【TS】世界樹から実ったハイエルフ(中身は元社畜)、八百年ぶりの上位種として崇められていますが、人間の町でのんびり暮らしたいだけです   作:月白イツキ

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第31話 ひらく

暗かった。

 

目を開けているのか、閉じているのか、分からなかった。

 

空洞の中に立っていたはずなのに、足の下に、床の感触がなかった。手のひらに、結晶の冷たさだけが残っていた。

 

寒かった。

 

とても、寒かった。

 

そして、周りに、光があった。

 

小さな、小さな光の粒が、数えきれないほど。闇の中に、ぎっしりと浮かんでいる。でも、どの光も、ひどく弱かった。身を寄せ合って、縮こまって、震えていた。

 

――結晶の、中だ。

 

なぜか、分かった。

 

俺は今、結晶の中にいる。体ごとじゃなくて、たぶん、心だけ。何十万という精霊たちが閉じ込められている、この暗くて寒い場所に。

 

『……だれ』

 

声がした。

 

ひとつの声じゃなかった。何十万という声が、ぴったりと重なっていた。

 

「リア」

 

答えた。

 

闇の中で、光たちが、ざわりと揺れた。

 

『りあ』

 

『たいじゅのこ』『たいじゅのこだ』

 

『きた』『ほんとうに、きた』

 

声が、少しずつ、ばらばらになっていく。ひとつの巨大な声が、ほどけて、たくさんの小さな声に戻っていく。

 

『りあ、まってた』

 

どこかで、聞いたことのある声がした。

 

あの日、結晶の壁に張りついていた、かまどの精霊の声だった。

 

「……うん。遅くなって、ごめん」

 

『だして』

 

『だして』『だして』『かえりたい』

 

「うん。出よう。みんなで、帰ろう」

 

――でも、光たちは、動かなかった。

 

『……こわい』

 

ひとつの、小さな声が言った。

 

『そと、こわい』

 

『でても、また、ひっぱられる』『また、ここに、もどされる』

 

『どこにも、いけない』

 

光たちが、また、ぎゅっと身を寄せ合った。

 

『……おうち、わすれた』

 

別の声が、言った。

 

消え入りそうな声だった。

 

『ずっと、ここにいたから』『おうち、どこだったか、わすれちゃった』

 

『かえりたいのに』

 

『かえるところ、わからない』

 

――胸が、潰れそうになった。

 

三年。この子たちは、三年間、ここにいたんだ。暗くて、寒くて、狭い場所に。帰りたいと泣きながら。そうしているうちに、どこへ帰りたかったのかさえ、分からなくなってしまった。

 

「……大丈夫」

 

声が、震えた。

 

それでも、言った。

 

「覚えてなくても、帰れるよ」

 

闇の中で、光たちが、こっちを見た気がした。

 

「風の子たちが、案内してくれる。水の子は、南の井戸に。かまどの子は、かまどに。花の子は、花に。木の子は、木に」

 

俺は、肩の上を見た。

 

いつの間にか、俺の精霊たちが、そこにいた。結晶の中にまで、ついてきてくれていた。

 

『あんない、する!』

 

風の精霊が、元気よく明滅した。

 

『みんなの、おうち、さがす!』『いっしょに、さがす!』

 

「それから、もう、引っ張らせない」

 

俺は、闇の向こうを見た。

 

結晶の外。空洞の中。そこに、みんながいるはずだった。

 

「外で、今、止めてくれてる人たちがいるから」

 

*

 

声が、聞こえた。

 

結晶の外から。ずっと遠くから、かすかに。

 

「――第一環、外れました!」

 

ニナさんの声だった。

 

「第二環、外れません! 共鳴の負荷が、全部ここに集まってる……!」

 

「どこだ」

 

かすれた声。ヴァルドの声だった。

 

「どこが、外れない」

 

「核の、真下の……一番大きな、鉄の輪です。閣下が、最初に刻んだ……」

 

沈黙。

 

それから、咳き込む音。

 

「……三十年前だ」

 

ヴァルドの声が、言った。

 

「この炉の、最初の輪を、私が刻んだ。魔力のない子どもでも、夜に灯りがともせる国を作る。そう思って、刻んだ」

 

また、咳。

 

「赤毛の剣士」

 

