【TS】世界樹から実ったハイエルフ(中身は元社畜)、八百年ぶりの上位種として崇められていますが、人間の町でのんびり暮らしたいだけです   作:月白イツキ

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第36話 煮込みが冷める

結論から言う。

 

また、馬車に酔った。

 

「……うっ」

 

「姉ちゃん、十五年経っても、それかよ」

 

向かいの席で、トビが呆れたように笑っていた。その膝の上で、ミアが、きゃっきゃと手を叩いていた。リナさんが、申し訳なさそうに俺の背中をさすってくれていた。セレスさんは、窓の外に向かって、相変わらず慣れた手つきで手を振っていた。

 

『りあ、ぐるぐる?』『また、ぐるぐる?』

 

「……頼む。浮かせて」

 

『はーい』

 

ふわりと、馬車が浮いた。御者の人が、「おお」と小さく声を上げた。

 

「これが、噂の宙を走る馬車か……」

 

十五年経っても、噂は残っているらしい。

 

*

 

街道沿いの景色は、十五年前とは違っていた。

 

村という村に、風車が立っていた。木の四枚羽根が、風もないのに、のんびりと回っている。羽根の角度は、たぶん、十五度だ。

 

途中の宿場の宿の食堂で、見覚えのある本を見つけた。

 

『ハイエルフ様語録 ~銀の御方の、深遠なる御言葉の数々~ 第二十刷』

 

「……二十刷」

 

「大変な評判でございます」

 

セレスさんが、誇らしげに言った。

 

「続巻も、出ております」

 

「続巻!?」

 

「わたくしが、温室で十五年分、書き溜めましたので」

 

「寝てた人の言行録って、何が書いてあるんですか」

 

「御寝顔の美しさについて、三百頁ほど」

 

「出版しないでください」

 

*

 

十日目の夕方、草原の向こうに、町が見えた。

 

ハルトンだった。

 

十五年前より、少しだけ大きくなっていた。木の柵の外側に、新しい家がいくつも建っている。石の壁が、少し高くなっていた。

 

東門が、見えた。

 

石造りの、立派な門になっていた。門柱の上に、大きな鹿の彫刻が載っていた。角に、花が咲いている鹿。

 

「……あれ」

 

「森のぬしだってさ。東門を建て直す時に、町の連中が彫ったんだ」

 

トビが、窓の外を指さした。

 

「で、あっちが、ハイエルフの花畑」

 

東門の外の畑一面に、白い花と、青い花と、星みたいな黄色い花が、風に揺れていた。

 

十五年前の、あの夜。森のぬしが帰っていった後に、枯れた畑に咲いた花。

 

「毎年、春になると、勝手に咲くんだ。町の連中、畑にしようとしたけど、何回耕しても、次の年にはまた花が咲くから、諦めたらしい」

 

『あれ、みんなで、さかせてる』

 

精霊たちが、得意げに明滅した。

 

花畑のずっと向こう、黒樫の森の縁に、ひときわ大きな木が立っていた。

 

枝分かれした、巨大な角みたいな形の、黒樫の木。

 

十五年前より、少し、大きくなっていた。

 

*

 

馬車は、北門から町に入った。

 

門の前に、若い衛兵が二人立っていた。それから、門の脇に置かれた木の椅子に、ひとりの年寄りが座っていた。

 

白い髭。曲がった背中。杖。

 

それから、頭に、古ぼけた兜をかぶっていた。

 

年寄りは、馬車から降りた俺を見て、ゆっくりと立ち上がった。

 

「……来ると思ってよ」

 

しわがれた声だった。

 

「十五年、門の脇に座ってた甲斐があったってもんだ」

 

「……ゲイルさん」

 

「おう」

 

ゲイルさんは、杖をつきながら、髭面をくしゃくしゃにして笑った。

 

「引退してな。今は、ただの門の脇の爺だ。……今日は、これ、かぶってきた」

 

ゲイルさんは、頭の兜を、こんこんと指で叩いた。

 

十五年前に、門の前で、すぽんと飛んでいった兜だった。

 

「……やってくれるか?」

 

「え」

 

「あれだよ、あれ。あの風だ」

 

ゲイルさんの目が、子どもみたいに輝いていた。

 

俺は、少しだけ迷ってから、肩の上の精霊に、小声で頼んだ。

 

「……そっとね」

 

『はーい!』

 

ひゅう、と、一陣の風が、門の前を吹き抜けた。

 

ゲイルさんの兜が、すぽんと頭から外れて、宙を舞った。

 

からん、からん、と、石畳の上を転がっていく。

 

「――これだ!」

 

ゲイルさんが、腹を抱えて笑い出した。

 

「これだこれだ! あっははは!」

 

