【TS】世界樹から実ったハイエルフ(中身は元社畜)、八百年ぶりの上位種として崇められていますが、人間の町でのんびり暮らしたいだけです   作:月白イツキ

35 / 35
第33話 おかえり

目を開けると、光があった。

 

柔らかい、緑がかった光。木漏れ日みたいだった。

 

頭の上に、硝子の天井があった。細い鉄の枠に、たくさんの硝子板がはめ込まれていて、そこから、午後の陽射しが降り注いでいる。硝子の向こうに、青い空と、白い雲が見えた。

 

周りは、緑だった。

 

見たことのない植物が、たくさん茂っていた。大きな葉の木。蔓の絡まった柱。白い花をつけた低木。足元の地面には、苔がびっしりと生えていた。どこかで、水の流れる音がする。小鳥が鳴いている。

 

俺は、苔の上に敷かれた、柔らかい布の寝台に横たわっていた。

 

温室、だろうか。

 

どこだろう、ここ。

 

『――おきた』

 

耳元で、声がした。

 

『おきた』『おきた!』『りあ、おきた!』

 

光の粒が、ぱっと集まってきた。

 

ひとつ、ふたつ、十、百。

 

数えきれなかった。温室の中の、木の葉の陰から、花の中から、蔓の隙間から、水の流れの中から。小さな光たちが、一斉に飛び出してきて、俺の周りをぐるぐると回り始めた。

 

どの光も、明るかった。元気だった。王都に来たばかりの頃に見た、物陰で震えていた精霊たちとは、全然違った。

 

『おはよう!』『おはよう、りあ!』

 

『ながかった!』『すっごく、ながかった!』

 

「……おはよう」

 

声が、かすれていた。喉が、乾いていた。

 

ゆっくりと、体を起こした。

 

手を見る。白くて、細い手。変わっていない。銀色の髪が、肩からさらりと流れ落ちた。きちんと梳かれていた。毛先まで、一本も絡まっていなかった。

 

着ている服は、知らない服だった。柔らかい、薄い緑色の、ゆったりとした寝間着。

 

「……ねえ」

 

精霊たちに、聞いた。

 

「俺、どれくらい寝てた?」

 

ハルトンの時は、三日だった。

 

今度は、もっと長いかもしれない。ひと月とか。もしかしたら、半年とか。

 

精霊たちは、楽しそうに、くるくると回った。

 

『じゅうごねん』

 

――え。

 

『じゅうごねん!』『じゅうごかい、ふゆがきた!』

 

『ながかった!』

 

頭の中が、真っ白になった。

 

十五年。

 

冗談だろう、と思った。精霊たちの数え方は、いつもいい加減だ。『とおくない』が、歩いて十日だったりする。

 

でも。

 

周りを見回した。

 

温室の植物。どれも、大きく育っていた。蔓は、天井の硝子の枠にまで絡みついていた。苔は、ふかふかに厚く積もっていた。何か月とか、一年とかで、こうはならない気がした。

 

寝台の脇に、小さな木の台が置いてあった。

 

その上に、硝子の花瓶。白い花が、何本か挿してあった。まだ、瑞々しかった。今朝か、昨日か、誰かが替えたばかりの花だ。

 

それから、花瓶の隣に。

 

木彫りの鳥が、ひとつ、置いてあった。

 

*

 

手のひらに乗るくらいの大きさだった。

 

下手くそだった。いや、下手くそってほどじゃない。先代の部屋で見た鳥よりは、ずっと上手だった。翼の左右の大きさも、ちゃんと揃っている。くちばしの形も、それらしい。

 

でも、やっぱり、素人の作ったものだった。

 

何度も、何度も、彫り直した跡があった。

 

手に取った。

 

指が、震えた。

 

ひっくり返した。

 

台座の裏に、文字が彫ってあった。角張った、少しだけ崩れた字だった。

 

『姉ちゃんへ トビより』

 

――息が、止まった。

 

木彫りの鳥。

 

台座の裏の、名前。

 

ユーディアへ。トマより。

 

トマ、すぐおおきくなった。

 

すぐ、おじいちゃんになった。

 

それで――

 

「……っ」

 

鳥を、胸に押し当てた。

 

手が、震えて、止まらなかった。

 

*

 

温室の入口の方で、扉の開く音がした。

 

