青春ブタ野郎を眺めていればいつかは気が紛れるだろうか 作:kanaumi
新人。それはどの業界や界隈でも歓迎されるべき存在だ。芽のない畑に森は生えないと言うし、新人は成長していく世界に必要な存在だ。だから、上はドンドン新人を取り込んでいく。俺も新人が入って来た時は、大いに喜んだ。だが、新人を喜べるのは最初だけだった。次第に地力の差が出てくる。いつの間にか、上司になっていたっていうのは少なくない。…さて、現実逃避はこれでやめよう。いや、新人は普通に嬉しい。だから、そんな新人がなんか友人と付き合ってるとか、急に言われても困る。
「…2年の宍道大介だ。分からない事は聞いても良い。だが、分かっているかも知らないが、梓川の方が説明が上手いからそっちに聞いた方が良い」
「えーと、よろしくお願いします。1年の古賀朋絵です」
コクリと少し戸惑いながら、目の前の後輩は挨拶を返す。彼女は先日の土曜日、このファミレスバイトに新人として来たと言う。俺は休んでいたからその事を、聞いたのは休日明けだった。そして、あの噂の当事者だと聞いた。気まずいだろ。何で同じバイトで働いている。桜島先輩は何も言ってないのか?せっかく、チケット渡そうと思っていたのに渡し辛いだろ。
「まあ、そういう事だ、宍道も頼む」
「…はぁ、分かっている。どうであれ、新人は歓迎だ。ここのバイトで俺よりも後輩はいなかったからな」
「そうなんですか?」
「ああ、国見が宍道を引っ張って来てからいなかった」
あの時はお金に困ってたからな。都合が良かった。
「さて、今日も俺はキッチンで良いか?」
「了解」
「…?」
答えたとしても良い気がしないので、俺は古賀の不思議そうな顔を無視した。好都合だったが、本当に失礼な話だ。
「宍道、古賀はこの間体調崩していたから、少し気にかけてやってくれ」
「…大丈夫なのか?」
「もしもの時は帰らせる」
「……そうか」
そうして、始まったバイトだが、仕事は一通り出来ていた。少し危うい感じがしないでもなかったが、そこは梓川がフォローしていた。要領が良いのもあるかもだが、他者へのアンテナがしっかりとしているのかもしれない。お客への反応が早く、対応も良くできていた。…本当に新人に先を行かれるかもしれないな。
「宍道、注文の出来たか?」
「ああ、持っていってくれ」
そう言って、俺はトレイを梓川に渡す。フロアでは夕食を食べるお客で賑わっていた。夕方のシフトでこの時間帯で、1番忙しいだろう時間だ。
「えーと、宍道先輩、その」
「なんだ」
「…ドリンクの…補充を、手伝ってもらっても」
「梓川はどうした?」
「先輩はあの通り、忙しそうで…」
指差す方向にはレジ前に並んだお客を、捌いている梓川の姿だった。はぁ、仕方ないな。
「わかった、物は持っていくから機械の方を準備してくれ。…やり方はわかるか?」
「えーと、その」
「わかった、教えるから先に機械の方に行っていてくれ」
そして、俺はドリンクの補充を古賀に教えながら終えた。古賀は1度で覚えようとしているのか、頷きながら真剣に聞いていた。終わった時には「ありがとうございます」と笑顔で言っていた。その頃には、レジ前もまばらとなっていた。梓川がこちらに手を挙げて、「悪い」と感謝していた。それに手を振って応える。古賀の様子を見るに、次に教える事は無いかもしれないからな。とはいえその後も、自分の仕事をしながらチラリと様子を伺っていた。多分、梓川も気がついてそうだが、なんか気を張って接してるように見えた。特に、女子学生が来店した時に、それが見られた。学生の様子をじっと見ており、注文の呼び出しに少し遅れていた。それは緊張からなのか、それだけじゃない気もするが分からない。
「そろそろあがって良いぞ」
「…わかりました、店長、お疲れ様です」
9時になり、終了時間になった。いつも通り疲れたな。一緒にあがる梓川と共に裏のロッカーへ向かう。
「…梓川」
「どうかしたのか?」
「古賀の事だが」
「…ああ」
「…結果がどうであれちゃんと見てやれよ。あれはどうも社会で人知れず苦労するタイプだ」
俺はまっすぐ梓川の目を観た。あそこまでの奴を前世の高校では見なかったが、社会では見てきた。それで上手くいった者を。そして、途中で途絶えた者を。
「……」
「後、これを渡しておく。期限内に行けよ」
「…はぁ?…しかも、水族館か」
「知り合いに沢山貰った。国見にも渡した」
「…ありがたく貰うよ」
そう言って、梓川はチケットを財布に仕舞う。
