【TS】世界樹から実ったハイエルフ(中身は元社畜)、八百年ぶりの上位種として崇められていますが、人間の町でのんびり暮らしたいだけです 作:月白イツキ
光は、俺の周りだけでは終わらなかった。
最初に気づいたのは、見張り台の下の衛兵だった。
「お、おい……町が……」
振り返った。
ハルトンの町が、光っていた。
家々の煙突から。井戸の底から。屋根瓦の隙間から。路地の石畳の割れ目から。小さな光の粒が、ぽつり、ぽつりと浮かび上がってくる。
ひとつ、ふたつ、十、百。
千。
数えきれなかった。町中の、ありとあらゆる場所から、光の粒が夜空に向かって立ちのぼっていく。
かまどの精霊だ。井戸の精霊だ。屋根の、石畳の、庭の花壇の、川の精霊だ。
この町にも、ちゃんといたんだ。森ほど多くはないけど、目立たないところで、ひっそりと。人間たちのすぐそばで、ずっと暮らしていたんだ。
『りあがよんでる』
『りあが、てをかしてって』
『いこう』『いこう』『いこう』
地下室に隠れていた人たちが、窓から顔を出していた。避難していた人たちが、通りの真ん中で立ち止まって、空を見上げていた。
子どもが、光の粒に手を伸ばしていた。
普段、精霊は人の目には見えない。でも、これだけ集まれば、見える。見えてしまう。
もう、隠しようがなかった。
それでいいと思った。
*
「……ありえない」
クラウスが、呻くように言った。
革張りの箱を抱えたまま、見張り台の手すりにしがみついていた。眼鏡がずり落ちかけているのにも気づいていない。
「精霊の、可視化……? こんな密度で……? いや、精霊は現象だ。意思のない、魔力の凝集で……呼びかけに応えるなど……」
俺は、クラウスの方を見なかった。
火矢をつがえた衛兵たちが、弓を下ろしかけたまま固まっていた。衛兵長の上がりかけた手が、空中で止まっていた。
「――風の子たち」
呼びかけると、夜風がふわりと俺の体を包んだ。
「下まで、連れていって」
『まかせて!』
足が、見張り台の床から離れた。
体が、ゆっくりと宙に浮かぶ。そのまま、傾いた見張り台の縁を越えて、壊れた門の真上を通り過ぎて、石畳の上へと降りていく。
銀髪が、光の中でなびいていた。
マルタさんの、すぐ目の前に降り立った。
*
マルタさんは、壁にもたれて、大剣を杖みたいについていた。
脇腹の血は、まだ止まっていなかった。顔は真っ白で、唇まで色を失っていた。それでも、その目は、ちゃんと俺を見ていた。
「……リア?」
「はい」
「あんた……それ……」
マルタさんの目が、俺の銀髪を、尖った耳を、周りを飛び交う無数の光を、ゆっくりと見ていった。
俺は、少しだけ笑った。
「あとで、ちゃんと話します。だから、下がっててください」
「……馬鹿言え。あんた、走れも――」
「今夜は、大丈夫です」
本当だった。
足元から、光が俺を支えていた。地面の精霊が、一歩ごとに、足の裏をそっと押し上げてくれている。息は切れなかった。体が、羽みたいに軽かった。
俺は、マルタさんに背を向けて、壊れた門の外へ歩き出した。
*
門の外は、緑色の光に覆われていた。
濁った、気持ちの悪い光。それが、地面を這うように広がって、畑の作物を枯らしていく。
その真ん中に、森のぬしが立っていた。
見上げると、首が痛くなるほど大きかった。黒樫の幹を束ねた脚。蔦で縫い合わされた体。夜空を引っかくような、枝分かれした角。胸の穴の中で、緑色の光が、苦しそうに脈打っている。
蔦が、一斉に俺の方を向いた。
何十本もの黒い蔦が、鎌首をもたげて、槍みたいな先端をこっちに向ける。
俺は、止まらなかった。
一歩、近づく。
蔦が、振り下ろされた。
――そして、俺の顔の前で、ぴたりと止まった。
蔦の先端が、震えていた。迷っているみたいに。何かを確かめるみたいに。
俺は、その蔦にそっと手を伸ばして、触れた。
ざらりとした樹皮の感触。冷たかった。ひどく冷たくて、ひどく疲れていた。
巨大な頭が、ゆっくりと下りてきた。
森のぬしが、俺を見下ろしていた。
大きな、大きな目だった。本当なら、ツノさんと同じ、深い琥珀色なんだろう。今は、濁った緑色に塗りつぶされていた。
『……だれだ』
