だらけで心細かったのに。

 

 たった一つの日本語で、こんなに空気が変わるものなのか。

 

 これが文化交流というやつだろうか。

 

 ……いや、違う気もする。

 

 何にせよ、時春は楽しくなってきた。

 

 リビングの奥では、大きなテレビの前に何人かの男子が集まっていた。近づいてみると、画面には見覚えのあるキャラクターたちが映っている。

 

「……あっ!」

 

 時春の目が輝いた。

 

「スマブラ!!」

 

 そう。

 

 大乱闘スマッシュブラザーズ。

 

 ここにもあった。

 

 ライアンが時春の反応に気づき、にやりと笑った。

 

「You play Smash?(お前、スマブラやんの?)」

 

「イエス! アイ、ラブ、スマブラ!」

 

「Oh, you’re on!(よっしゃ、勝負だ!)」

 

 ライアンはコントローラーを差し出した。

 

 時春は喜んで受け取った。

 

 実は、日本にいた頃からスマブラはかなり遊んでいたし、アメリカへ来てからもラリーと何度か対戦している。ラリーは普段こそ無愛想だが、ゲームとなると妙に負けず嫌いで、しかもかなり強かった。対戦のたびに細かい動きを教えられ、失敗すれば容赦なく突っ込まれる。

 

 つまり、ここ最近の時春は、なかなか厳しい環境で鍛えられていたのである。

 

 ……よし。

 

 見せてやろうじゃないか。

 

     ◇

 

「NO WAY!(嘘だろ!?)」

 

 数分後、ライアンがソファの上で叫んだ。

 

 テレビ画面には、勝利した時春のキャラクターが映っていた。ライアンは最初こそ余裕たっぷりだったが、何度も崖際で攻撃を食らい、最後には見事に場外へ吹っ飛ばされてしまったのである。

 

「BRO! YOU SAID YOU WERE BAD AT ENGLISH, NOT GOOD AT EVERYTHING!(おい! 英語が苦手とは聞いたけど、何でもできるとは聞いてねえぞ!)」

 

「…………?」

 

 ……何言ってんだ?

 

 よくわからないが、たぶん負け惜しみだろう。

 

 時春は満面の笑みでコントローラーを持ち上げた。

 

「グッド・ゲーム!」

 

「GOOD GAME, MY ASS!(何がグッドゲームだよ!)」

 

 ライアンが叫び、周囲の男子たちが笑う。

 

 続いて挑戦してきたジェイスは、ゲーム開始直後からやたらと大声を上げていた。

 

「COME HERE! COME HERE!(来いよ! かかってこい!)」

 

「オーケー!」

 

 時春は言われた通り近づき、相手の攻撃を避けて反撃した。

 

「NO! NOT LIKE THAT!(違う! そういう意味じゃねえ!)」

 

「HAHAHAHA!(あははは!)」

 

 後ろで見ていたノアが腹を抱えて笑っている。マイルズもソファに深く腰掛け、珍しく楽しそうに口元を緩めていた。

 

 時春は何だか嬉しくなった。

 

 バスケもそうだが、ゲームにも国境がない。

 

 技が決まれば盛り上がり、負ければ悔しがる。こちらが英語を理解していなくても、画面を見れば何が起きているかはわかるし、相手が何を考えているかだって何となく伝わってくる。

 

 そのうちリビングの別の場所から、また大きな歓声が聞こえてきた。

 

「LET’S GOOOO!(よっしゃああ!)」

 

 振り返ると、長いテーブルの両側に生徒たちが集まっていた。テーブルには赤いカップが並べられ、何人かが小さなボールを手にしながら大騒ぎしている。飲み物を使ったパーティーゲームらしく、カップにボールが入るたびに周囲から歓声が上がっていた。

 

「Toki! Come here!(トキ! こっち来いよ!)」

 

 ノアが手招きする。

 

 時春が近づくと、ジェイスが得意げにカップを指差した。

 

「You ever played beer pong?(ビアポンってやったことあるか?)」

 

「……ビア?」

 

 聞き慣れた単語だった。

 

 ビール。

 

 ……ん?

