世界樹から実ったハイエルフ(中身は元社畜)、八百年ぶりの上位種として崇められていますが、人間の町でのんびり暮らしたいだけです   作:月白イツキ

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第6話 肉の味

「身分証がない?」

 

ひげ面の兵士が、眉間にしわを寄せた。

 

「はい……あの、持ってないです」

 

「どこから来た」

 

「森から……」

 

嘘ではない。

 

兵士は、俺のフードの奥をじろりと覗き込んだ。フードの縁から、銀髪がひと房こぼれている。耳はたぶん隠れている。たぶん。

 

「……まあいい。身分証がないなら、入町税で銀貨一枚。それで三日間の仮通行証を出してやる。三日以内にどこかのギルドで登録するか、出ていくかだ」

 

銀貨一枚。

 

持っていない。この世界の銀貨を見たことすらない。

 

俺は袖の中に手を入れて、そっと葉っぱを一枚取り出した。大樹の落ち葉。黄金色と若草色が混じった、つやつやの葉。

 

「あの、これで……」

 

兵士は、俺の手のひらの上の葉っぱを、たっぷり五秒は見つめていた。

 

「……葉っぱ?」

 

「はい」

 

「葉っぱで、入町税を払うと?」

 

「……だめ、ですか」

 

兵士の額に、青筋が浮いた。

 

「おちょくってんのか、てめえ」

 

声が低くなった。後ろの列から、くすくす笑う声が聞こえる。

 

まずい。完全に怪しい奴だと思われている。いや、実際に怪しい奴なんだけど。

 

その時、肩の上で精霊がぴかっと光った。

 

『このひと、りあのこと、いじめた』

 

『いじめた!』『おこった!』

 

「待って、だめ、何もしないで」

 

小声で止めたが、遅かった。

 

ひゅう、と門の前を一陣の風が吹き抜けた。

 

兵士の兜が、すぽんと頭から外れて、宙を舞った。

 

からん、からん、と石畳の上を転がっていく。

 

「…………」

 

「…………」

 

兵士と俺は、無言で転がっていく兜を見送った。

 

「……なんだ、今の風」

 

「さ、さあ……」

 

俺は全力で目を逸らした。精霊たちは、満足げにくるくる回っていた。後で説教だ。

 

兵士が兜を拾いに行こうとした、その時だった。

 

「ゲイル。何揉めてんだ」

 

低い女の声が、後ろから聞こえた。

 

振り返ると、背の高い女の人が立っていた。

 

短く刈った赤毛。日焼けした肌。左の頬に、古い刀傷がひとつ。革の鎧はあちこち擦り切れていて、背中には、彼女の身長と同じくらいある大剣を背負っていた。

 

そして、左手に、ばかでかい猪の頭をぶら下げていた。

 

切り口からまだ血が滴っている。

 

「お、マルタか。いや、こいつが身分証もなしに、葉っぱで入町税を払うとか抜かしやがって」

 

「葉っぱ?」

 

赤毛の女の人――マルタさんは、俺の手のひらを見て、それから俺の顔を見た。フードの奥を、遠慮なく覗き込んでくる。

 

視線が、俺の耳のあたりで止まった。

 

あ、見えてる。耳、見えてる。

 

「へえ。エルフか。珍しいな」

 

心臓が跳ねた。

 

けど、マルタさんの声には、驚きも警戒もなかった。珍しい鳥でも見つけたような、それくらいの調子だった。

 

「森の端で薬草と塩を交換してる連中は、たまに見るけどな。町の中まで来るのは初めて見た。どうした、迷子か?」

 

「えっと……家出、みたいなものです」

 

嘘ではない。

 

マルタさんは、ふうん、と鼻を鳴らした。

 

それから、なぜか俺の顔をじっと見て、ぷっと吹き出した。

 

「あんた、腹減って死にそうな顔してるな」

 

「えっ」

 

「顔に書いてある。肉食わせろって」

 

図星すぎて、何も言い返せなかった。

 

マルタさんは、腰の革袋から銀色の硬貨を一枚取り出して、ゲイルさんに放り投げた。

 

「こいつの分。貸しだ」

 

「いいのかよ、マルタ」

 

「いいよ。どうせ猪の賞金が入る」

 

そう言って、マルタさんは俺の背中をばしんと叩いた。

 

痛い。この体には痛い。

 

「ほら、入りな。銀貨一枚、ちゃんと返せよ」

 

*

 

門をくぐると、そこは別世界だった。

 

石畳の通りの両側に、木と漆喰の家が並んでいる。窓という窓から、オレンジ色の灯りが漏れていた。通りには人があふれていて、荷車を押す人、籠を抱えた女の人、走り回る子どもたち、酒瓶を片手に肩を組んで歌う男たち。

 

うるさい。

 

人の声と、荷車の車輪の音と、どこかの店の呼び込みと、酔っ払いの歌声が、全部ごちゃ混ぜになって押し寄せてくる。

 

エルフの里は、静かだった。朝の歌以外は、いつも葉ずれと鳥の声しか聞こえなかった。

 

こっちは、雑で、騒がしくて、ちょっと臭い。

 

最高だった。

 

「市場はこっちだ。この時間なら屋台がまだ出てる」

 

