【TS】世界樹から実ったハイエルフ(中身は元社畜)、八百年ぶりの上位種として崇められていますが、人間の町でのんびり暮らしたいだけです 作:月白イツキ
「東の森に行く。ついてくるか」
ある朝、マルタさんがそう言った。
「ギルドからの頼まれごとでな。最近、東の黒樫の森から獣がやたら出てくる。この前の大猪もそうだ。何が起きてるのか、ちょっと見てこいってさ」
「私が行っても、役に立たないと思いますけど」
「森の外縁なら、癒し草が生えてる。F級の採取依頼、まだ残ってただろ。ついでにやればいい」
それから、マルタさんはちらりとトビを見た。
「あと、そこのガキが、あたしの仕事を見たそうな顔してる」
「し、してねえし!」
していた。ものすごくしていた。
*
問題は、俺の足だった。
東の森まで、歩いて一時間。俺の足だと、たぶん日が暮れる。
「……で、これか」
「これだ」
マルタさんが宿の裏から引いてきたのは、一頭のロバだった。
灰色で、耳が長くて、ものすごくやる気のない目をしている。ハンナさんが仕入れの荷運びに使っている、ポンタという名前のロバだ。
俺は、ポンタの背中にまたがった。
ツノさんに比べると、背中が低い。揺れる。乗り心地が悪い。そして、ポンタは三歩ごとに立ち止まって、道端の草を食べようとする。
「ぶっは!」
トビが、腹を抱えて笑っていた。
「エルフがロバに乗ってる! ぜんぜん似合わねえ!」
「うるさいよ」
「森の大鹿とかに乗ってそうな顔してんのに!」
……乗ってたんだよ、実は。
とは、言えなかった。
*
黒樫の森は、アルヴの森とはずいぶん違った。
木の背が低い。幹が細い。葉が黒っぽくて、森の中が昼間でも薄暗い。それでも、ちゃんと森の匂いがした。土と、苔と、湿った葉の匂い。
森の外縁でポンタを降りて、癒し草を探すことにした。
マルタさんは、少し奥を見回ってくると言って、木々の間に消えていった。トビは「すぐ戻るから、ここ動くなよ」と念を押されて、不満そうな顔で残された。
「癒し草って、どんなのだっけ」
「葉っぱの裏が白くて、ぎざぎざしてるやつ。揉むと、すーっとする匂いがする」
トビが教えてくれた。路地暮らしの間に、怪我をしたら自分で摘んで傷に貼っていたらしい。
俺は、肩の上の精霊に小声で頼んだ。
「癒し草、ある場所わかる?」
返事が、なかった。
「……?」
振り向くと、精霊たちは俺の髪の中に潜り込むようにして、じっとしていた。いつもの、きゃっきゃとはしゃぐ感じがない。光も、心なしか弱い。
「どうした」
『……ここ、へん』
小さな声だった。
『このもりのこたち、げんきない』『みんな、かくれてる』
言われて、周りを見回した。
アルヴの森では、どこを見ても精霊が飛んでいた。木漏れ日の中にも、草むらの陰にも、小川の水面にも。
この森には、ほとんどいなかった。
たまに見かけても、木の幹の陰にじっと身を寄せて、震えるように明滅しているだけだ。
『いたいって』
髪の中から、精霊が言った。
『このもりのこたち、いたいって』『おくのほう、いたい』『なにか、すわれてるって』
吸われてる?
その時だった。
胸の奥に、鈍い痛みが走った。
歯の奥がうずくような、遠くで誰かが泣いているのが聞こえるような、そういう痛み。どこか分からないけど、森の奥の方から、それが響いてくる。
「……リア姉ちゃん? 顔、真っ白だぞ」
「……大丈夫」
大丈夫じゃなかった。でも、トビを心配させたくなかった。
「癒し草、探そう」
*
結局、癒し草は、森の精霊が案内してくれた。
震えながら、それでも俺の前にふわりと出てきて、木々の間の小さな空き地まで連れていってくれた。空き地には、葉の裏が白い草が、一面に生えていた。
『……ありがとう』
小声で言うと、その精霊は少しだけ明るくなって、また木の陰に隠れていった。
俺とトビは、籠に癒し草を摘み始めた。
依頼は、籠一杯。
普通に摘んで、普通に帰ろう。目立たないように。
そう思っていたんだけど。
『もっと』『もっと、あげる』
空き地の精霊たちが、次々と癒し草を引き抜いて、俺の籠に放り込み始めた。
「ちょ、待って、もういい、十分」
『おれい』『ここまできてくれた、おれい』
籠が、あふれた。
トビの籠も、あふれた。
空き地の端に、癒し草の山ができた。
「…………」
「…………」
トビと俺は、癒し草の山を見つめていた。
「……リア姉ちゃん。これ、どうなってんの」
「……運が、いいみたいで」
「運でこうなるかよ」
なるんだよ、たぶん。俺の場合は。
