【TS】世界樹から実ったハイエルフ(中身は元社畜)、八百年ぶりの上位種として崇められていますが、人間の町でのんびり暮らしたいだけです   作:月白イツキ

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第30話 地の底へ

炉舎の外は、ひどい有様だった。

 

家々から這い出してきた人たちが、通りのあちこちで倒れていた。石畳に膝をついて、苦しそうに胸を押さえている人。壁にもたれて、ぐったりと目を閉じている人。泣いている子ども。その子どもを抱きしめたまま、動けなくなっている母親。

 

川沿いの並木が、葉を全部落として、冬みたいに裸になっていた。

 

そして、地面を、光が流れていた。

 

小さな、緑色の光の粒が、何千、何万と。石畳の上を、路地の隙間を、水が低い方へ流れるみたいに、北へ、北へと流れていく。

 

星見の塔の方へ。

 

『いや』『いや』『たすけて』

 

流れていく光たちが、泣いていた。

 

「セレスさん」

 

俺は、振り返った。

 

セレスさんが、杖を握りしめて、真っ青な顔で通りを見ていた。

 

「お願いがあります」

 

「何なりと」

 

「白百合館に戻って、庭に、精霊たちを集めてください。私の近くじゃなくても、セレスさんのそばなら、少しは、引っ張られにくいはずです」

 

「わたくしに、そのようなことが……」

 

「できます」

 

俺は、言った。

 

「セレスさんは、百四十二年、毎朝、大樹の根元で露を集めてきた人です。精霊たちは、セレスさんのこと、ちゃんと知ってます」

 

セレスさんの目が、見開かれた。

 

「それから、倒れてる人たちも。できるだけ」

 

セレスさんは、しばらく俺の顔を見つめていた。

 

それから、深く、頭を下げた。

 

「――かしこまりました」

 

顔を上げた時、その目には、もう迷いはなかった。

 

「リア様。必ず、お戻りくださいませ」

 

「はい」

 

セレスさんは、杖を握りしめて、北の白百合館の方へ駆けていった。

 

*

 

炉舎から塔までは、王都を半分横切る距離だった。

 

マルタさんが、炉舎の脇に繋がれていた荷馬車の馬を、手綱ごと奪い取った。

 

「乗れ!」

 

荷台に、俺と、トビと、クラウスと、ニナさんが転がり込んだ。

 

ヴァルドは、自分で乗ろうとして、荷台の縁に手をかけたまま、また咳き込んだ。

 

マルタさんが、無言でヴァルドの体を担ぎ上げて、荷台に放り込んだ。

 

「なっ――何をする」

 

「黙ってろ、じじい」

 

マルタさんは、御者台に飛び乗って、手綱を振るった。

 

馬が、いなないて走り出した。

 

*

 

荷馬車は、倒れた人の間を縫うように、石畳の上を疾走した。

 

揺れた。ものすごく揺れた。でも、今は、馬車酔いなんかしている場合じゃなかった。

 

「ねえ、風の子たち」

 

荷台の縁にしがみつきながら、呼びかけた。

 

「この馬車、軽くしてくれる? 馬が、速く走れるように」

 

『……まだ、だいじょうぶ』

 

風の精霊たちの声が、震えていた。

 

『りあのそば、ひっぱられない』『だから、てつだえる』

 

ふわりと、荷馬車が軽くなった。車輪が、石畳から浮く。馬が、驚いたように一声いなないて、さらに速度を上げた。

 

後ろを振り返った。

 

通り過ぎた道の上に、小さな光の粒たちが、ふわふわと浮かんでいた。北へ流れていく光の川から、こぼれ落ちるように。

 

俺の近くを通った光だけが、ほんの少しの間だけ、引っ張られずに、そこに留まっていた。

 

――全部は、助けられない。

 

分かっていた。

 

だから、急がなきゃいけなかった。

 

*

 

星見の塔の前に、荷馬車が止まった。

 

塔のてっぺんから、緑色の光の柱が、空に向かって噴き上がっていた。白い石の壁に、細かい亀裂が走っている。窓という窓から、緑色の光が溢れ出していた。

 

塔の中は、空っぽだった。魔術師たちは、みんな逃げ出したらしい。廊下に、書物や器具が散らばっていた。

 

地下への階段の入口の前で、ヴァルドが、マルタさんの肩から降りた。

 

よろめいた。ニナさんが、慌てて支える。

 

「……自分で、歩ける」

 

「歩けてません、閣下」

 

ニナさんの声は、怒っていた。

 

「三年間、閣下の言うことを、全部聞いてきました。今日だけは、私の言うことを聞いてください」

 

