世界樹から実ったハイエルフ(中身は元社畜)、八百年ぶりの上位種として崇められていますが、人間の町でのんびり暮らしたいだけです   作:月白イツキ

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第10話 雨の夜の拾いもの

それから、一週間が経った。

 

俺の毎日は、だいたいこんな感じだ。

 

朝、跳ね鹿亭の屋根裏で目を覚ます。藁がちくちくする。下の食堂から、ハンナさんの怒鳴り声と、パンの焼ける匂いが上がってくる。

 

ギルドに行く。掲示板の端っこから、F級の依頼を剥がす。

 

ギルドの外で、トビが待っている。

 

「今日は?」

 

「失せ物探し。北区の商人さんが、指輪を落としたって」

 

「よし、行こうぜ」

 

そして、二人で町を歩き回る。塀を越えたり屋根に上ったりするのは、トビの担当だ。

 

探し物を見つけるのは、もちろん精霊たちだ。

 

『ゆびわ、あった』『みぞのなか』『きらきら』

 

精霊が見つけて、俺が「この辺かな」と指さして、トビが溝に手を突っ込んで拾い上げる。完璧な分業だった。

 

迷い猫。迷い犬。落とした財布。井戸に落ちた桶。倉庫の鼠退治――これは、精霊に頼んで鼠たちに「引っ越してほしい」と伝えてもらった。翌朝、鼠は一匹残らず隣町の方へ行列を作って去っていったらしい。

 

報酬は、いつも半分ずつだ。

 

一週間で、町の人たちの俺への呼び名が変わった。

 

「失せ物のリア」。

 

魔力ゼロだけど、なぜか探し物だけはやたらと得意なエルフ。運がいいのか、勘がいいのか。とにかく、困ったらあの銀髪のエルフに頼めばいい。

 

ギルドのペトラさんは、俺が依頼書を持っていくたびに、眠そうな顔のまま首をかしげた。

 

「……リアさん。また完了ですか。今日、三件目ですよね」

 

「運が、いいみたいで」

 

「運……」

 

ペトラさんは、何か言いたげに俺を見て、それから結局何も言わずに銅貨を数えた。この人の、何にも興味がないところが本当に助かる。

 

*

 

四日目の夜に、マルタさんが護衛の仕事から帰ってきた。

 

跳ね鹿亭の食堂で、俺とトビが並んで煮込みを食べているのを見て、マルタさんは入口で立ち止まった。

 

「……なんで、トビがいるんだ」

 

「えっと、相棒、みたいな」

 

「相棒」

 

マルタさんは、トビを見下ろした。

 

トビは、煮込みの椀を抱えたまま、石みたいに固まっていた。耳まで真っ赤になっている。憧れのマルタさんに、いきなり見下ろされたんだから無理もない。

 

「……こいつ、いつもあたしの後をつけてくるガキだろ」

 

「つ、つけてねえし!」

 

「つけてるだろ。ギルドの前で毎朝待ち伏せしてる」

 

「待ち伏せじゃねえし! たまたまだし!」

 

マルタさんは、ふっと鼻で笑った。それから、どかっと俺の向かいに腰を下ろした。

 

「リア。あんた、トビを拾ったのか」

 

「拾ったというか……」

 

拾われた方が、俺なんじゃないかと思う。トビがいなかったら、俺は溝の中の指輪にも、塀の上の猫にも手が届かない。

 

「借金の返済も、ちょっとずつできてるので」

 

俺は、革袋から銅貨を取り出して、テーブルの上に置いた。四十枚。

 

マルタさんは、目を丸くした。

 

「……本当に返す気だったのか」

 

「借りたものは、返します」

 

前世で、借りを作ったままにしておくのが苦手だった。同僚に缶コーヒーを奢ってもらったら、次の日には必ず奢り返していた。

 

マルタさんは、しばらく銅貨を見つめて、それから、それを全部俺の方に押し戻した。

 

「いい。それはトビに肉でも食わせてやれ」

 

「でも」

 

「いいって言ってる。……残りは、あんたがC級になったら返せ」

 

C級。俺が。

 

塀ひとつ登れない、魔力ゼロのエルフが。

 

たぶん、一生返せない。

 

マルタさんは、たぶん、それを分かっていて言っている。

 

「……マルタさん」

 

「なんだ」

 

「いい人ですね」

 

「うるせえ。酔ってもないのに言うな」

 

*

 

事件が起きたのは、その三日後の夜だった。

 

雨が降っていた。

 

夕方から降り出した雨は、夜になって土砂降りになった。屋根裏の天井を、雨粒がばたばたと叩いている。窓の外は真っ暗で、時々稲光が走った。

 

俺は、藁の寝台の上で、なかなか眠れずにいた。

 

『りあ』

 

枕元で丸くなっていた精霊が、ふいに顔を上げた。

 

『トビ』

 

「トビ?」

 

『トビ、そとにいる』『ぬれてる』『さむいって』

 

跳ね起きた。

 

外套をひっつかんで、階段を駆け下りた。いや、駆け下りたつもりだったけど、実際には三段ごとに手すりにしがみついた。

 

食堂はもう灯りが落ちていた。裏口の扉を開ける。

 

