【TS】世界樹から実ったハイエルフ(中身は元社畜)、八百年ぶりの上位種として崇められていますが、人間の町でのんびり暮らしたいだけです   作:月白イツキ

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第21話 謁見

謁見の朝は、戦争だった。

 

王宮から届いた礼装は、裾が長くて、重くて、生地が何層にも重なっていた。袖を通しただけで、肩にずしりと重みがかかる。この体には、鎧を着せられたようなものだった。

 

「リア様、御髪を」

 

セレスさんが、櫛と、香油の瓶と、銀の髪飾りを抱えて待ち構えていた。目が、異様に輝いていた。

 

「……普通でいいですよ」

 

「なりません! 国王陛下への初の御目通りでございます! エルフの里の名誉にかけて、最高の御髪に仕上げてみせます!」

 

一刻、座らされた。

 

鏡の中で、長い銀髪が、編まれて、巻かれて、結い上げられていった。セレスさんの手つきは、神殿で毎晩髪を梳いてくれていた時と同じくらい、丁寧だった。

 

隣の部屋からは、トビの悲鳴が聞こえていた。

 

「なんだよこれ! 首、苦しい!」

 

「我慢しな。小姓の服ってのは、そういうもんだ」

 

マルタさんの声だった。

 

部屋から出てきたトビは、紺色の上着に白い襟、膝丈のズボンに白い靴下という格好で、ものすごく不機嫌な顔をしていた。マルタさんは、王宮から借りた礼装用の銀の胸当てをつけて、赤毛をきっちり後ろで束ねていた。

 

「……マルタさん、似合ってますね」

 

「うるせえ。肩が凝る」

 

マルタさんは、俺の頭のてっぺんから足の先まで眺めて、それから、ふっと鼻で笑った。

 

「あんたも、ちゃんとハイエルフに見えるじゃないか」

 

「中身は変わってませんけどね」

 

「知ってる」

 

*

 

謁見の間は、大きかった。

 

天井が高すぎて、見上げると首が痛い。床は磨き上げられた白い大理石で、そこに、緋色の絨毯が一本、まっすぐに奥まで伸びている。

 

絨毯の両脇に、貴族たちが並んでいた。

 

絹と、宝石と、香水の匂い。何十という目が、一斉にこっちを向いた。

 

「ハイエルフ、リア殿! ご入来!」

 

侍従の声が響き渡る。

 

俺は、絨毯の上を歩き出した。

 

一歩。二歩。三歩。

 

礼装が重い。絨毯が長い。玉座が、遠い。

 

半分も行かないうちに、息が上がり始めた。

 

重い裾が、足にまとわりついた。

 

後ろを歩いていたセレスさんが、そっと、俺の背中に手を添えた。肩の上の精霊たちが、足の裏をそっと押し上げてくれる。それで、なんとか歩き続けられた。

 

貴族たちの囁き声が、聞こえた。

 

「あれが、ハイエルフ……」 「思ったより、華奢だな」 「顔色が悪いぞ」 「森の化け物を鎮めたというのは、本当なのか?」

 

天井から、巨大な燭台が吊るされていた。蝋燭の代わりに、何十という緑色の結晶が、ぼんやりと光っている。

 

肩の上の精霊たちが、ぎゅっと身を縮めるのが分かった。

 

*

 

玉座の前で、止まった。

 

三段高くなった壇の上に、ひとりの男が座っていた。

 

国王、ルドルフ四世陛下。

 

五十代の、がっしりした体格の人だった。白いものが混じった顎髭。思っていたより質素な、細い金の冠。そして、ひどく疲れた目をしていた。何年も、ろくに眠れていない人の目だった。

 

玉座の右には、豪華な刺繍の長衣を着た、恰幅のいい初老の男。宰相のオルブライト公だと、エドガーさんが教えてくれていた。

 

左には、白い法衣に金の帯を締めた、背の高い老人。聖教会の、グレゴール大司教。

 

そして、その隣に。

 

灰色の長衣の、痩せた男が立っていた。

 

灰色の髪。こけた頬。そして、刃物みたいに鋭い、灰色の目。

 

――ヴァルド。

 

名乗られる前から、分かった。

 

その目が、まっすぐに、俺を見ていた。品定めするように。何かを測るように。

 

俺は、マダム・ロザリーに教わった通りに、右足を半歩引いた。左の膝を、曲げた。

 

礼の姿勢。陛下のお許しがあるまで、保たねばならない。

 

五つ数えた。

 

膝が、震え始めた。

 

十数えた。

 

礼装の重みで、体が前に傾き始めた。

 

――あ、だめだ。倒れる。

 

「楽にされよ」

 

低い声がした。

 

顔を上げると、国王陛下が、片手を軽く上げていた。

 

