境界寄生体   作:P-PEN

1 / 17
第一章 地下に眠るもの

 

 

 

 その日は、レレイに暮らす者たちにとって、特別な一日だった。

 

 イスルンが長い眠りについて以来定期的に執り行われてきた大祭儀。神が目覚めぬ今もなお、島全土の豊穣と加護を保つための儀式である。首都イリュジオムの神殿には教皇たちが集まり、街は祭りの熱気に満ちていた。石畳の大通りには色鮮やかな布が渡され、露店からは焼いた肉や香辛料の匂いが漂い、普段ならば神官たちの行き交う厳かな街路にも浮かれた人々の笑い声が絶えない。

 

 もっとも、祭りの日だからといってレレイの危険が消えるわけではない。むしろ、首都に優秀な祓魔使たちが集まるこの時期こそ、各地の異常を監視する者たちにとっては厄介な日だった。界非が現れれば誰かが対処しなければならない。祭儀の警備に人手を割いたからといって、地下の闇まで大人しくしてくれる道理はないのだ。

 

 だからこそイリュジオムの一角にある協約酒場には、祭りを楽しむはずだった者たちが呼び出されていた。

 

 「んぐっ……ぷはぁ。タダ酒が貰える日に、なんたって呼び出されなきゃいけねぇんだよぉ……」

 

 卓上に肘をついたスティレイト・ガヴが恨めしげに酒杯を傾けた。精巧な装飾が施された大きなベールから覗くうす暗い銀灰色の長髪と、暗闇の中で妖しく発光する琥珀色の瞳がきらめいた。彼女は文句を言いながらもその杯はすでに空になりかけている。対面に座るアルクシアはそんな彼女を気にする様子もなく、呼び出された理由を尋ねた。

 

 「仕事、何?」

 

 透き通るような金髪のショートヘアに、涼やかな青い瞳を宿した可憐な射手。白とエメラルドグリーンの羽根飾りが揺れる羽織をまとい、引き締まった健康的な肢体に握られた巨大な意匠の白弓は、彼女が熟練の狩人であることを物語っていた。

 

 「さあね。祭りの警備じゃないのは確かでしょう。私たちに街を守らせたら、守るべき街のほうが先に壊れかねないもの」

 

 ススルーシィは椅子の背にもたれ、退屈そうに爪先を揺らした。背中まで豊かに流れ落ちる純白の銀髪と、冷ややかな光をたたえた黄金の縦瞳が、周りの眼を自然と惹きこんでいる。 四肢を包むのは、闇夜の黒と高貴な金色が絡み合う漆黒の鱗衣であり、その指先には鋭く磨き上げられた爪が覗く。白と黒の気高いドレスの裾が翻り、その足元はヒール状の装甲で引き締められている。そして何より、背後には妖しくうねる太い蛇の尾が優美なシルエットを描いている。

 

 彼女の背丈は人間の女としても高い部類に入る。だが、その身体を人間の尺度で測ろうとすること自体、あまり意味はなかった。レレイの民に似た姿を持ちながら彼女は人間ではない。霊的な反応も、肉体の成り立ちも、こちら側の生命とは異なる。彼女は地下帝国ヴァルーシアに属する界非であり、レレイの民との間に生まれた血を持ちながら、そのどちらにも完全には収まらない存在だった。

 

 だからこそ、ススルーシィは強さを求めた。

 

 生まれ持った瘴気の量や、身体に宿る異質な力だけで勝つのではない。爪の振るい方、踏み込みの角度、相手の呼吸を読む間合い。技術として磨けるものは全て磨き上げる事を旨とし、ヴァルーシア流爪術を修め、強敵との戦いを重ねる事こそ彼女が自分自身に課した修行だった。

 

 そして、レレイはその目的を果たすには都合のよい土地だった。

 

 戦う相手に事欠かず、腕を磨く機会はいくらでもある。ラクリオンに誘われてギルドに加わるまでは、ススルーシィは各地で境界異常を見つけるたび、修行と称して勝手に突撃していた。周囲の者たちが頭を抱えることもあったが本人はどこ吹く風である。

 

 「ま、退屈しのぎくらいにはなるでしょうね」

 

 彼女は唇の端を持ち上げた。

 

 「それに、弱い界非ばかり相手にしていたんじゃ、腕が鈍るもの」

 

 「お前さんの言う弱いってのが、どの辺りを指すのか聞くのが怖いねェ」

 

 ガヴが肩をすくめる。ススルーシィは答えずただ楽しげに笑った。“蛮地”の界非が壮絶な強さを持つことは有名な話だ。そしてススルーシィは蛮地から人類の大地にやってきたのだった。

 

 やがて酒場の喧騒を割るように、任務を伝える担当者が一枚の地図を卓上へ広げた。赤い印が置かれたのは、首都から離れた鉱山地帯だった。

 

 「今回の任務は、鉱山内で発生した界非の掃討、および現場の調査です」

 

 その言葉に、アルクシアが地図へ視線を落とした。

 

 「簡単。わたし、要る?」

 

 仕事の内容を聞く限り、彼女にはそう思えたらしい。ガヴも地図を眺め、酒に酔った目を細めた。

 

 「んあ?酔いすぎて幻覚が見えてらあ……界非がいるように見えるぞ」

 

