雄英高校ヒーロー科。
未来のヒーローを育成するこの名門校には全国から優秀な個性を持つ少年少女が集まる。
しかし、優秀な個性と優秀な人格は必ずしも両立するものではない。
個性によって人格に影響を及ぼすこともあれば、個性によって望まない人生を強いられた者もいる。
「
1年A組の相澤消太は目の前の男子生徒に問いかけた。
そして「酒場」と呼びかけられた男子生徒は、振り返りながら髪を丁寧に撫でつける。
新入生の下ろし立てと比べると少し色褪せたブレザーを身につけ、きっちりと締められたネクタイ、磨き上げられた革靴。
出で立ちそのものは『優等生』という風貌であった。
しかし彼を知るものは皆して『酒カス』と呼ぶ。
「何をおっしゃるんですか先生。私が『なに』を『また』持ち込んだと?」
「じゃあ、その手に持ってるものはなんだ」
「これは消毒用アルコールですよ」
酒場は心外だとばかりに眉を寄せた。
「食事前の消毒は冬場でなくとも生徒全員が徹底すべきです。感染症対策は日頃の心掛けから。違いますか?」
「消毒液ならすでにある」
顎を向けて手洗い場を指すが、酒場はやれやれといった大げさのジェスチャーをする。そのしぐさで手に持っているガラス瓶が「チャプン」と音を立てた。
「衛生観念の違いでしょうね」
「ほら、ご覧ください」
酒場はラベルを指差した。
「アルコール濃度96パーセント。これ以上ないほど明確な証拠です」
「何の証拠だ」
「消毒用だという証拠ですよ」
言うが早いか、酒場は瓶の蓋を開けた。
「では、失礼して」
ぐびり。
相澤の伸ばした手も虚しく、酒場は瓶を傾けた。
「プハァッ!」
満足そうな吐息。
そして、まるで手品を成功させた奇術師のように両手を広げた。
「ほらね? 飲んでも何ともないでしょう?」
「おまえは胃の中まで消毒するのか?」
「素晴らしい衛生観念でしょう? 私は他とは根底から意識が違うんですよ」
「……そうか」
相澤は静かに目を閉じた。
そして再び開いた。
「放課後、職員室に来い。反省文だ」
「はい」
「返事だけはいつもいいな」と相澤はため息をもらした。
放課後。
西日が差し込む生徒指導室には、二人の男がいた。
一人は疲労の色が濃い教師。
もう一人は反省の色がまるで見えない生徒。
机の上には一枚の原稿用紙。
その冒頭には達筆な文字でこう記されていた。
──飲酒と衛生管理に関する考察。
「書き直せ」
「まだ一行目ですよ?」
「反省文を書けと言ったはずだ」
「ですから、今回の件について考察を」
「考察ではなく反省をしろ」
「なるほど。では、まず問題提起から」
酒場はペンを置いた。
「ところで先生。『砂漠で遭難脱出』という
「口より手を動かせ」
「これが非常に興味深いゲームなんですよ」
「シチュエーションは砂漠の真ん中で墜落した飛行機。最寄りの町まで100キロ以上。そんな絶望的状況の中、機体から回収できた12個の道具に優先順位をつけるんです」
「だから手を動かせ」
「道具は鏡、2リットルのウォッカ、人数分のコート、方位磁石、拳銃、2リットルのウォッカ、懐中電灯──」
「もういい」
ひとまず実力行使で黙らせようと相澤が捕縛布に手にかけたとき、酒場が真剣な面差しで相澤を見つめた。
「先生。これはコンセンサスゲームです。個人の価値観を頭ごなしに否定してはいけません」
酒場は不思議そうに首を傾げた。
「今私たちが生きている世の中は『個性』という明確に区別された社会。その社会のなかで私たちはまだ知る得ぬ個性、価値観と出会うことになるでしょう」
「私がわざわざこの話を持ち出したのも今回のことに関係があるからです。もちろん今後にも役立つことはあるかもしれませんが」
「……続けろ」
「ありがとうございます」
酒場は優雅に一礼した。
「このゲームの醍醐味は全員で合意形成を行うことにあります。多数決は禁止。互いの価値観を尊重し、納得できるまで話し合う。つまり民主的な意思決定の訓練ですね」
「私も以前に一度参加したことがありまして実に難しいものでした」
酒場は遠い目をした。
「その時の私はウォッカを第1位に推薦したのですが、全員から反対されましてね。そこで断腸の思いで2番目に譲歩したのです」
「譲歩の意味を辞書で調べろ」
相澤の相槌を受けてなお、酒場の口は回り続ける。
「話の中盤で『酒を2番目に置かないのならこの場にいる人間の
相澤は何も答えなかった。
酒場は悲しげに首を振った。
「集団心理というものは恐ろしい。多数派の暴走によって少数派の意見がいとも簡単に排斥されるのです」
「おまえが酒を諦めれば済んだ話だろ」
「先生、それは個人の尊厳に関わる問題です。撤回を求めます」
相澤は義理堅く純粋な不純を抱えた教え子を2年続けて抱えてしまった現実に、深いため息を吐いた。
相澤は机に置かれた瓶を手に取った。それは酒場が頑なに「消毒用アルコール」だと言い張り、無害であることを証明するために実飲したものでもあった。
「ともかく、このスピリタスは没収だ」
その瞬間だった。
「待ってください先生!?」
酒場が椅子から立ち上がった。先ほどまでの落ち着いた物腰はどこへやら。
「考えてもみてください! 先生だって砂漠のど真ん中で酒を取り上げられたら困るでしょう!?」
「困らない」
「そんな強がりを!? では夜はどうするんです!?」
「夜?」と問いかけられた相澤はこの状況でも冷静に思考を巡らせた。
昼間は灼熱地獄の砂漠でも夜ならば急速に冷え込む。そのために体を温める酒は使い道がないと切り捨てるには早いのではないかと。
「満天の星空ですよ!? しかも飛行機が墜落したというスパイス……」
しかし思ってた答えは違った。というか誠実な答えをこの男に求めていたこと自体が間違いなのだ。
「こんなの一杯欲しくなるでしょう!?」
酒場は勢いよく立ち上がり、一点の曇りもない眼で担任教師を見つめている。
相澤は深いため息をついた。
それを見た酒場は静かに着席し、机の端に置いてあった消しゴムを手に取り、反省文の書き出しをゆっくり消し始めた。
「先生のお考えはよく分かりました。私も少々感情的になっていたようです」
「ようやく理解したか」
「はい。反省文を書きます」
相澤は小さく頷いた。ようやく終わる、そう思って見守ること10分後。
「先生、できました」
差し出された原稿用紙。
そこには達筆な文字で、こう書かれていた。
──砂漠における飲酒文化の必要性と、集団的合意形成の限界について。
「……酒場」
「はい」
「おまえとは飛行機で墜落したくないな」
「奇遇ですね、先生」
酒場は爽やかに微笑んだ。
「私も酒を没収する人間とは、同じ飛行機に乗りたくありません」
相澤は、今日3度目となる深いため息をついた。
「反省文、追加10枚」
「横暴です!? 去年から思ってましたけど先生は教師としての権限がいき過ぎてると思います!」
雄英高校。
未来のヒーローを育てる学び舎。
今日もまた、1人の問題児が順調に育っていた。
人物紹介
複数の液体を調合し、さまざまな効能を持つ飲料を作り出すことができる。支援に特化した個性だ! その能力は救助活動から戦闘支援まで幅広く応用できるぞ!
※ただし本人が酒を飲む必要は全くないぞ!