境界寄生体   作:P-PEN

10 / 17
第十章 二度目の回帰

 

 

 

 

 最後の界錨が地面に打ち込まれた瞬間、晶洞の中に張り巡らされていた戦線は、その意味を変えた。これまでは敵の攻勢をしのぎながら界錨を設置することが最優先だった。しかし、もう設置すべき界錨は残っていない。時間改変に対抗するための基準点は、必要な場所すべてに確保されたのだ。

 

 残る仕事は一つ。晶洞を異界へと変えつつある界非を祓滅することだった。

 

 もっとも、目的が単純になったからといって、戦いまで容易になるわけではない。岩陰に潜んでいた鬱黒揚羽の群れは、翅を震わせながら再び飛び立ち、穢れを帯びた鱗粉を周囲へ撒き散らした。その向こうでは、業透徒が鎌を構え直している。先ほどまでの攻防で傷つき、穢れを消耗している個体もいるが、敵はまだ戦闘能力を失っていなかった。

 

 クゥは黒い大剣を握り直すと、群れの中へ踏み込んだ。狙いは、目の前の敵を一体ずつ追い回すことではない。密集した鬱黒揚羽と、その背後に控える業透徒をまとめて攻撃し、敵が陣形を整える前に戦力を削ることだった。大剣が大きく薙がれる。刃の軌道にあった岩が砕け、逃げ遅れた鬱黒揚羽がまとめて吹き飛んだ。

 

 業透徒は反射的に鎌を生成し、その一撃を受け止めようとした。だが、黒い大剣の勢いは殺しきれない。鎌は砕け、異形の身体が大きくのけぞる。クゥはそのまま力任せに剣を振り回し、間合いを詰めてきた敵を押し返した。傷ついた業透徒は、崩れかけた身体を穢れで繋ぎ止めようとする。それでも、先ほどまでのような余裕はなかった。

 

 だが、敵も黙って押し込まれてはいない。

 

 業透徒はクゥへ向けて指を突き出し、声にならない呪詛を放った。刃を振るう相手ならば、剣で受け、あるいは身をかわすこともできる。けれども、放たれた呪詛はそうした防御をすり抜けるように襲いかかった。クゥの身体が衝撃に揺れ、苦痛の声が漏れる。

 

「うぎゃっ!」

 

 クゥは一度、大きく後退した。厄除が働いたことで致命的な結果こそ免れたものの、無傷で済んだわけではない。霊力は大きく削られ、彼女は息を整えながら敵を睨み返した。

 

「当たっちゃったぞ! 防御したはずなのに!」

 

「クゥっ!?」

 

 ススルーシィが思わず声を上げた。アルクシアも彼女の名を呼ぶ。スティレイトは離れた場所から状況を確かめようとしたが、その視界には鬱黒揚羽の群れが立ち塞がっていた。

 

 敵は、こちらが態勢を立て直すまで待ってはくれない。鬱黒揚羽たちはスティレイトを取り囲み、無数の翅から穢れの鱗粉を撒き散らした。一部はクゥの方へも流れ、視界を濁らせる。群れの姿と鱗粉が重なり、敵の位置さえ見定めにくくなっていく。

 

「こいやあ!」

 

 スティレイトは怯まず、薪のように黒く変じた腕を掲げた。腕から噴き上がった炎が、迫る鱗粉を焼き払う。穢れは煙のように燃え広がり、周囲の空気を濁らせたが、その炎に煽られた鬱黒揚羽たちは散り散りになった。視界を覆っていた群れに、わずかな隙間が生まれる。

 

「くっそ、粉も本体もで何も見えねぇ。うっとおしい!」

 

 敵の攻撃を防げても、視界を奪われたままでは反撃の狙いを定められない。スティレイトは炎を絶やさぬよう腕を構え、次の攻勢に備えた。クゥもまた、霊力を削られた状態で不用意に飛び込むことはせず、敵の動きを見極めようとする。戦いは終わりに近づいているはずだったが、最後の一押しを阻む敵は、なお執拗に抵抗していた。

 

 その光景を見たススルーシィは、業透徒へと視線を向けた。鬱黒揚羽の群れにかかずらっている余裕はない。まずは、呪詛を放つ業透徒を排除する。あれを残せば、クゥのように防御を抜かれて消耗する者が再び出るだろう。

 

「邪魔よ。先に貴方から片づけるわ」

 

 詠唱を省き、ススルーシィは呪詛を放った。狙いは、傷つきながらもなお鎌を構えていた業透徒。紫黒の呪いが敵の身体へ食らいつき、穢れを内側から崩していく。業透徒は抵抗しようとしたが、散り散りになった穢れを再び集め、身体を保つことができなかった。最後の一体が崩壊し、霧散する。

