阿蘇惟将、頑張る ~阿蘇家で廻る、TS九州三国志~ 作:NoRAheart
◆Another Side◆
論功の評定が、やり直された。
大友館の大広間には、今召集できる家臣の限りが並んでいた。
加判衆も、侍大将も、物頭も、近習も関係ない。
ただ一人、阿蘇惟将だけが呼ばれていなかった。
上座の宗麟は鞭を持ち出していた。
戦に挑む際に持ち出す鞭だ。
家臣団は皆顔を見合わせた。
門司の憂いがなくなった今、次に攻めるのは肥前をむさぼる龍造寺か、日向に伸びた島津か。
ざわめく彼らに宗麟は告げる。「戦をはじめる」と。
居並ぶ顔を端から端まで眺めて、彼女は宣言した。
「まず初めに、戦の発端を説明せねばなるまい。香月!!」
「はっ、某より説明いたします。先の門司の論功でありますが、一つだけ謀りがありました」
広間が、二つに分かれた。
何の話かと、戸惑う者らと。
あの話かと、表情を明るくする者ら。
「門司の戦に参陣した方々はお分かりでありましょう。阿蘇惟将殿の件であります」
香月は惟将のこれまでの功績を大友家臣らに明らかにしていった。
長らく毛利と争ってきた門司の価値を論じ、当家の方針を改めさせたこと。
兵糧奉行、小荷駄奉行のみならず、渉外や軍師役など、数多の役職を抱えながらも十二分にお役目を全うしたこと。
当家では叶わない京方への働きかけをたった一人で行い、公方様より門司の御沙汰を無事に引き出したこと。
毛利家の調略、計略、侵攻の悉くをその知略でもって跳ね除けたこと。
香春岳においてはたった三百の兵でもって一万に迫る毛利勢をよく抑え、それどころか名のある大将を二名討ち取り、さらにはもう二名損なわせたこと。
「それだけの功績、なぜ隠された」
「本人たっての希望である。阿蘇殿は昨年の門司から引きずっていた当家の鼎の軽重を慮って、自ら功績を譲られたのである」
「そうだ。さらに言えば、惟将は褒美をやると言っても、死んだ兵らの見舞を出せと申すばかりで、己は何も受け取らなんだ」
「なんと」
「故に論功をやり直す。門司の戦における第一の功は『阿蘇惟将』である。異論はあるか」
家臣のいくらかが道雪を見た。
先の論功において、第一と評されたのは総大将の立花道雪である。
その視線に気づいた道雪は、ニタリとして口を開く。
「あやつの差配を一番見てきたのは儂じゃ。さらに言うならば、宗茂を立花に入れてくれたのも惟将じゃ。立花として、誰にも異論は認めさせるものか」
その言に、大友のもうひと柱を担う高橋紹運も、当家もと続いた。
そこに香月も続き、田原も続き、終いには門司に参加していたすべての者、全員が同意した。
これには、門司にいなかった家臣団も、それほどの御仁であるかと関心を向ける。
「皆、異論はないな。これは前置きであるが、さて宗茂」
「はっ」
「本題を言ってやれ」
「某、立花宗茂が、阿蘇惟将殿を嫁としてもらい受けまする。つまり惟将殿を大友家中、立花家のものといたしまする」
これまたざわりと広間がわめいた。
人質をそんな扱いにしてよいのか。他の国人らに示しがつかないのではないか。
いやかの御仁は今のうちに取り入らねばならない。他家に取られでもしたら危うい御方である。
阿蘇惟将を大友家中に取り入れる勝手に関して、家臣面々の中で様々な言葉が飛び交うが、各々宗茂が惟将に向ける矢印の大きさを知っているからか、結婚の話には大した反対はなかった。
ちなみに惟将を『嫁』と定めた件に関しては、誰もなにも言わなかった。
惟将が嫁であることに、もはや違和感なんぞ、これっぽっちもなかったからである。
「よいか。皆この件は、戦と同義と心得よ。惟将には、内密にするのだ」