 

 時春が首を傾げると、ノアはその反応を見て笑った。

 

「Don’t worry, you can stick with soda.(気にすんな。お前はソーダでいいから)」

 

 そう言って、冷えたソーダの缶を差し出してくる。

 

「あっ、サンキュー!」

 

 時春は受け取って一口飲んだ。甘い炭酸が喉を通り抜け、先ほどまでゲームで興奮していた体に心地よい。パーティーには酒の入ったカップを持っている生徒もいるようだったが、時春はそれに手を伸ばす気にはならなかった。十五歳であることもそうだし、知らない場所で酔ってしまうのは、何だか怖い。

 

 それに、別に飲まなくても十分楽しかった。

 

 ライアンはボールを外すたびに絶叫し、ジェイスは自分が決めたときだけ世界大会で優勝したように騒ぐ。マイルズは彼らを呆れた顔で眺めていたが、いざ自分の番になるとやたらと真剣な表情になり、ノアはその姿を見て大笑いしていた。

 

 時春もソーダを片手に、何度も声を上げて笑った。

 

 音楽は大きい。

 

 人も多い。

 

 英語は相変わらず半分くらいわからない。

 

 それなのに、妙に楽しい。

 

 日本では、同級生たちと夜にこんな大きな家へ集まり、知らない先輩たちまで交えて遊ぶことなどほとんどなかった。少なくとも、時春の周囲ではそうだった。

 

 目の前には、色とりどりの照明に照らされたリビングがある。窓の外には青く光るプールがあり、そこでは別の生徒たちが談笑していた。遠くから聞こえる音楽と、人々の笑い声。そのすべてが、今夜の自分を少しだけ特別な場所へ連れてきてくれたように思えた。

 

 ……すげえな。

 

 アメリカの高校生って。

 

 時春は胸の奥が弾むのを感じながら、もう一口ソーダを飲んだ。

 

     ◇

 

 しばらくして、時春はリビングを離れた。

 

 理由は簡単だった。

 

 この家を、もっと見てみたくなったのである。

 

 何しろ、ここまで広い家など初めて入った。玄関から見えていた階段だけでも十分立派だったし、廊下の奥にはまだいくつもの部屋が続いている。二階はどうなっているのだろう。寝室は何個あるのだろう。ひょっとすると、映画で見るような巨大なゲームルームまであるのかもしれない。

 

 ……ちょっとだけ探検してみよう。

 

 時春は手にしたソーダの缶を持ち、リビングの喧騒から離れて廊下を歩き始めた。

 

 家の奥は、驚くほど静かだった。大きな音楽も、分厚い壁と扉に遮られると遠くの低い振動に変わる。廊下には柔らかな照明が灯り、壁には家族写真らしきものがいくつも飾られていた。幼い頃のノアらしき少年が両親と並んで笑っている写真や、海辺で撮った集合写真もある。

 

 ……へえ。

 

 ノア、昔からあんな感じなんだ。

 

 写真の中の少年も、やたらと大きな笑顔を浮かべていた。

 

 時春は何となく親しみを覚えながら、廊下の奥へ進んだ。途中にはバスルームらしい扉や、物置らしい小さな部屋がある。さらに進むと、少しだけ開いた扉の向こうから、柔らかい光が漏れていた。

 

 ……おっ。

 

 何かあるのかな。

 

 時春は好奇心に負け、そっと扉を押した。

 

 そして。

 

「…………」

 

 固まった。

 

 部屋の中には、男女が二人いた。

 

 同年代らしい男子と女子で、ベッドの端に並んで座っている。男子は女子の腰へ手を回し、女子はその肩へ腕を添えていた。二人の顔は驚くほど近く、今まさに唇が触れそうになっていた。

 

 その瞬間、扉のきしむ音に気づいたらしい。

 

 二人が、同時に振り返った。

 

「…………」

 

 時春。

 

 男子。

 

 女子。

 

 三人の視線が交わる。

 

 長い、長い沈黙。

 

 ……あっ。

 

 やっべ。

 

 これ、あれだ。

 

 絶対に開けちゃいけないやつだ。

 

「Dude! What the hell!?(おい! 何だよ!?)」

 

 男子が驚いて叫んだ。

 

「ア、ソーリー!!」

 

