SSランク冒険者の異世界フルコースの旅 作:ヴァレリー
バロン諸島を囲む濁った海を、一隻の小舟が静かに進んでいた。
船の上には、大柄な青髪の美食屋・トリコ、気弱な料理人の小松、そして案内人兼船乗りのトムの三人が乗っている。
マングローブの
「ん? 誰かいるな……」
トリコが警戒したように、低い声で言う。
「え? そうなんですか!?」
小松は困ったような顔をして、怯えながら辺りをキョロキョロと見回した。
そのときだった。
マングローブの深い霧を割るようにして、一人の影がすっと姿を現した。
「ほぉ……。声がすると白銀が言っていたから見に来たが、男の人間が三人か」
ヴァレリーが入り口である岸辺まで、近づいてくる舟を見下ろしにやってきたのだ。
彼女は一切の殺気を出してはいなかった。
しかし、その黄金の目は細められ、綺麗な口元は楽しげに吊り上がっている。
手にした漆黒の魔剣はいつでも動かせるよう、ただ静かに、しかし存在感を放ちながら握られていた。
「わ、わあああああっ……!」
それを見た小松は、思わず声を上げて慌てふためいた。
手にもちろんどこからどう見ても凶器である剣を持っているのもそうだが、何より怖かったのだ。
この世のものとは思えないほど美しい女性が、自分たちを見て不敵に「笑っている」その姿が、本能的な恐怖を掻き立てる。
(な、なんだ……!? あの人、凄く綺麗なのに……もの凄く恐ろしい気配がする……!!)
ガタガタと震える小松や、操舵桿を握るトムを他所に――トリコだけは、言葉を失ったようにずっとヴァレリーのことを見つめていた。
その鋭い美食屋の嗅覚と直感が、目の前の美しい女性がただの人間ではなく、底の知れない『規格外の強者』であることを瞬時に察知していたのだった。
船がゆっくりと岸辺に近づくなか、トリコは鋭い視線をヴァレリーに向けたまま、腹の底から響くような声を出した。
「お前、何モンだ?」
なおも警戒を解かないトリコ。
すると、岸辺で見下ろしていた美女は、クスクスと可憐に笑いながら、実にあっさりと告げたのだ。
「私か? 私はある世界からこっちの世界に来た、竜人族のヴァレリー・レイヴンウッドという」
「……は?」
その瞬間、トリコの口がぽかっと間抜けに開いた。
何を言っているんだ、こいつは。
そんな変な顔をしているのはトリコだけではない。
隣の小松も、船を操るトムも、全く同じ顔をして固まっている。
「な、なんだぁ? 『ある世界』って……? 『竜人』……? おいおい、一体何言ってやがる?」
トリコは頭の上に大量のハテナマークを浮かべ、完全に困惑しきっていた。
普通なら「頭のおかしい奴か、盛大なホラ吹きか」と切り捨てるところだ。
だが、目の前のヴァレリーから放たれる圧倒的な強者のオーラと、手にする魔剣の存在感が、ただの世迷い言ではないと思わせる奇妙な説得力を持っていた。
トリコたちが船の上で完全に固まっていると、ヴァレリーのすぐ隣の空間がふわりと歪み、そこからぬっと、巨大な白銀の狼が姿を現した。
『主よ……あの三人に言ってしまってもよかったのか? 別の世界から来たと……』
白銀はふぁぁ、と大きな欠伸を噛み殺しながら、静かにヴァレリーへと問いかけた。
「あぁ……。ここにいる以上、私の知っている魔物もそのうち出てくる。どっちにしろ、いずれバレるだろうからな」
ヴァレリーは白銀の首元を撫でながら、平然と答えた。
彼女の予想通りなら、このバロン諸島やその先の世界で、本来この世界には存在しないはずのアルカニアの魔物たちを、トリコたちと一緒になって討伐することになるかもしれないのだ。
その時に「なぜお前はその魔物の生態や弱点を知っているんだ?」と問われれば、結局は自分が元いた世界の話をすることになる。
なら、隠し事などせず、最初から早めに言っておいた方が話が早い。
それが彼女の合理的な結論だった。
急に現れた、見たこともない白銀の美しい魔獣。その巨体から放たれる隠しきれない王の風格。
美食の時代を生きるトリコですら、バロン諸島はおろか、世界のどこを探してもあんな神聖な猛獣の記録は見たことがなかった。
「ひ、ひいいいっ! なんですかあの大きな狼はぁ!?」
「おいおいおい、嘘だろ……。あんな猛獣、IGOの図鑑にも載ってねえぞ……!」
小松は腰を抜かさんばかりに船の床にへたり込み、操舵桿を握るトムも冷や汗を流して絶句している。
異世界から来たという謎の美女と、見たこともない伝説級の白い魔獣。
船がようやく岸辺へと滑り込み、トリコと小松はとりあえずマングローブの赤土へと降り立った。
トムは船の中に残ったままだが、全員の視線は未だに目の前の二人――いや、一人と一頭に釘付けになっている。
