世界樹から実ったハイエルフ(中身は元社畜)、八百年ぶりの上位種として崇められていますが、人間の町でのんびり暮らしたいだけです   作:月白イツキ

8 / 8
第7話 跳ね鹿亭

マルタさんの定宿は、市場から少し外れた路地にあった。

 

二階建ての、古い木造の建物だ。入口の上に吊るされた看板には、跳ねる鹿の絵が彫ってある。

 

跳ね鹿亭。

 

鹿か。ツノさんを思い出して、ちょっとだけ胸がきゅっとなった。看板の鹿は、ツノさんの十分の一くらい貧相だったけど。

 

扉を開けると、熱気と喧騒が押し寄せてきた。

 

一階は食堂になっていて、長いテーブルがいくつも並んでいる。その全部が、男たちで埋まっていた。革鎧の男。剣を壁に立てかけた男。腕に包帯を巻いた男。みんな顔を赤くして、木のジョッキを打ち鳴らしながら大声で笑っている。

 

冒険者だ、と直感で分かった。ゲームで見た酒場そのままだった。

 

「ハンナさん! 猪、獲ってきた!」

 

マルタさんが猪の頭を掲げると、食堂中から歓声が上がった。

 

「おお、マルタ!」 「でけえな!」 「明日の煮込みは猪だな!」

 

厨房の奥から、恰幅のいい中年の女の人が出てきた。白い前掛けに、袖をまくり上げた太い腕。

 

「まあまあ、立派なのを。ご苦労さん、マルタ。……おや?」

 

女将さん――ハンナさんの目が、マルタさんの後ろに隠れていた俺に止まった。

 

「その子は?」

 

「拾った」

 

「拾った!?」

 

「門のとこで、葉っぱで入町税払おうとしてた」

 

ハンナさんは、俺の顔をまじまじと見た。フードの奥を覗き込むようにして、それから、なぜか眉を八の字にした。

 

「まあ……こんなに痩せっぽちで、真っ白な顔して。あんた、ちゃんと食べてるのかい?」

 

「さっき、串焼きを三本」

 

「三本じゃ足りないよ! 座りな、座りな。何か持ってくるから」

 

「いや、あの、お金が」

 

「マルタにつけとくよ!」

 

「おい」

 

マルタさんの抗議は、ハンナさんの背中に跳ね返されて消えた。

 

*

 

出てきたのは、木の椀に山盛りの煮込みだった。

 

豆と、根菜と、ぶつ切りの腸詰めが、茶色いスープの中でごろごろしている。それから、拳くらいの大きさの黒パン。木のジョッキに、泡の立った琥珀色の液体。

 

「エールだ。飲めるか?」

 

マルタさんが自分のジョッキを持ち上げる。

 

飲めるかって?

 

俺は、ジョッキを両手で持ち上げた。

 

前世で、毎晩のように夢見ていたものだ。仕事終わりの、冷えたビール。

 

口をつけて、ぐっと傾けた。

 

――ぬるい。

 

まず、それだった。冷えていない。常温だ。

 

それから、酸っぱい。苦い。炭酸はほとんどなくて、舌の上でもったりと重い。麦の匂いが、ビールよりずっと強い。

 

ビールじゃない。

 

でも。

 

ビールの親戚くらいではある。

 

「……ぷはっ」

 

思わず、変な声が出た。

 

喉を、ぬるくて苦い液体が落ちていく。胃のあたりが、ほわっと温かくなる。

 

うまい、と思った。

 

冷えたビールとは全然違うけど、これはこれで、ちゃんとうまい。

 

「おお、いける口か」

 

マルタさんがにやりと笑って、自分のジョッキを俺のジョッキにごつんとぶつけた。

 

「乾杯。リアの家出に」

 

「……乾杯」

 

二口目を飲んだ。

 

三口目を飲んだ。

 

ジョッキの半分くらいまで飲んだところで、世界が、ぐらりと傾いた。

 

「…………あれ?」

 

テーブルが、ゆっくりと波打っている。いや、テーブルじゃない。俺の頭が揺れている。ランプの灯りが、ふたつに見える。顔が熱い。耳まで熱い。

 

「おい。リア?」

 

「……マルタさんが、ふたり、いる」

 

「は?」

 

「ふたりとも、いい人……」

 

マルタさんは、半分しか減っていない俺のジョッキと、俺の顔を、交互に見た。

 

「……嘘だろ。半分で?」

 

嘘じゃないんだ、これが。

 

ハイエルフの体は、どうやら酒にものすごく弱いらしい。朝露と花びらで動く体に、アルコールは刺激が強すぎたのかもしれない。

 

『りあ、へん』『ぐるぐるしてる』『だいじょうぶ?』

 

精霊たちが、心配そうに顔の周りを飛び回る。大丈夫だ。たぶん。気持ちいいくらいだ。

 

マルタさんが、腹を抱えて笑い出した。

 

「あっはは! エルフって酒弱いのか! 知らなかった!」

 

周りのテーブルの冒険者たちまで、こっちを見てげらげら笑っている。

 

俺は、熱い顔を両手で押さえながら、煮込みをすすった。

 

塩辛くて、腸詰めの脂がしみ出していて、豆がほくほくしていた。

 

うまかった。

 

*

 

「で、リア。明日からどうするんだ」

 

二杯目のエールを空けながら、マルタさんが聞いた。俺の方は、ハンナさんが持ってきてくれた水をちびちび飲んでいる。

 

「どうする、って……」

 

「金がない。身分証もない。仮通行証は三日で切れる。何か当てはあるのか」

 

当て。

 

肉を食うことしか考えていなかった。

 

俺の沈黙で、だいたい察したらしい。マルタさんは、テーブルに肘をついて、指を一本立てた。

 