「…もしかして、直近行ったか?」
「いや……行った」
「なら、もう一回行け」
再度、念を押しておいた。
「で、チケットは渡せたの?」
「ああ、押し付けてきた」
「無理矢理じゃない、もうちょっと穏便に渡すって言ってなかった?」
その後、トボトボと自宅に帰った俺は、遅めの夕飯を食べている。対面には夕飯を食べた、風呂上がりののどかが座っている。今日は投稿の収録を行うとか言っていたが、機嫌が良いから上手くいったのだろう。まあ、このマンションならアップロードに凄く時間がかかるがな。
「そういえば、書いたのか?」
「まだよ。…タイミングが大事じゃない」
「ふーん、まあ、俺は何時でもいいと思うがな」
「大介はそうでしょうけどこっちにも考えがあるの」
「はいはい、まあ、のどかの言い出したことだし、応援はしとくよ」
「そうして、さ、大介もお風呂に入ってきなさいよ」
「ああ、お前はもう少し寝たほうがいいぞ」
「……わかってるから、うるさい」
「…ちゃんと寝ろよ」
俺はそれだけを告げて、風呂場に入った。服を脱ぐと、浴室に滑り込む。さっさと湯に浸かりたかった。身体を洗い、浴槽に入る。ゆっくりだが、ザーと湯があふれる。
「ふー、気持ちー…。ああ、癒されるー」
浴槽で浸かり足を適当に揉み込む。そういう技術は持ってないが、それでも出ていくものはあった。別に高校生の身体だから、疲れも風呂に入れば治るなんて考えのもある。実際に疲れは取れるし、悩んだ事はない。
「ただなぁ、不思議と疲れるんだよな。精神的にって奴かな」
身体的にはすぐ治る。でも、気苦労はすぐには治らない。人によるがな。
「…そういえば、古賀は週初めに熱あったとか言ってたな。精神的疲労か?…一応、気を使ってやるかバイト中くらい」
学校ではどうなのかは知らん。でも、同じバイト仲間が辛いならバイト中くらい少しは助けるか。梓川や国見?彼奴らにはいらないだろう。
「…出るか」
風呂に入ってから、そこそこ経った気がする。もう出よう、長湯はあんまり良くないしな。……それにしても、嫌に古賀が気になるな。新人と言う存在が思いの他、嬉しかったのか?…分からないな、古賀単体で考えれば印象的にはむしろマイナスだ。バイト中の働く姿はプラスであっても、総合的にはマイナスだ。…それとも何かの見落としや勘違いがあるのか?…保留だな。考えがまとまらないと感じた俺は、着替えて寝てしまうのだった。
それから、俺のそのもやもやが解消されないまま日々は続いて行った。そんな間にあの2人の噂は悪いほうに進んでいるようだ。
「…あれは本当なのか?」
「うーん、宍道にも届くくらいに広まっているのか」
金曜日、俺はたまたまそこにいた国見を捕まえて、噂について聞いていた。
「俺も詳しい経緯は知らない。でも、グループチャットでそれが流れて来ていた」
「…国見はどう思っているんだ?」
「…咲太にも聞いてみないとなんとも言えない。…俺個人では古賀さんはそうは見えなかった」
「…それには同意だな。あそこまで周囲を気にする奴が、する行動とも考えにくい」
「まあ、噂だからSNSとかと一緒で嘘か本当かは分からない。でも、これは明確にマイナスな噂だ。噂が回れば嘘でも本当のようにされちゃうからね。…これから咲太にも聞いて来るよ」
「そうか、すまなかったな呼び止めて」
国見は「気にするな」と手を振って走っていった。…悩ましいが、俺に出来ることはないだろうな。気には掛けるが、後は梓川達次第かもしれないな。
だが、その次の日には、随分と噂も広まっていた。梓川の事で陰口が耳に入る回数も増えていた。…俺ができる事は現状はない。目の前の陰口を止める事は出来るかもしれない。だが、それは大海の一部をせき止めるようなもの。そして、すぐにそれは決壊する。いや、下手をすれば勢いが増してしまう。…難しいが、俺は眺める事しかできないでいた。
放課後のバイト中、古賀と梓川を眺める。以前に比べ、随分と打ち解けたのか、古賀から笑顔が増えていた。それ自体は良いことなのかもしれない。…かもしれない。
大して進展もないまま、俺は期末試験に向けて勉強をする。
「…大介、ここ間違ってる」
「む、どれだ、どの公式だ」
「…これ」
「……数学は苦手だ」
のどかと向かい合って、試験範囲を復習する。しかし、数学だけで教科が複数あるのはどうしてだ。俺の高校時代は一つだったが。まあ、専門色強い学校だったが。
「ハハ、ホントに大介は勉強ダメね」
「ああ、否定できない」
「…ねえ、大介は高校生になって嫌だった?」
