【TS】世界樹から実ったハイエルフ(中身は元社畜)、八百年ぶりの上位種として崇められていますが、人間の町でのんびり暮らしたいだけです   作:月白イツキ

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第37話 十五年と、三百年

ハンナさんの墓は、町の北の外れの、小さな丘の上にあった。

 

町の人たちの墓が、緩やかな斜面に、ぽつりぽつりと並んでいる。その中ほどに、灰色の、角の丸い石が、ひとつ。

 

『ハンナ 跳ね鹿亭の女将』

 

それだけ、刻まれていた。

 

墓石の前に、小さな木の匙が、ひとつ、置いてあった。煮込みをかき混ぜる時に使う、使い込まれた木べらだった。

 

「ハンナさんが、三十年使ってたやつだ」

 

マルタさんが、隣で言った。

 

「最後まで、これで味見させろってうるさかったからな。……一緒に、置いといた」

 

俺は、墓の前にしゃがみ込んだ。

 

手には、油紙の包みを持っていた。来る途中に、市場の串焼き屋で買ってきたやつだ。親父さんの息子さんが、塩多めで焼いてくれた。

 

包みを、墓石の前に、そっと置いた。

 

「……ハンナさんは、串焼きより、煮込みだろ」

 

マルタさんが、呆れたように言った。

 

「煮込みは、昨日、いっぱい食べたので」

 

「だから何だよ」

 

「食べたって、報告です」

 

マルタさんは、何か言いかけて、やめた。

 

俺は、墓石に向かって、話しかけた。

 

「ハンナさん。ただいま」

 

風が、丘の草を揺らしていた。

 

「煮込み、食べました。マルタさんの。……ハンナさんのと、まったく同じ味でした。マルタさん、一年かかったって」

 

「余計なこと言うな」

 

「それから、えっと」

 

少し、考えた。

 

「痩せっぽちじゃ、なくなりました。……たぶん」

 

「変わってねえよ」

 

後ろから、即座に突っ込まれた。

 

「ハイエルフは、太らないので」

 

「言い訳すんな」

 

マルタさんが、俺の頭を、軽くはたいた。

 

痛くはなかった。

 

俺は、墓石の、角の丸いところに、そっと手を置いた。

 

冷たくて、少しだけ、日に温まっていた。

 

「……拾ってくれて、ありがとうございました」

 

「ハンナさんの宿で、よかったです」

 

丘の上を、風が吹き抜けていった。

 

墓石の前の、油紙の包みの上に、小さな光の粒がひとつ、ふわりと降りてきた。

 

かまどの精霊だった。跳ね鹿亭の厨房の、かまどに住んでいる子だ。

 

『ハンナ、いいひとだった』

 

小さな声だった。

 

『まいにち、ひ、おこしてくれた』『まいにち、ありがとうって、いってくれた』

 

「……そっか」

 

『いまは、マルタが、いってくれる』

 

後ろで、マルタさんが、何かをごまかすみたいに咳払いをした。

 

*

 

丘を降りる途中で、マルタさんが、ぼそっと聞いた。

 

「で。あんた、これからどうすんだ」

 

「……森に、帰ります」

 

懐の中の、小さな木の箱に、手を当てた。

 

「先代の手紙を、読みに。大樹の根元で、読もうと思って」

 

「それから?」

 

答えられなかった。

 

それから、どうするのか。

 

先代は、人間が好きだった。好きな人間を、全部見送って、三百年、部屋に籠もって、最後は大樹へ還った。

 

俺は、どうするんだろう。

 

マルタさんは、俺の沈黙を、しばらく黙って聞いていた。

 

それから、前を向いたまま、言った。

 

「ここに、戻ってこいよ」

 

「……え」

 

「屋根裏、空けとくから」

 

ぶっきらぼうな声だった。

 

「藁も、春になったら替えといてやる」

 

俺は、マルタさんの横顔を見上げた。

 

赤い髪に、白いものが混じっていた。目尻に、細かいしわがあった。

 

「……はい」

 

*

 

北門を出て、草原の中の道を、半日。

 

今度は、ポンタじゃなかった。ポンタは、十年前に、天寿をまっとうしたらしい。代わりに、跳ね鹿亭の荷運びには、ポンタ二世という、やっぱりやる気のない目をしたロバがいた。

 

俺は、ポンタ二世の背中に揺られていた。トビが、手綱を引いていた。その後ろを、ミアを抱いたリナさんと、セレスさんと、マルタさんが歩いていた。

 

草原の向こうに、深い森の縁が見えてきた。

 

アルヴの森。

 

十五年前に、ツノさんと別れた場所。

 

『……りあ』

 

肩の上で、精霊が、小さく言った。

 

『おおつのさん、いる』

 

『ずっと、いる』

 

森の縁の、草の上に。

 

大きな、灰色がかった緑色の塊が、横たわっていた。

 

最初は、苔むした岩だと思った。それくらい、苔がびっしりと生えていた。蔦が絡まって、小さな白い花が、あちこちに咲いていた。

 

それが、ゆっくりと、動いた。

 

苔むした枝が、二本、持ち上がった。

 

枝じゃない。角だ。

 

大きな頭が、ゆっくりと、こっちを向いた。

 

深い、深い、琥珀色の目が、俺を見た。

 

*

 

気づいたら、ポンタ二世の背中から、滑り降りていた。

 

