夜更かしには理由がない   作:ユー霊

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 私は、ナイフのようなものだ。

 決められた場所に収まり、必要なときに取り出され、与えられた役目を果たす。切るべきものを切り、終われば鞘に戻る。それだけのことに、理由はいらない。

 誰かが望むのなら、私はそれを叶える。明日のために食事を用意し、散らかった部屋を片づけ、主の命令に従う。仕事はいくらでもあるし、ひとつを終えれば、次にするべきことが見つかる。

 だから、退屈を知らないわけではない。ただ、退屈だからといって、何かを変えようとは思わないだけだ。

 ナイフは、自分から獲物を探したりはしない。

 けれど、ときどき考えることがある。

 もし、誰からも必要とされなくなったら。もし、何ひとつ切る必要がなくなったら。

 そのとき私は、いったい何をすればいいのだろう。



第三夜 お嬢様方、退屈はお嫌いですか

 

地下の図書館には、今日も何も起こらなかった。

 

少なくとも、パチュリーはそう思っていた。

 

本棚の隙間を抜ける風もなければ、窓から差し込む月明かりもない。ここには地上の天気を知らせるものがなく、朝も昼も夜も、外の世界から切り離されたまま過ぎていく。

 

それでも、時計は時を刻んでいた。

 

パチュリーは机に向かい、開いた本の頁をめくった。先ほどから読んでいる魔術書には、古い術式についての記述が続いている。特別に面白いというわけではないが、かといって読むのをやめるほど退屈でもなかった。

 

少なくとも、今のところは。

 

「パチェ、退屈だわ」

 

向かいの椅子から声がした。

 

パチュリーは頁をめくった。

 

「そう」

 

「……それだけ?」

 

「退屈だという報告に、どう返事をすればいいのよ」

 

レミリアは不満げに頬を膨らませた。

 

「少しくらい、主人を気遣ったらどうなの」

 

「退屈を感じるのは貴女でしょう。私が代わりに退屈してあげるわけにもいかないわ」

 

「気持ちの問題よ、気持ちの」

 

「では、気持ちを切り替えたら?」

 

「そういう話をしているんじゃないのよ」

 

レミリアは机に身を乗り出した。パチュリーの本を覗き込もうとしたが、文字が細かいうえに、聞いたこともない術式の名前が並んでいる。少し目を走らせただけで、読む気が失せた。

 

「何を読んでいるの?」

 

「魔術書」

 

「見ればわかるわよ。何の魔術書なのか聞いているの」

 

「古い術式について」

 

「どういう術式?」

 

「今のところ、貴女に説明する必要のない術式ね」

 

「どうして?」

 

「説明したら、貴女は途中で飽きるでしょう」

 

「そんなことないわ」

 

パチュリーは本から顔を上げた。

 

「本当に?」

 

「……たぶん」

 

「ほらね」

 

「まだ何も説明していない!」

 

レミリアは椅子の背に身を預けた。

 

反論したい気持ちはあったが、説明を聞きたいかと改めて問われれば、少し困る。興味がないわけではない。ただ、今はその興味を育てるために必要な手間が、ひどく面倒に思えた。

 

何か面白いことがあればいい。

 

そう思ってここへ来たのだが、面白いことというのは、どうすれば見つかるのだろう。

 

「ねえ、パチェ」

 

「今度は何?」

 

「何か面白いことをしてちょうだい」

 

「嫌よ」

 

「即答ね」

 

「貴女の退屈を解消するために、私が何かをする義務はないもの」

 

「友人でしょう?」

 

「そうね」

 

「だったら?」

 

「友人だからといって、何でもしてあげるわけではないでしょう」

 

レミリアは少し考えた。

 

「……そういうものかしら」

 

「そういうものよ」

 

「ふうん」

 

納得したのか、していないのか。レミリアは椅子から降り、図書館の通路を歩き始めた。

 

本棚はどこまでも続いているように見えた。実際には、図書館にも端はある。けれど、レミリアはその端まで歩いていく気にはならなかった。

 

棚の背表紙を眺める。見覚えのある題名もあれば、読んだことのない本もある。読んだことのない本を手に取れば、ひょっとしたら何かが変わるかもしれない。

 

レミリアは一冊を抜き出した。

 

ぱらぱらと頁をめくる。

 

知らない言葉が目に入った。次の頁にも、その次の頁にも、知らない言葉があった。途中からは図が載っていたが、それも何を示しているのかわからなかった。

 

レミリアは本を閉じた。

 

「難しいわね」

 

「難しい本を選んだのだから、当然でしょう」

 

机の向こうから、パチュリーの声が返ってきた。

 

「聞こえていたの?」

 

「貴女、独り言が大きいもの」

 

「独り言じゃないわ。感想よ」

 

「誰に向けた感想なの?」

 

「図書館に向けてよ」

 

「図書館は返事をしないわ」

 

「だからパチェが返事をしているんじゃない」

 

パチュリーは何も答えなかった。

 

レミリアは本を元の場所に戻した。背表紙の位置を少し間違えたので、隣の本と高さが揃わなくなった。直そうとして、別の本までずらしてしまう。

 

「……もういいわ」

 

「戻しておきなさい」

 

「パチェが直せばいいじゃない」

 

