【TS】世界樹から実ったハイエルフ(中身は元社畜)、八百年ぶりの上位種として崇められていますが、人間の町でのんびり暮らしたいだけです   作:月白イツキ

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第27話 一枚の葉

院長室は、塔の一番上にあった。

 

螺旋階段を、三百段。途中で七回休んだ。クラウスは、そのたびに黙って立ち止まって待ってくれた。

 

扉を開けると、紙の匂いがした。

 

書物と、巻物と、計算式を書きつけた紙の束が、床から天井まで、部屋中を埋め尽くしている。窓辺の大きな机に、ヴァルドが座っていた。

 

隣に、ニナさんが控えていた。俺を見て、小さく会釈した。

 

「来たか」

 

ヴァルドは、ペンを置いて、顔を上げた。

 

昨日よりも、また少し、頬がこけた気がした。

 

「クラウスから、見せたいものがあると聞いた。……かけたまえ、ハイエルフ殿」

 

*

 

クラウスは、机の上に、共鳴板を置いた。

 

真鍮の枠。極薄の結晶の板。その上に、白い砂を撒く。

 

「閣下。まず、ご覧いただきたいものがあります」

 

声が、少し震えていた。

 

でも、目は、まっすぐにヴァルドを見ていた。

 

俺は、肩の上の精霊に頼んで、共鳴板の上に降りてもらった。

 

『はい』

 

砂が、動いた。三つの同心円と、貫く一本の線。

 

『いいえ』

 

四つの花びら。

 

ヴァルドは、黙って、砂の模様を見ていた。

 

表情は、変わらなかった。

 

クラウスが、羊皮紙の束を差し出した。昨夜、一睡もせずにまとめた論文だ。ヴァルドは、それを受け取って、一枚目から、ゆっくりと目を通し始めた。

 

部屋の中に、紙をめくる音だけが響いた。

 

長い時間が、経った。

 

「……色石の試験」

 

ヴァルドが、顔を上げずに言った。

 

「二十回、全問正解とある」

 

「はい」

 

「私の手で、もう一度やらせてもらえるか」

 

クラウスが、上着の内側から、赤と青と白の石を取り出して、ヴァルドに渡した。

 

ヴァルドは、机の下に手を隠して、石をひとつ、左手に握った。

 

精霊が、ふわりと机の下に潜り込んだ。

 

戻ってきた。

 

『しろ』

 

「白、だそうです」

 

ヴァルドが、左手を開いた。

 

白い石だった。

 

もう一度。

 

『あか』

 

赤だった。

 

もう一度。もう一度。もう一度。

 

十回、続けた。

 

十回、全部、当たった。

 

ヴァルドは、手のひらの上の青い石を、じっと見つめていた。

 

それから、ゆっくりと、その石を机の上に置いた。

 

「……認めよう」

 

静かな声だった。

 

「これは、意思だ」

 

ニナさんが、息を呑む音がした。

 

クラウスが、拳を握りしめていた。

 

「三十年」

 

ヴァルドは、窓の外を見た。

 

「三十年、私は、精霊を現象だと信じてきた。その前提の上に、すべてを積み上げてきた。……クラウス。よく、この結果を、私の前に持ってきたな」

 

「……閣下」

 

「学者が、師の説を覆す証拠を突きつけるのは、勇気のいることだ。……誇っていい」

 

クラウスの肩が、小さく震えていた。

 

*

 

「開放型結晶、か」

 

ヴァルドは、論文の後半をめくっていた。

 

「出力は、従来の十分の一」

 

「はい。ですが――」

 

「南部の全域を賄うには、揚水機が四百基いる。今の炉で、その四分の一。開放型に切り替えれば、四十分の一」

 

ヴァルドの声は、淡々としていた。

 

「十基分だ。南部の村は、三百を超える」

 

クラウスは、何も言い返せなかった。

 

「そして、この、日照りとの関係についての仮説」

 

ヴァルドの指が、論文の最後の数枚を叩いた。

 

「揚水機が、地下の水の精霊を吸い上げ、炉が、それを閉じ込める。水の精霊を失った土地には、雨が降っても水が溜まらない。……ゆえに、我々が日照りを深くしている」

 

灰色の目が、クラウスを見た。

 

「根拠は」

 

「南部の井戸の水位記録です。揚水機の近くの井戸ほど、水位の低下が早い。それから、リア殿が聞いた、精霊たちの証言」

 

