【TS】世界樹から実ったハイエルフ(中身は元社畜)、八百年ぶりの上位種として崇められていますが、人間の町でのんびり暮らしたいだけです   作:月白イツキ

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第22話 星見の塔の地下

星見の塔の中は、ひんやりとしていた。

 

白い石の廊下。壁に沿って並ぶ、緑色の結晶灯。灰色の長衣を着た魔術師たちが、書物や器具を抱えて、忙しそうに行き交っている。

 

俺たちが通り過ぎると、みんな足を止めて、こっちを見た。

 

「あれが……」 「謁見の間で、地下で精霊が泣いてるって言ったっていう……」 「院長閣下の結晶炉を、侮辱したんだろう」

 

居心地が悪かった。

 

「こちらです」

 

先導するクラウスの背中が、いつもよりこわばって見えた。

 

マルタさんが、廊下を歩きながら、魔術師たちの顔をひとりひとり見ていた。誰かを、探しているみたいだった。

 

「……おい、眼鏡」

 

「クラウスです」

 

「クラウス。ここに、ニナって魔術師はいるか」

 

クラウスが、足を止めた。

 

「ニナ……ニナ・ベルク女史のことでしょうか」

 

「たぶん、そいつだ」

 

「おられます。院長閣下の、筆頭助手を務めておられます」

 

マルタさんの顔が、一瞬だけ、固まった。

 

「……そうか」

 

それ以上は、何も聞かなかった。

 

*

 

廊下の突き当たりに、地下へ続く階段があった。

 

その前に、ふたりの人が立っていた。

 

ひとりは、ヴァルドだった。昨日と同じ灰色の長衣。昨日よりも、顔色が悪く見えた。

 

もうひとりは、ヴァルドの半歩後ろに控えた、若い女の人だった。

 

二十代の後半くらい。茶色い髪を一本の三つ編みにして、肩から前に垂らしている。頬に、薄いそばかす。灰色の長衣の胸元に、魔術院の紋章と、小さな銀の徽章がついていた。

 

その人の目が、俺を通り越して、俺の後ろを見た。

 

そして、大きく見開かれた。

 

「……マルタ?」

 

後ろで、マルタさんが、息を止めたのが分かった。

 

「……よう、ニナ」

 

マルタさんの声は、低くて、平坦だった。

 

ふたりは、それきり、何も言わなかった。

 

三年。崩れた遺跡。突き飛ばされたマルタさんと、突き飛ばしたレオンさんと、たぶん、それを見ていたニナさん。

 

間に、言葉にできないものが、ぎっしりと詰まっているのが分かった。

 

「知り合いかね、ニナ」

 

ヴァルドが、静かに尋ねた。

 

「……昔の、仲間です。冒険者だった頃の」

 

「そうか」

 

ヴァルドは、それ以上は何も聞かずに、俺の方に向き直った。

 

「ようこそ、ハイエルフ殿。では、参ろうか。我が院の、心臓部へ」

 

*

 

階段は、長かった。

 

螺旋状に、どこまでも下へ続いている。一段降りるごとに、空気が冷たくなっていった。壁の結晶灯の緑色が、だんだん濃くなっていく。

 

そして、音が、大きくなっていく。

 

昨夜、白百合館の寝台で聞いた、低い唸り声。それが、一段ごとに、はっきりと聞こえるようになってくる。

 

いや。

 

唸り声じゃない。

 

声だ。

 

何千、何万という声が、重なって、混ざり合って、ひとつの唸りになっているだけだ。

 

『りあ』

 

髪の中で、精霊たちが、ぎゅっとしがみついていた。

 

『いきたくない』『こわい』『りあ、かえろう』

 

「……ごめん。もうちょっとだけ」

 

小声で答えた。

 

息が切れていた。階段のせいだけじゃなかった。胸の奥が、ぎりぎりと締めつけられるように痛かった。

 

誰かが、俺の手を握った。

 

トビだった。

 

何も言わずに、俺の手を握って、一段ずつ、一緒に降りてくれた。

 

*

 

階段の終わりに、巨大な鉄の扉があった。

 

ヴァルドが手をかざすと、扉の表面に刻まれた文字が緑色に光って、ゆっくりと左右に開いた。

 

そして、俺は、それを見た。

 

巨大な、空洞だった。

 

地面の下に、こんなに大きな空間があるなんて、信じられなかった。円形の天井は、謁見の間よりも高い。壁一面に、鉄の柱と梁が、蜘蛛の巣みたいに張り巡らされている。その全部に、びっしりと文字が刻まれていて、緑色に脈打っていた。

 

空洞の真ん中に、それがあった。

 

結晶だった。

 

家一軒分くらいの大きさの、巨大な緑色の結晶。

 

