世界樹から実ったハイエルフ(中身は元社畜)、八百年ぶりの上位種として崇められていますが、人間の町でのんびり暮らしたいだけです 作:月白イツキ
最後に覚えているのは、監視モニターに出た赤いアラートだ。
深夜二時、データセンターの冷えた床。三日ぶりに家へ帰れるはずだった夜に、障害通知が飛んできた。再起動して、ログを追って、また再起動して――ああ、なんか胸が痛いな、と思ったところで記憶は途切れている。
で。
目が覚めたら、木の実の中だった。
……いや、本当にそうとしか言いようがないのだ。
周りは薄緑色の柔らかい壁だ。ぼんやりと光が透けていて、ほのかに甘い匂いがする。体を丸めた姿勢のまま、俺はしばらく天井らしきものを眺めていた。
病院じゃない。棺桶でもない。 たぶん、木の実だ。勘だけど。
「…………」
とりあえず手を伸ばして、壁を押してみる。
ぺき、と乾いた音がした。
ひびが走る。光が差し込む。押したところから殻がぱらぱらと剥がれていって――
「お、おお?」
足元の殻が、まるごと抜けた。
浮遊感。
そして、背中から地面に落ちた。
「……っ、いってぇ……」
思わず漏れた声に、自分で驚いた。
高い。やけに澄んでいる。三十二年付き合ってきた徹夜明けのガラガラ声とは、似ても似つかない。
視界の端で、何かがさらりと揺れた。髪だ。月の光を糸にしたような、長い銀髪。地面についた手は白くて細く、指先まで妙に整っている。
ああ、なるほど。
これ、あれだ。転生ってやつだ。
ネット小説で百回は読んだ。読みながら「こんな状況で冷静でいられるかよ」と思っていたけど、実際にその立場になると、人間は案外冷静になれるらしい。たぶん驚きすぎて、脳が処理を後回しにしているだけだろうが。
体を起こす。
着ているのは、薄い緑色の衣だった。さっきまで俺を包んでいた実の内側の薄皮が、そのまま布みたいに体に沿っている。どういう原理だ。まあいい。裸じゃないなら上等だ。
それから、顔を上げて。
俺は、言葉を失った。
木があった。
いや、「木」という言葉で括っていいのか分からない。幹の太さは目測で……測れない。ビルを何十本も束ねたような幹が、空に向かってどこまでも伸びている。枝葉は雲の高さで広がり、天井みたいに空を覆っていた。その隙間から落ちてくる光が、金色の粒になって漂っている。
そして、その根元。
俺の周りをぐるりと取り囲むようにして――
数百人が、平伏していた。
伏せた頭から覗く耳が、長く尖っている。
エルフだ。
数百人のエルフが、額を地面に擦りつけて、ぴくりとも動かずにいる。
「…………え」
え、なにこれ。
誰も何も言わない。風が葉を揺らす音だけが聞こえる。いや、よく聞くと、ところどころから押し殺した嗚咽が漏れている。泣いてる。何人も泣いてる。
俺、何かやった? 落ちただけだけど?
『おきた』
不意に、耳元で声がした。
『おきた』『おきたね』『ひさしぶり』『ひさしぶり!』
振り向くと、光の粒がいくつも、俺の周りを跳ねるように飛んでいた。さっき木漏れ日だと思っていたやつだ。よく見ると一つ一つが小さく脈打っていて、まるで生き物みたいに――いや、生き物なんだろう。声はそこから聞こえてくる。
『ねえねえ』『あそぼ』『なまえは?』『なまえ!』
「ちょ、待って、近い近い」
顔の周りに群がってくるので、手で払う。光の粒はきゃっきゃとはしゃぎながら散って、またすぐに寄ってくる。小学生の群れか。
その瞬間。
平伏していたエルフたちが、一斉にざわめいた。
「せ、精霊様と……」 「言葉を交わしておられる……!」 「おお……おお……!」
なんか、さらに泣き声が増えた。
なにこれ。
混乱していると、エルフたちの最前列から、一人の女性がゆっくりと顔を上げた。
二十代半ばくらいに見える、ひどく綺麗な人だった。蜂蜜色の長い髪に、白と金の刺繍が入った儀式服。頭には蔦を編んだ冠。いかにも「巫女です」という格好だ。
その翡翠色の目から、ぼろぼろと涙がこぼれていた。
「……お、おかえり、なさいませ」
震える声で、彼女は言った。
「大樹アルヴ・オルドに、八百年ぶりの実りがありました。わたくしどもは……わたくしどもエルフは、この日を、ずっと、ずっと……」
最後まで言えずに、彼女はまた額を地面につけた。肩が震えている。
八百年。
聞き違いじゃなければ、八百年って言った。
「えっと……すみません、状況がよく分からないんですけど」
とりあえず、社会人として丁寧語で話しかけてみる。
巫女さんがびくりと顔を上げた。
「わ、わたくしどものような者に、そのようなお言葉遣いを……っ」
あ、だめだこれ。何を言っても恐縮されるやつだ。
「……あの、お名前を伺っても?」
「は、はいっ! わたくしは、大樹の巫女を務めております、セレスと申します!」
「セレスさん。俺……私は、その、何なんでしょう」
「俺」と言いかけて引っ込めた。この空気で「俺」は、ちょっと浮く気がした。
セレスさんは、まっすぐに俺を見て答えた。
「貴方様は、ハイエルフであらせられます」
ハイエルフ。
ゲームなら、だいたい最上位の種族だ。エルフの上位互換で、魔力が高くて、長生きで、たいてい森の奥でふんぞり返っている。
「大樹より直接お生まれになる、我らエルフの祖。精霊と言葉を交わし、千年の時を生きる御方。……最後の御方が大樹へお還りになってから八百年。わたくしどもは、ずっと次の実りをお待ちしておりました」
そう言って、セレスさんはまた深々と頭を下げた。後ろの数百人も、それに倣う。
……重い。
いや、重いよ。生まれて五分で、八百年分の期待を背負わされてるんだけど。
『りあ?』
また精霊が耳元で言った。
『りあ』『りあだ』『なまえ、りあ?』
「……は?」
『まえのこが、そうよぶっていってた』『そう』『りあ』
前の子?
