【TS】世界樹から実ったハイエルフ(中身は元社畜)、八百年ぶりの上位種として崇められていますが、人間の町でのんびり暮らしたいだけです   作:月白イツキ

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第29話 大炉

王城の奥の、小さな部屋だった。

 

暖炉と、本棚と、古い木の机。謁見の日に、陛下が冠を外して話してくれた部屋だ。

 

陛下は、寝間着の上にガウンを羽織っていた。夜更けに起こされたはずなのに、驚いた顔はしていなかった。

 

暖炉の前に、もうひとり、座っていた。

 

ヴァルドだった。

 

「会議の後、ずっと話し込んでいたのだ」

 

陛下が、言った。

 

「三十年来の、友とな。明日を前にして、ふたりとも眠れなかった。……ちょうどいい。ここで聞こう」

 

ヴァルドの灰色の目が、ニナさんを見た。

 

ニナさんの肩が、びくりと震えた。それでも、ニナさんは、図面を机の上に広げた。

 

*

 

ニナさんの説明は、短かった。

 

会議の時のヴァルドみたいに、数字と図で隙間なく組み上げられてはいなかった。何度も言葉に詰まって、何度も図面を指でなぞり直した。

 

それでも、最後まで言い切った。

 

「――予熱の段階でも、その条件に近づいていきます。夜明けまでに、届くかもしれません」

 

部屋の中が、しんとなった。

 

「確率は」

 

陛下が、ヴァルドに尋ねた。

 

「千に一つも、ございません」

 

ヴァルドは、即座に答えた。

 

「ニナの計算は、最悪の仮定を三つ重ねたものです。現実に、三つが同時に揃うことは、まず――」

 

「千に一つでも」

 

俺は、言った。

 

ヴァルドが、こっちを見た。

 

「止まらなくなるなら。……閣下は、私が止めろと言ったら止めるって、約束してくれました。でも、止まらない炉だったら、その約束は守れません。閣下に、守る気があっても」

 

灰色の目が、細くなった。

 

何かを言い返そうとして、口を開いて。

 

それから、咳き込んだ。

 

陛下は、その背中を、黙って見ていた。

 

咳が収まるのを待って、静かに言った。

 

「試運転は、延期する。検証が済むまで」

 

「陛下――」

 

「予熱も、止めよ。今すぐだ」

 

ヴァルドは、すぐには答えなかった。

 

暖炉の火が、ぱちりと爆ぜた。

 

「……陛下。予熱を断てば、核が冷えます。冷えた核を温め直すには、ひと月かかる。ひと月あれば、南に夏が来ます」

 

かすれた声だった。

 

「せめて、夜明けまで。夜明けまでなら、計算の上では――」

 

「ヴァルド」

 

陛下の声は、大きくなかった。

 

それでも、ヴァルドの言葉は、そこで止まった。

 

長い沈黙があった。

 

ヴァルドは、目を閉じた。

 

「……御意」

 

*

 

炉舎へは、ヴァルド自身が向かうことになった。予熱の止め方には手順があって、夜番の魔術師たちだけには任せられないらしい。

 

王城の馬車が、夜の大通りを、南へ走った。

 

ヴァルドと、ニナさん。俺と、セレスさん。御者台の隣に、マルタさんとトビ。

 

揺れた。いつもなら、とっくに酔っている揺れだった。今夜は、酔う暇もなかった。

 

向かいの席で、ヴァルドが、懐から、折りたたんだ紙を取り出した。

 

「会議の後、あなたの風車の案を、計算してみた」

 

意外な言葉だった。

 

「風の精霊が本当に回し続けるなら、という仮定の上での話だが。……開放型結晶と組み合わせ、水の精霊の帰還が仮説通りに進むなら」

 

ヴァルドは、紙を、俺の手に押しつけた。

 

「悪くない」

 

「……」

 

「十年あれば、な」

 

灰色の目が、ほんの一瞬だけ、柔らかくなった気がした。

 

それから、窓の外の暗い街並みに、目を移した。

 

「陛下を起こしに行こうと言ったのは、あなたか」

 

「……はい」

 

「そうか」

 

それきり、ヴァルドは、何も言わなかった。

 