「貴女が動かしたのでしょう」

 

「私が動かしたから、私が直さなきゃいけないの?」

 

「そうよ」

 

「世の中は厳しいわね」

 

「本棚の話よ」

 

レミリアは渋々、本を並べ直した。最後に一冊だけ、どうしても高さが合わない本が残った。何度か位置を調整したあと、ようやく隣の背表紙と揃う。

 

それだけのことだった。

 

けれど、レミリアは少し満足した。

 

「できたわ」

 

「おめでとう」

 

「心がこもっていないわね」

 

「感動するほどの仕事ではなかったもの」

 

「そうかしら。乱れた本棚を元に戻したのよ」

 

「貴女が乱さなければ、元に戻す必要もなかったわ」

 

「始まりがなければ、終わりもなかったということね」

 

「その理屈でいくと、貴女は退屈を解消するために、わざわざ退屈を増やしていることになるわね」

 

レミリアは口を閉じた。

 

しばらくして、彼女は笑った。

 

「いいじゃない。何も起こらないよりは」

 

パチュリーは返事をしなかった。

 

レミリアは再び椅子に戻った。今度は座る前に、座面を手で払った。埃などほとんどついていなかったが、何となくそうしたくなったのだ。

 

「ねえ、パチェ。本を読んでいると、時間が経つのを忘れるの?」

 

「本によるわ」

 

「またそれ?」

 

「何でも一括りにできるわけではないでしょう」

 

「じゃあ、面白い本を読んでいるときは?」

 

「時間が経つのを忘れることもあるわね」

 

「それって、退屈じゃないということ?」

 

「そうかもしれないわ」

 

「でも、時間が経つのを忘れるくらい夢中になっているなら、時間が経ったことに気づかないだけじゃない。退屈がなくなったのかどうかなんて、わからないでしょう?」

 

パチュリーは頁をめくる手を止めた。

 

「……貴女、今日もまた面倒なことを考えているのね」

 

「暇なのよ」

 

「それは知っているわ」

 

「暇じゃなかったら、こんなこと考えないわ」

 

「では、忙しくなれば解決するのではなくて?」

 

「それは違うな」

 

レミリアはすぐに答えた。

 

「忙しいのと、退屈じゃないのは別のことでしょう?」

 

今度は、パチュリーが黙った。

 

レミリアは得意げに笑う。

 

「ほら。私だって、何も考えていないわけじゃないのよ」

 

「ええ。考えた結果、私の読書を邪魔しているわけね」

 

「そういう言い方はないでしょう!」

 

「事実を述べただけ」

 

パチュリーは本に目を戻した。レミリアの言うことには、一理ある。忙しくしていれば、退屈を感じる暇はなくなるかもしれない。けれど、それは退屈が消えたということとは違う。

 

仕事をしている間は、仕事のことを考える。何かを読んでいる間は、その本のことを考える。誰かと話している間は、相手の言葉に耳を傾ける。

 

それぞれの時間に、それぞれの目的がある。

 

目的があることと、満ち足りていることは、同じなのだろうか。

 

パチュリーは、そんなことを考えた自分に少し驚いた。

 

レミリアが持ち込んだ問いは、思いのほか厄介だったらしい。

 

「ねえ、パチェ」

 

「まだ何かあるの?」

 

「パチェは退屈しないの?」

 

「するわよ」

 

レミリアは目を丸くした。

 

「するの?」

 

「どうして驚くのよ」

 

「だって、いつも本を読んでいるじゃない」

 

「本を読んでいれば、何もかも満足するわけではないわ。読みたい本が見つからないこともあるし、読んでいる本が思ったほど面白くないこともある」

 

「それでも読むの?」

 

「途中でやめることもあるわ」

 

「じゃあ、やめたら何をするの?」

 

「別の本を読むこともあるし、何もしないこともある」

 

「何もしない?」

 

「ええ」

 

レミリアは、まるで珍しい生き物でも見るような顔をした。

 

「何もしないで、退屈じゃないの?」

 

「退屈なこともあるわね」

 

「だったら、何かすればいいじゃない」

 

「何かしたいと思わないときもあるでしょう」

 

「……それは、どういう状態なの?」

 

「私に聞かれても困るわ」

 

パチュリーは本を閉じた。

 

「ただ、退屈だからといって、必ず何かをしなければならないわけではないでしょう。退屈している自分に、いちいち対処しなければならないと考えるほうが、疲れると思うわ」

 

「退屈を放っておくの?」

 

「そういうこともあるわね」

 

「退屈は、放っておいたらどこかへ行くのかしら」

 

「知らないわ。どこへも行かないかもしれない」

 

「それじゃ意味がないじゃない」

 

「退屈をなくすことだけが、意味のあることではないでしょう」

 

レミリアは机の上に両手を置いた。

 

「……パチェって、そういうところがあるわよね」

 

「どういうところ?」

 

「何でも、そのままにしておこうとするところ」

 

パチュリーは答えなかった。

 

「わからないことは、わからないままでいい。退屈なら、退屈なままでいい。何かが足りなくても、無理に埋めなくていい。そういう感じ」

 

「勝手な解釈ね」

 

「違うの?」

 

「違うとは言っていないわ」

 