「ハイエルフ殿は、御身が弱いと聞いている。礼は、それで十分だ。……誰か、椅子を」

 

貴族たちが、ざわめいた。

 

謁見の間で、国王の前に、椅子。たぶん、ものすごく異例のことなんだろう。宰相のオルブライト公が、眉をひそめていた。

 

でも、侍従が慌てて運んできた椅子に座った時、俺は心の底からほっとした。

 

*

 

「ハイエルフ殿」

 

陛下は、玉座の肘掛けに手を置いて、言った。

 

「まずは、礼を言わせてほしい。東の辺境、ハルトンの町を救ってくれたこと。王として、心から感謝する」

 

「……いえ。私は、森の精霊たちに頼んだだけなので」

 

「それでもだ」

 

陛下は、静かに頷いた。

 

「聞けば、ハイエルフ殿は、八百年ぶりに世界樹からお生まれになったとか。そのような方が、我が国を訪れてくださったことを、光栄に思う。ハイエルフ殿には、王国の客人として、望むだけ王都に滞在していただきたい。館も、必要なものも、すべて用意しよう」

 

「……ありがとうございます」

 

「――畏れながら、陛下」

 

宰相のオルブライト公が、一歩前に出た。

 

「客人として遇するだけでは、もったいのうございます。ハイエルフ殿の御力は、森の魔物を鎮め、大地に花を咲かせるほどと聞き及びます。南の日照り、北の国境の騒ぎ。いずれも、ハイエルフ殿の御力があれば――」

 

「オルブライト」

 

陛下の声が、少しだけ低くなった。

 

「客人に、到着三日で仕事を頼む王がどこにいる」

 

宰相は、深々と頭を下げて、下がった。でも、その目は、俺から離れていなかった。

 

「お言葉ですが」

 

今度は、大司教が口を開いた。

 

「ハイエルフとは、聖教会の教えにおいては、古き時代の神々の名残とされております。その御力が、果たして神の御心に適うものであるか。教会として、慎重に見極めさせていただきたく」

 

大司教の目は、宰相とは違う意味で、俺から離れていなかった。

 

値踏みされている、と思った。

 

宰相は、俺の力を使えるかどうか。大司教は、俺が敵か味方か。

 

神殿とは、また違う意味で、窮屈だった。

 

*

 

「――陛下。私からも、ひとつ」

 

静かな声が、謁見の間に響いた。

 

ヴァルドだった。

 

貴族たちのざわめきが、ぴたりと止んだ。

 

ヴァルドは、ゆっくりと壇を降りて、俺の前に立った。

 

近くで見ると、ひどく痩せていた。長衣の袖から覗く手首が、枯れ枝みたいに細い。顔色は、俺以上に悪かった。

 

それでも、目だけは、刃物みたいだった。

 

「お初にお目にかかる、ハイエルフ殿。王国魔術院長、ヴァルド・ハーゼンだ」

 

「……リアです」

 

「ハイエルフ殿は、東の森で、我が院の杭を、四十七本破壊された」

 

謁見の間の空気が、凍りついた。

 

貴族たちが、息を呑む。マルタさんが、俺の後ろで、半歩前に出た気配がした。

 

ヴァルドは、表情ひとつ変えなかった。

 

「責めるつもりはない」

 

「……」

 

「むしろ、礼を言いたい。あなたのおかげで、我々は、杭の設計に重大な欠陥があることに気づけた。部下のクラウスから、詳しく報告を受けている」

 

穏やかな声だった。

 

でも、その穏やかさの下に、何か、張りつめたものがあった。

 

「ひとつ、伺いたい」

 

ヴァルドが、わずかに身を屈めた。

 

「あなたは、精霊と話せるのだと聞いた。……本当に?」

 

「はい」

 

「では」

 

灰色の目が、俺の目を、まっすぐに覗き込んだ。

 

「精霊たちは、何と言っている? 我が院の、結晶について」

 

謁見の間が、静まり返った。

 

天井の燭台で、緑色の結晶が、ぼんやりと光っていた。

 

肩の上の精霊たちが、震えていた。

 

――言っていいのか、と思った。

 

ここは、王様の前だ。貴族たちの前だ。結晶灯は、王都中に灯っている。南の村では、結晶の揚水機が、日照りの畑に水を汲み上げている。みんな、この結晶に助けられている。

 

ここで本当のことを言えば、たぶん、面倒なことになる。

 

でも。

 

屋台のかまどの、小さな光を思い出した。

 

きのうも、となりのかまどのこが、いなくなった。

 

つぎは、わたし?