宗麟は、右手の人差し指と親指をつまむように合わせ、自分の唇の端から端へ、すうっと横に引いた。
お口は閉じておくのだぞと、宗麟は家臣らに厳命した。
「惟将が知れば、必ず逃げる。断れぬ形を整えるまで、惟将の耳には一言も入れるな。よいな」
◆阿蘇惟将◆
大友家の様子がおかしい。
論功からしばらく経った頃である。
最初は膳を運んできた女中の態度が、急に畏まり始めたことからであった。
なんども言うが、僕は小国から送られてきた人質である。
その立場が、大友家中での位を落とし、たとえ小間使いの下男であろうとも、所属の優位を笠に着て、僕を侮る方もいた。
所属の優位が、自身の価値を決めるわけではないというのに。
しかしこのところ、周囲に仕える大友家からの面々の顔ぶれが変わっていた。
所作が洗練していた。明らかに位の高いお方にお仕えする面々だ。
ローテーションで来ていただいていたので、最初こそ臨時かなと思っていたが、どうやらそうではないらしい。
宗麟様お抱えの女中頭の方さえ見えた時には、確信に変わった。
「もし」
「はい、なんでしょうか、姫様」
「はい、姫様です。いやそうではなくて、貴方は大友様の傍仕えでは」
「……」
女中頭はゆるりと口元に人差し指を立てられた。
女の秘密とされては、こちらは何も言えなかった。
◇
門番も変わった。
以前までは安芸国出身で百姓上がりだという佐介という男が門番をしていたが、今では無口な何某殿が門番についていた。
立ち振る舞いからして明らかにお武家の方であって、僕が話しかけてもうんともすんとも答えてくれなかった。
さらには、勝手な外出さえ許されなくなった。
ある日、私用で町へ菓子の材料を買いに出ようとすると、何某殿は槍を立てたまま道を塞いだ。
「何某殿、通してください」
「……」
「どなたの下知ですか」
「……」
「おーい」
「……」
むかついたので、何某殿の脛を何度か蹴った。
僕の足が負傷した。
あんまりにも何も言わず、微動だにもしないので、腹いせに金玉にデコピンをしようとしたが、流石につまみあげられて、屋敷の敷地に戻された。
流石におかしいと思った僕は、手の者を用いて情報を集めた。
どうやら大友館で、何かの評定があったらしい。
家臣のほとんどが集められ、僕だけが呼ばれていなかった。
あれだけ無関係な評定に勝手に呼んでおきながら、いまさらはぶかれたのだ。
なにかあると思わない方がおかしい。
◇
飼い殺しみたいな待遇になってしばらく。
宗麟様にお伺いの手紙を送るも、返事はなし。
趣味の菓子作りさえ、材料なければできない。
流石に腹を立てた僕は、裏庭の土塀の前に立った。
塀は、僕の背丈の倍ほどあった。
しかし登れない高さではないと見た。
塀より少し離れたところに木があった。
木に登れば、飛び越えられるのではないかと思案した。
できそうだと、落胆した。
なぜなら「僕以外なら」という枕詞が付いたからだ。
背後で砂利が鳴った。
「外へ、出とうございますか」
宗茂殿だった。
振り返る前に、体がふわっと宙に浮いた。
「にゃー!?」
「お静かに」
片腕で首根っこを持ち上げられた。
もう片腕で今度は膝の裏をすくわれて、そのまま横抱きにされた。
やっぱりお姫様抱っこであった。
「菓子の材料でございましょう。参りましょう」
宗茂殿は、グッと塀の前で一歩踏み込んだ。
踏み込んで跳んだ僕らは、塀の瓦が足の下を過ぎていくのを見た。
しかし着地は、驚くほど静かだった。
僕の絶叫の方が大きかったくらいであった。
マジでなんなんだ、どうなっているのだ高橋家のDNA。
ドン引きする僕の気を知らないで、宗茂殿は僕を抱えたまま、町の方へ歩き出した。
えっ、まって、このままいくの!?