手の中の紙を、見下ろした。細かい数字と式が、びっしりと書き込まれていた。

 

一番下に、小さな字で、何かが書き足してあった。

 

『風車の羽根の角度、十五度を推奨。精霊が回しやすいかどうかは、要確認』

 

……要確認、って。

 

こんな時なのに、少しだけ、笑ってしまった。

 

*

 

大炉は、王都の南区の、川沿いの広い空き地の地下にあった。

 

その上に、真新しい円形の石造りの建物が建っている。南区炉舎、と呼ばれていた。白い石の壁に、魔術院の六芒星と目の紋章が、大きく刻まれていた。

 

馬車を降りた瞬間、肩の上の精霊たちが、震え始めた。

 

『……ひっぱる』

 

『ちょっとずつ、ひっぱる』

 

炉舎の中は、巨大な円形の吹き抜けになっていた。壁に沿って、ぐるりと回廊が巡っている。手すりから見下ろすと、ずっと下に、深い縦穴が口を開けていた。

 

縦穴の底に、結晶があった。

 

塔の地下の炉の、倍くらいの大きさ。水みたいに透き通った、まだ空っぽの結晶だった。その周りを、鉄の柱と梁が蜘蛛の巣みたいに取り囲んで、刻まれた文字が、ぼんやりと緑色に灯っていた。

 

予熱、というのは、これのことらしい。

 

回廊の向かい側の、張り出した小部屋から、灰色の長衣の男が飛び出してきた。

 

クラウスだった。今夜の夜番だったらしい。眼鏡が、ずり落ちていた。

 

「閣下! ちょうど、お呼びしようと――予熱の出力が、勝手に上がっています。誰も、何も触っていないのに」

 

ニナさんの顔から、血の気が引いた。

 

ヴァルドは、何も言わずに、制御室へ向かった。足取りが、速かった。ニナさんとクラウスが、その後を追った。

 

俺は、回廊の手すりにつかまって、縦穴の底を見下ろしていた。マルタさんとセレスさんとトビが、すぐ後ろにいた。

 

透き通った結晶の、奥の方に。

 

ぽつり、と。

 

小さな、緑色の光がともった。

 

そして。

 

聞こえた。

 

『――いや』

 

小さな声だった。

 

『いや、いや』『ひっぱられる』『たすけて』

 

炉舎の外から。南区の家々のかまどから。川の水面から。庭の花壇から。路地の石畳の隙間から。

 

眠っていた王都中の精霊たちが、引きずられ始めていた。

 

『りあ』

 

『りあ、たすけて』

 

声が、増えていく。十、百、千。

 

「――止めてください!」

 

叫んでいた。

 

制御室の硝子の向こうで、ヴァルドが、こっちを見た。

 

今度は、迷わなかった。

 

ヴァルドは、壁の横の大きな取っ手を、力いっぱい引き下ろした。

 

停止の取っ手だった。

 

がこん、と重い音がした。

 

――何も、変わらなかった。

 

*

 

縦穴の底の結晶は、光り続けていた。

 

いや、光が、強くなっていた。

 

緑色の光が、ぐんぐんと濃くなっていく。結晶の中で、何かが渦を巻き始めていた。鉄の柱と梁の文字が、緑色を通り越して、白く輝き始めていた。

 

制御室の中で、ヴァルドが、もう一度取っ手を引いた。

 

もう一度。

 

もう一度。

 

何も、変わらなかった。

 

ニナさんが、計器の前で何かを叫んでいた。クラウスが、歯車の一つに手を伸ばして、何かを必死に操作していた。

 

地面が、揺れ始めた。

 

「――共鳴だ」

 

誰かの声がした。

 

制御室の扉が開いて、クラウスが飛び出してきた。眼鏡が、ずり落ちていた。

 

「塔の地下の炉と、共鳴しています! 二つの炉が、互いに引き寄せる力を強め合って……停止の命令が、届かない!」

 

ニナさんが言っていた、計算の合わない場所。

 

際限なく、精霊を引き寄せ続ける。

 

*

 

炉舎の窓の外が、緑色に光った。

 

回廊の窓から外を見て、息を呑んだ。

 

北の方角。王城の東。星見の塔のてっぺんから、緑色の光の柱が、空に向かって立ちのぼっていた。

 