声が、頭の中に直接響いた。
地の底から湧き上がるような、低い、古い声だった。
「リア」
俺は、答えた。
「アルヴの森から、来た」
『……おおきなきの、こ』
濁った目が、わずかに揺れた。
『たいじゅのこが、なぜここにいる。なぜ、にんげんのまちに』
「ここで、暮らしてるから」
『……かえせ』
声が、震えた。
『かえせ。わたしのこどもたちを、かえせ。にんげんが、とった。ちいさいこから、じゅんばんに。いたいと、ないていた。わたしは、きいていた。ずっと、きいていた。なにも、できなかった』
胸の穴の光が、激しく明滅した。
『かえせ』
「うん」
俺は、言った。
「返す」
濁った目が、俺をじっと見つめた。
「……痛かったね」
蔦に触れたまま、言った。
「ごめん。気づいてたのに。昨日、森に行って、杭を見て、あの子たちが泣いてるのを聞いてたのに。すぐに、来なかった」
怖かったんだ。今の暮らしが、なくなるのが。
それは、言わなかった。言っても、仕方のないことだった。
森のぬしは、何も言わなかった。
ただ、俺に向けられていた蔦が、一本、また一本と、ゆっくり地面に下りていった。
*
俺は、地面に膝をついた。
両方の手のひらを、土の上に置く。
冷たくて、乾いていて、緑色の光に侵されてひび割れた土。その奥に、精霊たちがいるのが分かった。土の精霊。根の精霊。石の精霊。みんな、縮こまって、痛みに耐えていた。
「ねえ」
土に向かって、話しかける。
「森の中に、鉄の杭があるよね。緑の水晶がついたやつ」
『……ある』『いっぱい』『いたいやつ』
「何本ある?」
『……よんじゅう、なな』
四十七本。
森中に、そんなに打ち込んでいたのか。
「それ、全部」
俺は、手のひらに、少しだけ力を込めた。
「押し出してくれる?」
一瞬の、静寂。
それから、大地が、震えた。
*
黒樫の森の中で、緑色の光が、四十七個、一斉に跳ね上がった。
地面の下から、何か巨大な手に押し出されたみたいに。鉄の杭が、土を突き破って、夜空へ向かって飛び出していく。くるくると回転しながら、森の木々よりも高く舞い上がる。
そして、空中で。
水晶が、割れた。
ぱきん、と澄んだ音がした。四十七回。森のあちこちから、硝子が砕けるような音が、重なって響いた。
割れた水晶から、光が溢れた。
緑色じゃなかった。
若葉の色。木漏れ日の色。朝露が光を受けた時の色。
閉じ込められていた精霊たちだった。
何千、何万という小さな光が、砕けた水晶から一斉に解き放たれて、夜空に舞い上がった。くるくると渦を巻いて、光の竜巻みたいに立ちのぼって、それから、ゆっくりと森へ降りていく。
『でられた』『でられた!』『おかあさん!』
声が、聞こえた。
小さな、小さな声が、何千も。泣きながら、笑いながら。
見張り台の上で、悲鳴が上がった。
クラウスだった。
抱えていた革張りの箱が、内側から弾けるように開いていた。中に並んでいた緑色の結晶が、ひとつ残らず砕けていた。そこから溢れ出した光が、クラウスの腕を、胸を、顔をかすめて、夜空へ飛び立っていく。
ひとつの小さな光が、クラウスの頬に、そっと触れていった。
クラウスは、空っぽになった箱を抱えたまま、その場にへたり込んだ。
眼鏡の奥の目が、飛んでいく光を、呆然と追いかけていた。
*
解き放たれた光は、川になった。
森から、町から、空から。何万という光の粒が、一本の流れになって、森のぬしの胸の穴へと吸い込まれていく。
濁った緑色が、溶けていった。
胸の穴が、柔らかな光で満たされていく。木漏れ日みたいな、金色がかった若草色の光。
森のぬしの目から、緑色の濁りが、すうっと引いていった。
その下から現れたのは、深い、深い琥珀色だった。
ツノさんと、同じ色だった。
足元で、何かが動いた。
見下ろすと、ひび割れた土の隙間から、小さな芽が顔を出していた。
ひとつ、ふたつ。それから、一斉に。
枯れていた畑に、緑が戻っていく。若い芽が伸びて、葉を広げて、蕾をつけて。
花が、咲いた。
白い花。青い花。小さな星みたいな黄色い花。アルヴの森を抜けたあの夜、ツノさんの背中から見たのと同じ花が、森の縁から壊れた東門まで、一本の道みたいに咲き広がっていった。
