【TS】世界樹から実ったハイエルフ(中身は元社畜)、八百年ぶりの上位種として崇められていますが、人間の町でのんびり暮らしたいだけです   作:月白イツキ

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第41話 目が覚めたら、藁の寝台だった(最終話)

「――姉ちゃん。朝だぞ」

 

ちくちくする。

 

「姉ちゃん。おい。起きろって」

 

ちくちくする。藁が、首の後ろに刺さっている。

 

「姉ちゃん! 母ちゃんが、煮込み冷めるって!」

 

「……あと、ちょっと」

 

「それ、四百年言ってるって、ひいじいちゃんが言ってたぞ」

 

言ってない。四百年は言ってない。……たぶん、三百年くらいだ。

 

目を開けると、屋根裏の低い天井と、梁と、そばかすだらけの男の子の顔があった。茶色の髪が、寝癖で跳ねている。茶色の目が、呆れたように俺を見下ろしている。

 

トビだ。

 

正確には、九代目のトビだ。

 

この家では、男の子が生まれると、だいたい四人に一人がトビと名付けられる。紛らわしいので、番号で呼ばれる。本人は「九世はやめろ。猫じゃねえんだから」と嫌がっている。

 

仕立て屋の三毛猫の家系は、今、ミーシャ二十七世だ。気持ちは分かる。

 

「……おはよう、トビ」

 

「おはよう。早く起きろよ。今日、何の日か覚えてんだろ」

 

「覚えてるよ」

 

体を起こす。藁が、ぱらぱらと落ちた。

 

窓の外で、燕が鳴いていた。

 

今年、最初の燕だ。

 

*

 

枕元の木の櫛を取って、髪に通す。

 

三回に一回、絡まる。

 

百三十年、毎朝やっていて、まだ、セレスさんのようにはいかない。

 

セレスさんは、五百十八歳まで生きた。

 

エルフの寿命は、長くて五百年と言われている。里の記録で、一番長かった。

 

跳ね鹿亭の給仕を、二百六十年やった。最後の日まで、卓の番号を間違えた。

 

最後の朝、セレスさんは、寝台の上で、震える指で俺の髪を梳きながら、言った。

 

「申し訳ございません、リア様。……少々、お先に、失礼いたします」

 

「できるだけ、って言ったでしょ。十分、できるだけだったよ」

 

「……大樹への道を、迷わずに参れますでしょうか」

 

本気で、心配していた。

 

窓の外の精霊たちが、一斉に光った。

 

『だいじょうぶ』

 

『つれてく』

 

『まっすぐ、つれてく』

 

「迷っても、いいよ」と、俺は言った。「セレスさんなら、偶然、着くから」

 

セレスさんは、少しだけ目を丸くして。それから、ふわりと笑った。

 

「――偶然で、ございます」

 

それが、最後の言葉だった。

 

櫛は、俺がもらった。

 

屋根裏の壁の棚の、下の段には、『リア様御言行録』が並んでいる。全三百八十七巻。最後の巻の、最後の頁は、こうだ。

 

『本日、リア様、串焼きを三本お召し上がりになる。熱くて、しょっぱくて、雑で、と仰せになる。いつもと同じお言葉。わたくしは、このお言葉が、一番好きでございます』

 

字が、少し震えている。

 

俺は、たまに、そこを読む。

 

棚の、上の段には、鳥が並んでいる。

 

南の窓のほうを向いて、ずらりと。

 

一番端が、トマの鳥。千年以上前の鳥だ。その隣が、トビの鳥。初代の。『姉ちゃんへ トビより』。その隣が、ミアの鳥。その隣が、ミアの息子の鳥。その隣が――。

 

全部で、三十三羽。

 

一羽ずつ、違う。ミアの鳥は、尾羽がやたらと長い。ミアの息子の鳥は、首が二本あるように見える。初代トビの鳥だけは、翼が左右そろっている。十年かけて、彫り直したからだ。

