【TS】世界樹から実ったハイエルフ(中身は元社畜)、八百年ぶりの上位種として崇められていますが、人間の町でのんびり暮らしたいだけです   作:月白イツキ

22 / 23
第20話 屋台街と、王都の精霊

用意された宿は、宿じゃなかった。

 

「こちらが、ハイエルフ殿の御滞在先、白百合館でございます」

 

エドガーさんが案内してくれたのは、王城のすぐ脇に建つ、白い石造りの館だった。外国の王族や大使が泊まるための、迎賓館というやつらしい。

 

玄関には、使用人が二十人くらい、左右に並んで頭を下げていた。

 

天井が高い。廊下が長い。絨毯がふかふかだ。俺にあてがわれた寝室は、跳ね鹿亭の食堂より広かった。寝台には天蓋がついていて、絹の布団は雲みたいに柔らかかった。

 

窓の外では、緑色の結晶灯が、庭園の噴水を照らしていた。

 

「……神殿だ」

 

思わず、呟いた。

 

「リア様?」

 

「なんでもないです」

 

拝まれないだけ、まだましだ。たぶん。

 

*

 

国王陛下への謁見は、三日後と決まった。

 

それまでに、王宮の礼儀作法を身につけなければならないらしい。

 

翌朝、白百合館の広間に、ひとりの老婦人がやってきた。

 

背筋がまっすぐで、白髪を一筋の乱れもなく結い上げていて、手に細い扇子を持っている。王家の姫君たちに礼儀作法を教えてきた、マダム・ロザリーという人だった。

 

「では、ハイエルフ殿。まずは、陛下の御前での礼から参りましょう」

 

扇子が、ぱちんと鳴った。

 

「右足を半歩引き、左の膝を、このように」

 

やってみた。

 

よろけた。

 

「……もう一度」

 

やってみた。

 

二十秒で、膝が笑い始めた。

 

「……ハイエルフ殿。礼の姿勢は、陛下のお許しがあるまで保たねばなりません。長い時は、百数える間ほど」

 

「百」

 

「百でございます」

 

無理だ。この体で百数える間、片膝を曲げていたら、たぶん途中で床に倒れる。

 

昼食の時間は、もっとひどかった。

 

テーブルの上に、ナイフとフォークとスプーンが、合わせて十一本並んでいた。

 

「外側から順にお使いください。前菜には、こちらの小さなフォーク。汁物には、こちらの丸いスプーン。魚料理には、こちらの平たいナイフと――」

 

「肉は?」

 

「……肉料理には、こちらの大きなナイフと、こちらのフォークを」

 

俺は、肉料理用のナイフとフォークを握りしめて、前菜と汁物と魚料理が終わるのを、じっと待った。

 

マダム・ロザリーの扇子が、ぴくぴくと震えていた。

 

*

 

午後の講義が始まる前に、俺は、白百合館を抜け出した。

 

「……いいのかよ、姉ちゃん」

 

裏口の植え込みの陰で、トビが小声で言った。

 

「いいんだよ。三日あるんだから、半日くらい」

 

「マダムの扇子、すげえ震えてたぞ」

 

「見なかったことにする」

 

肩の上の精霊たちに頼んで、庭師の人の注意を少しだけ逸らしてもらった。風がふわりと吹いて、庭師の人の帽子が噴水の方に飛んでいく。その隙に、俺とトビは、裏門から通りへ滑り出た。

 

「……おい」

 

通りの角を曲がったところで、聞き慣れた声がした。

 

マルタさんが、壁にもたれて、腕を組んでいた。

 

「どこ行く気だ、あんたら」

 

「……南大通りの、屋台街に」

 

「護衛を置いてか」

 

「……すみません」

 

マルタさんは、ため息をついて、壁から背を離した。

 

「ほら、行くぞ。あたしも腹減った」

 

その後ろから、セレスさんが、息を切らしながら走ってきた。

 

「リ、リア様! お待ちくださいませ! わたくしも、お供いたします!」

 

……全員、来るのか。

 

*

 

南大通りの屋台街は、本当に、国一番だった。

 

石畳の大通りの両側に、屋台がずらりと並んでいる。端が見えない。屋台と屋台の間に、また屋台がある。その全部から、煙と、湯気と、匂いが立ちのぼっていた。

 

香辛料をまぶして炭火で焼いた、羊の串。

 

甘辛いタレを何度も塗り重ねて、照りが出るまで焼いた、豚の串。

 

川で獲れた魚を丸ごと串に刺して、塩を振って焼いたもの。

 

細長いパンに、焼いた腸詰めと、酢漬けの野菜を挟んだもの。

 

小麦の生地に挽き肉を包んで、油で揚げた団子。

 

「…………」

 

俺は、大通りの入口で、立ち尽くしていた。

 

天国だった。

 

「姉ちゃん、よだれ」

 

「……出てない」

 

出ていた。

 

*

 

それから、食べた。

 

羊の串。香辛料がぴりっと舌を刺して、脂の甘さと混ざって、鼻に抜けていく。

 

豚の串。タレが焦げて、ほんのり苦くて、甘くて、しょっぱい。前世の焼き鳥屋のタレに、ちょっとだけ似ていた。

 

川魚の塩焼き。皮がぱりっとしていて、身がほろほろと崩れる。

 

腸詰めのパン挟み。どう見ても、ホットドッグだった。異世界にも、ホットドッグはあった。

 

「うめえ! これうめえ!」

 

トビが、両手に串を持って、交互にかぶりついていた。ハンナさんがくれた給金で、自分で買っていた。誇らしげだった。

 

マルタさんは、屋台の脇の立ち飲み台で、王都名物だという黒エールをあおっていた。

 

「……ハルトンのエールより、うまいな」

 

