【TS】世界樹から実ったハイエルフ(中身は元社畜)、八百年ぶりの上位種として崇められていますが、人間の町でのんびり暮らしたいだけです 作:月白イツキ
「……なんですか、これ」
朝の食卓に、一冊の本が置いてあった。
薄い、安っぽい紙を、粗い糸で綴じただけの本だ。表紙に、でかでかと文字が刷ってある。
『ハイエルフ様語録 ~銀の御方の、深遠なる御言葉の数々~』
「王都の本屋で、売られておりました」
セレスさんが、やけに誇らしげな顔で言った。
「昨日の午後に出たばかりだそうですが、もう三刷りだとか。南大通りの本屋では、行列ができておりました」
嫌な予感がした。
表紙をめくった。
『その一。今年の実りを問われ、御方答えて曰く、「なんとかなるんじゃないですかね」。――その御言葉の通り、その年、エルフの里は豊作であった』
『その二。御方、獣の肉を冗談の種とされる。「お肉とかって」。――御心の深さ、計り知れず』
『その三。御方、森の木苺を口にされ、涙を流される。――以来、木苺は聖果と呼ばれる』
「…………」
手が、震えた。
「セレスさん」
「はい」
「これ、どうやって外に出たんですか」
「わたくしの御言行録を、マダム・ロザリーが大変感心してくださいまして。王宮の書庫に写しを納めたいと仰るので、お貸ししたのですが……」
セレスさんは、首をかしげた。
「どなたかが、さらに写して、本屋に売ったようでございます」
俺は、本をそっと閉じて、テーブルに突っ伏した。
向かいで、トビが腹を抱えて笑っていた。マルタさんは、パンをちぎりながら、ぱらぱらと本をめくっていた。
「……『その十七。御方、エールを半杯召され、マルタなる剣士を二人に見られる』」
「読まないでください」
「あたしまで載ってるじゃねえか」
*
その日の夕方、晩餐会に呼ばれた。
主催は、宰相のオルブライト公。王都の一等地にある、ばかでかい屋敷だった。招待客は、貴族が五十人ほど。全員、ハイエルフを見物に来ているのは明らかだった。
断りたかった。
でも、エドガーさんに泣きつかれた。宰相閣下の招待を断れば、王宮での立場が、とか、陛下のお顔が、とか。
あの伝令官の人、最近、俺に泣きつくのが上手になってきた気がする。
*
長いテーブルの、上座のすぐ近くの席に座らされた。
左右と向かいに、絹と宝石で着飾った貴族たちが並んでいる。マルタさんは、俺の背後の壁際に護衛として立っていた。トビは、小姓の服で、その隣に控えていた。セレスさんは、少し離れた席で、また手帳を開いていた。もう書かないでほしい。
「ハイエルフ様」
向かいの席の、恰幅のいい伯爵が、にこやかに話しかけてきた。
「語録、拝読いたしましたぞ。『なんとかなる』。いやあ、実に、深い御言葉ですな」
「…………」
「我が領地も、昨年は不作でしてな。しかし、あの御言葉を読んで、心が晴れました。なんとかなる。そう、なんとかなるのです」
周りの貴族たちが、うんうんと頷いていた。
「わたくしは、『お肉とかって』の御言葉に感銘を受けましたわ」
隣の席の、羽根飾りの帽子をかぶった夫人が言った。
「何気ない一言に、生と死の深淵が込められている……」
込められていない。
何も、込められていない。
俺は、黙って、目の前の皿を見つめた。
ナイフとフォークとスプーンが、合わせて十一本、並んでいた。
*
前菜。汁物。魚料理。
マダム・ロザリーに叩き込まれた通りに、外側から順にナイフとフォークを使った。周りの貴族たちが、俺の一挙手一投足を、じっと見ていた。
胃が痛かった。この体で、胃が痛くなるとは思わなかった。
そして、肉料理が運ばれてきた。
仔羊の、香草焼き。
骨つきの肉に、香草と岩塩がまぶしてあって、表面にこんがりと焼き色がついている。切り分けると、中が、きれいな薄桃色だった。
香りは、すごくよかった。
ひと切れ、口に運んだ。
やわらかい。脂が甘い。香草の匂いが、鼻に抜けていく。たぶん、ものすごく上等な肉で、ものすごく腕のいい料理人が焼いたんだろう。
