【TS】世界樹から実ったハイエルフ(中身は元社畜)、八百年ぶりの上位種として崇められていますが、人間の町でのんびり暮らしたいだけです   作:月白イツキ

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第15話 ハイエルフ

光は、俺の周りだけでは終わらなかった。

 

最初に気づいたのは、見張り台の下の衛兵だった。

 

「お、おい……町が……」

 

振り返った。

 

ハルトンの町が、光っていた。

 

家々の煙突から。井戸の底から。屋根瓦の隙間から。路地の石畳の割れ目から。小さな光の粒が、ぽつり、ぽつりと浮かび上がってくる。

 

ひとつ、ふたつ、十、百。

 

千。

 

数えきれなかった。町中の、ありとあらゆる場所から、光の粒が夜空に向かって立ちのぼっていく。

 

かまどの精霊だ。井戸の精霊だ。屋根の、石畳の、庭の花壇の、川の精霊だ。

 

この町にも、ちゃんといたんだ。森ほど多くはないけど、目立たないところで、ひっそりと。人間たちのすぐそばで、ずっと暮らしていたんだ。

 

『りあがよんでる』

 

『りあが、てをかしてって』

 

『いこう』『いこう』『いこう』

 

地下室に隠れていた人たちが、窓から顔を出していた。避難していた人たちが、通りの真ん中で立ち止まって、空を見上げていた。

 

子どもが、光の粒に手を伸ばしていた。

 

普段、精霊は人の目には見えない。でも、これだけ集まれば、見える。見えてしまう。

 

もう、隠しようがなかった。

 

それでいいと思った。

 

*

 

「……ありえない」

 

クラウスが、呻くように言った。

 

革張りの箱を抱えたまま、見張り台の手すりにしがみついていた。眼鏡がずり落ちかけているのにも気づいていない。

 

「精霊の、可視化……? こんな密度で……? いや、精霊は現象だ。意思のない、魔力の凝集で……呼びかけに応えるなど……」

 

俺は、クラウスの方を見なかった。

 

火矢をつがえた衛兵たちが、弓を下ろしかけたまま固まっていた。衛兵長の上がりかけた手が、空中で止まっていた。

 

「――風の子たち」

 

呼びかけると、夜風がふわりと俺の体を包んだ。

 

「下まで、連れていって」

 

『まかせて!』

 

足が、見張り台の床から離れた。

 

体が、ゆっくりと宙に浮かぶ。そのまま、傾いた見張り台の縁を越えて、壊れた門の真上を通り過ぎて、石畳の上へと降りていく。

 

銀髪が、光の中でなびいていた。

 

マルタさんの、すぐ目の前に降り立った。

 

*

 

マルタさんは、壁にもたれて、大剣を杖みたいについていた。

 

脇腹の血は、まだ止まっていなかった。顔は真っ白で、唇まで色を失っていた。それでも、その目は、ちゃんと俺を見ていた。

 

「……リア?」

 

「はい」

 

「あんた……それ……」

 

マルタさんの目が、俺の銀髪を、尖った耳を、周りを飛び交う無数の光を、ゆっくりと見ていった。

 

俺は、少しだけ笑った。

 

「あとで、ちゃんと話します。だから、下がっててください」

 

「……馬鹿言え。あんた、走れも――」

 

「今夜は、大丈夫です」

 

本当だった。

 

足元から、光が俺を支えていた。地面の精霊が、一歩ごとに、足の裏をそっと押し上げてくれている。息は切れなかった。体が、羽みたいに軽かった。

 

俺は、マルタさんに背を向けて、壊れた門の外へ歩き出した。

 

*

 

門の外は、緑色の光に覆われていた。

 

濁った、気持ちの悪い光。それが、地面を這うように広がって、畑の作物を枯らしていく。

 

その真ん中に、森のぬしが立っていた。

 

見上げると、首が痛くなるほど大きかった。黒樫の幹を束ねた脚。蔦で縫い合わされた体。夜空を引っかくような、枝分かれした角。胸の穴の中で、緑色の光が、苦しそうに脈打っている。

 

蔦が、一斉に俺の方を向いた。

 

何十本もの黒い蔦が、鎌首をもたげて、槍みたいな先端をこっちに向ける。

 

俺は、止まらなかった。

 

一歩、近づく。

 

蔦が、振り下ろされた。

 

――そして、俺の顔の前で、ぴたりと止まった。

 

蔦の先端が、震えていた。迷っているみたいに。何かを確かめるみたいに。

 

俺は、その蔦にそっと手を伸ばして、触れた。

 

ざらりとした樹皮の感触。冷たかった。ひどく冷たくて、ひどく疲れていた。

 

巨大な頭が、ゆっくりと下りてきた。

 

森のぬしが、俺を見下ろしていた。

 

大きな、大きな目だった。本当なら、ツノさんと同じ、深い琥珀色なんだろう。今は、濁った緑色に塗りつぶされていた。

 

『……だれだ』

 

声が、頭の中に直接響いた。

 