 時春は反射的に頭を下げた。

 

「ソーリー! ソーリー!!」

 

 そして、できる限り静かに。

 

 そぉぉっと。

 

 扉を閉めた。

 

 カチリ。

 

「…………」

 

 廊下に静寂が戻る。

 

 時春はしばらく、その場に立ち尽くした。

 

 ……見ちゃった。

 

 今、完全に見ちゃった。

 

 やばい。

 

 アメリカ、やばい。

 

 時春は思わず両手で顔を覆った。

 

 いや、そりゃそういうこともあるだろう。高校生だって恋愛くらいするし、好きな相手と二人きりになりたいこともある。頭では理解している。

 

 でも、実際に目の前で遭遇すると話は別だった。

 

 あの距離。

 

 あの雰囲気。

 

 あの照明。

 

 もう、絶対に始まるところだったじゃん。

 

 ……うわあああ。

 

 すげえ。

 

 本当に海外ドラマみたいだ。

 

 時春は妙な興奮を覚えながら、足早にリビングへ戻った。

 

     ◇

 

「ノア!!」

 

「Yo! What’s up?(よう! どうした?)」

 

 時春はソファに座っていたノアを見つけ、勢いよく駆け寄った。

 

 その隣にはライアンとジェイスもいる。マイルズは少し離れた場所でピザを食べていた。

 

「ノア! ノア!」

 

「What, man!?(何だよ!?)」

 

「アー……ルーム!」

 

 時春は廊下の方を指差した。

 

「ワン・ボーイ! アンド、ワン・ガール!」

 

「……Yeah?(……それで?)」

 

「アンド……」

 

 時春は両手の人差し指を近づけ、顔を少し傾けた。

 

「……キス!」

 

「…………」

 

 ノアが目を丸くした。

 

 ライアンもジェイスも、一瞬動きを止める。

 

「……Wait. What?(……待て。何だって?)」

 

 時春はさらに身を乗り出した。

 

「ボーイ! ガール! イン・ザ・ルーム!」

 

 そして、両手をくっつける。

 

「キス!!」

 

 数秒後。

 

「OOOOOOOOOH!!(うおおおおおお!!)」

 

 三人が一斉に叫んだ。

 

「WHO!? WHO WAS IT!?(誰だ!? 誰だった!?)」

 

 ライアンがソファから飛び上がる。

 

「DID YOU SEE THEIR FACES!?(顔見たか!?)」

 

 ジェイスまで身を乗り出してきた。

 

「アー……」

 

 時春は少し考えた。

 

 顔。

 

 確かに見た。

 

 でも、知らない人だった。

 

「アイ、ドント・ノウ!」

 

「BROOOO!(おいマジかよ!!)」

 

 ノアが笑いながら頭を抱える。

 

「He just walked in on somebody making out!(こいつ、誰かのイチャついてるところに突っ込んだんだ!)」

 

「HAHAHAHA!(あはははは!!)」

 

 ライアンとジェイスが大爆笑した。

 

 時春もつられて笑った。正直、何をそんなに喜んでいるのかはよくわからないが、少なくとも男子高校生という生き物は、こういう話題になると国籍を問わず盛り上がるらしい。

 

 そう思った直後、ライアンが肩を抱いてきた。

 

「Toki, my man! You gotta knock first!(トキ、お前なあ! まずノックしろって!)」

 

「……ノック?」

 

 時春は目を丸くした。

 

 ……あっ。

 

 そうだ。

 

 ノック。

 

 普通に考えれば、知らない家の部屋を勝手に開けるべきではなかった。まして誰かが使っているかもしれないのだから、なおさらである。

 

 ……確かに。

 

 完全に俺が悪いじゃん。

 

「……マイ・バッド!」

 

「HAHAHAHA!(あははは!!)」

 

 また笑われた。

 

 だが、今回は自分でも笑ってしまった。

 

 なるほど。アメリカのホームパーティーは、部屋を探索するだけでも危険がいっぱいらしい。

 

 ……いや、危険っていうか。

 

 気まずいだけなんだけど。

 

     ◇

 

 しかし、時春の好奇心はまだ収まっていなかった。

 

