【TS】世界樹から実ったハイエルフ(中身は元社畜)、八百年ぶりの上位種として崇められていますが、人間の町でのんびり暮らしたいだけです   作:月白イツキ

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第18話 旅立ちの前に

出発は、五日後と決まった。

 

伝令官の人は、一刻も早く王都へ、と言いたげな顔をしていたけど、俺が「準備がありますので」と言うと、それ以上は何も言わなかった。たぶん、ハイエルフの機嫌を損ねたら首が飛ぶ、くらいに思っているんだろう。気の毒だ。

 

準備といっても、荷物はほとんどない。

 

やらなきゃいけないのは、挨拶だった。

 

*

 

最初に呼ばれたのは、ギルドだった。

 

「座りなさい、リア殿」

 

ギルド長室で、ボルクさんは妙にかしこまっていた。

 

「……リア殿、はやめてください。今まで通り、リアで」

 

「む。そうか。では、リア」

 

ボルクさんは、こほんと咳払いをした。

 

「単刀直入に言う。お前さんの等級を、上げたい」

 

「等級?」

 

「森のぬしを鎮め、東門を救い、町を救った。ハイエルフを、F級のままにしておくわけにはいかん。B級――いや、本来ならA級でも足りんくらいだ」

 

ボルクさんの横で、ペトラさんが、眠そうな顔で書類の束を抱えていた。もう、昇級の手続き書類が用意してあるらしい。

 

俺は、少し考えた。

 

B級。A級。

 

そうしたら、たぶん、マルタさんより上になる。

 

「……F級のままで、いいです」

 

「なに?」

 

「F級のままで、いいです」

 

ボルクさんが、目を丸くした。

 

「しかし、お前さん――」

 

「マルタさんに、借金があるんです」

 

俺は、言った。

 

「C級になったら返す、って約束しました。……ここで等級を上げてもらったら、たぶん、返したことにならない気がして」

 

自分で上がらないと、意味がない。

 

失せ物を探して、猫を捕まえて、癒し草を摘んで。そうやって、ちょっとずつ。

 

ボルクさんは、しばらく俺の顔を見ていた。

 

それから、腹の底から笑い出した。

 

「はっはっは! そうか、そうか! 借金か!」

 

片腕で、机をばんばんと叩く。

 

「いいだろう。F級のままだ。ペトラ、書類は捨てていいぞ」

 

「……はい」

 

ペトラさんは、書類の束を、ためらいなく屑籠に放り込んだ。それから、俺の方を向いて、眠そうに言った。

 

「ちなみに、森の件はギルドの依頼ではないので、評価点はゼロです」

 

「……ですよね」

 

「F級からE級に上がるには、依頼完了が、あと十二件必要です」

 

「あと十二件」

 

「がんばってください」

 

ペトラさんは、それだけ言って、部屋を出ていこうとした。

 

扉のところで、ふと立ち止まった。

 

振り返らずに、ぼそっと言った。

 

「……王都のギルド本部でも、失せ物探しの依頼は、多いそうです」

 

扉が閉まった。

 

俺は、閉まった扉を、しばらく見ていた。

 

あの人、本当に何にも興味がないのかと思っていたけど。

 

たぶん、違ったんだな。

 

*

 

跳ね鹿亭では、ハンナさんが、トビを厨房の裏に呼び出していた。

 

俺が通りかかると、ちょうど、ハンナさんが小さな革袋をトビの手に握らせているところだった。

 

「なに、これ」

 

「あんたの給金だよ」

 

「給金……? でも、毎日、晩飯で……」

 

「飯は飯。給金は給金。皿洗いの分、半分ずつ取っといたんだ。あんたが大人になった時のために、と思ってね」

 

トビは、革袋を握りしめたまま、動かなかった。

 

「……皿、三枚割ったのに」

 

「その分は、ちゃんと引いといたよ」

 

ハンナさんは、ふんと鼻を鳴らした。

 

トビの肩が、震え始めた。

 

「……ありがと、ハンナさん」

 

「泣くんじゃないよ、男の子が。……ほら、行っといで。王都で、いっぱい食べて、大きくなりな」

 

ハンナさんは、トビの頭をくしゃくしゃに撫でて、それから、俺に気づいた。

 

