世界樹から実ったハイエルフ(中身は元社畜)、八百年ぶりの上位種として崇められていますが、人間の町でのんびり暮らしたいだけです   作:月白イツキ

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第9話 三毛猫と、腹ぺこの子

『こっち』『こっちだよ』『もうちょっと』

 

精霊たちの「もうちょっと」を、俺はもう信用していない。

 

案の定、猫の居場所は町の南の外れだった。ギルドから歩いて二十分。この体には、ちょっとした遠足だ。

 

南区は、町の中心とはずいぶん様子が違った。

 

家がだんだん小さく、古くなっていく。漆喰が剥げた壁。傾いた屋根。路地には生ゴミの匂いが漂っていて、痩せた犬が物陰からこっちを見ていた。

 

『あそこ!』

 

精霊が指したのは、古い倉庫の裏手だった。

 

倉庫と隣の家の間に、高い石塀がある。その上、日の当たる一番いい場所に、三毛猫が一匹、香箱座りで目を細めていた。

 

首に、赤いリボンが巻いてある。依頼書に書いてあった特徴と同じだ。

 

ミーシャだ。

 

「……見つけた」

 

そして、問題に気づいた。

 

塀が高い。俺の背丈の倍はある。

 

登れるわけがない。この細い腕で、自分の体を持ち上げられるとは思えない。

 

どうしたものかと見上げていると、塀の向こう側から、がさがさと音がした。

 

小さな手が、塀の上の縁をつかむ。

 

それから、ぼさぼさの茶色い頭がひょっこりと現れた。

 

子どもだった。器用に塀の上によじ登って、猫の方へじりじりと這い寄っていく。

 

見覚えのある顔だった。

 

昨日の夜、跳ね鹿亭の窓の外に立っていた子だ。

 

「あっ」

 

俺が声を上げると、子どもはびくっとこっちを見下ろした。それから、警戒した野良猫みたいな目つきで、俺を睨んだ。

 

「……なんだよ」

 

「えっと、その猫」

 

「おれが先に見つけたんだ!」

 

子どもが叫んだ瞬間、三毛猫が耳をぴんと立てた。

 

そして、あっという間に塀から飛び降りて、倉庫の屋根の上に逃げていった。

 

「あっ、くそっ!」

 

子どもも、慌てて屋根に飛び移ろうとする。だけど猫の方が圧倒的に速い。屋根の端まで逃げた三毛猫は、こっちを振り返って、ふん、と鼻を鳴らした。

 

子どもは屋根の手前で立ち往生して、悔しそうに唇を噛んでいた。

 

「……仕立て屋の婆さん、猫を見つけたら礼をくれるって言ってたんだ」

 

ぽつりと、子どもが言った。

 

「ギルドの依頼になってるってのは知ってる。でも、おれ、ギルドには登録できねえから。十二にならないと、だめなんだって。だから、直接婆さんに届けたら、なんかくれるかと思って……」

 

俺は、屋根の上の三毛猫と、塀の上の子どもを、交互に見上げた。

 

「……じゃあ、さ」

 

「なんだよ」

 

「一緒に捕まえない? 報酬は、半分ずつで」

 

子どもが、目をぱちくりさせた。

 

「……は?」

 

「私はギルドに登録してるから、報酬をちゃんと受け取れる。君は猫の居場所を見つけて、塀に登れる。私は登れない。だから、協力したら、ちょうどいいかなって」

 

子どもは、しばらく俺の顔をじっと見ていた。

 

疑っている目だった。大人が、何の得もなく優しいことを言うわけがない。そういう目だ。

 

「……半分って、いくら」

 

「報酬は銅貨五十枚だから、二十五枚」

 

子どもの喉が、ごくりと鳴った。

 

*

 

とはいえ、問題は解決していなかった。

 

三毛猫は相変わらず倉庫の屋根の上で、のんびり毛づくろいをしている。子どもが近づこうとすると、するりと逃げる。完全に遊ばれていた。

 

「くそっ……あいつ、すばしっこいんだよ……」

 

三度目の失敗で、子どもが塀の上にへたり込んだ。

 

俺は、小声で肩の上の精霊に話しかけた。

 

「なあ。猫を、こっちに呼べたりしない?」

 

『よぶ?』『ねこ、よぶの?』

 

「怖がらせないように。そっとな」

 

『わかった』『ひなた、つくる』

 

精霊が、ふわりと俺の足元に降りてきた。

 

すると、俺の座っている石段のあたりだけ、なんだかぽかぽかと温かくなった。春の日だまりみたいな、ちょうどいい温かさだ。どこからか、干した魚みたいないい匂いまで漂ってくる。

 

……いや、魚の匂いはどこから出してるんだ。

 

屋根の上の三毛猫が、ぴくりと鼻を動かした。

 

こっちを見る。

 

少し迷うように首をかしげてから、するすると屋根を降りてきた。塀を伝って、地面に降りる。とことこと俺の方へ歩いてくる。

 

そして、俺の膝の上に、すとんと乗った。

 

ごろごろと喉を鳴らしながら、丸くなる。

 

「…………」

 

塀の上で、子どもが口をぽかんと開けていた。

 

「……なんで」

 