「……なんだ、じじい」

 

マルタさんの声だった。

 

「その剣を、ここに振り下ろしてくれ。……私の指す、この場所に」

 

「あんたの、三十年の輪なんだろ」

 

「そうだ」

 

ヴァルドの声は、静かだった。

 

「だから、私が、指す」

 

短い沈黙があった。

 

それから、マルタさんの声が、少しだけ笑った。

 

「……分かった。じゃあ、手、添えとけ。一緒に振る」

 

「私には、その剣は持ち上がらんぞ」

 

「添えとくだけでいい。あんたが壊したことに、しといてやる」

 

――がぁん、と。

 

鉄が砕ける音が、結晶の中まで響いてきた。

 

*

 

引っ張る力が、消えた。

 

闇の中で、光たちを縛りつけていた何かが、ふっと、ほどけた。

 

遠くで、何かが崩れる音がした。空の上で、ずっと張りつめていた何かが、ぷつりと切れる音。たぶん、王都の空にかかっていた、緑色の光の橋だ。

 

『……ひっぱられない』

 

光たちが、ざわめいた。

 

『ひっぱられない』『もう、ひっぱられない!』

 

「うん」

 

俺は、頷いた。

 

「あとは、ここを開けるだけ」

 

でも。

 

結晶は、開かなかった。

 

闇の壁に、手のひらを当てた。冷たくて、硬くて、どこにも継ぎ目がなかった。

 

『……あかない』

 

『わたしたちが、かべになってる』

 

光たちの声が、言った。

 

『ぎゅうぎゅうに、つめこまれて、かたまって、かべになっちゃった』

 

『じぶんたちじゃ、あけられない』

 

――この結晶は、精霊たちそのものなんだ。

 

閉じ込められて、押し固められて、自分たち自身が、自分たちを閉じ込める壁になってしまった。

 

外から叩いても、割れない。中から押しても、開かない。

 

誰かが、扉にならないと。

 

「……そっか」

 

俺は、闇の壁に、両方の手のひらを当てた。

 

分かった気がした。

 

東の森で、土の精霊たちに頼んで、四十七本の杭を押し出した時。体の奥から、何かがどっと流れ出ていった感覚があった。あの時は、三日、眠った。

 

今度は、その何倍も、流れ出ていく。

 

たぶん、もっと長く、眠る。

 

――トビと、マルタさんには、言わないでください。

 

セレスさんの、かすれた声を思い出した。

 

かしこまりました。

 

「……ちょっとだけ、だから」

 

誰にともなく、呟いた。

 

それから、闇の壁に向かって、言った。

 

「開いて」

 

*

 

体の奥から、何かが、溢れた。

 

温かかった。

 

アルヴの森の、朝の光みたいだった。大樹の根元の、木漏れ日みたいだった。ツノさんの鼻先の温もりみたいだった。

 

それが、手のひらから、闇の壁へ、どっと流れ込んでいった。

 

冷たい壁が、温まっていく。

 

硬い壁が、やわらかくなっていく。

 

押し固められていた光たちが、ひとつ、またひとつと、ほどけていく。

 

髪が、光っているのが分かった。銀色の髪の一本一本が、内側から、淡く輝いていた。

 

――さわさわ、と。

 

耳の奥で、葉ずれの音がした。

 

まだだ。

 

まだ、だめだ。

 

歯を食いしばった。

 

「――開いて!」

 

*

 

闇が、割れた。

 

真っ二つに。

 

割れ目から、光が溢れた。

 

緑色じゃなかった。若葉の色。木漏れ日の色。朝露が光を受けた時の色。春の日だまりの色。

 

何十万という光が、一斉に、割れ目から外へと飛び出していった。

 

『でられた!』

 

『でられた、でられた、でられた!』

 

『おかあさん!』

 

笑い声だった。

 

泣き声だった。

 

両方だった。

 

*

 

――目を開けた。

 

空洞の中に、立っていた。

 

手のひらの下で、巨大な結晶が、内側から砕けていた。ひびが、蜘蛛の巣みたいに全体に広がって、そこから、光が噴き出していた。

 

ぱりん、と。

 

澄んだ音がして。

 

空洞を半分埋め尽くしていた結晶が、ひとつ残らず、光の粒になって崩れ落ちた。

 

