【TS】世界樹から実ったハイエルフ(中身は元社畜)、八百年ぶりの上位種として崇められていますが、人間の町でのんびり暮らしたいだけです   作:月白イツキ

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第23話 灰色の梟亭

その夜、マルタさんが白百合館を抜け出した。

 

気づいたのは、精霊たちだった。

 

『マルタ、おでかけ』『ひとりで』『こそこそ』

 

天蓋つきの寝台の上で、俺は体を起こした。

 

窓の外を見る。月明かりの庭園を、赤毛の背の高い影が、裏門の方へ歩いていくのが見えた。礼装の胸当てじゃなくて、いつもの擦り切れた革鎧を着ていた。大剣は、背負っていなかった。

 

「……どこ行くんだろ」

 

『しらない』『でも、かお、こわかった』

 

昼間の、塔の地下への階段の前。ニナさんと目が合った時の、マルタさんの顔を思い出した。

 

俺は、外套を羽織った。

 

人の事情には、首を突っ込まない。前世の俺なら、そうしていた。

 

でも、たぶん、もう、俺は前世の俺じゃないんだと思う。

 

*

 

風の精霊に頼んで、足を少しだけ軽くしてもらった。それでも、マルタさんの大股には追いつけなかった。精霊たちに道案内をしてもらいながら、夜の王都の路地を、ふらふらと進む。

 

マルタさんが入っていったのは、星見の塔のすぐ裏手の、小さな酒場だった。

 

看板に、灰色の梟の絵が描いてある。

 

扉の隙間から、そっと中を覗いた。

 

客は、ほとんどいなかった。カウンターの奥で、年老いた主人がグラスを磨いている。隅の席で、魔術院の灰色の長衣を着た男がふたり、うつらうつらしている。

 

マルタさんは、奥の、壁際の席に座っていた。

 

向かいの席は、空いていた。

 

俺は、こっそり中に入って、入口近くの柱の陰の席に滑り込んだ。

 

『りあ、かくれんぼ?』

 

「しーっ」

 

『かくれんぼ!』『かくれる!』

 

精霊たちが、張り切って俺の周りに集まってきた。

 

……光ってる。めちゃくちゃ光ってる。

 

奥の席から、マルタさんの低い声がした。

 

「出てこい、リア」

 

「…………」

 

「精霊ってのは、こそこそするには光りすぎだ」

 

*

 

結局、マルタさんの隣の席に座らされた。

 

「……すみません」

 

「別にいい。どうせ、ついてくると思ってた」

 

マルタさんは、黒エールのジョッキを傾けた。

 

「ニナを、呼び出したんだ。昼間、塔の廊下で、すれ違いざまに紙を渡した。来るかどうかは、分からないけどな」

 

来ないかもしれない、と言いながら、マルタさんの目は、ずっと入口の扉を見ていた。

 

俺は、ハルトンの串焼きを食べた時みたいに、黙ってマルタさんの隣にいた。

 

四半刻ほど、経っただろうか。

 

扉が、きい、と開いた。

 

三つ編みの、そばかすの女の人が、入口に立っていた。

 

灰色の長衣の上から、地味な茶色の外套を羽織っていた。たぶん、魔術院の誰かに見られないように。

 

ニナさんは、奥の席のマルタさんを見て、それから、その隣の俺を見て、少し驚いた顔をした。

 

それから、ゆっくりと歩いてきて、向かいの席に座った。

 

*

 

しばらく、誰も何も言わなかった。

 

酒場の主人が、黙ってニナさんの前に、薄い葡萄酒の杯を置いていった。

 

「……三年ぶりだね、マルタ」

 

先に口を開いたのは、ニナさんだった。

 

「ああ」

 

「辺境に行ったって、オスカーから聞いた。……元気だった?」

 

「見ての通りだ」

 

「頬の傷、残っちゃったね」

 

マルタさんの指が、左の頬に触れた。

 

「別に、気にしてない」

 

また、沈黙が落ちた。

 

ニナさんは、杯を両手で包むように持って、その中をじっと見つめていた。

 

「……あのね、マルタ」

 

声が、震えていた。

 

「ずっと、言わなきゃって、思ってたことがあるの」

 

「……」

 

「あの時。遺跡の奥で、天井が崩れたの」

 

ニナさんの指が、杯をぎゅっと握りしめた。

 

「私のせいなの」

 

*

 

「あの時、奥の部屋に、大きな魔物がいたでしょう。私、焦って、一番大きな炎の魔法を撃った。……あそこの天井、古くて、もろくなってた。私の炎の熱で、石が割れて」

 

