十二月の委員会室で、榊原周蔵は、自分の選挙公報を読み上げられていた。
そこに載っている顔は、いま答弁席に座っている顔より、ずいぶん機嫌がよかった。撮影の日には、もう少し笑ってほしいと三度言われ、ようやく作った笑顔が、四か月後には野党の質問資料になっていた。
「この規模で金融機能の回復を図る。そう説明して、選挙を戦われた」
自民党の久世啓介は、公報を机へ置いた。地方行政を歩んできた四十二歳の議員で、榊原が反対党にも協力を求めた際には、まず法案を見せてくれと答えた一人だった。
「ところが、今度の構想は六十兆円です。選挙前の説明は、何だったのでしょうか?」
与党席から、前の政府が隠していたんだ、という声が飛ぶ。委員長が静粛を求めた。
榊原の手元の答弁案には、資料上の制約、調査範囲の拡大、その後の経済情勢、と三つの理由が並んでいた。どれも事実だった。三つとも読めば、自分だけは間違っていなかったように聞こえることも分かっていた。
「見積もりが甘かった」
榊原は立って言った。
後ろで紙をめくっていた秘書官の手が止まる。
「資料が十分でなかったことは、承知していた。それで足りるかのように説明した責任は、私にある」
久世は、すぐには次の質問へ移らなかった。
「では、今回の数字には責任を持てますか?」
「何を根拠に算出したかは説明する。これ以上、損失が増えないという約束はできない」
議場が騒がしくなった。榊原は水を飲まずに、答弁席へ戻った。
冬の資産査定は、銀行が持つ土地の値段を、いくぶん冷静なものに直す作業から始まっていた。帳簿の中には、まだ晴海の土地で日本中の不景気を引き受けられそうな区画があった。売ろうとすると買い手がいない。利息を待てば立ち直るはずの会社では、待っている間に主要な得意先が倒れていた。
隠されていた損失もあった。調べている間に新しく生じた損失もあった。
高城澄江は、二つを混ぜるなと査定班に繰り返した。前者には責任の追及が要り、後者には経営環境の見直しが要る。全部を悪人の仕業にすれば調査は気楽になるが、次の倒産を見落とすことになる。
久世は、高城へ質問を向けた。
「六十兆円を、国民が失うという意味ですか」
「政府保証、資本の注入、資産の買い入れ。それぞれの限度額を設ける構想です。一年度に全額を支出する金額でも、最終的な損失額でもありません」
「それなら、返る金だと宣伝するつもりですか」
「返らない部分が出ます」
高城は、そこで一度口を閉じた。
「どれだけ戻るかは、買う値段と、その後の回収にかかっています。元の貸付額で全部を買えば、銀行が出すべき損を国へ移すことになる。そういう制度にはいたしません」
傍聴席にいた銀行協会の職員が、手帳へ長く書き込んだ。
質問が終わった後、国社党の古参議員が榊原の袖を引いた。正直に言うにも言い方がある、あれでは選挙中に嘘をついたと認めたことになる、と低い声で言った。
「次から信用されなくなる」
榊原は足を止めた。廊下の窓に、十二月の薄い日が入り込む。
「もう、信用した人から聞かれているんだ」
古参議員は、握っていた袖を離した。
翌朝の新聞は、首相が試算の誤りを認めたことを一面に載せた。六十兆円という数字は、答弁の説明より大きな活字になった。
党本部には、二種類の電話が増えた。
なぜ銀行を助けるのかという電話と、自分の預金は下ろしておいた方がよいかという電話だった。同じ人が、一度切ってから、もう一方の用件でかけ直すこともあった。
◇
内田恒夫は、夕食の前に新聞を畳んだ。
六十兆円を日本の人口で割った額が載っていた。五十五歳の内田には、その割り算がどれほど適切かを考える余裕がなかった。自分が次の仕事に就くまで受け取った金を、すぐに思い出した。