「ゲイルさんに言いつけますよ」

 

「やめろ」

 

そして、セレスさんは。

 

俺の隣で、豚の串を一本、両手で握りしめて、じっと見つめていた。

 

「セレスさん?」

 

「……リア様が、お召し上がりになるものを、わたくしも、知っておかねばと思いまして」

 

エルフは、肉を食べない。少なくとも、エルフの里では、誰も食べていなかった。

 

セレスさんの手が、小刻みに震えていた。

 

「無理しなくても――」

 

「いえ」

 

セレスさんは、ぎゅっと目を閉じて、串の先の肉を、ほんの一口、かじった。

 

咀嚼した。

 

目が、ゆっくりと見開かれた。

 

「…………っ」

 

「……どうですか」

 

セレスさんは、答えなかった。

 

代わりに、もう一口、かじった。

 

それから、もう一口。

 

串の肉が、全部なくなった。

 

セレスさんは、空になった串を見下ろして、しばらく固まっていた。

 

それから、震える手で懐から手帳を取り出して、何かを書きつけた。

 

覗き込んだ。

 

『わたくし、獣の肉を口にいたしました。大変、美味しゅうございました。長老方には、決して申し上げられません』

 

……共犯者が、またひとり増えた。

 

*

 

屋台街を歩きながら、俺は、ずっと気になっていたことを確かめていた。

 

屋台の軒先に、緑色の結晶灯が吊るされている。昼間だから、光は弱い。でも、確かに、ほんのりと光っている。

 

そして。

 

「……精霊が、少ない」

 

ハルトンの町では、かまどの煙突にも、井戸の底にも、路地の石畳の隙間にも、小さな精霊たちがいた。目立たないけど、ちゃんと、そこにいた。

 

王都には、ほとんどいなかった。

 

たまに見かけても、屋台の軒下の暗がりや、石垣の隙間に、じっと身を縮めている。光が、ひどく弱い。今にも消えそうなくらいに。

 

屋台のかまどの前で、俺はしゃがみ込んだ。

 

炭火の奥に、小さな、小さな光がひとつ、震えていた。かまどの精霊だ。

 

「……大丈夫?」

 

小声で、話しかけた。

 

光が、びくっと震えた。それから、おそるおそる、俺の方に寄ってきた。

 

『……だれ?』

 

「リア。森から来た」

 

『……おおきなきの、こ?』

 

「うん」

 

かまどの精霊は、しばらく俺の周りをふらふらと漂っていた。

 

それから、消え入りそうな声で言った。

 

『した、こわい』

 

「下?」

 

『よるになると、ひっぱられる』『じめんの、ずっとしたに』『みんな、ひっぱられて、かえってこない』

 

胸の奥が、ずしりと重くなった。

 

『きのうも、となりのかまどのこが、いなくなった』

 

『つぎは、わたし?』

 

*

 

「――ハイエルフ殿」

 

背後から、声がした。

 

振り返ると、灰色の長衣の男が立っていた。

 

金髪。銀縁の眼鏡。

 

クラウスだった。

 

ハルトンで最後に見た時より、少し痩せていた。目の下に、薄い隈があった。

 

「……クラウスさん」

 

「探しました」

 

クラウスは、少し息を切らしていた。

 

「白百合館が、大騒ぎになっています。ハイエルフ殿が消えたと。マダム・ロザリーが、近衛に捜索を命じようとしていました」

 

「……すみません」

 

「院長閣下の命で、王都滞在中のハイエルフ殿の案内役を務めることになりました。……ですので、その」

 

クラウスは、言葉を探すように、眼鏡の位置を直した。

 

「お戻りいただけると、助かります」

 

俺は、クラウスの顔を見た。

 

ハルトンのギルドで、精霊とやらに証言していただけますか、と微笑んだ顔とは、少し違っていた。

 

何かを言いたそうで、言えない顔。ハンナさんが、宿の前に長いこと突っ立っていたと言っていた時の顔は、たぶん、こんなだったんだろう。

 

「……東の森の、件は」

 

クラウスが、口を開いた。

 

それから、閉じた。

 

また開いて、また閉じた。

 

俺は、手に持っていた豚の串を、一本、クラウスの前に差し出した。

 

「……え」

 

「食べます?」

 

クラウスは、目の前の串と、俺の顔を、何度も見比べた。

 

「……いただきます」

 

おそるおそる、串を受け取った。

 

灰色の長衣の、王国魔術院の調査官が、南大通りの屋台街の真ん中で、豚の串にかじりついた。

 

タレが、長衣の袖に垂れた。

 

「……おいしい、ですね」

 

「でしょう」

 

クラウスは、袖のタレのしみを見下ろして、困ったような顔をした。

 

それから、ほんの少しだけ、笑った。

 

*

 

白百合館に戻ると、マダム・ロザリーの扇子が、折れていた。

 

説教は、一刻続いた。

 

*

 

その夜。

 

天蓋つきの寝台の上で、俺は、なかなか眠れなかった。

 

雲みたいに柔らかい布団。絹の枕。花の香り。何もかもが、エルフの神殿に似ていた。

 

藁のちくちくが、恋しかった。

 

それだけじゃない。

 

聞こえるのだ。

 

夜が更けるにつれて、だんだん大きくなっていく。

 

地の底から響いてくる、低い、低い唸り声。何千、何万という声が、重なり合って、うねって、泣いている。

 

『した、いっぱい、ないてる』

 

枕元で、精霊たちが震えていた。

 

『りあ、こわい』『あそこ、いきたくない』

 

「……うん」

 

俺は、窓の外を見た。

 

王城の東に、星見の塔が、白くそびえていた。

 

窓という窓に、緑色の灯りがともっている。

 

唸り声は、その塔の、ずっと下の方から聞こえていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。