【TS】世界樹から実ったハイエルフ(中身は元社畜)、八百年ぶりの上位種として崇められていますが、人間の町でのんびり暮らしたいだけです   作:月白イツキ

14 / 17
第13話 東門の夜

階段を降りると、食堂にはもう灯りがついていた。

 

マルタさんが、革鎧の留め具を締めているところだった。背中には、もう大剣を背負っている。ハンナさんが、その横で青い顔をして立っていた。

 

「マルタ、あんた行くのかい」

 

「警鐘だ。行かなきゃ冒険者じゃない」

 

マルタさんは、俺とトビに気づいて、顔をしかめた。

 

「あんたらは宿にいろ。ハンナさんと一緒に、地下の貯蔵庫に隠れてな」

 

「行きます」

 

自分でも驚くくらい、はっきりした声が出た。

 

マルタさんの手が止まった。

 

「……何言ってんだ。足手まといだ」

 

「分かってます」

 

「走れもしねえ奴が、何しに行く」

 

「呼ばれてるんです」

 

俺は、東の方角を見た。壁の向こう。夜の向こう。胸の奥で、まだあの痛みが響いている。

 

「森の精霊たちが。……呼んでるんです」

 

マルタさんは、しばらく俺の顔を見ていた。

 

昨日、黒樫の森で見せたのと同じ目だった。俺が何者なのか、測ろうとする目。

 

やがて、マルタさんは短く息を吐いた。

 

「……あたしから離れるな」

 

「はい」

 

「おれも行く」

 

トビが、俺の横に並んだ。

 

「ガキは残れ」

 

「やだ」

 

「残れって言ってんだ」

 

「リア姉ちゃん、走れねえんだぞ!」

 

トビが叫んだ。

 

「誰が支えんだよ! マルタは戦うんだろ! じゃあ、おれが姉ちゃん支えるしかねえじゃんか!」

 

……正論だった。

 

マルタさんも、反論できなかったらしい。舌打ちをひとつして、大剣の柄を握り直した。

 

「……勝手にしろ。ただし、門の内側から一歩も出るな」

 

*

 

夜の通りは、ひどい有様だった。

 

東から西へ、人の波が押し寄せてくる。寝間着のまま子どもを抱えた母親。荷車に家財道具を積んだ老夫婦。泣き叫ぶ赤ん坊。その流れに逆らうように、槍を持った衛兵たちが東へ走っていく。

 

俺は、ポンタの背中に揺られていた。トビが手綱を引いて、人混みの中を必死にかき分ける。マルタさんが先頭で道を開く。

 

ポンタは、今夜ばかりは一度も道草を食わなかった。

 

東の空の緑色の光が、どんどん近づいてくる。

 

あの、地の底から響くような唸り声も。

 

*

 

東門の上の見張り台には、松明がいくつも焚かれていた。

 

衛兵と冒険者が、二十人ほど。弓を構えている者、槍を握りしめている者。誰もが、門の外の闇を睨んでいた。

 

トビに支えられて、見張り台へ続く階段を上った。息が切れた。足が震えた。それでも、上った。

 

そして、門の外を見た。

 

門の外には、なだらかな畑が広がっている。その向こう、半里ほど先に、黒樫の森の縁がある。

 

その森が、光っていた。

 

木々の隙間から、濁った緑色の光がぼうぼうと漏れ出している。あの杭の水晶と、同じ色だった。ただ、規模が違う。森全体が、ひとつの巨大な水晶になったみたいに脈打っていた。

 

森の縁から、黒い影が次々と飛び出してくる。

 

獣だった。

 

鹿。狼。猪。狐。鳥まで、群れになってばたばたと飛び出してくる。森から逃げてくるように、まっすぐこっちへ走ってくる。

 

その目が、みんな、うっすらと緑色に光っていた。

 

「来るぞ!」

 

衛兵長らしい髭面の男が叫んだ。

 

「弓、構え! 門に近づけるな!」

 

矢が放たれる。何頭かの獣が倒れる。それでも、獣たちは止まらない。痛みも恐怖も感じていないみたいに、柵に体当たりしてくる。木の柵が、みしみしと軋んだ。

 

マルタさんが、見張り台から飛び降りた。

 

門の内側に降り立つと、大剣を抜き放つ。数人の冒険者が、その後ろに続いた。

 

「柵を越えてきた奴は、あたしらが片付ける! 弓は撃ち続けろ!」

 

『いたい』

 

耳元で、声がした。

 

俺の髪の中の精霊じゃなかった。もっと遠くから。もっと、たくさんの声が、重なって聞こえる。

 

『いたい』『いたい』『くるしい』『どうして』

 

森の精霊たちの声だ。

 

獣たちの目の緑色は、たぶん、あの杭から漏れ出した何かだ。森の精霊たちの痛みが、獣たちにまで染みついている。獣たちは、町を襲いに来たんじゃない。痛くて、苦しくて、どこかに逃げたくて、走っているだけなんだ。

 

「リア姉ちゃん……」

 

トビが、俺の腕をつかんでいた。震えていた。

 

俺は、フードの端を、ぎゅっと引き下ろした。

 

まだ、顔は出せない。ここで銀色の髪を見せたら、たぶん、今の暮らしは終わる。

 

だから、小声で頼んだ。

 

「……ねえ。森の子たちに、届く? 痛いの、少しだけでいいから、和らげてあげられない?」

 

『やってみる』

 

