『刻を統べる甲虫(クロノ・ビートル)』 作:もこもこ
一旦続く、短編なので早速ですがシリアスパートに入ります。
新エリー都・六分街。
ホロウ災害の爪痕を隣に抱えながらも、この街には逞しく生きる人々の熱気と喧騒が満ちている。
昼時を迎えたラーメン屋『滝壺(たきつぼ)』のカウンターで、青年は湯気を立てるどんぶりと静かに向き合っていた。
「お待ちどお! うちの特製、豚骨チャーシュー麺だ。熱いうちに食ってくれよ!」
四本の腕を持つサイボーグ店主、チョップ大将の威勢のいい声に、青年は無言で頷き、割り箸を割った。
澄んだスープを一口すする。
――熱い。そして、濃密な旨味が舌の上に広がる。
改めて意識すると全てが新鮮な感覚がする。
それは、生きている人間にとってはごく当たり前の感覚のはずだった。だが、彼の味覚は長い間、タキオン粒子の極限加速と、ホロウの極寒の中で麻痺しきっていた。
『クロックアップ』の世界に、温かい飯はない。すべては静止し、冷え切り、ただ命を削るだけの孤独な空間だ。食事は単なる栄養補給であり、味や温度を感じる前にすべてが過ぎ去っていくのが彼の日常だった。
だが今は、確かに胃の腑に落ちる温かさを感じている。
「あ、やっぱりここにいた!」
隣の空席に、元気な声とともにリンが座り込んだ。反対側の席には、穏やかな笑みを浮かべたアキラも腰を下ろす。
「やあ。君のバイクが店の前に停まっていたからね。味はどうだい?」
「……悪くない」
青年は短く答え、再び麺をすすった。そのぶっきらぼうな返答に、リンが嬉しそうに目を細める。
「よかった! この街のご飯、美味しいでしょ。そうだ、食後は斜め向かいの喫茶店に行こうよ。ここのコーヒー、新エリー都で一番なんだから!」
食後、リンに半ば強引に手を引かれる形で、青年は喫茶店『COFF CAFE』のテラス席に座らされていた。
マスターである知能機械(ティンマスター)が淹れたブラックコーヒーを、青年は静かに口へ運ぶ。
芳醇な香りと、深い苦味。確かに見事な抽出だ。
「……美味い」
青年はカップを置き、ふと遠くを見るような目をした。
「だが、俺のドリップなら、もう少し豆の甘みを引き出せる」
「えっ、君ってコーヒー淹れられるの!?」
目を丸くするリンに、アキラも意外そうに微笑んだ。
「へえ……それはぜひ、いつかご馳走になりたいな。いつもインスタントで済ませてしまうことが多いからね」
「……気が向いたらな」
青年はそっぽを向いたが、その声色から以前のような刺々しさは消えていた。
六分街の穏やかな喧騒。新聞スタンドのハウルが吠える声、ゲームセンターから漏れる電子音、そして隣で笑い合う兄妹の体温。
11年前、自分が守りたかった、そして自分の手から零れ落ちてしまった日常が、ここにある。
だからこそ、これ以上彼らを自分の過酷な時間に巻き込むわけにはいかない――そう思っていたはずなのに、彼が過ごす「止まっていた時間」の秒針は、アキラとリンの隣にいることで少しずつ溶け出していた。
しかし、彼が六分街でひとときの休息を得ているその裏で、新エリー都の巨大な闇はすでに蠢き始めていた。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
数日後のこと....
零号ホロウ。それは新エリー都において最も接近が忌避される、絶対的な死の領域。空間そのものが意思を持っているかのように常に構造を変え、高濃度のエーテルが物理法則すらも書き換えてしまう狂気の深淵である。
「はぁっ……はぁっ……! クソッ、通信機は完全にオフラインか……!」
崩落した旧市街地の谷間で、ホロウ調査協会の一般隊員である男は、絶望に顔を歪めながら瓦礫の陰に身を潜めていた。
協会の正規ルート開拓任務。部隊単位で慎重に進行していたはずが、突発的な空間断層に巻き込まれ、彼だけが未知のセクターへと弾き出されてしまったのだ。
防護服のバイザーには、周囲のエーテル濃度が致死量に達しつつあることを示す赤い警告表示がけたたましく点滅している。このままエーテルを浴び続ければ、自分の肉体と精神が侵蝕され、自我のない怪異――エーテリアスへと成り果ててしまう。
「誰か……応答してくれ……! 救援を……!」
だが、彼の悲痛な叫びは紫黒色の霧に吸い込まれるだけで、どこにも届かない。
追い打ちをかけるように、地響きが周囲の瓦礫を揺らした。霧の奥から、複数の赤く濁った眼光が浮かび上がる。人間を狩るために現れた、強襲型エーテリアスの群れだった。
鋭い鎌のような前脚を持つ変異体たちが、涎を垂らしながらジリジリと距離を詰めてくる。男は腰の標準装備である小型銃を引き抜いたが、恐怖で手が震え、まともに構えることすらできなかった。