足音が、近づいてくる。重い足音だった。革の長靴が、石畳を踏む音。それから、金属が、かちゃりと擦れる音。

 

植物の陰から、人が現れた。

 

背の高い、男の人だった。

 

二十代の後半くらい。短く刈った茶色い髪。日焼けした顔。顎の下に、細い古傷がひとつ。銀色の鎧の上に、青いマントを羽織っていた。マントの背に、金糸で、獅子の紋章が縫い取られていた。

 

王国の、騎士だった。

 

両腕に、籠を抱えていた。中に、摘みたての白い花と、赤い林檎が入っていた。

 

その人は、寝台の上で体を起こしている俺を見て。

 

ぴたりと、足を止めた。

 

籠が、腕から滑り落ちた。

 

林檎が、ころころと、苔の上を転がっていった。

 

*

 

知らない人だった。

 

知らない顔だった。

 

肩幅が広くて、背が高くて、腕が太かった。俺が見上げないと、顔が見えなかった。

 

でも、その人の腰に。

 

短剣が、差してあった。

 

使い込まれた、細身の短剣。擦り切れた革の鞘。柄に、組紐が巻いてあった。

 

銀と、緑と、白の糸。

 

すっかり色褪せて、ところどころほつれて、それでも、ちゃんと、柄に巻きついていた。

 

――エルフの里の、旅立ちの組紐でございます。剣の柄に巻いておけば、持ち主が必ず無事に帰ってこられるという、古いまじないです。

 

顔を、上げた。

 

その人の目を、見た。

 

茶色い目だった。

 

警戒した野良猫みたいな目。跳ね鹿亭の窓の外から、瞬きもせずに煮込みを見ていた目。塀の上から、なんだよ、と俺を睨んだ目。

 

今は、大きく見開かれて、真っ赤になっていた。

 

「……姉ちゃん?」

 

低い声だった。

 

十二歳の、少し高い声じゃなかった。大人の男の人の、低い声だった。

 

それでも、分かった。

 

「……トビ?」

 

*

 

トビの顔が、くしゃくしゃになった。

 

大股で、三歩で、寝台の前まで来た。そして、苔の上に、どさりと膝をついた。銀色の鎧が、がちゃんと鳴った。

 

大きな手が、俺の手をつかんだ。

 

硬かった。剣だこだらけだった。

 

マルタさんの手に、そっくりだった。

 

「――十五年だぞ」

 

トビの声が、震えていた。

 

「十五年だぞ、姉ちゃん……!」

 

「……うん」

 

「三日って言ったじゃねえか! すぐ起きるって! 約束だって!」

 

「……うん」

 

「約束、破りやがって……!」

 

トビは、俺の手を握りしめたまま、寝台の縁に額を押しつけた。

 

大きな肩が、震えていた。

 

声を殺して、泣いていた。

 

十二歳の時と、同じ泣き方だった。

 

雨の夜。三日目の朝。東門の夜。泣くのを我慢して、我慢しきれなくて、唇を噛みながら泣く、あの泣き方だった。

 

「……ごめん」

 

俺は、空いている方の手で、トビの頭に触れた。

 

短く刈った、茶色い髪。

 

ぼさぼさじゃなかった。

 

「ごめんな、トビ」

 

トビは、顔を上げなかった。

 

しばらく、そのまま、肩を震わせていた。

 

それから、くぐもった声で言った。

 

「……起きたから、いい」

 

*

 

温室の中に、精霊たちの光が、ふわふわと漂っていた。

 

転がった林檎のひとつに、小さな光がとまって、ぽわぽわと明滅していた。

 

トビが、ようやく顔を上げた。

 

目が、真っ赤だった。鼻も、真っ赤だった。二十七歳の、王国騎士の顔が、ぐしゃぐしゃだった。

 

俺の手の中の、木彫りの鳥に気づいた。

 

「……あ」

 

トビの耳が、赤くなった。

 

「それ、見たのかよ」

 

「見た」

 

「下手くそだろ」

 

「……上手だよ」

 

本当だった。

 

先代の部屋の鳥より、ずっと上手だった。

 

「十年くらい、かかったけどな。最初のは、鳥に見えなかった。マルタに、芋虫かって言われた」

 

トビは、照れたように笑った。

 

笑い方は、十二歳の時と、変わっていなかった。

 

マルタ、と、トビは言った。

 