雨の音が、一気に大きくなった。

 

裏口の軒下。雨がかからないぎりぎりの場所に、小さな影がうずくまっていた。

 

トビだった。

 

膝を抱えて、全身ずぶ濡れで、がたがたと震えていた。

 

「……トビ」

 

トビが、ゆっくりと顔を上げた。

 

濡れた前髪が額に張りついていて、唇が紫色になっていた。

 

「……リア姉ちゃん」

 

「何してるんだ、こんなところで」

 

「……追い出された」

 

かすれた声だった。

 

「大家に、見つかった。婆ちゃんの家。今日、新しい人が住むことになったからって。出てけって」

 

雨の音が、うるさかった。

 

「別に、いいんだ。どっか、橋の下とか、探すから。ただ、雨、ひどくて。ちょっとだけ、雨宿りしようと思って。朝になったら、ちゃんと出てくから」

 

トビは、早口でそう言った。言い訳するみたいに。

 

迷惑をかけないように。追い出されないように。

 

十一歳の子どもが、そういうことを先回りして考えていた。

 

――前世の俺は、事なかれ主義だった。

 

「……入って」

 

気づいたら、そう言っていた。

 

「え」

 

「いいから、入って。風邪ひく」

 

俺はトビの腕をつかんで、無理やり引っ張り上げた。いや、引っ張り上げようとして、俺の方がよろけた。結局、トビの方が俺を支えて、二人して裏口から転がり込んだ。

 

*

 

騒ぎを聞きつけて、ハンナさんが寝間着のまま起きてきた。

 

ずぶ濡れのトビと、それを支える俺を見て、ハンナさんはすぐに全部察したらしい。何も聞かずに、厨房のかまどに火を入れて、湯を沸かしてくれた。乾いた布と、毛布と、温めた山羊の乳を持ってきてくれた。

 

トビは、毛布にくるまって、両手で乳の椀を抱えていた。まだ少し震えていたけど、唇には色が戻ってきていた。

 

「ハンナさん」

 

俺は、ハンナさんに向き直った。

 

「トビを、私の部屋に置いてもいいですか。宿代は、私が払います。二人分」

 

ハンナさんは、じっと俺を見た。

 

「あんた、自分の宿代だってやっとじゃないか」

 

「なんとかします」

 

「なんとかって」

 

「失せ物探し、もっと頑張ります」

 

ハンナさんは、長いため息をついた。それから、なぜか少し笑った。

 

「……子どもの分は、いいよ」

 

「え」

 

「その代わり、朝と晩、皿洗いを手伝わせな。それで飯も出してやる。うちは働く子には飯を食わせる主義なんだ」

 

毛布の中で、トビが目を見開いた。

 

「……いいの?」

 

「いいって言ってるだろ。ただし、皿割ったら給金から引くからね」

 

「給金……」

 

トビは、その言葉を、信じられないものみたいに繰り返した。

 

*

 

屋根裏の部屋は、二人で寝るには狭かった。

 

トビは床に藁を敷いて、毛布にくるまって横になった。俺の寝台を使えと言ったけど、「女の部屋の寝台なんか使えるか」と頑なに断られた。妙なところで律儀な子だ。

 

雨は、まだ降っていた。

 

「……なあ」

 

暗闇の中で、トビの声がした。

 

「なんで、ここまでしてくれんの」

 

俺は、天井を見上げたまま、少し考えた。

 

かっこいい理由は、何も思いつかなかった。

 

「腹減ってるやつを見てると、落ち着かないんだよ」

 

「……なにそれ」

 

「あと、トビがうまそうに飯食ってるの見るの、好きなんだ」

 

毛布の中で、トビが小さく鼻を鳴らした。

 

「……変なやつ」

 

「よく言われる」

 

「魔力ゼロのくせに」

 

「それもよく言われる」

 

トビが、くくっと笑った。初めて聞く笑い声だった。

 

それから、しばらく黙っていた。

 

雨の音だけが、屋根を叩いていた。

 

「……リア姉ちゃん」

 

「ん」

 

「……ありがと」

 

消え入りそうな声だった。

 

返事をする前に、規則正しい寝息が聞こえてきた。

 

*

 

俺は、暗闇の中で、床の上の小さな寝顔を見ていた。

 

精霊たちが、トビの枕元にふわふわと集まって、ほのかに光っている。寝顔を照らすように。見守るように。

 

ふと、先代の部屋にあった、木彫りの鳥を思い出した。

 

トマ。

 

人間の子ども。先代の友達。すぐに大きくなって、すぐにおじいちゃんになって、それで、いなくなった。

 

トビも、そうなるんだろうか。

 

十一歳。来年には十二歳で、冒険者になって、背が伸びて、声が低くなって。俺の背なんかすぐに追い越して。

 

それから、何十年かして――

 

俺は、頭を振った。

 

やめよう。そんな先のことを考えても仕方ない。

 

今、この子は、毛布にくるまって、雨の当たらない屋根の下で、腹を減らさずに眠っている。

 

それで十分だ。

 

「……おやすみ、トビ」

 

小さく呟いて、俺も目を閉じた。

 

藁が、やっぱりちくちくした。

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