「ほらね」

 

レミリアは椅子の上で足を組み直した。

 

「私は、そういうのは苦手だわ。何かが足りないと思ったら、何かを持ってきたくなるもの。足りないままにしておくなんて、気持ちが悪いじゃない」

 

「何が足りないのか、わかっているならね」

 

「わかっていなかったら?」

 

「何を持ってくればいいのか、わからないでしょう」

 

レミリアは黙った。

 

何かが足りない。

 

そう感じることはある。けれど、それが何なのかを説明しようとすると、途端に言葉が見つからなくなる。紅茶が飲みたいのか、お菓子が食べたいのか、誰かと話したいのか。それとも、ただ何かが起こるのを待っているだけなのか。

 

考えてみても、はっきりしなかった。

 

「……そういうときは、どうすればいいのよ」

 

「さあね」

 

「さあね、って」

 

「わからないもの」

 

「パチェでも?」

 

「私でもよ」

 

レミリアは意外そうにパチュリーを見た。

 

パチュリーは、わからないことをわからないと言うのに、あまり抵抗がない。答えが出ないなら、いったん脇に置いておけばいい。別のことを考えているうちに、答えが見つかることもあるし、見つからないままになることもある。

 

それで困ることも、もちろんある。

 

ただ、答えが出ないというだけで、すべてを投げ出す必要はないと思っていた。

 

「何だか、つまらない答えね」

 

「貴女が何を期待していたのか知らないけれど、私にだってわからないことはあるわ」

 

「そうね。パチェは何でも知っているわけじゃないものね」

 

「当然でしょう」

 

「でも、知っていることはたくさんあるわ」

 

「それも当然ね」

 

「だから、少しくらい教えてくれてもいいじゃない」

 

「何を?」

 

「退屈のなくし方」

 

パチュリーはしばらくレミリアを見つめ、それから小さく息を吐いた。

 

「……紅茶でも飲んだら?」

 

レミリアは瞬きをした。

 

「それで退屈がなくなるの?」

 

「少なくとも、紅茶を飲んでいる間は紅茶を飲んでいるでしょう」

 

「それ、答えになっていないわ」

 

「さっきから、貴女は答えを求めているのか、私に構ってほしいのか、どちらなの?」

 

レミリアは口を開きかけて、閉じた。

 

「……両方じゃ駄目なの?」

 

パチュリーは、わずかに目を細めた。

 

「別に、駄目とは言っていないわ」

 

「なら、いいじゃない」

 

レミリアは、勝ち誇ったように笑った。

 

パチュリーは本に目を戻した。これ以上相手をしていたら、いつまで経っても読書が進まない。けれど、先ほどから同じ頁を開いたままなのだから、もう十分に邪魔はされている。

 

「ねえ、パチェ」

 

「何?」

 

「紅茶が飲みたいわ」

 

「咲夜に頼めばいいでしょう」

 

「今はいないじゃない」

 

「呼べばいいでしょう」

 

「それじゃ、私が退屈していることがばれてしまうわ」

 

「もう十分にばれていると思うけれど」

 

「パチェにだけよ」

 

レミリアは、少し得意げに言った。

 

「だから、パチェが淹れてちょうだい」

 

「私は魔女であって、給仕係ではないのだけれど」

 

「知っているわ。でも、パチェが淹れた紅茶も、たまには飲んでみたいじゃない」

 

パチュリーはレミリアを見た。

 

今度の言葉には、いつものような挑発も、勝ち誇った調子もあまりなかった。単純に、そう思ったのだろう。

 

「……あとでね」

 

「今がいいのに」

 

「本を読んでいるの」

 

「その本、そんなに面白い?」

 

「さっきも説明したでしょう」

 

「じゃあ、読み終わったら?」

 

「紅茶を淹れるわ」

 

「本当に?」

 

「ええ」

 

レミリアは椅子に座り直した。

 

「じゃあ、待っているわ」

 

パチュリーは再び本を開いた。

 

レミリアは黙って待つことにした。何かを始めようとするのはやめた。面白いことを探すのも、退屈をどうにかしようとするのも、ひとまず後回しにした。

 

本を読むパチュリーの手元を眺める。

 

頁がめくられる。紙の擦れる小さな音がする。

 

それだけだった。

 

それだけなのに、レミリアは先ほどよりも、少しばかり落ち着いていた。

 

退屈がなくなったわけではない。紅茶が出てきたわけでもない。面白い話が始まったわけでもなかった。

 

ただ、待つことにした。

 

そのことが、何かを変えたのかもしれない。

 

もちろん、レミリアはそんなことを認めるつもりはなかった。

 

「……パチェ」

 

「何?」

 

「まだ?」

 

「まだよ」

 

「遅いわね」

 

「待つと言ったのは貴女でしょう」

 

「そうだけど」

 

レミリアは、また頬杖をついた。

 

「退屈だわ」

 

「そう」

 

パチュリーは、頁をめくった。

 

 

☆忙しさの行方

 

 

 

「……まだ?」

 

「まだよ」

 

「本当に遅いわね」

 

「貴女が話しかけるからでしょう」

 

「私のせいにするの?」

 

「ほかに誰がいるのよ」

 

レミリアは頬を膨らませた。

 