 「幻覚じゃありません。報告された数は二十体以上です」

 

 「おおい」

 

 アルクシアが短く呟いた。ススルーシィの表情に興味が灯る。

 

 「へぇ。二十体以上ね」

 

 ススルーシィは椅子から身を乗り出した。先ほどまで酒場の喧騒を持て余していた女は興味をそそられた目で地図を改めていた。

 

 「このバカ騒ぎにも飽き飽きしてきたころだし……いいわ。私が力を貸してあげる」

 

 担当者は説明を続けた。数日前、鉱山の採掘員たちが坑道をさらに地下へと掘り進めたところ、巨大な晶洞が発見された。結晶の群生するその空間の中央には、直方体を捻じ曲げたような奇妙な岩石が鎮座していたという。人工物なのか、自然に生じたものなのかさえ判然としない。だが、その表面には長い年月を経た痕跡があり、人工物であるならば、何百年、あるいはそれ以上の時を経ている可能性があった。

 

 採掘員たちは晶洞の内部で界非に遭遇し、現地の祓魔師小隊が対応にあたった。死者こそ出なかったものの、負傷者は多く、彼らは持ち込んだ厄除を使い切るほどの戦闘を強いられた。結局、討伐は断念。晶洞を結界で封鎖し、界非が外へ出ないよう押し留めることに専念している。

 

 「現在も、現地の小隊が晶洞を封鎖しています。ただし、報告に来たルクレス・エピルフォンを除く隊員たちは、いまも内部に留まっているとのことです」

 

 「危険。神官、無事?」

 

 アルクシアの問いに、担当者は頷いた。

 

 「少なくとも、報告が届いた時点では。彼らが持ちこたえているうちに、皆様には現場へ向かっていただきたい」

 

 「ルクレス……という事は現在踏みとどまってる小隊は“明日への道標”ね」

 

 ススルーシィは腕を組んだ。彼女が名前を憶えているという事はかなりの腕利きである証左だが、アルクシアの疑問がその先の言葉をかき消していった。

 

 「生きてる穴 界非たくさん へん」

 

 「地下世界と繋がりやすい場所なら、界非が出るのも当然でしょう? 私の故郷、ヴァルーシア帝国だって地下にあるもの」

 

 彼女はさも当然のことのように言った。

 

 「地上なんて、皮一枚しかないのよ。その下には、ずっと広い世界が広がっているわ」

 

 ガヴが何か言いたげに眉を上げたが、ススルーシィは気づかないふりをした。地下の世界を知る彼女にとって、地表こそが薄い蓋にすぎない。そこから見れば、地上の者たちが地下を恐れ、未知の領域として扱うことのほうが不思議だった。

 

 「楽しみだなー、地下!」

 

 能天気ともいえる声を上げたのはクゥ。孤児から成りあがった典型的な辺境祓魔使で、無邪気にはねる白いショートヘアに、爛々と輝く大きな金色の瞳が印象的な小柄な少女。 口元からは覗く小さな八重歯と無邪気な笑みが、愛くるしくもどこか野性的な印象を与える。白いタンクトップとショートパンツの上に、鮮やかなネオンブルーの裏地が映える大きな黒いアウターを羽織り、足元には無骨なミリタリーブーツを履いている。ダボついた服から伸びる華奢な手足としなやかな佇まいは、小動物のような愛くるしさと自由奔放な魅力を漂わせていた。

 

 

 ススルーシィは咳払いをして流れかけた緊張感を取り戻す努力をしつつ話を進めることにした。

 

 「それで、状況は?」

 

 問いかけに担当者が答えるより先に背後から男の声がした。

 

 「応援を要請したルクレスだ」

 

 振り返ると、ひとりの男が立っていた。無造作にはねる淡い灰白のボブヘアに、感情の起伏を感じさせない冷ややかな灰色の瞳。どこか世界に諦観したような虚無的な影が漂っているものの、佇まいは徹底して洗練された剣士のそれであった。彼は一同を見渡し、クゥに目を留めてからわずかに頷いた。

 

 「……ふむ。お前たちなら、問題ないだろう」

 

 それは、彼らにとっては十分な評価だった。だが、ススルーシィの興味はすでに、男の言葉の先へ向かっている。

 

 「それでその晶洞の中には、界非が二十体以上。真ん中には古いモノリス。現地の小隊は封鎖を続けている」

 

 「その通りだ」

 

 「いいじゃない」

 

 彼女は笑った。強敵がいるかもしれない。未知のものが眠っているかもしれない。地上の者たちが危険だと判断し足を止めた場所の奥に、自分の知らない何かがある。それだけで、ススルーシィにとっては十分だった。

 

 「さっさと行きましょう。私を待たせるなんて罪深い事よ?」

 

 そのときだった。卓上に置かれた任務資料のそばで、小さな光が消えた。誰かが息を呑む。厄除に灯っていた光のひとつが、音もなく失われていた。それは、まだ誰も鉱山へ向かっていない時点で起こった異変だった。遠く離れた晶洞の封鎖が破られたのか。それとも彼らの知らない何かが、すでに動き始めているのか。答えは、まだどこにもなかった。

 

 ただひとつ確かなのは、この事件は尋常なものではないという事だけだ。

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。