【TS】世界樹から実ったハイエルフ(中身は元社畜)、八百年ぶりの上位種として崇められていますが、人間の町でのんびり暮らしたいだけです   作:月白イツキ

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第28話 前夜

七日間、考え続けた。

 

九枚とも、南のために売りなさい。

 

ヴァルドの言葉が、ずっと頭の中で回っていた。

 

金貨二千七百枚。揚水機なら、五百四十基。南部の村全部に行き渡って、まだ余る。

 

でも、揚水機は、結晶で動く。結晶は、精霊を閉じ込めて作る。揚水機を増やせば、閉じ込められる精霊も増える。水の精霊が吸い上げられて、日照りが、もっとひどくなるかもしれない。

 

じゃあ、金貨で、何を買えばいい。

 

「……風車は?」

 

四日目の夜、白百合館の庭園で、ぽつりと呟いた。

 

噴水の縁で、精霊たちがふわふわと遊んでいた。王都の精霊と、俺の精霊と、それから、どこからか集まってきた風の精霊たち。

 

風の精霊たちは、庭園の隅に立っている、子どもの玩具の小さな風車を、くるくると回して遊んでいた。

 

『まわる!』『まわる、たのしい!』

 

「……なあ。もっと大きい風車があったら、回してくれる?」

 

風の精霊たちが、ぴたりと止まった。

 

『おおきいの?』

 

「うん。家くらい大きい風車。それで、井戸の水を汲み上げるんだ」

 

風の精霊たちは、顔を見合わせるみたいに、くるくると寄り集まった。

 

それから。

 

『まわす!』

 

『おおきいの、まわしたい!』『ぜったい、たのしい!』

 

閉じ込めなくても、いい。

 

頼めば、いい。

 

好きなことを、好きなだけ、してもらえばいい。

 

*

 

翌朝、クラウスとニナさんに、その話をした。

 

クラウスは、すぐに羊皮紙を広げて、計算を始めた。

 

「風車式の揚水機……構造自体は、古くからあります。ただ、風が吹かない日は動かないので、南部では使われなくなった」

 

「風の精霊が回してくれるなら、風がない日でも動きます」

 

「……精霊が、飽きなければ、ですが」

 

『あきない!』

 

肩の上の風の精霊が、元気よく答えた。

 

「飽きないそうです」

 

クラウスは、眼鏡の奥で、何度か瞬きをした。それから、少しだけ笑った。

 

「水の精霊は?」

 

ニナさんが、身を乗り出した。

 

「揚水機を止めて、炉から水の精霊を解放したら。井戸に、戻ってくれますか」

 

『もどる』

 

『いどのそこ、すき』『つめたくて、くらくて、しずか』

 

『でも、かってにすわれるのは、いや』

 

「戻るそうです。勝手に吸われなければ」

 

ニナさんは、羊皮紙に、震える手で何かを書きつけていた。

 

風車。開放型結晶。水の精霊の帰還。

 

ひとつひとつは、小さい。十分の一の結晶。風任せの風車。いつ戻るか分からない、水の精霊たち。

 

でも、全部を合わせたら。

 

それを、金貨二千七百枚で、始められたら。

 

*

 

七日目。

 

御前会議は、王城の、小さな円卓の間で開かれた。

 

謁見の間とは違って、華やかさはなかった。重い木の円卓を、国王陛下と、宰相と、大司教と、ヴァルドと、それから何人かの大臣たちが囲んでいる。壁際に、書記官と、近衛兵が控えていた。

 

俺は、客人として、円卓の端の席に座らされていた。後ろに、マルタさんとセレスさん。クラウスとニナさんは、ヴァルドの後ろに控えていた。

 

トビは、白百合館で留守番だった。不満そうだった。

 

「では、始めよう」

 

陛下の声で、会議が始まった。

 

*

 

ヴァルドの奏上は、完璧だった。

 

大炉の構造。出力。南部全域への揚水機の配置計画。日照りによる死者の推移。十年前の千二百人。去年のゼロ。

 

数字と、図と、論理で、隙間なく組み上げられた説明だった。大臣たちが、何度も頷いていた。

 

「――以上の理由により、大炉の稼働の御許可を、賜りたく存じます」

 

ヴァルドが、深く頭を下げた。

 

途中で、二度、咳き込んだ。誰も、何も言わなかった。

 

「宰相の意見は」

 