笑いすぎて、杖をついたまま、涙を拭っていた。若い衛兵たちが、ぽかんとした顔で、それを見ていた。

 

――ゲイルさんの兜を、もう一回だけ飛ばす。

 

*

 

市場の広場は、十五年前と同じ場所にあった。

 

屋台の数が、少し増えていた。でも、広場の隅の、あの屋台は、同じ場所にあった。

 

『角兎の串焼き 銅貨三枚』

 

看板の字は、相変わらず下手くそだった。値段も、変わっていなかった。

 

炭火の前で、腕の太い男の人が、串を転がしていた。

 

――親父さん、と言いかけて、止まった。

 

似ていた。でも、若すぎた。三十代くらいだ。

 

「いらっしゃい! ……ん?」

 

男の人が、俺の顔を見て、手を止めた。

 

「……親父!」

 

男の人が、屋台の後ろを振り返って、叫んだ。

 

「親父! 来たぞ! 銀髪の、泣き虫の!」

 

屋台の後ろに、小さな木の椅子があった。

 

そこに、痩せた、白髪の老人が、座っていた。

 

膝に毛布をかけて、背中を丸めて、うつらうつらと居眠りをしていた。

 

老人が、ゆっくりと、目を開けた。

 

濁った目が、俺を見た。

 

しばらく、何も言わなかった。

 

それから、しわだらけの顔が、ゆっくりと、くしゃりと歪んだ。

 

「……泣き虫の、嬢ちゃん」

 

かすれた声だった。

 

「帰ってきたか」

 

「……はい」

 

喉が、詰まった。

 

「帰ってきました」

 

親父さんは、毛布の下から、骨ばった手を伸ばして、手招きした。

 

「で」

 

「……え」

 

「どっちがうまかった」

 

――帰ってきたら、どっちがうまかったか教えろ。

 

「……どっちも、うまかったです」

 

俺は、言った。

 

「王都の串焼きも。ここの串焼きも。……でも」

 

「でも?」

 

「ここの方が、ちょっと、しょっぱいです」

 

親父さんは、一瞬、きょとんとした。

 

それから、ひゃっひゃっと、空気が漏れるみたいな声で笑い出した。

 

「そりゃ、そうだ。うちは、塩、振りすぎなんだよ」

 

「親父、それ言っちゃだめだろ!」

 

屋台の息子さんが、慌てて叫んだ。

 

親父さんは、まだ笑っていた。笑いながら、息子さんに言った。

 

「おい。一本、焼いてやれ。塩、多めでな」

 

*

 

熱かった。

 

しょっぱかった。

 

粗い塩が、舌の上でじゃりっと砕けた。噛んだら、脂がじゅわっとあふれた。焦げたところが苦くて、香ばしくて、ところどころ、ちょっとだけ生焼けだった。

 

雑な味だった。

 

十五年前と、まったく同じ、雑な味だった。

 

「……うっま」

 

前が、見えなくなった。

 

親父さんが、椅子の上で、ひゃっひゃっと笑っていた。

 

「やっぱり、泣くんだな」

 

*

 

ギルドにも、寄った。

 

建物は、同じだった。扉を開けると、カウンターがあって、掲示板があって、冒険者たちがいた。顔ぶれは、全部、知らない人だった。

 

カウンターの奥の、ギルド長の机に、ひとりの女の人が座っていた。

 

栗色の髪を、きっちりとひとつに束ねていた。四十代くらい。目の下に、うっすらと隈がある。

 

眠そうな顔で、書類に判を押していた。

 

女の人が、顔を上げた。

 

眠そうな目が、俺を見た。

 

判を押す手が、止まった。

 

「……E級の、リアさん」

 

「……ペトラさん」

 

ペトラさんは、判を置いて、ゆっくりと立ち上がった。

 

カウンターを回って、俺の前まで来た。

 

それから、眠そうな顔のまま、ぼそっと言った。

 

「おかえりなさい」

 

「……ただいま、です」

 

「依頼、溜まってますよ」

 

「えっ」

 

「猫探しが、三件」

 

ペトラさんは、掲示板の端を指さした。F級とE級向けの依頼が、まとめて貼られている場所だった。

 

『迷い猫探し 三毛、名前はミーシャ二世』

 

「……二世」

 

「仕立て屋のお婆さんの、お孫さんの猫です。……先代のミーシャは、十年前に」

 

ペトラさんは、それ以上は言わなかった。

 

ギルド長室の壁に、肖像画がひとつ、掛かっていた。片腕の、白い髭の、がっしりしたおじいさん。

 

「ギルド長は、六年前に」

 

ペトラさんが、静かに言った。

 

「……そうですか」

 

「最後まで、言ってました。あのF級のエルフは、ちゃんとC級まで上がるのかって」

 

――はっはっは! そうか、そうか! 借金か!