トリコはまだ少しだけ警戒をにじませつつも、そこは豪快な美食屋。まずは相手の懐に入るように、ニカッと笑って自分から名乗り出た。
「とりあえず、自己紹介だな……。俺はトリコだ」
「ぼ、僕は小松と申します……!」
小松は、至近距離で見るヴァレリーのあまりの美しさにほんの少し頬を赤くしつつも、やはりまだ少しだけ恐怖があるのか、ガタガタと小刻みに震えながら頭を下げた。
「さっきも言ったが、ヴァレリー・レイヴンウッドだ」
ヴァレリーは、男たちをトラウマに陥れたあの不敵な戦闘狂の笑みとは違い、今度は邪気のない穏やかで綺麗な笑顔を浮かべて返した。
その絶世の美女の「本物の笑顔」の破壊力に、トリコはほんの少しだけ息を呑んで見惚れ、小松は一気に顔を真っ赤にする。そんな二人を見て、隣の白銀は冷ややかな目をさらに細めた。
『我は白銀』
フンッ、と鼻を鳴らし、トリコと小松を値踏みするように睨みつけながら、ツンとした言い方で自分の名前だけを告げる白銀。
「なっ……!?」
「ひぇええ!? お、狼が喋ったァァァ!?」
トリコと小松は飛び上がらんばかりに驚愕した。
見たこともない未知の魔獣が、当たり前のように人間の言葉を発したのだ。
それは船の中にいたトムも同じで、大きく目を見開いて滝のような冷や汗を流しながら、完全に吃驚した顔で固まっている。
「あ、お……俺はトムだ……」
全員の自己紹介が終わったところで、トリコはまず距離を縮めるように、気さくな口調で質問した。
「ヴァレリーって呼んでいいか?」
「あぁ……いいぞ。私もトリコと呼ばせてもらう」
ヴァレリーが快く了解すると、トリコはニカッと笑って大きく頷いた。
「あぁ、いいぜ! ――それでだ、さっき言ってた『ある世界』ってのは一体なんなんだ?」
本題へと切り込むトリコの質問に、ヴァレリーは愛用の漆黒の魔剣を静かに収めながら答える。
「私の住んでいた場所だ。レイルシュタット王国という。その場所から、黒のゲートを見つけ、ピカッと光ったと思った時には、もうすでにこのバロン諸島の森の中にいたんだ」
「へぇー……。それをわざわざ言わなければ、俺たちにはバレなかったろ? なんで初対面の俺たちにそのことを言ったんだ?」
トリコが不思議そうに尋ねると、その真っ当な言い分に小松もコクコクと隣で深く頷いた。
「あー、それがだな……。実は、私が住んでいた場所の『魔物』がこの世界にも落ちてきているかもしれないのだ。昨日ここに来た男たちに確認したら、そんな化け物は見たこともないと怯えていたからな。傷つけるつもりはなかったのだが、私の質問に泣きながら答えた後、慌てて逃げるように帰っていったよ」
ヴァレリーのその言葉に、トリコ、小松、トムの三人は「ビクッ」と同時に身体を反応させた。
トリコは何かを確信したように顔を引き攣らせ、わなわなと震えながら声を絞り出す。
「……おい。お前だったのか……さっきの【白銀の死神】ってのは……!」
「ん? なぜそれを……。あの男たちは昨日帰ったはずだろう? そんなに広まるのが早いのか?」
まさか自分の呼び名がすでに相手の耳に届いているとは思わず、ヴァレリーは不思議そうに目をパチパチさせてトリコたちを見つめた。
「あぁ……。さっきトムの船に乗ってここに近づいてる時に、お前に質問攻めされたあの男たちの船と途中でスレ違ったんだよ。どいつもこいつも顔を青白くしてガタガタ震えててよ、すれ違いざまに小さく『白銀の死神……白銀の死神が……』ってブツブツ呟く声が聞こえたもんでな……」
トリコは太い腕を組み、あの異様な光景を思い出しながら言った。
「え? でも、それだけじゃ私が白銀の死神だとは分からないだろう?」
ヴァレリーが首を傾げてトリコを見ると、トリコはニヤリと不敵に笑って言葉を続けた。
「あー、その後、男たちが怯えながらこう言ったんだ。『死神の隣には、見たこともねえ真っ白な巨大な獣がいた』ってな……。……なぁ白銀、それって間違いなくお前のことだろ? ってことは、その隣にいるヴァレリーがあいつらの言う【白銀の死神】の正体なんじゃねえか? とな」
「なるほど……。確かに、それは私しかいないな……」
ヴァレリーは拳を手のひらにポンと打ち付け、深く納得したように頷くのだった。
「とりあえず、移動しながら話そう。私もお前たちのことも、この世界のことも詳しく知りたいしな……」
漆黒の魔剣をサッと収めながら、ヴァレリーは聖母のような美しい微笑みをトリコに向けた。
「あぁ……。って言っても、俺も知らないこと結構あるんだがな」
トリコが苦笑いしたその瞬間。
船尾にいたトムが、逃げるように手際よく操舵桿を引いて船を反転させた。
「なら、俺はこれで帰らしてもらうぞーーーっ!!」
「……。あいつは一緒に行かないんだな」
