【TS】世界樹から実ったハイエルフ(中身は元社畜)、八百年ぶりの上位種として崇められていますが、人間の町でのんびり暮らしたいだけです   作:月白イツキ

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第38話 次の子へ

三日目の夕方、木々の向こうに、空を覆うほどの巨木が見えてきた。

 

大樹、アルヴ・オルド。

 

枝葉が、雲の高さで広がっている。その隙間から落ちてくる光が、金色の粒になって漂っている。

 

十五年と、少し。

 

あの木の実から転がり落ちて、背中を打った日から、そのくらいしか経っていない。

 

でも、ずいぶん、遠くまで行ってきた気がした。

 

*

 

エルフの里は、少しだけ、変わっていた。

 

ツノさんが里の入口に姿を現すと、見張りの若いエルフが、慌てて角笛を吹いた。あっという間に、里中のエルフたちが集まってきた。

 

そして、平伏した。

 

――やっぱり、それは変わらないのか。

 

と思ったら、違った。

 

平伏したのは、最前列の年寄りたちだけだった。後ろの方の若いエルフたちは、立ったまま、深くお辞儀をしているだけだった。何人かは、顔を上げて、興味津々といった目で、俺を見ていた。

 

「……あれが、リア様……」 「語録の……」 「お肉の……」

 

お肉の、ってなんだ。

 

人垣が割れて、ひとりの老人が、杖をついて前に出てきた。

 

真っ白な、長い髭。しわだらけの顔。背中が、十五年前より、もう少しだけ曲がっていた。

 

最長老の、オーベルさんだった。

 

オーベルさんは、ツノさんの前で、ゆっくりと膝をついた。

 

「……おかえりなさいませ、リア様」

 

しわがれた声だった。

 

「――探しは、いたしませんでした」

 

俺は、思わず、後ろに座っているセレスさんを振り返った。

 

セレスさんは、空を見上げていた。

 

「……知ってます」

 

*

 

神殿は、残っていた。

 

でも、朝の讃美歌は、一時間から、四半刻に短くなっていた。

 

「リア様の御意向を、汲みまして」

 

オーベルさんが、少し恥ずかしそうに言った。

 

「御言行録――いえ、人間の町では語録と申すそうですが――を、皆で読みましてな。リア様が、神殿を窮屈に思われていたことを、ようやく理解いたしました」

 

神殿前の広場には、『なんとかなる』の石碑が、相変わらず立っていた。その隣に、新しい石碑がひとつ増えていた。

 

『お肉とかって』

 

「……なんで、これを石碑に」

 

「若い者たちが、どうしても、と」

 

オーベルさんは、遠い目をした。

 

「最近、里の若者の一部が、その……獣の肉を、口にし始めておりましてな。リア様の御言葉に倣う、と申して」

 

後ろで、セレスさんが、ものすごく気まずそうな顔で、目を逸らしていた。

 

*

 

神殿の最上階の、先代の部屋は、十五年前と同じだった。

 

小さな部屋。寝台がひとつ。机がひとつ。椅子がひとつ。南向きの窓。

 

埃ひとつ、落ちていなかった。

 

『きれいでしょ』

 

精霊たちが、得意げに部屋の中を飛び回った。

 

『ずっと、そうじしてた』

 

「……うん。ありがとう」

 

机の上に、木彫りの鳥が、ひとつ。

 

翼の左右の大きさが違う。くちばしが妙に太い。どう見ても素人の、子どもの作ったもの。

 

『ユーディアへ トマより』

 

八百年経った今も、南の窓の方を向いていた。

 

俺は、懐から、もうひとつの木彫りの鳥を取り出した。

 

翼の左右は、揃っている。くちばしも、それらしい。でも、やっぱり、素人の作ったもの。何度も、何度も、彫り直した跡がある。

 

『姉ちゃんへ トビより』

 

トマの鳥の、隣に、そっと置いた。

 

同じように、南の窓の方を向けて。

 

