【TS】世界樹から実ったハイエルフ(中身は元社畜)、八百年ぶりの上位種として崇められていますが、人間の町でのんびり暮らしたいだけです 作:月白イツキ
七日間、考え続けた。
九枚とも、南のために売りなさい。
ヴァルドの言葉が、ずっと頭の中で回っていた。
金貨二千七百枚。揚水機なら、五百四十基。南部の村全部に行き渡って、まだ余る。
でも、揚水機は、結晶で動く。結晶は、精霊を閉じ込めて作る。揚水機を増やせば、閉じ込められる精霊も増える。水の精霊が吸い上げられて、日照りが、もっとひどくなるかもしれない。
じゃあ、金貨で、何を買えばいい。
「……風車は?」
四日目の夜、白百合館の庭園で、ぽつりと呟いた。
噴水の縁で、精霊たちがふわふわと遊んでいた。王都の精霊と、俺の精霊と、それから、どこからか集まってきた風の精霊たち。
風の精霊たちは、庭園の隅に立っている、子どもの玩具の小さな風車を、くるくると回して遊んでいた。
『まわる!』『まわる、たのしい!』
「……なあ。もっと大きい風車があったら、回してくれる?」
風の精霊たちが、ぴたりと止まった。
『おおきいの?』
「うん。家くらい大きい風車。それで、井戸の水を汲み上げるんだ」
風の精霊たちは、顔を見合わせるみたいに、くるくると寄り集まった。
それから。
『まわす!』
『おおきいの、まわしたい!』『ぜったい、たのしい!』
閉じ込めなくても、いい。
頼めば、いい。
好きなことを、好きなだけ、してもらえばいい。
*
翌朝、クラウスとニナさんに、その話をした。
クラウスは、すぐに羊皮紙を広げて、計算を始めた。
「風車式の揚水機……構造自体は、古くからあります。ただ、風が吹かない日は動かないので、南部では使われなくなった」
「風の精霊が回してくれるなら、風がない日でも動きます」
「……精霊が、飽きなければ、ですが」
『あきない!』
肩の上の風の精霊が、元気よく答えた。
「飽きないそうです」
クラウスは、眼鏡の奥で、何度か瞬きをした。それから、少しだけ笑った。
「水の精霊は?」
ニナさんが、身を乗り出した。
「揚水機を止めて、炉から水の精霊を解放したら。井戸に、戻ってくれますか」
『もどる』
『いどのそこ、すき』『つめたくて、くらくて、しずか』
『でも、かってにすわれるのは、いや』
「戻るそうです。勝手に吸われなければ」
ニナさんは、羊皮紙に、震える手で何かを書きつけていた。
風車。開放型結晶。水の精霊の帰還。
ひとつひとつは、小さい。十分の一の結晶。風任せの風車。いつ戻るか分からない、水の精霊たち。
でも、全部を合わせたら。
それを、金貨二千七百枚で、始められたら。
*
七日目。
御前会議は、王城の、小さな円卓の間で開かれた。
謁見の間とは違って、華やかさはなかった。重い木の円卓を、国王陛下と、宰相と、大司教と、ヴァルドと、それから何人かの大臣たちが囲んでいる。壁際に、書記官と、近衛兵が控えていた。
俺は、客人として、円卓の端の席に座らされていた。後ろに、マルタさんとセレスさん。クラウスとニナさんは、ヴァルドの後ろに控えていた。
トビは、白百合館で留守番だった。不満そうだった。
「では、始めよう」
陛下の声で、会議が始まった。
*
ヴァルドの奏上は、完璧だった。
大炉の構造。出力。南部全域への揚水機の配置計画。日照りによる死者の推移。十年前の千二百人。去年のゼロ。
数字と、図と、論理で、隙間なく組み上げられた説明だった。大臣たちが、何度も頷いていた。
「――以上の理由により、大炉の稼働の御許可を、賜りたく存じます」
ヴァルドが、深く頭を下げた。
途中で、二度、咳き込んだ。誰も、何も言わなかった。
「宰相の意見は」
陛下が、尋ねた。
「賛成いたします」