陛下が、尋ねた。

 

「賛成いたします」

 

オルブライト公が、即座に答えた。

 

「大炉は、南部の民を救うのみならず、王国全体の力となりましょう。……北の国境の守りにも、大いに資するかと」

 

最後の一言に、ヴァルドの眉が、わずかに動いた。

 

「大司教は」

 

「反対いたします」

 

グレゴール大司教が、重々しく言った。

 

「先日、ハイエルフ殿が謁見の間にて仰せになった。地下で、精霊が泣いている、と。……精霊もまた、神の被造物。それを閉じ込め、苦しめるは、神への冒涜にございます」

 

大司教の視線が、ちらりと俺の方を向いた。

 

たぶん、この人は、精霊のことを本気で心配しているわけじゃない。魔術院の力が大きくなりすぎるのを、止めたいだけだ。宰相が大炉を支持するから、反対しているだけだ。

 

――聖水をおかわりしたエルフの言葉を、都合よく使っている。

 

それでも、反対は反対だった。

 

*

 

「――陛下」

 

ヴァルドの後ろから、声がした。

 

クラウスだった。

 

「発言を、お許しいただけますでしょうか」

 

円卓の間が、ざわめいた。

 

魔術院の一調査官が、御前会議で、院長の後ろから発言を求める。たぶん、前代未聞なんだと思う。

 

ヴァルドは、振り返らなかった。

 

陛下が、ゆっくりと頷いた。

 

クラウスは、一歩前に出て、共鳴板を円卓の上に置いた。

 

「精霊には、意思があります」

 

それから、説明を始めた。共鳴板。砂の模様。色石の試験。開放型結晶。日照りとの関係についての仮説。

 

声は、ずっと震えていた。

 

でも、一度も、止まらなかった。

 

「……砂の模様、だと?」

 

大臣のひとりが、鼻で笑った。

 

「子どもの手品ではないか」

 

何人かが、くすくすと笑った。

 

クラウスの顔が、赤くなった。それでも、彼は、最後まで言い切った。

 

「以上の理由から、大炉の稼働は、精霊への害のみならず、南部の日照りを深刻化させる恐れがあると、考えます」

 

円卓の間が、静まり返った。

 

ヴァルドは、ずっと、前を向いたままだった。

 

*

 

「ハイエルフ殿は、どう思われる」

 

陛下が、俺の方を見た。

 

円卓の全員の視線が、こっちに集まった。

 

俺は、立ち上がった。

 

膝が、少し震えた。礼装のせいじゃなかった。

 

「……大炉には、反対です」

 

言った。

 

「でも、反対するだけじゃ、南の子どもたちは救えない。それは、ヴァルド閣下の言う通りだと思います」

 

ヴァルドが、初めて、こっちを見た。

 

「だから、代わりの答えを、持ってきました」

 

袖の中に、手を入れた。

 

九枚の葉を、全部取り出して、円卓の上に並べた。

 

黄金色と若草色が混じった、つやつやの葉。

 

円卓の間が、どよめいた。

 

「世界樹の葉……」 「九枚も……」 「一枚で、金貨三百枚という……」

 

「これを、全部、売ります」

 

俺は、言った。

 

「金貨二千七百枚。それで、南部に、風車を建てます」

 

「……風車?」

 

宰相が、眉をひそめた。

 

「風車式の揚水機です。風の精霊たちが、回してくれるそうです。閉じ込めなくても。頼んだら、回したいって、言ってくれました」

 

肩の上で、風の精霊が、元気よく明滅した。

 

「それから、クラウスさんの開放型結晶。それから、炉に閉じ込められている水の精霊たちを、少しずつ、南の井戸に帰します。……水の精霊が戻れば、井戸に水が集まるようになるかもしれない」

 

「かもしれない、か」

 

宰相が、冷たく言った。

 

「はい。かもしれない、です」

 

俺は、正直に言った。

 

「すぐには、うまくいかないと思います。十年かかるかもしれない。……でも、十年かけて、精霊と一緒に暮らせる方法を作るのと、精霊を閉じ込めて、そのせいで日照りがひどくなるのと」

 

ヴァルドを見た。

 

「どっちが、南の子どもたちのためになるのか。……私には、分かりません。でも、一緒に、確かめたいです」

 

九枚とも、南のために売りなさい。

 