「ん?……そうだな、面倒くさい事はあったな」
「…」
「だが、お前や澄子さんに会えて、こうやってもう一度、青春について考えられているのは感謝かもな。前の青春は寂しかったからな」
「…戻りたい?」
「社会人にか?…どうだろうな」
いやに質問を重ねるのどかに疑問が浮かぶ。だが、質問については考えよう。戻りたいか、それは戻りたい部分もある。独り身だったとして、生活があった。仲の良い同僚もいたしな。でも、今を手放してまで戻りたいかは否かもな。
「……」
「……そうだな、そこまで強くないかも知れない」
「…そうなんだ」
「…ああ」
俺は、「のどかはどうだ」と言う言葉を飲み込んだ。いや、気になる。聞かれた手前、気になるがそれは彼女には残酷かも知れない。
「…のどか、これはどうやるんだ」
「…ああ、そこはそれ」
今日の俺はのどかへ何かやれているだろうか?勉強を教わりながら、それを反復させていた。
「…さて、今日はもう寝ましょ。大介も疲れたでしょ」
「…そうだな、ありがとうのどか」
「ん、じゃあお休み」
「ああ、お休み」
彼女は、手を振りながら部屋に戻っていく。その背を見ながら、俺も寝る支度を始める。…そういえば、書けたのだろうか?まあ、のどかなら大丈夫か。そう微笑しながら俺は布団に入った。
のどかの協力で俺は期末試験への準備は順調に進み、とうとう当日になった。のどかは珍しく俺よりも先に起きていた。起きていたは良いが、机に座って俺が朝ご飯を作るのを待っていた。そこは変わらないなと思い、スクランブルエッグを準備する。ふと、のどかが欠伸する所が見えた。彼奴、寝てないのか?まあ、この後にでも寝れば睡眠は大丈夫か。
「……」
「…出来たぞ、寝てないのか?」
「…ありがと、寝てはいたわ。でも、欠伸は出てくるのね」
「…まあ、疲れてんなら休めよ」
「…わかってる。それよりも試験でしょ?大丈夫なの」
「優秀な先生いたからな。まあ、平均位は行くだろ」
「いや、平均以上を目指しなさい」
そんな言い合いを朝は繰り広げ、俺は電車に揺られていた。脳内は数式と英文が反復している。やれるはずだ。でも、反復は続けた。
そして、試験は終了した。結果は、まあ、それなりだ。平均はいっただろう。梓川もまあまあと言っていた。気休めにはならないが、なぜか駅の改札の向こうに人集りができていた。
「…なんだ?」
俺は気になり、近寄る。しかし、人が多すぎて先が見えなかった。だが、人づてで聞けた。喧嘩だ。いや、喧嘩だ?何で、駅で喧嘩が起こる。それもこの試験期間と言う敏感な時期に。どこのどいつだ。…見えんな。仕方ない、詳細は明日にでも聞けるか。それよりも、この状況でどうやって電車に乗ればいい。…図書室行くか。俺の行動は早かった。さっさと引き返し、図書室で勉強するのだった。まあ、捗った。その後は、落ち着いた駅から電車でマンションに帰るのだった。帰った時はもうのどかは風呂に入っていたので、俺もさっさと入った。上がってから夕飯を用意し、食べて、復習して今日は寝た。
次の朝。今日ものどかは早く起きていた。それについて深く突っ込むことはしなかったが、少し気をつけようと思う。そして、俺はその事よりも強い出来事に襲われた。昨日の喧騒、当事者は梓川だと言う。相手は、バスケ部の先輩。何があったのだろうか。梓川がただ喧嘩をするとも思えない。となると、古賀さんか。…本人に聞きたいが、梓川の姿は見えない。仕方なく、今日の試験を受けた。結果は、まあ、変わらん。放課後、やっと梓川を見つけた。
「宍道、試験はどうだったんだ?」
「…普通だ。梓川はどうだ」
「僕は全然だ。昨日のが響いているかもしれない」
そう言って、梓川はやれやれと頭を横に振る。
「…何があったんだ?」
「…聞いてないのか?」
「梓川に聞くのが1番早いと思ってな」
「…そうか、それは悪かった。…そうだな、ちょっとふっかけられたから、売り返した」
「……はぁ、怪我は?」
「特にはないかな。うんこバリアって奴だ」
「小学生か。…いや、汚いし効果はあるか」
「覿面だった」
強い奴だ。バスケ部の先輩なんて、力が有りますと肩書きが物語る相手によくやるよ。だが、試験期間にしなくてもと思わないでもない。…他に要因があったな。…でも、なんとなく聞きたいことは聞けた。
「そうか、ならもう大丈夫か?」
「…おそらく」
「そうか、なら俺は何も言わん。勉強、頑張れよ」
「ああ」
そう言って、梓川と別れた。さあ、まだまだ試験だ。その夜も、俺は机に張り付いて復習する。