森岡精工でいちばん年上だった内田は、三年前、仕事の引受先へ移る話を断っていた。電車を乗り継げば片道一時間半を超える。妻の和枝は、昼の食事と着替えに手を借りることがあり、毎日それを頼める人間はいなかった。
今は、近所の倉庫で朝だけ荷の数を確かめていた。臨時の仕事で、荷が少なければ呼ばれない。足りない分は貯金から出した。正月に息子夫婦が来るという電話へ、今年はそっちでゆっくりしろと答えたばかりだった。
「三枝さんのところ、行くんでしょう」
和枝は茶碗を置く。
「行っても同じだろう」
「同じかどうか、聞いてからにしたら」
内田は返事をせず、妻の椅子を少し引いた。銀行に金を出す説明会へ行くのが嫌なのではなかった。説明を聞いて、仕方がないと思わされるのが嫌だった。
土曜の説明会には、森岡修平も来ていた。二人は入口で会い、以前のように社長、おう、と挨拶した。森岡は今もその呼ばれ方を訂正できずにいる。
会場の公民館では、三枝達彦が黒板に、銀行、工場、仕入先、と書いていた。線を引きかけたところで、後方から声が上がった。
「そんなことは分かってるんだよ」
内田だった。
「銀行がなくなれば困る。分かったよ。それで、なくなったうちの工場はどうなる」
三枝はチョークを置いた。黒板には、工場から先へ向かう線が、途中まで残った。
「元の会社を戻すことは、できません」
「じゃあ、あっちは戻るのか」
「経営者や株主を、そのまま残す案ではありません。預金と振り込みを続けられるようにして、貸せる銀行へ直す。そのために金を入れます」
「うちにも、そうしてほしかったな」
内田は、隣の森岡を見なかった。見れば、これ以上言えなくなる。
森岡は膝の上で手を組んでいた。会社の整理を決めた日に、内田へ、条件は悪くなるが移ってくれないかと頼んだ。内田は二度礼を言って断った。その時の礼が、今も耳に残っていた。
「今からの話もしてくれ」
森岡は三枝へ言った。
「仕事を覚え直せと言うなら、その間の暮らしはどうする。銀行の処理を先に済ませて、それから考えるのか」
三枝は、準備した資料の後ろを開いた。所得を支える給付と、手当付きの職業訓練。国社党へ入った篠宮らが、銀行の措置と並べて予算を確保するよう要求しているものだった。
内田は訓練の時間を尋ねた。
朝から夕方までと聞くと、紙を返した。
「通えない人間は、何人いるんだ」
三枝は、まだ数えていないと答えた。会場の隅で記録していた職員が、そのやり取りを二重線で囲む。
説明会は予定を四十分過ぎた。拍手を始めた後援会の役員が、周囲を見て、二度叩いたところで手を止めた。
帰りに森岡が、内田へ煙草を勧めた。内田は、やめたと言った。
「そうか」
「金がかかるんでね」
森岡は箱をしまい、一緒に駅まで歩いた。
同じ夜、京浜殖産銀行の融資課長、岡崎良介も、家の食卓で金融安定策の説明をしていた。
東京湾沿いに店舗を持つこの銀行では、秋から検査の応対が続いていた。岡崎が閉店後に作る資料は、翌朝、違う書式で求められた。会社を訪ねて商売の話を聞く時間より、昔の土地評価の根拠を探す時間の方が長くなっていた。
「国が助けるんなら、あなたのところも大丈夫なんでしょう」
妻に聞かれ、岡崎は箸を止めた。
「銀行は続くかもしれない」
「あなたは」
「まだ分からない」
高校生の娘は、進路希望の紙を鞄へ戻した。岡崎はそれを見て、出しておけ、と言った。紙の上には、家から通える大学と、下宿の要る大学が一つずつ書かれていた。
社内で買った自分の銀行の株は、既に買値を大きく下回っていた。住宅のローンは、勤務先が持っていた。銀行が潰れても、ローンがなくなるわけではない。その説明を妻へしたことは、まだなかった。