目が合った。

 

「リア」

 

「はい」

 

「あの子を、頼んだよ」

 

「……はい」

 

「それから、あんたもだ」

 

ハンナさんは、太い腕を組んで、俺を睨んだ。

 

「ちゃんと食べるんだよ。痩せっぽちのまんまで帰ってきたら、承知しないからね」

 

「食べます」

 

俺は、頷いた。

 

「いっぱい、食べます」

 

*

 

出発の二日前。

 

俺は、ポンタの背中に揺られて、町の北へ向かっていた。

 

トビと、マルタさんと、セレスさんも一緒だった。

 

北門を出て、草原の中の道を半日。アルヴの森の、南の端。

 

あの日、ツノさんと別れた場所だ。

 

「……本当に、ここで待ってるのか」

 

マルタさんが、目の前に広がる深い森を見上げて言った。

 

「たぶん」

 

俺は、ポンタから降りて、森の縁に立った。

 

「ツノさん」

 

呼んだ。

 

返事はなかった。木々が、さわさわと揺れているだけだ。

 

肩の上の精霊たちが、森の奥に向かって、ぴかぴかと光った。

 

『おおつのさーん』『りあ、きたよー』『かえってきたよー』

 

しばらく、何も起きなかった。

 

それから。

 

森の奥の暗がりで、何かが動いた。

 

苔むした枝が、二本、闇の中に広がる。

 

枝じゃない。角だ。

 

音もなく、木々の間から、巨大な鹿が姿を現した。

 

灰色がかった緑の体毛。小さな白い花を咲かせた、苔むした角。深い琥珀色の目。

 

「――で」

 

トビが、口をぽかんと開けた。

 

「でっけえ……!」

 

ツノさんは、ゆっくりと俺の前まで歩いてきて、首を下げた。大きな鼻先が、俺の胸のあたりに、そっと押し当てられる。温かかった。

 

「……ただいま、ツノさん」

 

ふすっ、と鼻息がかかった。

 

『おかえりって』

 

「森の、大鹿……」

 

トビが、震える声で言った。俺とツノさんを、交互に見ている。

 

「姉ちゃん、マジで乗ってたのかよ!」

 

「だから、乗ってたって」

 

――言ったのは、今が初めてだけど。

 

「森守様……」

 

後ろで、セレスさんが、地面に膝をついていた。

 

「エルフの里では、森守様とお呼びしております。千年以上、この森を守ってこられた御方……わたくしも、お姿を拝見するのは初めてで……」

 

ツノさんが、ちらりとセレスさんを見た。

 

ふすっ。

 

『そのこ、しってるって』『まえに、もりでまいごになってたこ』

 

……。

 

「セレスさん」

 

「はい」

 

「ツノさんが、セレスさんのこと知ってるって。前に、森で迷子になってた子だって」

 

セレスさんの耳が、先まで真っ赤になった。

 

「そ、そ、それは……おそらく、百年ほど前の……」

 

迷子、常習だったのか。

 

*

 

「ツノさん」

 

俺は、大きな鼻先に手を当てたまま、言った。

 

「今度、王都ってところに行くんだ。人間の国の、一番大きな町」

 

琥珀色の目が、静かに俺を見ていた。

 

「だから、しばらく帰ってこられない。……でも、ちゃんと帰ってくる。用事が済んだら、絶対に、ここに戻ってくるから」

 

ふすっ。

 

『まってるって』

 

「いや、ずっと待ってなくていいって。森に帰ってて――」

 

『おおつのさん、まつの、なれてるって』

 

精霊が、何でもないことみたいに言った。

 

『まえのこのときも、ずっと、ここでまってた』

 

「……前の子の時って」

 

『まえのこ、さいごに、もりのそとにでなくなった』

 

精霊の光が、少しだけ弱くなった。

 

『でも、おおつのさん、ここでまってた』

 

『さんびゃくねん』

 

――三百年。

 

先代が、あの部屋に籠もっていた三百年。

 

その間ずっと、ツノさんは、森の南の端で、帰ってこない主を待っていた。

 

手のひらの下で、大きな鼻先が、ゆっくりと呼吸していた。

 