「おろせー!!おろせー!!」
「右手に障りまする」
「右手は、関係ないでしょうが!!」
「では惟将殿の綺麗なおみ足に障りまする」
「足!?猶更関係ないでしょ!?」
「では、わたしに障りまする」
「もうやだこの子!!」
ずっと恥ずかしいセリフを吐いているくせに、宗茂殿はずっと真顔だった。
顔面暴力の美形なお方に耳元にささやかれては、僕も平静ではいられず、ずっと顔が熱かった。
◇
町の市についた。
流石にそこでは下ろしてもらえた。
久々に市の様子を見に来た僕は、菓子作りに必要な材料だけでなく、いろいろな作物を見て回った。
取れ高はどうか、作物の膨れ具合はどうか、色合いはどうか。
それだけ見ても、その土地の様子が目に浮かぶ。
良いものがあって買おうとすると、僕がお会計と言う前には宗茂殿が既に銭を出していた。
エスパーかと驚きながらも、買ったものを籠に入れていたら、籠すら宗茂殿にとられた。
取り返そうとすると、籠を持つ手が、すっと高く上がった。
「かえしてー、かえしてー」
「惟将殿はお選びなさいませ。荷物はわたしが持ちます故」
店主には、姉妹仲がよろしいのですねと笑われた。
◇
小間物屋の前で、宗茂殿の足が止まった。
店先に簪が並んでいたが、宗茂殿はその中から迷うことなく一本を掬うように手に取った。
赤いビードロがついた、細い銀の簪だった。
宗茂殿も女の子だし、簪くらい興味を持つのだろうと、僕は見ていた。
「親父殿。これを」
「へい。妹様宛にございますか?」
「嫁へ、でございます」
ん、嫁?
嫁って誰?
僕が疑問に思っていると、支払いを終えた宗茂殿がこちらへ戻ってきた。
そして僕の髪に、その簪を挿した。
「立花様。あの……」
「少々お待ちください」
抗議の言葉を出す前に、僕の唇は、宗茂殿の人差し指で止められた。
そして彼女は一歩下がって、簪をつけた僕を見た。
そしてぱっと笑って、頷いた。
「よう、お似合いにございます」
僕の口から、ひっこめた抗議の言葉が改めて出てくることはなかった。
◇
その夜、僕は綴りを開いた。
開いて、ここ数日のことを、左手で一つずつ書き出した。
改められた僕の身の回りの者ら。
止められた外出。
僕抜きの評定。
宗茂殿の態度。
それに至る、僕の―――いえ、わたくしが行ったことを改める。
わたくしはなんだ。わたくしは大友に差し出された阿蘇よりの人質である。
しかし人質としては、動きすぎた。
立花の家督の件では、道雪のおばあ様の跡目選びに口を出した。
門司では、頼まれもしないのに軍略を立て、京より御沙汰を出させた。
叛意を持った方々の望みを片端から聞いて回り、分裂を防いだ。
毛利方の意図をつかんで、自ら香春岳に入って、大軍を抑えた。
論功の席でも、功を辞した。
そんな者を、国許へ素直に返す家がどこにある。
返せば、門司で見聞きした大友の内情を、全部抱えたまま肥後へ帰る。
帰った先で、いつ島津や龍造寺と手を結ぶか分からない。
わたくしが宗麟様の立場でも、返さない。
返さずに、どうするか。
まずは恩を授ける。
御恩と奉公は、鎌倉以来のならいである。
しかしわたくしは何も受け取らなかった。
その時には、それが最も大友にとっての最善手であると思ったが、阿蘇谷にとっての最悪手であった。
わたくしはまた失敗したのである。
受け取らない者は、御恩では縛れない。
縛れないなら、残る手は二つしかない。
閉じ込めるか。除くか。
まずは、閉じ込める方だ。
いきなり除くことは、流石に宗麟様も、道雪のおばあ様もしないだろうと信じたかった。
また女中の態度、門番の態度、宗茂殿の態度。
礼を尽くし、鳥かごを作り、情に訴えている手間は、除くものには必要のないものだ。
まあどちらに決まったにせよ、大友家中の面々の総がかりだ。
わたくしにはどうしようもない。
ならばせめて、阿蘇谷に累が及ばぬようにせねばなるまい。
筆を取り直した。
左手で、宛名を書いた。
父上へ。阿蘇谷へ。
何を書くかは、決まっていた。
決まっていたのに、下手をしたら今生の別れかもしれない文に、筆がなかなか進まなかった。
『近日、大友御家中において、或いは留め置かれ、或いは除かれ候儀、相成るべく候。
府内にて、数多の勝手を仕り候。
阿蘇谷の為と存じ罷り在り候えども、その実、自ら阿蘇谷を離るる道を拓き参らせ候。
何事出来候とも、方々へは、惟将一人の科と御申し立て下さるべく候。
