世界樹から実ったハイエルフ(中身は元社畜)、八百年ぶりの上位種として崇められていますが、人間の町でのんびり暮らしたいだけです 作:月白イツキ
「いいか。絶対に、何もしないでくれ」
翌朝。屋根裏部屋の窓辺で、俺は精霊たちに頭を下げていた。
「今日、魔力の測定っていうのがあるんだ。水晶に手をかざすだけらしいんだけど、そこで変なことになったら困る。目立ちたくない。普通のエルフだと思われたい」
『ふつう?』『ふつうって?』
「目立たない、ってこと」
『わかった』『しずかにする』『りあのまりょく、かくす』
精霊たちは、やけに張り切って明滅した。
不安だ。こいつらの「わかった」は、だいたい分かっていない。
でも、他に打てる手もない。
水晶が割れるよりは、何も起きない方がいい。そう自分に言い聞かせた。
*
冒険者ギルドは、町の中央広場に面した、石造りの大きな建物だった。
跳ね鹿亭から歩いて五分。
中に入ると、正面に長いカウンターがあって、その横の壁一面に、紙がびっしりと貼られた掲示板があった。依頼の掲示板だ。その前で、朝から何人もの冒険者が紙を睨んでいる。
ゲームで見たやつだ。ネット小説で読んだやつだ。
正直に言う。ちょっと、わくわくした。
「ペトラ。新規登録、一人」
マルタさんがカウンターに声をかけると、奥から眠そうな顔の若い女の人が出てきた。栗色の髪をひとつに束ねていて、目の下にうっすらと隈がある。
「……おはようございます、マルタさん。新規ですか。珍しいですね」
ペトラさんは、あくびを噛み殺しながら、一枚の紙とペンをカウンターに置いた。
「じゃあ、これに記入してください。名前、種族、年齢、出身地。字が書けなければ代筆しますけど」
「書けます」
なぜか、人間の文字も読めるし書ける。大樹の初期設定は、本当に親切だ。
名前。リア。
種族。少しだけ迷ってから、エルフと書いた。ハイエルフとは書かない。嘘ではない。たぶん。
年齢。
ペンが止まった。
生まれて二週間と三日。
「〇」と書きかけて、慌てて止めた。見た目は二十歳くらいだ。前世は三十二歳だった。どっちを書けばいいんだ。
結局、二十と書いた。見た目に合わせておくのが無難だろう。
出身地。アルヴの森。
「はい、受け付けました」
ペトラさんは、紙をちらりと見ただけで脇に置いた。エルフという字を見ても、眉ひとつ動かさなかった。この人、たぶん何にも興味がない。
助かる。
「じゃあ、最後に魔力測定です。こちらに手をかざしてください」
カウンターの上に、台座に載った水晶玉が置かれた。拳ふたつ分くらいの大きさで、透き通っている。
「魔力があれば、量に応じて光ります。普通の人なら、ぼんやり光るくらい。魔法使いの素質がある人なら、はっきり光ります。光り方で、ギルドから紹介できる依頼が変わることもあるので」
「……はい」
いつの間にか、周りに人が集まっていた。掲示板の前にいた冒険者たちが、ちらちらとこっちを見ている。
「エルフだってよ」 「森のエルフが町に来るなんて、珍しいな」 「エルフなら、魔力すげえんじゃねえの」
期待されている。
やめてくれ。
俺は、ひとつ深呼吸をした。肩の上の精霊たちに、心の中でもう一度念を押す。何もしないでくれ。静かにしててくれ。
『まかせて』
頼もしいような、不安なような返事だった。
右手を、水晶の上にかざした。
――何も、起きなかった。
光らない。
ぼんやりとも、光らない。
透明な水晶は、ただの透明な水晶のまま、カウンターの上に鎮座していた。窓から差し込む朝日を、ちょっと反射しているだけだ。
「…………」
ペトラさんが、初めて眠そうじゃない顔をした。
「……あれ?」
水晶を覗き込む。台座を叩く。もう一度、俺の顔を見る。
「すみません、もう一回かざしてもらえます?」
かざした。
何も起きなかった。
「……マルタさん、ちょっと、手を」
「あたし?」
マルタさんが手をかざすと、水晶の奥に、小さな赤い光がぼうっと灯った。焚き火の熾火くらいの、控えめな光だ。
「壊れてはいない、ですね」
ペトラさんが、ゆっくりと俺の方に向き直った。
「……魔力、ゼロです」
しん、とギルドの中が静まり返った。
「ゼロ?」 「エルフなのに?」 「いや、ゼロってありえるのか? 普通の人間だって、ちょっとは光るぞ」 「生きてる奴でゼロなんて、初めて見た……」
ひそひそ声が広がっていく。
俺は、肩の上をちらりと見た。
『かくした!』
精霊たちが、誇らしげにぴかぴか光っていた。
『ぜんぶ、かくした!』『じょうず?』『じょうずでしょ!』
上手すぎるんだよ。
