【TS】世界樹から実ったハイエルフ(中身は元社畜)、八百年ぶりの上位種として崇められていますが、人間の町でのんびり暮らしたいだけです   作:月白イツキ

17 / 21
第16話 三日目の朝

目を開けると、斜めの天井が見えた。

 

跳ね鹿亭の、屋根裏部屋の天井だった。小さな窓から、朝の光が差し込んでいる。背中に、藁のちくちくした感触。

 

ああ、帰ってきたんだな、と思った。

 

体を起こそうとして、右腕が動かないことに気づいた。

 

見ると、トビがいた。

 

寝台の脇の床に座り込んで、上半身を寝台に預けて、眠っていた。両手で、俺の外套の袖をぎゅっと握りしめたまま。頬に、涙の乾いた跡があった。

 

部屋の隅の椅子には、マルタさんがいた。

 

腕を組んで、背もたれに体を預けて、目を閉じている。脇腹のあたりに、包帯が巻かれているのが見えた。

 

『おきた!』

 

枕元で、精霊たちがぱっと光った。

 

『りあ、おきた!』『おはよう!』『ながかった!』

 

「……おはよう」

 

小声で返す。トビを起こさないように。

 

「俺、どれくらい寝てた?」

 

『みっか』

 

「……え」

 

『みっか』『みっかと、すこし』

 

三日。

 

嘘だろ、と思った。

 

感覚としては、ほんの少し、うとうとしただけだった。葉ずれの音を聞きながら、大きな木の根元で、ちょっと昼寝をしたくらいの。十分か、二十分か。そんなものだと思っていた。

 

『りあ、きのじかんに、はいってた』

 

「木の時間?」

 

『たいじゅのこは、ときどき、はいる』『つかれたとき』『いっぱい、ちからつかったとき』

 

精霊たちは、なんでもないことみたいに言った。

 

『まえのこも、よく、はいってた』

 

『ながいときは、じゅうねん』

 

――十年。

 

背中が、ひやりとした。

 

十分の昼寝だと思っていたら、三日経っていた。もし、それが十年だったら。目を覚ましたら、トビが二十一歳になっていたら。

 

「……気をつけないとな」

 

呟いた声に、床の上のトビが、もぞりと動いた。

 

*

 

トビは、ゆっくりと顔を上げた。

 

寝ぼけた目で、俺の顔を見た。

 

ぱちぱちと、二回瞬きをした。

 

それから、その顔が、みるみるうちにくしゃくしゃになった。

 

「……おはよう、トビ」

 

「――おはようじゃ、ねえよっ!!」

 

怒鳴られた。

 

「三日だぞ! 三日も起きなかったんだぞ! 息はしてるのに、いくら呼んでも、揺すっても、全然起きなくて! ハンナさんが医者呼んでも、医者も分かんねえって言って!」

 

トビの目から、ぼろぼろと涙がこぼれていた。

 

「死んだかと思った! 婆ちゃんみたいに、そのまま、起きなくなるのかと思った!」

 

――婆ちゃんみたいに。

 

胸に、ずしりと何かが落ちた。

 

この子は、もう一度、それを経験するところだったのか。大事な人が、目を閉じたまま起きなくなるのを。

 

「……ごめん」

 

俺は、トビの頭に手を置いた。ぼさぼさの茶色い髪。

 

「ごめんな、トビ」

 

トビは、俺の手を振り払わなかった。代わりに、寝台に顔を埋めて、声を上げて泣いた。

 

*

 

「……起きたか」

 

低い声がした。

 

マルタさんが、椅子から立ち上がっていた。

 

大股で寝台の脇まで来ると、無言で、その大きな手を俺の頭の上に置いた。

 

そして、髪をぐしゃぐしゃにかき回した。

 

「わっ、ちょっ」

 

「心配させんな、馬鹿」

 

乱暴な手つきだった。でも、痛くはなかった。

 

マルタさんの手が、止まった。

 

「――で」

 

俺の頭に手を置いたまま、マルタさんは、俺の顔を覗き込んだ。

 

「話してもらおうか。全部」

 

*

 

話した。

 

全部ではない。前世のことは、言わなかった。言っても、たぶん信じてもらえないし、うまく説明できる気もしなかった。

 

それ以外は、全部話した。

 