聞き返そうとしたけれど、精霊たちはもう別の話題に移っていた。『あそぼ』『あそぼ』。完全に小学生だ。
「――畏れながら」
セレスさんの声に、意識を引き戻される。
「御名を、お授けしてもよろしいでしょうか。古き習わしにより、わたくしども大樹の巫女が八百年かけて定めた御名がございます」
八百年かけて。名前を。
「……どうぞ」
断れる空気ではなかった。
セレスさんはすっと背筋を伸ばし、朗々と歌うように告げた。
「アウレリア=イル=シルヴェーヌ=アルヴ・オルド=エル=ファルナ」
長い。
「……ええと、もう一回いいですか」
「アウレリア=イル=シルヴェーヌ=アルヴ・オルド=エル=ファルナ、でございます。『黄金の光にして銀の森、大樹より出でし永遠の葉』を意味いたします」
無理だ。覚えられない。名乗るたびに息切れする。
さっき精霊が言っていた「りあ」が、頭をよぎった。アウレリアの、リア。
「じゃあ……リアで」
「――え?」
「長いので、普段はリアって呼んでもらえると助かります」
しん、と静まり返った。
あ。まずかったか。八百年かけた名前を三秒で略すのは、さすがに失礼だったか。
セレスさんの肩が、小刻みに震え始める。
やばい。怒らせた。謝ろう。
「す、すみません、せっかく考えていただいたのに――」
「なんと……」
セレスさんは、両手で口元を覆っていた。
その目は、さっき以上に潤んでいた。
「なんと、謙虚な……! 我ら卑小なる者が呼びやすいようにと、御自ら御名を縮められるとは……!」
「いや、そういう意味じゃ」
「皆の者! 聞きましたか! リア様は、我らのために――」
おおお、と数百人分のどよめきが森を揺らした。泣き声がさらに増えた。
違う。俺はただ、長い名前が面倒なだけだ。
――結局、その後。
俺は「御身を地に触れさせるわけには参りません」とかいう理由で、豪華な輿に乗せられることになった。
もちろん断った。自分で歩けますと言った。実際に歩いてみせた。
しばらく歩いたところで、息が切れた。
「はっ……はぁ……っ、な、なんで……」
坂道ですらない。ただの平らな森の道だ。なのに膝が笑って、心臓がばくばくいっている。前世で三日徹夜した後の体より、弱いかもしれない。
「ハイエルフの御身は、大樹と精霊の力でできておりますゆえ……地を歩むようには、作られておらぬのです」
セレスさんが、申し訳なさそうに、でもどこか誇らしげに説明してくれた。
つまり、虚弱ってことだ。
俺は黙って輿に乗った。
揺られながら連れて行かれた先は、大樹の根元に建てられた白い神殿だった。
八百年前から、この日のために手入れされ続けてきたという。磨き上げられた石の床。花の香りのする香。俺の背丈の何倍もある扉。奥に置かれた、どう見ても玉座にしか見えない椅子。
「本日より、リア様にはこちらでお過ごしいただきます」
「……本日より、っていうのは、いつまで?」
セレスさんは、心底不思議そうに首を傾げた。
「いつまで、とは……? ここはリア様のための御座所。永遠に、でございます」
永遠に。
ハイエルフは千年生きる、とさっき言っていた。
千年。この部屋で。この空気の中で。毎日、数百人に拝まれながら。
「…………」
窓の外では、精霊たちが楽しそうに飛び回っていた。
『りあ、どうしたの』『げんきない』
一匹が窓をすり抜けて、俺の肩にとまる。小さな光が、ぽわぽわと明滅した。
『まえのこも、そういうかおしてた』
その言葉の意味を聞き返す前に、精霊はまたふわりと飛んでいってしまった。
俺は玉座みたいな椅子に、深々と沈み込んだ。
前世の会社も大概だったけど。
――ここ、たぶん前世よりブラックだ。