オルブライト公が、即座に答えた。
「大炉は、南部の民を救うのみならず、王国全体の力となりましょう。……北の国境の守りにも、大いに資するかと」
最後の一言に、ヴァルドの眉が、わずかに動いた。
「大司教は」
「反対いたします」
グレゴール大司教が、重々しく言った。
「先日、ハイエルフ殿が謁見の間にて仰せになった。地下で、精霊が泣いている、と。……精霊もまた、神の被造物。それを閉じ込め、苦しめるは、神への冒涜にございます」
大司教の視線が、ちらりと俺の方を向いた。
たぶん、この人は、精霊のことを本気で心配しているわけじゃない。魔術院の力が大きくなりすぎるのを、止めたいだけだ。宰相が大炉を支持するから、反対しているだけだ。
――聖水をおかわりしたエルフの言葉を、都合よく使っている。
それでも、反対は反対だった。
*
「――陛下」
ヴァルドの後ろから、声がした。
クラウスだった。
「発言を、お許しいただけますでしょうか」
円卓の間が、ざわめいた。
魔術院の一調査官が、御前会議で、院長の後ろから発言を求める。たぶん、前代未聞なんだと思う。
ヴァルドは、振り返らなかった。
陛下が、ゆっくりと頷いた。
クラウスは、一歩前に出て、共鳴板を円卓の上に置いた。
「精霊には、意思があります」
それから、説明を始めた。共鳴板。砂の模様。色石の試験。開放型結晶。日照りとの関係についての仮説。
声は、ずっと震えていた。
でも、一度も、止まらなかった。
「……砂の模様、だと?」
大臣のひとりが、鼻で笑った。
「子どもの手品ではないか」
何人かが、くすくすと笑った。
クラウスの顔が、赤くなった。それでも、彼は、最後まで言い切った。
「以上の理由から、大炉の稼働は、精霊への害のみならず、南部の日照りを深刻化させる恐れがあると、考えます」
円卓の間が、静まり返った。
ヴァルドは、ずっと、前を向いたままだった。
*
「ハイエルフ殿は、どう思われる」
陛下が、俺の方を見た。
円卓の全員の視線が、こっちに集まった。
俺は、立ち上がった。
膝が、少し震えた。礼装のせいじゃなかった。
「……大炉には、反対です」
言った。
「でも、反対するだけじゃ、南の子どもたちは救えない。それは、ヴァルド閣下の言う通りだと思います」
ヴァルドが、初めて、こっちを見た。
「だから、代わりの答えを、持ってきました」
袖の中に、手を入れた。
九枚の葉を、全部取り出して、円卓の上に並べた。
黄金色と若草色が混じった、つやつやの葉。
円卓の間が、どよめいた。
「世界樹の葉……」 「九枚も……」 「一枚で、金貨三百枚という……」
「これを、全部、売ります」
俺は、言った。
「金貨二千七百枚。それで、南部に、風車を建てます」
「……風車?」
宰相が、眉をひそめた。
「風車式の揚水機です。風の精霊たちが、回してくれるそうです。閉じ込めなくても。頼んだら、回したいって、言ってくれました」
肩の上で、風の精霊が、元気よく明滅した。
「それから、クラウスさんの開放型結晶。それから、炉に閉じ込められている水の精霊たちを、少しずつ、南の井戸に帰します。……水の精霊が戻れば、井戸に水が集まるようになるかもしれない」
「かもしれない、か」
宰相が、冷たく言った。
「はい。かもしれない、です」
俺は、正直に言った。
「すぐには、うまくいかないと思います。十年かかるかもしれない。……でも、十年かけて、精霊と一緒に暮らせる方法を作るのと、精霊を閉じ込めて、そのせいで日照りがひどくなるのと」
ヴァルドを見た。
「どっちが、南の子どもたちのためになるのか。……私には、分かりません。でも、一緒に、確かめたいです」
九枚とも、南のために売りなさい。
あなたが言った通りにします。ただ、あなたとは、違う使い方で。
