【TS】世界樹から実ったハイエルフ(中身は元社畜)、八百年ぶりの上位種として崇められていますが、人間の町でのんびり暮らしたいだけです 作:月白イツキ
謁見の朝は、戦争だった。
王宮から届いた礼装は、裾が長くて、重くて、生地が何層にも重なっていた。袖を通しただけで、肩にずしりと重みがかかる。この体には、鎧を着せられたようなものだった。
「リア様、御髪を」
セレスさんが、櫛と、香油の瓶と、銀の髪飾りを抱えて待ち構えていた。目が、異様に輝いていた。
「……普通でいいですよ」
「なりません! 国王陛下への初の御目通りでございます! エルフの里の名誉にかけて、最高の御髪に仕上げてみせます!」
一刻、座らされた。
鏡の中で、長い銀髪が、編まれて、巻かれて、結い上げられていった。セレスさんの手つきは、神殿で毎晩髪を梳いてくれていた時と同じくらい、丁寧だった。
隣の部屋からは、トビの悲鳴が聞こえていた。
「なんだよこれ! 首、苦しい!」
「我慢しな。小姓の服ってのは、そういうもんだ」
マルタさんの声だった。
部屋から出てきたトビは、紺色の上着に白い襟、膝丈のズボンに白い靴下という格好で、ものすごく不機嫌な顔をしていた。マルタさんは、王宮から借りた礼装用の銀の胸当てをつけて、赤毛をきっちり後ろで束ねていた。
「……マルタさん、似合ってますね」
「うるせえ。肩が凝る」
マルタさんは、俺の頭のてっぺんから足の先まで眺めて、それから、ふっと鼻で笑った。
「あんたも、ちゃんとハイエルフに見えるじゃないか」
「中身は変わってませんけどね」
「知ってる」
*
謁見の間は、大きかった。
天井が高すぎて、見上げると首が痛い。床は磨き上げられた白い大理石で、そこに、緋色の絨毯が一本、まっすぐに奥まで伸びている。
絨毯の両脇に、貴族たちが並んでいた。
絹と、宝石と、香水の匂い。何十という目が、一斉にこっちを向いた。
「ハイエルフ、リア殿! ご入来!」
侍従の声が響き渡る。
俺は、絨毯の上を歩き出した。
一歩。二歩。三歩。
礼装が重い。絨毯が長い。玉座が、遠い。
半分も行かないうちに、息が上がり始めた。
重い裾が、足にまとわりついた。
後ろを歩いていたセレスさんが、そっと、俺の背中に手を添えた。肩の上の精霊たちが、足の裏をそっと押し上げてくれる。それで、なんとか歩き続けられた。
貴族たちの囁き声が、聞こえた。
「あれが、ハイエルフ……」 「思ったより、華奢だな」 「顔色が悪いぞ」 「森の化け物を鎮めたというのは、本当なのか?」
天井から、巨大な燭台が吊るされていた。蝋燭の代わりに、何十という緑色の結晶が、ぼんやりと光っている。
肩の上の精霊たちが、ぎゅっと身を縮めるのが分かった。
*
玉座の前で、止まった。
三段高くなった壇の上に、ひとりの男が座っていた。
国王、ルドルフ四世陛下。
五十代の、がっしりした体格の人だった。白いものが混じった顎髭。思っていたより質素な、細い金の冠。そして、ひどく疲れた目をしていた。何年も、ろくに眠れていない人の目だった。
玉座の右には、豪華な刺繍の長衣を着た、恰幅のいい初老の男。宰相のオルブライト公だと、エドガーさんが教えてくれていた。
左には、白い法衣に金の帯を締めた、背の高い老人。聖教会の、グレゴール大司教。
そして、その隣に。
灰色の長衣の、痩せた男が立っていた。
灰色の髪。こけた頬。そして、刃物みたいに鋭い、灰色の目。
――ヴァルド。
名乗られる前から、分かった。
その目が、まっすぐに、俺を見ていた。品定めするように。何かを測るように。
俺は、マダム・ロザリーに教わった通りに、右足を半歩引いた。左の膝を、曲げた。
礼の姿勢。陛下のお許しがあるまで、保たねばならない。
五つ数えた。
膝が、震え始めた。
十数えた。
礼装の重みで、体が前に傾き始めた。
――あ、だめだ。倒れる。
「楽にされよ」
低い声がした。
