【TS】世界樹から実ったハイエルフ(中身は元社畜)、八百年ぶりの上位種として崇められていますが、人間の町でのんびり暮らしたいだけです   作:月白イツキ

18 / 20
第17話 偶然でございます

その人は、日が沈む少し前に、跳ね鹿亭の前の路地に現れた。

 

最初に気づいたのは、行列の後ろの方にいた子どもたちだった。

 

「なんか、変な人が来た」

 

「ぼろぼろ」

 

「耳、長い」

 

ざわめきが、行列の後ろから前へ、波みたいに伝わってくる。

 

俺は、屋根裏の窓から路地を見下ろした。

 

人垣が、左右に割れていた。

 

その真ん中を、ひとりの女の人が、よろよろと歩いてくる。

 

白と金の刺繍が入っていたはずの儀式服は、泥と草の汁で茶色くまだらになっていた。裾はずたずたに裂けて、片方の袖がなくなっていた。蜂蜜色の長い髪には、小枝と枯れ葉と、なぜか鳥の羽根が絡まっていた。蔦を編んだ冠は、斜めにずり落ちて、半分くらい枯れていた。

 

手には、杖。腰には、空っぽの袋。

 

それでも、背筋だけは、まっすぐに伸びていた。

 

「……セレスさん」

 

声が、漏れた。

 

その声が聞こえたはずはない。屋根裏の窓から、路地まで、かなり距離がある。

 

それなのに、セレスさんは、ぴたりと足を止めた。

 

ゆっくりと、顔を上げた。

 

翡翠色の目が、屋根裏の窓の、俺を捉えた。

 

その目から、ぼろぼろと、涙がこぼれ落ちた。

 

「――リア様ああああああっ!!」

 

セレスさんは、路地の真ん中で、勢いよく地面にひれ伏した。

 

額を石畳に打ちつける、ごん、という音が、屋根裏まで聞こえた。

 

*

 

階段を、転げ落ちるように降りた。

 

トビが後ろから支えてくれた。マルタさんが「なんだなんだ」とついてきた。

 

跳ね鹿亭の扉を開けると、路地中の視線が、俺に集まった。

 

その真ん中で、セレスさんが、まだ石畳に額をつけていた。

 

「……セレスさん」

 

「リア様……!」

 

セレスさんは、顔を上げなかった。額を地面につけたまま、震える声で言った。

 

「探しては、おりません!」

 

「……え」

 

「決して、探してはおりません! リア様の御言葉に背くようなことは、決して! わたくしは、巫女として、人の世を見聞するために里を出ただけでございます!」

 

セレスさんの声は、どんどん大きくなっていった。

 

「見聞の途中で、偶然、この町に立ち寄りましたところ! 偶然、ハイエルフ様がおられるという噂を耳にいたしまして! 偶然、この宿の前を通りかかりましたところ! 偶然、リア様のお姿を拝見いたしまして!」

 

「……」

 

「ですから、これは、偶然でございます!!」

 

路地が、静まり返った。

 

俺は、セレスさんの前にしゃがみ込んだ。

 

ずたずたの服。泥だらけの手。髪に絡まった鳥の羽根。

 

「……セレスさん」

 

「はい」

 

「里を出たのって、いつですか」

 

「……リア様が旅立たれた、翌日でございます」

 

「それから、ずっと?」

 

「……」

 

セレスさんの肩が、小さく震えた。

 

「……南が、どちらか、分からなくなりまして」

 

消え入りそうな声だった。

 

「東の山の村に出てしまい……そこから南へ向かったつもりが、沼地に迷い込み……沼地を抜けたら、なぜか西の街道に出ておりまして……そこで、東の町にハイエルフが現れたという噂を聞いて……」

 

「一か月、迷子だったんですか」

 

「…………はい」

 

セレスさんは、額を地面につけたまま、しくしくと泣き出した。

 

――この人、二百四十二年、森から一歩も出たことがなかったんだよな。

 

森の中なら、大樹を見れば方角が分かる。でも、森の外には大樹がない。地図の読み方も知らない。人間の町の歩き方も知らない。

 

それでも、一か月、歩き続けたのか。

 

探してないと、言い張りながら。

 

俺は、セレスさんの肩に手を置いた。

 

「……顔、上げてください」

 

「で、ですが、わたくしは、リア様の御言葉に――」

 

「いいから」

 

セレスさんが、おそるおそる顔を上げた。

 

額が、真っ赤になっていた。石畳に打ちつけたせいだ。涙と泥で、顔がぐちゃぐちゃだった。

 

俺は、ちょっとだけ笑った。

 