 

真ん中あたりに一羽だけ、本物みたいな鳥がいる。羽根の一枚一枚まで彫ってある。百年くらい前の、ヨハンという子の鳥だ。この家でただひとり、手先が器用だった。宿は継がずに王都へ出て、家具職人になった。手紙が来なくなってからも、鳥は、ここにいる。

 

「……姉ちゃん」

 

九世が、背中に何かを隠したまま、もじもじしていた。

 

この家の子は、十二になったら、木彫りの鳥を彫って、俺に渡す。そういう決まりになっている。

 

「なに?」

 

「……これ」

 

差し出されたのは、木彫りの鳥だった。

 

片方の翼だけが、やけに大きかった。くちばしが、妙に太かった。足が三本あった。たぶん、一本は、台座の補強だ。

 

台座の裏に、彫ってあった。

 

『姉ちゃんへ トビ(九)より』

 

「……鳥だね」

 

「芋虫って、言わねえの?」

 

「言わないよ」

 

俺は、鳥を両手で受け取った。削りたての木の匂いがした。

 

「それは、マルタさんの役目だから」

 

三十四羽目を、列の一番端に置いた。南の窓のほうを、向けて。

 

十二歳、おめでとう。

 

*

 

階段を下りると、煮込みの匂いがした。

 

豆と、根菜と、腸詰め。

 

跳ね鹿亭の朝の食堂は、四百年、同じ匂いがする。

 

「……あ、姉ちゃん。おはよう」

 

厨房から、女将のハンナさんが顔を出した。三十六歳。九世の母ちゃんだ。この家の女将にしては珍しく、声が小さい。

 

この家では、女の子が生まれると、だいたい三人に一人がハンナかマルタになる。今の女将はハンナで、先代はマルタで、その前はハンナだった。俺は、たまに呼び間違える。呼び間違えると、怒られる。

 

カウンターの上の壁には、大剣が横向きに掛かっている。

 

刃こぼれひとつない。代々の主人が、年に一度、研いでいるからだ。「使わない剣は、ただの鉄だ」って、大剣のマルタばあちゃんが言ってたから――と、この家の子は、みんな知っている。

 

俺が、百回話したから。

 

厨房の柱には、下手くそな字で、家訓が彫ってある。

 

初代トビが、六十を過ぎてから彫ったものだ。字まで不器用だった。

 

一、煮込みは、毎朝つくること。

 

一、リアのことは、姉ちゃんと呼ぶこと。

 

一、姉ちゃんが寝坊したら、起こすこと。何年かかっても。

 

一、十二になったら、鳥を彫って、姉ちゃんに渡すこと。

 

一、姉ちゃんに、エールを半分より多く飲ませないこと。

 

一、セレス様に、卓の番号を聞かないこと。

 

最後のは、もう、意味がない。でも、誰も消さない。消すと罰が当たる気がする、とハンナさんは言う。

 

彫っている時に、なんでこんなの残すの、と聞いたことがある。

 

初代トビは、白髪の頭をかいて、照れくさそうに言った。

 

「姉ちゃんが、また長い昼寝しても、起こすやつがいるように」

 

初代トビは、七十九で逝った。

 

最期の床で、しわだらけの手を伸ばして、俺の頭を、ぽんと叩いた。十二の時と、同じ叩き方だった。

 

「姉ちゃん。寝坊、すんなよ」

 

それから、自分のほうが先に、眠った。

 

――寝坊は、してない。毎朝、ちゃんと、誰かが起こしに来るから。

 

食堂の隅の席に座ると、すぐに、木の椀が置かれた。

 

ひと口、食べる。

 

「……ハンナさん。これ、何か変えた?」

 

ハンナさんが、前掛けの端を、きゅっと握った。

 

「……分かる? 焦がした玉ねぎを、ひとかけ、入れてみたの。……駄目、かな」

 

もうひと口、食べた。

 