地の底から湧き上がるような、低い、古い声だった。

 

「リア」

 

俺は、答えた。

 

「アルヴの森から、来た」

 

『……おおきなきの、こ』

 

濁った目が、わずかに揺れた。

 

『たいじゅのこが、なぜここにいる。なぜ、にんげんのまちに』

 

「ここで、暮らしてるから」

 

『……かえせ』

 

声が、震えた。

 

『かえせ。わたしのこどもたちを、かえせ。にんげんが、とった。ちいさいこから、じゅんばんに。いたいと、ないていた。わたしは、きいていた。ずっと、きいていた。なにも、できなかった』

 

胸の穴の光が、激しく明滅した。

 

『かえせ』

 

「うん」

 

俺は、言った。

 

「返す」

 

濁った目が、俺をじっと見つめた。

 

「……痛かったね」

 

蔦に触れたまま、言った。

 

「ごめん。気づいてたのに。昨日、森に行って、杭を見て、あの子たちが泣いてるのを聞いてたのに。すぐに、来なかった」

 

怖かったんだ。今の暮らしが、なくなるのが。

 

それは、言わなかった。言っても、仕方のないことだった。

 

森のぬしは、何も言わなかった。

 

ただ、俺に向けられていた蔦が、一本、また一本と、ゆっくり地面に下りていった。

 

*

 

俺は、地面に膝をついた。

 

両方の手のひらを、土の上に置く。

 

冷たくて、乾いていて、緑色の光に侵されてひび割れた土。その奥に、精霊たちがいるのが分かった。土の精霊。根の精霊。石の精霊。みんな、縮こまって、痛みに耐えていた。

 

「ねえ」

 

土に向かって、話しかける。

 

「森の中に、鉄の杭があるよね。緑の水晶がついたやつ」

 

『……ある』『いっぱい』『いたいやつ』

 

「何本ある?」

 

『……よんじゅう、なな』

 

四十七本。

 

森中に、そんなに打ち込んでいたのか。

 

「それ、全部」

 

俺は、手のひらに、少しだけ力を込めた。

 

「押し出してくれる?」

 

一瞬の、静寂。

 

それから、大地が、震えた。

 

*

 

黒樫の森の中で、緑色の光が、四十七個、一斉に跳ね上がった。

 

地面の下から、何か巨大な手に押し出されたみたいに。鉄の杭が、土を突き破って、夜空へ向かって飛び出していく。くるくると回転しながら、森の木々よりも高く舞い上がる。

 

そして、空中で。

 

水晶が、割れた。

 

ぱきん、と澄んだ音がした。四十七回。森のあちこちから、硝子が砕けるような音が、重なって響いた。

 

割れた水晶から、光が溢れた。

 

緑色じゃなかった。

 

若葉の色。木漏れ日の色。朝露が光を受けた時の色。

 

閉じ込められていた精霊たちだった。

 

何千、何万という小さな光が、砕けた水晶から一斉に解き放たれて、夜空に舞い上がった。くるくると渦を巻いて、光の竜巻みたいに立ちのぼって、それから、ゆっくりと森へ降りていく。

 

『でられた』『でられた!』『おかあさん!』

 

声が、聞こえた。

 

小さな、小さな声が、何千も。泣きながら、笑いながら。

 

見張り台の上で、悲鳴が上がった。

 

クラウスだった。

 

抱えていた革張りの箱が、内側から弾けるように開いていた。中に並んでいた緑色の結晶が、ひとつ残らず砕けていた。そこから溢れ出した光が、クラウスの腕を、胸を、顔をかすめて、夜空へ飛び立っていく。

 

ひとつの小さな光が、クラウスの頬に、そっと触れていった。

 

クラウスは、空っぽになった箱を抱えたまま、その場にへたり込んだ。

 

眼鏡の奥の目が、飛んでいく光を、呆然と追いかけていた。

 

*

 

解き放たれた光は、川になった。

 

森から、町から、空から。何万という光の粒が、一本の流れになって、森のぬしの胸の穴へと吸い込まれていく。

 

濁った緑色が、溶けていった。

 

胸の穴が、柔らかな光で満たされていく。木漏れ日みたいな、金色がかった若草色の光。

 

森のぬしの目から、緑色の濁りが、すうっと引いていった。

 

その下から現れたのは、深い、深い琥珀色だった。

 

ツノさんと、同じ色だった。

 

足元で、何かが動いた。

 

見下ろすと、ひび割れた土の隙間から、小さな芽が顔を出していた。

 

ひとつ、ふたつ。それから、一斉に。

 

枯れていた畑に、緑が戻っていく。若い芽が伸びて、葉を広げて、蕾をつけて。

 

花が、咲いた。

 

白い花。青い花。小さな星みたいな黄色い花。アルヴの森を抜けたあの夜、ツノさんの背中から見たのと同じ花が、森の縁から壊れた東門まで、一本の道みたいに咲き広がっていった。

 