ニナさんの声が、どんどん小さくなっていった。

 

「レオンが死んだのは、私のせい。……ずっと、言えなかった。マルタにも、オスカーにも。言ったら、みんなに嫌われると思って。怖くて。だから、逃げるみたいに、魔術院に入ったの」

 

杯の中に、ぽたりと、何かが落ちた。

 

「ごめん。ごめんね、マルタ。ずっと、黙ってて――」

 

「知ってた」

 

マルタさんが、言った。

 

ニナさんの肩が、びくりと震えた。

 

顔を上げた。

 

「……え」

 

「知ってたよ。あたしも、レオンも、オスカーも」

 

マルタさんは、エールのジョッキを置いた。

 

「あの時、あんたが炎を撃つのを、みんな見てた。天井にひびが入ったのも、見てた。……レオンは、それを見て、あたしを突き飛ばしたんだ」

 

「……じゃあ、なんで」

 

ニナさんの声が、裏返った。

 

「なんで、誰も、言わなかったの。私のせいだって。なんで、誰も、責めてくれなかったの!」

 

酒場の隅で、居眠りしていた魔術師が、びくっと顔を上げた。主人が、グラスを磨く手を止めた。

 

ニナさんは、もう、隠しもせずに泣いていた。

 

「誰も責めてくれないから、私、ずっと、どうしていいか分からなかった! 謝ることもできなくて、罰を受けることもできなくて、ずっと、ずっと――」

 

「責める理由がなかったからだ」

 

マルタさんの声は、静かだった。

 

「あんたが炎を撃たなかったら、あの魔物に、たぶん四人とも食われてた。あんたは、自分の仕事をしただけだ。天井が古かったのは、あんたのせいじゃない」

 

「でも、レオンは――」

 

「レオンは、自分で選んだんだ」

 

マルタさんは、ニナさんの目を、まっすぐに見た。

 

「あたしを突き飛ばすって、あいつが自分で選んだ。あんたのせいじゃない。あたしのせいでもない。……ずっと、あたしも、自分のせいだと思ってた。一番前にいたのに、気づくのが遅れたって」

 

マルタさんは、少しだけ笑った。

 

「でもな。この前、東の辺境で、ガキを庇って怪我した」

 

「……え」

 

「その時に、分かった。考えるより先に、体が勝手に動くんだよ、ああいうのは。誰のせいとか、何のためとか、そんなこと考えてる暇なんかない。ただ、こいつを死なせたくないって、それだけだ」

 

マルタさんの声が、少しだけ、かすれた。

 

「レオンは、誰かを恨んで死んだんじゃない。あたしを死なせたくなかっただけだ。……それだけなんだよ、ニナ」

 

ニナさんは、両手で顔を覆った。

 

声を殺して、肩を震わせて、泣いていた。

 

マルタさんは、何も言わずに、テーブル越しに手を伸ばした。

 

そして、ニナさんの頭に、その大きな手を、ぽんと置いた。

 

俺の頭に、いつもそうするみたいに。

 

*

 

ニナさんが落ち着くまで、ずいぶん時間がかかった。

 

主人が、新しい葡萄酒と、温かい山羊の乳を持ってきてくれた。山羊の乳は、俺の前に置かれた。エールは半分で酔うと、マルタさんが主人に言ったらしい。余計なお世話だ。

 

「……みっともないとこ、見せちゃった」

 

ニナさんは、赤くなった目をこすりながら、俺の方を向いた。

 

「ハイエルフ様、ですよね。昼間は、きちんとご挨拶もできなくて」

 

「リアでいいです。マルタさんに、拾われた者です」

 

「拾った……マルタが?」

 

「門の前で、葉っぱで入町税払おうとしてたんだ」

 

マルタさんが、ぼそっと補足した。

 

ニナさんが、ぽかんとした顔をして、それから、小さく吹き出した。

 

泣き腫らした顔で笑うと、ずいぶん幼く見えた。

 

*

 

「……ひとつ、聞いてもいいですか」

 

笑いが収まってから、ニナさんが、ためらうように言った。

 

「昼間、炉の前で。本当に、聞こえたんですか。結晶の中の、声が」

 

「……はい」

 

「お母さん、って」

 

「はい」

 

ニナさんの顔から、血の気が引いていった。

 

「私、毎日、あの炉のそばで働いてるんです。三年間、毎日。結晶の切り出しの記録をつけて、魔力の流れを計測して。……何も、聞こえなかった」

 

杯を持つ手が、震えていた。

 

