世界樹から実ったハイエルフ(中身は元社畜)、八百年ぶりの上位種として崇められていますが、人間の町でのんびり暮らしたいだけです   作:月白イツキ

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第3話 八百年前の部屋

出ていくと決めた。

 

決めたはいいが、問題は山積みだった。

 

前世の癖で、頭の中に箇条書きを作る。

 

一、体力がない。神殿の庭を一周しただけで息が切れる体で、何日もかかる森を抜けられるとは思えない。 二、道が分からない。精霊に聞けば方角は分かるが、精霊の「とおくない」は信用ならない。 三、金がない。そもそも、この世界の通貨を知らない。 四、目立つ。銀髪に長い耳。人間の町に行ったら、絶対に浮く。

 

障害対応と同じだ。まずは現状把握。ログを集めないと、原因も対策も分からない。

 

「セレスさん。この里に、書庫ってありますか」

 

朝の御食事(木苺山盛り)の後にそう聞くと、セレスさんの目がきらきらと輝いた。

 

「リア様が、学びを……!」

 

後ろで書記係の羽根ペンが走る。『リア様、知を求められる』。もう慣れた。

 

*

 

書庫は、大樹の根の中にあった。

 

太い根の一本をくり抜いて作られた円形の部屋で、壁一面に巻物と革綴じの本が並んでいる。天井の隙間から光が細く差し込み、空気はひんやりと乾いていた。

 

手近な一冊を開いてみる。

 

見たことのない文字だ。曲線が多くて、蔦が絡まったような形をしている。

 

なのに、読める。

 

不思議な感覚だった。文字を目で追うと、意味が頭の中にすっと浮かんでくる。そういえば、言葉も最初から普通に通じていた。たぶん大樹が、初期設定でその辺をインストールしておいてくれたんだろう。親切設計だ。

 

「地図って、ありますか」

 

「はい、こちらに」

 

セレスさんが広げてくれたのは、古い羊皮紙の地図だった。

 

真ん中に、ばかでかい森が描かれている。アルヴの森。その中心に大樹アルヴ・オルドがあり、エルフの里がある。

 

森の南の端の、さらに外。そこに、人間の国があった。

 

「レーヴェン王国、と申します。人間の国でございます」

 

「交流ってあるんですか」

 

「ほとんどございません。年に数度、森の南端で、薬草と塩を交換する程度でございます」

 

地図の上で、森に一番近い場所に、小さな点が打ってあった。

 

ハルトン、と書いてある。

 

『そこ!』

 

肩の上の精霊が、ぴかっと光った。

 

『そこ、にくのけむり!』

 

声が大きいって。セレスさんには聞こえないからいいけど。

 

俺は何食わぬ顔で地図を眺めるふりをしながら、ハルトンの位置と、そこまでの道筋を頭に叩き込んだ。森の中心から、まっすぐ南。川を一本越える。距離は……縮尺がよく分からないが、精霊の「あるいて、みっか」と矛盾はしない。

 

よし。道はなんとかなりそうだ。

 

ついでに、もうひとつ気になっていたことを調べることにした。

 

「先代のハイエルフについての記録って、ありますか」

 

セレスさんの手が、ほんの一瞬だけ止まった。

 

「……ございます。こちらの年代記に」

 

差し出された分厚い本を、ぱらぱらとめくる。

 

先代の名前は、ユーディアというらしい。

 

二千百年を生き、八百年前に大樹へ還った。精霊の声を聞き、森を育て、エルフに知恵を授けた――と、ここまでは、俺が初日に聞いた話とほとんど同じだ。

 

面白いのは、その先だった。

 

若い頃のユーディアは、しょっちゅう森を出ていたらしい。

 

『ユーディア様、人の世をこよなく愛され、たびたび南の地へ赴かれる』 『ユーディア様、人の子らと交わり、歌を教え、また教わる』

 

人間が好きだったのか、このハイエルフ。

 

ところが、ページをめくっていくと、その記述がだんだん減っていく。

 

そして、最後の三百年分は、ほとんど白紙だった。

 

たった一行だけ。

 

『ユーディア様、御座所に籠もられ、誰ともお会いにならず』

 

「……先代の部屋って、まだ残ってます?」

 

*

 

先代の部屋は、神殿の最上階にあった。

 

「八百年、どなたもお入りになっておりません」

 

扉の前で、セレスさんが緊張した声で言う。

 

「わたくしどもには、ここを開ける資格がございませんので」

 

「俺……私が開けるのは、いいんですか」

 