パチュリーは机に向かったまま、開いた本を読んでいる。先ほどから頁は少しずつ進んでいるが、紅茶を淹れる気配はなかった。

 

「ねえ、パチェ。あとどれくらい?」

 

「わからないわ」

 

「本を読んでいるだけでしょう?」

 

「本を読んでいるから、わからないのよ」

 

「それじゃ、いつまで経っても紅茶が飲めないじゃない」

 

「自分で淹れればいいでしょう」

 

「私はお客様よ」

 

「ここは喫茶店ではないわ」

 

レミリアは机を指先で叩いた。一定の間隔で、こつ、こつ、と音が鳴る。パチュリーは最初のうちは無視していたが、やがてその音が読書の邪魔になり始めた。

 

「……レミィ」

 

「何?」

 

「その指を止めなさい」

 

「退屈なのよ」

 

「知っているわ」

 

「なら、仕方ないでしょう?」

 

「退屈なら何をしてもいいという理屈にはならないわ」

 

「退屈というのは、何をしてもいい時間のことじゃないの?」

 

「初めて聞いたわ、そんな定義」

 

「今、私が決めたのよ」

 

「時々貴女が怖くなるわ」

 

レミリアは指を止めた。代わりに、椅子の上で足を揺らし始める。

 

パチュリーは本を閉じた。

 

「……わかったわ。紅茶を淹れるから、少し待っていなさい」

 

「最初からそう言えばいいのに」

 

「貴女が最初から静かにしていれば、もっと早かったでしょうね」

 

パチュリーは立ち上がり、部屋の隅にある小さな棚へ向かった。そこには茶葉やカップ、必要最低限の道具が置かれている。咲夜が用意してくれるものとは違い、特別な飾りつけもなければ、菓子が添えられることもない。

 

ただ、紅茶を飲むためのものがある。

 

レミリアはその様子を眺めていた。

 

「パチェが紅茶を淹れるところって、あまり見ないわね」

 

「そう?」

 

「いつも咲夜に頼んでいるじゃない」

 

「自分で淹れることもあるわよ」

 

「へえ。どんなとき?」

 

「咲夜がいないとき」

 

「それだけ?」

 

「ほかに理由が必要?」

 

「そうねえ。たとえば、今日は紅茶を淹れたい気分だった、とか」

 

「そんな気分になることは、あまりないわね」

 

パチュリーは湯を用意しながら答えた。

 

「必要だからする。それだけよ」

 

「つまらない答えね」

 

「紅茶を淹れることに、面白さを求めていないもの」

 

「じゃあ、パチェは紅茶を飲んでいても退屈なの?」

 

「どうしてそうなるのよ」

 

「必要だから飲むのでしょう?」

 

「飲みたいから飲むこともあるわ」

 

「必要だからすることと、したいからすることは違うのね」

 

「当然でしょう」

 

レミリアは、何かを考えるように目を細めた。

 

「でも、必要だからすることばかりだったら、つまらなくない?」

 

「そういうこともあるでしょうね」

 

「それでいいの?」

 

「よくないと思うなら、変えればいいのよ」

 

「簡単に言うわね」

 

「変えるのが簡単だとは言っていないわ」

 

パチュリーはカップを二つ用意した。片方を自分の前に置き、もう片方をレミリアの前に置く。紅茶の香りが、静かな図書館に広がった。

 

レミリアはカップを手に取り、ひと口飲んだ。

 

「……悪くないわね」

 

「それはどうも」

 

「でも、咲夜のほうが上手よ」

 

「でしょうね」

 

「悔しくないの?」

 

「何が?」

 

「紅茶を淹れる腕前で負けているのよ」

 

「私は咲夜と紅茶を淹れる腕前を競っているわけではないもの」

 

「競争心がないのね」

 

「競争する必要がないだけよ」

 

レミリアはカップを置いた。

 

「パチェって、そういうところがあるわよね」

 

「また?」

 

「自分が必要だと思わないことには、あまり興味を持たないところ」

 

「そうかしら」

 

「そうよ。私だったら、咲夜より上手に紅茶を淹れられるようになろうと思うわ」

 

「それで、上手に淹れられるようになったら?」

 

「咲夜に勝ったことになるでしょう」

 

「それで満足するの?」

 

「もちろんよ」

 

「そのあと、どうするの?」

 

レミリアは答えに詰まった。

 

「……そのあと?」

 

「ええ。咲夜に勝ったら、それで終わりなの?」

 

「勝ったら、勝ったことを喜ぶわよ」

 

「いつまで?」

 

「いつまでって……」

 

パチュリーは紅茶をひと口飲んだ。

 

「勝ったことが嬉しいのなら、嬉しいうちは満足するのでしょうね。でも、いつかはその気持ちも薄れる。そうしたら、また別のことを始めるのかしら」

 

「そうね。そうするかもしれないわ」

 

「では、次の目標を見つけるまで、また退屈するの?」

 

レミリアは眉を寄せた。

 

「……パチェ、今日は一段と意地悪ね」

 

「質問しているだけよ」

 

「質問の形をした意地悪もあるのよ」

 

「初めて聞いたわ、そんな定義」

 

「今、私が決めたのよ」

 