「えっと」

 

俺は、膝の上の温かい塊を撫でながら、目を逸らした。

 

「動物に、好かれる体質なんだ」

 

嘘ではない。たぶん。

 

*

 

仕立て屋のお婆さんは、ミーシャを見るなり泣いて喜んだ。

 

依頼書に完了の署名をもらって、ギルドに報告する。ペトラさんは「早いですね」と眠そうに驚いて、銅貨五十枚を渡してくれた。

 

ギルドの外に出ると、さっきの子どもが、入口の脇の壁にもたれて待っていた。

 

逃げられると思っていたのかもしれない。俺が出てきた瞬間、ほっとしたような、でも警戒を解いていないような、複雑な顔をした。

 

「はい、半分」

 

銅貨を二十五枚、数えて、小さな手のひらに載せた。

 

子どもは、手の中の銅貨を、穴が開くほど見つめていた。

 

「……なんで」

 

「なんでって、約束したから」

 

「猫、捕まえたの、あんただろ」

 

「見つけたのは君だよ」

 

本当は、見つけたのは精霊だけど。

 

子どもは、何か言い返そうとして、口を開けて、閉じた。それから、銅貨をぎゅっと握りしめた。

 

その時。

 

ぐうううう、と、ものすごい音がした。

 

子どもの腹からだった。

 

子どもの顔が、みるみる赤くなった。

 

俺は、ちょっとだけ笑ってしまった。

 

「……串焼き、食べる?」

 

*

 

市場の、昨日と同じ屋台だった。

 

「親父さん、二本」

 

「お、昨日の泣き虫のエルフの嬢ちゃんか。あいよ」

 

泣き虫って覚えられている。

 

串を一本、子どもに渡す。子どもはそれを、ひったくるように受け取った。

 

それから、がつがつと食べ始めた。

 

熱さも気にしないで、口いっぱいに肉を頬張る。噛む。飲み込む。また頬張る。目が少し潤んでいた。たぶん熱いからだ。たぶん。

 

俺は、自分の分の串を持ったまま、その様子を眺めていた。

 

昨日の俺も、たぶんこんな顔をしていたんだろう。

 

マルタさんは、これを見て笑っていたのか。

 

分かる気がした。人がうまそうに食べているのを見るのは、悪くない。自分が食べるのと同じくらい、いや、もしかしたらそれ以上に、悪くない。

 

「……これも食べる?」

 

自分の串を差し出すと、子どもは一瞬だけ迷って、それから受け取った。

 

二本目も、あっという間になくなった。

 

*

 

「トビ」

 

石段に並んで座っていると、子どもが、ぼそっと言った。

 

「おれの名前。トビ」

 

「リア」

 

「知ってる。エルフの姉ちゃんだろ。町中で噂になってる」

 

「……噂?」

 

「魔力ゼロで、エルフの里を追い出されたんだろ」

 

広まるの、早いな。

 

半日だぞ。

 

「……まあ、そんなところ」

 

もう、訂正する気力もなかった。

 

トビは、ふうん、と鼻を鳴らした。それから、膝を抱えて、遠くを見た。

 

「おれも、似たようなもん」

 

「似たような?」

 

「婆ちゃんが死んだ。去年の冬」

 

トビの声は、淡々としていた。

 

「本当の婆ちゃんじゃねえよ。おれ、親いねえし。道で寝てたら、拾ってくれた婆ちゃん。南門の近くで、縫い物の内職やってた」

 

「……」

 

「婆ちゃんの家、今は空き家になってる。大家がまだ気づいてねえから、そこで寝てる。見つかったら、たぶん追い出される」

 

そこまで話して、トビは急に、むっとした顔になった。

 

「別に、かわいそうとか思うなよ。おれ、来年十二になったらギルドに登録して、冒険者になるんだ。そしたら、自分で稼げる」

 

「冒険者に?」

 

「マルタみたいな、強い冒険者」

 

トビの目が、ほんの少しだけ輝いた。

 

「あいつ、この町で一番強いんだぜ。去年、町の近くに出た大猪、ひとりで倒したんだ。でっけえ剣で、こう、ばーんって」

 

身振り手振りで話すトビは、さっきまでの野良猫みたいな顔じゃなくて、ちゃんと十一歳の子どもの顔をしていた。

 

俺は、何と言えばいいのか分からなくて、ただ「そっか」とだけ言った。

 

*

 

夕方、トビは南区の方へ帰っていった。

 

別れ際に、一度だけ振り返った。

 

「……リア姉ちゃん」

 

「ん?」

 

「明日も、猫探し、ある?」

 

掲示板に、猫探しの依頼は一枚しかなかった。

 

でも、たぶん、何かしらの依頼はあるだろう。

 

「……あるといいな」

 

トビは、少しだけ笑った。それから、路地の向こうへ走っていった。

 

肩の上で、精霊たちがぽわぽわと明滅していた。

 

『トビ、いいこ』『おなか、いっぱいになった』

 

「そうだな」

 

所持金、銅貨二十九枚。

 

借金、銅貨百三十九枚。

 

返済の目処は、まったく立っていない。

 

それでも、帰り道の足取りは、なぜか少しだけ軽かった。

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