ヴァルドが、ニナさんを見た。

 

何かを言い返そうとして、口を開いて、それから、閉じた。

 

ニナさんの肩に、腕を回した。

 

*

 

螺旋階段を、降りた。

 

初めて降りた、あの日とは、違っていた。

 

壁から、結晶が生えていた。

 

緑色の、尖った結晶が、石の壁を突き破って、階段の上に、天井に、びっしりと伸びていた。降りれば降りるほど、その数が増えていく。結晶の中で、小さな光が、ぐるぐると渦を巻いていた。

 

『だして』

 

『だして、だして』

 

声が、壁の中から聞こえた。

 

「……リア殿」

 

クラウスが、壁の結晶を見ながら、かすれた声で言った。

 

「炉が、精霊を引き寄せすぎて、溢れているんです。核に入りきらない精霊が、地脈の中で結晶になっている」

 

階段を、半分ほど降りたところだった。

 

壁の結晶のひとつが、ぴしり、と音を立てた。

 

――動いた。

 

結晶の塊が、壁から剥がれ落ちて、階段の上に転がった。それが、ぎしぎしと軋みながら、形を変えていく。

 

四本の脚。尖った背中。頭のような塊。

 

獣の形だった。

 

緑色の、結晶の獣。

 

体の中で、何百という小さな光が、苦しそうに渦を巻いていた。

 

『だして』

 

獣が、吼えた。結晶が擦れ合う、耳障りな音だった。

 

「下がってろ!」

 

マルタさんが、大剣を抜いて、前に出た。

 

獣が、飛びかかってきた。

 

大剣が、横薙ぎに閃いた。

 

がしゃん、と、硝子が砕けるような音がした。

 

獣の体が、真っ二つに割れた。

 

割れた結晶の中から、小さな光の粒が、ぱっと飛び出した。何百という光が、一瞬、階段の上を舞って――

 

『でられた』

 

小さな声がした。

 

光たちは、ほんの一瞬だけ、俺の周りに集まって、それから、地面に吸い込まれそうになった。

 

「待って」

 

俺は、手を伸ばした。

 

「ここにいて。私のそばにいれば、引っ張られないから」

 

光たちが、ふわりと、俺の髪の中に、肩の上に、外套の襟元に潜り込んできた。

 

『あったかい』

 

『ここ、ひっぱられない』

 

マルタさんが、大剣を構えたまま、こっちを振り返った。

 

「……壊していいのか、あれ」

 

「壊したら、中の子たちが出られます」

 

マルタさんの口元が、にやりと上がった。

 

「じゃあ、遠慮なくいく」

 

*

 

それから、何体もの結晶の獣が、階段に現れた。

 

マルタさんが、先頭で、片っ端から叩き割っていった。割れるたびに、光が溢れ出して、俺のところへ飛んでくる。俺の周りが、どんどん明るくなっていく。

 

「後ろ!」

 

トビの声がした。

 

振り返ると、天井から剥がれ落ちた結晶の獣が、クラウスの背中に飛びかかろうとしていた。

 

クラウスは、気づいていなかった。

 

トビが、走った。

 

短剣を抜いて、肘を体につけて、まっすぐに突き出した。

 

セレスさんの組紐が、柄の上で揺れた。

 

かしゃん、と軽い音がした。

 

獣の、頭のような塊に、ひびが入った。ひびが、全身に広がって――ぱりん、と砕けた。

 

光が、溢れ出した。

 

クラウスが、振り返って、目を丸くしていた。

 

トビは、短剣を握ったまま、肩で息をしていた。手が、がたがた震えていた。

 

「……やった」

 

「肘、締まってたぞ」

 

前の方から、マルタさんの声がした。

 

振り返りもせずに、次の獣を叩き割りながら。

 

トビの顔が、くしゃっとなった。

 

泣きそうな顔だった。でも、泣かなかった。短剣を握り直して、また前を向いた。

 

*

 

階段の終わりに、鉄の扉があった。

 

あの日、ヴァルドが手をかざして開けた扉だ。今は、表面の文字が、全部、白く光っていた。熱を持っているのか、扉の周りの空気が揺らいでいる。

 

「……封印が、過負荷で暴走しています」

 

ニナさんが、ヴァルドを壁にもたれさせて、扉の前に立った。

 

「普通の手順じゃ、開かない」

 

「開けられるか」

 

ヴァルドが、壁にもたれたまま、かすれた声で聞いた。

 

ニナさんは、扉の文字を、ひとつひとつ、指でなぞっていった。白く光る文字に触れるたびに、指先から、じゅっと小さな音がした。

 