「おかえりなさい、じゃないか。……いらっしゃい、セレスさん」

 

セレスさんの顔が、くしゃりと歪んだ。

 

それから、子どもみたいに声を上げて泣いた。

 

*

 

問題は、その後だった。

 

「……エルフの巫女様が、ひれ伏して……」

 

「やっぱり、本物のハイエルフ様なんだ……」

 

「エルフの偉い人があんなに頭を下げるなんて……」

 

路地の人たちが、ざわめき始めた。

 

そして、ひとり、またひとりと、膝をつき始めた。

 

「いや、ちょっと、待って」

 

俺は慌てて立ち上がった。

 

「やめて、拝まないで。お願いだから」

 

「ハイエルフ様……」

 

「ありがたや……」

 

「本当にやめて!」

 

叫んでも、膝をつく人は減らなかった。路地の端から端まで、ずらりと人が跪いていく。

 

神殿だ。ここも神殿になりかけている。

 

「……おい」

 

後ろから、マルタさんの低い声がした。

 

「この人、知り合いか」

 

「……里の、巫女さんです」

 

「姉ちゃんの、なに?」

 

トビが、警戒した野良猫みたいな目で、セレスさんを見ていた。

 

「えっと……」

 

何と説明すればいいんだろう。

 

毎晩、髪を梳いてくれた人。百四十二年、俺が生まれるのを待っていた人。俺が置き手紙ひとつで捨ててきた人。それでも、一か月迷子になりながら、追いかけてきてくれた人。

 

「……大事な人、かな」

 

セレスさんが、泣きながら、また地面にひれ伏した。

 

*

 

セレスさんを跳ね鹿亭に連れて入ると、ハンナさんが目を丸くして、それからすぐに湯を沸かしてくれた。

 

風呂を使わせてもらって、ハンナさんの古い服を借りて、髪の小枝と羽根を全部取って。食堂の隅の席に座ったセレスさんは、ようやく、俺の知っている巫女のセレスさんに戻っていた。服が、宿屋の女将さんのお下がりの、くたびれた麻の上着だったけど。

 

そのセレスさんの目が、テーブルの上で、凍りついた。

 

「……リア様」

 

「はい」

 

「そ、それは……」

 

俺の前には、木の皿が置いてあった。

 

表に積まれていた差し入れの、腸詰めの束から、ハンナさんが何本か焼いてくれたものだ。表面がぱりっと焦げて、脂がじゅうじゅう言っている。

 

「獣の、肉……」

 

セレスさんの顔から、血の気が引いていった。

 

「リア様の、御身に……獣の肉を……誰が、このような……」

 

「私です」

 

俺は、腸詰めを一本、フォークで刺した。

 

「私が、好きなんです。肉」

 

「…………」

 

セレスさんは、たっぷり十秒、固まっていた。

 

書記係がいたら、きっと羽根ペンが折れるくらいの勢いで何か書いていただろう。

 

俺は、腸詰めをかじった。

 

ぱりっ、と皮が弾けて、熱い肉汁が口の中にあふれた。塩気と、香草と、脂の甘さ。

 

うまかった。

 

思わず、顔がゆるんだ。

 

セレスさんは、俺の顔をじっと見ていた。

 

森で、木苺を食べていた時と同じ顔をしていたんだと思う。

 

やがて、セレスさんは、ふっと肩の力を抜いた。

 

「……リア様が、お好きなら」

 

小さな声だった。

 

「それで、よいのだと思います」

 

それから、懐から、小さな手帳と炭筆を取り出した。

 

さらさらと、何かを書きつける。

 

覗き込むと、こう書いてあった。

 

『リア様、獣の肉を好まれる。腸詰めを召し上がり、御顔をほころばせる』

 

「……それ、何ですか」

 

「御言行録の、続きでございます。書記の者が里に残りましたので、わたくしが代わりに」

 

まだ続けるのか、それ。

 

*

 

その夜。

 

屋根裏の窓辺に、セレスさんと並んで座った。

 

トビは、床の藁の上で寝ている。今夜からは、セレスさんの分の藁も敷いた。狭い屋根裏が、もっと狭くなった。

 

星がよく見えた。

 

「リア様」

 

セレスさんが、静かに言った。

 

「わたくしは、気づいておりませんでした」

 

「……何にですか」

 

「神殿が、リア様にとって、何であったか」

 

セレスさんは、膝の上で手を握りしめていた。

 

「八百年かけて整えた神殿でございました。リア様が何不自由なくお過ごしになれるよう、何もかもを揃えたつもりでございました。……けれど、それは、わたくしどもがリア様にお仕えしたいという、わたくしどもの望みでしかなかったのですね」

