世界樹から実ったハイエルフ(中身は元社畜)、八百年ぶりの上位種として崇められていますが、人間の町でのんびり暮らしたいだけです   作:月白イツキ

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第8話 魔力ゼロのエルフ

「いいか。絶対に、何もしないでくれ」

 

翌朝。屋根裏部屋の窓辺で、俺は精霊たちに頭を下げていた。

 

「今日、魔力の測定っていうのがあるんだ。水晶に手をかざすだけらしいんだけど、そこで変なことになったら困る。目立ちたくない。普通のエルフだと思われたい」

 

『ふつう?』『ふつうって?』

 

「目立たない、ってこと」

 

『わかった』『しずかにする』『りあのまりょく、かくす』

 

精霊たちは、やけに張り切って明滅した。

 

不安だ。こいつらの「わかった」は、だいたい分かっていない。

 

でも、他に打てる手もない。

 

水晶が割れるよりは、何も起きない方がいい。そう自分に言い聞かせた。

 

*

 

冒険者ギルドは、町の中央広場に面した、石造りの大きな建物だった。

 

跳ね鹿亭から歩いて五分。

 

中に入ると、正面に長いカウンターがあって、その横の壁一面に、紙がびっしりと貼られた掲示板があった。依頼の掲示板だ。その前で、朝から何人もの冒険者が紙を睨んでいる。

 

ゲームで見たやつだ。ネット小説で読んだやつだ。

 

正直に言う。ちょっと、わくわくした。

 

「ペトラ。新規登録、一人」

 

マルタさんがカウンターに声をかけると、奥から眠そうな顔の若い女の人が出てきた。栗色の髪をひとつに束ねていて、目の下にうっすらと隈がある。

 

「……おはようございます、マルタさん。新規ですか。珍しいですね」

 

ペトラさんは、あくびを噛み殺しながら、一枚の紙とペンをカウンターに置いた。

 

「じゃあ、これに記入してください。名前、種族、年齢、出身地。字が書けなければ代筆しますけど」

 

「書けます」

 

なぜか、人間の文字も読めるし書ける。大樹の初期設定は、本当に親切だ。

 

名前。リア。

 

種族。少しだけ迷ってから、エルフと書いた。ハイエルフとは書かない。嘘ではない。たぶん。

 

年齢。

 

ペンが止まった。

 

生まれて二週間と三日。

 

「〇」と書きかけて、慌てて止めた。見た目は二十歳くらいだ。前世は三十二歳だった。どっちを書けばいいんだ。

 

結局、二十と書いた。見た目に合わせておくのが無難だろう。

 

出身地。アルヴの森。

 

「はい、受け付けました」

 

ペトラさんは、紙をちらりと見ただけで脇に置いた。エルフという字を見ても、眉ひとつ動かさなかった。この人、たぶん何にも興味がない。

 

助かる。

 

「じゃあ、最後に魔力測定です。こちらに手をかざしてください」

 

カウンターの上に、台座に載った水晶玉が置かれた。拳ふたつ分くらいの大きさで、透き通っている。

 

「魔力があれば、量に応じて光ります。普通の人なら、ぼんやり光るくらい。魔法使いの素質がある人なら、はっきり光ります。光り方で、ギルドから紹介できる依頼が変わることもあるので」

 

「……はい」

 

いつの間にか、周りに人が集まっていた。掲示板の前にいた冒険者たちが、ちらちらとこっちを見ている。

 

「エルフだってよ」 「森のエルフが町に来るなんて、珍しいな」 「エルフなら、魔力すげえんじゃねえの」

 

期待されている。

 

やめてくれ。

 

俺は、ひとつ深呼吸をした。肩の上の精霊たちに、心の中でもう一度念を押す。何もしないでくれ。静かにしててくれ。

 

『まかせて』

 

頼もしいような、不安なような返事だった。

 

右手を、水晶の上にかざした。

 

――何も、起きなかった。

 

光らない。

 

ぼんやりとも、光らない。

 

透明な水晶は、ただの透明な水晶のまま、カウンターの上に鎮座していた。窓から差し込む朝日を、ちょっと反射しているだけだ。

 

「…………」

 

ペトラさんが、初めて眠そうじゃない顔をした。

 

「……あれ?」

 

水晶を覗き込む。台座を叩く。もう一度、俺の顔を見る。

 

「すみません、もう一回かざしてもらえます?」

 

かざした。

 

何も起きなかった。

 

「……マルタさん、ちょっと、手を」

 

「あたし?」

 

マルタさんが手をかざすと、水晶の奥に、小さな赤い光がぼうっと灯った。焚き火の熾火くらいの、控えめな光だ。

 

「壊れてはいない、ですね」

 

ペトラさんが、ゆっくりと俺の方に向き直った。

 

「……魔力、ゼロです」

 

しん、とギルドの中が静まり返った。

 

「ゼロ?」 「エルフなのに?」 「いや、ゼロってありえるのか? 普通の人間だって、ちょっとは光るぞ」 「生きてる奴でゼロなんて、初めて見た……」

 

ひそひそ声が広がっていく。

 

俺は、肩の上をちらりと見た。

 

『かくした!』

 

精霊たちが、誇らしげにぴかぴか光っていた。

 

『ぜんぶ、かくした!』『じょうず?』『じょうずでしょ!』

 

上手すぎるんだよ。

 

加減ってものを知らないのか。普通のエルフくらいに抑えてくれればよかったのに、ゼロって。生き物として存在しちゃいけないレベルまで隠してどうする。

 