地面から、斜めに突き出すように生えている。表面は、無数の面で切り取られたように角張っていて、内側から、ぼうっと光っていた。

 

ゆっくりと、明るくなって、暗くなって、また明るくなる。

 

心臓の鼓動みたいに。

 

結晶の表面のあちこちから、小さな結晶が、果実みたいに芽吹いていた。魔術師たちが、梯子に登って、それを丁寧に切り取っては、籠に入れていく。

 

天井からは、何十本もの太い管が垂れ下がっていた。透明な管の中を、緑色の光が、ゆっくりと流れて、上へ、上へと昇っていく。

 

巨大な結晶の、一番奥。そこだけ、緑色が、ほとんど黒に近いくらい濃かった。

 

「あの、真ん中の濃いところは」

 

小声で聞くと、後ろにいたクラウスが、同じくらいの小声で答えた。

 

「核です。外側の結晶は、ああして刃で切り出せます。ですが、核だけは、刃も魔術も通らない。……この三十年、誰ひとり、傷ひとつ付けられた例がありません」

 

髪の中で、精霊たちが、小さく身を縮めた。

 

『まんなか、いちばん、ぎゅうぎゅう』

 

『そとからは、あかない』

 

「精霊集積炉だ」

 

ヴァルドが、言った。

 

声に、隠しきれない誇らしさが滲んでいた。

 

「王都と、その周囲二十里。そこに漂う魔力の凝集――精霊を、夜ごと地脈を通じてこの地下へ引き寄せ、ここで結晶へと変える。この炉ひとつで、王都の三万の結晶灯と、南部の揚水機二百基の、半分を賄っている」

 

俺は、何も聞いていなかった。

 

結晶の中が、見えていた。

 

巨大な緑色の結晶の、内側。

 

そこに、光が、ぎっしりと詰まっていた。

 

小さな、小さな光の粒。何千、何万、もしかしたら、何十万。それが、結晶の内側で、ぐるぐると渦を巻いていた。結晶の壁に、内側から、ぺたりと張りついていた。外に出ようとして、壁を叩いていた。

 

声が、聞こえた。

 

『だして』

 

『くらい』『さむい』『せまい』

 

『だして、だして、だして』

 

『ここ、どこ』『かえりたい』『おうち、かえりたい』

 

『おかあさん』

 

――膝から、力が抜けた。

 

「姉ちゃん!」

 

トビが、崩れ落ちそうになった俺を支えた。マルタさんが、反対側から腕をつかんでくれた。

 

「リア様!」

 

セレスさんの声が、遠くに聞こえた。

 

*

 

「……大丈夫です」

 

嘘だった。

 

でも、俺は、トビとマルタさんの手を借りて、なんとか立った。

 

ヴァルドが、じっと俺を見ていた。

 

その目は、心配しているようには見えなかった。観察していた。実験の結果を、記録するように。

 

「何が、聞こえる」

 

静かな声だった。

 

「その結晶の中で、精霊は、何と言っている。具体的に」

 

「……出して、って」

 

声が、震えた。

 

「暗い。寒い。狭い。帰りたい。……お母さん、って」

 

空洞の中が、しんとなった。

 

梯子の上で結晶を切り取っていた魔術師が、手を止めていた。

 

ニナさんの顔が、青ざめていた。クラウスが、目を閉じていた。

 

ヴァルドだけが、表情を変えなかった。

 

「ならば、問いたい」

 

ヴァルドは、ゆっくりと、結晶の方へ歩いていった。

 

「それは、苦痛の表現か。それとも、単なる反応か。火に触れた手が、勝手に引っ込むのと、何が違う。……あなたが聞いている声が、本当に意思あるものの声だと、どうやって証明する」

 

「違います」

 

「何が違う」

 

「火に触れた手は、お母さんって、言わない」

 

ヴァルドが、足を止めた。

 

振り返った。

 

灰色の目が、ほんの一瞬だけ、揺れた気がした。

 

*

 

「……十年前」

 

ヴァルドは、結晶を見上げながら、言った。

 

「南の地方で、ひどい日照りがあった。井戸が涸れ、川が干上がり、畑が全滅した。……その年、南の村々で、何人の子どもが死んだか、知っているかね」

 

「……」

 

「千二百人だ」

 

空洞の中に、その数字が、重く響いた。

 

「去年も、日照りだった。だが、去年、南で、渇きで死んだ子どもは、ひとりもいない。この炉の結晶が、揚水機を動かしたからだ」

 

ヴァルドは、俺の方に向き直った。

 

「あなたは、この結晶の中で、精霊が泣いていると言う。……ならば、千二百人の子どもの泣き声と、どちらを選ぶ」

 

答えられなかった。

 

喉が、詰まった。

 

精霊の声と、子どもの声。どちらかを選べと言われて、答えられる人なんて、いるんだろうか。

 

