【TS】世界樹から実ったハイエルフ(中身は元社畜)、八百年ぶりの上位種として崇められていますが、人間の町でのんびり暮らしたいだけです 作:月白イツキ
結論から言う。
馬車に、酔った。
「……うっ」
出発して半日。俺は、王家の紋章入りの立派な馬車の座席に、ぐったりと横たわっていた。
クッションはふかふかだ。内装は豪華だ。窓には絹のカーテンまでかかっている。
でも、揺れる。
街道の石畳の継ぎ目を越えるたびに、ごとん。轍の溝にはまるたびに、がたん。車輪が石を踏むたびに、ぐらり。
ツノさんの背中は、ほとんど揺れなかった。ポンタの背中は揺れたけど、のろかったから、まだましだった。四頭立ての馬車は、速くて、揺れる。最悪の組み合わせだった。
「姉ちゃん、顔、緑色だぞ」
「……知ってる」
「リア様、お水を……! いえ、お背中を……!」
セレスさんが、おろおろと俺の周りで手を泳がせている。マルタさんは、向かいの席で腕を組んだまま、平然と寝ていた。この人、どこでも寝られるんだな。
『りあ、ぐるぐる?』『また、ぐるぐるしてる』
精霊たちが、心配そうに顔の周りを飛ぶ。
「……なあ」
俺は、かすれた声で精霊たちに話しかけた。
「この馬車、揺れないように、できない?」
『ゆれない?』『どうやって?』
「なんかこう……下から、ふわっと、支えるとか……」
精霊たちは、しばらく相談するようにくるくる回っていた。
それから。
『わかった!』
ふわり、と。
揺れが、消えた。
がたん、という音が、しなくなった。ごとん、という衝撃も、来なくなった。まるで、雲の上を滑っているみたいだった。
「……あれ?」
トビが、窓の外を覗き込んだ。
「なあ、姉ちゃん。この馬車……車輪、地面についてなくね?」
覗き込んだ。
馬車の車輪が、街道の石畳から、指一本分くらい浮いていた。
風の精霊たちが、馬車の下に潜り込んで、車体をそっと持ち上げていた。
前の方で、御者の人が「おや?」と首をかしげていた。馬たちが、急に軽くなった馬車に、戸惑ったように耳を動かしている。
……まあ、いいか。
揺れないなら、いいや。
俺は、ふかふかのクッションに顔を埋めて、目を閉じた。
――この日から、「ハイエルフの馬車は宙を走る」という噂が、街道沿いに広まることになる。
*
噂といえば、それはもう、俺たちより先に走っていた。
三日目に通りかかった村では、街道の両脇に、村人がずらりと並んで跪いていた。
「ハイエルフ様だ……」 「宙を走る馬車だ……」 「森の化け物を鎮めて、町に花を咲かせたって……」
籠に入った野菜。焼きたてのパン。鶏。それから、なぜか、串に刺した焼き肉。
「……肉の噂まで、広まってる」
「ハイエルフ様は、肉がお好き。これは、もう、王国中の常識になりつつあるようでございます」
セレスさんが、窓の外に向かって、にこやかに手を振っていた。
妙に慣れた手つきだった。
「セレスさん、楽しそうですね」
「はい! リア様が皆に敬われるお姿を拝見できるのは、巫女として、この上ない喜びでございます!」
「拝まないって約束は」
「わたくしは拝んでおりません。手を振っているだけでございます」
屁理屈だった。でも、反論できなかった。
俺は、カーテンを引いて、座席の隅に縮こまった。
*
道中、伝令官の人――エドガーさんというらしい――が、王都のことをいろいろと教えてくれた。
最初はがちがちに緊張していたエドガーさんも、五日目くらいになると、だいぶ打ち解けてきた。たぶん、俺が馬車酔いでぐったりしていたり、トビと串焼きを奪い合っていたり、セレスさんに髪を梳かれながら居眠りしていたりするのを見て、ハイエルフという存在への幻想が少しずつ剥がれていったんだと思う。