顔を上げると、国王陛下が、片手を軽く上げていた。
「ハイエルフ殿は、御身が弱いと聞いている。礼は、それで十分だ。……誰か、椅子を」
貴族たちが、ざわめいた。
謁見の間で、国王の前に、椅子。たぶん、ものすごく異例のことなんだろう。宰相のオルブライト公が、眉をひそめていた。
でも、侍従が慌てて運んできた椅子に座った時、俺は心の底からほっとした。
*
「ハイエルフ殿」
陛下は、玉座の肘掛けに手を置いて、言った。
「まずは、礼を言わせてほしい。東の辺境、ハルトンの町を救ってくれたこと。王として、心から感謝する」
「……いえ。私は、森の精霊たちに頼んだだけなので」
「それでもだ」
陛下は、静かに頷いた。
「聞けば、ハイエルフ殿は、八百年ぶりに世界樹からお生まれになったとか。そのような方が、我が国を訪れてくださったことを、光栄に思う。ハイエルフ殿には、王国の客人として、望むだけ王都に滞在していただきたい。館も、必要なものも、すべて用意しよう」
「……ありがとうございます」
「――畏れながら、陛下」
宰相のオルブライト公が、一歩前に出た。
「客人として遇するだけでは、もったいのうございます。ハイエルフ殿の御力は、森の魔物を鎮め、大地に花を咲かせるほどと聞き及びます。南の日照り、北の国境の騒ぎ。いずれも、ハイエルフ殿の御力があれば――」
「オルブライト」
陛下の声が、少しだけ低くなった。
「客人に、到着三日で仕事を頼む王がどこにいる」
宰相は、深々と頭を下げて、下がった。でも、その目は、俺から離れていなかった。
「お言葉ですが」
今度は、大司教が口を開いた。
「ハイエルフとは、聖教会の教えにおいては、古き時代の神々の名残とされております。その御力が、果たして神の御心に適うものであるか。教会として、慎重に見極めさせていただきたく」
大司教の目は、宰相とは違う意味で、俺から離れていなかった。
値踏みされている、と思った。
宰相は、俺の力を使えるかどうか。大司教は、俺が敵か味方か。
神殿とは、また違う意味で、窮屈だった。
*
「――陛下。私からも、ひとつ」
静かな声が、謁見の間に響いた。
ヴァルドだった。
貴族たちのざわめきが、ぴたりと止んだ。
ヴァルドは、ゆっくりと壇を降りて、俺の前に立った。
近くで見ると、ひどく痩せていた。長衣の袖から覗く手首が、枯れ枝みたいに細い。顔色は、俺以上に悪かった。
それでも、目だけは、刃物みたいだった。
「お初にお目にかかる、ハイエルフ殿。王国魔術院長、ヴァルド・ハーゼンだ」
「……リアです」
「ハイエルフ殿は、東の森で、我が院の杭を、四十七本破壊された」
謁見の間の空気が、凍りついた。
貴族たちが、息を呑む。マルタさんが、俺の後ろで、半歩前に出た気配がした。
ヴァルドは、表情ひとつ変えなかった。
「責めるつもりはない」
「……」
「むしろ、礼を言いたい。あなたのおかげで、我々は、杭の設計に重大な欠陥があることに気づけた。部下のクラウスから、詳しく報告を受けている」
穏やかな声だった。
でも、その穏やかさの下に、何か、張りつめたものがあった。
「ひとつ、伺いたい」
ヴァルドが、わずかに身を屈めた。
「あなたは、精霊と話せるのだと聞いた。……本当に?」
「はい」
「では」
灰色の目が、俺の目を、まっすぐに覗き込んだ。
「精霊たちは、何と言っている? 我が院の、結晶について」
謁見の間が、静まり返った。
天井の燭台で、緑色の結晶が、ぼんやりと光っていた。
肩の上の精霊たちが、震えていた。
――言っていいのか、と思った。
ここは、王様の前だ。貴族たちの前だ。結晶灯は、王都中に灯っている。南の村では、結晶の揚水機が、日照りの畑に水を汲み上げている。みんな、この結晶に助けられている。
ここで本当のことを言えば、たぶん、面倒なことになる。
でも。
屋台のかまどの、小さな光を思い出した。
きのうも、となりのかまどのこが、いなくなった。
つぎは、わたし?
