「陸上戦艦の製造所を見学しましたか?」
「いや」
「あれはすごいですよ。威圧感があって……」
「わたしはきらいだな。戦艦と言うのはどうにも野蛮だよ」
「スマートではないですか」
「そうだな……戦闘機よりは」
ファトシアに着陸してからの数日は、思ったよりも平穏なものだった。
それからのわたしたちは、単に待つことを命令されていた。
待つ――何を? 分からない。わたしたちはそれに従うのみだ。
その日はウルぺスとファトシアを歩きまわっていた。ファトシアは鋼鉄の施設だが、生活圏は思ったよりも快適だった。沢山の労働者がいるだけあって、レストランも運動の場もある。こんな海上で生活が成りたつと言うのは、なんとも不思議な感じがした。
わたしは陸上戦艦のように野蛮な兵器は好きになれないが、別に技術者までがきらいなわけではなかった。この数日のうちに上層区でも沢山の技術者を見た。誰もが仕事に誇りを持っていた。
その指がわたしたちを助けてくれている――それが尊かった。
ところで散策するうちに、愉快なやつと交流した。と言うのも、その若者は新型の爆撃機のパイロットなのだった。
「極秘ですよ。ラドーンと言うんです」
極秘と言うわりに口が軽いのが、なんとも若者らしいのだった。実際はそんなに機密でもないのだろう。別にファトシアで情報が漏れるわけもない。
「超音速の爆撃機なんっす……ですよ」
「ほう」
「舐めてますね?」
「爆撃機の新型と言ってもね」
「さすがのルクス・ルーナエだ! ほかの航空機なんてのは、ついでなわけっすね!」
こんな当てこすりもかわいらしいものだ。バディを組んでいるらしいが、その上官もこの跳ねっかえりを、かわいがっているにちがいない。でなければルクス・ルーナエに対して、こんな態度でいるはずがないのだ。
それから話は必然的に戦争のほうへと移っていった。つまり、わたしたちが招集されたことについて。それが何を意味するのかと言うことに。
それについて爆撃機のパイロットの意見は端的だった。
「そんなのFCUとやるために決まってますよ」
「やるとは?」
爆撃機のパイロットは鼻を鳴らした。
「分かっているくせに」
「きみは大胆だな」
「腕の見せどころですよ」
そして拳を握りしめる。
「FCUの土地があれば、あんな砂漠で生活することもなくなる」
「きみは“世代”かね」
「何もありませんよ。うちの故郷には」
なるほど。考えてみれば、戦争の恐怖がなんだと言うのだろう。
その世代の人生は何もないところに始まっていた。ところが若者は聞かされている。かつてソトアの大地がどんなに偉大なのか。その草原がどんなにやさしかったのか。
だからこそ若者は夢の中に望郷を見るのだった。忘れることのできない、空想の故郷への望郷を。つまり約束の地のことを。
しかし今は未来に道がひらかれている。仮に戦争が起こるとして、それに勝てば――勝ちさえすれば――望んでいたものが手にはいるかもしれないのだ。
その誘惑のなんと甘く、抗いがたいことだろう。
数日のうちに、わたしたちはファトシアの中枢に呼びだされた。
そこの会議室のひとつでは、大佐のギリッシュ・トプラクと教育総監のカミール・テュイが待っていたのだった――なんとなく、わたしたちはそんな可能性を予期していたような気もする。と言うのもルクス・ルーナエが招集されたからには、彼女が関係していないとは考えられないからだ。
ルクス・ルーナエは空軍の管轄だったが、実体は教育総監の親衛隊でもあった。彼女の経歴は称賛されて、さらには心酔されている。その崇拝者の集まりこそ、ルクス・ルーナエの中心なのだ。
「休息はたのしめたかしら」
きよらかで繊細な声が会議室に広がる。
「はい」
ティグリスがチームを代表した。
「都合で遅れているけれど……いずれはルクス・ルーナエの部隊が集まるようになっているわ」
「それは……たのしみですね。普段は顔を合わせることもすくないですから」
「そうね」
教育総監はくすくすと笑った。そのうしろでトプラクが石像のようにわたしたちを見ていた。教育総監の“オキニ”で、執拗に獲物を追いまわす、溝鼠のような男だった。
「端的に言うわ」
「はい」
「上層部はFCUに電撃作戦をしかけることを決定した」
会議室が静まりかえった。しかし、いつまでも駄目っているわけにもいかない。この沈黙をやぶるのもティグリスの役割だ。彼はだるそうな調子を隠すように聞く。
「完全に決定したのですか?」
「そうね」
「……そうですか」
「不満かしら」
「そう……ですね。できることなら……するものではないわけですから」
「正直なことね」
「はい」
そのとき教育総監は、はじめて表情を歪めるのだった。
「どうにもならないのですか」
「わたしに権限はない。それは分かっているでしょう?」
「もちろん……それはもちろんです」