パチュリーはからかうように笑う。

 

「さっきの根に持ってるのね」

 

レミリアはなんだかおかしくて、どうでもよくなってきた。けれど、さっきの問いは頭の隅に残っていた。

 

何かに勝つ。何かを手に入れる。何かを成し遂げる。

 

そうしたとき、確かに嬉しい。自分が望んでいたものが手に入れば、満たされた気持ちになる。けれど、それがずっと続くかといえば、そうとも限らない。

 

ならば、次を求めるのは悪いことなのだろうか。

 

レミリアには、よくわからなかった。

 

「……咲夜はどうなのかしら」

 

「何が?」

 

「仕事よ。咲夜はいつも仕事をしているでしょう?」

 

「ええ」

 

「仕事を終わらせたら、満足するの?」

 

「本人に聞いてみたらどう?」

 

「今はいないじゃない」

 

「そうね」

 

レミリアはカップの縁を指でなぞった。

 

「咲夜って、忙しいじゃない。私の世話をして、館のことをして、食事の準備をして、掃除をして。毎日、やることが山ほどあるわ」

 

「ええ。よく働いてくれているわね」

 

「でも、やることがなくなったら、どうするのかしら」

 

「休むのではなくて?」

 

「休むって、退屈じゃないの?」

 

「疲れているときは、休むことが必要でしょう」

 

「必要だから休むの?」

 

「それもあるでしょうね」

 

レミリアは納得していない様子だった。

 

「なんだか、みんな必要なことばかりしているのね」

 

「貴女は違うの?」

 

「私は……」

 

言いかけて、レミリアは口を閉じた。

 

自分だって、食事をする。眠る。紅茶を飲む。館の主として決めなければならないこともあるし、誰かと会うこともある。

 

それらをすべて、必要だからしているのだろうか。

 

それとも、したいからしているのだろうか。

 

「私は、やりたいことをやっているわ」

 

「そう」

 

「退屈したら、面白いことを探す。誰かと話したくなったら、話しかける。出かけたくなったら、出かける。それだけよ」

 

「なら、今はどうしてここにいるの?」

 

レミリアはパチュリーを見た。

 

「……ここにいたいからよ」

 

答えは、思ったよりも早く出てきた。

 

パチュリーは、それを聞いても特に何も言わなかった。ただ、紅茶を飲み、カップを机に戻した。

 

レミリアは少し気恥ずかしくなった。

 

「な、何よ。変なことを言った?」

 

「別に」

 

「何か言いなさいよ」

 

「ここにいたいのなら、いればいいでしょう」

 

「それだけ?」

 

「それ以外に、何を言えばいいのよ」

 

レミリアは頬を膨らませた。

 

けれど、今度はすぐに反論しなかった。

 

ここにいたいから、ここにいる。

 

それは、退屈を解消するためとは少し違う気がした。面白いことが起きるかどうかはわからない。パチュリーがいつまでも本を読んでいる可能性だってある。

 

それでも、ここにいたい。

 

その気持ちを、退屈という言葉だけで説明することはできなかった。

 

「……まあ、そうね」

 

レミリアはカップを持ち上げた。

 

「せっかく紅茶を淹れてもらったんだもの。飲み終わるまでは、ここにいてあげるわ」

 

「どうぞご自由に」

 

「それから、もう一杯お願いするかもしれないわ」

 

「自分で淹れなさい」

 

「友人でしょう?」

 

「その言葉を便利に使いすぎではなくて?」

 

二人は、しばらく紅茶を飲んだ。

 

会話が途切れても、レミリアはすぐに何かを言おうとはしなかった。パチュリーも、沈黙を埋めようとはしなかった。

 

紅茶は少しずつ冷めていく。

 

そのことに気づいたレミリアは、カップの中を覗き込んだ。

 

「ねえ、パチェ」

 

「今度は何?」

 

「紅茶って、冷めても紅茶なのよね」

 

「当たり前でしょう」

 

「熱いうちに飲んだほうがおいしいのに、冷めてしまう。なんだか、もったいないわね」

 

「冷めたなら、温め直せばいいじゃない」

 

「そういう問題かしら」

 

「どういう問題なの?」

 

レミリアは考えた。

 

「……わからないわ」

 

「そう」

 

パチュリーはそれ以上、尋ねなかった。

 

レミリアは冷めかけた紅茶を飲んだ。熱いときとは少し違う味がしたが、飲めないほどではない。

 

温め直せば、また熱くなるだろう。

 

けれど、最初に淹れたときとまったく同じになるわけではない。

 

そんなことを考えているうちに、レミリアはふと、地上のことを思い出した。

 

紅魔館の廊下。食堂。広い庭。門の前で居眠りをしている美鈴。仕事に追われている咲夜。どれも見慣れた光景で、普段なら特に気に留めることもない。

 

それでも、そこにはいつも何かがあった。

 

仕事があり、用事があり、誰かの声がする。

 

地下の図書館には、それが少ない。

 

ここでは、何かが起こるのを待っていても、なかなか何も起こらない。

 

だからこそ、レミリアは退屈しているのかもしれなかった。

 

「……咲夜って、退屈しないのかしらね」

 

また同じ問いを口にしてしまった。

 

パチュリーは、今度は答えなかった。

 