アルヴの森の、大樹アルヴ・オルドから実ったこと。ハイエルフという種族のこと。八百年ぶりに生まれたこと。エルフたちに崇められて、神殿に閉じ込められそうになったこと。毎朝一時間の讃美歌と、朝露と花びら三枚の食事と、聖なる木苺のこと。耐えきれなくなって、夜逃げしてきたこと。

 

魔力ゼロは、精霊たちが隠しすぎた結果だということ。

 

失せ物探しも、癒し草も、全部精霊たちに頼んでいたこと。

 

マルタさんは、腕を組んだまま、黙って聞いていた。トビは、涙を拭きながら、目を丸くして聞いていた。

 

「……ちょっと待て」

 

話が終わると、マルタさんが眉間を押さえた。

 

「大樹から、実った?」

 

「はい」

 

「いつ」

 

「えっと……一か月と、ちょっと前、です」

 

沈黙。

 

「……一か月?」

 

「はい」

 

「あんた、生まれて一か月なのか」

 

「実った時から、この見た目でしたけど」

 

マルタさんは、天井を仰いだ。

 

「……道理で、何にも知らないわけだ。銀貨も、身分証も、エールの飲み方も」

 

「すみません」

 

「――待って」

 

トビが、指を折って何かを数えていた。

 

「一か月って……おれ、十一歳だから……」

 

顔を上げた。

 

「おれの方が、年上じゃん」

 

「……は?」

 

「おれの方が、兄ちゃんじゃん!」

 

「それは違う」

 

「違わねえよ! 十一歳と一か月だぞ! おれの方が百倍以上年上だぞ!」

 

「計算はあってるけど、違う」

 

俺とトビが言い合っている横で、マルタさんが、肩を震わせていた。

 

笑いをこらえていた。こらえきれていなかった。

 

*

 

笑いが収まってから、マルタさんは、ふっと真面目な顔になった。

 

「なんで、黙ってた」

 

責める声じゃなかった。ただ、聞いている声だった。

 

俺は、少し考えてから、答えた。

 

「知られたら、また、崇められると思ったんです。神殿みたいに。どこかに閉じ込められて、毎日拝まれて。……そうなったら、もう、ここにいられなくなるって」

 

言いながら、窓の外を見た。

 

「ここでの暮らしが、好きだったので」

 

藁の寝台。屋台の串焼き。ハンナさんの煮込み。トビと歩き回った路地。マルタさんと飲んだ、ぬるいエール。

 

「だから、隠してました。……すみません」

 

マルタさんは、しばらく何も言わなかった。

 

それから、またひとつ、俺の頭に手を置いた。今度は、かき回さなかった。ただ、置いただけだった。

 

「あんたは、あんただろ」

 

「……」

 

「ハイエルフだろうが、生まれて一か月だろうが、知るか。あたしが知ってるのは、エール半分で酔っぱらって、泣きながら串焼き食って、借りた銅貨を律儀に返そうとする、変なエルフだ」

 

マルタさんは、ぶっきらぼうに言った。

 

「それで、十分だ」

 

「……姉ちゃんは、姉ちゃんだ」

 

トビが、ぼそっと付け加えた。

 

「年下でも、姉ちゃんは姉ちゃん」

 

目の奥が、熱くなった。

 

この体になってから、泣いてばかりな気がする。

 

*

 

ハンナさんが、湯気の立つ椀を持って上がってきた。

 

「おや、起きたのかい! まったく、心配かけて!」

 

椀の中身は、腸詰めと豆の煮込みだった。三日ぶりの、いつもの味だった。

 

「表、見てごらん」

 

ハンナさんが、窓の外を顎でしゃくった。

 

小さな窓から、跳ね鹿亭の前の路地を見下ろした。

 

人が、並んでいた。

 

路地の端から端まで、ぎっしりと。みんな、跳ね鹿亭の入口の方を見上げている。手に、何かを持っている。

 

「この三日、ずっとこうさ。ハイエルフ様にお礼を、ってね」

 

入口の脇には、何かが山積みになっていた。

 

花。籠に入ったパン。果物。

 

嫌な予感がした。

 

神殿と、同じだ。拝まれて、供え物をされて――

 

「あと、腸詰めとか、燻製肉とか、串焼きとか」

 

ハンナさんが続けた。

 

「……え?」

 

「町中の噂になってるよ。ハイエルフ様は、肉がお好きだって。屋台の親父が言いふらしたらしくてね。泣きながら串焼き三本食べてたって」

 

