境界寄生体   作:P-PEN

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第十二章 時穢

 

 

 

 教皇ラクリオンの推測は、驚くほど明快だった。モノリスは境界の損傷を自ら修復する加護を吸い上げ、それを穢れへと変換することで生き延びている。ならば、その流れを一時的にでも遮断すればいい。必要なのは、境界を支えるための結界を構築し、モノリスが寄生する仕組みそのものを封じることだった。

 

 一行は、応急的に繋ぎ合わされた注連繊索を携え、再び鉱山の晶洞へと向かった。今度こそ時間の巻き戻りを止め、任務を完遂するために。

 

 奇妙なことに、晶洞へ至る道中で『明日の道標』の小隊と遭遇することはなかった。彼らの死体も見当たらず、界非に取り込まれた痕跡もない。確かにここにいたはずの人々が、まるで最初から存在しなかったかのように姿を消している。

 

 スティレイトは、誰もいない道を見渡した。ミーシャーたちが無事に退避できたのなら、それに越したことはない。だが、彼らが今どこにいるのか、何を経験しているのか、それを確かめる術はなかった。

 

 晶洞の入口にたどり着くと、内部の異様な広がりが一行を迎えた。以前よりもさらに巨大化した空間。その壁面には無数の結晶が突き出し、奥へと続く道を複雑に分断している。中央には、あの黒いモノリスが静かに立っていた。

 

 そして、その周囲を埋め尽くす界非の群れも、以前とは比較にならないほど増えていた。黒い鱗粉を散らす鬱黒揚羽。布を纏った亡霊じみた布怨徒。そして、地を這う獣の姿をした這燐愚。総数はモノリスを含めて五十二体。これまでの時間反復で蓄積された穢れが、晶洞そのものを広げ、より強力な界非を生み出していたのだ。

 

 「敵は前回より穢れが強いわ。前と同じようにやり過ごせると思っていると危険よ。危ないと判断したら、周囲の確保を優先しなさい」

 

 ススルーシィは、敵の配置を見極めながら仲間たちに告げた。数が増えただけではない。敵の一体一体が、以前よりも濃密な穢れを纏っている。これまでと同じ戦い方では、結界を張る前に押し切られる可能性があった。

 

 今回の目的は、四本の界錨を注連繊索で繋ぎ結界を成立させること。界非の数を減らすのは、その作業を遂行するために必要な範囲でよい。結界が完成すれば、モノリスの加護吸収と時間の巻き戻りを封じられる。敵を倒すのは、それからでも遅くない。

 

 最初に動いたのはアルクシアだった。彼女は結晶の突き出した地形を利用しながら、左前方に設置された界錨へと駆ける。敵の視線が集中する前に注連繊索を取り出し、界錨へと手際よく結びつけた。

 

 「左前方、アンカー、スタンバイ」

 

 報告を終えると、彼女はすぐに射線を確保できる位置へ身を移した。結界の構築を進めるには、設置作業をする者が敵の攻撃に晒され続けないよう、他の仲間が周囲を制圧する必要がある。

 

 その間に、スティレイトは祓魔術を用いて式神を呼び出した。現れた割薪には、神造遠隔祭具が与えられている。彼自身も装備を切り替え、細身のヒヒイロカネ製の刀を構えた。炎による広範囲の制圧だけでなく、敵を一体ずつ確実に仕留めるための備えだった。

 

 割薪が遠隔祭具を構える。熱を帯びた光が一直線に走り、鬱黒揚羽の群れを貫いた。続けざまに放たれた射撃が、逃げ惑う蝶の姿を次々と消し飛ばしていく。九体の群れが、瞬く間に消滅した。

 

 「さあ、来い!焚べられた火よ!」

 

 スティレイトは式神の攻撃を見届けると、周囲に残る敵の動きを警戒した。強力な攻撃手段を持っているからといって、すべてを式神に任せるわけにはいかない。祭具の力には制約がある。必要な局面で再び使えるよう、無駄撃ちは避けるべきだった。

 