岡崎は、地価の高かった頃に自分が書いた稟議を思い出した。得意先が躊躇すると、今の土地を担保にもう少し借りられると勧めた。支店の貸付残高は増え、岡崎の評定もよくなった。
命令された、と言えば嘘ではない。しかし、褒められた時に嫌な顔はしなかった。
娘の紙をもう一度食卓へ出し、二つの大学を並べて見た。妻が洗い物から戻るまで、どちらにも印を付けなかった。
◇
一九九五年一月十七日、午前五時四十六分。
阪神地域を襲った地震は、榊原内閣の年間予定表にあった仕事を、何一つ減らさずに、その上へ加わった。
官邸へ届く被害の報告は、初めのうち、途切れ途切れだった。連絡が取れない地区ほど、表の数字が少なかった。テレビには火が映り、電話の向こうでは、どの道路が通れるのかを確認する声が重なった。
榊原は指示を出し続けた。指示を受けた側が、現地へ伝えられたかどうかは、別に確かめなければならなかった。首相の命令で増やせるのは書類上の車両数で、瓦礫の間を通れる道ではなかった。
避難所では、薬の名前が分からない老人が、いつも飲んでいる錠剤の色を説明していた。役場の職員は、家族を捜す時間を取れないまま名簿を作った。亡くなった人の人数は、訂正のたびに増えた。
政府は予備費を動かし、救援と復旧のための補正予算を急いだ。年末から金融安定策を詰めていた担当者の何人かが、そのまま被害の集計と復旧費の査定へ回った。
河原真一の机には、銀行の資産に関する綴りと、港湾の被害に関する綴りが積まれた。夕方、同じ頁を二度読み、二度目にも内容が頭へ入らなかった。
部下が、金融の制度案を一か月遅らせるべきではないかと言った。
河原は窓を開けた。冷たい空気が入り、机の端の紙がめくれた。
「遅らせた間、支え切れるかを調べてくれ」
「その調査をする人が、出ています」
河原は、窓を閉めた。
国を組み替えるという仕事は、国を動かしている最中の人間を使って行うほかない。新しい役所の組織図には、どの部署にも課長と係長がいるが、実物は、まだ元の机で電話を取っていた。
被災地では、銀行の店舗も止まった。通帳や印鑑を持ち出せなかった預金者への対応が求められ、大蔵省と日銀は、本人であることを確認したうえで払い戻しに応じるよう、金融機関へ特別措置を求めた。臨時の窓口が設けられ、現金と職員が送られた。
大蔵省を解体するはずの政府は、その大蔵省の職員へ、まだ帰らないでくれと頼んでいた。
この事実をもって改革の誤りが証明されたとする論説が出た。高城は切り抜きを読み、必要な仕事と、権限を一か所に集めることは分けて考えるべきだと、答弁案へ書いた。書いた後で、現地へ出す応援要員の名簿を先に決裁へ回した。
東京でも、被災した取引先への振り込みができない、荷が届かないという相談が増えた。森岡の職場では、神戸の加工業者へ出していた部品の所在が分からなくなった。
ようやく電話が通じたのは、三日後だった。
相手は最初に、納期へ間に合わないと謝った。森岡は、そっちの人間はどうした、と遮った。全員とは連絡が取れていないという返事があった。
森岡は、受話器を持ち直した。
「部品の話は、あとでいい」
電話を切ってから、森岡は上司へ事情を伝えた。自分の会社だった頃のように、勝手に納期を延ばしてよい立場ではない。それでも上司は何も責めず、代わりの工程を一緒に考えた。
国社党の支部も物資と人を出した。黒服隊以来の炊き出しの経験が役に立った場所もあった。現地の受入先を確かめず、トラックを出してしまった支部もあった。通れない道に止まった運転手から怒鳴られ、党本部は、善意で出したという説明を取り下げた。
三枝は、計画中の電子化事業の会議を終えてから、避難所の連絡記録を読んだ。同じ氏名が別の紙へ何度も書き写されていた。文字が違うため、別人として数えられた例もあった。