 

「……痛い、と言っています」

 

声が、謁見の間に響いた。

 

「返して、と言っています。……東の森の精霊たちも。それから」

 

俺は、床を見下ろした。

 

磨き上げられた、白い大理石の床。その、ずっと下を。

 

「この王都の地下でも。たくさんの精霊が、泣いています。毎晩」

 

ざわめきが、爆発した。

 

「地下で、泣いている……?」 「何を言っているんだ、あのエルフは」 「結晶灯が、精霊を……?」 「魔術院の地下には、確か、結晶炉が――」

 

大司教が、眉をひそめていた。宰相が、何かを素早く計算するような目をしていた。陛下は、玉座の上で、じっと俺を見ていた。

 

ヴァルドは。

 

灰色の目が、一瞬だけ、鋭く光った。

 

それから、ゆっくりと、口元に笑みを浮かべた。

 

「……興味深い」

 

その声は、穏やかなままだった。

 

「実に、興味深い。ハイエルフ殿。ぜひ、我が院で、その声を聞かせていただきたい。明日、星見の塔へお越しいただけるだろうか」

 

断る理由は、なかった。

 

確かめなければいけないことが、あった。

 

「……行きます」

 

ヴァルドは、満足げに一礼して、壇の上へ戻っていった。

 

その途中で、一度だけ、小さく咳き込んだ。

 

*

 

謁見が終わった後、侍従に呼び止められた。

 

陛下が、内々にお話をしたいと仰せです、と。

 

案内されたのは、謁見の間の奥の、小さな部屋だった。暖炉と、本棚と、古い木の机がひとつ。王様の部屋にしては、驚くほど質素だった。

 

陛下は、冠を外して、机の上に置いていた。

 

冠のない王様は、ただの、疲れた中年の男の人に見えた。

 

「座ってくれ、ハイエルフ殿。……いや、リア殿と呼んでもよいか」

 

「はい」

 

陛下は、暖炉の火を見つめながら、しばらく黙っていた。

 

それから、口を開いた。

 

「ヴァルドはな。私の、幼なじみなのだ」

 

「……え」

 

「あれは、平民の生まれでな。王宮の書庫番の息子だった。七つの時に、あまりに賢いというので、私の学友に選ばれた。それから五十年。ずっと、私の隣にいる」

 

陛下は、苦く笑った。

 

「あれは、昔から、急いでいる男だった。魔力のない者が、魔法の恩恵を受けられる世の中を作る。それが、子どもの頃からの口癖でな。……あれの結晶が、南の民を救っているのも、事実なのだ」

 

「……はい」

 

「だが」

 

陛下は、俺の方を向いた。

 

「あなたが言った、声。それが、真実であるならば」

 

疲れた目が、まっすぐに俺を見ていた。

 

「どうか、あれと、話してやってほしい。王としてではなく、友として、頼む。あれは、私の言うことは聞かんのだ。昔から」

 

俺は、頷いた。

 

他に、何と答えればいいのか、分からなかった。

 

陛下は、ほっとしたように息を吐いた。

 

それから、ふと、思い出したように言った。

 

「ハイエルフは、千年を生きると聞く」

 

「……はい。たぶん」

 

「羨ましいとは、思わぬよ」

 

陛下は、暖炉の上の、小さな肖像画に目をやった。

 

若い女の人の絵だった。柔らかく微笑んでいる。

 

「妃は、十年前に逝った。私は、まだ、慣れぬ」

 

暖炉の火が、ぱちりと爆ぜた。

 

「見送るばかりの生は、さぞ、寂しかろうな」

 

――あんたにとっちゃ、瞬きみたいなもんか。

 

焚き火の前の、マルタさんの声が、耳の奥で響いた。

 

俺は、何も答えられなかった。

 

*

 

白百合館への帰り道。

 

小姓の服の襟元を緩めながら、トビが聞いた。

 

「なあ、姉ちゃん。王様、いい人だった?」

 

俺は、少し考えた。

 

椅子を用意してくれた王様。冠を外した王様。友達のことを頼んできた王様。肖像画を見ていた王様。

 

「……たぶん」

 

「たぶんかよ」

 

「いい人なんだと思う。……疲れてるけど」

 

王宮の門を出たところに、灰色の長衣の男が立っていた。

 

クラウスだった。

 

「ハイエルフ殿」

 

クラウスは、静かに頭を下げた。

 

「明日、塔でお待ちしております。院長閣下が、地下の結晶炉を、ご案内すると」

 

顔を上げた時、クラウスの目には、何か、迷いのようなものが浮かんでいた。

 

「……あなたが、謁見の間で仰ったこと」

 

声が、少し低くなった。

 

「本当に、聞こえるのですか。地下の、声が」

 

俺は、頷いた。

 

「毎晩、聞こえます」

 

クラウスは、しばらく黙っていた。

 

それから、もう一度、深く頭を下げた。

 

「……明日、お待ちしております」

 

星見の塔が、夕暮れの空に、白くそびえていた。

 

窓という窓に、緑色の灯りが、ともり始めていた。

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