 

片腕で机を叩いて笑っていた、ボルクさんの声を思い出した。

 

「……上がります」

 

俺は、言った。

 

「ちゃんと、自分で」

 

ペトラさんは、何も言わなかった。

 

ただ、眠そうな目を、ほんの少しだけ細めた。

 

笑ったんだと、思う。

 

*

 

跳ね鹿亭は、市場から少し外れた路地の、同じ場所にあった。

 

二階建ての、古い木造の建物。入口の上に吊るされた、跳ねる鹿の看板。看板は、塗り直されていた。鹿が、前より少しだけ、立派になっていた。

 

扉の前で、足が止まった。

 

中から、匂いがしていた。

 

豆と、根菜と、腸詰めの煮込みの匂い。

 

――ハンナさんの、煮込みの匂いだった。

 

手を、扉の取っ手にかけた。

 

開けられなかった。

 

怖かった。

 

ハンナさんが、いない。この扉を開けても、厨房の奥から、恰幅のいい体を揺らして、「まあまあ、痩せっぽちが帰ってきた!」と飛び出してくる人は、いない。

 

分かっていた。

 

分かっていたけど、扉を開けたら、それが本当になってしまう気がした。

 

「姉ちゃん」

 

後ろで、トビが、静かに言った。

 

「……開けな。中で、待ってる」

 

俺は、ひとつ、息を吸った。

 

扉を、開けた。

 

*

 

熱気と、喧騒が、押し寄せてきた。

 

一階の食堂は、十五年前と同じだった。長いテーブルが並んでいて、冒険者たちが、木のジョッキを打ち鳴らして笑っていた。知らない顔ばかりだった。

 

厨房の奥の、カウンターの向こうに。

 

ひとりの女の人が、立っていた。

 

背が高かった。肩幅が広かった。白い前掛けを、腰で雑に結んでいた。袖をまくり上げた腕は、太くて、古い傷痕がいくつもあった。

 

短く刈った髪は、赤かった。

 

その赤の中に、白いものが、ところどころ、混じっていた。

 

左の頬に、古い刀傷がひとつ。

 

女の人は、大きな鍋をかき混ぜていた。木べらを持つ手が、止まった。

 

ゆっくりと、こっちを振り返った。

 

目が、合った。

 

――食堂の喧騒が、遠くなった気がした。

 

マルタさんは、何も言わなかった。

 

木べらを、鍋の縁に、かたんと置いた。

 

それから、前掛けで手を拭いて、カウンターを回って、大股で、こっちに歩いてきた。

 

目の前で、止まった。

 

見上げた。

 

日焼けした顔に、細かいしわが増えていた。目尻にも、口元にも。十五年分の、しわだった。

 

「……遅えよ」

 

低い声だった。

 

「……すみません」

 

大きな手が、俺の頭の上に、置かれた。

 

それから、ぐいっと、引き寄せられた。

 

マルタさんの胸に、顔が埋まった。煮込みの匂いと、汗の匂いと、それから、ほんの少しだけ、昔と同じ、革と鉄の匂いがした。

 

「十五年だぞ」

 

頭の上で、マルタさんの声が、一度だけ、かすれた。

 

「十五年だぞ、馬鹿」

 

「……はい」

 

声が、出なかった。

 

マルタさんの前掛けを、両手で握りしめて、泣いた。

 

マルタさんは、何も言わなかった。

 

ただ、大きな手で、俺の頭を、ぐしゃぐしゃにかき回していた。

 

食堂の冒険者たちが、何事かと、こっちを見ていた。

 

マルタさんが、顔を上げずに、怒鳴った。

 

「見てんじゃねえ! 飯食え!」

 

*

 

「座れ」

 

しばらくして、マルタさんは、俺を食堂の隅の席に押し込んだ。

 

十五年前、初めてこの宿に来た夜に、座った席だった。

 

「煮込み、食え」

 

木の椀が、どん、とテーブルに置かれた。

 

山盛りの煮込みだった。豆と、根菜と、ぶつ切りの腸詰めが、茶色いスープの中でごろごろしている。湯気が、立ちのぼっていた。

 

匙で、ひとさじ、すくった。

 

口に入れた。

 

――塩辛かった。

 

腸詰めの脂が、スープにしみ出していた。豆が、ほくほくしていた。根菜が、くたくたに煮えていた。

 

同じ味だった。

 

ハンナさんの煮込みと、まったく、同じ味だった。

 

「……ハンナさんに、死ぬほど叩き込まれた」

 

向かいの席に、どかっと座って、マルタさんが言った。

 