惟将が身に如何なる儀これあり候とも、仇討ちの儀、ゆめゆめ思し召し立たれまじく候。
惟種には、苦労を相掛け申すべく候。
宗運にも、宜しく御伝え下さるべく候。
親不孝な子にて、申し訳ございませぬ。
恐惶謹言 惟将
父上様 御前』
散々迷って、事実だけを書いた。
しかし左手でも書けるようにしておいてよかったなぁと、僕は安堵した。
右で書いたものと見分けがつかない。
これなら父上には余計な心配をかけずに済む。
書き終えて、墨が乾くのを待った。
待ってしばらくしたのちに、二度、隠した鈴を鳴らした。
天井より、阿蘇の者がスッと降ってきた。
「こちらの文を、父上へ。以後は戻らずに惟種に仕えなさい」
「若様……」
「忠心、ご苦労でありました」
文を預けて、僕は灯だけが照らす部屋の中で、しばらく目を閉じた。
阿蘇谷の土のにおいを思い出すのに、苦労した。
◇
ある日、香月殿が僕のもとへ訪ねてきた。
僕は香月殿を歓迎した。
「阿蘇殿。折り入って、頼みがござる」
香月殿は、しばらく雑談に興じたのち、姿勢を正されて切り出した。
「儂の甥が、嫁を取ることになり申した。その仲人を、阿蘇殿にお頼みしたい」
「わたくしが、ですか」
「是非に」
香月殿の目が、まっすぐこちらへ来た。
「その甥ですが、実は香春岳におり申した」
「まぁ」
「阿蘇殿に従うて、山に上がった三百の中の一人だ。門の内で、毛利の先手と刃を交え、最後に、あの狭い水の手から、一人ずつ出た。その一人」
「まぁまぁ」
二百九十六名、生きて出た方の一人。
「甥は、申しており申した。生きて戻れたのは、阿蘇殿のおかげだと。生きて戻れたゆえ、嫁が取れると。ならば、仲人は、阿蘇殿をおいて他にないと」
僕はにこりと上手に笑みを返して考えた。
返して、この香月殿の『嘘』にどう返したものかと思案した。
大友家中の事情は、おおむね把握している。
香月殿の甥は、昨年結婚している。
顔までは知らなかったため、香春岳にいたとは思いもしなかったが。
まぁ、香春岳のくだりも、『嘘』かもしれないが。
「嫁御の家は、南蛮の教えに帰依しておりましてな。式は、宗麟様のデウス堂にてと」
「なるほど」
デウス堂。人目のない場所。
なるほどと言ったのは、わたくしに対する対応を、わたくしが読めたためであった。
留めるのではなく、除かれるのであると理解したためであった。
「是非、お引き受けいたします」
答えたわたくしに香月殿は、はじめはホッとされた顔をして、のちに怪訝な顔をされた。
そしてしばらく無言ののちに一息つかれると、わたくしの肩を叩かれた。
「阿蘇殿には敵わぬ。口を開かずとも、九を拾われる」
「……」
「安心なされよ。拾えなかった壱は、阿蘇殿にとって、悪いことにはならぬことをお約束しよう」
口ではいくらでも言えるだろう。
出かかった文句を抑えるために、わたくしは茶に手を伸ばした。
熱くいれたはずの茶は、冷めきっていた。
◇
デウス堂は、府内の町外れにあった。
白い漆喰の壁に、尖った屋根。
屋根の天辺に、十字の印が掲げてある。
中に入ると、外の音が嘘のように消えた。
高い窓に、色のついた硝子が嵌め込まれていて、そこを通った光が、床の上に赤や青の斑を落としていた。
「……」
わたくしは進んで十字架の元に膝を折り、異教の神職が御前を汚す無礼を詫びた。
こちらの宗教の正しい祈り方は知らなかったけれども、目をつぶって、両手を握って精いっぱいに祈った。
すると瞼の裏で、外の光が不意に強さを増した気がした。
なんの光?
疑問に思ったところで目を開けると、光が収まっていた。
気のせいだったかもしれない。
◇
式の刻まで、まだ間があった。
控えの小部屋に通されたので待っていると、例の宗麟様の傍仕えにいた女中頭が茶を運んできた。
いつもの煎茶であった。
「お待ちのあいだに、どうぞ」
礼を言って、一口含んだ。
味に少し、不快な苦みがあった。
毒かもしれないと思った。
思ったところで逃げ場などないから、えいっと、迷いなく飲み干した。
小部屋の窓から、色硝子の光が差し込んでいた。
膝の上に落ちた青い斑を、ぼんやり見ていた。
しかし時間が経てば経つほど、虚しさが出てきた。
「言ってくれればよかったのに」と文句が垂れた。
除かれるなら、除かれるで、別に逃げる気もなかったのにと。
それを聞いていたのか。
女中頭が、僕の手をそっと握られた。
「阿蘇様、安心なさいませ。眠っている間に終わりまする」
なにが?