 あの部屋はたまたま人がいただけだ。これほど大きな家なのだから、ほかにも面白い場所があるに違いない。ノアたちはゲームの続きを始めてしまったし、時春も少しだけ家の中を見て回りたかった。

 

 今度はちゃんとノックしよう。

 

 そう心に決め、再び廊下へ向かった。

 

 先ほどとは違う方向へ進み、階段を上がる。二階の廊下には厚い絨毯が敷かれ、足音がほとんどしなかった。壁際には小さな観葉植物が置かれ、窓からは夜の住宅街が見下ろせる。

 

 ……すげえな、本当に。

 

 ホテルみたいだ。

 

 しばらく歩いていると、廊下の奥から微かに話し声が聞こえてきた。少し開いた扉の隙間から、薄い光が漏れている。

 

 ……おっ。

 

 誰かいるのかな。

 

 時春は扉の前で立ち止まった。

 

 そして、今度こそちゃんとノックした。

 

 コン、コン。

 

 返事らしいものが聞こえたが、低くくぐもっていてよくわからなかった。

 

「……ハロー?」

 

 時春がそっと扉を開ける。

 

 その瞬間、妙な匂いが鼻をついた。

 

「……ん?」

 

 甘いような、焦げた草のような、何とも形容しがたい匂いだった。部屋の中には薄い煙が漂い、窓は閉め切られている。ソファには三人ほどの男女がだらしなく座っており、テーブルの上には飲み物のカップや菓子の袋が散らばっていた。

 

 一人の少年が、ゆっくりと顔を上げる。

 

 目が、赤かった。

 

 そして、視線が妙に定まっていない。

 

「……Yooo.(……よぉ〜)」

 

「…………」

 

 時春は固まった。

 

 ……何だ?

 

 この匂い。

 

 この雰囲気。

 

 何か、おかしくない?

 

 別の少年がぼんやりと笑い、隣に座っていた女子に何やら話しかける。女子は理由もなく笑い始め、それにつられてほかの二人も笑っていた。

 

 時春は少しずつ、ある可能性に思い当たった。

 

 ……えっ。

 

 もしかして、これ。

 

 草?

 

 日本でも、ニュースやインターネットで聞いたことがある。アメリカの一部では大麻が合法だという話も知っていたが、まさか高校生の集まるパーティーで、それらしいものに遭遇するとは思わなかった。

 

 しかも、この部屋の空気は何だか異様だった。先ほどまでリビングで聞いていた陽気な笑い声とは違い、誰もがぼんやりとしていて、時折、意味のわからないところで笑い出す。

 

 時春の背中に、ぞくりとしたものが走った。

 

「Hey, little dude. You good?(おい、チビ。大丈夫かぁ?)」

 

 一人がゆっくり尋ねてくる。

 

「……アー……」

 

 時春は返事に困った。

 

 大丈夫。

 

 いや、大丈夫じゃない。

 

 というか、今すぐ出たい。

 

「You wanna hang out?(一緒にまったりしてくかぁ?)」

 

 少年が手招きする。

 

 時春は反射的に一歩下がった。

 

「ノー! ノー、サンキュー!」

 

 そして、できるだけ相手を刺激しないように頭を下げた。

 

「ソーリー! バイ!」

 

 そっと扉を閉める。

 

 次の瞬間。

 

 時春は廊下を小走りで駆け出した。

 

 ……やっべえええ!!

 

 何だ今の!

 

 怖っ!

 

 アメリカ怖っ!!

 

 時春は階段を下りながら、心臓がどきどきしているのを感じた。リビングの明るい照明と賑やかな音楽が見えたときには、ようやく少しだけ安心した。

 

 ……もう無理だ。

 

 今日は十分だ。

 

 帰ろう。

 

 楽しかった。

 

 本当に楽しかったけど。

 

 もう、お腹いっぱいだ。

 

     ◇

 

 リビングでは、ノアがライアンたちと何やら話していた。

 

 時春はその姿を見つけると、まっすぐ駆け寄った。

 

「ノア!」

 

「Hey, Toki!(おう、トキ!)」

 

「ノア……!」

 

 時春は息を整えながら、必死に言葉を探した。

 

「アイ……ワナ……ゴー・ホーム!」

 

