わたくしが境界に放り込まれてどれだけの時が流れただろう。
時折迷い込む人を除けばほとんど変化のないここにも慣れたもので、退屈などはとうに過ぎた感覚だ。
ともなればこんな場所でも楽しむ術も見つかるもので、迷い人を導くお役目もこなしつつ、充実とはいかないまでも空虚ともいえない日々をそれなりに満喫している。
境界、というのは曖昧なもので、何かと何かの境目……つまり単なる中間という意味ではなく、どこを基準としてあちらとこちらがあるかを表す指標だ。
なので、さすがに対面するとすれば迷い人のために案内役を務めている時にはなるのだが、ただ見るだけならば逆に境界とは便利なものだと思うようになってきた。
鏡を通して私を見ることはできないし、それは鏡面……つまりガラスや水面を通しても変わらない。けれどそれは鏡面がないということでもない。
なんせ数年前からネットで配信もしているのだから、パソコンの液晶だって多少の灯りと暗がりがあれば鏡面になる。
そして鏡面とは、紛れもなく境界を象徴するもののひとつ。鏡面という境界を通して実像と鏡像は互いを観測し合う。そしてわたくしは実像と反射像の両方を第三者として観測できる。
こんな風に、鏡面というただひとつの例を挙げても、この世界には数え切れないほどの境界がある。
ともすれば、わたくしの楽しみというのも自ずと少ないものではないとわかるだろう。
たとえ触れ合えないとしても。たとえ声ひとつ交わせないとしても。たとえ同じものを共有しながら笑えないとしても。
同じ場所で、同じ時に、同じように同じような何かを感じられるのなら。
だから、わたしの楽しみのひとつは食事だ。
境界の向こうに見える人々の景色を見ながら、同じように食事をとり、同じようにカップを傾ける。
あそこにいるあの人はサンドイッチ。あそこのあの人はペペロンチーノ。あそこでずっと居座っているあの人は1杯のカフェオレでもう一時間。
みずみずしい野菜を包むあのパンはどれほど甘くふんわりとやわらかいのだろう。BLTサンドを頬張る彼女の笑みは、そのサンドイッチをどれほど楽しみにしてあの店に入ったのだろう。
たっぷりのキノコとほうれんそうを搦めたパスタを音もなく口に運ぶ男性の所作からして、きっと彼はあれを食べ慣れているのだろう。追加の唐辛子は、ああ、あんなにもたくさん……。
冷めたカフェオレは運ばれてからまったく口に運ばれていない。気付いていないわけではないのだろう。テーブルに広げたノートと動き続けるペンが、少年の事情を雄弁に語っている。
わたくしがこの境界から見つめるその景色の中に、味覚による伝達は含まれない。
けれどこの眼で見えるものだけでも、いろんな味と、香りと、音が伝わってくる。あるいは、ぴりりと伝わるこの辛味は痛覚でさえあったはずだ。
そんな様子を見守って、わたくしもお昼をいただくことにした。端っこを少し焦がしたホットサンド。がじ、と削るような食感を伴ってかじりつく。
鼻に抜ける香ばしさと、少しの焦げ臭さ。けれども気にせずがじがじと食べ進めれば、中からは少しかためのスクランブルエッグとスライスソーセージ。
パン特有の弾力と、それを覆う強すぎないザラザラとした表面の抵抗力がほどよくあごの力を要求する。……食べている。生きている。そんな実感がお腹よりも心を満たす。
またちらりと境界からあちらを覗けば、既にサンドイッチを頬張っていた少女はいなくなっていた。その席には先ほどの彼女とは違う誰かが、店員を呼んでいる。
あのペペロンチーノを戴いていた男性も、もう半分も残っていない。明らかに唐辛子を追加したのだろう様子に反して、水はまだなみなみと残っている。
カフェオレの少年は……やはりまだカフェオレには手をつけていないらしい。しかしどうにも空腹には耐えかねたようで、追加の何かを注文しているらしい。
わたくしも半分ほどお腹に収めて、手元のそれに視線を落とす。
まだ半分残るそれは、食べる前には封じ込められていた中身の熱がほかほかと湯気を漂わせて、ますますわたくしの食を誘った。
少しして、またがぶりと食らいつく。おいしい。もっとしっかり食レポできればいいのかもしれないけれど、率直に出る感想はそれに尽きた。
おいしい。これが食べているということ。生きているということ。これが……境界にも遮られることのない、誰もと同じ「命の感覚」だ。
「……ごちそうさまでした」
そのまま食べ進めて数分とせず、わたくしはそれを片付けてまた上司の呼び出しに従う。
また迷い人だろうか。案内の道すがら、外の様子を……できれば最近の流行りのグルメについてなど聞いてしまおうか。
そんな軽い雑談くらい構わないだろう。話を聞くだけでも楽しみだ。
わたくしは上司の誘いのまま、迷い人に声をかける。
「境界線からこんばんは。えすぱす・とらむの点屋八子と申します」