マルタさんは、猪の頭をぶら下げたまま、ずんずん歩いていく。すれ違う人たちが、その猪を見て道を空ける。

 

俺は、その背中を必死に追いかけた。

 

すぐに、息が切れた。森の端から町まで歩いてきた足は、とっくに限界だった。

 

「はっ……はぁ……っ」

 

「……おい。大丈夫か、あんた」

 

「だい、じょうぶ、です……ちょっと、体が、弱くて……」

 

マルタさんは、膝に手をついて肩で息をする俺を、呆れたように見下ろした。

 

「よくそれで森から出てきたな」

 

本当にそう思う。

 

結局、マルタさんが歩く速さを落としてくれた。何度も立ち止まる俺を、文句も言わずに待ってくれた。

 

*

 

市場の広場には、屋台がずらりと並んでいた。

 

そして。

 

匂いが、した。

 

炭の上で、何かが焼けている匂い。脂が火に落ちて、じゅっと煙が立つ匂い。焦げた塩と、なにかの香草の匂い。

 

足が、勝手に止まった。

 

広場の隅の屋台で、腕の太いおじさんが、串に刺した肉を炭火の上で転がしていた。木の板の看板に、下手くそな字でこう書いてある。

 

『角兎の串焼き 銅貨三枚』

 

「…………」

 

俺は、たぶん、ものすごい顔をしていたんだと思う。

 

マルタさんが、また吹き出した。

 

「親父、二本」

 

「あいよ」

 

銅貨が渡されて、串が二本、差し出される。マルタさんは一本を自分で持って、もう一本を俺の前に突き出した。

 

「ほら」

 

「え、でも、お金――」

 

「これも貸しにしといてやる。いいから食え。見てるこっちが腹減る」

 

俺は、両手で串を受け取った。

 

熱い。

 

茶色い焼き目のついた肉の塊が、五つ刺さっている。表面で脂がぷつぷつと泡を立てていた。粗い塩の粒が、灯りを受けてきらきら光っている。

 

口を開けて、かぶりついた。

 

――熱い。

 

最初に、それが来た。舌が焼けそうに熱い。

 

それから、塩。粗くて、しょっぱくて、舌の上でじゃりっと砕ける。

 

それから、肉。

 

噛んだ瞬間に、脂がじゅわっとあふれた。歯ごたえがある。少し筋っぽい。焦げたところが苦くて、香ばしい。鼻に抜けていく、炭の煙の匂い。

 

雑な味だった。

 

前世で食べたどんな焼き鳥より、たぶん質は悪い。下処理も適当だし、塩も振りすぎだし、ところどころ生焼けだ。

 

なのに。

 

「…………っ」

 

前が、見えなくなった。

 

目から、ぼろぼろと何かがこぼれていた。

 

止まらなかった。二口目をかじりながら泣いた。三口目をかじりながら、もっと泣いた。

 

腹は減っていない。この体は、朝露と花びらで足りる。肉なんて必要ない。

 

でも、これだ。俺が欲しかったのは、これなんだ。

 

仕事帰りにコンビニで買った唐揚げ。終電を逃した夜に入った、汚い立ち食いそば屋。徹夜明けの朝、同僚と行った牛丼屋。

 

疲れて、腹が減って、雑なものを食って、うまいって思う。

 

そういう、どうでもいい、生きてる感じ。

 

「……おい」

 

マルタさんが、困ったような顔で俺を見ていた。

 

「泣くほどか?」

 

俺は、肉を口いっぱいに詰め込んだまま、こくこくと頷いた。

 

「なくほろ、れす」

 

一瞬、間があって。

 

マルタさんは、腹を抱えて大笑いした。

 

広場中に響くような、豪快な笑い声だった。屋台のおじさんまでつられて笑っていた。

 

「あっははは! なんだあんた、変なやつだな!」

 

「……すみません」

 

「いや、いい。いいよ。うまそうに食うやつは嫌いじゃない」

 

マルタさんは目尻の涙を拭いながら、自分の串にかぶりついた。

 

「親父、もう二本」

 

「あいよ!」

 

俺の手に、二本目の串が押しつけられた。

 

*

 

結局、串焼きを三本食べた。

 

体はまったく満腹にならなかったが、心は破裂しそうなくらい満たされていた。

 

「で」

 

広場の隅の石段に腰かけて、マルタさんが言った。

 

「あんた、名前は」

 

「リアです」

 

「リアね。あたしはマルタ。この町で冒険者をやってる。で、リア。泊まるところ、決まってないだろ」

 

「……はい」

 

「金もないんだろ」

 

「……葉っぱなら、十枚」

 

マルタさんは、また吹き出しかけて、なんとかこらえた。

 

「あたしの定宿、まだ部屋が空いてたはずだ。宿代は、まあ、出世払いでいい」

 

「え。いや、そこまでしてもらうわけには」

 

「いいって。ここで放り出して、明日あんたが路地裏で干からびてたら、寝覚めが悪いだろ」

 

マルタさんは、猪の頭をひょいと担ぎ直して、立ち上がった。

 

「ほら、行くぞ。ゆっくりでいいから」

 

俺は、その背中を見上げた。

 

生まれて二週間。財産、葉っぱ十枚。借金、銀貨一枚と、串焼き三本分。

 

それでも、今が一番、生きている気がした。

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