通信網を整えれば助けられる仕事はあった。同時に、電源が落ちた時に何を使うか、誰が記録を受け持つかを決めなければ、機械を置いても困るだけだった。
彼は仕様書の一頁目へ、停電時の運用、という項目を加えた。その頁に予算の数字が入るまでには、なお何度もの会議があった。
二月になっても、榊原の机から被災地の報告はなくならなかった。国会では初動の遅れと情報の混乱を問われた。首相が答えを用意している間にも、仮設住宅に移れる日を尋ねる人がいた。
金融対策の審議は、その仕事と並行して再開された。
◇
久世が協議の席へ持ってきたのは、国社党の案に赤を入れた紙だった。
政府保証を何に使ったか。出資先の銀行で、誰が辞め、株主がどれだけ負担したか。買い取った債権の額と、その後の回収額を、同じ基準で公表すること。会計検査院の検査とは別に、処理の途中でも専門家が資料へ当たり、国会へ報告できる制度を設けること。
最後に、政府案と野党案の費用を同じ条件で計算する、国会の調査組織が加えられていた。
高城は、赤字を一つずつ読んだ。公表の時期については反対した。銀行ごとの検査情報を即座に出せば、資金繰りを壊す恐れがあった。久世も、個別の預金者や借り手の情報を新聞へ流せと言っているのではなかった。
「守秘義務はもちろん負わせる。公表を遅らせる必要があるなら、理由と期限を付けるつもりだ」
「期限が来ても処理が終わっていなかったらどうする?」
「延長した理由を、もう一度説明してもらう」
高城は、ここは法文を詰める、と余白へ書いた。
榊原は久世へ、そこまで入れれば党をまとめられるかと尋ねた。
「持ち帰って説得します。白紙委任はしません」
久世は紙を揃えた。
自民党内でも、銀行を放置してよいという者は少なかった。ただし、何へ金を出すかでは折り合わなかった。監督の失敗を認めたくない者もいれば、今ここで経営責任を曖昧にすれば、また同じことになると主張する者もいた。久世の地元では、病院へ納める業者の運転資金まで細っていた。政府を困らせて拍手を得た後、その業者と顔を合わせるのは久世だった。
国社党の側も、赤字の追加を歓迎する者ばかりではなかった。
銀行を国の手で立て直すと言ったのに、野党が止める仕組みを入れてどうする。議員会合でそう言った古参に、高城は、国会の調査組織へ銀行の経営を任せる案ではないと説明した。
「金の使い方を調べられるだけで止まるなら、その事業には問題があります」
「調べる相手が問題なんだ。党を潰そうとしている連中だぞ」
高城は返事をせず、榊原を見た。
榊原は、昨年、日本新党から来た五人へ約束した文書を持ってこさせた。自分たちが始めた事業も外から検証させる。その一行には、まだ誰も変更を求めていなかった。
金融機関を処理するための法案は、経営の状態に応じて手段を分けた。立て直せる銀行へは、損失を認めさせ、既存株主の持分を薄めたうえで資本を入れる。既に行き詰まった銀行には、株主の負担と経営陣の退任を求め、公的な管理の下で、預金や決済の業務を引き継がせる。
借り手の会社も、一律には扱わなかった。借金の一部を整理すれば注文をこなして給与を払える会社と、売る品物も客も失った会社では、必要な処置が違った。現場でそれを見分ける人間を増やすためにも金が要った。
篠宮は、失業者の給付を銀行の処理費から切り離して確保するよう迫った。地方議員からは、訓練中の交通費や、家族の世話を代わってもらう費用の話が届いた。三枝は、内田とのやり取りを報告した。
全ての要望が採用されたわけではなかった。介助の担い手は地域によって足りず、給付を設ければ利用できるとも限らなかった。短い時間に分けた訓練を先に試す地域と、準備が間に合わない地域ができた。