そう問いたかったけれども、瞼がとても重たくなってきた。
僕は眠った。
思えば僕は、門司からろくに眠っていなかったなと思った。
眠ろうとすると、門の内の骸が並んだ。
並んだ骸の端に、斜めに断たれた若い将がいた。
僕も今から、あそこの一人に並べられるのだ。
まあいいやと思った。
青い斑が、滲んだ。
滲んで、白くなった。
◇
「あれ?」
鐘の音で、目が覚めた。
最初に見えたのは、天井だった。
高い、高い、天井であった。
小部屋の天井ではない。
色硝子の光が、真上から降っていた。
僕はどうしてか、生きていた。
「あれぇ?」
次に僕は起き上がろうとした。
起き上がろうとしたけれども、起き上がれなかった。
体が動かなかった。
腕も、足も、胴も。
なんでと思って下を見たら、椅子に座らされていた。
座らされた上から、縄でぐるぐる巻きにされていた。
隙間はない。ガチガチだ。
「あれぇ!?!?!?!?!?」
縄の下の、自分の格好が見えた。
白かった。最初は死装束かと思った。
いやそうであってほしかった。
肩が出ていた。
白い布が、胸元から足の先まで流れ、袖口と裾には透けるほどの細かい織りの縁取りがあった。
腰はきゅっと絞ってあり、そこから広がる布は、足の甲が隠れる丈であった。
まさしく、ウエディングドレスであった。
「なんでぇ!?!?!?!?」
目の前に、薄い紗が一枚、垂れている。
紗の下の髪に、細い簪が一本、挿さっている。
赤いビードロの玉が、こめかみの横で、小さく揺れた。
紗の向こうには長椅子が何列も並んでいる。
並んだ長椅子は、人で埋まっていた。
香月殿がいた。
いつになく上等な直垂を着て、こちらに向かって、おーいおーいと大きく手を振っていた。
その隣に、見覚えのある若い顔があった。
香春岳で、水の手を出る順番を待っていたひとだった。
この人も、こちらに向かって、深々と頭を下げていた。
門司で叛意を収めた方々もいた。
大友館で見かけたことのある顔が、そこらじゅうにあった。
知らない顔もいた。
たぶん、大友家中が、総出で居た。
そして僕の隣には、道雪のおばあ様。
黒い紋付きの羽織を着て、膝の上には扇が一本。
まるで花嫁の親が陣取る位置で、ずっとおいおいと泣いていた。
僕はドン引きした。
正面を向いたら祭壇が見えた。
そちらには、宗麟様がにやにやとして立っていた。
彼女は神父様の恰好をしていた。手には聖書。
「目覚めたか、花嫁ぇ!!」
「宗麟様!!」
叫んだ。
縄が、ぎしりと鳴った。
「これは何のまねですか!?」
「惟将。ここでは、神父様と呼ぶがよい!!」
「誰が呼ぶかぁ!!」
長椅子の方から、香月殿の声が飛んできた。
「阿蘇殿!!すまぬ!!幸せになってくれ!!」
やっぱ嘘かいと思うも、流石にこの展開は予想していなかった。
まだ僕の隣でおいおいと泣いている道雪のおばあ様に声をかけた。
「おばあ様、これはなんですか」
「今これよりは母上と呼べぇ!!」
「なんでぇ!?」
「そなたは、もはや儂の娘だからよぉ!!」
扇の先が、ぴしりとこちらを指した。
「『立花誾千代』!!それが、そなたの名よ!!」
「ふぁ!?」
「誾とは、和やかに、正しく論ずるという意。論語にある。上の者と語らう時は、和やかに、されど筋は曲げずに。そなたが、門司の評定で、四十人の前でやったこと―――」
扇が、ゆっくりと開いた。
『めでたし』と達筆な文字が書かれていた。
「―――千代は、儂の願いよ。あのいかづちが、千代に絶えぬようにと」
開いた扇の陰で、おばあ様は、それきり口をつぐんでまたおいおいと泣き出した。
僕は、縄の中で、ぐるりと考えを巡らせた。
確かに察していた。閉じ込めるか、除くかだ。
結果として手は、閉じ込めるの方であったけれど。
しかし閉じ込める手が、婚儀だとはさすがに読めなかった。
まさか、ウエディングドレスを着せられるとは、もっと読めなかった。
というか!!