 ノアが首を傾げる。

 

「Home? Already?(帰るのか? もう?)」

 

「イエス!」

 

「You okay, little man?(どうした、チビ助。大丈夫か?)」

 

 時春は迷った末、先ほどの部屋の方を指差した。

 

「アー……アップステアーズ……」

 

「Upstairs?(二階?)」

 

「イエス……スモーク……」

 

 時春は顔をしかめ、鼻を押さえる仕草をした。

 

「ストレンジ・スメル……」

 

 ノアの表情が変わった。

 

「……Wait. Somebody’s smoking upstairs?(……待て。二階で誰か吸ってんのか?)」

 

「……イエス」

 

「Seriously?(マジかよ……)」

 

 ノアは小さく舌打ちし、廊下の方を見た。さっきまでの陽気な表情が消え、少し困ったように眉を寄せている。

 

「Man, I told people not to bring that stuff in here.(ああもう。そういうの家に持ち込むなって言ったのに……)」

 

 時春には全部は聞き取れなかったが、ノアがあまり嬉しくなさそうなのはわかった。

 

 ノアは近くにいたライアンを呼び、何かを短く伝えた。ライアンは真面目な顔で頷き、二階へ向かっていく。

 

 そのあと、ノアは時春の肩に手を置いた。

 

「Sorry, man. Didn’t know that was happening.(悪かったな。そんなことになってるとは知らなかった)」

 

「……ノー・プロブレム」

 

「You don’t have to stay if you’re uncomfortable.(居心地悪いなら、無理に残らなくていいからな)」

 

 時春はほっとした。

 

 ……ああ。

 

 よかった。

 

 ノア、ちゃんとわかってくれた。

 

「アイ……ワナ・ゴー・バック・トゥ・スクール!」

 

「Yeah. I got you.(ああ、わかった。送ってくよ)」

 

 ノアは優しく笑った。

 

「Let me grab my keys.(鍵取ってくるからな)」

 

「サンキュー!」

 

 時春は大きく頷いた。

 

 ノアはリビングの奥へ向かいながら、まだゲームをしていたジェイスに何やら声をかけていた。ジェイスは驚いた顔をしたあと、時春へ手を振ってくる。

 

「Leaving already, Toki?(もう帰んのか、トキ?)」

 

「イエス!」

 

「Aw, man! Come back next time!(えーっ! また今度来いよ!)」

 

「オーケー!」

 

 時春は笑顔で手を振り返した。

 

 そして、ふと思った。

 

 ……うん。

 

 別に、嫌なことばっかりじゃなかった。

 

 むしろ、楽しいことの方がずっと多かった。

 

 知らない人たちと笑った。

 

 スマブラをした。

 

 美味しいピザも食べた。

 

 ノアたちとくだらない話で盛り上がった。

 

 でも、怖い思いもした。

 

 知らない人に囲まれ、知らない部屋を開け、知らないものに遭遇した。

 

 映画で見るアメリカのホームパーティーは、確かに華やかで楽しそうだった。けれど、その華やかさの裏側には、自分がまだよく知らない世界もあるらしい。

 

 ……まあ。

 

 何でも経験だよな。

 

 時春は少しだけ苦笑した。

 

 ただし。

 

 次からは、知らない部屋を勝手に開けるのはやめよう。

 

 絶対に。

 

     ◇

 

 帰りの車は、行きとはずいぶん違って静かだった。

 

 ノアはパーティーのあいだ酒を飲んでおらず、いつものように落ち着いてハンドルを握っていた。助手席に座った時春はシートベルトを締め、窓の外を流れていく街灯を眺めている。

 

 夜のラグナビーチは、昼間の明るさが嘘のように静かだった。坂道を下りると、遠くには黒い海が広がり、その向こうに街の灯りが小さく揺れていた。車内には控えめな音量で音楽が流れ、エアコンの風が少し火照った頬を冷ましてくれる。

 

 しばらく無言で走ったあと、ノアが口を開いた。

 

「So. Did you have fun?(で、どうだった? 楽しかったか?)」

 

「……イエス!」

 

 時春は笑顔で頷いた。

 

「ベリー・ファン!」

 

「Good.(そりゃよかった)」

 