 その頃、クゥは地形を大きく飛び越え、別の界錨へと向かっていた。彼女の移動速度は常人の域を大きく超えている。黒い大剣を携えたまま晶洞の岩場を跳び越えていく姿は、広い空間を自由に跳ね回る獣のようだった。界錨にたどり着くと、クゥは注連繊索を手に取り、素早く結びつける。

 

 「結んだぞー!」

 

 その声を聞いたススルーシィは、思わず顔をしかめた。

 

 「ちょ、ちょっと無茶し過ぎじゃない!?」

 

 クゥの行動は、確かに目的に適っていた。結界の完成を急ぐ以上、誰かが危険を冒して設置地点へ向かう必要がある。しかし、速く移動できることと、危険を無視してよいことは別だ。クゥは目的を達成する事を優先し過ぎていくつもの群れの集まりの中に入ってしまったのだ。

 

 ススルーシィの懸念は、すぐに現実のものとなった。

 

 地を這う這燐愚(ハウリング)の群れが、クゥへと殺到した。獣たちは彼女の身体に喰らいつこうと、鋭い牙を剥き出しにして飛びかかる。クゥは大剣を盾のように扱ってうまく牙を弾き、敵の頭を足場にして宙へと逃れる。さらに迫る攻撃も身を捻ってかわし、致命的な一撃を許さない。

 

 「あたしを食べたいのかー?じゃあ、どっちが先に噛みつけるか勝負だ!」

 

 クゥは楽しげに叫んだが、敵は彼女だけに執着しているわけではなかった。攻撃が通じないと見るや、這燐愚たちはすぐに別の獲物へと向きを変える。

 

 入れ替わる様に殺到した布怨徒の群れが、剣や鎌のような部位を振り上げクゥへと襲いかかった。彼女は大剣を掲げてそれらを受け流し、連続する攻撃をかろうじて凌いだ。だが、そのたびに回避の余裕は削られていく。これ程の群れを相手にしている以上、いつまでも無傷でいられる保証はなかった。

 

 鬱黒揚羽の群れもまた、彼女たちを見逃さなかった。羽ばたきとともに撒き散らされた鱗粉は、以前に見たものよりも濃く、粘つくような穢れを帯びていた。粉塵というより液体に近い密度を持った汚染が、周囲の空間を覆い尽くす。

 

 スティレイトとススルーシィは、迫る鱗粉を避けるために身を翻した。直前まで立っていた場所に、どろりとした穢れが付着する。触れれば何が起きるか、確かめる必要もなかった。

 

 「小賢しいわ!」

 

 ススルーシィは拳を振り抜き、晶洞内に暴風を巻き起こした。風圧が鱗粉を吹き散らし、迫る穢れの流れを押し返す。スティレイトもまた、割薪の放つ熱線で敵との間を遮り、鱗粉が広がるのを防いだ。

 

 スティレイトの防御を確認しながら、ススルーシィは目の前に迫った鬱黒揚羽の群れを見据えると、呪詛毒を両手から放射。界非を形作る穢れそのものを侵食し、相手の存在を崩していく。

 

 黒い蝶の群れが、内側からほどけるように霧散していった。消えた穢れは、彼女の力へと取り込まれていく。ススルーシィの身体から感じられる圧力が、わずかに増した。

 

 空いた進路をススルーシィは疾走。別の界錨へとたどり着く。注連繊索を取り出し、岩場に固定された界錨へと結びつける。敵の群れが再びすぐ近くまで迫っていたが、彼女は手元を乱さず必要な作業を終えた。

 

 「これで設置は完了ね」

 

 これで三つの界錨に注連繊索が接続された。残るは一つ。まだ結界は成立していない。モノリスは今も加護を吸い上げ、穢れへと変換し続けている。敵を倒すことに気を取られて、最後の一本を結ぶ前に作業が止まれば、ここまでの努力は無駄になる。

 

 アルクシアは設置作業を終えた仲間たちの動きを視界の端で捉えながら、射線の通る位置へと移動した。彼女は敵の数を数え、攻撃すべき対象を選別する。単騎で強力なススルーシィは放置でも問題ないと判断。クゥが引き受けている敵は、彼女に任せればよい。今、自分が排除すべきなのは、結界の構築を妨げる位置にいる群れだった。