「国王のルドルフ四世陛下は、今年で五十二歳になられます。即位されて二十年、慎重で、堅実な御方です」
「怖い人ですか」
「いえ、そのようなことは。ただ……ここ数年、ご苦労が多いようで」
エドガーさんは、少し声を落とした。
「南の地方で、三年続けて日照りがありまして。作物の不作が続いております。北の国境でも、隣国との小競り合いが絶えず……」
「大変ですね」
「はい。ですから、魔術院のヴァルド閣下の精霊結晶は、陛下にとっても、民にとっても、大きな希望なのです」
俺は、顔を上げた。
「……希望?」
「ええ。結晶灯は、油も蝋燭もいりません。貧しい家でも、夜に明かりを灯せるようになりました。それに、三年前から、南の地方で結晶式の揚水機が使われ始めておりまして」
「揚水機」
「井戸の底や川から、水を汲み上げる機械です。人の手で汲めば一日がかりの水を、結晶ひとつで、ひと月汲み続けられる。日照りに苦しむ南の村々にとっては、まさに命の水なのです」
エドガーさんは、誇らしげに言った。
「ヴァルド閣下は、平民のご出身なのですよ。生まれつき魔力がほとんどなく、それでも、学問ひとつで魔術院長にまで上り詰められた御方です。魔力のない民でも、魔法の恩恵を受けられる世の中を作る、というのが、閣下の口癖だそうで」
俺は、何も言えなかった。
黒樫の森の、枯れた円。四十七本の杭。森のぬしの、かえせ、という叫び。
その結晶が、日照りの村に水を汲み上げている。貧しい家に、明かりを灯している。
「……そう、なんですね」
それしか、言えなかった。
窓の外を、麦畑が流れていく。南に向かうほど、畑の土が乾いて、白っぽくなっていくのが分かった。
*
七日目の夜は、街道沿いに宿場がなくて、野営になった。
焚き火を囲んで、ハンナさんが持たせてくれた干し肉と、串焼き屋の親父さんの最後の串焼きを分け合った。トビは、串焼きを三本平らげて、毛布にくるまってすぐに寝てしまった。セレスさんは、その隣で、トビの毛布をかけ直してから、横になった。
焚き火の前には、俺と、マルタさんだけが残った。
ぱちぱちと、薪が爆ぜる音がしていた。
「……リア」
マルタさんが、焚き火を見つめたまま、言った。
「前に、四人でやってたって、言ったろ」
「……はい」
跳ね鹿亭で、最初の夜に聞いた話だ。前は四人でやっていた。解散した。今は、ひとりだ。それ以上は、聞かなかった。
「レオンってのがいた。村の幼なじみで、パーティのリーダーだった。剣の腕は、あたしより上だった」
マルタさんは、薪を一本、火の中に放り込んだ。
「それから、魔術師のニナ。弓のオスカー。四人で、王都の近くの遺跡によく潜ってた。B級に上がれるかもって、言われてた頃だ」
火の粉が、夜空に舞い上がった。
「三年前。遺跡の奥で、天井が崩れた」
「……」
「あたしが、一番前にいた。崩れてくる岩に気づくのが、遅れた。……気づいたら、レオンに突き飛ばされてた」
マルタさんの指が、左の頬の、古い刀傷に触れた。
「これは、その時に、飛んできた石で切った。……あたしは、これで済んだ。レオンは、済まなかった」
焚き火が、ぱちんと爆ぜた。
「それで、終わりだ。オスカーは、村に帰って畑を継いだ。ニナは、王都の魔術院に入ったって聞いた。あたしは、王都にいたくなくて、辺境まで流れてきた」
「……そうだったんですね」
「あの夜。東門で、トビを庇った時な」
マルタさんは、少しだけ笑った。