走った。

 

草の上を。

 

すぐに、息が切れた。

 

膝が笑った。

 

足がもつれた。

 

それでも、走った。

 

最後は、ツノさんの鼻先に、倒れ込むみたいにしがみついた。

 

温かかった。

 

土と、若葉の匂いがした。十五年前と、まったく同じ匂いだった。

 

「……ただいま、ツノさん」

 

息が切れて、声がかすれた。

 

「遅くなって、ごめん」

 

ふすっ、と。

 

大きな鼻息が、俺の顔にかかった。

 

『おかえりって』

 

精霊が、通訳した。

 

『じゅうごねん、まったって』

 

「……ごめん」

 

『でも』

 

精霊の光が、ぽわっと、明るくなった。

 

『さんびゃくねんより、ずっと、みじかいって』

 

――息が、止まった。

 

『まえのこは、かえってこなかった』

 

『りあは、かえってきた』

 

ツノさんの、大きな鼻先が、俺の胸に、そっと押し当てられた。

 

――俺は、帰ってくる。絶対に。

 

「……うん」

 

ツノさんの鼻先に、額を押しつけた。

 

「帰ってきた」

 

遅くなったけど。十五年も、待たせたけど。

 

*

 

「――ほら」

 

後ろから、トビの声がした。

 

振り返ると、トビが、赤い林檎をひとつ、手に持って立っていた。

 

「約束だったろ。ツノさんに、林檎やるって」

 

トビは、ツノさんの前に進み出た。

 

十五年前は、背伸びをしないと、林檎がツノさんの口に届かなかった。

 

今は、背伸びをしなくても、届いた。

 

「……覚えてるか、おれのこと」

 

ツノさんは、トビの顔を、琥珀色の目で、じっと見つめた。

 

それから、トビの手のひらから、ぱくりと林檎をくわえた。

 

しゃりっ、と音がした。

 

『おおきくなったなって』

 

精霊が、通訳した。

 

「……トビ。大きくなったなって」

 

トビが、くしゃっと顔を歪めた。

 

笑ったのか、泣きそうになったのか、分からなかった。

 

「……当たり前だろ。十五年だぞ」

 

トビの肩の上に、リナさんが、ミアを座らせた。

 

ミアは、目の前の巨大な鹿を見て、目をまん丸にしていた。それから、小さな手を伸ばして、ツノさんの鼻先に、ぺたりと触った。

 

ツノさんが、ふすっと鼻を鳴らした。

 

ミアが、きゃーっと声を上げて笑った。

 

『このこも、おおきくなるって』

 

精霊が、言った。

 

『おおつのさん、みてるって』

 

*

 

「ツノさん」

 

俺は、もう一度、大きな鼻先に手を当てた。

 

「森に、帰りたいんだ。大樹のところまで。先代の手紙を、読みに」

 

琥珀色の目が、静かに俺を見ていた。

 

「……乗せてくれる?」

 

ツノさんは、ゆっくりと、膝を折った。

 

苔むした大きな背中が、草の上に、低く下りてきた。

 

『いいって』

 

『まえのこも、さいごに、ここから、のせてかえったって』

 

――最後に。

 

「……リア」

 

マルタさんの声がした。

 

振り返った。

 

マルタさんが、腕を組んで、こっちを見ていた。

 

何か言いたそうな顔だった。でも、何も言わなかった。

 

「読んだら、帰ってきます」

 

俺は、言った。

 

「ちゃんと」

 

マルタさんは、しばらく俺の顔を見ていた。

 

それから、ふっと鼻で笑った。

 

「知ってる」

 

それだけ言って、そっぽを向いた。

 

耳が、ちょっとだけ赤かった。

 

*

 

ツノさんの背中に、またがった。

 

セレスさんも、俺の後ろに、おそるおそる乗った。ツノさんが、ちらりとセレスさんを振り返って、ふすっと鼻を鳴らした。

 

『まいごのこ、のせてやるって』

 

「……セレスさん。ツノさんが、迷子の子を乗せてやるって」

 

「も、森守様……! わたくしは、もう、迷子では……」

 

セレスさんの耳が、真っ赤になっていた。

 

ツノさんが、ゆっくりと立ち上がった。

 

視界が、ぐんと高くなった。

 

草原が、見下ろせた。トビと、リナさんと、ミアと、マルタさんが、こっちを見上げていた。ずっと向こうに、ハルトンの町の屋根が見えた。煙突から、夕飯の煙が、細く立ちのぼっていた。

 

「行ってきます」

 

トビが、手を振った。ミアが、真似して、小さな手をぱたぱたと振った。リナさんが、頭を下げた。

 

マルタさんは、腕を組んだまま、片手だけ、軽く上げた。

 

ツノさんが、森の中へ、歩き出した。

 

*

 

森が、道を開けた。

 

枝が持ち上がる。茂みが左右に分かれる。

 

そして、俺が通ると、花が咲いた。

 

白い花。青い花。小さな星みたいな黄色い花。

 

十五年前、新月の夜に、森を出た時と同じだった。

 

『おかえり』

 

森の精霊たちの声が、聞こえた。

 

『おかえり』『おかえり、りあ』『ながかったね』

 

「……ただいま」

 

小さく、答えた。

 

振り返ると、通ってきた道に、花の列ができていた。

 

その向こうで、マルタさんが、まだ、片手を上げていた。

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