九五年度の予算案は修正された。復旧費を別に計上し、金融安定策の支出と保証には、それぞれ国会の承認と報告の条件が付いた。二〇〇〇年までの措置を支える六十兆円の枠は、年度ごとの予算を飛び越えて自由に使える財布にはならなかった。
関連法の修正協議がまとまると、野党の複数会派が賛成に回った。久世らも、自分たちの条件を説明して賛成票を投じた。国社党が単独では越えられなかった参議院を、法案が通った。
首相が求めた挙国一致は成立しなかった。
久世は採決の翌日にも、政府の別の事業へ質問を出した。
榊原はその質問を読み、答弁を準備するよう指示した。
春からは、消費税率を一時的にゼロへ下げる措置も始まった。法律には九八年度末までという期限が入り、九十九年度には三%へ戻すことが書かれた。店先には値下げの札が出たが、売上の増え方は一様ではなかった。仕事がなくなるかもしれない家では、買い物を先へ延ばす理由が残っていた。
円も、政府の期待どおりには動かなかった。公金を入れれば円安になると説明していた党員は、円高の続く相場を前に、今度は金融政策の解説を求めてきた。
高城は、その資料を作るよう担当者へ頼んだ。表紙に景気回復の断言を入れようとした広報担当には、先日の答弁を読み直すようにと言った。
◇
京浜殖産銀行が公的な管理に入った日の朝、岡崎は、いつもより一時間早く支店へ来た。
債務超過が確認され、旧株式の価値は失われた。経営陣は退任し、国の資金で資本を入れ直すことが決まった。新しい経営陣の下で事業を続け、引受先を探す。それまで預金の払い戻しと振り込みを止めないため、必要な資金が用意された。
朝礼で説明を受けた後、行員たちは、窓口で何を聞かれるかを確認した。
預金は下ろせるか。手形はどうなるか。借入金は急に返せと言われるのか。
ある若い行員が、自分たちの退職金はどうなるのかと尋ねた。支店長は、本部へ確認すると答えた。窓口の開く時刻には、その返事はまだ来なかった。
支店の外には、朝から人が並んだ。全額を下ろす客もいれば、記帳しただけで帰る客もいた。岡崎は、給料の振り込みを予定していた工場主へ、当日の処理を確認して電話を入れた。
工場主は、短く礼を言った後、来月の借り入れの話をした。
そちらは、すぐには返事ができなかった。
損失を確定させ、国から資本を入れても、貸してよい会社を探す仕事まで終わるわけではなかった。古い取引先の帳簿は傷んでおり、新しい事業の見通しを調べられる行員は足りなかった。検査に叱られるのを恐れ、以前なら通した案件まで見送る支店も出た。
高城は、貸付残高だけを増やす目標を置く案に反対した。危ない貸付を増やして数字を達成すれば、次の救済を予約することになる。代わりに、融資を断った理由や、条件を変えれば再建できる先への対応を、抽出して点検させた。
その点検にも人が要り、結果が届くまでには時間がかかった。
秋、京浜殖産銀行の本店前へ、閉鎖された工場の労働者が集まった。
銀行の看板は、以前のまま残っていた。窓には、通常どおり営業していると知らせる紙が貼られていた。その前で、仕事を返せという横断幕が広げられている。
内田は、横断幕の端を持った。隣には、国社党の選挙運動で一緒にビラを配った男がいた。党の地方議員も来たが、政権への激励だとは説明しなかった。本人の用意した紙には、給付の申請から支払いまで、何週間かかったかという日付が並んでいた。
岡崎は本部での面談を終えて、裏口から出ようとした。廊下の窓から横断幕が見え、怒鳴り声の内容は、閉めた窓越しにも分かった。
職員の削減と店舗の統合が始まっていた。岡崎の支店も統合対象で、遠い支店へ移るか、割増退職金を受けて退職するかを選ぶよう求められた。融資の審査を続けたいという希望は、いったん預かると言われた。