そのとき、図書館の扉が開いた。

 

「失礼いたします、パチュリー様」

 

咲夜が立っていた。

 

手には書類の束と、古びた帳簿が一冊。いつものように姿勢は整い、表情にも乱れはない。

 

「あら、咲夜。どうしたの?」

 

「こちらの帳簿について、確認をお願いしたく存じます。倉庫の整理をしておりましたら、古い魔道具の管理記録が見つかりまして」

 

「私に?」

 

「はい。いくつか、記録と現物の名称が一致しないものがございますので」

 

パチュリーは手を差し出した。咲夜は帳簿を渡し、確認してほしい箇所を説明する。

 

レミリアはそのやり取りを眺めていた。

 

「咲夜、忙しそうね」

 

「おかげさまで」

 

「それ、忙しい人はみんな言うのかしら」

 

「さあ、どうでしょう」

 

咲夜は微笑んだ。

 

「ただ、今は少し時間に余裕がございます。こちらの確認が終われば、厨房へ寄り、明日の準備をする予定です」

 

「明日の準備?」

 

「はい。食材の確認と、備品の補充を」

 

「それが終わったら?」

 

「明日の朝の支度を整えます」

 

「それが終わったら?」

 

「そのときに、次に必要なことをいたします」

 

レミリアは、パチュリーを振り返った。

 

「ほらね。やっぱり、次から次へと仕事が出てくるのよ」

 

「咲夜がそういう働き方をしているというだけでしょう」

 

「でも、仕事がなくなったら退屈するんじゃない?」

 

「お嬢様」

 

咲夜が、静かに口を挟んだ。

 

「仕事がなくなったら、そのときに考えます」

 

「……それだけ?」

 

「はい」

 

レミリアは、つまらなそうに視線をそらす。

 

けれど、咲夜の返事は、パチュリーの返事とは少し違って聞こえた。

 

パチュリーは、わからないことをそのままにしておく。咲夜は、まだ来ていない時間について、今から答えを決めようとはしない。

 

どちらも、退屈を恐れているようには見えなかった。

 

「ねえ、咲夜」

 

「はい、お嬢様」

 

「仕事が全部終わったら、何をしたい?」

 

咲夜は少し考えた。

 

「そうですね。ゆっくりお茶を飲むのもよいかもしれません」

 

「それだけ?」

 

「今は、それで十分です」

 

レミリアは黙った。

 

十分。

 

その言葉が、妙に耳に残った。

 

「……ふうん」

 

レミリアは椅子から立ち上がった。

 

「じゃあ、私は出かけるわ」

 

パチュリーが顔を上げる。

 

「どこへ?」

 

「さあ。まだ決めていないわ」

 

「退屈を紛らわせに行くのではなかったの?」

 

「そうよ。だから、何か探しに行くの」

 

レミリアは扉へ向かいかけ、振り返った。

 

「咲夜、ここの用事が終わったら、少しだけ私に付き合いなさい」

 

「承知いたしました。帳簿の確認が済み次第、お伺いいたします」

 

「よろしい」

 

レミリアは満足げに頷いた。

 

「パチェ、紅茶はごちそうさま。悪くなかったわ」

 

「それはどうも」

 

「次はもっとおいしく淹れてちょうだい」

 

「自分で淹れなさい」

 

「考えておくわ」

 

レミリアは笑い、図書館を出ていった。

 

扉が閉まる。

 

咲夜は、レミリアが座っていた椅子を一瞥した。それからパチュリーに向き直る。

 

「……お嬢様は、何をなさるおつもりなのでしょう」

 

「さあね。本人にもわかっていないんじゃないかしら」

 

「そうですか」

 

「退屈を紛らわせるために出かけたそうよ」

 

「それなら、何か見つかるとよろしいですね」

 

咲夜はそう言って、机の上の書類を整えた。

 

パチュリーは帳簿を開いた。

 

「それで、確認してほしい箇所はここね?」

 

「はい。こちらと、こちらです」

 

二人は帳簿の確認を始めた。

 

レミリアのいなくなった図書館には、再び静けさが戻っていた。

 

けれど、さっきまでとまったく同じ静けさではなかった。

 

机の上には、二つのカップが残っている。

 

片方は空で、もう片方には、冷めた紅茶が少しだけ残っていた。

 

 

☆★何もない夜

 

 

 

 咲夜は、机の上に広げた帳簿を一枚ずつ確かめていた。

 

 古い記録は、思っていたよりも手がかかった。魔道具の名称が現在の呼び方と違っていたり、保管場所が変わっていたりする。ひとつ確認するたびに、別の不明点が見つかった。

 

 パチュリーは隣で本を開いていたが、ときおり顔を上げて、咲夜の手元を眺めていた。

 

「何か?」

 

「いえ。ずいぶん熱心だと思って」

 

「仕事ですから」

 

「それは、さっきも聞いたわ」

 

「では、何度でも申し上げます。仕事ですから」

 

 咲夜は顔を上げずに答えた。

 

 パチュリーは小さく息を吐いて、本のページをめくった。

 

「仕事が好きなの?」

 

「嫌いではありません」

 

「好きではないのね」

 

「好きか嫌いかで分ける必要があるのでしょうか」

 