そして、五日続いた期末試験を俺は乗り切った。結果、後半は上々と言った所か。清々しい開放感を俺は全身で浴びていた。だが、今日はアルバイトを入れている。真の解放は夜かな。そんな事を思いながら俺はバイト先に向かうのだった。
そして、少し時間の経った。7月18日の夜、アルバイトを終えた俺は、今日も疲れたなとトボトボ帰っていた。すると、前の方に見知った顔が見える。見えてしまっている。
「…おい、何をしている」
「─!…あ、大介、か」
「…それよりもフードを被れって、人けはないが気をつけろ」
「…!あ、うん」
フードを慌てて被るのどか。被った後も落ち着かない様子で周囲に目を走らせる。
「…何があった?」
「…手紙、書けたから送ろうとしたの」
「ああ、あれか」
のどかの言う手紙、以前俺が頼まれたレターセットで書いた物だろう。
「それがどうしてこうなっている?」
「鞄に入れて持って来たんだけど、出そうと鞄を見たら無くって」
「…それでこの辺りを探していたのか。…ポスト投函だろ?…あのポストか」
「…うん、だから家までの間で落としたと思って」
「…俺も探す。柄は?」
「向日葵」
それから俺達は道の隅々まで探した。街路樹の裏、植栽の下、道端の看板の裏。探したが、マンションの前まで戻っても見つからなかった。
「……」
「後、探してない場所は?」
「…無いかも」
「のどか、お前は先に戻ってろ。少し落ち着いて来い」
「でも」
「俺はもう一回見てくる。いいな!」
それだけ伝えて、俺はもう一度周囲を見渡す。マンションの周りには見当たらない。
「大介…」
「…なんだ」
服が引っ張られる。振り向くと、フードの外れたのどかがこちらを見ていた。その顔は酷く怯えたように見える。
「もう、…良いから」
「どうしてだ」
「バチが当たったんだよ!お姉ちゃんに手紙を出そうなんて思った事に!!」
そんな事をのどかは叫ぶ。
「そんな訳ないだろ」
「だって、見つからないのよ!ちゃんと鞄に入れたのに!」
「…だが、お前は探したんだろ?なら、まだ諦める理由にはならない。お前は出そうと決心して、書いたんだ。それをこんな形で終わらせていいわけがない」
俺はまだ見ていない所がないかを探す。
「…見つからないよ、きっと」
裏路地、風で飛ばされたのならもっと先か?まさか、排水溝か。
「…ねえ、もういいよ」
…これをひっくり返すか、重労働だな。
「…やめてよ、大介」
よし、開けることはできるな。
「本当にやめて、大介」
俺の服の後身頃をのどかの手が掴む。その手は震えていた。振り向くと、その顔は涙でひどいものだった。
「どうしてだ、……のどか、泣くな。手は止めている」
俺は持っていた蓋から手を離す。背中の手はまだ掴まれたままだ。
「…大介」
「…わかった、家に戻ろう」
俺は掴まれたまま、先に歩き出す。のどかも歩き出す気配がする。話す気分でも雰囲気もなく、無言のまま歩き続けた。
マンションにたどり着くと、そこで俺達は澄子さんに見つかり、お叱りと心配のハグを受けた。どうも、のどかが外に出る所を見ており、声をかけたが空返事だったから気になり、入口近くで待っていた。そこに先の声を聞き、出て行こうと思っていた所だったそうだ。
「もう、とっても心配したんだからね!のどちゃんもよ」
「…はい」
「…ごめんなさい」
「…今日は私の部屋に泊まりなさい。2人ともひどいものよ」
そう言って、澄子さんに連行された。俺は風呂場に押し込まれ、のどかと澄子さんはリビングに向かった。…仕方ないので風呂に入る。探している最中に思っていたよりも服が汚れていた。温かい湯に浸かると、一気に力が抜けて行った。俺が思っていた以上に気を張っていたようだ。ぼうとする頭は、勝手に俺を思考の渦に落とした。
……手紙を出すとのどかが言った時、俺は大分悩んだ。気持ちが分かるからだ。大人で1人暮らしだってして来た自分は、突然1人だけになったとしても時間でなんとか割り切れたりする。澄子さんと言う存在もいたしな。だが、のどかは学生で子供だ。いくら澄子さんや俺がいたって、家族の存在は必要だ。だが、そんな家族である母親には選ばれなかった。それがのどかにとって大きく残っているのだろう。のどかがこちらで暮らし始めて、こちらの母親に会おうとしなかったのはその事があったからだ。それに当然、この世界の豊浜のどかに頼る事はできない。