 ノアはほっとしたように笑った。

 

「Sorry about the weird stuff, though.(でも、変なもん見せちまって悪かったな)」

 

「ノー・プロブレム!」

 

「You handled it pretty well for your first party.(初めてのパーティーにしちゃ、うまくやってたと思うぜ)」

 

「……リアリー?」

 

「Yeah. Especially the ‘Omae wa mou shindeiru’ thing.(ああ。特に『お前はもう死んでいる』のやつな)」

 

 ノアは思い出したように笑った。

 

「Man, that was hilarious.(いやあ、あれは最高だったわ)」

 

 時春も吹き出した。

 

 ……まだ言うか。

 

 あのセリフ。

 

 完全に今日のハイライトじゃん。

 

 車はやがて学校の近くへ戻ってきた。寮の前で停車すると、ノアは時春へ拳を差し出す。

 

「See you at open gym, little man.(またオープンジムでな、チビ助)」

 

「オーケー! シー・ユー!」

 

 時春も笑顔で拳を合わせた。

 

 そして、車を降りる。

 

「ノア!」

 

「Yeah?」

 

「サンキュー! トゥデイ!」

 

 時春が頭を下げると、ノアは少しだけ驚いた顔をした。

 

 それから、大きく笑う。

 

「Anytime, Toki.(いつでも来いよ、トキ)」

 

 ノアは片手を上げ、ゆっくり車を走らせていった。

 

 時春はそのテールランプが見えなくなるまで見送ったあと、寮の入口へ向かった。時計を見ると、ベンに伝えていた帰寮時間には十分間に合っている。ロビーで外出から戻ったことを伝え、静かな廊下を歩いて自室へ向かった。

 

 昼間はあんなに青かった空も、今はすっかり暗くなっていた。

 

 長い一日だった。

 

 いや、まだ数時間しか経っていないのだけれど。

 

 それでも、ずいぶんいろいろなことを経験した気がする。

 

     ◇

 

 部屋の扉を開けると、見慣れた光景が広がっていた。

 

 ラリーが、ゲームをしていた。

 

 もちろん、出かける前とまったく同じ場所である。机の上には飲みかけの炭酸飲料が置かれ、ヘッドホンをつけたラリーが真剣な顔で画面を見つめていた。モニターの中ではMinecraftの世界が広がっており、暗い洞窟の奥で何やら鉱石を掘っているらしい。

 

 ……うわ。

 

 いつも通りすぎる。

 

 時春は思わず笑ってしまった。

 

「ラリー! アイム・バック!」

 

「……Yeah, I noticed.(……うん、見ればわかるよ)」

 

 ラリーは画面から目を離さずに答えた。

 

「How was the party?(パーティー、どうだった?)」

 

「……アー……」

 

 時春は少し考えた。

 

 どう説明しよう。

 

 楽しかった。

 

 それは間違いない。

 

 でも、怖いこともあった。

 

 知らないマッチョに囲まれたこと。

 

 北斗の拳のセリフを叫んだこと。

 

 部屋でキスしそうな男女を見つけたこと。

 

 そして、二階で怪しい連中に遭遇したこと。

 

 全部英語で説明しようとしたら、たぶん朝になってしまう。

 

 ……うーん。

 

「……グッド! バット……クレイジー!」

 

 時春は苦笑した。

 

 ラリーが、ようやくこちらを振り返った。

 

「……Crazy?(……クレイジー?)」

 

「イエス!」

 

「That bad?(そんなにひどかったの?)」

 

「ノー! ファン! バット……クレイジー!」

 

「……Right.(……なるほどね)」

 

 ラリーは何となく察したように頷いた。

 

 そして、呆れたように笑う。

 

「Told you. Parties are overrated.(だから言ったろ。パーティーなんて大したことないって)」

 

「……オーバーレイテッド?」

 

「It means people think they’re better than they really are.(実際よりいいものだと思われすぎてる、ってこと)」

 

「あー……」

 

 なるほど。

 

 時春は少し考えた。

 

 確かに、ホームパーティーは想像していたほど完璧なものではなかった。華やかで、賑やかで、楽しいこともたくさんあったが、少し怖いこともあった。

 