教育総監はかなりの立場だが、軍閥の最高権力者ほどではない。開戦を止めるほどの権力を、わたしたちの上官は持っていない。
「忙しくなるわ。特にダブルスには活躍してもらわなければならない……分かるわね」
「はい」
ティグリスが胸に手を当て、わたしたちもそのようにした。
「戦力が集結すれば、作戦が通達されるでしょう」
「はい」
ティグリスは機械のように「はい」を連呼する。
「その瞬間のために英気を養いなさい。そして、ときが来たら……ソトアに勝利を齎すのです」
やがて戦力が集まり、そして戦争が始まった。
トニトルスの槍がFCUの大地をくしざしにした。二隻の陸上戦艦が大地に乗りあげ、わたしたちもそれに参戦した。
分離独立派の影響もあり、いとも簡単にFCUは分裂した。
分裂――つまり崩壊ではないのだ。わたしがそんなふうに言うのは、どうしてもユージアの体質を揶揄したくなるからだろう。灯台戦争のエルジアがそうであるように、どうしてユージアの人間はそんなに独立をしたがるのだろうか。仮にFCUが強固に一致団結して、陸上戦艦に立ちむかうなら、簡単に終わらなかったはずである。
『それはFCUが連合国だからですよ』
FCUの空で残党を警戒しているとき、ウルぺスがわたしの疑問に答えた。
『ウルぺス……そんなことは誰でも知っている』
『ぼくが言うのはですね。つまり……周囲の国を無理に連合に組みこむから、反発が起こるんじゃないですか?』
『理屈の上ではそうだろう。しかし国家の一大事なんだぞ』
『どうでも……向こうの事情なんて』
パンテーラはFCUの事情に辛辣だった。
『それで負けていてはね。ブタで勝負をしかけるようなものですよ』
たしかにFCUのまとまりのなさは、ばらばらの手札と同じかもしれない。
なるほど、わたしたちは向こうよりも団結している。しかし、それは単にそうすることを迫られているからだ。
と言うのも、黎明のソトアで氏族は草原を取りあっていたにちがいなかった。わたしたちの結束は、皮肉にも砂漠がもたらしたものなのだ。
わたしたちは、こうして故郷を諦める。そして集まる。辺鄙な砂漠の片隅に。
落馬したとき、わたしたちを受けとめてくれる、あの若草を諦める……。
『ところで聞いたか? シーヴの翼と言うやつ』
占領基地へ戻るまえにティグリスが言った。
『なんですか?』
わたしが返事をする。
『向こうのエースだよ。撤退戦で活躍して……トプラクのやつが追いまわしているらしい』
『強いのですか?』
『それが報告を聞くに、撃たないらしいんだ』
『撃たない? 攻撃しないと言うことですか』
『らしい』
らしい。不確定。噂。
戦場では、そんなものがいつでも蔓延している。
『傑作ですね』
パンテーラが嘲笑した。
『FCUのパイロットは平和主義者でもエースになれるわけだ』
『侮れないぞ。トプラクに追いかけられて、落とされていないわけだからな』
永久に飛びまわることなど、この世の誰にもできはしない。
それから、しばらく。
シーヴの翼を海上で撃墜した。そんなふうにトプラクは報告したのだった。
「第百十六小隊がやられた」
ティグリスが教えてくれたのは西方の占領基地――すでにソトアの領土で朝食を食べているときだった。
わたしたちの手が止まった。と言うのもルクス・ルーナエはこの戦争で一度も撃墜されていなかったから。別に無敵の部隊とは思っていないが、FCUを占領したあとに、そんな報告を聞くとは思わなかった。
「優秀なパイロットが残っていたわけですか」
わたしが聞くとティグリスは予想外の返事をした。
「それが……落としたのはシーヴの翼なのだそうだ」
「なんですって? 落とされたのでは」
「無線の記録で翼のマークが確認されている」
わたしたちは黙るしかなかった。
撃墜――そして矛盾。トプラクが嘘の報告を? 即座に頭の中で否定する。
人格は好きになれないが、トプラクは職務に忠実な男だった。
「ベイル・アウトに成功したとか」
「それならトプラクが確認しているだろう」
「では別人を乗せているとか」
「そんな人材が急に現れるものだろうか?」
「しかし……実際にルクス・ルーナエが落とされているわけですから」
滑稽な会話。
わたしたちは知らない。本当に夢物語の英雄が、FCUに現れていることに。
わたしたちは知る。世界には途方もないほどのパイロットがいる。それは形容しがたい。嵐のように吹きあれ、それは戦争に影響を与えて、どこかに去ってゆく。
世界には、そんなパイロットがいる。トランプのジョーカーのように、反則もすれすれのパイロットが。
それからの戦果は疾風のごとしだ。シーヴを奪還された。陸上戦艦を破壊した。そして何人ものルクス・ルーナエを撃墜した。
らしい。不確定。噂。
わたしたちは分からなかった。どうしても人間業とは思えなかった。
ひとりのパイロットにそんなことが可能なのか?
何が本当で、何が嘘なのか?
