【TS】世界樹から実ったハイエルフ(中身は元社畜)、八百年ぶりの上位種として崇められていますが、人間の町でのんびり暮らしたいだけです   作:月白イツキ

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第39話 ひとつ前の子

明るかった。

 

夜だったはずなのに、目を開けると、昼だった。

 

大樹の根元だった。でも、いつもの根元とは、少し違っていた。落ち葉の代わりに、柔らかい草が一面に生えていて、白い花と、青い花と、星みたいな黄色い花が、どこまでも咲いていた。

 

空は、金色だった。木漏れ日の色だった。

 

夢だ、と分かった。

 

分かったけど、目は覚めなかった。

 

「――はじめまして」

 

声がした。

 

振り返ると、大樹の太い根の上に、誰かが腰かけていた。

 

長い、銀色の髪。尖った耳。白くて、細い手足。

 

俺に、似ていた。

 

いや、似ているなんてものじゃなかった。鏡を見ているみたいだった。ただ、髪が、俺よりずっと長くて、地面に届くほどだった。それから、輪郭が、少しだけ、ぼやけていた。指先や、髪の先が、光の粒と、木の葉に、ほどけかけていた。

 

その人は、根の上で足をぶらぶらさせながら、楽しそうに、俺を見ていた。

 

「……ユーディアさん?」

 

「うん」

 

その人――ユーディアさんは、にこっと笑った。

 

森のぬしが言っていた。おまえと、おなじかおで、わらっていた。

 

本当だった。

 

*

 

「ごめんね、急に」

 

ユーディアさんは、根の上から、ふわりと降りてきた。足が草に触れても、草は、少しも倒れなかった。

 

「わたし、もう、ほとんど大樹の一部だから。こうやって話せるのは、大樹の根元で、あなたが眠っている時だけ。それも、たぶん、今夜一回きり」

 

「……一回きり」

 

「うん。だから、ちょっとだけ、無理しちゃった」

 

ユーディアさんは、俺の隣に、すとんと座った。

 

それから、俺の顔を、まじまじと覗き込んだ。

 

「へえ。わたしと、同じ顔だ」

 

「ハイエルフって、みんな、この顔なんですか」

 

「分かんない。わたしの前の子は、もっと背が高かったって、精霊たちが言ってた。でも、わたしは、その子の顔、知らないから」

 

ユーディアさんは、くすくす笑った。

 

「中身は、全然違うね」

 

「……分かるんですか」

 

「分かるよ。あなた、座り方が、がさつだもの」

 

言われて、自分の座り方を見た。胡座をかいていた。

 

……三十二年の癖は、なかなか抜けない。

 

*

 

「精霊たちが、ずっと、あなたの話をしてたの」

 

ユーディアさんは、膝を抱えて、空を見上げた。

 

「大樹の中まで、声が聞こえてくるんだ。ぼんやりとだけど。……りあが、おきた。りあが、おでかけした。りあが、にくをたべて、ないた」

 

「……そこ、伝わってるんですか」

 

「伝わってるよ。何回も何回も、すごく嬉しそうに言ってた」

 

ユーディアさんは、俺の方を向いた。

 

「ねえ、串焼きって、おいしいの?」

 

「おいしいです」

 

即答した。

 

「熱くて、しょっぱくて、雑で、泣くほどおいしいです」

 

「泣くほど」

 

「泣くほど」

 

ユーディアさんは、吹き出した。

 

それから、少しだけ、寂しそうに笑った。

 

「わたしも、食べてみればよかったな。ずっと、林檎と葡萄酒ばっかりだった」

 

*

 

風が、花畑を揺らした。

 

ユーディアさんは、しばらく、黙って、揺れる花を見ていた。

 

それから、静かに、聞いた。

 

「――つらくない?」

 

俺は、すぐには答えられなかった。

 

花畑を、見た。

 

白い花。ハルトンの東門の外に、毎年勝手に咲く花。トビにあげた、押し花の花。

 

「……つらいです」

 

正直に、言った。

 

「ハンナさんが、死にました。起きたら、煮込み食べるって約束してたのに。ヴァルドさんも、死にました。ボルクさんも。串焼き屋の親父さんは、まだ生きてるけど、たぶん、もうすぐ」

 

「マルタさんも、いつか。トビも、いつか。リナさんも、ミアも。……俺は、たぶん、全員、見送るんだと思います」

 

「うん」

 

ユーディアさんは、静かに頷いた。

 

「わたしも、そうだった」

 

*

 