(……終わった。俺も、あいつらみたいに……)
男が死を覚悟し、きつく目を閉じたその時だった。
「――伏せていろ。すぐに終わらせる」
頭上から降ってきた落ち着いた声と共に、凄まじい質量の何かが男の目の前に着地した。
轟音と共にコンクリートの地面が砕け散る。舞い上がる粉塵の中から立ち上がったのは、全身を分厚い銀色の重装甲で覆った、異様なシルエットの戦士だった。
『……対象の座標に到達した。これより周辺の脅威を排除する』
戦士の通信機から、ノイズ一つない極めてクリアな青年の声が漏れ聞こえた。
この狂った空間で、あり得ないほど冷静で理知的な声。それは、六分街からFairyの演算を通じて回線を繋いでいるプロキシ、アキラの声だった。
男を庇うように立つ銀色の戦士は、手にした多機能銃剣――カブトクナイガンを斧(アックスモード)へと変形させ、群がり来るエーテリアスの先陣をその重い一撃で真っ二つに叩き割った。
「あ、あんたのその姿……!」
腰を抜かした男は、目の前の重装甲を見て息を呑んだ。
「協会の中で都市伝説扱いされてた、所属不明のエージェント……! たった一人でホロウ深部を徘徊する『深紅の甲虫』……! あの噂は、本当だったのか……!」
男の驚愕に、戦士は静かに腰のバックルへと手を添え、巨大なホーン状のレバーを一気に弾いた。
『CAST OFF』
くぐもった電子音声が響くと同時に、戦士の内部から強烈なエネルギーが膨張する。
次の瞬間、全身を覆っていた分厚い重装甲(マスクドアーマー)が一斉に弾け飛び、至近距離まで迫っていたエーテリアスたちを散弾のように撃ち抜いて吹き飛ばした。
装甲のパージによって現れたのは、洗練された流線型のボディと、暗闇の中でも目を灼くような深紅の甲冑。顎部から頭頂部へ向けて巨大な角(カブトホーン)がカチリと立ち上がり、青く澄んだ複眼が冷たく光る。
噂に聞いた姿そのものが、そこに在った。
『CHANGE BEETLE』
「あぁ。空間の制圧に移行する。……ナビゲートを頼む、プロキシ」
『了解した。君の右十メートル先、崩落した陸橋の裏に潜んでいる個体を含め、敵数は計十四。……僕が君の視界に最適なルートを引く。君はただ、迷わず駆け抜けてくれ』
アキラの穏やかな声が響いた直後、真紅の戦士は腰のバックル両脇にあるスラップスイッチを無造作に叩いた。
『CLOCK UP』
その瞬間、調査協会の男の目に映る世界が完全に消失した。
目の前に立っていた深紅の戦士が、瞬きをするよりも早く、煙のように掻き消えたように錯覚したのだ。
だが、戦士――仮面ライダーカブトの主観世界では、まったく別の光景が広がっていた。
すべてが完全な静止へと捕らわれた極限の因果領域。空中に舞い散る瓦礫の破片も、怪物が振り下ろそうとしている爪の先も、粘度の高い泥の中に閉じ込められたかのようにピタリと止まっている。
その静寂の世界の中、彼の複眼(コンパウンドアイ)には、アキラとFairyが演算した淡い緑色の『光の道標』が鮮やかに浮かび上がっていた。
「……的確な案内だ」
カブトは光のルートに沿って、一陣の風となって駆け抜けた。
右手に握ったカブトクナイガンを短剣(クナイモード)へと変形させ、静止したエーテリアスの群れの急所を、流れるような連撃で次々と貫いていく。
コンマ一秒の無駄もない、極限の速度による舞踏。アキラの指示した通り、死角に潜んでいた個体すらも回り込んで的確に仕留める。
すべての敵を両断し終えた後、カブトは再び男の目の前へと戻り、腰のスイッチに触れた。
『CLOCK OVER』
調査協会の男にとって、それはまさに奇跡のような光景だった。
一瞬前まで自分を取り囲んでいた十数体の怪物が、次の瞬間、一斉に虚空で爆散し、紫の煙となって霧散したのだから。
「あ……あぁ……」
へたり込む男を見下ろし、深紅の戦士はカブトクナイガンを静かに収めた。
「立てるか。長居は無用だ、まだホロウの侵蝕は終わっていない」
男が呆然としていると、戦士の背後から、ウサギのような耳を持つ小さな球体ボンプ(イアス)がトコトコと姿を現した。
『怪我はないかい? 君の所属部隊は、現在ここから南東へ二キロ離れた安全地帯で待機している。……このボンプが引く緑色のガイドラインに沿って走れば、エーテル濃度の低いルートを通って合流できるはずだ。急いで』
ボンプのスピーカーから聞こえる理知的な青年の声に、男は弾かれたように立ち上がった。
「あ、ありがとうございます……! まさか、本当に実在したなんて……あなた方は一体……」