「ニナさん、手が――」

 

「大丈夫です」

 

ニナさんは、唇を噛んだまま、指を止めなかった。

 

「この封印、私が組んだんです。閣下の設計で、私が、ひとつひとつ。……だから、ほどき方も、知ってる」

 

指が、扉の中央の、一番大きな文字に触れた。

 

そこで、ニナさんは、一度だけ、深く息を吸った。

 

「遺跡の時、私は、何もできなかった」

 

小さな声だった。

 

「今度は、開けます」

 

指先に、力を込めた。

 

白い文字が、ひとつ、ふっと消えた。

 

それから、連鎖するように、扉の文字が次々と消えていった。白い光が、扉の端から中央へ、波のように引いていく。

 

ぎい、と、重い音がして。

 

鉄の扉が、ゆっくりと開いた。

 

ニナさんの両手の指先が、赤く腫れていた。

 

それでも、ニナさんは、振り返って、笑った。

 

「……開きました、閣下」

 

ヴァルドは、何も言わなかった。

 

ただ、壁から背を離して、ニナさんの肩に手を置いた。

 

*

 

扉の向こうは、別の世界だった。

 

巨大な空洞が、結晶で埋め尽くされていた。

 

あの日、空洞の真ん中に斜めに突き出していた、家一軒分の結晶。それが、何倍にも膨れ上がっていた。空洞の半分を占めるくらいに。そこから、何百本という結晶の枝が、四方八方に伸びて、壁を、天井を、床を、びっしりと覆っていた。

 

結晶は、白に近い緑色に、激しく脈打っていた。

 

心臓みたいに。

 

いや、もう、心臓なんてものじゃなかった。暴れ狂う何かが、内側から、壁を叩き続けているみたいだった。

 

そして、声が。

 

声が、聞こえた。

 

今までとは、違った。

 

『――だして』

 

何十万という声が、ぴったりと重なって、ひとつになっていた。

 

『だして。かえして。ここは、くらい。さむい。せまい』

 

『わたしたちを、かえして』

 

ひとつの、巨大な声だった。

 

空洞の壁が、その声に共鳴して、びりびりと震えていた。

 

「……聞こえる」

 

かすれた声がした。

 

振り返ると、ヴァルドが、扉の前で立ち尽くしていた。

 

ニナさんも。クラウスも。マルタさんも。トビも。

 

みんな、結晶を見上げて、凍りついていた。

 

ハルトンの東門で、精霊たちが目に見えたように。

 

これだけ集まれば。これだけ叫べば。

 

――人間にも、聞こえるんだ。

 

『おかあさん』

 

空洞が、震えた。

 

『おかあさん。おうちに、かえりたい』

 

ヴァルドの膝が、崩れた。

 

ニナさんの手を振りほどいて、結晶の前に、両膝をついた。

 

灰色の目が、見開かれていた。

 

刃物みたいだった目が、今は、ただ、揺れていた。

 

「……聞こえる」

 

もう一度、ヴァルドは呟いた。

 

「三十年……私は、これを……」

 

声が、途切れた。

 

ヴァルドは、震える手を、自分の顔に当てた。

 

肩が、震えていた。

 

――その時、結晶が、うねった。

 

空洞の天井から、太い結晶の枝が、槍みたいに伸びてきた。まっすぐに、膝をついたヴァルドに向かって。

 

『かえして』

 

「閣下!!」

 

ニナさんの悲鳴。

 

マルタさんが、大剣を振りかぶって走り出す。

 

間に合わない。

 

俺は、前に出ていた。

 

ヴァルドの前に。

 

結晶の枝の、尖った先端が、俺の目の前で――

 

ぴたりと、止まった。

 

東の森で、森のぬしの蔦が止まったみたいに。

 

震えていた。迷っているみたいに。

 

俺は、手を伸ばした。

 

その、冷たい結晶の枝に、そっと触れた。

 

「……ごめんね」

 

言った。

 

「遅くなって」

 

それから、枝を伝うように、一歩ずつ、巨大な結晶の方へ歩いていった。

 

結晶の枝たちが、俺の通る道を、左右に開けていく。

 

後ろで、誰かが俺の名前を呼んでいた。

 

振り返らなかった。

 

空洞の真ん中の、白く脈打つ、巨大な結晶の前に立った。

 

手のひらを、その表面に、置いた。

 

冷たかった。

 

とても、とても、冷たかった。

 

そして、内側から、何十万という小さな光が、一斉に、俺の手のひらに向かって、押し寄せてきた。

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