「ねえ、次の子」

 

ユーディアさんが、草の上に手をついて、俺の方に、少しだけ身を乗り出した。

 

「――ここに、来る?」

 

「……え」

 

「大樹に還れば、もう、見送らなくていいよ」

 

ユーディアさんの声は、優しかった。

 

誘っているんじゃなかった。ただ、本当のことを、教えてくれているだけだった。

 

「時間の外は、静かで、あったかいの。誰も、いなくならない。何も、欠けない。わたしは、ここに来て、やっと、泣かなくてすむようになった」

 

ユーディアさんは、自分の指先を見た。光の粒と、木の葉にほどけかけている、指先を。

 

「わたしが閉めた扉の、向こう側。……あなたが来たいなら、大樹は、たぶん、迎えてくれる」

 

――想像した。

 

もう、誰も見送らなくていい。

 

マルタさんの白髪が増えていくのを、見なくていい。トビの背中が曲がっていくのを、見なくていい。ミアが大きくなって、お嫁に行って、おばあちゃんになって、いなくなるのを、見なくていい。

 

楽になる気がした。

 

――少しだけ。

 

*

 

「……行きません」

 

言った。

 

ユーディアさんは、驚かなかった。

 

「どうして?」

 

「……覚えておきたいから」

 

考えながら、言った。

 

「ハンナさんの煮込みの味。それを、マルタさんが一年かけて覚えたこと。ヴァルドさんの、羽根の角度。十五度」

 

言いながら、涙が出てきた。

 

止めなかった。

 

ユーディアさんは、黙って聞いていた。

 

「俺は、千年くらい生きるんですよね。……じゃあ、千年分、覚えておけます。全員。全部」

 

「ここに来たら、それも、忘れちゃうんでしょう」

 

ユーディアさんは、目を伏せた。

 

「……うん。わたしは、もう、ほとんど覚えてない。自分の名前と、トマの鳥のことくらい」

 

「だから、行きません」

 

俺は、涙を拭わないまま、笑った。

 

「見送ります。全部、覚えておきます。……扉は、開けておきます。閉めたくなったら、それでも、また開けに行きます」

 

それから、付け加えた。

 

「あと、肉がうまいので」

 

――ユーディアさんが、吹き出した。

 

根の上に座っていた時と同じ、楽しそうな笑い声だった。笑いすぎて、ほどけかけた髪の先から、光の粒が、ぱらぱらとこぼれ落ちた。

 

「あっははは! 肉! そっか、肉かあ!」

 

「大事なことです」

 

「うん、うん。大事だね。すごく、大事」

 

ユーディアさんは、目尻の涙を拭いながら、まだ笑っていた。

 

「……大樹に頼んで、よかったな。人の魂、って」

 

*

 

笑いが収まると、ユーディアさんは、俺の目を、まっすぐに見た。

 

「じゃあ、お願い、聞いてくれる?」

 

「トマさんのこと、ですよね」

 

「うん」

 

「覚えておきます」

 

俺は、言った。

 

ユーディアさんの目が、潤んだ。

 

「それから」

 

俺は、続けた。

 

「ユーディアさんのことも、覚えておきます」

 

――ユーディアさんが、目を見開いた。

 

「……わたしのことも?」

 

「ひとつ前の子。人が好きで、葡萄酒ですぐ酔って、扉を閉めちゃって。……でも、次の子のために、手紙を預けてくれた人」

 

俺は、笑った。

 

「次の子は、ちゃんと、届きましたよ」

 

ユーディアさんは、何も言わなかった。

 

両手で顔を覆って、肩を震わせていた。

 

ほどけかけた髪の先から、光の粒が、ぱらぱらと、こぼれ続けていた。

 

*

 

しばらくして、ユーディアさんは、顔を上げた。

 

目が、真っ赤だった。

 

同じ顔だから、俺が泣いた後も、たぶん、こんな顔なんだろうなと思った。

 

「……ありがとう、次の子」

 

ユーディアさんは、手を伸ばして、俺の額に、そっと触れた。

 

温かかった。

 

森のぬしの鼻先みたいに。ツノさんの鼻先みたいに。春の土みたいに、温かかった。

 

「――リア」

 

名前を、呼ばれた。

 

「トマの鳥を、あの子の鳥と並べてくれて、ありがとう。……見えてたよ。少しだけ」

 

「……はい」

 

「下手くそな鳥が、二羽。同じ窓を向いて」

 

ユーディアさんは、くすっと笑った。

 

「いい眺めだった」

 