凄まじいエンジン音を響かせて、文字通り「脱兎のごとく」遠ざかっていくトムの船。ヴァレリーは不思議そうに目をパチパチさせている。
「あぁ、トムはここまで連れて来てもらっただけだからな」
「そうか。……そもそも、お前たちはこんな危険なマングローブに何しに来たのだ?」
ヴァレリーの直球な疑問に、トリコは隣でガタガタ震えている少年を親指で差した。
「ガララワニの捕獲だ。小松の依頼でな……」
「はいぃっ! 僕の依頼で、ガララワニの捕獲をトリコさんにお願いしたんですぅぅ!」
小松はすでに白目を剥きかけ、生まれたての小鹿のように膝を震わせながら必死に声を絞り出した。
「ふーんなるほど……」
ヴァレリーは納得した。
そして、あ、って顔になり、隣に寝そべる巨大フェンリルの白銀とパチッと目が合った。
ヴァレリーはそっと目を伏せ、ものすごく申し訳なさそうな、この世の終わりみたいな顔をして二人を見つめる。
「……すまない。そのガララワニ、私が討伐した」
「ブッ……!!!」
トリコは思わず変な声を上げた。
「 ガララワニはそれなりいるから大丈夫だと思うが……。そんな、世界が滅んだみたいな顔して謝ることじゃねえぞ!?」
トリコは不思議そうに、というかヴァレリーの極端な表情の変化にツッコミを入れながら言った。
「そうなのか……! てっきり世界に一匹しかいない貴重な魔物だと思ったが、それなら良かった!」
ガララワニがまだウジャウジャいると知り、ヴァレリーは今度は一瞬で太陽のような大安心の笑顔に戻った。
その激しすぎる表情のジェットコースターに、小松はついていけずに魂が口から出かけている。
「じゃあ移動するぞ。こっちだ……このボートに乗って行く。……だが……」
トリコは自分が用意してきた小さな二人乗りのボートを指差したが、すぐにフリーズした。
どう見てもボートはトリコと小松で満員ヴァレリーはともかく、実家サイズの巨体を持つ白銀が乗ったら、ボートごと一瞬でバロン諸島の藻屑になる。
「困ったな……。これじゃ乗れねえぞ」
「大丈夫だ……私もある。これだ……」
ヴァレリーがクスッと悪戯っぽく微笑み、水面に向けてパチンと指を鳴らした。
――その瞬間。
ズドォォォォンッ!!! ゴゴゴゴゴゴ!!!
空間がガラスのように粉々に割れ、マングローブの濁った水面に、津波のような大波を上げて「それ」が唐突に爆誕した。
「ギャァァァァァァーーーッ!!! なんだこれはァァァっ!!!?」
トリコと小松の絶叫がハモった。
目の前に現れたのは、マングローブの木々をなぎ倒さんばかりの、超ド級の巨大な大船。
もはやボートとかいう次元ではなく、ただの動く要塞である。
「ってか、どうやって取り出したんだよオイィィッ!? さっきまで何もなかったよな!? 空間に穴空いたぞ今!!」
トリコは目玉が飛び出さんばかりに大声を張り上げて激しくツッコむ。
小松にいたっては、ショックのあまり顎が地面につくほど口を大きく開けて硬直していた。
「あぁ……私の『アイテムボックス』だ。……って言っても、この世界の言葉ではわからないか? 空間の中に、色々仕舞うことができると思えればいい」
ヴァレリーは、驚きすぎて生まれたてのカエルのようにピョロピョロ跳ねている二人を「おもしろいなー」と眺めながら、どこまでも涼しい顔でそう説明するのだった。
「それでどうやって動くんだ? これ……」
トリコは目の前に鎮座するあまりにも巨大な船を、不思議そうに見上げながら尋ねた。
「あぁ……それなら魔石に魔力入れれば動く。これを動かすゴーレムがいてな……あいつに命令したらその場所まで運んでくれるのだトリコ、小松も一緒に乗ろう」
ヴァレリーは当然の事のように説明を付け足したが、それを聞いた小松とトリコは、同時に目が点になり、口元がぽかっと開いたまま固まってしまった。
魔石、あるいはゴーレムという、この世界の人間にはおよそ理解の及ばぬ単語が次々と飛び出してきたからである。
二人の頭の中は、先ほどから混乱に次ぐ混乱を極めるばかりであった。
とりあえずトリコと小松は、ヴァレリーの船で行くことになった。
しかし、二人がその大船に足を踏み入れた瞬間、またしても驚くべき光景が彼らを待ち受けていたのである。
「なんだこれは……え? どうなってやがる?」
船内のあまりの規格外な仕様を目の当たりにし、トリコは目をぐわっと大きく見開いた。
だが、その困惑は瞬く間に歓喜へと変わり、次第にはその瞳を少年さながらにキラキラと輝かせ始める。
「うわー、凄い……! 厨房があるし、お風呂、お部屋まである! それにもの凄く広い!」
小松は最初から目をキラキラと輝かせ、驚きと喜びのあまり、あっちこっちへと忙しなく見裂きに走るのだった。