「何万も、いたんですよね。あの中に」

 

「……たぶん、もっと」

 

ニナさんは、目を閉じた。

 

しばらく、そのまま動かなかった。

 

「……ヴァルド閣下のこと、聞いてもいいですか」

 

俺が言うと、ニナさんは、ゆっくりと目を開けた。

 

「閣下、昼間、血を」

 

「……魔石肺です」

 

ニナさんは、声を落とした。

 

「結晶の研究を始めた頃は、まだ、安全な扱い方が分かっていなかったんです。結晶を削ると、細かい粉が出る。それを吸い込むと、肺の中で、少しずつ固まっていく。……閣下は、十年以上、誰よりも長く、結晶のそばにいた方ですから」

 

肺が、結晶になっていく病。

 

自分が作ったもので、自分が死んでいく。

 

「医師は、もって一年だと」

 

マルタさんが、ジョッキを置く音がした。

 

「……陛下は、知ってるのか」

 

「ご存じです。陛下と、私と、侍医しか知りません」

 

――私には、ないのだよ。

 

地下の空洞で、血のついた袖を見下ろしながら、ヴァルドが言った言葉を思い出した。

 

「閣下は、鑑定院からの報告も、受け取っています」

 

ニナさんが、俺を見た。

 

「世界樹の葉。どんな病でも治すっていう」

 

心臓が、どきりとした。

 

袖の中に、まだ、九枚ある。

 

「……でも、閣下は、頼まないって言ってました」

 

「頼まない?」

 

「『借りを作った相手とは、対等に議論ができない』って」

 

ニナさんは、困ったように笑った。

 

「そういう人なんです。頑固で、意地っ張りで、誰にも頼らない。……私が、遺跡のことを誰にも言えずにぼろぼろだった時も、何も聞かずに、ただ、仕事をくれた人です。責めもしないで、慰めもしないで。ただ、明日までにこの計算をやっておけ、って」

 

ニナさんの声が、少しだけ、温かくなった。

 

「それが、どれだけ救いだったか」

 

*

 

「閣下は、急いでるんです」

 

ニナさんは、杯の中を見つめながら、言った。

 

「今の炉だけじゃ、南の地方の半分しか水を汲めない。だから、もうひとつ、もっと大きな炉を作ろうとしてる。王都の南の、地脈が一番太いところに。……大炉、って呼んでます」

 

「大炉」

 

「それが動けば、南の全部の村に、揚水機を置ける。もう二度と、日照りで子どもが死なずに済む。閣下が死んだ後も、炉は動き続ける」

 

ニナさんは、顔を上げた。

 

「閣下は、自分がいなくなっても、南の民が渇かずに済む仕組みを、残そうとしてるんです。……それが、閣下の、一生の仕事なんです」

 

俺は、何も言えなかった。

 

結晶の中の、何万という光。

 

だして。くらい。さむい。おかあさん。

 

それが、もっと大きな炉になる。

 

何十万、何百万という光が、もっと暗い場所に閉じ込められる。

 

「……いつ、動くんですか。その、大炉」

 

ニナさんは、少しためらってから、答えた。

 

「まだ、決まってません。でも、たぶん、もうすぐ」

 

*

 

灰色の梟亭を出たのは、真夜中を過ぎた頃だった。

 

ニナさんは、塔の裏口の方へ、ひとりで帰っていった。別れ際に、マルタさんに、小さく手を振っていた。マルタさんも、片手を上げて応えていた。

 

白百合館への帰り道を、マルタさんと並んで歩いた。

 

マルタさんは、何も言わなかった。

 

俺も、何も言わなかった。

 

月が、石畳を白く照らしていた。通りの結晶灯が、緑色に、ぼんやりと光っていた。

 

白百合館の裏門が見えてきた頃、マルタさんが、ぼそっと言った。

 

「……ありがとな」

 

「え」

 

「ついてきてくれて」

 

マルタさんは、前を向いたまま、言った。

 

「ひとりだったら、たぶん、逃げてた。ニナが来る前に、席を立ってたと思う」

 

俺は、少し考えてから、答えた。

 

「……精霊が光りすぎて、隠れられなかっただけです」

 

マルタさんが、吹き出した。

 

真夜中の路地に、豪快な笑い声が響いた。どこかの家の窓が開いて、うるさい、と怒鳴られた。

 

マルタさんは、肩をすくめて、まだ笑っていた。

 

俺は、袖の中に手を入れた。

 

九枚の葉っぱが、指先に触れた。

 

ほんのりと、温かかった。

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