岡崎は鞄の中の書類を確かめた。外の人たちへ自分も同じだと言う気にはなれなかった。面談で示された退職金には、なお恵まれた部分があったし、今日まで給料を受け取っていた。
家へ帰ると、妻が食卓を空けた。岡崎は書類を出し、金額と、社宅へ移った場合の暮らしと、家を売っても残りそうな借金を説明した。
「こういう相談を、会社の人には受けていたんでしょう」
妻は、住宅の残債を書いた欄を見て言った。
「受けていた」
「自分のことは、どうして分からなかったの?」
岡崎は、銀行がなくなることまで考えて家を買わない、と言いかけた。家は残っていた。銀行も残っていた。その二つが残れば自分も大丈夫だと、長い間考えていた。
年末、岡崎は退職の申出書を出した。次の仕事は決まっていなかった。
高城のもとへ届いた金融整理の報告には、処理した損失、投入した資金、営業を継続した店舗数が載っていた。雇用の集計を付けるよう求めると、銀行員の分は比較的早く届いた。取引先の会社を含めた数字は、調査中の欄が多かった。
役所は、把握できたものから成果を報告したがった。高城は表題を、成果から経過へ変えさせた。
その頃には、元共産主義者の首相に銀行を国有化されると警告していた経営者の中から、国の出資をもっと急ぐよう求める者が出ていた。国社党の機関紙は、その発言を大きく載せた。
同じ号に、工場労働者の抗議は小さく載った。三枝は掲載欄を広げるよう頼んだが、編集担当者は、首相の訪問記事を削ることになると答えた。
話は、その日のうちには決まらなかった。
◇
大蔵省の看板を外す日は、雨だった。
一九九六年春、庁舎前には報道陣が集まった。国社党の議員からは、榊原に立ち会ってほしいという希望が出たが、首相は復旧事業の協議へ出ており、代わりの演説者を送ることもしなかった。
作業員が金具を緩める間、傘を差した記者が、もう少しゆっくり、と頼んだ。作業員は、落とすと危ないので、と答えた。
金融監督は前年のうちに独立した委員会へ移されていた。続いて予算の取りまとめを内閣予算庁、国債の管理などを財政管理庁へ分け、徴税を担う国税庁も新しい体制に置き直した。大蔵省という一つの省に、予算と銀行監督をまとめて握らせる仕組みが終わった。
廃止と移管のための法律を成立させるまでには、所管の調整が続いた。国際的な交渉の窓口や、税制の企画を誰が受け持つかでも揉めた。名称を三つ考えれば済む仕事ではなかった。
汚職や検査情報の不適切な取扱いは、別に調べられた。処分を受ける職員がいた一方で、かつての上司の判断を批判し、新しい監督組織へ移る職員もいた。全員を追い出せという党員へ、人をどう補うのかと尋ねると、民間から連れてくればよいという答えが返った。どの銀行の誰を連れてくるのかと聞けば、話はまた初めに戻った。
河原真一は、自分の机から私物を出した。
鉛筆立ての底に、十年以上前の職員旅行の写真が挟まっていた。写っているうちの一人は処分を受け、一人は既に亡くなり、二人は新しい庁の幹部になっていた。写真を捨てる気にはなれず、封筒へ入れた。
河原自身には、内閣予算庁へ移る話があった。慣れた仕事を続けるなら、それが自然だった。
彼が選んだのは、新設される国会予算局だった。
両院の審議を支えるこの組織は、政府から出された数字を読み、政策の費用を独自に計算する。野党の案も、与党の案と同じ条件で扱う。政府の提出資料を写すだけの部署にしないため、推計に必要な資料を求める権限と、分析結果を公表する手続きが設けられた。
国社党の広報案には、議会が初めて予算を決める、と書かれていた。
河原は、その一文に線を引いた。
「予算を議決するのは、もともと国会です。作って提出する責任は、今後も内閣にあります」
説明を受けた若い党職員は、では何が変わるのか、と聞いた。