言葉には出さなかった。
でも、ヴァルドには、たぶん、伝わったと思う。
灰色の目が、円卓の上の九枚の葉を、じっと見つめていた。
*
会議は、長引いた。
大臣たちが、いろいろなことを言った。宰相は、風車では国境は守れないと言った。大司教は、ハイエルフ殿の御心こそ神の御心に適うと言った。たぶん、本心じゃなかった。
ヴァルドは、ほとんど何も言わなかった。
やがて、陛下が、手を上げた。
「――決めた」
円卓の間が、静まり返った。
「ハイエルフ殿の申し出は、ありがたく受けよう。世界樹の葉は、王家が責任をもって買い取る。その金で、南部に風車を建てる。開放型結晶の研究も、王家の予算で進めさせる」
俺は、息を吐いた。
「そして、大炉については」
陛下は、ヴァルドの方を見た。
長い付き合いの、友の方を。
「明日、一日のみ、試運転を許す」
「陛下――」
「ただし」
陛下の声が、俺の言葉を遮った。
「ハイエルフ殿に、立ち会っていただく。精霊の声を、聞いていただく。……そして、ハイエルフ殿が、精霊が苦しんでいると判断されたなら、その場で、炉を止める。それが、条件だ」
陛下は、ヴァルドを見つめた。
「よいな、ヴァルド」
ヴァルドは、長いこと、陛下を見つめ返していた。
それから、深く、頭を下げた。
「……御意」
*
その夜、俺は、白百合館の露台に出た。
庭園では、相変わらず、王都の精霊たちが、ほのかに光っていた。
露台の手すりにもたれていると、後ろから、櫛を持ったセレスさんがやってきた。
「リア様。御髪を」
「……お願いします」
露台の椅子に座ると、セレスさんが、後ろから髪を梳き始めた。
神殿にいた頃と、同じ手つきだった。
「……セレスさん」
「はい」
「ひとつ、話しておきたいことがあります」
櫛が、止まった。
「明日、もし、何かあって。大きな力を使わなきゃいけなくなったら」
夜風が、髪を揺らした。
「たぶん、また眠ると思います。ハルトンの時みたいに。……樹の時間、っていうらしいです」
「……存じております」
セレスさんの声は、静かだった。
「先代様も、よくお入りになったと、言い伝えに」
「ハルトンの時は、三日でした。でも、精霊たちが言うには、長い時は、十年眠ることもあるって」
櫛を持つセレスさんの手が、ほんの少しだけ、震えた気がした。
「もし、そうなったら」
「お待ちしております」
セレスさんが、俺の言葉を遮った。
「どれほど眠られても。十年でも、百年でも、千年でも。わたくしは、お待ちしております」
櫛が、また動き出した。
「エルフは、待つのは、得意でございますから。……リア様がお生まれになるのを、百四十二年、お待ちしたのですよ」
俺は、少しだけ笑った。
笑おうとして、喉の奥が、詰まった。
「……トビと、マルタさんには、言わないでください」
櫛が、また止まった。
長い沈黙があった。
「……かしこまりました」
セレスさんの声は、少しだけ、かすれていた。
*
庭園の方から、声が聞こえた。
見下ろすと、噴水の前の芝生で、トビとマルタさんが向かい合っていた。
トビは、レオンさんの短剣を構えていた。セレスさんの組紐が、柄で揺れている。マルタさんは、木の枝を一本、持っていた。
「脇が甘い。もっと締めろ」
「こう?」
「違う。肘だ。肘を体につけろ」
「こう!」
「……まあ、さっきよりはましだ」
トビが、短剣を突き出す。マルタさんが、木の枝で軽く払う。トビがよろける。もう一度、構え直す。
精霊たちが、二人の周りを、ふわふわと漂っていた。月明かりと、精霊の淡い光の中で、赤毛と、ぼさぼさの茶色い頭が、何度も、何度も、向かい合っていた。
俺は、露台の手すりにもたれて、それを見ていた。
明日が終わったら、ハルトンに帰ろう。