「リア様は、ハイエルフであらせられますゆえ」

 

そういうものらしい。

 

扉を押すと、思ったよりあっさり開いた。

 

小さな部屋だった。

 

寝台がひとつ。机がひとつ。椅子がひとつ。俺の部屋みたいな玉座も、花の香も、何もない。南向きの窓がひとつあって、そこから午後の光が差し込んでいる。

 

八百年誰も入っていないはずなのに、埃ひとつ落ちていなかった。

 

『きれいでしょ』

 

精霊たちが、得意げに部屋の中を飛び回る。

 

『ずっと、そうじしてた』『まえのこのへや』『かえってくるかもって』

 

八百年。

 

八百年、この小さな光の粒たちが、帰ってこない主の部屋を掃除し続けていた。

 

何と言えばいいのか分からなくて、俺は黙って机の前に立った。

 

机の上には、ひとつだけ物が置いてあった。

 

木彫りの鳥だ。

 

手のひらに乗るくらいの大きさで、はっきり言って下手くそだった。翼の左右の大きさが違うし、くちばしが妙に太い。どう見ても素人の、それも子どもの作ったものだ。

 

手に取って、ひっくり返してみる。

 

台座の裏に、文字が彫ってあった。エルフの文字じゃない。もっと角張った、拙い字だ。

 

それでも、なぜか読めた。

 

『ユーディアへ トマより』

 

「……人間の子どもの字か、これ」

 

『トマ!』

 

精霊たちが、ぱっと集まってきた。

 

『トマ、しってる』『にんげんのこ』『まえのこの、ともだち』

 

「友達」

 

『まえのこ、にんげんのともだち、いっぱいいた』『トマもそう』『トマ、まえのこに、とりつくってくれた』

 

精霊たちは楽しそうに話していた。昔話をする子どもみたいに。

 

『トマ、すぐおおきくなった』 『すぐ、おじいちゃんになった』 『それで、いなくなった』

 

光が、少しだけ弱くなった気がした。

 

『みんな、そう』『みんな、いなくなった』 『そしたら、まえのこ、ここからでなくなった』

 

俺は、手の中の木彫りの鳥を見下ろした。

 

そりゃ、そうだ。

 

二千年生きるなら、人間の友達はみんな先に死ぬ。七十年かそこらで。一人残らず。何十人も、何百人も。

 

人間が好きだったハイエルフは、好きだった人間を全員見送って、最後の三百年、この部屋から出なくなった。

 

胸の奥が、ほんの少しだけ冷えた。

 

……いや。

 

俺には関係ない話だ。俺は唐揚げが食いたいだけで、友達を作りに行くわけじゃない。

 

たぶん。

 

「リア様」

 

扉の外から、セレスさんが控えめに声をかけてきた。部屋の中には入ってこない。資格がない、と本気で思っているらしい。

 

「先代様は、大樹へお還りになる前に、お言葉をひとつだけ遺されたと伝わっております」

 

「なんて?」

 

「『次の子を、頼む』と」

 

セレスさんの声は、静かで、誇らしげだった。

 

「ですから、わたくしどもエルフは八百年、この神殿をお守りし、次の御方をお迎えする準備を整えてまいりました。リア様が何不自由なくお過ごしになれるように。永遠に、お健やかであられるように」

 

その時だった。

 

『ちがうよ』

 

耳元で、精霊がぽつりと言った。

 

『そういういみじゃないよ』

 

俺は、セレスさんに聞こえないように、小さな声で聞き返した。

 

「……じゃあ、どういう意味なんだ」

 

精霊たちは、しばらく黙っていた。

 

ちかちかと明滅して、顔を見合わせるみたいに寄り集まって。

 

それから。

 

『……わすれた』

 

『むかしすぎる』

 

『はっぴゃくねんまえだもん』

 

肩の力が、がっくりと抜けた。

 

そこは覚えとけよ。部屋の掃除は八百年続けてたくせに。

 

「リア様?」

 

「……なんでもないです」

 

俺は、木彫りの鳥を元の場所にそっと戻した。

 

窓の外を見る。南の方角。森がどこまでも続いていて、人間の町なんて影も形も見えない。

 

この部屋で、二千年。

 

誰とも会わずに、最後の三百年。

 

俺は、それは嫌だなと思った。

 

理由は、まだうまく言えなかったけど。

 

部屋を出る前に、もう一度だけ振り返った。

 

下手くそな木彫りの鳥は、八百年経った今も、南の窓の方を向いていた。

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