ソトアもFCUも――そして誰も。その存在をどんなふうに捉えるべきか、何も分かっていなかったのである。
『作戦を説明します』
ブリーフィングは大陸の東方占領基地でおこなわれた。陸上戦艦の撃沈の影響で情勢が変化したあと、わたしたちの部隊もその周辺に撤退していたのだった。
ブリーフィングは無線で教育総監がじきじきにおこなった。つまり、それだけ重要な作戦と言うわけだ。
任務の内容は端的に言うと、輸送機を護衛中のシーヴの翼を、襲撃すると言うものだった。初動は別動隊と第百小隊で襲撃して、わたしたちは翼が釣れるのを雲の中で待ちうける。
『二番艦が敗北したのは、想定内ではあるの』
『と言うと?』
ティグリスが疑問を投げかけた。
『一度でも敗れたものは、つぎも攻略される。それが道理と言うものだわ』
『轍を踏むつもりはありません』
『そうね……だからこそ十数機のルクス・ルーナエで立ちむかわなければならない』
『過剰戦力ではない……と言うわけですね』
第百小隊とわたしたちの合同で互角だと、教育総監は考えていたのかもしれない。
『シーヴの翼。その実力が本物なのかどうか、空戦でたしかめましょう』
わたしたちは胸に手を当てる。
Mission 20 Escort Orbiter
Operation Migration Keeper
『来た』
ウルぺスが反応した。雲の中でレーダーが翼の部隊を捉えたのだ。
『慌てるなよ。まずは別動隊と第百小隊が行く』
ティグリスが窘めた。
作戦は思うように進行した。別動隊が落とされながらも場を荒らして、そこに第百小隊が参戦した。そして翼の部隊とおまけを引きつける。
おまけはともかく、ほかの二機はなかなかのものだ。レーダーの動きだけでそれと知れた。特に一機の動きは舞うようで、まるで曲芸のような印象を受ける。
『よし……行くぞ』
しかし、それをいつまでもやらせるつもりはない。
『了解』
『了解!』
『了解しました』
上空の風は普通――人間には感じられない。ところがパイロットにはそれを感じられるのだ。それこそ今のように雲の中を突きぬけて、音速の壁をぶちやぶるときなど。そのとき、わたしたちは自由な鳥と似ていた。下方の人間は空を眺めて、豆粒のような戦闘機を細目で見るのみだ。
風を感じながら、わたしたちは知る。
わたしたちよりも自由な翼が、この生命を約束の地に向かわせるのだと。
分かってほしいのは、わたしたちが翼の存在を認めたと言うことだ。それが本当かどうかを決めるのは、空虚な噂なのではなく、それと実際に敵対したものなのだ。強敵に接近すると言うのは、それを殺すと言うだけでなく、その存在を認めることなのだ。
≪手はあるんだ。でも……≫
≪言って≫
≪でも無茶なんだ≫
≪言って!≫
どうにも不便なものだ。残留思念と言うのは。いつなんどきに消えるかもしれないと言うのは。
曖昧な記憶は海上の風のように掴みどころなく、わたしたちを世界にたゆたわせている。
「どうして中尉はルクス・ルーナエに?」
そんなふうにウルぺスに聞かれたのは、第九十九小隊に編入したときだった。わたしは返事に困った。ルクス・ルーナエに腕を買われると言うのは名誉だが、誰もがそんなふうに考えているわけではない。
わたしは野心に疎かったし、教育総監への忠誠心があるわけでもなかった。
別に適当に返事をしてもよかったのだが。ウルぺスにはどうにも柔和な、態度を軟化させるものがある。この中尉が階級は同じなのに、単に年上と言うだけの理由で、丁寧な口調でいるもの原因かもしれない。
「じつを言うとラプターに乗れると聞いたものだから」
これがわたしの本懐なのだった。ダブルスの機体は前の戦闘機よりも性能が飛びぬけている。
わたしはこれだけを理由にルクス・ルーナエに編入しようと決めたのだ。
「それだけ?」
「うん」
「信じられませんね。普通はあるものじゃないですか……名誉だとか、昇給だとか」
しかしウルぺス。第九十九小隊の中で最初に撃墜されるものよ――きみが落とされたとき、パンテーラは激昂していた。やつがあんなに動揺するところは見たことがなかった――きみは最後まで疑っていたが、これがわたしの本音なのだ。
わたしは出身地について、つぶさに他人に語ろうとは思えない。それはすでに存在しないものだからだ。それは頭の中の望郷、過去の独白の底にある。
南方の草原だった。身内の中で誰よりも馬に乗るのが得意だった。そして、そうしたことが未来に関連してゆくのだ。わたしは草原と一緒に生きていたから、それが死んでゆくのを感じられる。いつか、この土地を去るのを予見している。
そこにいられないと感じるとき、わたしたちは居場所を求める。元の場所と似たものを求める。
分かってくれるだろう? それが空と戦闘機だったのだ。空が草原の代替であり、戦闘機が馬の代替だった。
わたしたちは、こうして故郷を諦める。そして集まる。辺鄙な砂漠の片隅に。
落馬したとき、わたしたちを受けとめてくれる、あの若草を諦める……。
それでも、わたしたちは前を向く。
落馬しても立ちあがるとき、そこに精神が創造される。
≪ジョーカー・ワン≫
故郷は。
≪あんたがひとりで残るんだ≫
今となっては遠いな――たしかに。
クロス・ザ・メドウ 終わり