しかし、のどかにはもう1人頼れるかもしれない人がいた。のどかの姉である桜島麻衣だ。最近ではCMだけでなく、ドラマなどにも出演の幅を伸ばしつつある復活した女優。のどかがこの世界に来てから、しきりに桜島先輩の事を知りたがっていた。それは彼女にとって大好きで頼る事のできる家族だから、というのも有るかも知れない。
…だが、それはとても難しい問題だ。この世界にはすでに豊浜のどかは存在する。桜島先輩を姉と呼べる存在はすでにいるのだ。のどかもそれは分かっているはずだ。でも、のどかは出したいと言った。それも、豊浜のどかとして出したいと言った。この世界で『高松のぞみ』と言う名前をのどかは手に入れている。アカウントの名前だとしても、彼女のみを示す名だ。だから、俺はそっちで出す事も話した。その方が、のどかにとって自分の存在を伝えられると思った。でも、のどかは『豊浜のどか』として出したいと言った。これはお姉ちゃんへ宛てた手紙でもあり、ファンレターだからと。ファンレターには本当の名前で出したい。それがのどかの本心なのだろう。
ならば、俺にとめる気持ちはなかった。それなのに、その大切な手紙を見つけてやれなかった。いつの間にか握っていた手を見つめる。無意識に強く握っていたのか、掌には爪の跡が青く残っている。
「…はぁ、ままならねぇな。前世もそうだが、小さな事も思い通り行っちゃくれないか」
らしくもない弱音がこぼれる。そして、どうするかを考える。見つけるのがベストだ。書き直すのはベターだ。最悪は、のどかがこれのせいで諦める事だ。…俺はベストを目指す。結果書き直す形になっても、最初に綴ったそれは残して置くべきだ。だから、見つける。やる、俺は彼奴の保護者だからな。
心を決めた俺は、風呂から出てリビングへ向かった。リビングでは、澄子さんとのどかが一緒にソファーへ座ってこちらを見ていた。
「落ち着いたか?」
「…うん、大介は」
「…ああ、落ち着いた。それと見つける意志高まった」
そう言って、俺はのどかへガッツポーズを見せる。しかし、のどかの表情はすぐれていなかった。
「…」
「大ちゃん、上がったのね。…食事にしましょうか」
「手伝うか?」
「のどちゃんについていて」
そう言って、澄子さんはキッチンへ歩いていった。残された俺とのどか。…俺はのどかの隣に座る。
「なあ、のどかは後悔しているのか?」
「……」
「俺は、のどかが桜島先輩に手紙を出したいと言った時、嬉しかった」
「……何で」
「そりゃあ、あの日から止まったのどかが、自分で進む気を出したんだ。うれしくなるよ」
あの日から自覚は無いだろうが、のどかの時間は止まったままだ。環境がかわり、俺や澄子さんがいてものどかは外に出れなかった。…『豊浜のどか』との件があっても、外に出ることはできた。でも、のどかはしなかった。もしくはできなかったか。それは分からない。でも、手紙を出す。そのために外に出ることができた。それはとても嬉しい事だ。
「……でも、ダメだった」
「…かもしれない。でも、諦めてほしくないな」
「……大介は、失敗したことある?」
「そりゃあ、沢山な。今日もした、昨日もな。のどか、怖いのは失敗か?」
「…ううん、でも、……大介、手紙の事」
「うん?」
「…私、鞄に入れてないかもしれない」
「……本当か?」
思わず、聞き返した。それほど衝撃だった。
「……」
のどかはゆっくりと頷いた。あれほど慌てた様子だったのどか。そして、今にも再び泣きそうな彼女の姿に、それを嘘だと言えなかった。
「……じゃあ、何処に」
次に来る疑問は、ならば手紙は何処に有るのかだった。
「…多分、私の部屋、だと思う」
「……」
のどかは手紙を持ったと思って、外に出た。でも、鞄にはなく、あの慌てた様子だった。…おかしい。おかしいが、のどかを信じたい。それゆえに分からない。
「…のどか、お前はその手紙を探せるか?」
「……分かんない。大介、分かんないよ」
「……」
「大ちゃん、のどちゃん、ご飯まではまだ時間があるわ」
声に振り向くと、澄子さんがこっちを見て言っていた。時間はある。のどかを見る。…後回しはダメかもしれない。でも、のどかは本気で探したがっていないように感じる。なぜだ、あんなに頑張ろうとしていたのに。…思えば、最近ののどかはどこか疲れた、無理している風に感じていた。…気にかけているつもりだった。だが、期末試験に意識が向いていた。それで、見逃していたのだろうか。
「のどか、…やめたいか?」
「……」
「すまん、俺も突っ走っていた。もう一度、のどかの思いを聞きたい」
「……大介」
「ああ、なんだ」
「…やめたくは、ない」