「寝たきりになってから、毎日、枕元に鍋持ってこさせてな。味見して、違う、塩が足りない、豆の煮え方が甘い、って。……一年かかった。ようやく、まあこれならいいだろう、って言われた時には、もう、自分じゃ一口も食えなくなってた」

 

マルタさんは、自分の前に置いたエールのジョッキを、じっと見つめていた。

 

「最後まで、言ってたよ。あの痩せっぽちが起きたら、これを、うんと食わせろって」

 

匙を持つ手が、震えた。

 

もう一口、食べた。

 

もう一口。

 

涙が、椀の中に落ちた。塩辛いのが、もっと塩辛くなった。

 

「……うまい」

 

「うまいです」

 

マルタさんは、黙って、俺が食べるのを見ていた。

 

それから、ふっと、口元を緩めた。

 

「……泣くほどか?」

 

俺は、煮込みを口いっぱいに頬張ったまま、こくこくと頷いた。

 

「なくほろ、れす」

 

マルタさんが、吹き出した。

 

食堂中に響くような、豪快な笑い声だった。

 

*

 

その夜、屋根裏の部屋に案内された。

 

「誰にも貸してねえ。十五年」

 

マルタさんが、ぶっきらぼうに言った。

 

天井が斜めで、まっすぐ立つと頭がつかえそうになる部屋。小さな窓。木の枠に藁を詰めた袋を載せただけの寝台。

 

藁だけは、新しかった。

 

「毎年、春に、藁だけ替えてた。……ハンナさんが、そうしろって言ったからな」

 

寝台に、横になった。

 

藁が、ちくちくと背中を刺した。

 

小さな窓から、星が見えた。下の通りから、酔っ払いの調子っぱずれな歌声が聞こえてきた。どこかで、犬が吠えていた。

 

王宮の温室の、苔の寝台は、柔らかくて、静かで、いい匂いがした。

 

こっちは、ちくちくして、うるさくて、ちょっと埃っぽい。

 

千年の神殿より、王宮の温室より、ずっといい。

 

「……おい」

 

扉のところで、マルタさんが、腕を組んで立っていた。

 

「あの時の話な」

 

「……あの時?」

 

「塔の地下で。C級になったら話すって言った、あれだ」

 

マルタさんの目が、薄暗がりの中で、じっと俺を見ていた。

 

「まだ、話す気はねえのか」

 

俺は、藁の寝台の上で、体を起こした。

 

C級になったら、と言った。あの時は、それで逃げられると思った。

 

でも、この人は、十五年待った。毎年、春に、苔の上に座って。

 

「……話します」

 

マルタさんの眉が、少しだけ上がった。

 

「C級は、まだですけど。……待たせすぎたので」

 

マルタさんは、黙って、扉の脇の壁にもたれた。腕は、組んだままだった。

 

「あの日。炉を開けたら、長く眠るかもしれないって、知ってました」

 

「……」

 

「精霊たちから、聞いてたんです。長い時は、十年眠ることもあるって。セレスさんにだけ話して、トビとマルタさんには言わないでって、頼みました」

 

小さな窓の外で、酔っ払いの歌が、途切れた。

 

「言ったら、止められると思ったから」

 

マルタさんは、しばらく、何も言わなかった。

 

それから、壁から背を離して、寝台の前まで来た。

 

拳を、作った。

 

こつん、と。俺の頭を、軽く、叩いた。

 

痛くはなかった。

 

「止めたに、決まってんだろ」

 

「……はい」

 

「首根っこ掴んで、地上まで引きずり戻してた。……で、あんたは、それでも行っただろうな。あたしの手、振りほどいて。息切らしながら、ふらふら、あの結晶のとこまで」

 

「……たぶん」

 

「だろうな」

 

マルタさんは、短く息を吐いた。

 

「だからって、黙ってていい理由にはならねえ」

 

低い声だった。

 

「止めたかもしれねえ。止められなかったかもしれねえ。……それでも、一緒に考えたかった。あんたが寝てる間、十五年、ずっとそれを考えてた」

 

何も、言えなかった。

 

「次は、言え」

 

「……はい」

 

「次は、ってのは、次があっていいって意味じゃねえぞ」

 

「はい」

 

「……なら、いい」

 

大きな手が、俺の頭の上に置かれた。ぐしゃぐしゃに、髪をかき回された。

 

「借金は、別だからな。C級になって、自分で返せ」

 

「……はい」

 

マルタさんは、扉の取っ手に手をかけて、背を向けた。

 

「寝ろ。明日、ハンナさんの墓に行くぞ」

 

扉が、閉まった。

 

階段を降りていく足音が、途中で、一度だけ止まった。

 

それから、また、降りていった。

 

藁が、ちくちくした。

 

俺は、木彫りの鳥を枕元に置いて、目を閉じた。

 

――ただいま。

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