髪の中から、小さな光がいくつか、そっと抜け出していった。目立たないように、低く、門の外の闇へ。

 

しばらくして、柵に体当たりしていた鹿が一頭、ふっと足を止めた。緑色に光っていた目が、少しだけ暗くなった。鹿は、ぶるっと首を振って、畑の方へよろよろと戻っていった。

 

「……効いた」

 

その後ろから、狼が三頭、柵に飛びかかった。その後ろから、猪の群れが。

 

『たりない』

 

戻ってきた精霊が、しょんぼりと言った。

 

『ちょっとじゃ、たりない』『もりのこ、いっぱい、いたい』

 

――分かってる。

 

分かってるけど、これ以上は、フードの下からじゃ頼めない。

 

その時だった。

 

森が、動いた。

 

*

 

最初は、森の縁の木々が、ゆっくりと傾いたように見えた。

 

違った。

 

木々が、立ち上がっていた。

 

何本もの黒樫の幹が、根ごと地面から引き抜かれて、互いに絡み合いながら、ひとつの形を作っていく。太い蔦が、その隙間をぎちぎちと縫い合わせる。苔と、枯れ葉と、土くれが、その表面を覆っていく。

 

四本の脚。

 

長い首。

 

頭には、枝分かれした巨大な角。

 

鹿だ、と思った。ツノさんに似ている。でも、大きさが違う。森の木々よりも、ずっと高い。東門の見張り台が、膝の高さくらいにしか届かない。

 

その胸のあたりに、ぽっかりと穴が開いていた。

 

穴の奥で、あの濁った緑色の光が、心臓みたいに脈打っていた。

 

巨大な鹿が、空を仰いで、吼えた。

 

地面が揺れた。見張り台がきしんだ。松明の火が、一斉に横倒しになった。町中の窓ガラスが、びりびりと震えた。

 

吼え声の中に、言葉が混じっていた。

 

『かえせ』

 

『かえせ』『かえせ』『かえせ』

 

『わたしのこどもたちを、かえせ』

 

俺の膝から、力が抜けた。

 

――森のぬし。

 

精霊たちが言っていたのは、これだ。黒樫の森の、一番古くて、一番大きな精霊。森そのもの。

 

その子どもたちを、あの杭は、吸い取っていた。

 

*

 

「なんだ、あれは……」

 

衛兵長が、呆然と呟いた。

 

見張り台の上の誰もが、凍りついていた。弓を構えたまま、矢を放つことも忘れて。

 

「――魔力の暴走です!」

 

鋭い声が、静寂を破った。

 

振り返ると、見張り台の階段を、灰色の長衣の男たちが上がってくるところだった。

 

クラウスだった。

 

昼間の、皺ひとつない長衣は、泥と枯れ葉にまみれていた。きちんと撫でつけていた金髪が乱れて、眼鏡が少し傾いている。その腕には、革張りの箱を大事そうに抱えていた。

 

箱の隙間から、緑色の光が漏れていた。

 

「森に凝集していた魔力が、制御を失って暴走しています! このままでは、町まで呑み込まれる!」

 

クラウスは、衛兵長に詰め寄った。

 

「森を焼いてください! 油と火矢で、森ごと焼き払えば、魔力の凝集は霧散する! それしか手はない!」

 

「森を、焼く……?」

 

「急いでください! あれが門に到達する前に!」

 

――俺は、クラウスの袖をつかんでいた。

 

自分でも、いつ動いたのか分からなかった。

 

「……あなたたちが、やったんでしょう」

 

クラウスが、ぎょっとしたように俺を見下ろした。

 

「十日後って言ってた。最後の収穫。……今夜、やったんですね」

 

クラウスの顔が、ほんの一瞬、こわばった。

 

「……予定を、早めました。妙な噂を立てられる前に、成果を確保しておく必要があった」

 

目を逸らした。

 

「最終収穫で、森中の杭を同時に起動した。その瞬間、想定外の反応が……杭の網全体に、逆流が……いや、今はそんなことを言っている場合では――」

 

「その箱」

 

俺は、クラウスの腕の中の箱を見た。

 

緑色の光が、箱の隙間から漏れている。弱々しく。助けを求めるみたいに、明滅している。

 

「その中に、森の精霊が入ってるんですね」

 

「……精霊結晶です。凝集した魔力を――」

 

「森の精霊が、入ってるんですね」

 

クラウスは、答えなかった。

 

代わりに、衛兵長に向き直った。

 

「早く! 火矢の準備を!」

 

「森を焼いたら」

 

俺は、言った。声が震えていた。怒りなのか、怖さなのか、自分でも分からなかった。

 

「森の精霊が、全部死にます。あの森のぬしの子どもたちが、一匹残らず」

 

「精霊は現象です。また湧く」

 

「湧きません!」

 

叫んでいた。

 

見張り台の上の全員が、こっちを見た。

 

その時。

 

門の外で、地響きがした。

 

森のぬしが、こっちに向かって歩き出していた。

 

一歩ごとに、足元の畑の作物が枯れていく。緑色の光が、波のように地面を這ってくる。

 

『かえせ』

 

声が、近づいてくる。

 

『かえせ、かえせ、かえせ』

 

衛兵長が、唇を噛んで、叫んだ。

 

「――油樽を持ってこい! 火矢の準備だ!」

 

「待って――」

 

俺の声は、地響きにかき消された。

 

門の内側で、マルタさんが大剣を構え直すのが見えた。

 

森のぬしの巨大な角が、東門の真上に、影を落としていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。