「……ひとつ、提案がある」

 

ヴァルドが、声を和らげた。

 

「仮に、精霊に意思があるとしよう。あなたの言う通りに。……ならば、話し合えるはずだ。違うかね」

 

「……え」

 

「あなたは、精霊と話せる。精霊は、あなたの言うことを聞く。東の森で、四十七本の杭を押し出したように。ハルトンの町中から、精霊を呼び集めたように」

 

ヴァルドが、一歩、近づいてきた。

 

「ならば、あなたが頼めばいい。精霊たちに、自ら結晶に入ってくれるように、と。強制ではなく、協力として。……そうすれば、もう、苦痛はない。泣き声もない。民は救われ、精霊は苦しまない。誰も、損をしない」

 

穏やかな声だった。

 

理にかなっている、と思ってしまった。

 

一瞬だけ。

 

俺は、結晶の方を見た。

 

巨大な緑色の壁の内側で、無数の光が、渦を巻いていた。

 

「……ねえ」

 

小さな声で、結晶に向かって話しかけた。

 

「この人が、言ってること。……どう思う」

 

渦が、ぴたりと止まった。

 

何万という光が、一斉に、こっちを向いた気がした。

 

それから。

 

『いや』

 

『いや』『いや』『ここ、いや』

 

『そとにでたい』『かぜにあたりたい』『かまどにかえりたい』『いどのそこにかえりたい』

 

『かえりたい』

 

髪の中で、俺の精霊たちが、震える声で言った。

 

『りあ』

 

『りあ、そんなこと、たのまないで』

 

俺は、ヴァルドに向き直った。

 

「……嫌だ、って言ってます」

 

「説得は、できないのか」

 

「しません」

 

ヴァルドの目が、冷たく光った。

 

「では、民の灯りを消せと言うのか。南の水を、止めろと言うのか」

 

――答えられなかった。

 

答えなんて、持っていなかった。

 

精霊を解放すれば、王都の灯りが消える。南の揚水機が止まる。日照りの村で、また子どもが死ぬかもしれない。

 

このままにすれば、精霊たちは、この暗くて寒くて狭い場所で、ずっと泣き続ける。

 

どっちも、選べなかった。

 

「……分かりません」

 

正直に、言った。

 

「どうすればいいのか、俺には――私には、まだ、分かりません。でも」

 

顔を上げた。

 

「他の方法を、一緒に考えたいです。精霊も、子どもも、どっちも泣かなくていい方法を」

 

ヴァルドは、黙って俺を見ていた。

 

それから、何かを言おうとして、口を開いた。

 

その瞬間、ヴァルドの体が、くの字に折れた。

 

激しい咳だった。

 

乾いた、嫌な咳が、空洞の壁に反響した。止まらない。体を折り曲げて、長衣の袖で口元を押さえて、咳き込み続ける。

 

「閣下!」

 

ニナさんが、駆け寄った。ヴァルドの背中をさすりながら、懐から小瓶を取り出す。

 

咳が、ようやく収まった。

 

ヴァルドが、口元から袖を離した。

 

灰色の長衣の袖に、赤いものが、べったりとついていた。

 

俺は、息を呑んだ。

 

ヴァルドは、袖の赤い染みを見下ろして、それから、ゆっくりと顔を上げた。

 

口元に、薄い笑みが浮かんでいた。

 

「……見苦しいところを見せた」

 

かすれた声だった。

 

「一緒に考えたい、と言ったな、ハイエルフ殿」

 

「……はい」

 

「千年を生きるあなたには、考える時間がいくらでもあるだろう」

 

ヴァルドの灰色の目が、まっすぐに俺を見ていた。

 

刃物みたいな目だった。でも、その奥に、何か、ひどく疲れたものが見えた。

 

「――私には、ないのだよ」

 

*

 

「今日は、ここまでにしよう」

 

ヴァルドは、ニナさんの肩を借りて、ゆっくりと背を伸ばした。

 

「クラウス。ハイエルフ殿を、お送りしろ」

 

「……はい」

 

鉄の扉へ向かう途中で、俺は、一度だけ振り返った。

 

巨大な緑色の結晶。その内側で、無数の光が、また渦を巻き始めていた。

 

その時、ひとつの小さな光が、結晶の壁の、ちょうど俺の目の高さのところに、ぺたりと張りついた。

 

かまどの精霊だった。

 

たぶん、昨日、屋台街で話した子の、隣のかまどの子だ。

 

『……りあ?』

 

小さな、小さな声だった。

 

『まってる』

 

俺は、拳を握りしめた。

 

声には出さずに、答えた。

 

――待ってて。

 

必ず、出すから。

 

鉄の扉が、背後で、重い音を立てて閉まった。

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