のどかはスカートの裾を握る。
「……」
「…でも、怖い。お姉ちゃんに否定されるのが怖い」
「……否定するのか?」
「…分かんない、けど、夢で見るの。誰って」
「夢は夢だろ」
「でも」
「…のどかの知ってる桜島先輩は言うのか?」
「分かんない、だって、私のお姉ちゃんはここにいないんだもん」
「…なら、何で出したいんだ」
「……お姉ちゃんだから」
「……夢の先輩とお前のお姉ちゃん、どっちを信じたいんだ?」
「…お姉ちゃん、かな」
「…夢はどこまで行っても夢だ。悪夢も、正夢もな。のどか、ここには現実の桜島麻衣がいる。生きてる。それよりも夢の桜島麻衣を取るか?」
俺は地面を指差す。この世界には、たとえ、のどかが会ってきた桜島麻衣はいなくても、あのTVの向こうで活躍している桜島麻衣がいる。
「……いや」
「……」
「……いやだよ、お姉ちゃんに会いたい、話したい」
「…どうするか、俺が言えるのはここまでだ」
俯くのどかを俺は見つめる。言葉の通りやってやれるのはここまでだ。後は、のどか次第だ。
「……」
「……」
のどかは黙ったまま動かない。…急ぎすぎたか?だが、ここで問わないと何も変わらない気がする。
「…大介」
「なんだ」
しばらく黙っていたのどかが顔をあげた。その顔は、まだ不安の色が見える。しかし、まっすぐ俺を見つめていた。
「…探すの手伝って」
「ああ、当ては有るのか」
「……部屋だと思う」
「…澄子さん」
「いってらっしゃい、帰って来たらご飯よ」
俺とのどかは揃って、俺達の家に戻る。
戻った俺達は、のどかの部屋へ向かった。
「…あるか?」
「…机にはない」
机の上には、パソコンとマイク、筆記用具等あったが、肝心の手紙は見当たらない。他の場所にはないかを捜索するため、のどかはクローゼット、俺は机の下などを探す。のどかに探して良いのかを聞き、探す。屈みながら机の下や奥の方を探す。だが、手紙の姿はなかった。本立ての合間やパソコンの下も見る。
「…ないな」
「…こっちもない」
「…他の場所を探すか?」
「………見えないなら、ここだと思う」
「…?まあ、もう少し探すか」
もう一度、机を見る。…他に見ていない場所は…あ、なんで思いつかなかったんだ。俺は、引き出しをまだ見ていなかった。
「のどか、引き出しは開けて良いか?」
「なに、引き出し?…あ、見てない」
のどかがこっちに来るのを待ってから、俺達は引き出しを引いた。そこには、黄色い向日葵が描かれた封が置かれていた。
「……ぁった」
「…あったな」
俺はその封を持ち上げた。すると、ひらりと1枚の紙が落ちる。俺はそれを拾い上げた。そこにはミミズの這った字が、文字列をはみ出して書かれている。そして、最後に『高豊浜のどか』と書かれていた。
「のどか」
「──っ!」
「のどか!?」
それを見せると、のどかはふらりとよろめく。そして、俺の方に倒れてきた。俺は慌てて支える。片膝を着いた状態で、両腕にのどかを乗せている形となったが、疲れるので膝枕の体勢に変えた。
「大丈夫か?」
「……ごめん」
「何に対する謝罪だ?」
「……ごめん」
俺は、のどかが落ち着くまで膝枕を続けた。呼吸が一定になり、落ち着いた様子ののどかはポツリポツリと話始めた。
「…大介、私、書けなかった。…でも、出さなきゃって必死だった。…そしたら、手紙が見えなくなった」
「…見えなくなった?」
「……うん。…そしたら私、鞄にしまったって、思い込んじゃった……バカだよね」
「それでか」
「…うん、大介にも迷惑かけちゃった」
俺は、手紙をもう一度見る。見えなくなった。それは引き出しに入れたから。…そういう事に見える。だが、のどかがそれに気づかなかった、あるいは忘れていた。そんな事が…。
「…ハハ、やっぱり罰が当たったんだよ。だって、引き出しに入れてたんだ。……本当にバカだよ」
「…」
俺を見上げる、のどかの目から雫が流れる。のどかは気がついているのだろうか?そして、俺はそんなのどかに泣くなとは言えなかった。人差し指で涙をすくう。ぬるい感触が伝う。
「…俺は、お前がバカなんて思わない。お前は困難に向き合える強い奴だ」
「……強い奴だなんて、普通の女の子に言うな」
「ああ、のどかだから言った」
「…バカは大介だった」
「…それは悪口が過ぎるぞ」
「…そして、私もバカ。単純なんだから」
のどかは、身体を起こす。そして、俺から少し離れた位置に座る。
「…大介、その手紙、返して。…捨てるから」
「…これ、貰って良いか?」
封から取り出した便箋をのどかに見せる。