「別に。気になっただけよ」

 

「お嬢様にも、同じことを聞かれました」

 

「そう」

 

 パチュリーはそれ以上、尋ねなかった。

 

 咲夜が仕事をしていることと、咲夜が満足していること。そのふたつが同じなのか、違うのか。考えてみても、今のパチュリーには答えが出なかった。

 

 そもそも、満足とは何だろう。

 

 本を読んでいるとき、彼女は満足しているのだろうか。それとも、まだ知らないことがあるから読み続けているのだろうか。

 

 知りたいことがなくなったら、本を読む理由もなくなるのか。

 

 そんなことを考えているうちに、咲夜が最後の一枚を閉じた。

 

「確認できました。ありがとうございます、パチュリー様」

 

「もういいの?」

 

「ええ。少なくとも、今回の分は」

 

「少なくとも、ね」

 

「すべてを一度に片づけることはできませんから」

 

 咲夜は書類を整え、帳簿を閉じた。仕事を終えたというのに、特別な表情は浮かべなかった。喜んでいるわけでも、疲れ果てているわけでもない。ただ、次にすることを考えている顔だった。

 

「お嬢様を探しに行きます。お誘いを受けましたので」

 

「そう。紅茶はどうするの?」

 

 咲夜の視線が、机の上のカップに落ちた。

 

 片方は空になっている。もう片方には、冷めた紅茶が少しだけ残っていた。

 

「今は結構です。厨房に戻れば、また飲む機会もあるでしょうから」

 

「十分なのね」

 

「何がでしょう?」

 

「紅茶よ。飲みたいと思っても、今は十分だということでしょう」

 

「……そうですね」

 

 咲夜は少しだけ考えた。

 

「今、ここで飲まなくても、困りませんから」

 

「そう」

 

 パチュリーは頷いた。

 

 咲夜は一礼して、図書館を出ていった。

 

 扉が閉まると、再び静かになった。

 

 パチュリーは本に目を落とした。

 

 文字は変わらずそこにあった。さっきまで読んでいた箇所から、何ひとつ進んでいない。咲夜の仕事が終わったことも、レミリアがどこかへ行ったことも、この本には関係がなかった。

 

 それでも、しばらく文字を追っているうちに、彼女は同じ行を三度読んでいることに気がついた。

 

「……退屈ね」

 

 誰に聞かせるでもなく、呟いた。

 

 その言葉は、思ったよりも簡単に口から出た。

 

 パチュリーは本を閉じ、冷めた紅茶を飲み干した。

 

 少し渋かった。

 

 新しく淹れ直すこともできたが、そうする気にはならなかった。

 

 代わりに、彼女は椅子の背にもたれた。

 

 何かをしなければならないわけではない。何かをしたいわけでもない。ただ、しばらくそうしていたかった。

 

 それを満足と呼ぶのか、退屈と呼ぶのか。

 

 今は、どちらでもよかった。

 

     *

 

 レミリアは、廊下の途中で足を止めた。

 

 特に目的があったわけではない。図書館を出てから、館内をあちこち歩いてみた。窓の外を眺め、誰もいない部屋を覗き、途中で見つけた古い絵画に文句をつけた。

 

 それだけだった。

 

 咲夜はまだ来ない。

 

 仕事が終わったら来るように言ったのは自分なのだから、文句を言うのもおかしな話ではある。けれど、待たされるのは好きではなかった。

 

「まったく。忙しいのも考えものね」

 

 そう言ってから、レミリアは首を傾げた。

 

 自分は、何をしているのだろう。

 

 退屈だから図書館を出た。退屈を紛らわせるために歩き回った。けれど、歩き回った先で、特に何かを見つけたわけでもない。

 

 それなら、図書館にいたときと何が違うのか。

 

「お嬢様」

 

 振り返ると、咲夜が立っていた。

 

「遅いわよ」

 

「申し訳ありません。帳簿の確認に、少々時間がかかりました」

 

「もう終わったんでしょう?」

 

「はい」

 

「なら、どこかへ行きましょう。せっかく来たんだから」

 

 咲夜は頷きかけて、ふとレミリアの顔を見た。

 

「お嬢様は、何か見つかりましたか?」

 

「何が?」

 

「退屈を紛らわせるものです」

 

 レミリアは眉を寄せた。

 

「……見つかっていたら、あなたを待っていないでしょう」

 

「それもそうですね」

 

「何よ、その顔」

 

「いえ。お嬢様らしいと思いまして」

 

「褒めているの?」

 

「ご想像にお任せします」

 

 レミリアは鼻を鳴らした。

 

 咲夜と一緒なら、何か面白いことが見つかるかもしれない。そう思ったのは確かだった。

 

 けれど、咲夜の顔を見た途端、別にどこへ行かなくてもいいような気もしてきた。

 

「……やっぱり、いいわ」

 

「よろしいのですか?」

 

「ええ。あなたは仕事の続きでもしていなさい」

 

「帳簿の確認は終わりましたが」

 

「じゃあ、ほかの仕事をすればいいじゃない」

 

「かしこまりました」

 

 咲夜は、それ以上は尋ねなかった。

 

 レミリアは踵を返した。

 

「私は図書館に戻るわ」

 