そう思った。
ツノさんに会って、ちゃんと帰ってきたよって言う。ハンナさんの煮込みを食べる。痩せっぽちじゃないって、見せてやる。串焼き屋の親父さんに、王都の串焼きの感想を言う。どっちもうまかったって。ゲイルさんの兜を、もう一回だけ飛ばす。ペトラさんに、E級になったって報告する。
藁の寝台で、ちくちくしながら眠る。
――明日が、終わったら。
「姉ちゃん!」
芝生の上から、トビが手を振っていた。
「見てた? 今の、見てた? マルタの枝、かすったぞ!」
「かすってねえよ」
「かすった!」
俺は、手を振り返した。
「見てたよ」
夜風が、髪を揺らした。
セレスさんの櫛が、ゆっくりと、髪の先まで通っていった。
*
夜更けだった。
白百合館の裏口の扉が、控えめに叩かれた。
ニナさんだった。茶色い外套を頭からかぶって、ひどく青い顔をしていた。
「リア様。……夜分に、すみません」
客間に通すと、ニナさんは、外套の下から、丸めた図面を取り出した。
「大炉の、設計図です」
図面を、机の上に広げる。複雑な線と、記号と、数字がびっしりと書き込まれていた。俺には、ほとんど読めなかった。
「大炉は、塔の地下の炉と、地脈でつながっています。二つの炉で、精霊を引き寄せる力を、共鳴させて強める仕組みです」
ニナさんの指が、図面の一点を指した。
「ここ。……共鳴の計算が、合わないんです。何度やり直しても、ある条件で、共鳴が止まらなくなる可能性が出る。二つの炉が互いに力を強め合って、止める命令が、届かなくなる」
背中が、冷たくなった。
「閣下に、言ったんですか」
「言いました。今日の会議の後にも、もう一度。……でも、確率は極めて低い、検証にはさらに一年かかる、と」
ニナさんは、唇を噛んだ。
「それに、大炉は、もう温め始めているんです。起動の前に、核を半日かけて温めておかないといけないので。……夕方から、予熱に入っています」
「……今、もう?」
「予熱だけなら、本当は、何も起きないはずなんです。でも、私の計算だと、予熱の段階でも、その条件に少しずつ近づいていく」
ニナさんの声が、震えた。
「明日の正午を、待たずに。……かもしれない」
――時間がない。
ヴァルドの口癖が、今度は、こっちの喉元に突きつけられていた。
俺は、立ち上がった。
「陛下のところに、行きましょう」
ニナさんが、目を見開いた。
「い、今からですか。こんな夜更けに。それに、閣下を飛び越して、陛下に……」
「私が、言います」
自分でも驚くくらい、声が落ち着いていた。
前世で、何度もやったことだった。夜中のデータセンターで、止まりかけの機械の前で、偉い人を叩き起こす電話。間違いだったら、謝ればいい。間違いじゃなかったら、謝っても、取り返しがつかない。
「ニナさんは、図面を見せてくれればいい。……陛下は、精霊が苦しんでいたら止めるって、約束してくれた人です。止まらない炉なら、その約束が、守れなくなる」
ニナさんは、しばらく、俺の顔を見つめていた。
それから、図面を、ぎゅっと丸め直した。
「……はい」
*
客間を出ると、廊下に、マルタさんが立っていた。
大剣を、もう背負っていた。
「聞こえた。行くぞ」
その後ろに、寝間着の上から外套を羽織ったトビと、櫛を懐にしまうセレスさんがいた。
「あんたは留守番だ、ガキ」
マルタさんが、振り返りもせずに言った。
「やだ」
トビは、腰の短剣の柄を握りしめていた。組紐が揺れていた。
「姉ちゃん、でかい力使ったら、ぶっ倒れるだろ。東門の時みたいに」
三日、眠った時のことだ。……三日で済まないかもしれないことを、トビは知らない。
セレスさんが、黙って、俺の外套の襟を直してくれた。
白百合館の門の外で、月が、ずいぶん高くなっていた。