胸の奥が、どきりとした。

 

聞きたいことが、山ほどあった。

 

マルタさんは。セレスさんは。ハンナさんは。ツノさんは。ヴァルドは。クラウスは。ニナさんは。南の雨は。風車は。

 

十五年。

 

十五年の間に、何が起きたのか。誰が、どうなったのか。

 

口を開いて、それから、閉じた。

 

怖かった。

 

聞くのが、怖かった。

 

トビは、そんな俺の顔を、じっと見ていた。

 

それから、少しだけ笑った。

 

大人の顔で。

 

「……話すことは、いっぱいある。全部、ちゃんと話す」

 

トビは、俺の手を、もう一度、ぎゅっと握った。

 

「でも、その前に」

 

茶色い目が、まっすぐに俺を見ていた。

 

「――おかえり、姉ちゃん」

 

硝子の天井から、午後の光が降り注いでいた。

 

温室中の精霊たちが、ぽわっと、一斉に明るくなった。

 

俺は、木彫りの鳥を胸に抱いたまま、トビの大きな手を、握り返した。

 

「……ただいま」

 

(第二部 王都編 了)

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
点
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

TS異世界転移したので最強無双ダウナーお姉さんごっこをします(作者:ゆきゆき(ダウナーお姉さん(本物)))(オリジナル:ファンタジー/冒険・バトル)

大学生の主人公は、いつの間にやら美女ボディで異世界に居た。でっけぇ胸にでっけぇ夢を詰め込みながら、彼……あるいは彼女はこう考える。▼「ダウナーお姉さんごっこがしたい!」▼片手には小さな竪琴を。もう片方の手は握り締めて敵をぶん殴る。▼吟遊詩人系TSダウナーお姉さん(要審議)の爆誕である。▼カクヨムでも掲載しています。


総合評価:1398/評価:7.98/連載:32話/更新日時:2026年10月26日(月) 07:01 小説情報

うわぁぁ!!! エルフだ!!??!(作者:葛城)(オリジナル:ファンタジー/日常)

例によって例のごとく、神様のミスで異世界TS転生しただけでなくエルフになった人の話▼なお、異世界ではエルフはお伽噺の住人扱いされるぐらいで、本当にエルフっていたんだって超驚かれる存在である▼※セルフレイティングは、いちおう念のため


総合評価:4460/評価:8.24/連載:14話/更新日時:2026年08月19日(水) 17:01 小説情報

TS女神の地球救済政策 ~26年かけて異世界を救った元勇者、絶世の女神になって帰還したら地球が滅びかけていたので、ダンジョン災害で救います~(作者:TS女神)(オリジナル:現代/冒険・バトル)

高校二年生だった高瀬悠真は、気まぐれな邪神によって異世界へ放り込まれた。▼そこは魔王によって人類が最後の一国まで追い詰められた、滅亡寸前の世界。▼それから二十六年。▼勇者となった悠真はついに魔王を倒し、さらには自分を異世界へ送り込んだ邪神まで撃破する。▼しかし、その代償――というより邪神からの余計な置き土産によって、悠真は絶世の美女神へと姿を変えてしまった。…


総合評価:1007/評価:8.21/連載:18話/更新日時:2026年10月27日(火) 07:05 小説情報

村長ってマ?(作者:はじめてのERUHU)(原作:葬送のフリーレン)

死んだらエルフにTS転生した。▼村長の役割押し付けられた。▼村民にフリーレンがいた。▼終わり。▼はっちゃけすぎたので一回書き直すために今週辺りで消します。


総合評価:597/評価:7.67/連載:3話/更新日時:2026年10月16日(金) 20:09 小説情報

猫人族のTS転生者、自由に生きたら周囲にやたらと絡まれる(作者:にゃーん)(オリジナル:ファンタジー/冒険・バトル)

「今度こそ自由な人生を」▼無為でブラックな社畜生活で命を落としたTS転生者のルルクは、自由に生きることを望んだ。▼誰にも縛られず、その時の自分がしたいことをする。▼そんな憧れの生活をするための能力と立場を、手に入れたからだ。▼しかしどういうわけか、周囲はそんなルルクをやたらと構おうとしてくる。▼好意でそうしてくれているので無碍にはしないが、どうも自分のことを…


総合評価:564/評価:7.67/連載:3話/更新日時:2026年08月02日(日) 12:05 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>