 でも、だからといって行かなければよかったとは思わない。

 

 今夜あそこで出会った人たちも、笑った時間も、きっと大切な経験だ。ノアとは以前より仲良くなれたし、ライアンやジェイスという新しい友達もできた。日本のアニメの話で盛り上がったことだって、しばらくは忘れられそうにない。

 

「……パーティー、グッド!」

 

 時春は笑顔で答えた。

 

「バット……」

 

「But?(でも?)」

 

 時春はラリーのモニターを指差した。

 

「……マインクラフト!」

 

「…………」

 

 ラリーが首を傾げる。

 

「What about Minecraft?(Minecraftがどうしたの?)」

 

 時春はにやりと笑った。

 

「キャン・アイ・プレイ?」

 

 ラリーは数秒間こちらを見つめた。

 

 そして、鼻で笑った。

 

「You go to a giant party full of people, and you come back asking to play Minecraft with me?(あんなに大勢いるパーティーへ行って、帰ってきたら僕とMinecraftがしたいわけ?)」

 

「イエス!」

 

「……You’re so weird, Toki.(……君って本当に変なやつだよね、トキ)」

 

 そう言いながらも、ラリーは椅子を少しずらした。

 

「Get your laptop.(パソコン持ってきなよ)」

 

「……おおっ!」

 

 時春の顔が明るくなった。

 

「サンキュー!」

 

 さっそく自分のノートパソコンを取り出し、ラリーの隣に椅子を並べる。ゲームを起動すると、見慣れたブロックの世界が画面いっぱいに広がった。

 

 ラリーはすでに洞窟の奥まで進んでいるらしく、時春がログインするとすぐにチャットが届いた。

 

『Larry: Don’t die this time.(今度は死なないでよ)』

 

「…………」

 

 ……おい。

 

 失礼な。

 

 確かに、前はクリーパーに吹っ飛ばされて一緒に溶岩へ落ちたけど。

 

 あれは事故だろ。

 

 時春は笑いながら返信した。

 

『Toki: NO PROBLEM!』

 

 すると、すぐにラリーが隣から言った。

 

「That’s what you said last time.(前もそう言ってたよね)」

 

「シャラップ!」

 

「Oh my god.(まったくもう)」

 

 二人は顔を見合わせて笑った。

 

     ◇

 

 それからしばらく、二人はMinecraftの世界で洞窟を探索した。

 

 時春が前を歩き、ラリーが後ろから松明を置いていく。暗闇の奥でゾンビの声が聞こえると、時春は慌てて剣を構え、ラリーは面倒くさそうに敵を倒した。鉱石を見つければ二人で喜び、道に迷えば互いのせいにする。途中で時春が足場を踏み外しかけたときには、ラリーが「WATCH OUT!(危ない!)」と叫び、二人揃って声を上げて笑った。

 

 何だか、不思議だった。

 

 数時間前まで、時春は豪邸のリビングにいた。大きな音楽が流れ、何十人もの人々が笑い、色とりどりの照明が光る場所だった。

 

 そこでは、知らない人が次々と話しかけてきた。英語を聞き取ろうと必死になり、相手が笑えば自分も笑い、雰囲気を壊さないように考えながら過ごしていた。

 

 もちろん、楽しかった。

 

 心からそう思う。

 

 だが、今はどうだろう。

 

 小さな寮の部屋。

 

 机の上には二台のパソコン。

 

 飲みかけの炭酸飲料。

 

 そして、隣には寝癖を直さないゲーム好きのルームメイトがいる。

 

 音楽もなければ、大勢の人間もいない。

 

 きらびやかな照明も、プールも、豪華な食事もない。

 

 それなのに。

 

 ……何だろうな。

 

 時春は画面を見つめながら、ふと笑った。

 

 こっちの方が、落ち着く。

 

 ラリーの英語だって、まだ全部わかるわけではない。何を言われているのか理解できず、何度も聞き返すことがある。ゲームに夢中になると、あいつは相変わらず恐ろしい速度で喋り始める。

 

 それでも、ここでは無理に笑わなくていい。

 

 黙っていても気まずくない。

 

 失敗すれば遠慮なく馬鹿にされるし、成功すればぶっきらぼうに褒められる。何かを説明できなくても、画面を見ながら二人で笑える。

 

 何より、自分が何を言っても、ラリーはいつも通りだった。

 

「Toki, behind you!(トキ、後ろ!)」

 

「……えっ?」

 

 時春が振り返る。

 

 画面の中で、緑色のクリーパーがこちらを見ていた。

 

「……あっ」

 

 次の瞬間。

 

 ドカァァン!!