加減ってものを知らないのか。普通のエルフくらいに抑えてくれればよかったのに、ゼロって。生き物として存在しちゃいけないレベルまで隠してどうする。
けど、文句を言うわけにもいかない。俺が頼んだんだ。
そして、問題はここからだった。
「……かわいそうに」
誰かが、ぽつりと言った。
振り返ると、掲示板の前にいた髭面の冒険者が、哀れむような目で俺を見ていた。
「エルフってのは、魔法が使えて当たり前の種族なんだろ。魔力がないなんて……」
「ああ、それで森を出てきたのか」
別の冒険者が、納得したように頷く。
「里を追い出されたんだな」
「えっ」
「魔力がないから、エルフの里にいられなくなったんだろう。家出なんて言ってたけど、本当は……」
「ひでえ話だな」
「エルフって、そういうとこ厳しいって聞くもんな」
ちがう。
全然ちがう。
俺は追い出されたんじゃない。八百年分の期待と、毎朝一時間の讃美歌と、聖なる木苺から逃げてきたんだ。
でも、それを言うわけにはいかない。
隣を見ると、マルタさんまで、なんだか神妙な顔をしていた。
「……リア。あんた、苦労してたんだな」
「いや、あの」
「いい。言わなくていい。昨日、あんたがなんであんなに泣きながら串焼き食ってたのか、分かった気がする」
分かってない。それは、ただ肉がうまかっただけだ。
でも、否定する言葉が見つからなかった。
結局、俺は何も言えないまま、ペトラさんから一枚の木札を受け取った。
表に、リア、と焼き印が押してある。裏には、F、の一文字。
「……登録は完了です。F級から。何か困ったことがあったら、言ってください」
ペトラさんまで、心なしか優しい声になっていた。
*
身分証は手に入った。
次は、金だ。
ギルドの奥には、素材の買い取りカウンターがある。マルタさんに教えてもらって、俺はそこへ向かった。
カウンターの向こうにいたのは、片眼鏡をかけた白髪の老人だった。
「ほう、エルフのお嬢さん。何を売りに来たのかね」
「これなんですけど」
袖の中から、大樹の葉を一枚取り出す。
老人の片眼鏡が、きらりと光った。
「ほう……ほう、ほう」
葉を受け取り、光に透かす。裏返す。指でそっと撫でる。匂いを嗅ぐ。
「見たことのない葉だな。艶がある。枯れておらん。しかも、ほのかに温かい……」
老人は、カウンターの下から真鍮の器具を取り出した。虫眼鏡に歯車がいくつもついたような、妙な道具だ。
「鑑定具だ。ちょっと待っとれ」
器具のレンズを、葉にかざす。
かち、かち、かち、と歯車が回った。
そして。
ぷすん、と小さな音を立てて、器具から煙が出た。
「…………」
「…………」
老人は、煙を吐く鑑定具をしばらく無言で見つめていた。
「……古い型だからな。たまに、こうなる」
本当にそうなのか。
精霊たちが、またぴかぴか光っている気がする。いや、今回は何も頼んでない。たぶん、葉っぱの方の問題だ。
「まあ、珍しい森の葉だろう。押し花にでもすれば、好事家が買うかもしれん。一枚、銅貨十枚でどうかね」
銅貨十枚。
串焼き三本と、ちょっと。
「……お願いします」
銅貨が十枚、カウンターの上に並べられた。
生まれて初めての、自分で稼いだ金だ。いや、拾った葉っぱを売っただけだけど。
「残りも売るかね?」
「いえ、とりあえず一枚で」
なんとなく、全部手放すのはためらわれた。
老人は葉を大事そうに布に包んで、棚にしまった。
「いや、しかし面白い葉だ。今度、王都の鑑定院の知り合いに見せてみるかな……」
その呟きを、俺は特に気にも留めなかった。
――後になって、ものすごく気にすることになるんだけど。
*
借金、銅貨百三十九枚。
所持金、銅貨十枚。
「……働かないと」
掲示板の前に立つ。F級向けの依頼は、端の方にまとめて貼られていた。
『薬草採取 東の森の外縁にて、癒し草を籠一杯 報酬・銅貨四十枚』
『水路の清掃 北区 報酬・銅貨三十枚』
『迷い猫探し 三毛、名前はミーシャ 報酬・銅貨五十枚』
「あたしは、今日は護衛の仕事がある。ついていってやれないけど、大丈夫か」
マルタさんが、心配そうに俺を見下ろす。
昨日の夜までは、呆れた顔だった。今は、完全に「里を追い出された可哀想な子」を見る目だ。
胸が痛い。いろんな意味で。
「大丈夫です。たぶん」
俺は、三枚の依頼書を見比べた。
薬草採取は、森の外縁まで歩かないといけない。今の俺には遠すぎる。水路の清掃は、体力的に無理だ。たぶん、三回くらい倒れる。
残るのは。
『ねこ?』
肩の上の精霊が、ぴくりと反応した。
『ねこ、しってる』『みけ』『いつも、ひなたぼっこしてるとこ、ある』
……。
俺は、迷い猫探しの依頼書を、そっと掲示板から剥がした。