指先が、額から離れた。

 

ユーディアさんの輪郭が、ゆっくりと、ほどけ始めていた。銀色の髪が、光の粒に変わって、風に乗って舞い上がっていく。白い指先が、若葉に変わって、ひらひらと落ちていく。

 

「ユーディアさん」

 

「うん」

 

「トマさんの鳥、連れていっても、いいですか。人の町に。……あの部屋より、たぶん、にぎやかなところに」

 

ユーディアさんは、ほどけかけた顔で、驚いたように目を丸くした。

 

それから、今までで一番、嬉しそうに笑った。

 

「――うん」

 

声が、葉ずれの音に、溶けていった。

 

「いってらっしゃい、リア」

 

*

 

目を開けると、朝だった。

 

大樹の枝葉の隙間から、朝の光が、細く差し込んでいた。落ち葉の上に、朝露が光っていた。

 

隣で、ツノさんが、大きな体を丸めて、静かに寝息を立てていた。

 

少し離れた場所で、セレスさんが、杖を抱いて、座ったまま眠っていた。膝の上に、木の櫛を載せたまま。

 

胸の上に、ユーディアさんの手紙があった。

 

額に、まだ、温もりが残っている気がした。

 

『りあ、おはよう』

 

精霊たちが、ふわふわと集まってきた。

 

『おきた』『きょうは、みっかじゃない』『ひとばんだけ』

 

「……うん。一晩だけ」

 

体を起こした。

 

不思議と、軽かった。

 

大樹を、見上げた。

 

空を覆うほどの、巨大な木。その枝葉が、朝の風に、さわさわと揺れていた。

 

『ばいばいって、いってる』

 

精霊が、言った。

 

『まえのこが、ばいばいって』

 

「……うん」

 

俺は、大樹に向かって、小さく手を振った。

 

「いってきます」

 

*

 

先代の部屋に、二羽の鳥を迎えに行った。

 

南の窓を向いて並んでいる、下手くそな木彫りの鳥。トマの鳥と、トビの鳥。

 

両方とも、両手に載せた。

 

『つれてくの?』

 

部屋を掃除していた精霊たちが、くるくると寄ってきた。

 

「うん。いいって、言ってくれたから」

 

『……そっか』

 

精霊たちは、しばらく、空っぽになった机の上を見つめていた。八百年、帰ってこない主のために、掃除し続けた部屋。

 

『じゃあ、もう、そうじ、しなくていい?』

 

「……ううん」

 

俺は、考えてから、言った。

 

「たまに、帰ってくるから。その時のために、また、きれいにしておいて」

 

精霊たちが、ぱっと、明るくなった。

 

『する!』『きれいにしとく!』『りあのへや!』

 

*

 

神殿の広間で、オーベルさんと、里のエルフたちに、手紙のことを話した。

 

次の子を、頼む。

 

その本当の意味を。

 

オーベルさんは、長いこと、何も言わなかった。

 

それから、杖を床について、深く、深く、頭を下げた。

 

「……八百年、我らは、取り違えておりましたか」

 

「いえ」

 

俺は、首を振った。

 

「ちゃんと、見守ってくれてました。神殿を守って、露を集めて、歌を練習して。……ちょっと、大事にしすぎただけです」

 

広間の後ろの方で、若いエルフたちが、くすっと笑った。

 

オーベルさんも、しわだらけの顔で、少しだけ笑った。

 

*

 

里を出る時、セレスさんが、ツノさんの背中の、俺の後ろに乗った。

 

「わたくしは、リア様のおそばに」

 

当たり前みたいに、言った。

 

「……巫女の仕事は?」

 

「見聞中でございます」

 

十五年前と、同じ答えだった。

 

俺は、笑った。

 

それから、ふと、気づいた。

 

セレスさんは、エルフだ。三百年とか、五百年とか、生きる。

 

マルタさんよりも、トビよりも、ずっと、長く。

 

――見送る側に、この人も、いるんだ。

 

「……セレスさん」

 

「はい」

 

「長生き、してくださいね」

 

セレスさんは、少しだけ、目を丸くした。

 

それから、ふわりと微笑んだ。

 

「――はい。リア様より先には、参りません。……できるだけ」

 

ツノさんが、ゆっくりと、歩き出した。

 

森が、道を開けた。花が、咲いた。

 

両手の中で、二羽の下手くそな木彫りの鳥が、南を向いていた。

 

――帰ろう。

 

屋根裏に。藁が、ちくちくする寝台に。

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