でも。
「……もうちょっと、焼いてもいいかも」
思わず、ぽつりと漏れた。
南大通りの屋台の串焼きの、焦げたところが好きなのだ。表面がかりかりで、ちょっと苦いくらいの。
――テーブルが、静まり返った。
五十人の貴族が、一斉に、俺の手元の皿を見ていた。
「……今、なんと?」
向かいの伯爵が、震える声で言った。
「あ、いや、なんでもないです。おいしいです。すごく」
遅かった。
宰相のオルブライト公が、指を鳴らした。
「料理長を呼べ」
厨房から、白い帽子をかぶった、年配の料理長が飛んできた。
「ハイエルフ殿が、仔羊の焼きが足りぬと仰せだ」
料理長の顔から、血の気が引いた。
そして、その場に、膝から崩れ落ちた。
「わ、わたくしの、三十年の……」
「いや、違うんです! 足りないとかじゃなくて、好みの問題で! すごくおいしいです、本当に!」
誰も聞いていなかった。
「なるほど……ハイエルフ様は、よく焼いた肉を好まれる……」
「生焼けは、森の御方の御口に合わぬのか……」
「これは、我が家の料理人にも伝えねば……」
貴族たちが、ひそひそと囁き合っている。斜め向かいで、セレスさんの炭筆が、猛烈な勢いで手帳の上を走っていた。
――三日後、王都の料理屋という料理屋で、「ハイエルフ焼き」と称する、外側をかりかりに焦がした肉料理が大流行することになる。
それを、この時の俺は、まだ知らない。
*
肉料理の皿が下げられたところで、白い法衣の老人が、立ち上がった。
聖教会の、グレゴール大司教だった。謁見の間でも見た、背の高い、厳しい顔の人だ。
「ハイエルフ殿。一献、差し上げたい」
大司教は、銀の杯を、俺の前に置いた。
中には、透き通った水が、なみなみと注がれていた。
「聖教会の、大聖堂の泉から汲んだ聖水です」
大司教の目が、じっと俺を見ていた。
周りの貴族たちが、また静まり返った。何人かが、意味ありげに目配せをしている。
後で、マルタさんに聞いた。聖水は、魔に連なるものが口にすれば、喉を焼くと言われているらしい。つまり、これは、試験だった。俺が神の側の存在か、それとも魔の側の存在か。
もちろん、その時の俺は、そんなことは知らなかった。
知っていたのは、ただひとつ。
喉が、ものすごく渇いていた。
香草焼きの岩塩が、効いていたのだ。それに、ずっと緊張していて、口の中がからからだった。
「ありがとうございます」
俺は、銀の杯を両手で持って、一気に飲み干した。
ごくごくごく、と喉が鳴った。
冷たくて、澄んでいて、ほんのりと甘い水だった。アルヴの森の朝露に、ちょっとだけ似ていた。
「――ぷはっ」
杯を置いた。
「あ、おいしい水ですね。これ」
それから、ちょっと考えて、付け加えた。
「おかわり、あります?」
大司教が、固まっていた。
貴族たちが、固まっていた。
宰相が、口元を手で覆っていた。肩が、小刻みに震えていた。たぶん、笑っていた。
長い、長い沈黙の後、大司教は、震える手で、懐から小さな手帳を取り出した。
何かを書きつけた。
たぶん、『聖水を、おかわり』とか、そんなことだろう。
手帳を持っている人、多すぎないか。
*
デザートの時間になって、俺の背後で、小さな事件が起きていた。
トビが、テーブルの端に並んだ焼き菓子の皿から、こっそり菓子をつまんでは、小姓の服のポケットに入れていた。
一個。二個。三個。
「……あら」
羽根飾りの帽子の夫人が、それに気づいた。
トビが、凍りついた。ポケットが、焼き菓子でぱんぱんに膨らんでいた。
夫人は、しばらくトビをじっと見つめていた。
それから、ふわりと微笑んだ。
「まあ、なんて可愛らしいこと。ハイエルフ様の小姓は、甘いものがお好きなのね」
そう言って、自分の皿の焼き菓子を、トビの手に載せてくれた。
トビは、顔を真っ赤にして、深々と頭を下げていた。