緑色に目を光らせていた獣たちが、立ち止まっていた。

 

ぱちぱちと瞬きをして、きょとんとした顔で辺りを見回して、それから、ゆっくりと森の方へ帰っていく。狼も、鹿も、猪も。もう、誰の目も光っていなかった。

 

*

 

森のぬしが、頭を下げた。

 

巨大な鼻先が、俺の額に、そっと触れた。

 

温かかった。さっき触れた蔦とは違って、春の土みたいに温かかった。

 

『……ありがとう、たいじゅのこ』

 

声が、頭の中に響いた。

 

さっきまでの、軋むような声じゃなかった。古くて、穏やかで、少しだけ眠そうな声だった。

 

『おまえは、ユーディアのつぎのこだな』

 

息が、止まった。

 

「……先代を、知ってるの?」

 

『むかし、ここにきた。おまえと、おなじかおで、わらっていた』

 

それだけ言って、森のぬしは、ゆっくりと頭を上げた。

 

背を向けて、森の方へ歩いていく。

 

一歩ごとに、その体がほどけていった。黒樫の幹が、一本、また一本と地面に下りて、根を張って、元の木に戻っていく。蔦が、するすると幹に巻きついていく。苔が、土に還っていく。

 

最後に、角が残った。

 

枝分かれした巨大な角が、森の縁に立つ、ひときわ大きな黒樫の木になった。

 

それで、終わりだった。

 

森は、静かになった。

 

*

 

東の空が、白み始めていた。

 

本物の、夜明けだった。

 

振り返ると、壊れた門の内側に、たくさんの人が立っていた。衛兵。冒険者。避難しそびれた町の人たち。見張り台の上の、火矢を下ろした弓兵たち。

 

誰も、何も言わなかった。

 

みんな、俺を見ていた。

 

夜明けの光の中に立つ、銀髪の、耳の尖った、光の粒をまとった誰かを。

 

「……銀の髪」

 

かすれた声がした。

 

人垣の中から、片腕のおじいさんが、一歩前に出ていた。ギルド長の、ボルクさんだった。

 

「精霊を従え……森と、言葉を交わす……」

 

ボルクさんの声が、震えていた。

 

「子どもの頃に、婆さんから聞かされた……おとぎ話の……」

 

その先は、別の誰かが継いだ。

 

「……ハイエルフ」

 

ひとりが言うと、ざわめきが広がった。

 

「ハイエルフだ」 「本物の……」 「魔力ゼロのエルフじゃ、なかったのか……」

 

俺は、そのざわめきから目を逸らして、門の脇の石壁を見た。

 

マルタさんが、まだ、そこにもたれていた。

 

*

 

駆け寄った。

 

本当に駆け寄れた。足が、まだ軽かった。

 

マルタさんの脇腹の傷は、ひどかった。革鎧ごと裂けて、血がまだ流れ出していた。

 

「……おう。終わったか」

 

マルタさんは、目を細めて、俺を見上げた。

 

「しゃべらないでください」

 

俺は、傷の上に手をかざした。

 

「ねえ。この傷、治せる?」

 

周りの精霊たちに、聞いた。

 

『いやしぐさのこたちが、てつだうって』

 

『もりで、りあにくさをあげたこたち』『おれいだって』

 

黒樫の森の方から、淡い緑色の光が、ふわふわと飛んできた。昨日、俺の籠に癒し草を詰め込んでくれた、あの空き地の精霊たちだ。

 

光が、マルタさんの傷口に降りていく。

 

裂けた肉が、ゆっくりと閉じていった。血が止まる。赤黒い傷口が、薄い桃色の線になって、それから、白い傷痕になった。

 

マルタさんは、自分の脇腹を見下ろして、しばらく黙っていた。

 

それから、ぼそっと言った。

 

「……あんた、魔力ゼロじゃなかったのかよ」

 

「……ゼロでした。精霊たちが、隠しすぎたので」

 

マルタさんが、吹き出した。

 

笑って、それから脇腹を押さえて顔をしかめて、それでも笑っていた。

 

「姉ちゃん!! マルタ!!」

 

声がした。

 

建物の陰から、トビが走ってくるのが見えた。顔がぐしゃぐしゃだった。涙と、鼻水と、砂埃で。

 

よかった、と思った。

 

みんな、ちゃんといる。

 

そう思った瞬間、膝から力が抜けた。

 

「――リア?」

 

マルタさんの声が、遠くなっていく。

 

視界が、白く霞んでいく。

 

不思議な感覚だった。周りの音が、ゆっくりになっていく。トビの叫び声が、間延びして、聞き取れなくなっていく。

 

代わりに、葉ずれの音が聞こえた。

 

さわさわと、木の葉が風に揺れる音。それだけが、やけに長く、やけにはっきりと響いていた。

 

まるで、大きな木の根元で、昼寝をしているみたいだった。

 

「姉ちゃん! 姉ちゃん!!」

 

トビの声を最後に、俺の意識は、葉ずれの音の中に沈んでいった。

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