「名乗るほどの者ではない。……さあ、君の帰りを待つ仲間のところへ行け」
静かに促す青年の言葉に従い、男は深紅の戦士に深く一礼すると、ボンプが投影する光のラインを頼りに、瓦礫の向こうへと力強く駆け出していった。
男の後ろ姿が見えなくなった後、静寂を取り戻した廃墟に、再び通信の音声が響く。
『見事な手際だね。……これでまた一人、ホロウの犠牲者を減らすことができた。君の力と僕たちのナビゲートがあれば、これからも多くの命を――』
「買い被りすぎだ、プロキシ」
カブトは静かに言葉を返し、視線を零号ホロウのさらに奥――特異点の方向へと向けた。
「俺の目的地へ向かう道に、迷い子がいただけのこと。……特異点の因果を解くという俺の目的は、何も変わらない」
突き放すような物言い。
それは、自らの心を擦り減らし、過去の喪失に縛られ続けている彼なりの、自己防衛の壁でもあった。
だが、通信越しのプロキシ兄妹は、そんな彼の不器用さをとっくに看破していた。
『そうかな?』
アキラの声には、彼を非難する響きは一切なく、むしろ深い包容力のような温かさが滲んでいた。
『君の戦い方の軌跡データを、Fairyのモニタでずっと見ていたよ。……君が彼を助けるために踏み込んだルートは、本来の君の目的地からは明らかに逸れていた。彼が死の淵に立っているのを感知して、君は自分の歩みを止めてまで、一直線に救出へ向かってくれたじゃないか』
「…………」
『どんなに絶望的な因果を背負い、心を擦り減らしてしまったとしても、君の根底にある「目の前の命を見捨てられない」という優しさは、11年前から何も変わっていないんだね』
カブトは言葉に詰まった。
冷たい静寂の世界で生き続けてきた彼にとって、アキラの言葉はあまりにも真っ直ぐで、かつての人間だった頃の自分の体温を思い出させるものだったからだ。
『そうだよ!』
横から、通信にリンの元気な声が割り込んでくる。
『あんなに急いで助けに行くんだもん、すっごくかっこよかったよ! 協会の人も、きっと君のこと命の恩人だって忘れないと思うな!』
天真爛漫なリンの言葉に、深紅の甲冑の下で、青年は小さく息を吐いた。
かつて大切な存在を救えなかった自分。時間を超越する力を持ちながら、特異点の壁を前に何度も膝をついた自分。
その自責の念が消えることはない。だが、この兄妹が引いてくれる光の道の上にいる時だけは、自分が単なる孤独な戦士ではなく、血の通った一人の人間として立っていられるような気がした。
「……お喋りが過ぎるぞ。先へ進む」
カブトは照れ隠しのようにそっぽを向き、再び瓦礫の山へと歩みを進めた。
『ああ、分かっているよ。君の背中は、僕とFairyが完璧に守ってみせる。……僕たちのナビゲートを信じてくれ』
アキラの静かで力強い言葉に、カブトはただ無言で、しかし確かな信頼を込めて頷きを返した。
零号ホロウの最深部に眠る、旧文明の禁忌兵器と凍りついた因果。
止まっていた彼の秒針は今、共に並走してくれる最高の案内人たちを得て、再び未来へ向けて力強く動き始めていた。
――同時刻。新エリー都某所、暗く冷たい地下施設。
壁一面を覆う巨大なホログラムモニターに、調査協会の男を救うため、極限の速度でエーテリアスを殲滅した『深紅の戦士』の姿が幾度も再生されていた。
「……空間の因果律を完全に無視し、ホロウの侵蝕すら受け付けない規格外の装甲。まさか、旧文明の兵器開発局が遺したオーバーテクノロジーがまだ機能していたとはな」
高級なスーツに身を包んだ男が、忌々しげに葉巻を噛み砕く。
新エリー都の経済と技術を独占し、圧倒的な武力で裏社会をも支配する巨大財閥ユニオン『TOPS』の幹部だった。彼らにとって、ホロウ内に眠る未知の力は、すべて自らの支配下に置くべき「資源」に他ならない。
「ただの噂話ではなかったというわけか。……おい」
幹部が背後を振り返ると、重武装の私兵部隊長が恭しく敬礼をした。
「あの深紅の装甲を、我が兵器開発局に回収しろ。ホロウ調査協会の通信ログから奴の進行ルートを割り出し、重力場トラップと特務装甲部隊を配置するのだ」
「はっ。手段は問いませんな?」
「無論だ。街を丸ごと封鎖しようと構わん。我らTOPSの力で、あの『時間』の技術を独占するのだ」
葉巻の煙が、モニターに映るカブトの姿を不気味に霞ませる。
特異点の因果を解き明かそうとする青年とプロキシ兄妹の前に、傲慢なる鉄の包囲網が、静かに、そして確実に迫りつつあった。
ここから本筋入っていきたいけど話を
どうやって繋げていくかで頭抱え中。
ほんとに連載している方々はすごいなって思います。