「政府の数字が妥当かを、政府と別の職員が計算できます」
「それだけでは、地味ではないですか」
「使い方によっては、随分と揉めますよ」
その見通しは、すぐに当たった。
第一次国民基盤整備十か年計画は、前年から始まっていた。追加の国費は十年間で六十兆円。金融安定枠と同じ数字だったため、合計の意味を巡って国会でも新聞でも説明が繰り返された。こちらは通信や教育、設備の整備などに使う国費で、銀行への保証と同じものではなかった。
国会予算局の初期の試算は、電子化事業の費用を、政府案より高く見積もった。古い仕組みを一度に捨てられないため、移行中は新旧両方の運用費がかかる。人員の削減で早期に取り戻せるという政府の見込みには、根拠が不足していた。
高城は河原を呼び、担当者に確認したかと聞いた。
「確認しました。予定どおり切り替われば、という回答でした」
「遅れないように進めても?」
「では、遅れた場合の費用も、予算に見込んでください」
高城は机の試算を見た。役所の権限を分ければ、こちらの計画を通しやすくなる。それは国社党が解体を進めた理由の一つだった。実際に動き始めた制度は、こちらの見込みの甘さも拾った。
会議の後、担当者へ試算のやり直しを指示した。言い方が少し強くなったことには、自分でも気付いた。
その年、自民党も三つに割れた。
金融整理への賛否だけで割れたわけではなかった。榊原内閣はいずれ仕事を放り出すという期待に反して、法律を通し、銀行を開け、失敗の報告も出しながら政権を続けていた。既存の調整を守っていれば戻れると考える者と、政策を組み直さなければ戻れないと考える者が、同じ党内で相手を待てなくなった。
競争政策と財政の監視、対米関係の修復を掲げる自由保守党。地方への投資、労働者保護と分権を重んじ、久世も加わった民主党。農村の支持基盤と従来の調整を守る自民党。それぞれが、国社党に賛成する条件と、対抗する政策を持ち始めた。
国社党本部では、旧敵の分裂を喜ぶ声が上がった。国会対策の担当者は、交渉先の名簿を作り直した。相手の人数が三分の一になったわけではなく、電話をかける先が増えた。
内田に新しい仕事が見つかったのは、その年の秋だった。
短い時間に分けた測定と検査記録の講習を終え、職業安定所で紹介された二つ目の工場に採用された。午後の四時間、製品を測り、結果を記録する。以前より給与は低く、契約には更新の期限があった。和枝の食事を済ませてから出られることが、決め手になった。
初めて給与が振り込まれた日、内田は通帳を食卓へ置いた。
和枝は眼鏡を掛け、印字された額を見た。冬の暖房費を出せる、と言った。内田は、それで全部なくなるわけじゃない、と答えた。
テレビでは、銀行への公的資金の回収見通しが報じられていた。画面に高城が映り、まだ回収の終わっていない分について説明していた。
「ちゃんと返ってくるのかね」
和枝が尋ねた。
「そこを聞きたいんだよ」
「あなたの仕事のこと、三枝さんに言った?」
「職安で決まったんだ」
「そう書けばいいじゃない」
翌日、三枝の事務所へ、葉書が一枚届いた。
午後の仕事が決まった。給料は前より少ない。長く続けられるかは分からない。銀行へ出した金は、最後まで調べてほしい。
末尾に、家内がよろしくと言っています、と小さく書かれていた。
三枝は返事を書いた。講習のことで困った点があれば教えてほしいと添え、書いてから、最初の一行を直した。制度を利用してくれたことへの礼は消し、仕事が決まったと聞いてうれしい、と書いた。
その晩、内田は、昼の残りの煮物を温めた。和枝が、日曜には息子へ電話をしてみようと言った。
「正月、どうするかね」
内田は、鍋の火を弱めた。
「来られるか、聞いてみるか」