 

俺は、何も言わなかった。

 

「リア様が、木苺を召し上がった時のお顔。今日、腸詰めを召し上がった時のお顔。……神殿では、一度しか見られませんでした」

 

セレスさんは、窓の外の夜空を見上げた。

 

「リア様が、ここでお暮らしになりたいのでしたら。わたくしは、お止めいたしません。里へお連れ戻しすることも、いたしません」

 

「……いいんですか。巫女なのに」

 

「ただ」

 

セレスさんが、俺の方を向いた。

 

「――おそばに、置いていただけませんか」

 

翡翠色の目が、まっすぐに俺を見ていた。

 

「御髪を、お梳きするくらいしか、できませんが」

 

俺は、しばらく黙っていた。

 

それから、小さく息を吐いた。

 

「巫女の仕事は、いいんですか」

 

「見聞中でございます」

 

即答だった。

 

思わず、吹き出してしまった。

 

「……拝まないなら、いいですよ」

 

「努力いたします」

 

それは、たぶん無理だろうなと思った。

 

でも、まあ、いいか。

 

*

 

それから、十日ほど経った朝。

 

跳ね鹿亭の前の路地に、蹄の音が響いた。

 

窓から見下ろすと、白馬に乗った騎士が四人、路地の入口に並んでいた。銀色の鎧。青いマント。マントの背には、金糸で獅子の紋章が縫い取られている。

 

その真ん中に、緋色の服を着た、細身の男が馬から降りるところだった。手に、丸めた羊皮紙を持っている。羊皮紙には、赤い蝋で封がしてあった。

 

路地の人たちが、慌てて道を空けた。

 

男は、跳ね鹿亭の扉の前に立つと、羊皮紙を広げて、朗々と読み上げた。

 

「――ハルトンに在りし、ハイエルフ殿へ!」

 

路地中に響き渡る声だった。

 

「レーヴェン王国国王、ルドルフ四世陛下の御名において、王都アルセリアへのご来訪を、謹んでお願い申し上げる!」

 

*

 

「……招聘状、ってやつですか」

 

食堂のテーブルで、俺は、受け取った羊皮紙を眺めていた。

 

立派な紙だった。金の縁取りがしてあって、最後に、王様の名前と、獅子の印章が押してある。

 

使者の人――王宮の伝令官だという細身の男は、テーブルの向こうで、緊張した顔で直立していた。

 

「陛下は、ハイエルフ殿の王都へのご来訪を、心より望んでおられます。また……」

 

伝令官は、少しだけ言い淀んだ。

 

「魔術院長、ヴァルド閣下も、ぜひお目にかかりたいと、強く希望しておられます」

 

ヴァルド。

 

クラウスが言っていた名前だ。精霊結晶を、国家の事業として推し進めている人。

 

「……これ、断れます?」

 

伝令官の顔が、さっと青ざめた。

 

「そ、それは……陛下の御意を、お断りになると……?」

 

「断ったら、たぶん、もっと面倒なのが来るぞ」

 

隣で、マルタさんがエールをすすりながら言った。朝からだ。

 

「次は、使者じゃなくて、軍隊かもな」

 

「……ですよね」

 

俺は、ため息をついた。

 

のんびり暮らしたかっただけなんだけどな。

 

肉を食って、エールを飲んで、失せ物を探して。それだけのつもりだったんだけどな。

 

羊皮紙を、もう一度眺めた。

 

王都アルセリア。

 

「……あの」

 

「は、はいっ」

 

「王都って、串焼きの屋台、あります?」

 

伝令官は、目をぱちくりさせた。

 

「は、はあ……王都の南大通りの屋台街は、国一番と名高く……串焼きだけでも、百を超える屋台が……」

 

百。

 

串焼きの屋台が、百。

 

「行きます」

 

「えっ」

 

「行きます。王都」

 

テーブルの向こうで、マルタさんがエールを噴き出した。トビが「おれも行く!」と叫んだ。セレスさんが、懐から手帳を取り出して、何かを猛烈な勢いで書きつけ始めた。

 

たぶん、『リア様、串焼きのために王都行きを決められる』とか、そんなことだろう。

 

否定はしない。

 

窓の外で、精霊たちが、楽しそうに明滅していた。

 

『おでかけ?』『また、おでかけ!』『りあ、どこいくの?』

 

「王都だってさ」

 

小声で答えて、俺は、残りの腸詰めを口に放り込んだ。

 

――行くか。王都。

 

(第一部 出奔編 了)

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。