「──え?…何に使うのよ」
「なに、記念かな」
「はぁ?何の記念なのよ」
「のどかが手紙を書くと言って、書いた記念」
「意味わかんない」
そう言って、のどかは笑うのだった。
「あら、おかえりなさい。見つかったの?」
「…ええ、見つかった」
「そう、ならご飯にしましょうか」
全部は解決してないが、ひとまず彼女の笑顔は帰って来た。これから、手紙についてどうするか。ゆっくりと考えれば良いだろう。そうして、時間は流れていった。
ジリジリと2つの目覚ましが、壁越しで響く。今日も天気がいいな。俺は朝食の準備の為にリビングに向かう。いつもの習慣でつけたテレビはワールドカップの結果を映している。どうも日本が勝ったようだ。そこまで興味はなかったが、教室の男共が騒がしくなりそうだな。
遅れて起きてきたのどかに、朝食を食べさせてから俺は家を出た。藤沢駅では案の定、ワールドカップの話題で盛り上がる中高生がいた。そんな事を横目に今日も電車に揺れる。今日はアルバイトの日だ。梓川や国見と共にシフトに入る。それから数日後のアルバイトで、店長から紹介された新人の子がいた。梓川と仲良さそうに話すので、新人教育を投げたのだが、その新人はあっという間に場の雰囲気に慣れた。あれが伝説のバイト戦士なのだろうか?いや、まるで慣れ方が勝手知ってるからだとか、国見と遠巻きで話していた。
夏休みを前に、期末試験前と言うことで、ピリピリしている学校だが。なんと、梓川と桜島麻衣先輩が正式に付き合うことになった。いや、まだだったのかとは思った。それを知ったのどかも驚いていた。ただ、それで俺の周りが大きく何か変わる事はない。不思議だが、変わらなかった。まあ、変わっても困るのでそれでいいのかもしれない。
それよりも、のどかから買ってこいと言われたレターセット。そして、澄子さんが渡して来た水族館のチケット。これのほうが重要だった。レターセット。のどかがCMやドラマで活躍する桜島先輩に送りたいと、用意してほしいと言ってきた物だ。100均でも良いと言うが、少し奮発してやりたい気持ちもある。懐事情的に難しいのだが。水族館のチケット。どこからか澄子さんが貰って来た10枚のチケット。期限付きで俺とのどかは絶対行けと念押しして来ていた。捌いたチケットは梓川で2枚。国見で2枚。新人の古賀で2枚。俺達分を除いて後、残りは2枚。そして、仕方なく、双葉に2枚渡した。彼奴は行くのだろうか?まあ、無事に10枚を配り終わった。
期末試験について、可もなく不可もなくだった。梓川が凄く余裕そうな感じだったが、勉強頑張ったんだな。手伝ってくれたのどかに、大分言われたから俺も頑張ったが、どうだろうな。良い結果だといいがな。その後のアルバイトで梓川にコツを聞いたが、微妙な顔をして教えてくれなかった。どんな勉強法だっただろうな。
…のどかから相談を受けた。
期末試験も終わって、夏休みがもうすぐそこまで来ていた日の夜。俺は、風呂上がりの身体をソファーの上で冷ましていた。
「…大介」
「どうした?…浮かない顔だが」
「…どうしよう」
呼ぶ声に振り向くと、そこには不安を隠せない様子ののどかの姿があった。
「……とりあえず、落ち着け。何があったんだ」
「…手紙」
「手紙?…あれか、桜島先輩に送るために書いてたやつだろ?」
「…うん」
「手紙がどうしたんだ?」
「…見えなくなったの。お姉ちゃんに宛てた手紙が」
「…どういう事だ?」
最近、梓川の件もあって、桜島先輩の話をする機会が多かった。俺からと言うよりも、のどかから話し始める方が多かったが。嬉しそうに話すから俺も澄子さんも相手をしていた。だから、手紙の方も既に、出した物だと思っていた。それに、見えなくなった。少し、不自然に感じた。失くしたり、何かに失敗したりしたのとは違った言い方だ。
「……書いたの。…失敗でも書いたの。それで、封筒に入れたら、全部見えなくなったの!」
「…まったくわからん。どっかに失くしたって事か?」
「…目の前で消えたの」
「……うぅん、それは俺の理解の外だ」
思わず、頭を抱える。どういう事だ。なんだ、神隠しか?…わからん。理解もできん。誰か、助けてくれ。
「本当なの」
「…お前を疑ってるわけじゃない。事象が特異過ぎるだけだ。…ひとまず、見に行くのが早いか?」
「……うん」
少し複雑そうな返事をするのどかだが、部屋には入れてくれた。まあ、内装は知ってるから、今更感想もない。まずは、さっきまで書いていた跡の残る机を見る。…確かにレターセットは置いてあるが、手紙や封筒は見えない。