*
「なんだ、こりゃ」
戻ってきたマルタさんは、癒し草の山を見て、たっぷり十秒は固まっていた。
「籠一杯って、そういう意味じゃねえぞ」
「分かってます」
「あんた、本当に魔力ゼロか?」
マルタさんの目が、まっすぐに俺を見ていた。
冗談の目じゃなかった。
「失せ物探しもそうだ。猫も、指輪も、鼠も。最初は運だと思ってた。でも、運にしちゃ出来すぎてる」
「……」
何か言わないと、と思った。でも、何を言えばいいのか分からなかった。
マルタさんは、しばらく俺の顔を見ていた。それから、ふっと息を吐いて、目を逸らした。
「……まあ、いい」
「え」
「あんたが何者だろうが、あたしには関係ない。トビに飯食わせて、借りを返そうとする奴が、悪い奴なわけない。それで十分だ」
マルタさんは、そう言って、癒し草の山をひと抱え持ち上げた。
「ほら、持って帰るぞ。ポンタの背中に積めるだけ積め」
俺は、何も言えなかった。
ただ、胸の奥の鈍い痛みとは別のところが、少しだけ熱くなった。
*
「それで、奥はどうだったんですか」
ポンタに癒し草を積みながら聞くと、マルタさんの顔が曇った。
「……妙なもんがあった。見るか?」
森の奥へ、十分ほど入った。
もちろん、俺は途中でマルタさんの背中に担がれた。情けないけど、背に腹は代えられない。
奥に進むほど、胸の痛みが強くなった。
精霊たちは、もう完全に俺の髪の中に潜り込んで、一言も喋らなくなっていた。
そして。
「……ここだ」
木々が、急に途切れた。
円形の空間だった。直径は、二十歩くらい。
その中だけ、草も木も、全部が枯れていた。
黒樫の葉は茶色く縮れて落ち、下草は灰色に干からびて、地面にはひびが入っていた。まるで、そこだけ何年も雨が降っていないみたいに。
円の真ん中に、それはあった。
鉄の杭だった。
俺の背丈くらいの高さで、太さは腕くらい。表面に、びっしりと細かい文字のようなものが刻まれている。そして、てっぺんに、拳ほどの大きさの緑色の水晶がはめ込まれていた。
水晶は、ぼんやりと光っていた。
ゆっくりと、明るくなって、暗くなって、また明るくなる。
心臓の鼓動みたいに。
「……っ」
吐き気がこみ上げてきた。
見えた。
杭の周りの空気の中に、薄い光の筋が、何本も漂っていた。煙みたいに細くて、今にも消えそうな光。それが、森のあちこちから、ゆっくりと水晶に吸い寄せられていく。
水晶に吸い込まれた光は、二度と出てこない。
『――いや』
髪の中で、精霊が悲鳴を上げた。
『いや、いや、いや』『あれ、こわい』『あれ、せいれいを、たべてる』
精霊を、食べている。
「マルタさん、降ろしてください」
「おい、リア」
「お願いします」
マルタさんの背中から滑り降りて、ふらつく足で杭に近づいた。
枯れた草が、足の下でかさかさと砕けた。
手を伸ばして、杭に触れた。
ばちっ、と手のひらに痛みが走った。
「っ!」
弾かれるように手を引っ込めた。手のひらが、じんじんと痺れている。
それでも、もう一度つかんだ。両手で。引き抜こうとした。
びくともしなかった。
地面に刺さっているだけじゃない。何か別の力で、この場所に縫いつけられている感じがする。俺の腕力じゃ、髪の毛一本分も動かない。
「どけ、リア」
マルタさんが、俺を後ろに下がらせて、杭をつかんだ。腕の筋肉が盛り上がる。歯を食いしばる。
杭は、動かなかった。
「……くそ。なんだこれ、地面に生えてるみたいだ」
マルタさんは手を離して、杭の側面を覗き込んだ。
そこに、何かの模様が刻まれていた。円の中に、六つの尖った星。星の真ん中に、ひとつの目。
マルタさんの顔が、険しくなった。
「……王国魔術院の紋だ」
「魔術院?」
「王都の、魔法使いどもの総本山だ。なんでこんな辺境の森に、そんなもんがある」
マルタさんは、しばらく杭を睨んでいた。それから、俺の肩をつかんだ。
「下手に触るな。ギルドに報告する。あたしらの手に負える代物じゃない」
「でも」
「でもじゃない。あんた、さっきから顔が死人みたいだぞ」
反論できなかった。実際、立っているのもやっとだった。
*
森を出る時、一度だけ振り返った。
木々の向こうに、緑色の光が、かすかに見えた。
ゆっくりと、明るくなって、暗くなって。
心臓みたいに、脈打っていた。
『りあ』
髪の中から、精霊が小さく言った。
震える声だった。
『このもりのこたち、たすけて』
俺は、ポンタの背中の上で、ぎゅっと手を握りしめた。
痺れた手のひらが、まだじんじんと痛んでいた。