 

 ススルーシィは、その結末を見届けることさえしなかった。呪詛が届いたことを確かめるよりも早く、彼女は地を蹴って走り出していた。残る鬱黒揚羽を一掃するためだ。

 

 黒い鱗に覆われた四肢が、晶洞の岩場を駆け抜ける。敵の鱗粉が行く手を遮ろうとも、ススルーシィの足は止まらない。彼女は群れの中心へと飛び込み、左右の爪を振るった。鋭い一撃が翅を裂き、身体を砕く。続く攻撃が別の群れを捉え、逃げようとする鬱黒揚羽をまとめて打ち据えた。

 

 だが、彼女の攻勢は単なる連続攻撃では終わらなかった。今までの攻撃は“追い込み漁”に過ぎない。ススルーシィの暴風の様な攻撃を避けたことで、いくつもの群れは逃げ場を求め合流し一つの巨大な塊となった瞬間を見逃さない。

 

 ススルーシィは深く腰を落とし、独特の低い構えを取った。肘から先を覆う漆黒の鱗が、かちりと音を立てる。手甲と爪、そして牙から、禍々しい紫黒の呪毒が霧となって立ち昇った。その姿は、見る者によっては幾つもの頭を持つ巨大な蛇を思わせただろう。

 

「終わりにしてあげるわ」

 

 地面が弾けた。

 

 次の瞬間、ススルーシィの姿が敵の視界から消えた。いや、消えたように見えたのは、その動きがあまりにも速かったからだ。鬱黒揚羽の群れを覆い尽くしたのは、九つの頭を持つ巨大な毒蛇の残像だった。

 

 右の爪が敵の視界を奪うように走り、左の爪がその身体を穿つ。低い姿勢から繰り出された蹴りが、翅と胴をまとめて砕いた。さらに背後から旋回した尾がしなり、逃げようとした群れを薙ぎ払う。右手、左手、右足、左足、そして尾。それぞれの動きが寸分の無駄もなく連なり、攻撃の切れ目を埋めていく。

 

 九つの頭を持つ毒蛇が、獲物を逃がさず噛み砕くかのようだった。

 

 ――ヴァルーシア爪流術奥義・九頭毒華(ヒュドラ)。

 

 連打の轟音が晶洞に響き渡った。一撃ごとに打ち込まれる呪毒が鬱黒揚羽の身体を紫黒に染め、穢れの結びつきを崩していく。翅は裂け、胴は砕け、群れを形作っていた異形たちは次々に散り散りになった。数に頼って戦場を覆い尽くしていた敵は、もはや群れとしての形を保てない。

 

 最後の一撃が空を切ったとき、周囲には羽音すら残っていなかった。

 

 ススルーシィは着地し、ゆっくりと身体を起こした。呪毒の霧が薄れ、黒い鱗に覆われた手足が静かに下がる。彼女は砕けた岩と、敵が消えた空間を見渡し、満足げに口元を緩めた。

 

「――ちょっとやり過ぎちゃったかしら?」

 

 返事をする敵はいなかった。

 

 クゥが大剣を構えたまま周囲を見回し、スティレイトは炎を収めながら視界を確かめた。アルクシアもまた、弓を下ろすことなく、残る敵の気配を探る。しかし、先ほどまで彼らを取り囲んでいた業透徒も鬱黒揚羽も、戦場から姿を消していた。

 

 界錨の設置は完了し、敵の群れも祓滅した。少なくとも、この場で彼らが果たすべき作戦は、すべて成功したはずだった。

 

 その直後、周囲の時間が再び停止した。

 

 飛び散った岩片も、薄く漂う穢れも、まるで世界そのものが息を止めたかのように静止する。続いて、白い輝きが晶洞を満たし、視界を塗り潰していった。

 

 誰かが何かを言う間もなかった。

 

 時間が巻き戻る。

 

 戦いの痕跡も、敵を倒した事実も、彼らが積み上げた成果も、すべてが白い光の向こうへと呑み込まれていく。

 

 そして、彼らが再び気づいたとき――そこは晶洞ではなかった。

 

 協約酒場《ギルドホール》。依頼資料を受け取る、その直前の場所だった。

 

 戦闘は終わった。界錨も設置した。敵の群れも倒しきった。それでも、世界は何事もなかったかのように、彼らを出発前の時点へと引き戻していた。彼らの勝利は、確かに存在したはずだった。

 

 だが予測されていた通り、時間は再びそれを認めなかった。

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。