緑色に目を光らせていた獣たちが、立ち止まっていた。
ぱちぱちと瞬きをして、きょとんとした顔で辺りを見回して、それから、ゆっくりと森の方へ帰っていく。狼も、鹿も、猪も。もう、誰の目も光っていなかった。
*
森のぬしが、頭を下げた。
巨大な鼻先が、俺の額に、そっと触れた。
温かかった。さっき触れた蔦とは違って、春の土みたいに温かかった。
『……ありがとう、たいじゅのこ』
声が、頭の中に響いた。
さっきまでの、軋むような声じゃなかった。古くて、穏やかで、少しだけ眠そうな声だった。
『おまえは、ユーディアのつぎのこだな』
息が、止まった。
「……先代を、知ってるの?」
『むかし、ここにきた。おまえと、おなじかおで、わらっていた』
それだけ言って、森のぬしは、ゆっくりと頭を上げた。
背を向けて、森の方へ歩いていく。
一歩ごとに、その体がほどけていった。黒樫の幹が、一本、また一本と地面に下りて、根を張って、元の木に戻っていく。蔦が、するすると幹に巻きついていく。苔が、土に還っていく。
最後に、角が残った。
枝分かれした巨大な角が、森の縁に立つ、ひときわ大きな黒樫の木になった。
それで、終わりだった。
森は、静かになった。
*
東の空が、白み始めていた。
本物の、夜明けだった。
振り返ると、壊れた門の内側に、たくさんの人が立っていた。衛兵。冒険者。避難しそびれた町の人たち。見張り台の上の、火矢を下ろした弓兵たち。
誰も、何も言わなかった。
みんな、俺を見ていた。
夜明けの光の中に立つ、銀髪の、耳の尖った、光の粒をまとった誰かを。
「……銀の髪」
かすれた声がした。
人垣の中から、片腕のおじいさんが、一歩前に出ていた。ギルド長の、ボルクさんだった。
「精霊を従え……森と、言葉を交わす……」
ボルクさんの声が、震えていた。
「子どもの頃に、婆さんから聞かされた……おとぎ話の……」
その先は、別の誰かが継いだ。
「……ハイエルフ」
ひとりが言うと、ざわめきが広がった。
「ハイエルフだ」 「本物の……」 「魔力ゼロのエルフじゃ、なかったのか……」
俺は、そのざわめきから目を逸らして、門の脇の石壁を見た。
マルタさんが、まだ、そこにもたれていた。
*
駆け寄った。
本当に駆け寄れた。足が、まだ軽かった。
マルタさんの脇腹の傷は、ひどかった。革鎧ごと裂けて、血がまだ流れ出していた。
「……おう。終わったか」
マルタさんは、目を細めて、俺を見上げた。
「しゃべらないでください」
俺は、傷の上に手をかざした。
「ねえ。この傷、治せる?」
周りの精霊たちに、聞いた。
『いやしぐさのこたちが、てつだうって』
『もりで、りあにくさをあげたこたち』『おれいだって』
黒樫の森の方から、淡い緑色の光が、ふわふわと飛んできた。昨日、俺の籠に癒し草を詰め込んでくれた、あの空き地の精霊たちだ。
光が、マルタさんの傷口に降りていく。
裂けた肉が、ゆっくりと閉じていった。血が止まる。赤黒い傷口が、薄い桃色の線になって、それから、白い傷痕になった。
マルタさんは、自分の脇腹を見下ろして、しばらく黙っていた。
それから、ぼそっと言った。
「……あんた、魔力ゼロじゃなかったのかよ」
「……ゼロでした。精霊たちが、隠しすぎたので」
マルタさんが、吹き出した。
笑って、それから脇腹を押さえて顔をしかめて、それでも笑っていた。
「姉ちゃん!! マルタ!!」
声がした。
建物の陰から、トビが走ってくるのが見えた。顔がぐしゃぐしゃだった。涙と、鼻水と、砂埃で。
よかった、と思った。
みんな、ちゃんといる。
そう思った瞬間、膝から力が抜けた。
「――リア?」
マルタさんの声が、遠くなっていく。
視界が、白く霞んでいく。
不思議な感覚だった。周りの音が、ゆっくりになっていく。トビの叫び声が、間延びして、聞き取れなくなっていく。
代わりに、葉ずれの音が聞こえた。
さわさわと、木の葉が風に揺れる音。それだけが、やけに長く、やけにはっきりと響いていた。
まるで、大きな木の根元で、昼寝をしているみたいだった。
「姉ちゃん! 姉ちゃん!!」
トビの声を最後に、俺の意識は、葉ずれの音の中に沈んでいった。