「……痛い、と言っています」
声が、謁見の間に響いた。
「返して、と言っています。……東の森の精霊たちも。それから」
俺は、床を見下ろした。
磨き上げられた、白い大理石の床。その、ずっと下を。
「この王都の地下でも。たくさんの精霊が、泣いています。毎晩」
ざわめきが、爆発した。
「地下で、泣いている……?」 「何を言っているんだ、あのエルフは」 「結晶灯が、精霊を……?」 「魔術院の地下には、確か、結晶炉が――」
大司教が、眉をひそめていた。宰相が、何かを素早く計算するような目をしていた。陛下は、玉座の上で、じっと俺を見ていた。
ヴァルドは。
灰色の目が、一瞬だけ、鋭く光った。
それから、ゆっくりと、口元に笑みを浮かべた。
「……興味深い」
その声は、穏やかなままだった。
「実に、興味深い。ハイエルフ殿。ぜひ、我が院で、その声を聞かせていただきたい。明日、星見の塔へお越しいただけるだろうか」
断る理由は、なかった。
確かめなければいけないことが、あった。
「……行きます」
ヴァルドは、満足げに一礼して、壇の上へ戻っていった。
その途中で、一度だけ、小さく咳き込んだ。
*
謁見が終わった後、侍従に呼び止められた。
陛下が、内々にお話をしたいと仰せです、と。
案内されたのは、謁見の間の奥の、小さな部屋だった。暖炉と、本棚と、古い木の机がひとつ。王様の部屋にしては、驚くほど質素だった。
陛下は、冠を外して、机の上に置いていた。
冠のない王様は、ただの、疲れた中年の男の人に見えた。
「座ってくれ、ハイエルフ殿。……いや、リア殿と呼んでもよいか」
「はい」
陛下は、暖炉の火を見つめながら、しばらく黙っていた。
それから、口を開いた。
「ヴァルドはな。私の、幼なじみなのだ」
「……え」
「あれは、平民の生まれでな。王宮の書庫番の息子だった。七つの時に、あまりに賢いというので、私の学友に選ばれた。それから五十年。ずっと、私の隣にいる」
陛下は、苦く笑った。
「あれは、昔から、急いでいる男だった。魔力のない者が、魔法の恩恵を受けられる世の中を作る。それが、子どもの頃からの口癖でな。……あれの結晶が、南の民を救っているのも、事実なのだ」
「……はい」
「だが」
陛下は、俺の方を向いた。
「あなたが言った、声。それが、真実であるならば」
疲れた目が、まっすぐに俺を見ていた。
「どうか、あれと、話してやってほしい。王としてではなく、友として、頼む。あれは、私の言うことは聞かんのだ。昔から」
俺は、頷いた。
他に、何と答えればいいのか、分からなかった。
陛下は、ほっとしたように息を吐いた。
それから、ふと、思い出したように言った。
「ハイエルフは、千年を生きると聞く」
「……はい。たぶん」
「羨ましいとは、思わぬよ」
陛下は、暖炉の上の、小さな肖像画に目をやった。
若い女の人の絵だった。柔らかく微笑んでいる。
「妃は、十年前に逝った。私は、まだ、慣れぬ」
暖炉の火が、ぱちりと爆ぜた。
「見送るばかりの生は、さぞ、寂しかろうな」
――あんたにとっちゃ、瞬きみたいなもんか。
焚き火の前の、マルタさんの声が、耳の奥で響いた。
俺は、何も答えられなかった。
*
白百合館への帰り道。
小姓の服の襟元を緩めながら、トビが聞いた。
「なあ、姉ちゃん。王様、いい人だった?」
俺は、少し考えた。
椅子を用意してくれた王様。冠を外した王様。友達のことを頼んできた王様。肖像画を見ていた王様。
「……たぶん」
「たぶんかよ」
「いい人なんだと思う。……疲れてるけど」
王宮の門を出たところに、灰色の長衣の男が立っていた。
クラウスだった。
「ハイエルフ殿」
クラウスは、静かに頭を下げた。
「明日、塔でお待ちしております。院長閣下が、地下の結晶炉を、ご案内すると」
顔を上げた時、クラウスの目には、何か、迷いのようなものが浮かんでいた。
「……あなたが、謁見の間で仰ったこと」
声が、少し低くなった。
「本当に、聞こえるのですか。地下の、声が」
俺は、頷いた。
「毎晩、聞こえます」
クラウスは、しばらく黙っていた。
それから、もう一度、深く頭を下げた。
「……明日、お待ちしております」
星見の塔が、夕暮れの空に、白くそびえていた。
窓という窓に、緑色の灯りが、ともり始めていた。