【TS】世界樹から実ったハイエルフ(中身は元社畜)、八百年ぶりの上位種として崇められていますが、人間の町でのんびり暮らしたいだけです 作:月白イツキ
角が、振り下ろされた。
轟音がした。
東門の扉が、真ん中から裂けた。太い梁が、小枝みたいにへし折れて宙を舞う。門の両脇の柵が、何十歩分もまとめて薙ぎ倒された。見張り台が大きく傾いて、俺はトビと一緒に床に叩きつけられた。
砂埃が、もうもうと舞い上がった。
「門が破られた!」
誰かが叫んだ。
砂埃の向こうから、何かが這い込んでくる。
蔦だった。
大人の胴くらいの太さがある黒い蔦が、何十本も、壊れた門の隙間から蛇みたいにのたうちながら町の中へ侵入してくる。その後ろから、緑色に目を光らせた狼の群れが、雪崩を打って飛び込んできた。
「来やがったな」
マルタさんの声がした。
砂埃の中で、赤毛が揺れた。
マルタさんは、門の内側の石畳の真ん中に、ひとりで立っていた。大剣を両手で握り、腰を低く落としている。その後ろに、冒険者たちが五、六人、それぞれの武器を構えていた。
狼が飛びかかった。
マルタさんの大剣が、横薙ぎに閃いた。
一振りで、三頭が吹き飛んだ。
返す刃で、迫ってきた蔦を二本、まとめて断ち切る。切り口から緑色の汁が噴き出す。マルタさんは顔に飛んだそれを手の甲で拭いもせずに、一歩前に踏み込んだ。
「右! ガルド、右から回り込んでくる!」
「おう!」
「後ろの奴は門の残骸の陰に入れ! 蔦は根元を狙え、先っぽ切っても意味がねえ!」
叫びながら、斬る。斬りながら、叫ぶ。
俺は、傾いた見張り台の縁にしがみついたまま、それを見ていた。
トビが言っていた。マルタは、この町で一番強いんだって。
本当だった。
大剣が振るわれるたびに、蔦が千切れ、狼が転がる。マルタさんの周りだけ、まるで見えない壁があるみたいに、何も入り込めない。赤い髪が、松明の明かりを受けて炎みたいに揺れていた。
でも。
切っても、切っても、蔦は減らなかった。
断ち切った蔦の切り口から、すぐに新しい芽が伸びてくる。倒した狼の後ろから、次の狼が飛び込んでくる。門の外では、森のぬしが、また角を振り上げていた。
「……マルタさんの前の蔦だけでいい。少しだけ、止めて」
見張り台の縁にしがみついたまま、フードの奥で囁いた。
『うん』
マルタさんの足元に這い寄っていた蔦が、一本、ぴたりと止まった。マルタさんは怪訝そうに一瞬だけ眉を上げて、それから、その蔦を根元から断ち切った。
一本だけだった。
門の外から、次の十本が這い込んでくる。
『かえせ』
声が、空から降ってくる。
『かえせ、かえせ、かえせ』
*
「――あっ!」
トビが、叫んだ。
見張り台の縁から身を乗り出して、門の残骸の方を指さしている。
壊れた門のすぐ内側。ひっくり返った荷車の陰に、小さな影がうずくまっていた。
女の子だった。
五歳か、六歳くらい。寝間着姿で、片方の靴が脱げていた。東の畑の方から逃げてきた農家の子だろうか。家族とはぐれたのか、荷車の陰で膝を抱えて、声も出せずに震えていた。
その子のすぐ横を、蔦がのたうちながら這っていく。
「トビ、待っ――」
止める間もなかった。
トビは、傾いた見張り台の梯子を、半分滑り落ちるようにして駆け降りていった。
俺も、後を追おうとした。足が動かなかった。見張り台の床に這いつくばったまま、手を伸ばすことしかできなかった。
トビが、石畳を走る。蔦の間をすり抜ける。狼の牙を、転がるようにかわす。路地で鍛えた足だ。速い。
荷車の陰にたどり着いて、女の子に覆いかぶさった。
「大丈夫だ! 大丈夫だから!」
その背後で。
ひときわ太い蔦が、鎌首をもたげた。
大人の胴ほどもある、黒い蔦。先端が、槍みたいに尖っていた。
トビは、気づいていなかった。
「トビ!!」
俺の叫び声と、蔦が振り下ろされるのは、ほとんど同時だった。
そして。
赤い髪が、その間に飛び込んだ。
*
鈍い音がした。
マルタさんの体が、横殴りに吹き飛ばされた。
石畳の上を転がって、門の脇の石壁に背中から叩きつけられる。大剣が、手から離れて、からからと音を立てて転がっていった。