あなたが言った通りにします。ただ、あなたとは、違う使い方で。

 

言葉には出さなかった。

 

でも、ヴァルドには、たぶん、伝わったと思う。

 

灰色の目が、円卓の上の九枚の葉を、じっと見つめていた。

 

*

 

会議は、長引いた。

 

大臣たちが、いろいろなことを言った。宰相は、風車では国境は守れないと言った。大司教は、ハイエルフ殿の御心こそ神の御心に適うと言った。たぶん、本心じゃなかった。

 

ヴァルドは、ほとんど何も言わなかった。

 

やがて、陛下が、手を上げた。

 

「――決めた」

 

円卓の間が、静まり返った。

 

「ハイエルフ殿の申し出は、ありがたく受けよう。世界樹の葉は、王家が責任をもって買い取る。その金で、南部に風車を建てる。開放型結晶の研究も、王家の予算で進めさせる」

 

俺は、息を吐いた。

 

「そして、大炉については」

 

陛下は、ヴァルドの方を見た。

 

長い付き合いの、友の方を。

 

「明日、一日のみ、試運転を許す」

 

「陛下――」

 

「ただし」

 

陛下の声が、俺の言葉を遮った。

 

「ハイエルフ殿に、立ち会っていただく。精霊の声を、聞いていただく。……そして、ハイエルフ殿が、精霊が苦しんでいると判断されたなら、その場で、炉を止める。それが、条件だ」

 

陛下は、ヴァルドを見つめた。

 

「よいな、ヴァルド」

 

ヴァルドは、長いこと、陛下を見つめ返していた。

 

それから、深く、頭を下げた。

 

「……御意」

 

*

 

その夜、俺は、白百合館の露台に出た。

 

庭園では、相変わらず、王都の精霊たちが、ほのかに光っていた。

 

露台の手すりにもたれていると、後ろから、櫛を持ったセレスさんがやってきた。

 

「リア様。御髪を」

 

「……お願いします」

 

露台の椅子に座ると、セレスさんが、後ろから髪を梳き始めた。

 

神殿にいた頃と、同じ手つきだった。

 

「……セレスさん」

 

「はい」

 

「ひとつ、話しておきたいことがあります」

 

櫛が、止まった。

 

「明日、もし、何かあって。大きな力を使わなきゃいけなくなったら」

 

夜風が、髪を揺らした。

 

「たぶん、また眠ると思います。ハルトンの時みたいに。……樹の時間、っていうらしいです」

 

「……存じております」

 

セレスさんの声は、静かだった。

 

「先代様も、よくお入りになったと、言い伝えに」

 

「ハルトンの時は、三日でした。でも、精霊たちが言うには、長い時は、十年眠ることもあるって」

 

櫛を持つセレスさんの手が、ほんの少しだけ、震えた気がした。

 

「もし、そうなったら」

 

「お待ちしております」

 

セレスさんが、俺の言葉を遮った。

 

「どれほど眠られても。十年でも、百年でも、千年でも。わたくしは、お待ちしております」

 

櫛が、また動き出した。

 

「エルフは、待つのは、得意でございますから。……リア様がお生まれになるのを、百四十二年、お待ちしたのですよ」

 

俺は、少しだけ笑った。

 

笑おうとして、喉の奥が、詰まった。

 

「……トビと、マルタさんには、言わないでください」

 

櫛が、また止まった。

 

長い沈黙があった。

 

「……かしこまりました」

 

セレスさんの声は、少しだけ、かすれていた。

 

*

 

庭園の方から、声が聞こえた。

 

見下ろすと、噴水の前の芝生で、トビとマルタさんが向かい合っていた。

 

トビは、レオンさんの短剣を構えていた。セレスさんの組紐が、柄で揺れている。マルタさんは、木の枝を一本、持っていた。

 

「脇が甘い。もっと締めろ」

 

「こう?」

 

「違う。肘だ。肘を体につけろ」

 

「こう!」

 

「……まあ、さっきよりはましだ」

 

トビが、短剣を突き出す。マルタさんが、木の枝で軽く払う。トビがよろける。もう一度、構え直す。

 

精霊たちが、二人の周りを、ふわふわと漂っていた。月明かりと、精霊の淡い光の中で、赤毛と、ぼさぼさの茶色い頭が、何度も、何度も、向かい合っていた。

 

俺は、露台の手すりにもたれて、それを見ていた。

 