「冒険者ギルドで登録しな。それが一番手っ取り早い」

 

「冒険者……」

 

「登録すりゃ、ギルドの札が身分証になる。一番下のF級なら、試験もいらない。薬草採りとか、荷運びとか、ドブさらいとか、そういう依頼をこなせば、食うくらいの金にはなる」

 

F級。薬草採り。ドブさらい。

 

なんだろう。ものすごく、聞き覚えのある響きだった。

 

ネット小説で百回は読んだやつだ。

 

「ついでに教えといてやる。銅貨百枚で銀貨一枚。銀貨百枚で金貨一枚。串焼きが銅貨三枚。この宿が一泊銅貨三十枚、飯つき」

 

「……ってことは、私の借金は」

 

「入町税の銀貨一枚。串焼き三本で銅貨九枚。今夜の宿と飯で、銅貨三十枚」

 

銅貨、百三十九枚。

 

生まれて二週間で、借金百三十九枚。

 

「返せよ」

 

「……はい」

 

マルタさんは、満足げにエールをあおった。

 

「あと、登録の時に魔力の測定がある。水晶に手をかざすだけだけどな。エルフなら、魔法の適性くらいあるんじゃないか」

 

――魔力測定。

 

酔いが、少しだけ醒めた。

 

まずい。それは、まずいかもしれない。

 

ハイエルフの魔力がどれくらいなのか、俺は知らない。でも、エルフたちが八百年崇め続けてきた種族だ。普通のエルフと同じってことは、たぶんない。

 

水晶が割れたりしたら、どうする。

 

ネット小説だと、だいたい割れる。

 

「……マルタさんは、冒険者、長いんですか」

 

話を逸らした。

 

「十五で村を出てからだから、もう十三年か。今はC級」

 

「C級って、すごいんですか」

 

「まあ、この町じゃ上の方だな。辺境だから、B級以上はほとんどいない」

 

「ひとりで?」

 

マルタさんの手が、ほんの一瞬だけ止まった。

 

「……前は、四人でやってた」

 

ジョッキの中を、じっと見つめている。

 

「解散した。今は、ひとりだ」

 

それ以上は、言わなかった。

 

俺も、それ以上は聞かなかった。

 

前世で学んだことがある。人が話を切った場所には、だいたい理由がある。そこに踏み込むのは、もっと仲良くなってからでいい。

 

「……マルタさん」

 

「ん」

 

「マルタさんは、いい人ですね」

 

「うるせえ、酔っ払い」

 

マルタさんは、ぶっきらぼうに言って、そっぽを向いた。

 

耳が、ちょっとだけ赤かった。エールのせいかもしれないけど。

 

*

 

その時だった。

 

『りあ』

 

肩の上の精霊が、窓の方を指すように光った。

 

『あのこ』

 

振り返る。

 

食堂の窓の外。暗い路地に、小さな影がひとつ立っていた。

 

子どもだった。

 

十歳か、十一歳くらい。ぼさぼさの茶色い髪に、穴だらけの服。裸足。痩せこけた頬。

 

その子は、窓ガラス越しに、食堂の中をじっと見ていた。

 

テーブルの上の煮込みを。黒パンを。冒険者たちが食べ散らかした、骨つき肉を。

 

瞬きもせずに。

 

「こらっ! またあんたかい、トビ!」

 

ハンナさんが、厨房から飛び出していった。窓の外の子どもは、びくっと肩を跳ねさせて、あっという間に路地の暗がりに消えた。

 

「まったく、もう……」

 

戻ってきたハンナさんは、怒っているというより、困ったような顔をしていた。

 

「あの子、去年の冬に面倒見てた婆さんが死んじまってね。それから、ずっとひとりで路地をうろうろしてるんだよ。たまにパンの端っこをやるんだけど、うちだって、町中の孤児を食わせてやれるほど余裕はないからね……」

 

ため息をついて、ハンナさんは厨房に戻っていった。

 

『あのこ、おなかすいてる』

 

精霊が、ぽつりと言った。

 

『ずっと、すいてる』『きのうも、きょうも』

 

俺は、手の中のジョッキを見下ろした。

 

腹の減らない体で、串焼きを三本食べて、煮込みを一杯食べて、うまいうまいと泣いていた。

 

その間、窓の外で、腹を減らした子どもが、ずっと見ていた。

 

酔いが、すっかり醒めていた。

 

*

 

あてがわれたのは、屋根裏の小さな部屋だった。

 

天井が斜めで、まっすぐ立つと頭がつかえそうになる。寝台は、木の枠に藁を詰めた袋を載せただけのものだ。横になると、藁がちくちくと背中を刺した。

 

小さな窓から、星が見えた。

 

下の通りから、酔っ払いの調子っぱずれな歌声が聞こえてくる。どこかで犬が吠えている。隣の部屋から、誰かのいびきが壁越しに響いてくる。

 

エルフの神殿の寝台は、花びらを詰めた絹の袋だった。いい匂いがして、ふかふかで、静かだった。

 

こっちは、ちくちくして、うるさくて、ちょっと埃っぽい。

 

千年の神殿より、ずっといい。

 

心から、そう思った。

 

思ったんだけど。

 

目を閉じると、窓の外に立っていた、あの子の顔が浮かんだ。

 

瞬きもしないで、煮込みを見ていた目。

 

『りあ、ねないの?』

 

枕元で、精霊たちが丸くなっていた。

 

「……寝るよ」

 

俺は、藁の寝台の上で寝返りを打った。

 

明日は、ギルドだ。

 

金を稼がないといけない。借金を返さないといけない。

 

それから。

 

それから、たぶん、あの子にも何か食わせてやりたい。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
点
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。