温かくて、静かで、ものすごく古い呼吸だった。

 

「……俺は」

 

声が、少しかすれた。

 

「俺は、帰ってくる。絶対に」

 

ツノさんは、何も言わなかった。

 

ただ、鼻先を、もう一度、俺の胸にそっと押し当てた。

 

*

 

「なあ、おれ、これあげていい?」

 

湿っぽい空気を破ったのは、トビだった。

 

手に、赤い林檎をひとつ持っていた。ハンナさんが、道中のおやつに持たせてくれたやつだ。

 

「鹿って、林檎食うだろ?」

 

「……たぶん」

 

トビは、おそるおそるツノさんに近づいた。背伸びをして、林檎を差し出す。

 

ツノさんは、少しだけ首をかしげて、林檎の匂いを嗅いだ。

 

それから、ぱくりと、トビの手のひらから林檎をくわえた。

 

しゃりっ、と音がした。

 

「――食った!」

 

トビが、跳び上がった。

 

「食った! 大鹿が、おれの林檎、食った!」

 

『おいしいって』

 

「トビ、ツノさんが、おいしいって」

 

「マジで!? やった!」

 

トビは、その場でぐるぐる回り始めた。

 

マルタさんが、肩を震わせて笑っていた。セレスさんが、懐から手帳を取り出して、何かを書きつけていた。

 

たぶん、『トビ殿、森守様に林檎を献上』とか、そんなことだろう。

 

ツノさんの琥珀色の目が、少しだけ、細くなった気がした。

 

笑っているみたいだった。

 

*

 

出発の朝。

 

ハルトンの東門――まだ修理中で、半分しか扉がない――の前に、馬車が二台並んでいた。王家の紋章のついた、立派な四頭立ての馬車だ。

 

その周りに、町の人たちが集まっていた。

 

「道中で食え、泣き虫の嬢ちゃん」

 

串焼き屋の親父さんが、油紙の包みを押しつけてきた。中身は、もちろん串焼きだ。二十本くらい入っている。

 

「……ありがとうございます」

 

「王都の串焼きなんぞに負けんじゃねえぞ。帰ってきたら、どっちがうまかったか教えろ」

 

「はい」

 

ギルベルトさんが、片眼鏡を外して、深々と頭を下げていた。ボルクさんが、片腕を上げていた。ペトラさんは、ボルクさんの後ろで、眠そうに小さく手を振っていた。

 

ハンナさんは、来なかった。宿の仕込みがあるからね、と言っていた。

 

でも、たぶん、泣くのを見られたくなかったんだと思う。

 

「おい」

 

馬車に乗り込もうとしたところで、声をかけられた。

 

振り返ると、門番のゲイルさんが立っていた。最初の日に、葉っぱで入町税を払おうとした俺を、怒鳴りつけた人だ。

 

ゲイルさんは、少し気まずそうに、髭面をかいた。

 

「……あの時の、兜の件な」

 

「……」

 

「あれ、あんただろ」

 

俺は、目を逸らした。

 

「……すみません」

 

ゲイルさんは、一瞬きょとんとして、それから、ぶはっと吹き出した。

 

「やっぱりか! あの風、おかしいと思ったんだ!」

 

笑いながら、俺の背中をばしんと叩いた。

 

痛い。この体には、やっぱり痛い。

 

「気をつけて行ってこいよ、ハイエルフの嬢ちゃん!」

 

*

 

馬車が、動き出した。

 

窓から、後ろを振り返った。

 

半分壊れた東門。その前で手を振る人たち。屋根の並ぶ町並み。煙突から立ちのぼる、朝飯の煙。

 

そのずっと向こうに、森の縁の、ひときわ大きな黒樫の木が見えた。

 

森のぬしの、角だった木だ。

 

来た時は、葉っぱ十枚しか持っていなかった。

 

今は、膝の上に、串焼きが二十本ある。向かいの席では、トビが窓に張りついて外を見ている。隣では、マルタさんが腕を組んで、もう目を閉じている。斜め向かいでは、セレスさんが、手帳に何かを書いている。

 

「……ちゃんと帰ってくるよ」

 

誰にともなく、呟いた。

 

肩の上で、精霊たちが、ぽわっと光った。

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