そして、この炉舎からも。

 

二本の光の柱が、王都の空の上で、弧を描いて繋がっていた。

 

巨大な、緑色の橋みたいに。

 

街の通りに並んでいた結晶灯が、一斉に、目も眩むような緑色に光った。

 

それから、ぱりん、ぱりん、と、次々に割れていった。

 

割れた結晶から溢れ出した光が、自由になれずに、そのまま地面に吸い込まれていく。地脈を通って、炉へ。

 

『いたい』

 

『たすけて』

 

『おかあさん』

 

――それだけじゃなかった。

 

炉舎の中に置かれていた鉢植えの花が、みるみるうちに萎れていった。

 

窓の外の、川沿いの並木の葉が、色を失って、はらはらと落ち始めた。

 

炉舎の門の番兵が、膝をついた。

 

ひとり、またひとり。膝をついて、顔を真っ青にして、苦しそうに胸を押さえている。

 

俺には、分かった。

 

精霊は、そこらじゅうにいる。かまどにも、井戸にも、花にも、木にも。それから、たぶん、人の中にも。目に見えないくらい小さく、生きているもの全部に、ほんの少しずつ。

 

炉は、精霊を引き寄せている。

 

際限なく。

 

生きているもの全部から、少しずつ。

 

*

 

「――閣下!」

 

ニナさんの悲鳴が聞こえた。

 

制御室の中で、ヴァルドが、床に崩れ落ちていた。

 

激しく咳き込んでいた。体を折り曲げて、止まらない咳。口元を押さえた手の指の間から、赤いものが溢れていた。

 

肺が、結晶になっていく病。

 

炉の力が、ヴァルドの体の中の結晶にまで、響いているんだ。

 

俺は、回廊を走った。

 

走れた。精霊たちが、必死に足を押し上げてくれていた。それでも、息が切れた。制御室にたどり着いた時には、膝ががくがく震えていた。

 

「どうすれば、止まるんですか」

 

クラウスの腕をつかんで、聞いた。

 

クラウスは、計器の目盛りを睨みながら、早口で答えた。

 

「共鳴を断つには、二つの炉の、どちらかの核を、直接止めるしかありません。この大炉の核は、まだ空っぽに近い。共鳴の起点は、精霊を何十万と溜め込んだ、塔の地下の、旧炉です」

 

「旧炉の核に、触れれば」

 

「理論上は。……ですが、今の旧炉に近づけば、人間は――」

 

「行きます」

 

クラウスが、俺を見た。

 

「リア殿」

 

「私は、人間じゃないので」

 

言いながら、少しだけ、自分で笑ってしまった。

 

「あたしも行く」

 

後ろから、マルタさんの声がした。

 

振り返ると、マルタさんが大剣を背負い直していた。その隣で、トビが、短剣の柄を握りしめていた。セレスさんが、杖を握っていた。

 

「トビは、残って――」

 

「やだ」

 

「トビ」

 

「やだって言ってんだろ!」

 

トビの目が、まっすぐに俺を見ていた。

 

「姉ちゃん、倒れたら、誰が支えんだよ!」

 

東門の夜と、同じ目だった。

 

マルタさんが、短く舌打ちをした。「……あたしの後ろから、半歩も出るな」

 

「私も、行きます」

 

ニナさんが、震える声で言った。

 

「塔の地下の炉の制御なら、私が一番分かってる。核に触れるまでの道を、開けられるかもしれない」

 

「私も」

 

クラウスが、眼鏡を押し上げた。

 

「――私も、行く」

 

かすれた声がした。

 

床の上から、だった。

 

ヴァルドが、制御盤の縁に手をかけて、ゆっくりと体を起こしていた。口元が、赤く染まっていた。顔は、紙みたいに白かった。

 

それでも、灰色の目だけは、まだ刃物みたいだった。

 

「閣下、無理です! お体が――」

 

「ニナ」

 

ヴァルドは、ニナさんの手を借りて、立ち上がった。

 

よろめいた。それでも、立った。

 

「これは、私が作ったものだ」

 

炉舎の窓の外で、緑色の光の橋が、空を覆っていた。

 

ヴァルドは、それを、まっすぐに見上げていた。

 

「私が、止める」

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