【TS】世界樹から実ったハイエルフ(中身は元社畜)、八百年ぶりの上位種として崇められていますが、人間の町でのんびり暮らしたいだけです 作:月白イツキ
「今日、おれの誕生日」
朝の食卓で、トビがぼそっと言った。
「……え?」
俺も、マルタさんも、セレスさんも、パンを持ったまま固まった。
「今日?」
「たぶん」
「たぶん?」
トビは、窓の外を指さした。
白百合館の庭園の、軒の下を、黒い小さな鳥が、すいっと横切っていった。
燕だった。
「おれ、本当の誕生日、知らねえんだ。婆ちゃんが拾ってくれた時、名前も年も分かんなかったから」
トビは、パンをかじりながら、なんでもないことみたいに言った。
「そしたら婆ちゃんが、春の終わりに、燕が初めて来た日をお前の誕生日にしようって。……で、今朝、燕が来たから」
トビは、指を折った。
「今日で、十二」
十二歳。
ギルドに、登録できる歳だ。
*
王都の冒険者ギルド本部は、ハルトンのギルドの十倍くらいの大きさだった。
三階建ての石造りの建物で、入口の扉だけで、ハルトンのギルドの壁一面くらいある。中に入ると、カウンターがずらりと十個並んでいて、掲示板は壁三面分あった。冒険者も、何百人といた。
トビは、入口で立ち尽くしていた。
「……でけえ」
「行くぞ、ガキ」
マルタさんが、トビの背中を押した。
新規登録の窓口には、明るい栗色の巻き毛の、元気そうな若い女の人が座っていた。ハルトンのペトラさんとは、正反対の雰囲気だった。
「はい、新規登録ですね! お名前は?」
「……トビ」
「年齢は?」
「十二。今日、十二になった」
受付の人が、ぱっと顔を輝かせた。
「あら、お誕生日! おめでとうございます! お誕生日に登録なんて、縁起がいいですね!」
トビの耳が、赤くなった。
用紙に記入して――トビは字が書けなかったから、俺が代筆した――最後に、魔力測定の水晶が出てきた。
トビは、ごくりと唾を飲み込んで、水晶に手をかざした。
ぼんやりと、小さな光がともった。
薄い、青色の光だった。焚き火の熾火くらいの。マルタさんの赤い光と、だいたい同じくらいの大きさだった。
「はい、平均的な魔力ですね! 魔法使いは難しいですけど、剣士や斥候なら問題ありません!」
トビは、水晶の中の小さな青い光を、じっと見つめていた。
「……光った」
「光ったな」
マルタさんが、トビの頭をくしゃりと撫でた。
「姉ちゃんより、魔力ある」
「それは測り方の問題だから」
受付の人が、焼き印を押した木札を、カウンターの上に置いた。
表に、トビ。裏に、F。
トビは、両手で、その木札を受け取った。
しばらく、何も言わなかった。
それから、木札を胸に押し当てて、目をぎゅっと閉じた。
「……婆ちゃん。おれ、冒険者になったよ」
小さな、小さな声だった。
*
ギルドの外に出ると、マルタさんが、トビを呼び止めた。
「おい、トビ」
「なに」
マルタさんは、腰の後ろから、革の鞘に収まった短剣を取り出した。
使い込まれた鞘だった。あちこち擦り切れて、色が抜けている。柄に巻かれた革も、何度も巻き直した跡があった。
「やる」
「……え」
「誕生日だろ。冒険者になったんだろ。丸腰で依頼に行く気か」
トビは、差し出された短剣を、信じられないものみたいに見つめていた。
俺は、その短剣に見覚えがあった。マルタさんが、ハルトンにいた頃からずっと、大剣とは別に、腰の後ろに差していたやつだ。使っているところは、一度も見たことがなかった。
「……これ、マルタの?」
「いや」
マルタさんは、少しだけ目を伏せた。
「レオンのだ」
空気が、静かになった。
「あいつが、十二で冒険者になった時に、最初に買った短剣だ。……あいつが死んでから、ずっと、あたしが持ってた」
「そんな大事なもん――」
「使わない剣は、ただの鉄だ」
マルタさんは、短剣をトビの手に押しつけた。
「あいつも、たぶん、そう言う。……ずっと、誰に渡すか、決められなかった。でも、この前、ニナと話して、やっと決められた」
トビは、両手で短剣を握りしめた。
鞘から、少しだけ、刃を抜いた。
小さな、細身の刃が、春の陽射しを受けて、白く光った。手入れが行き届いていて、錆ひとつなかった。
三年間、使わずに、それでもずっと、研ぎ続けていたんだと思う。
「……大事にする」
トビは、震える声で言った。
「絶対、大事にする」
「大事にすんな。使え」
マルタさんは、ぶっきらぼうに言って、そっぽを向いた。
耳が、ちょっとだけ赤かった。
*
「わたくしからは、こちらを」
セレスさんが、懐から、細い紐を取り出した。
銀と、緑と、白の糸を、細かく編み込んだ組紐だった。