塩辛い。豆がほくほくしている。その奥に、少しだけ、初めて食べる甘さがあった。

 

ハンナさんの味を、マルタさんが一年かけて覚えた。マルタさんの味を、ミアが三年かけて覚えた。ミアは、豆を少し柔らかくした。その孫は、腸詰めをひと切れ減らした。

 

この家の煮込みは、四百年、少しずつ変わってきた。

 

俺は、椀を、ハンナさんの方に差し出した。

 

「おかわり、ある?」

 

ハンナさんの顔が、ぱっと明るくなった。

 

「……あるよ」

 

「姉ちゃん、おはよう」

 

隣の卓から、しわがれた声がした。

 

八十七歳の、先々代の主人だ。九世のひいじいちゃん。白い髭を撫でながら、にこにこしている。

 

「おはよう、じいちゃん」

 

「今日も、べっぴんだなあ、姉ちゃん」

 

「じいちゃんも、今日も元気そうで」

 

向かいの卓で、旅の商人が、エールを噴いた。

 

八十七歳のじいさんが、どう見ても小娘のエルフを、姉ちゃんと呼んでいる。初めての客は、だいたい噴く。

 

慣れてもらうしかない。家訓だから。

 

*

 

ギルドの受付のお姉さんは、眠そうだった。

 

ハルトンのギルドの受付は、なぜか、代々、眠そうだ。

 

「はーい、手を置いてくださいねー」

 

九世が、測定の水晶に手を置いた。

 

ぽう、と、青い光がともった。

 

「魔力量、平均。おめでとうございます、F級です」

 

「……平均かよ」

 

「初代と、同じだよ」

 

俺が言うと、九世は、ちょっとだけ、嬉しそうな顔をした。

 

焼き印を押した木札を受け取って、九世は、それを、いつまでも眺めていた。

 

「姉ちゃんは、C級だっけ」

 

「うん」

 

「何百年も、C級なんだろ。上がんねえの?」

 

「上がらないよ」

 

昇級の話は、何度も来た。全部、断った。

 

C級は、マルタさんに借金を返すための目標だった。それに。

 

「最初に会った時の、マルタさんの級だから」

 

壁には、片腕のおじいさんの肖像画が掛かっている。その隣に、眠そうな顔をした、栗色の髪の女の人の肖像画。その隣に、その隣に――と、肖像画は、ずいぶん増えた。

 

*

 

市場の広場の隅に、串焼きの屋台がある。

 

腕の太いおじさんが、串に刺した肉を、炭火の上で転がしている。

 

木の板の看板に、下手くそな字で、こう書いてある。

 

『角兎の串焼き 銅貨五枚』

 

四百年で、銅貨二枚しか上がっていない。たぶん、すごいことだ。

 

その下に、小さな字で、もう一行。

 

『泣き虫エルフ御用達』

 

……これは、百年くらい前に、勝手に足された。何度頼んでも、消してくれない。

 

「おう、泣き虫の姉ちゃん!」

 

十四代目の親父さんが、歯を見せて笑った。

 

「今日は、坊主の登録日かい」

 

「うん。二本、ください。……あ、やっぱり、四本」

 

「あいよ。……で、だ」

 

親父さんは、串を転がしながら、にやりとした。

 

「うちのと、王都のと、どっちがうまい?」

 

この屋台の、代々の決まり文句だ。あの日、串を二十本持たせてくれた親父さんが、遺言で残したらしい。

 

「どっちも」

 

「かーっ! 四百年、その答えかい!」

 

銅貨を払って、串を受け取る。

 

一本を、九世に渡した。

 

この家の子が、十二になってギルドに登録した日には、俺が、串焼きを奢る。

 

家訓には、書いてない。俺が、勝手にやっている。

 

四百年前、門の前で、腹減って死にそうな顔をしたエルフに、赤毛の剣士が、そうしてくれたから。

 

広場の石段に、二人で並んで座った。

 