「井戸の水位の低下は、揚水機が水を汲んでいるからだとも説明できる。精霊の証言は、裏付けが取れていない」

 

「……はい」

 

「仮説だ」

 

ヴァルドは、論文を閉じた。

 

「興味深い仮説だが、証明には、最低でも三年の観測がいる。……そして、仮にそれが正しいとしても」

 

ヴァルドは、机の上で両手を組んだ。

 

「今、揚水機に頼って生きている南部の村々は、今年の夏、揚水機を止めれば、越せない。開放型に切り替えるにしても、少しずつ、村ごとに、土地の精霊が戻るのを確かめながら進めるしかない。……十年は、かかるだろう」

 

十年。

 

「私には、一年もない」

 

ヴァルドは、静かに言った。

 

部屋の中が、しんとなった。

 

「七日後」

 

ヴァルドが、続けた。

 

「陛下の御前会議がある。そこで、私は、大炉の稼働を奏上する。大炉は、すでに、王都の南区の地下に完成している。……あとは、陛下のお許しと、起動の鍵を回すだけだ」

 

「やめてください」

 

俺は、言った。

 

「大炉が動いたら、もっとたくさんの精霊が閉じ込められます。水の精霊も。……もし、クラウスさんの仮説が正しかったら、南の日照りは、もっとひどくなる」

 

「仮説だ」

 

「でも――」

 

「では」

 

ヴァルドの目が、まっすぐに俺を見た。

 

刃物みたいな目だった。

 

「代わりの答えを出してみせよ。七日で」

 

――答えられなかった。

 

十年かかる答えを、七日で出せるわけがない。

 

*

 

袖の中に、手を入れた。

 

指先に、九枚の葉が触れた。

 

ほんのりと、温かかった。

 

灰色の梟亭で、ニナさんに話を聞いた夜から、ずっと考えていた。

 

たぶん、断られる。そう思っていた。

 

それでも。

 

俺は、一枚を取り出して、ヴァルドの机の上に置いた。

 

黄金色と若草色が混じった、つやつやの葉。

 

ニナさんが、口元を押さえた。

 

クラウスが、目を見開いた。

 

「……世界樹の葉です」

 

俺は、言った。

 

「これで、閣下の病は治ります」

 

ヴァルドは、机の上の葉を見下ろしていた。

 

何も言わなかった。

 

「十年あれば」

 

声が、少し震えた。

 

「一緒に、考えられます。クラウスさんの結晶も。日照りの観測も。村ごとに、少しずつ、確かめながら。……閣下が言った、十年かかるやり方で」

 

――七日で答えを出せないなら、答えを出すための時間を、作ればいい。

 

そう思った。

 

ヴァルドは、ゆっくりと、手を伸ばした。

 

枯れ枝みたいに細い指が、葉に触れた。

 

持ち上げた。

 

窓からの光に、透かした。

 

鼻先に近づけて、匂いを嗅いだ。

 

「……温かいな」

 

ぽつりと、言った。

 

「まるで、生きているようだ」

 

それから、長いこと、葉を見つめていた。

 

部屋の中の誰も、口を開かなかった。

 

やがて、ヴァルドは、葉を、机の上に戻した。

 

そして、指先で、そっと、俺の方へ押し戻した。

 

「受け取れぬ」

 

*

 

「……どうして」

 

声が、掠れた。

 

ヴァルドは、椅子の背にもたれた。

 

「その葉一枚で、金貨三百枚の値がつくと、鑑定院は言った」

 

「……はい」

 

「金貨三百枚あれば、揚水機が何基買えると思う。――六十基だ。南の村、六十ヶ所に、水が行き渡る」

 

ヴァルドは、淡々と言った。

 

「私ひとりの肺と、南の六十の村。私は、学者だ。損得の計算くらいはできる」

 

「葉っぱは、九枚あります」

 

「ならば、九枚とも、南のために売りなさい」

 

即答だった。

 

「……計算が、合いません」

 

言葉が、勝手に出た。

 

「閣下が治ったら、十年かかるやり方が、できるんでしょう。それは、六十の村より、ずっとたくさんの村を救うんじゃないですか」

 

ヴァルドは、それには答えなかった。

 

代わりに、声が、少しだけ、低くなった。

 

「それに。病が治ったところで、私は五十八だ。老いは、葉では止まらぬ。十年か、十五年か。その先で、私は、また同じ場所に立つだけだ。……人は、皆、いずれ死ぬ」

 

灰色の目が、俺を見た。

 

「あなた以外は、皆、そうなのだよ。ハイエルフ殿」

 

