【TS】世界樹から実ったハイエルフ(中身は元社畜)、八百年ぶりの上位種として崇められていますが、人間の町でのんびり暮らしたいだけです   作:月白イツキ

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第12話 王都から来た男

「……魔術院か」

 

ギルド長のボルクさんは、マルタさんの報告を聞き終えると、白い髭をしごきながら唸った。

 

ギルドの二階、ギルド長室。六十過ぎの、がっしりした体格のおじいさんだ。左腕の袖が、肘から先でぺたんと垂れている。元はB級の冒険者で、片腕を失って引退したんだと、マルタさんが道すがら教えてくれた。

 

「実はな。先月、王都から通達が来とる」

 

ボルクさんは、机の引き出しから一枚の羊皮紙を取り出した。赤い封蝋に、六芒星と目の紋。

 

「『東の森における王国魔術院の調査活動を、何人も妨げぬこと』。……それだけだ。何を調べとるのかも、いつまでやるのかも書いとらん」

 

「調査?」

 

マルタさんが、机を叩いた。

 

「森を枯らしてんだぞ。獣が森から追い出されて、町の近くまで出てきてる。この前の大猪だって、あたしがいなけりゃ畑がめちゃくちゃになってた」

 

「分かっとる」

 

「分かってるなら――」

 

「分かっとるが、どうにもできん」

 

ボルクさんの声は、静かだった。

 

「魔術院は、国王陛下の直属だ。今の院長のヴァルド閣下は、陛下の覚えもめでたい。辺境のギルドが文句を言える相手じゃない」

 

マルタさんは、唇を噛んで黙り込んだ。

 

俺は、部屋の隅で小さくなっていた。トビは、俺の外套の裾をつかんでいた。

 

髪の中で、精霊たちがまだ震えていた。

 

*

 

一階に降りると、ギルドの中の空気が変わっていた。

 

いつもは騒がしい冒険者たちが、なぜか声をひそめている。みんなの視線が、入口の方に集まっていた。

 

入口に、三人の男が立っていた。

 

灰色の長衣。胸に、六芒星と目の刺繍。

 

真ん中の一人は、二十五歳くらいの若い男だった。きちんと撫でつけた金髪に、細い銀縁の眼鏡。長衣には皺ひとつなく、靴には泥ひとつついていない。辺境の町の、泥と汗と酒の匂いがするギルドの中で、そこだけ切り取って貼りつけたみたいに浮いていた。

 

「失礼。ギルド長殿はいらっしゃいますか」

 

丁寧な声だった。丁寧すぎて、温度がなかった。

 

「わしだ」

 

階段の上から、ボルクさんが答えた。

 

若い男は、優雅に一礼した。

 

「王国魔術院、第三研究室調査官のクラウスと申します。東の森の件で、ご挨拶とお願いに参りました」

 

*

 

クラウスと名乗った男の「お願い」は、要するにこうだった。

 

調査は最終段階に入った。森の奥は危険なので、冒険者を近づけないでほしい。

 

「我々の設置した計測杭に、不用意に触れた方がいるようでして」

 

クラウスの目が、ちらりとマルタさんの方を向いた。

 

「あれは精密な魔導具です。触れられると、計測に狂いが出る。それに、触れた方の身にも危険が及ぶ可能性がある。ご理解いただけますね」

 

「計測杭?」

 

マルタさんが、一歩前に出た。

 

「あれのどこが計測だ。杭の周りが、全部枯れてたぞ」

 

「多少の影響は出ます。想定の範囲内です」

 

「森の獣が、町の近くまで出てきてる」

 

「調査が終われば、元に戻りますよ」

 

クラウスは、穏やかに微笑んでいた。何を言っても、その微笑みは崩れなかった。

 

俺は、黙って聞いていた。

 

黙っているつもりだった。

 

目立たないように。余計なことに首を突っ込まないように。事なかれ主義で、のんびり暮らす。それが、俺の決めたことだったはずだ。

 

髪の中で、精霊が小さく言った。

 

『りあ』

 

震える声だった。

 

『このもりのこたち、たすけて』

 

――気づいたら、口が動いていた。

 

「あの杭は、精霊を吸っています」

 

ギルドの中が、しんとなった。

 

クラウスが、ゆっくりと俺の方を向いた。眼鏡の奥の目が、初めて少しだけ動いた。

 

「……失礼。あなたは?」

 

「F級の、リアです」

 

「リア……ああ」

 

クラウスは、何かを思い出したように、小さく頷いた。

 

「町で噂を聞きました。魔力を持たないエルフがいる、と。あなたが」

 

「あの杭は、森の精霊を吸い取っています。森の精霊たちは、痛いって言ってます。苦しんでるんです」

 

「痛い、と」

 

クラウスは、眼鏡の位置を指で直した。

 

「精霊が、そう言っている。あなたには、それが聞こえる、と」

 

「……はい」

 

「魔力をお持ちでないのに?」

 

言葉に詰まった。

 

クラウスは、子どもに言い聞かせるような、優しい声で続けた。

 

「いいですか。精霊というのは、魔力が自然の中で凝集した現象に過ぎません。雨や風と同じです。意思はない。言葉も持たない。それが、魔術院の百年来の定説です」

 

「ちがいます」

 