「承知いたしました」

 

「……あなたは?」

 

「私は厨房へ。明日の準備がありますので」

 

「そう」

 

 それだけ言って、レミリアは歩き出した。

 

 咲夜もまた、反対の方向へ進んだ。

 

 ふたりは別々の場所へ向かった。

 

 それが、今夜のふたりにとっては、ちょうどよかった。

 

     *

 

 図書館の扉を開けると、パチュリーは椅子にもたれたまま、こちらを見た。

 

「おかえり」

 

「ただいま」

 

 レミリアは当たり前のように答え、いつもの席に腰を下ろした。

 

「退屈は紛れた?」

 

「まったく」

 

「そう」

 

「パチェは?」

 

「私も、少し退屈していたところよ」

 

「だったら、ちょうどいいわね」

 

「何が?」

 

「私が戻ってきたこと」

 

 パチュリーは一瞬だけ黙った。

 

「……そうね」

 

 レミリアは満足そうに笑った。

 

 机の上には、空になったカップと、もうひとつの空のカップが並んでいた。紅茶はどちらにも残っていない。

 

「あら。紅茶は?」

 

「飲んだわ」

 

「私の分は?」

 

「貴女が戻ってくるとは限らなかったもの」

 

「ひどいわね。私がここに戻ってくるのは当然でしょう?」

 

「さっきまで、退屈だから出ていったのでしょう」

 

「だから戻ってきたのよ」

 

「理由になっていないわ」

 

「理由なんて、必要ないでしょう?」

 

 パチュリーは返事をしなかった。

 

 レミリアは机に頬杖をつき、彼女の読んでいた本を覗き込んだ。

 

「何を読んでいたの?」

 

「貴女が出ていってから、ずっと同じところよ」

 

「面白くないの?」

 

「そういうわけではないわ」

 

「じゃあ、どうして進まないの?」

 

「……貴女が戻ってきたからじゃないかしら」

 

 レミリアは目を丸くした。

 

 それから、楽しそうに笑った。

 

「そう。私のせいなのね」

 

「ええ。そういうことにしておきましょう」

 

「ふふん。なら、責任を取ってあげるわ」

 

「どうやって?」

 

「話し相手になってあげる」

 

「それは、私が頼んだことだったかしら」

 

「今、頼みたくなったんでしょう?」

 

「素敵な考え方ね」

 

「吸血鬼だからね」

 

「関係ないでしょう」

 

 レミリアは笑い、椅子の上で姿勢を整えた。

 

「ねえ、パチェ。何か話しなさいよ」

 

「貴女が話したいことがあるのではなくて?」

 

「私は聞く側でもいいのよ」

 

「珍しいわね」

 

「たまにはね」

 

 パチュリーは本を閉じた。

 

 話すことなら、いくらでもあった。読みかけの本のことでも、魔法のことでも、館の中で起きた些細な出来事でもいい。

 

 けれど、今すぐ話したいことは、特になかった。

 

「……何もないわ」

 

「そう」

 

 レミリアは、少しも残念そうではなかった。

 

「じゃあ、何もない話をしましょう」

 

「何もない話?」

 

「ええ。何も起こらなかったこととか、何も見つからなかったこととか。そういう話よ」

 

「それは、話になるのかしら」

 

「なるわよ。私たち、いつもそうしているじゃない」

 

 パチュリーはレミリアを見た。

 

 それから、ほんのわずかに口元を緩めた。

 

「……そうね」

 

 ふたりのあいだに、しばらく沈黙が落ちた。

 

 レミリアは何かを思いついたように口を開きかけ、やめた。パチュリーは本を開き直したが、すぐに読むのをやめた。

 

 話は始まらなかった。

 

 それでも、レミリアは席を立たなかった。

 

「パチェ」

 

「何?」

 

「明日は、何か面白いことがあるかしら」

 

「知らないわ」

 

「そうよね」

 

 レミリアは椅子の背にもたれた。

 

「まあ、明日考えればいいわ」

 

「そうね。明日になったら、明日の退屈があるでしょうし」

 

「……それ、少しも慰めになっていないわよ」

 

「慰めたつもりはないもの」

 

「本当に、あなたって魔女ね」

 

「今さらね」

 

 レミリアはくすくすと笑った。

 

 図書館には、相変わらず何も起こらなかった。

 

 本は本棚に収まり、机には空のカップがふたつ並んでいた。咲夜は厨房で明日の準備をしているだろう。廊下の向こうでは、誰かが扉を閉めた音がした。

 

 夜はまだ続いている。

 

 レミリアは、もう一度だけ「退屈だわ」と呟いた。

 

 今度は、パチュリーも否定しなかった。

 

 退屈であることと、ここにいたいことは、きっと両立する。

 

 けれど、それをわざわざ口にする必要はなかった。

 

 レミリアは椅子に座り、パチュリーは本を開いた。

 

 何もない夜は、何もないまま、ふたりのあいだに置かれていた。




 退屈とは、いったい何なのでしょう。何もすることがないから退屈なのか、それとも、何かをしていても満たされないから退屈なのでしょうか。

 ところで、次回は私がメインだそうです。ドキドキしてしまいます、なんて。言ってみたかっただけですよ。
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