二羽の、下手くそな木彫りの鳥が、並んでいた。

 

八百年離れて。

 

同じ窓の方を向いて。

 

「……しばらく、ここで、待っててね」

 

トビの鳥に、言った。

 

「読んだら、迎えに来るから」

 

*

 

その夜、大樹の根元に座った。

 

十五年前、木の実から転がり落ちて、背中を打った場所だ。

 

根元には、黄金色と若草色が混じった落ち葉が、ふかふかに積もっていた。枯れずに、つやつやしている。世界樹の葉。一枚で、金貨三百枚。

 

十五年前の俺は、これを、十枚だけ拾って、森を出た。

 

今度も、三枚だけ拾って、懐にしまった。売るためじゃなかった。

 

ツノさんが、すぐ隣で、静かに膝を折っていた。セレスさんは、少し離れた場所で、杖を抱いて座っていた。ここからは、俺ひとりで、と言ったら、黙って頷いてくれた。

 

精霊たちが、根元の周りに、ふわふわと集まっていた。月明かりと、精霊たちの淡い光で、手元は十分に明るかった。

 

膝の上に、王家の宝物庫から来た、古い木の箱を置いた。

 

蓋を、開けた。

 

薄い緑色の、紙ではない何か。大樹の葉を、薄く、薄く伸ばしたもの。

 

『次の子へ』

 

封を、そっと、切った。

 

*

 

『次の子へ。

 

はじめまして。

 

わたしは、ユーディア。あなたの、ひとつ前の子です。

 

これを読んでいるということは、あなたは、たぶん、森を出て、人の町へ行ったのでしょうね。そして、人の王さまのところまで、たどり着いたのでしょう。

 

だって、わたしは、この手紙を、人の王さまに預けたのですから。エルフたちに預けたら、あの子たちは、大事にしすぎて、きっと神殿の奥にしまいこんでしまう。あなたが森を出なければ、決して届かない場所に、置いておきたかったのです。

 

少し、わたしの話をさせてください。

 

わたしは、人が好きでした。

 

千年くらい、ずっと、人の町に通っていました。歌を教えて、歌を教わって、市場で林檎を買って、酒場で、少しだけ葡萄酒を飲んで。すぐに酔ってしまうので、少しだけ。

 

トマという、男の子がいました。

 

川で溺れかけていたのを、わたしが精霊に頼んで、岸まで運んでもらったのです。それから、あの子は、わたしのことを、ユーディア姉さんと呼ぶようになりました。

 

あの子が十二の時、木彫りの鳥を、くれました。下手くそな鳥でした。翼の大きさが、左右で違っていて。くちばしが、妙に太くて。わたしは、それを、ずっと机の上に置いていました。

 

トマは、すぐに大きくなりました。

 

すぐに、お嫁さんをもらって、子どもができて、その子どもにも子どもができて。

 

すぐに、おじいちゃんになりました。

 

それで、いなくなりました。

 

わたしは、それを、何十回も、何百回も、繰り返しました。

 

見送るたびに、わたしの中の、何かが欠けていきました。

 

わたしは、樹の時間に、逃げるようになりました。

 

眠ってしまえば、痛みを感じずにすむ。でも、目を覚ますと、知っている人は、もう誰もいなくなっている。それがまた、痛くて。だから、また眠る。

 

最後の三百年、わたしは、この部屋から、出なくなりました。

 

扉を、閉めてしまったのです。

 

わたしは、もうすぐ、大樹へ還ります。

 

精霊になって、時間の外へ出ます。そうすれば、もう、誰も見送らなくてすむ。何も、欠けなくてすむ。

 

でも、ひとつだけ、心残りがあるのです。

 

わたしは、逃げてしまった。

 

人と生きることから。

 

だから、大樹に、お願いをしました。

 

次の子には、短い命を知っている魂を、与えてください、と。

 

短く生きることの、重さも、慌ただしさも、愛しさも、ちゃんと知っている魂を。

 