「精霊結晶は、その凝集した魔力を、効率よく取り出して蓄える技術です。王国の未来を担う、新しい魔導の燃料になる。ヴァルド院長閣下が、国家の事業として推し進めておられる」

 

クラウスは、両手を軽く広げた。

 

「精霊は、森から無限に湧き出ます。井戸の水を汲んでも、井戸が枯れないのと同じですよ。多少汲み上げたところで、何の問題もない」

 

「枯れてました」

 

俺は、言った。

 

「杭の周り。全部、枯れてました」

 

「許容範囲内の影響です」

 

「森の精霊たちは――」

 

「では」

 

クラウスが、静かに俺の言葉を遮った。

 

微笑んだまま。

 

「その精霊とやらに、ここで証言していただけますか?」

 

――周りで、誰かがくすっと笑った。

 

ひとりが笑うと、何人かがつられた。困ったような、気まずいような笑い。魔力ゼロのエルフが、王都の偉い魔法使いに食ってかかっている。そういう構図を、みんなが見ていた。

 

俺は、拳を握った。

 

証言なら、できる。

 

精霊たちに頼めばいい。この場で、ギルド中に花を咲かせることだってできる。風を吹かせることだって、たぶんできる。そうすれば、俺に精霊の声が聞こえていることは、誰の目にも明らかになる。

 

でも、そうしたら。

 

俺が何者なのか、全部ばれる。

 

魔力ゼロのエルフじゃない。八百年ぶりに生まれた、ハイエルフだと。

 

そうなったら、もう「失せ物のリア」ではいられない。トビと猫を探して、マルタさんと串焼きを食べて、藁の寝台でちくちくしながら眠る毎日は、たぶん終わる。

 

神殿と、同じになる。

 

「…………」

 

俺は、何も言えなかった。

 

クラウスは、満足げに一礼した。

 

「ご心配なく。調査は、あと十日ほどで終わります。最後の収穫が済めば、杭はすべて撤去いたしますので」

 

収穫。

 

その言葉が、妙に耳に残った。

 

灰色の長衣の三人は、来た時と同じように静かに、ギルドを出ていった。

 

*

 

その夜の跳ね鹿亭は、いつもより静かだった。

 

俺は、煮込みの椀を前にして、ほとんど手をつけずにいた。

 

「……リア姉ちゃん」

 

隣で、トビが言った。

 

「さっき、怒ってた」

 

「……怒ってた?」

 

「顔、怖かった。初めて見た」

 

そうだったのか。自分では、よく分からなかった。

 

前世で、最後に本気で怒ったのはいつだっただろう。たぶん、思い出せないくらい昔だ。怒っても仕方ないことばかりだったから、怒らないようにしていた。

 

向かいの席で、マルタさんがエールをあおった。

 

「……あの男。最後の収穫って言ったな」

 

「はい」

 

「何だと思う」

 

分からなかった。

 

でも、いい言葉じゃないことだけは分かった。

 

「嫌な予感がする」

 

マルタさんは、空になったジョッキを、ことりとテーブルに置いた。

 

「こういう時のあたしの勘は、だいたい当たる」

 

*

 

その夜。

 

俺は、眠れなかった。

 

床の上で、トビが寝息を立てている。窓の外は静かで、星がよく見えた。

 

胸の奥の、鈍い痛みが、ずっと消えなかった。

 

森の奥から響いてくる、誰かが泣いているような痛み。

 

――あの時、言えばよかったんだろうか。

 

精霊の声が聞こえると、証明してみせればよかったんだろうか。

 

でも、証明したところで、クラウスが杭を抜いてくれたとは思えない。魔術院の、国家の事業だ。辺境の、正体不明のエルフが何を言ったところで――

 

言い訳だ、と思った。

 

怖かっただけだ。今の暮らしを、なくすのが。

 

寝返りを打った。

 

その時だった。

 

『りあ!』

 

枕元の精霊が、弾けるように飛び上がった。

 

『りあ、りあ、りあ!』『おきて!』

 

「……どうした」

 

『もり!』

 

精霊たちの光が、ぐちゃぐちゃに乱れていた。いつもの丸い光じゃない。ひび割れたみたいに、ちらちらと点滅している。

 

『もり、こわれた!』

 

跳ね起きて、窓に飛びついた。

 

東の空が、光っていた。

 

夜明けの光じゃない。もっと濁った、気持ちの悪い緑色の光が、地平線のあたりから空に向かって、ぼんやりと立ちのぼっていた。

 

それから、音が聞こえた。

 

地面の底から響いてくるような、低い、低い音。

 

唸り声に似ていた。何か、とてつもなく大きなものが、痛みに耐えかねて呻いているような。

 

町中の犬が、一斉に吠え始めた。

 

遠くで、鐘が鳴り始めた。カン、カン、カン、と、狂ったように速い間隔で。

 

東門の、警鐘だ。

 

「……なんだよ、これ」

 

床の上で、トビが目を覚まして、震える声で言った。

 

俺は、窓枠を握りしめたまま、東の空を見ていた。

 

胸の奥の痛みが、今までで一番強くなっていた。

 

『くる』

 

髪の中で、精霊が言った。

 

『あふれる』『とまらない』

 

『もりのぬしが、おこってる』

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