もう一度、窓の下の山を見た。

 

花とパンの間に、確かに、紐で縛った腸詰めの束や、燻製肉の塊や、包み紙に包まれた串焼きが積まれていた。

 

……神殿とは、ちょっと違うかもしれない。

 

少なくとも、肉だ。

 

*

 

「あの眼鏡の魔術師は?」

 

煮込みをすすりながら聞くと、マルタさんが肩をすくめた。

 

「昨日の朝、王都に帰った。部下の二人を置いて、ひとりで馬を飛ばしてったらしい」

 

「……そうですか」

 

「出ていく前に、一度ここに来たよ」

 

ハンナさんが言った。

 

「宿の前に、長いこと突っ立ってた。入ってくるでもなく、帰るでもなく。何か言いたそうな顔してたけどね。結局、何も言わずに行っちまった」

 

クラウスの、最後の顔を思い出した。

 

空っぽになった箱を抱えて、飛んでいく光を、呆然と追いかけていた目。

 

頬に触れていった、小さな光。

 

あの人は、王都で何を報告するんだろう。

 

*

 

昼過ぎに、もうひとり客が来た。

 

ギルドの素材買い取りカウンターの、片眼鏡の老人だった。

 

ギルベルトさんというらしい。屋根裏の狭い階段を、息を切らしながら上がってきた。手に、一通の手紙を握りしめていた。

 

「リ、リア殿……いや、リア様……」

 

声が震えていた。

 

「王都の鑑定院の知人から、返事が来ましてな。例の、あの葉の件で」

 

嫌な予感がした。

 

「……あれは、世界樹の葉だそうです」

 

ギルベルトさんは、手紙を広げた。手が、がたがたと震えていた。

 

「千年前の文献に、一度だけ記録がある、伝説の霊薬の素材。煎じて飲めば、いかなる病も、どんな深手も癒すと。……老いにだけは、効かぬそうですが。鑑定院の見立てでは、一枚で、金貨三百枚の値がつくと」

 

金貨、三百枚。

 

銅貨に直すと、三百万枚。串焼きなら、百万本。

 

「わ、わしは、それを、銅貨十枚で……」

 

ギルベルトさんは、その場に膝をついた。

 

「差額を、お支払いせねばなりません。いや、とても払える額ではない。一生かかっても払えん。しかし、商人として、このままでは……」

 

「いや、いいですよ」

 

俺は、慌てて手を振った。

 

「銅貨十枚で売るって決めたのは、私ですし。ギルベルトさん、ちゃんと鑑定してくれようとしたじゃないですか。鑑定具、煙吹いてましたけど」

 

「し、しかし……」

 

「いや、待て」

 

マルタさんが、口を挟んだ。

 

真顔だった。

 

「リア。その葉っぱ、まだ持ってるのか」

 

「九枚」

 

部屋の中が、しんとなった。

 

金貨、二千七百枚。

 

袖の中に、ずっと入っていた。

 

「…………」

 

俺は、ゆっくりとマルタさんの方を向いた。

 

「……マルタさん」

 

「なんだ」

 

「借金、返せますね」

 

「C級になったら、って言っただろ」

 

即答だった。

 

「……じゃあ、C級になるまで、待っててください」

 

マルタさんは、一瞬きょとんとして、それから、また吹き出した。

 

*

 

ギルベルトさんは、帰り際に、小声で付け加えた。

 

「それと……鑑定院の知人が、この葉をどこで手に入れたのかと、しつこく尋ねてきておりましてな。わしは、知らぬと答えておきましたが……」

 

片眼鏡の奥の目が、心配そうに揺れていた。

 

「東の森の騒ぎも、もう王都に伝わっておるでしょう。ハイエルフが現れた、と。……リア様。王都は、おそらく、放ってはおきませんぞ」

 

*

 

その日の夕方。

 

窓辺で、路地の行列をぼんやり見下ろしていると、肩の上の精霊が、ぴくりと動いた。

 

『りあ』

 

「ん?」

 

『だれか、くる』

 

精霊は、北の方角を指すように光った。

 

町の北門の方。アルヴの森がある方角だ。

 

『もりのほうから』『ずっと、まいごだったこ』

 

「迷子?」

 

『りあのこと、さがしてたこ』

 

――探してた?

 

嫌な予感がした。

 

今日で、三回目だった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。