三大欲求は元素に勝る 作:無路
この世界には元素というものがある。
世界を構築する基本的エネルギーと言われており、種類は七つ。炎、水、氷、雷、風、岩、草。普通の人間は操ることはできないが、神の目っていう特殊な道具を持ってると火が出せる。水を放射したり暴風を巻き起こしたり雷を飛ばしたり、魔法使いになった気分を味わうことができる。
もっとも、神の目というのは万能じゃない。一つにつき使えるのは一元素が基本で、複数個持っている人は見たことがない。多分、あっちこっちの神様から授かるのは無理なんじゃなかろうか。
神の目は与えてくれる神によって属性が異なる。
与えてくれるって言っても世界の仕組み的に自動化されているようで、気に入った人間を選んで与えているわけではないのだとか。全ての神様に聞いたことがあるわけではないが、聞いて回ろうとは思わない。ぶっちゃけそこまで興味ないからだ。労力は半端なくかかるだろうし、そんなことしてる暇があるなら他にやることは山ほどあるのだ。
「血だらけじゃない。何よそれ」
「ブリの刺身です」
「……」
優雅な出で立ちの女性が後ずさった。
客船の
「刺身って言ってもまだ未完成ですけどね。まだまだこれからですよ」
まな板の上。
死んだ魚の目の死んだ魚が横たわっている。
次は頭とカマを落として、水気を切って、綺麗に綺麗にしてあげて、やることは山ほどある。なにせ生で食そうというのだから、きっちりと下処理をしないと食あたりの原因になってしまう。
コイツは茹でても焼いても食べられるが、今日は刺身が食べたいのだ。だから捌く。ついでに上司にも食べてもらおうと思っていたのだが、あからさまに引いていらっしゃるご様子。
「あんた、生臭い」
「コイツはそこまでじゃないですよ。生臭い魚はもっと他にもいますって」
「見た目が生臭いって言ってんのよ。それ。魚の体液まみれになってる両手。見てるだけで生臭い」
「生臭い生臭い言わないでくれますか……ロザリン様」
つい最近、仮の上司から正式に直属の上司になった女性(年齢不詳)、ロザリン・クルーズチカは空虚な瞳でこっちを見ている。
端的に美女である。しかし年齢不詳。聞いてはいけない。彼女はウェーブかかった白金の長髪に指を通し、わしゃわしゃ。はぁーっ、と呆れたため息が聞こえてきた。顔の半分近くを覆っている仮面は今日も健在である。アレを取ると大変なことになるらしい。
「まあいいわ。出来上がればどうせ美味しいんだろうし、過程は見なかったことにすればいい。そんなことよりあんた、昨日から副官にしたから。よろしく」
しなやかな腕が壁に伸びていき、人差し指がとんとんと音を鳴らした。さて初耳なんだが、副官ってなんの話だ。俺は今回の遠征に同行するよう言われただけで、てっきり食事担当(肉壁を兼ねる)かと思ってたのに。
「副官?」
「そう。まさか意味がわからないとか言わないわよね。頭の出来は悪くないはずだから、詳しい説明は省くから。よろしく」
「よろしくと言われましても、いきなりそんな要職あてがわれても……」
この世界にやって来てウン十年。眠っていた期間を合わせると桁が増える。
俺、シア・レインドットがこの世界、テイワットに来たのはもう何百年も前のことだ。昔いた世界ではマクドナルドっていう飲食店で勤務経験があり、刺身は全く関係がない。例のピエロのデザインをこっちの世界でも作ってみたが、超不評だった。解せぬ。
とにかく、俺は別の世界からやってきた。今に至るまで結構な時間を過ごしてきたが、その間、俺がやってきたことといえば大体ほとんど睡眠だ。寝てた。封印されてたって言い方の方が妥当かもしれない。目覚めてからの日々ではひょんなことから怪しい組織に拾われ、戦いと料理に全力を注いできた自負がある。
なお、大部隊の副官なんてやったことない。もちろん指揮官の座についたこともない。
おまけに威厳もない。論理的思考をもって相手を丸め込むとかも無理。集団戦術を学んだこととかともないし、副官とか無理だと思うのだが、この部隊においてロザリン様は絶対である。
「俺にできるのは戦うことと、簡単な料理を作るくらいのものです。何の力にもなれませんよ」
「やりな」
「いやでも」
「やれ」
「……」
俺は「はい喜んで」と心の中で唱え、頷いた。
どんだけ人材不足なんだこの部隊、と他の構成員達に対して疑問を抱きながら。
さて今更だが、俺の所属先は『ファデュイ』なる謎も怪しさも満点の組織だ。北の大国スネージナヤが擁する外交使節団として、各国に赴き色々と
◇
「美味しいわねこれ」
日が暮れた。
ブリの刺身がお気に召したようで、ロザリン様のご機嫌度が少し上がった。悪女の顔での嘲笑ではなく限りなく自然な微笑みである。
「ぶホホホホホ、凍ってしまうよ〜」
「おいロッペリドーネ、刺身を凍らせるんじゃないよヤメロアホ!」
『はぁ♡ あっ♡ んぅ♡』
「隣で喘ぐなヴァシニーサ! くっ……温度が、低いっ」
構成員達は、うるさい。
冷気を撒き散らす丸っこい改造人間(超重量)と彼にツッコミを入れる改造人間(兎っぽい)。名前はそれぞれロッペリドーネとザッツァリヴァ。喘いでる紫色のボディスーツはヴァシニーサというお姉さんだ。年中病んでいて、たまに勢い余って身投げしそうになる癖がある。三大欲求を与えてあげないと本気で危ない、放っておけないタイプだ。