たぶん、あれは、俺のために盗っていたんだと思う。晩餐会の間ずっと、胃が痛そうな顔をしている俺のために。
後で、そう思った。
*
晩餐会が終わると、宰相のオルブライト公に、書斎へ呼ばれた。
分厚い絨毯。重厚な書棚。暖炉の上に、王国の地図が掛かっている。北の国境のあたりに、赤い印がいくつもついていた。
「まずは、詫びよう」
宰相は、葡萄酒の杯を傾けながら、言った。
「料理長には、よく言っておく。それから、大司教の無礼もな。あの方は、教会の権威を守ることにしか興味がないのだ」
「……いえ」
「さて」
宰相の目が、細くなった。
晩餐会の間、ずっと俺を観察していた目だった。
「単刀直入に申し上げる。ハイエルフ殿。北の国境の砦に、一度、お越しいただけないだろうか」
「……国境に?」
「何もしていただかなくてよい。ただ、砦に立って、兵たちに姿を見せていただくだけでよい。……ハイエルフが、レーヴェン王国についている。その噂が隣国に届けば、あちらは、もう二度と手を出してはこないだろう」
宰相は、地図の赤い印を指さした。
「無駄な血が、流れずに済む。悪い話ではないと思うが」
悪い話ではない、のかもしれない。
血が流れずに済むなら。
でも。
東の森で、精霊たちに力を貸してもらった夜のことを思い出した。四十七本の杭を押し出した、土の精霊たち。マルタさんの傷を癒した、癒し草の精霊たち。
あれは、誰かを守るための力だった。
脅すための力じゃなかった。
「……戦争には、使いません」
言った。
「精霊たちの力も。私も」
宰相は、しばらく黙っていた。
それから、薄く笑った。
「そう仰ると思っていた」
怒っている様子はなかった。最初から、断られるのを分かっていたみたいだった。
「では、もうひとつ。ヴァルド殿の大炉の件、いかが思われる?」
「……反対です」
「だろうな」
宰相は、杯を置いた。
「私は、大炉を支持するつもりだ」
俺は、顔を上げた。
「ヴァルド殿は、南の民のためだと言う。それは、本心だろう。あの男は、昔からそういう男だ」
宰相の目が、暖炉の上の地図に向けられた。
北の国境の、赤い印に。
「だが、結晶は、灯りや水汲みのためだけにあるのではない。……魔術院の第五研究室では、結晶を使った砲の試作が進んでいる。大炉が動けば、その砲を、国境の砦すべてに並べられる」
背中が、冷たくなった。
結晶の、砲。
あの結晶の中の、だして、と泣いている光たちが。
「ハイエルフ殿が国境に立ってくださらぬなら、別の方法で、国境を守らねばならぬ。……ご理解いただけるかな」
宰相は、穏やかに微笑んでいた。
クラウスが、ハルトンのギルドで見せた微笑みに、少し似ていた。
もっと、ずっと、冷たかったけど。
*
白百合館への帰りの馬車で、俺は、ずっと黙っていた。
「……貴族ってのは、どこもあんなもんだ」
向かいの席で、マルタさんが、ぼそっと言った。
「何を話したか知らねえけど、気にすんな。あいつらは、人を道具としか見てない」
「……はい」
ヴァルドは、南の子どもたちのために大炉を作ろうとしている。
宰相は、その大炉で、国境に砲を並べようとしている。
どっちも、王国のためだと言う。
その真ん中で、何十万という精霊たちが、暗い結晶の中で泣いている。
「姉ちゃん」
隣の席で、トビが、小姓の服のポケットをごそごそと探っていた。
取り出したのは、潰れて、粉々になりかけた焼き菓子だった。
「これ、食え。元気出る」
俺は、トビの手のひらの上の、崩れかけた菓子を見た。
それから、ひとかけら、つまんで口に入れた。
バターの香り。蜂蜜の甘さ。さくさくした歯ざわり。
「……うまい」
「だろ」
トビが、得意げに笑った。
「夫人のおばちゃんに、いっぱいもらった。セレス姉ちゃんの分も、マルタの分もある」
「あたしは甘いもんはいい」
「わたくしは、いただきます!」
馬車の中に、焼き菓子の甘い匂いが広がった。
窓の外を、緑色の結晶灯が、ひとつ、またひとつと流れていった。