「…確かにないな」
「…机の下も見たから、落としたとは考えられなかったの」
「そんな感じだな」
「…ねえ、大介、なんでかな?」
ぎゅっと、のどかが俺の裾を掴む。のどかとの距離が近くなった。そのせいで、のどかが小さく震えているのが分かった。
「…ねえ、ねえ、私がお姉ちゃんに出したいって言ったのが、間違いだったのかな!?──それとも、出したくないって思ったのがダメだったの?」
のどかの両手が俺の胸元を強く握りしめる。…俺は震える彼女を拒まなかった。
「…そんな──」
「─だって、お姉ちゃんが『誰』って、私を指して言ったの」
「……そんな事、言うわけないだろ」
「─分からないじゃん!」
俺を見上げる彼女の瞳は、虚空に向けて凝視していた。その瞳に不安、恐怖、いや、俺の姿も写っていないかもしれない。
「…どこの桜島先輩が言ったんだ?俺がお前から聞いた先輩は、そんな事を言わないと思っていたが、違うのか?」
「……言わない。お姉ちゃんがそんな事言うわけない。…でも、怖い。だって、私のお姉ちゃん──桜島麻衣はいないんだから!!」
「──じゃあ、なんで出したかったんだ?お前は、俺が聞いた時言っただろ。…それをもう一回、言ってみろ」
俺は興奮したのどかに向かって、出来るだけ淡々と尋ねた。
「………お姉ちゃんだから、私が大好きなお姉ちゃんだから!…知って欲しかった。迷惑かもしんない、けど、知って欲しかった」
「ああ、そうだったろ。俺はのどかのその思いがあったから応援したんだ」
まっすぐのどかに向けて言う。本心だ。
「まあ、俺の思いなんか今はどうでも良い。それよりも、そんな大好きなお姉ちゃんを、信じているんだろ?」
「……分かんない」
「…じゃあ、なんで封筒に入れたんだ?送るのが怖いのに封筒へ入れる事はないだろ」
「……」
黙るのどかを俺は静かに待った。本心だから、俺はのどかに、もう一度選んでほしかった。それが送らないでも良いと、今は思ってる。
「…大介、私は今も怖い」
「ああ」
「お姉ちゃんに受け入れて欲しい」
「ああ」
「…でも、お姉ちゃんに迷惑もかけたくない」
「ああ」
「…でも、やっぱり、知って欲しい。私は『豊浜のどか』だって」
「…ああ」
俺を見上げるのどか。その目はまだ、微かに揺れている。だが、強い光が灯っているようにも見えた。
「落ち着いたか?」
「……うん」
あの後、俺はしばらくのどかに胸を貸していた。今はそのことが恥ずかしいのか、微妙に頬が赤い。
「…結局、手紙は見つからなかったな」
「……」
そんな俺のつぶやきに、のどかが立ち上がる。そして、おもむろに引き出しに手をかける。
「…あった」
「─本当か?」
持ち上げたのどかの右手には確かに、黄色い向日葵の封筒が挟まれていた。のどかはそれを俺に差し出した。
「……そうか」
俺は、封筒から便箋を取り出した。そして、そこにはミミズの這ったような字が、文字列をはみ出して書かれている。そして、最後に『高豊浜のどか』と書かれていた。
「…ひっどい字でしょ」
「…そうだな」
「…震えてろくに書けなかったの」
「…ああ、よくわかる」
「……恥ずかしいから返して」
のどかは右手を俺に向けて伸ばす。…だが、俺はそれを避ける。
「ちょっと」
「捨てる気だろ」
「…そりゃね」
「…俺はこの便箋を書いたのどかの気持ちも大切にしたい」
「…え?」
「と言うわけで、これは預かるわ」
そう言って、俺は懐に便箋をしまう。それを見たのどかは、右手を伸ばしたまま、固まってしまう。
「─え?」
翌日になった。朝食を準備する俺をのどかが睨む。昨日の事について、まだご立腹なようだ。まあ、返さないが。あんな事があったとしても、こうやって食卓を囲める。柄にもなく嬉しかった。
7月19日。のどかに頼まれて、俺はある所に付き添った。フードを深く被る彼女の後を歩き、その場所へ向かう。
…マンションから1番近いポストだ。あれから、のどかはもう一度書き直した。今度は、俺や澄子さんに字の確認を頼んだ上で、のどかの納得の行くものに仕上がった。
「……入れるから」
「…ああ」
ゆっくりと、のどかは黄色い向日葵の封筒をポストに近づける。途中、手が止まる事があったが、しっかりと投函する事ができた。
「…できた、よね」
「…ああ、お疲れ様。後は、信じるだけだ」
「……うん」
「…さ、澄子さんの家で昼食にしよう」
「…わかってる」
夏休み1日目、俺は既に達成感で秋の気分だった。