「マルタッ!!」
トビが、女の子を抱えたまま叫んだ。
マルタさんは、壁にもたれたまま、動かなかった。
革鎧の脇腹のあたりが、大きく裂けていた。そこから、赤いものが、ゆっくりと広がっていく。
一瞬、時間が止まった気がした。
――それから、マルタさんの指が、ぴくりと動いた。
「……うるせえな」
かすれた声だった。
「聞こえてるよ、ガキ」
マルタさんは、壁に手をついて、立ち上がろうとした。膝が崩れる。もう一度、壁に手をつく。歯を食いしばる。
立った。
血が、脇腹から滴っていた。顔が真っ白だった。それでも、マルタさんは立って、転がった大剣の方へ、一歩、また一歩と歩いていった。
「その子連れて、下がれ」
「でも、マルタ、血が――」
「下がれって言ってんだ!」
怒鳴り声に弾かれるように、トビは女の子を抱えて走った。近くの冒険者が、二人を門から離れた建物の陰へ引っ張り込む。
マルタさんは、大剣を拾い上げた。
構える。
剣先が、震えていた。
その前に、また新しい蔦が、鎌首をもたげていた。
*
「油樽、用意できました!」
見張り台の下で、衛兵の声がした。
「火矢、準備よし!」
「森に向けて撃てば、あの化け物ごと――」
「撃ちなさい!」
クラウスが、叫んでいた。
「何を躊躇しているんです! 門が破られたんですよ! 森を焼かなければ、町が呑まれる!」
衛兵長は、唇を噛んで、門の外の森のぬしを見上げていた。
その手が、ゆっくりと上がっていく。
合図の手だ。
俺は、見張り台の床に這いつくばったまま、全部を見ていた。
血を流しながら剣を構えるマルタさん。建物の陰で、女の子を抱きしめて泣いているトビ。火矢をつがえる衛兵たち。森のぬしの胸の穴で、苦しそうに脈打つ緑色の光。
耳の奥で、ずっと声が聞こえていた。
『いたい』『いたい』『たすけて』『かえして』
森の精霊たちの声。
『かえせ』
森のぬしの声。
そして。
『りあ』
俺の髪の中の、いつもの精霊たちの声。
『りあ、りあ』
――ふと、先代の部屋を思い出した。
埃ひとつない、小さな部屋。机の上の、下手くそな木彫りの鳥。南向きの窓。
先代は、三百年、あの部屋から出なかった。
好きだった人間たちを全部見送って、扉を閉めた。もう何もなくさないように。もう誰も見送らなくて済むように。
俺は、今、同じことをしようとしている。
今の暮らしをなくすのが怖くて。正体がばれて、また神殿みたいな場所に閉じ込められるのが怖くて。フードの下から、こっそり頼める分だけ頼んで。足りないと分かっていて、扉を半分しか開けずにいる。
藁の寝台を。串焼きを。失せ物探しを。
守ろうとしていた。
でも、それは。
それを一緒に食べる人がいるから、守りたかったんだろうが。
――俺は、部屋に籠もるために、森を出てきたんじゃない。
*
見張り台の手すりをつかんで、立ち上がった。
膝が震えた。息が切れていた。それでも、立った。
フードに、手をかけた。
灰色の、何の飾りもない麻布。セレスさんたちが三晩かけて縫ってくれた外套の、裏地。
それを、後ろに払いのけた。
夜風が、髪をさらった。
長い銀髪が、松明の明かりを受けて、ふわりと広がった。尖った耳が、夜気に触れて、ひやりとした。
見張り台の上にいた衛兵のひとりが、俺を見て、ぽかんと口を開けた。
クラウスが、振り返った。
眼鏡の奥の目が、見開かれた。
俺は、そのどちらにも構わなかった。
肩の上の、髪の中の、いつもの小さな光たちに向かって、言った。
「ねえ、みんな」
精霊たちが、ぴたりと静かになった。
「――手、貸してくれる?」
一瞬の、沈黙。
それから。
『……ぜんぶで、いいの?』
「うん。全部で」
精霊たちが、弾けた。
『ぜんぶ!』『みんなで!』『りあ、りあ、りあ!』
俺の髪の中から、肩の上から、外套の襟元から、小さな光の粒が一斉に飛び出した。
蛍くらいの明るさじゃなかった。
松明よりも明るかった。月よりも明るかった。
東門の見張り台の上で、真夜中に、もうひとつ夜明けが来たみたいだった。