 

「うわあああああ!!」

 

 画面が大きく揺れ、時春のキャラクターが爆発に巻き込まれた。

 

 そして、近くにいたラリーのキャラクターまで、巻き添えを食らって倒れた。

 

「OH MY GOD, TOKI!!(うわああ! トキィィ!!)」

 

 ラリーが絶叫した。

 

「WHY DO YOU ALWAYS DO THIS!?(何で君は毎回こうなるんだよ!?)」

 

「ソーリー! ソーリー!!」

 

「STOP SAYING SORRY AND WATCH THE CREEPERS!(謝る前にクリーパーを見ろってば!)」

 

「HAHAHAHA!!」

 

 時春は腹を抱えて笑った。

 

 ラリーも最初こそ怒っていたが、やがて呆れたように首を振り、笑い始めた。

 

 二人の笑い声が、夜の寮の部屋に響く。

 

 時春は画面に表示された死亡メッセージを眺めながら、何となく思った。

 

 アメリカには、まだまだ知らない世界がたくさんある。

 

 賑やかなアメフトのスタジアム。

 

 バニラシェイクの美味しいダイナー。

 

 強い選手たちが集まる体育館。

 

 そして、今夜のような華やかなホームパーティー。

 

 どれも面白い。

 

 どれも、もっと知りたい。

 

 けれど、そんな新しい経験を終えて帰ってきたとき、こうして何も考えず笑える場所がある。

 

 それは、思っていた以上に嬉しいことだった。

 

「……ラリー!」

 

「What now?(今度は何?)」

 

 時春は笑顔で親指を立てた。

 

「マインクラフト……ベスト!」

 

「……What?(……は?)」

 

「ベリー、ベリー、ベスト!」

 

 ラリーは一瞬きょとんとしたあと、小さく吹き出した。

 

「You’re such a nerd.(君、ほんとゲームオタクだよね)」

 

「サンキュー!」

 

「That wasn’t a compliment.(褒めてないからね)」

 

 二人はまた笑った。

 

 窓の外には、静かなカリフォルニアの夜が広がっていた。遠くを走る車の音が時折聞こえるだけで、キャンパスはすっかり眠りにつこうとしている。

 

 高山時春、十五歳。

 

 初めてのアメリカン・ホームパーティー。

 

 知らない人に囲まれ、アニメのセリフで生き延び、ゲームで盛り上がり、うっかり人の恋愛現場を覗いてしまい、最後には少々怖いものまで見た。

 

 まったく、とんでもない夜だった。

 

 でも、悪くない。

 

 むしろ、かなり楽しかった。

 

 そして、今日一日でわかったことが一つある。

 

 アメリカの高校生活には、映画みたいな瞬間が確かに存在する。

 

 けれど、楽しい時間というものは、必ずしも映画みたいに華やかである必要はないのだ。

 

 豪邸で大勢と騒ぐのもいい。

 

 でも、こうしてラリーと二人でゲームをする時間も、同じくらい――いや、ひょっとしたらそれ以上に好きなのかもしれない。

 

 時春は隣で画面に向かって文句を言っているラリーを見て、何となく笑った。

 

 すると、ラリーが怪訝そうにこちらを見た。

 

「……Why are you smiling?(……何ニヤニヤしてんの?)」

 

「……ナッシング!」

 

「Weirdo.(変なやつ)」

 

 そう言って、ラリーは再び画面へ向き直った。

 

 時春も笑いながら、マウスを握り直す。

 

 その数分後、今度はラリーが誤って溶岩へ落ち、二人はまた大騒ぎすることになるのだが。

 

 それは、今夜のホームパーティーとは何の関係もない、小さな出来事だった。

 

 ただ、時春にとっては。

 

 きっと、これも忘れられないアメリカの夜になるのだと思う。

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