九世は、あっという間に一本目を食べ終えて、物欲しそうに俺の手元を見た。二本目を渡した。

 

「……なあ、姉ちゃん」

 

「ん」

 

「寂しくねえの?」

 

九世は、串を見下ろしたまま、言った。

 

「みんな、先に死ぬんだろ。ひいじいちゃんも、そのうち。母ちゃんも。……俺も」

 

広場を、風が吹き抜けていった。

 

精霊たちが、俺の肩の上で、ぽわぽわと光っていた。

 

「寂しいよ」

 

俺は、言った。

 

「毎回、ちゃんと寂しい。慣れない。たぶん、千年経っても、慣れない」

 

「……じゃあ、なんで、ここにいんの」

 

俺は、少し考えた。

 

それから、手の中の串を、九世の目の前に突き出した。脂が、まだ、ちりちりと鳴っていた。

 

「これが、うまいから」

 

「……は?」

 

「あと、煮込みも。しょっぱいほうが」

 

九世は、しばらく、黙って串を見ていた。

 

それから、ぼそっと言った。

 

「……じゃあさ。俺が死んだあとも、ここで食っててくれよ。串焼き」

 

「うん」

 

「で、たまに、俺のこと思い出せよ」

 

俺は、笑った。

 

「全部、思い出すよ。その鳥の、くちばしの太さまで」

 

「太くねえよ」

 

「太いよ」

 

最後の一本を、かじった。

 

塩。粗くて、しょっぱくて、舌の上でじゃりっと砕ける。

 

肉。噛んだ瞬間に、脂がじゅわっとあふれる。焦げたところが苦くて、香ばしい。鼻に抜けていく、炭の煙の匂い。

 

熱くて、しょっぱくて、雑で。

 

前が、見えなくなった。

 

「……姉ちゃん」

 

九世が、呆れた顔で、俺を見ていた。

 

「泣くほどか?」

 

俺は、肉を口いっぱいに詰め込んだまま、こくこくと頷いた。

 

「なくほろ、れす」

 

九世は、一瞬、ぽかんとして。

 

それから、腹を抱えて、笑い出した。

 

広場中に響くような、豪快な笑い声だった。

 

どこかで聞いた、笑い方だった。

 

*

 

生まれて、四百年と少し。

 

財産、下手くそな木彫りの鳥が三十四羽と、木の櫛がひとつ。

 

借金、なし。

 

見送った人の数は、もう、指では数えられない。

 

扉は、開けたままだ。

 

時々、夜中に、遠くで葉ずれの音がする。そういう夜は、屋根裏から下りて、厨房で、明日の煮込みの豆を水に浸ける。それだけで、音は、少しずつ遠ざかっていく。

 

春になったら、九世を連れて、森の南端に林檎を持っていく。ツノさんは、まだ、そこにいる。角が、少し白くなった。林檎を食べる速さは、変わらない。

 

夏になったら、東門の外の花畑で、白い花を摘む。丘の上の墓に持っていく。木べらと、鳥の前に。

 

マルタさんの墓の鳥は、三百五十年で、何度も朽ちた。そのたびに、俺が彫り直した。今のは、十九羽目だ。最近、ようやく、少しだけ鳥っぽくなってきた。……と思う。

 

九世は、芋虫って言った。

 

マルタさんの役目を、勝手に継いでいる。

 

秋になったら――冬になったら――

 

まあ、いいや。冬のことは、冬に考えよう。

 

千年は、長い。でも、一日ずつしか、来ない。

 

目が覚めたら、木の実の中だった。

 

それから、四百年と少し。

 

今は、目が覚めたら、藁の寝台だ。毎朝。ちくちくする。

 

下から、煮込みの匂いと、女将の小さな鼻歌が上がってくる。

 

「姉ちゃん、朝だぞ」って、誰かが、階段を駆け上がってくる。

 

今日も、肉がうまい。

 

(完)

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