――人の、魂を。

 

その子なら、もしかしたら、わたしにできなかったことが、できるかもしれないから。

 

エルフたちには、「次の子を、頼む」と言い残していきます。

 

次の子が、人と生きられるように、そっと見守ってあげてほしい、という意味で。

 

でも、あの子たちは、たぶん、間違えるでしょう。大事にしすぎて、閉じ込めてしまうでしょう。あの子たちは、優しいけれど、少し、不器用だから。

 

もし、あなたが神殿で窮屈な思いをしたのなら。

 

それは、わたしのせいです。ごめんなさい。

 

あなたの名前を、精霊たちに託しておきます。

 

リア。

 

古い、古いエルフの言葉で、「ともに歩むもの」という意味です。

 

――最後に、ひとつだけ、お願いがあります。

 

もし、よかったら。

 

トマのことを、覚えていてくれますか。

 

木彫りの鳥をくれた、下手くそで、優しい男の子のことを。

 

わたしは、大樹へ還ったら、もう、それを覚えていることも、できなくなるから。

 

あなたの、ひとつ前の子 ユーディア』

 

*

 

手紙を、膝の上に置いた。

 

大樹の枝葉が、夜風に、さわさわと揺れていた。

 

――人の、魂を。

 

だから、俺だったのか。

 

データセンターの冷えた床で、胸が痛いなと思ったところで記憶が途切れている、三十二歳の、事なかれ主義の、ただの会社員。

 

「……ユーディアさん」

 

「神殿、めちゃくちゃ窮屈でしたよ」

 

笑ったつもりだった。

 

涙が、手紙の上に、ぽたりと落ちた。

 

大樹の葉でできた手紙は、涙を弾いて、月明かりの中で、小さく光った。

 

『――あ』

 

肩の上の精霊が、急に、ぴかっと光った。

 

『おもいだした!』

 

「……え?」

 

『まえのこが、いってたこと! つぎのこを、たのむって、いみ!』

 

精霊たちが、一斉に、俺の周りに集まってきた。

 

『つぎのこが、にんげんと、いっしょにいられるように』

 

『みまもってあげてって』

 

『そういう、いみだった!』

 

『おもいだした!』『おもいだした!』

 

――そこは覚えとけよ。部屋の掃除は八百年続けてたくせに。

 

十五年前、先代の部屋で、そう思ったのを、思い出した。

 

『わすれてて、ごめん』

 

精霊たちが、しょんぼりと光を弱めた。

 

俺は、笑った。

 

「……いいよ」

 

涙を、手の甲で拭った。

 

「ちゃんと、見守ってくれてたじゃん。最初から、ずっと」

 

神殿の窓辺で、木苺を持ってきてくれた。夜逃げを手伝ってくれた。魔力を隠してくれた。隠しすぎたけど。

 

「……ずっと、一緒に歩いてくれてた」

 

精霊たちが、ぽわっと、明るくなった。

 

*

 

その夜は、大樹の根元で眠ることにした。

 

ふかふかの落ち葉の上に、横になった。ツノさんが、すぐ隣で、大きな体を丸めていた。苔むした背中が、温かかった。

 

胸の上に、ユーディアさんの手紙を置いた。

 

大樹の枝葉の隙間から、星が見えた。

 

葉ずれの音が、聞こえていた。

 

さわさわ、さわさわ。

 

樹の時間の時みたいな、遠くて、深い音じゃなかった。ただの、夜の森の、葉ずれの音だった。

 

目を閉じた。

 

藁のちくちくが、少しだけ、恋しかった。

 

それから、どれくらい経っただろう。

 

眠りに落ちる、ほんの少し前。

 

葉ずれの音の中に、声が、混じった気がした。

 

精霊たちの声じゃなかった。

 

柔らかくて、少しだけ眠そうで、どこか、楽しそうな声だった。

 

『――はじめまして』

 

『次の子』

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