誰が読めるかこんなもん!!
「あー」
頭を、必死に回した。
「縁組を、やり直されるので?」
「流石誾千代、立花の娘」
宗麟様が、答えた。
「宗茂を立花に迎えたのは、養子縁組であった。あれを、改める。宗茂は立花の娘、『誾千代』の婿として立花に入った。そういうことにする。その方が、収まりがよい」
「そんな無茶苦茶、誰が納得しますか」
「家中皆納得しとるわ」
「………………………………え?」
「惟将の功績な、あれ、ぜんぶバラしてやったわ」
「おバカァ!!」
いたずらが成功したかのように、宗麟様はけらけらと笑われた。
長椅子の列で、大友家中が揃って頷いた。
何やっているんだこの殿様。
勝手である。
僕は、ブチギレた。
「だからと言って通るか、こんな無茶苦茶ァ!!不成立ゥ!!ノーカウントッ!!」
ノーカン、ノーカン!!と僕は叫んだ。
しかし僕の叫びに、だれもなにも応えてくれなかった。
◇
背後の扉が開いた。
誰かが入ってきた。
二人分だった。
僕は首だけで振り向いた。
ようやく見えた一人は、紹運殿であった。
彼女も、「うちの子が」「うちの子が」と泣いていた。
もう一人が、僕の傍にやってきた。
やってきて、僕の横に並んだ。
宗茂殿だった。
裾が後ろに長く割れた上着に、白い襟。
胸元に、白い花を一輪挿していた。
赤い髪が、後ろで高く結い上げてあった。
背の高い体に、それが、恐ろしいほど似合っていた。
白の、タキシードであった。
「惟将殿」
宗茂殿は身を屈め、僕の頬をそっと撫でた。
「よう、お似合いにございます」
「うれしくありません」
「……お怒りは、婚儀の後で、いくらでも承ります」
宗茂殿は、頬から手を離した。
それきり、宗茂殿は前を向いた。
詫びる顔ではなかった。迷う顔でもなかった。
これが正しいと、少しも疑っていない顔だった。
何か言い返そうとして、言葉が、なかった。
僕が。
僕が足りなかったから。
この人にこんなことをさせたのか。
「せめて……」
この人は、謝っていない。
一歩も、退く気がない。
「せめて、新郎の方にさせてほしかったです」
僕は、天井を仰いだ。
色硝子の光が、目に痛かった。
「これより、婚儀を執り行う」
宗麟様が、咳払いを一つして、宣言した。
「汝、立花宗茂。病める時も、健やかなる時も、富める時も、貧しき時も、この者を妻とし、敬い、慈しみ、その命ある限り、守り抜くことを誓うか」
宗茂殿は、宗麟様の言葉にすぐに誓いを発することはしなかった。
代わりに、ずっと僕の目を見て。
僕のためだけに。
宗茂殿の言葉を重ねてくれた。
◇
初めてお目にかかった日。
わたしは惟将殿に、思わず「お美しい」と申し上げました。
あれは世辞ではございませぬ。見たままを申しました。
あの日から、わたしは惟将殿に惚れておりました。
恥ずかしながら、ひと目でございました。
あの頃のわたしは、孫子の一文が腑に落ちず、それを誰にも問えずにおりました。
そんなわたしに、惟将殿は「一緒に考えさせてほしい」と申されました。
それがどんなに心強かったか、惟将殿にもわかりますまい。
それからわたしは、文の書き方を覚え、菓子の作り方を覚え、物の言い方を覚えました。
まさにわたしの先達は、惟将殿にございました。
母の、紹運殿の申されることが、わたしには長く分かりませんでした。
分からぬまま、分からぬと言えずにおりました。
その間に立って、母との橋を架けてくださったのも、惟将殿にございました。
立花にふさわしいと推挙してくださったのは、惟将殿でありました。
わたしが今、立花を名乗っておりますのは、惟将殿がわたしを信じてくださったからです。
門司では、隣にいてくださいました。
初陣で不安であったわたしに、ずっと声をかけ、教え、導いてくださいました。
それがどんなに頼もしかったか、いっそわたしの心の臓をお見せできればと何度思ったでしょう。
だから香春岳で惟将殿が斬られかけた時、わたしは半身を失う思いがいたしました。