明日が終わったら、ハルトンに帰ろう。

 

そう思った。

 

ツノさんに会って、ちゃんと帰ってきたよって言う。ハンナさんの煮込みを食べる。痩せっぽちじゃないって、見せてやる。串焼き屋の親父さんに、王都の串焼きの感想を言う。どっちもうまかったって。ゲイルさんの兜を、もう一回だけ飛ばす。ペトラさんに、E級になったって報告する。

 

藁の寝台で、ちくちくしながら眠る。

 

――明日が、終わったら。

 

「姉ちゃん!」

 

芝生の上から、トビが手を振っていた。

 

「見てた? 今の、見てた? マルタの枝、かすったぞ!」

 

「かすってねえよ」

 

「かすった!」

 

俺は、手を振り返した。

 

「見てたよ」

 

夜風が、髪を揺らした。

 

セレスさんの櫛が、ゆっくりと、髪の先まで通っていった。

 

*

 

夜更けだった。

 

白百合館の裏口の扉が、控えめに叩かれた。

 

ニナさんだった。茶色い外套を頭からかぶって、ひどく青い顔をしていた。

 

「リア様。……夜分に、すみません」

 

客間に通すと、ニナさんは、外套の下から、丸めた図面を取り出した。

 

「大炉の、設計図です」

 

図面を、机の上に広げる。複雑な線と、記号と、数字がびっしりと書き込まれていた。俺には、ほとんど読めなかった。

 

「大炉は、塔の地下の炉と、地脈でつながっています。二つの炉で、精霊を引き寄せる力を、共鳴させて強める仕組みです」

 

ニナさんの指が、図面の一点を指した。

 

「ここ。……共鳴の計算が、合わないんです。何度やり直しても、ある条件で、共鳴が止まらなくなる可能性が出る。二つの炉が互いに力を強め合って、止める命令が、届かなくなる」

 

背中が、冷たくなった。

 

「閣下に、言ったんですか」

 

「言いました。今日の会議の後にも、もう一度。……でも、確率は極めて低い、検証にはさらに一年かかる、と」

 

ニナさんは、唇を噛んだ。

 

「それに、大炉は、もう温め始めているんです。起動の前に、核を半日かけて温めておかないといけないので。……夕方から、予熱に入っています」

 

「……今、もう?」

 

「予熱だけなら、本当は、何も起きないはずなんです。でも、私の計算だと、予熱の段階でも、その条件に少しずつ近づいていく」

 

ニナさんの声が、震えた。

 

「明日の正午を、待たずに。……かもしれない」

 

――時間がない。

 

ヴァルドの口癖が、今度は、こっちの喉元に突きつけられていた。

 

俺は、立ち上がった。

 

「陛下のところに、行きましょう」

 

ニナさんが、目を見開いた。

 

「い、今からですか。こんな夜更けに。それに、閣下を飛び越して、陛下に……」

 

「私が、言います」

 

自分でも驚くくらい、声が落ち着いていた。

 

前世で、何度もやったことだった。夜中のデータセンターで、止まりかけの機械の前で、偉い人を叩き起こす電話。間違いだったら、謝ればいい。間違いじゃなかったら、謝っても、取り返しがつかない。

 

「ニナさんは、図面を見せてくれればいい。……陛下は、精霊が苦しんでいたら止めるって、約束してくれた人です。止まらない炉なら、その約束が、守れなくなる」

 

ニナさんは、しばらく、俺の顔を見つめていた。

 

それから、図面を、ぎゅっと丸め直した。

 

「……はい」

 

*

 

客間を出ると、廊下に、マルタさんが立っていた。

 

大剣を、もう背負っていた。

 

「聞こえた。行くぞ」

 

その後ろに、寝間着の上から外套を羽織ったトビと、櫛を懐にしまうセレスさんがいた。

 

「あんたは留守番だ、ガキ」

 

マルタさんが、振り返りもせずに言った。

 

「やだ」

 

トビは、腰の短剣の柄を握りしめていた。組紐が揺れていた。

 

「姉ちゃん、でかい力使ったら、ぶっ倒れるだろ。東門の時みたいに」

 

三日、眠った時のことだ。……三日で済まないかもしれないことを、トビは知らない。

 

セレスさんが、黙って、俺の外套の襟を直してくれた。

 

白百合館の門の外で、月が、ずいぶん高くなっていた。

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