「レオンの気持ちが、ちょっと分かった気がした。考えるより先に、体が勝手に動くもんだな。ああいうのは」
俺は、何も言えなかった。
ただ、焚き火に照らされたマルタさんの横顔を見ていた。
「……なあ、リア」
「はい」
「あんた、長生きなんだってな」
胸の奥が、ちくりとした。
「ハイエルフって、どれくらい生きるんだ」
「……千年とか。二千年とか」
「はっ」
マルタさんは、短く笑った。
「じゃあ、あたしもトビも、あんたにとっちゃ、瞬きみたいなもんか」
「そんなことない」
自分でも驚くくらい、強い声が出た。
マルタさんが、焚き火から目を上げて、俺を見た。
「……そんなこと、ないです」
声が、少し震えた。
瞬きなんかじゃない。
門の前で銀貨を放り投げてくれたこと。串焼きを買ってくれたこと。泣きながら食べる俺を見て、腹を抱えて笑ってくれたこと。東門で、血を流しながら剣を構えていたこと。あんたはあんただろ、と言ってくれたこと。
全部、瞬きなんかじゃない。
マルタさんは、しばらく俺の顔を見ていた。
それから、ふっと目を細めた。
「……そうか」
焚き火に、視線を戻す。
「ま、せいぜい覚えといてくれよ。あたしが、どんだけいい女だったか」
冗談めかした声だった。
俺は、笑った。笑おうとした。
胸の奥が、きゅっと締めつけられて、うまく笑えなかった。
先代の部屋の、木彫りの鳥を思い出した。
トマ、すぐおおきくなった。すぐ、おじいちゃんになった。それで、いなくなった。
「……覚えてますよ」
焚き火の向こうで、トビが寝返りを打った。セレスさんが、またその毛布をかけ直していた。
「ずっと」
マルタさんは、何も言わなかった。
薪が、また、ぱちんと爆ぜた。
*
十日目の夕方。
馬車が、小高い丘の上で止まった。
「ご覧ください、リア様」
エドガーさんが、馬車の扉を開けて、誇らしげに言った。
「王都、アルセリアです」
丘の下に、町が広がっていた。
いや、町なんてものじゃなかった。
地平線の端から端まで、屋根が続いていた。白い石の城壁が、何重にも町を取り囲んでいる。大きな川が町の真ん中を流れていて、その上に、いくつもの橋が架かっていた。
町の中心の丘に、尖塔のいくつも立った城がそびえている。その東側に、ひときわ高い、白い塔があった。
「あれが、王城です。その隣の白い塔が、魔術院の星見の塔」
ハルトンの、何十倍、何百倍だろう。前世で見た大都市とも違う。石と、木と、煙と、人の気配が、ぎっしりと詰まった、巨大な生き物みたいな町だった。
トビが、馬車から身を乗り出して、言葉を失っていた。
日が、沈んでいく。
空が、茜色から紫に変わっていく。
そして。
町に、灯りがともり始めた。
緑色の、灯りだった。
大通りに沿って、ぽつり、ぽつりと。それが、川沿いに広がって、橋を渡って、城壁の上に並んで。星見の塔の窓という窓が、緑色に光って。
あっという間に、王都全体が、緑色の光の海になった。
「……きれい」
トビが、呟いた。
確かに、きれいだった。
遠くから見れば、宝石を撒き散らしたみたいだった。
でも、俺の髪の中で、精霊たちは、一言も喋らなかった。
ぎゅっと、俺の髪にしがみついて、震えていた。
『……りあ』
やっと、小さな声がした。
『あそこ、こわい』
その時、聞こえた。
耳を澄まさないと分からないくらい、かすかな音。
町の、ずっと下の方から。
地の底で、何千、何万という声が、重なり合って、低く、低く、唸っているような。
あの黒樫の森の、杭の周りで聞いた声に、よく似ていた。
もっと、ずっと、大きかったけど。