「あんたたち、うるさい。喧しいからさっさと食べて出ていって」
「シニョーラ様、そっ、そんなぁ……心が凍ってしまうよ……ブぺぺぺぺ」
「温度が……低いっ」
『あぁ……私、消えていく』
「
シニョーラとはコードネームである。ファデュイに十一人いる執行官の一人、第八位『
「いいじゃないですか。食事は大勢の方が楽しいですし……たしかに少し賑やかすぎますけど」
「はぁ? うだうだ言ってんじゃないわよ。もういいわ。あんたら、消えたい奴がいたら残っていいわ。それ以外は出てきなさい。もうたらふく食べたでしょ。夕食会はお開きよお開き」
ロザリン様が睨みをきかすと、皆さんは我先にと出口に向かって走り出した。いやなんか言えよ。なんで無言なんだ貴方達は。
『はひぃ♡』
無言じゃなかった。無意味に喘いでる人いたわ。
くびれた腰から下をフリフリしてるのが無意味に卑猥だが、今ここでそんなことされても困る。ロザリン様の前で欲情なんかできるか。俺は何を真面目に考えているのだろう。
「あいつら、査定はマイナスね。500モラ罰金。給与から引いておくから」
「500モラ……優しいですね」
「差し引きマイナスってことよ」
なるほど。わかったような、よくわからないような。深堀りするのはやめておこう。この人は基本的に野暮を嫌う。
「それじゃ、真面目な話よ。まずはモンドと稲妻、後は
ロザリン様は喋りながらボトルを差し出してきた。
つげ、ということだろう。俺は紫色のボトルを受け取り、彼女のグラスになみなみ注ぐ。切れ長の美しい瞳の中で、ワインがぽちゃりと水面に落ちた。
「神の心の回収。それも三国まとめてですか。でも、璃月は『
俗世の七執政と呼ばれる神々──テイワット各国の神が所持している『神の心』の回収。
それは、ファデュイが掲げている大きな目的のひとつだ。スネージナヤを治めている女皇陛下──氷の女皇の命である。
神の心とは、簡単に言うと神の目よりも上位にあたる元素制御装置である。しかしそれだけではない。俺の父親によれば、『世界を変えてしまうほどの
「公子は放っておいていいわ。あんたはあたしのことだけ考えていればいい。あたしが何を考えているか常に思考してなさい。大体のことはそれで上手くいくわ」
それはつまり、上司の考えを読んで先回りして行動しろってことか。それは努力するけども、この人は思考回路が加虐的なことが多いからなぁ……。フォローしないとガンガン死人が出ることになるかも。となると俺はボロ雑巾になる可能性が高いわけで、今から胃がヒリヒリしてくる。
あんまり悪辣な手段に出るようなら
「まずはどこに行こうかしら。モンドは最後でいいわね。どうせ取るに足らない国だもの」
「おおせのままに。囲ってもらった恩もありますし、俺はどこにでもお供しますよ」
「そうね。おかげで
ロザリン様は唇で三日月を描いた。まさに悪女、いや魔女のごとくの冷笑である。
俺は暗い地平線を見つめてたそがれた。この人のことは素敵な人だとは思っているが、こういう展開は期待してたのと大分違う。
何を隠そう、俺は
めちゃくちゃ痛い。そんなことはわかっているが、異世界っていえば勇者だろ。もしくは英雄。魔王を倒してハーレムエンドだ。全員に一途なら不誠実ではないという自分理論で頑張っていくつもりだったのだが、気がついた時にはこれだ。
「あなたの手を煩わせないように、出来る限り穏便に物事を」
「ええ、それでも構わないわよ。でもね、虫けら全てに慈悲なんてかけていられないわ。必要とあらば躊躇なんてしないで、踏み潰しなさい」
「……」
「ていうかあんた、まだそんな甘っちょろいことを抜かしているの? 何度も言っているけど、この世界は神も人間もクズだらけよ。腐っているの。だったら焼き払っても問題ない。むしろ、そうすべきでしょう──そうすべきよ」
ロザリン様は笑っているが、目は笑っていない。
この御方は憎しみの権化である。その根源にあるのは喪失だが、きっと昔の気持ちとかそういうのは殆ど忘れてしまっている。
「どうしてそこまで言えるんですか?」
「あたしは何もおかしなことは言っていない。正論。ド正論だと思うけど?」
彼女は数百年前に生まれ、今はもう別人と言っても良いほどに変貌した。
長すぎる歳月は忘却を生んだ。沢山の事を忘れていく中で残ったのは、喪失の痛みと怒り、そして身を焼くほどの憎しみだったという。
なんとも悲しいことだ。負の感情だけが増幅して燻り続けているなんて、見るに堪えない。
「腐ったものは燃やさないといけない。燃やし尽くすにはこの世界は広すぎるけど、でもいいのよ。陛下が目指している未来の先に、あたしが求めているものはあるんだから。そこに向かう。あんたはその手助けをしなさい」
「もちろん。手助けはしますよ。全て燃やし尽くしたいとは思いませんけどね」
ほんと、どうしてこうなってしまったんだろうか。
まさかの悪の組織(少なくとも他国の一般の方々からすれば悪でしかない)で悪女の配下。思ってたのと違う。違いすぎる現実だった。