壁を覆っていた結晶の枝も。天井から垂れ下がっていた結晶も。階段の壁から生えていた結晶も。全部が、同時に、砕けた。

 

光が、渦を巻いた。

 

空洞の中で、ぐるぐると。それから、上へ。

 

螺旋階段を、光の竜巻が駆け上がっていく。

 

*

 

後になって、たくさんの人から、その時の話を聞いた。

 

星見の塔のてっぺんから、光が噴き上がったこと。

 

緑色じゃなかった。金色がかった、若草色の光だった。王都の空にかかっていた緑色の光の橋が、ぷつりと切れて、消えた。その代わりに、塔のてっぺんから、何十万という光の粒が、花火みたいに、空いっぱいに広がっていった。

 

それから、光は、雨みたいに、王都中に降り注いだ。

 

かまどに。井戸に。屋根瓦の隙間に。路地の石畳の割れ目に。庭の花壇に。川の水面に。

 

光が降りたかまどで、消えかけていた火が、ぽっと温かく燃え上がった。

 

光が降りた井戸で、濁っていた水が、すうっと澄んでいった。

 

葉を全部落として裸になっていた川沿いの並木から、ぽつり、ぽつりと芽が出て、あっという間に若葉が広がって、それから、白い花が咲いた。

 

石畳の隙間から、小さな草が顔を出して、黄色い花をつけた。

 

通りに倒れていた人たちが、ひとり、またひとりと、目を開けた。真っ青だった顔に、血の色が戻っていった。胸を押さえていた手が、ゆっくりとほどけていった。

 

泣いていた子どもが、空を見上げて、泣き止んだ。

 

光の粒が、子どもの鼻先に、ちょんと触れて、飛んでいった。

 

――白百合館の庭園では、セレスさんが、杖を地面について、空を見上げていたらしい。

 

セレスさんの周りに集まっていた、何百という王都の精霊たちが、一斉に舞い上がって、降ってくる光の雨の中に、混ざっていったという。

 

セレスさんは、その場に膝をついて、泣いていたそうだ。

 

*

 

そして、もうひとつ。

 

王都の南の空に、光の川が流れていった。

 

水の精霊たちだった。

 

三年間、南の井戸の底から、川の底から、揚水機に吸い上げられて、炉に閉じ込められていた水の精霊たち。

 

それが、一本の長い光の帯になって、南へ、南へと、空を流れていった。

 

風の精霊たちが、その先頭を、楽しそうにくるくると回りながら、道案内していた。

 

光の川が通り過ぎた後の空に、白い雲が、ぽつり、ぽつりと生まれていった。

 

その雲は、だんだん大きくなって、だんだん厚くなって、南の空を、ゆっくりと覆っていった。

 

――三日後。

 

南部の村々に、雨が降った。

 

三年ぶりの、まとまった雨だったそうだ。

 

*

 

空洞の中は、静かになっていた。

 

結晶は、なくなっていた。空洞の真ん中に、黒く焦げた、大きな窪みが残っているだけだった。鉄の柱と梁は、ところどころ折れて、刻まれた文字は、もう光っていなかった。

 

壊れた鉄の輪の前で、マルタさんが、大剣を床に突き立てて、肩で息をしていた。

 

その隣で、ヴァルドが、膝をついていた。大剣の柄に、まだ、片手を添えたまま。

 

クラウスと、ニナさんが、計器の残骸の前で、呆然と立ち尽くしていた。

 

トビが、短剣を握ったまま、俺の方を見ていた。

 

空洞の天井近くに、まだ、光の粒がいくつか、ふわふわと漂っていた。

 

そのうちのひとつが、すいっと降りてきた。

 

俺の目の前で、止まった。

 

かまどの精霊だった。

 

『りあ』

 

小さな声だった。

 

『でられた』

 

「……うん」

 

『まってて、よかった』

 

光が、俺の頬に、そっと触れた。

 

温かかった。

 

『ありがとう』

 

笑おうとした。

 

うまく、笑えたかどうか、分からなかった。

 

膝から、力が抜けていった。

 

――さわさわ、と。

 

耳の奥で、葉ずれの音が、また聞こえ始めていた。

 

さっきよりも、ずっと、大きく。

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