その思いのままに、わたしは惟将殿にすがってしまいました。
ここまで育てていただいたにも関わらず、わたしは弱いままでありました。
だから惟将殿はそれを見抜かれて、馬を降りられました。
わたしを立花様と呼んで、線を引いてくださいました。
わたしが、わたしの足で立てるようにと。
論功では、ご自分の功を、残らずわたしに譲られました。
わたしが立花の後継者にふさわしい人であると知らしめるために。
なのにわたしはそれを知らず、愚かにも惟将殿を殴りました。
殴ったうえ、勝手に自らの腹も切ろうといたしました。
結果、惟将殿は、その刃を、ご自分の手で受けられました。
故に惟将殿。
愛しております。
お慕いしております。
この思いは誰にも譲りませぬ。
しかし惟将殿は、手を貫かれても、痛いと申されませぬ。
本音を隠せず泣いても、自分の落ち度だと詫びられます。
功は人に譲り、銭は人に渡し、名は人に移し。
ご自分の分は、まったく何一つ数えられませぬ。
谷の者の数ばかり背負って、ご自分を勘定に入れられぬ。
このまま阿蘇谷へお帰ししたら、この御方は、微笑まれたまま、すり減って消えてしまわれる。
ですから、もらい受けまする。
貴方をもらい受けまする。
惟将殿が惟将殿を大事になさらぬなら、わたしが大事にいたしまする。
これより先、惟将殿の分は、わたしが数えまする。
惟将殿がご自分を損なおうとなさるなら、わたしがその前に立ちまする。
貴方の何もかもを、わたしのものにいたしまする。
こちらは立花の名も、この身の武も知も何もかもを、これに賭けまする。
退き口なんぞ、ございません。
幸せにいたしまする。絶対に。
惟将殿が嫌と申されても、いたしまする。
「だから、『立花宗茂』は、誓いまする」
◇
「では汝、立花誾千代。病める時も、健やかなる時も、富める時も、貧しき時も、この者を夫とし、敬い、慈しみ、その命ある限り、添い遂げることを誓うか」
「…………いや、です」
せめてもの抵抗で、僕は―――わたくしはそれだけ言って、そっぽを向いた。
わたくしは阿蘇谷に戻らねばならない。
わたくしに勝手は許されない。
わたくしの身は、私人ではないのだ。
どんなに思ってくれていても宗茂殿の思いに、わたくしには応えることはできない。
しかしおばあ様が、勝手を言った。
「誓うと申しておる」
「なんでー」
「よろしい」
やっとの思いで出てきた拒否だったのに。
あっさりと被せられた上に、僕の抗議は無視された。
「では、誓いの口づけを」
本気で言っているのかと伺うも、宗茂殿がこちらへ向き直った。
縄に巻かれた椅子の前で身を屈め、大きな手が伸びてきた。
顔の前の薄い紗を、そっと持ち上げた。
紗が上がって、宗茂殿の顔が真正面に迫った。
近い。とてもよいお顔が、近い。
こんな時でなければ、どんなによかったか。
赤い睫毛の一本一本まで見えた。
これで、終わる。
阿蘇谷も。
宗運も。
惟種も。
父上にも、会えなくなる。
ふがいなくて、どうしようもなくて、涙が漏れた。
ギュッと目を閉じた。
閉じた瞼の向こうで、宗茂殿の息が、近づいてきた。
「も、申し上げます!!」
扉が、内側に向かって叩き開けられた。
飛び込んできたのは、具足姿の物見だった。
息が上がって、その顔は真っ青だった。
「何事か!!」
「申し上げます!!府内の西に軍勢!!その数、千五百!!」
宗麟様が、聖書を祭壇に叩きつけた。
「旗は、どこの旗か!!」
「阿蘇にございます!!阿蘇の、違い鷹の羽!!府内へ向け、真っ直ぐに!!」
「止めよ!!関で止めよ!!何としても町へ入れるな!!」
「そ、それが―――」
物見の声が、裏返った。
「それが、もう、そこにっ!!」
物見が言い終わる前だった。デウス堂の扉が、外からぶち破られた。
分厚い板が二枚、ぽーんと飛んで、どしゃりと落ちた。
破られた扉の方で、白い漆喰の粉が、もうもうと舞い上がった。