トマ、すぐおおきくなった。すぐ、おじいちゃんになった。それで、いなくなった。

 

じゃあ、あたしもトビも、あんたにとっちゃ、瞬きみたいなもんか。

 

見送るばかりの生は、さぞ、寂しかろうな。

 

「……あなたは、これから先」

 

ヴァルドは、窓の外を見ながら、静かに言った。

 

「何度も、こうして、葉を差し出すのだろうな。死にゆく者に。好きになった者に」

 

「……」

 

「救える者は、救うがいい」

 

思いがけない言葉だった。

 

「だが、いつか、葉の効かぬ者の前に立つ。何度も、立つ。……その時に差し出せるものを、今のうちから、探しておくことだ」

 

ヴァルドは、それきり、何も言わなかった。計算の答えは、最後まで、返ってこなかった。

 

机の上の葉を見ないようにして、またペンを取り上げた。

 

「下がりたまえ。……七日後、御前会議で会おう」

 

*

 

塔の螺旋階段を、ゆっくりと降りた。

 

葉は、袖の中に戻した。九枚のまま。

 

「リア様!」

 

後ろから、足音が追いかけてきた。

 

ニナさんだった。三つ編みを揺らして、息を切らしていた。

 

「……すみません。閣下が、あんな」

 

「いえ」

 

「閣下は、本当は」

 

ニナさんは、階段の手すりを握りしめて、言葉を探していた。

 

「本当は、怖いんだと思います」

 

「怖い?」

 

「治って、時間ができて。それでも、何も成し遂げられなかったら、って。……閣下は、ずっと、時間がないことを理由に、走ってきた人だから。時間ができたら、どうしていいか、分からないんじゃないかって」

 

ニナさんの目が、潤んでいた。

 

「私の、勝手な想像ですけど」

 

俺は、何も言えなかった。

 

ニナさんは、しばらく黙っていた。

 

それから、小さな声で言った。

 

「七日後、私、どうしたらいいのか……」

 

炉のそばで、三年間働いてきた人。何も聞こえなかったと言った人。お母さん、という言葉に、顔を真っ青にした人。

 

「……一緒に、止めましょう」

 

俺は、言った。

 

ニナさんは、目を見開いた。

 

答えは、なかった。

 

でも、手すりを握る手が、少しだけ、強くなった気がした。

 

*

 

白百合館に戻ると、マルタさんが、玄関の脇の壁にもたれていた。

 

俺の顔を見て、だいたい察したらしい。

 

「……断られたか」

 

「はい」

 

「頑固なじじいだな」

 

「……計算が、合わないんです」

 

俺は、袖の中の葉に、そっと触れた。

 

「あの人なら、絶対に分かってるはずなのに」

 

「分かってて、断ったんだろ」

 

マルタさんは、つまらなそうに言った。

 

「じじいってのは、そういうもんだ」

 

玄関の扉の向こうから、トビの声が聞こえた。セレスさんに、剣の柄の組紐の結び方を教わっているらしい。下手くそ、とか、もう一回、とか、楽しそうな声だった。

 

俺は、マルタさんを見た。

 

日焼けした頬。左の頬の、古い傷。短く刈った赤毛。

 

二十八歳。

 

トビは、十二歳。

 

――いつか。

 

マルタさんが年を取って、白髪になって、ベッドから起き上がれなくなった時。トビが、おじいちゃんになった時。

 

この葉は、何もできない。

 

老いには、効かないから。

 

「……おい」

 

マルタさんが、俺の顔を覗き込んでいた。

 

「あんた、今、変なこと考えてただろ」

 

「……え」

 

「顔に書いてある」

 

マルタさんは、俺の額を、指でぴんと弾いた。

 

痛い。

 

「言っとくけどな。あたしが斬られたら、遠慮なくその葉っぱ使えよ」

 

「……え」

 

「治るもんは、治す。当たり前だろ。……でも、年取るのは、傷じゃねえ。あたしは、あたしの分だけ生きる。それで十分だ」

 

マルタさんは、ぶっきらぼうに言って、玄関の扉を開けた。

 

「ほら、入るぞ。ハンナさんに、痩せっぽちで帰ってくるなって言われてんだろ。晩飯、食え」

 

扉の向こうから、温かい灯りと、トビの笑い声が漏れてきた。

 

俺は、その背中を見ていた。

 

何も、答えられなかった。

 

袖の中の九枚の葉が、ずっと、ほんのりと温かかった。

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