けど、文句を言うわけにもいかない。俺が頼んだんだ。

 

そして、問題はここからだった。

 

「……かわいそうに」

 

誰かが、ぽつりと言った。

 

振り返ると、掲示板の前にいた髭面の冒険者が、哀れむような目で俺を見ていた。

 

「エルフってのは、魔法が使えて当たり前の種族なんだろ。魔力がないなんて……」

 

「ああ、それで森を出てきたのか」

 

別の冒険者が、納得したように頷く。

 

「里を追い出されたんだな」

 

「えっ」

 

「魔力がないから、エルフの里にいられなくなったんだろう。家出なんて言ってたけど、本当は……」

 

「ひでえ話だな」

 

「エルフって、そういうとこ厳しいって聞くもんな」

 

ちがう。

 

全然ちがう。

 

俺は追い出されたんじゃない。八百年分の期待と、毎朝一時間の讃美歌と、聖なる木苺から逃げてきたんだ。

 

でも、それを言うわけにはいかない。

 

隣を見ると、マルタさんまで、なんだか神妙な顔をしていた。

 

「……リア。あんた、苦労してたんだな」

 

「いや、あの」

 

「いい。言わなくていい。昨日、あんたがなんであんなに泣きながら串焼き食ってたのか、分かった気がする」

 

分かってない。それは、ただ肉がうまかっただけだ。

 

でも、否定する言葉が見つからなかった。

 

結局、俺は何も言えないまま、ペトラさんから一枚の木札を受け取った。

 

表に、リア、と焼き印が押してある。裏には、F、の一文字。

 

「……登録は完了です。F級から。何か困ったことがあったら、言ってください」

 

ペトラさんまで、心なしか優しい声になっていた。

 

*

 

身分証は手に入った。

 

次は、金だ。

 

ギルドの奥には、素材の買い取りカウンターがある。マルタさんに教えてもらって、俺はそこへ向かった。

 

カウンターの向こうにいたのは、片眼鏡をかけた白髪の老人だった。

 

「ほう、エルフのお嬢さん。何を売りに来たのかね」

 

「これなんですけど」

 

袖の中から、大樹の葉を一枚取り出す。

 

老人の片眼鏡が、きらりと光った。

 

「ほう……ほう、ほう」

 

葉を受け取り、光に透かす。裏返す。指でそっと撫でる。匂いを嗅ぐ。

 

「見たことのない葉だな。艶がある。枯れておらん。しかも、ほのかに温かい……」

 

老人は、カウンターの下から真鍮の器具を取り出した。虫眼鏡に歯車がいくつもついたような、妙な道具だ。

 

「鑑定具だ。ちょっと待っとれ」

 

器具のレンズを、葉にかざす。

 

かち、かち、かち、と歯車が回った。

 

そして。

 

ぷすん、と小さな音を立てて、器具から煙が出た。

 

「…………」

 

「…………」

 

老人は、煙を吐く鑑定具をしばらく無言で見つめていた。

 

「……古い型だからな。たまに、こうなる」

 

本当にそうなのか。

 

精霊たちが、またぴかぴか光っている気がする。いや、今回は何も頼んでない。たぶん、葉っぱの方の問題だ。

 

「まあ、珍しい森の葉だろう。押し花にでもすれば、好事家が買うかもしれん。一枚、銅貨十枚でどうかね」

 

銅貨十枚。

 

串焼き三本と、ちょっと。

 

「……お願いします」

 

銅貨が十枚、カウンターの上に並べられた。

 

生まれて初めての、自分で稼いだ金だ。いや、拾った葉っぱを売っただけだけど。

 

「残りも売るかね?」

 

「いえ、とりあえず一枚で」

 

なんとなく、全部手放すのはためらわれた。

 

老人は葉を大事そうに布に包んで、棚にしまった。

 

「いや、しかし面白い葉だ。今度、王都の鑑定院の知り合いに見せてみるかな……」

 

その呟きを、俺は特に気にも留めなかった。

 

――後になって、ものすごく気にすることになるんだけど。

 

*

 

借金、銅貨百三十九枚。

 

所持金、銅貨十枚。

 

「……働かないと」

 

掲示板の前に立つ。F級向けの依頼は、端の方にまとめて貼られていた。

 

『薬草採取 東の森の外縁にて、癒し草を籠一杯 報酬・銅貨四十枚』

 

『水路の清掃 北区 報酬・銅貨三十枚』

 

『迷い猫探し 三毛、名前はミーシャ 報酬・銅貨五十枚』

 

「あたしは、今日は護衛の仕事がある。ついていってやれないけど、大丈夫か」

 

マルタさんが、心配そうに俺を見下ろす。

 

昨日の夜までは、呆れた顔だった。今は、完全に「里を追い出された可哀想な子」を見る目だ。

 

胸が痛い。いろんな意味で。

 

「大丈夫です。たぶん」

 

俺は、三枚の依頼書を見比べた。

 

薬草採取は、森の外縁まで歩かないといけない。今の俺には遠すぎる。水路の清掃は、体力的に無理だ。たぶん、三回くらい倒れる。

 

残るのは。

 

『ねこ?』

 

肩の上の精霊が、ぴくりと反応した。

 

『ねこ、しってる』『みけ』『いつも、ひなたぼっこしてるとこ、ある』

 

……。

 

俺は、迷い猫探しの依頼書を、そっと掲示板から剥がした。

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