粉の向こうに、影は二つ。
一つは、小さかった。
小さな体に、萌黄の小具足をつけていた。
手には、自分の背丈よりも長い薙刀を提げていた。
惟種だった。
「……兄様。文を、見ました」
惟種は、長椅子を埋めた大友家中を、端から端まで眺め渡した。
最後に、縄に巻かれたウエディングドレスにされた情けない僕を見た。
目が、完全に据わっていた。
「だから、攫われると申したではありませんか、兄様」
「えっと……。ごめんなさい?」
僕の謝罪が不愉快であったのか。
惟種の薙刀の柄が、ぎりっぎりっと、妙な音を立てた。
「大友に兄様を取られてから、わたくしは毎朝、兄様の蔵に参っておりました。三番目の蔵の、一番奥の樽。兄様のお味噌。大切なお味噌。蓋を開けて、匂いを嗅いで、まだ兄様の匂いがすると確かめてから、一日を始めて。兄様の綴りも、全部読んでいました。読んで、写して。写したものを枕元に置いて、兄様の部屋で、兄様のお布団で眠っておりました。兄様のお帰りになる場所は、わたくしが、ずっと守りたくて。ずっと、ずうっと、我慢して、なのに―――」
にこりと、笑った。
その目は、僕の右手を見ていた。
宗茂殿の自害を止めて、脇差に貫かれた傷が治らず、未だに晒を巻いている手のひらを。
「此度の文は、左のお手でお書きになりましたね。留めが、いつもより、ほんのわずか浅うございました。ハネも、ほんのわずか、右へ流れておりました。右のお手に何かあったと、すぐに分かりましたよ」
「ひぇ」
なんで分かったの。
妹怖い、惟種怖いと認識を改める。
「でも、そんなこと、些事でありましたね」
その目が、こんどはゆっくりと、長椅子を埋めた大友家中の方へ移った。
「兄様と結婚するのはわたしなのに、花嫁衣装を先に着せるのはわたしのはずだったのに、奥の間でずっと縫ってきたものがあったのに!!縛りやがって着せやがって攫いやがってぇ!!」
地団太を踏む惟種に、流石の家臣団も刀を抜いた。
「誾千代殿をお守りせよ!!」と、僕を守るように陣取った。
それが猶更いけなかった。
名前まで取ったのかと、惟種は益々ブチギレた。
「全員、ぶっ殺すっ!!」
一触即発の空気。
惟種が一歩、踏み出そうとした、その前に。
何かがスッと、惟種の前を遮った。
その体躯は、デウス堂の入り口を超えんばかりの大きさであった。
袖から覗く腕は丸太のように太く、胸板は装束の合わせ目を押し広げていた。
府内へ発つ朝に見た枯れた柳の姿はどこにもなく、僕は背に冷や汗がぶわりと噴き出したのを感じた。
「ち、父上ぇ!?」
「フハハハハハハハハハハッ!!」
父上の、惟豊の高笑いが、デウス堂の色硝子を震わせた。
父上が前へ出た。
大友家臣団は、それだけで一歩下がった。
床板が、父上の身体に耐え切れず、みしりと悲鳴を上げていた。
寝物語で、宗運から聞いていた。
父は若い頃、兄との家督争いに敗れて日向へ落ちた。
しかしそこから心身を鍛え上げ、ついには拳一つで阿蘇と矢部を取り返した人であると。
その拳のすさまじさから、知る人はその拳を『阿蘇大宮司神拳』と呼んだと。
冗談だと思っていた。
冗談じゃなかった。
「阿蘇大宮司は、肥後の守護者!!その後継者たる惟将を取るのであれば!!たとえ大友が相手であろうとももはや我ら阿蘇は退かぬ!!媚びぬ!!顧みぬ!!」
一言ごとに、床板が鳴った。
僕は来るなと叫びたかった。
「故にその婚儀ぃ!!」
無理をするなと、今すぐに叫びたかった。
しかし父上は。
阿蘇惟豊は。
「待ったぁ!!」
デウス堂の、高い天井の隅々まで届く、僕のための声は。
とてつもなく、どうしようもなく、恰好が良かった。
【ご連絡】
前の話でも触れておりましたが、私用で大変申し訳ございませんが、投稿は12月以降まで遅れます。
なんとか大友編完結まで持っていければと思っていますが、それも厳しそう。
お待ちいただいている皆様には申し訳ございませんが、何卒ご容赦ください。