「エルフの里の、旅立ちの組紐でございます。剣の柄に巻いておけば、持ち主が必ず無事に帰ってこられるという、古いまじないです」
セレスさんは、トビの短剣の柄に、その組紐を丁寧に巻きつけた。
「……セレス姉ちゃん、これ、いつ作ったの」
「この三晩で」
セレスさんは、少しだけ恥ずかしそうに微笑んだ。
「トビ殿が、そろそろ十二になると、伺っておりましたので」
三晩。
神殿で、俺の外套を、三晩で縫い上げてくれたのと同じだ。
*
みんなの視線が、俺に集まった。
……しまった。
何も、用意していなかった。今朝、誕生日だと聞いたばかりだ。
「えっと」
俺は、袖の中や、懐の中を、ごそごそと探った。
葉っぱ。九枚の、世界樹の葉。……いや、これは駄目だ。金貨三百枚のものを、十二歳の子に渡すわけにはいかない。いろいろ、問題が起きる。
他には。
指先に、何かが触れた。
ギルドの木札の、革の札入れだった。ハルトンで作ってもらったやつだ。その中に、一枚、平べったいものが挟まっていた。
取り出した。
押し花だった。
小さな、白い花。
「……これ」
トビに、差し出した。
「ハルトンの、東門の前に咲いた花。目が覚めてから、門の外の畑で摘んだやつ」
あの夜。森のぬしが帰っていった後に、枯れた畑に一面に咲いた花。
「トビが、女の子を守った場所に咲いた花だよ」
トビは、手のひらの上の、小さな押し花を見つめていた。
「……こんなん、いつ摘んだの」
「三日寝てた後に。散歩がてら」
本当は、なんとなく、何かを残しておきたかったのだ。あの夜のことを。
「大したもんじゃなくて、ごめん」
「……いい」
トビは、押し花を、そっと自分の木札の札入れに挟んだ。
それから、顔を上げて、にっと笑った。
「これが、一番いい」
*
それから、一週間。
俺とトビは、毎日、ギルド本部に通った。
王都にも、失せ物探しの依頼は山ほどあった。ペトラさんの言った通りだった。落とした指輪。逃げた飼い猫。井戸に落とした鍵。屋根の上に引っかかった凧。
探すのは、もちろん精霊たちだ。
ただ、王都の精霊たちは、ハルトンの精霊たちより、ずっと弱々しかった。光が薄くて、声が小さくて、すぐに物陰に隠れてしまう。
「大丈夫。怖くないよ」
そう声をかけると、少しずつ出てきてくれた。俺の周りに集まって、肩や髪の中にとまって、ほっとしたように明滅する。
どうやら、俺の近くにいると、夜の「引っ張り」が届かないらしい。
『りあのそば、あったかい』
『ひっぱられない』『ここ、こわくない』
そういう噂が、王都の精霊たちの間で広まったんだと思う。
三日目の夜、白百合館の庭園が、光っていた。
噴水の縁に、植え込みの葉の上に、石灯籠の中に。何百という小さな光が、身を寄せ合うように集まって、ほのかに明滅していた。
使用人の人たちが、庭園に出て、口をぽかんと開けて見上げていた。
「……リア様が、王都中の精霊を、集めておられる……」
セレスさんが、窓辺で手帳を開いていた。
集めてるんじゃない。逃げてきてるんだ。
でも、それは、言わなかった。
*
七日目の夕方。
「はい、リアさん。依頼完了、十二件目です!」
栗色の巻き毛の受付の人が、満面の笑みで、新しい木札をカウンターに置いた。
表に、リア。裏に、E。
「E級昇格、おめでとうございます!」
俺は、その木札を、両手で受け取った。
たった一文字、変わっただけだ。
でも、なんだか、すごく嬉しかった。
「マルタさん」
振り返ると、マルタさんが、壁にもたれて腕を組んでいた。
「E級になりました」
「見りゃ分かる」
「あと、D級と、C級です」
マルタさんは、ふっと鼻で笑った。
「先は長いな」
「頑張ります」
「……ああ」
マルタさんは、壁から背を離して、俺の頭に、ぽんと手を置いた。
「待っててやるよ」
隣で、トビが、F級の木札を握りしめて、ものすごく悔しそうな顔をしていた。
「……すぐ追いつくからな、姉ちゃん」
「どうかな」
「見てろよ!」
*
その夜。
白百合館の庭園で、精霊たちが、相変わらずほのかに光っていた。
窓辺に座って、それを眺めていると、扉が控えめに叩かれた。
「……ハイエルフ殿。夜分に、失礼いたします」
クラウスだった。
灰色の長衣を着て、両腕に、大きな革の鞄を抱えていた。眼鏡の奥の目の下の隈が、また濃くなっていた。
「どうしたんですか、こんな時間に」
クラウスは、少しためらってから、口を開いた。
「お願いがあって、参りました」
鞄を、床に置く。中で、何か金属の器具が、かちゃりと鳴った。
「精霊に、意思があるということを」
クラウスは、まっすぐに俺を見た。
「――証明したいのです」