 

 「ガヴ、小物、任せて」

 

 「了解だ! 犬っコロは任せとけ!」

 

 アルクシアは弓を構え、予測した敵の動きに照準を合わせた。放たれた矢は一発では終わらない。複数の射撃が異なる軌道を描き、鬱黒揚羽と布怨徒の群れへと集中していく。敵が身をかわそうとしても、そこには次の矢が待ち受けていた。

 

 彼女の射撃は、ただ数を撃つだけのものではない。敵の位置と動きを読み、退路を塞ぎ、逃れようとした先へと矢を送り込む。見えている敵だけでなくその先の行動まで見越した射撃だった。

 

 次々と矢が命中し、鬱黒揚羽の群れが消滅する。続いて布怨徒も身体を貫かれ、形を保てなくなった亡霊たちから順に霧散していった。スティレイトの周囲を埋めていた敵の数が一気に減少する。

 

 「―――オルクス・フトゥールム」

 

 最後の矢が飛び、残っていた敵の姿が消えた。

 

 「ふう。若干、疲労」

 

 「ヒュー! やるじゃねぇか!」

 

 スティレイトが声を上げる。アルクシアは短く息を吐き、弓を構え直した。これほどの敵を一気に排除できたのは大きい。だが、彼女自身の消耗も小さくはなかった。ここで力を使い果たせば、最後の局面に対応できなくなる。

 

 「調子に乗って全滅させないでよ?」

 

 ススルーシィの声には、冗談めいた響きがあった。しかし、彼女が言いたいことは明確だった。今はまだ結界を完成させる必要があり、それにモノリスを破壊した後にも何が起こるか分からない。

 

 スティレイトは神造祭具を構え直し、残る這燐愚の群れへと照準を合わせた。敵はクゥを避けるようにして、ススルーシィたちのいる方向へと迫っていた。割薪の身体が熱を帯び、白く輝き始める。

 

 「薙ぎ払え!」

 

 式神から放たれた光線が晶洞の暗闇を切り裂いた。白い線が這燐愚の群れを横切り、先頭から順にその姿を焼き消していく。残った敵も続く攻撃によって一掃された。

 

 これで結界の構築を妨げる敵の大群は大きく減った。だが、戦闘はまだ終わっていない。結界が完成しなければ、モノリスは加護を吸い上げ続ける。時間が巻き戻れば、また同じ戦いを繰り返すことになる。

 

 クゥは再び駆け出した。次の界錨へと向かい注連繊索を手に取る。敵の攻撃を受けながらも、彼女はその作業を止めなかった。最後の接続を終えるため全身の力を込めて索を固定する。

 

 

 そして――四本目の注連繊索が、界錨へと結ばれた。

 

 

 その瞬間、四つの界錨を繋ぐ線が、見えない力によって一つの輪を形作った。晶洞を囲うように広がった結界が、確かな力をもって成立する。

 

 空気が変わった。

 

 これまで晶洞を満たしていた穢れの流れが、目に見えない壁に遮られたかのように揺らいだ。モノリスへと吸い上げられていた加護の流れが止まり、黒い石の表面から異様な圧力が失われていく。

 

 モノリスの強度は、もはや以前のような異常なものではなかった。境界の修復作用を横取りできなくなったことで、ただの岩石に近い状態へと弱体化したのだ。

 

 「これで、ようやく本命に手が届く!」

 

 スティレイトが叫ぶ。アルクシアも頷き、ススルーシィはモノリスを見据えた。

 

 結界は成立した。時間の巻き戻りを引き起こす仕組みも、今は封じられているはずだ。残る仕事は、モノリスそのものを破壊すること。

 

 ススルーシィは敵の群れが結界の影響を受け、動きの鈍ったことを確認すると、モノリスへ射線の通る位置に移動。

 

 「何かが起こるって分かってるんだから、離れて壊すわよっ」

 

 彼女は距離を取り、呪詛毒を圧縮した。細く、鋭く、矢のような形へと凝縮された毒が、黒いモノリスへと向けられる。

 

 放たれた呪詛毒は、モノリスの表面を貫いた。

 黒い石に亀裂が走り、次の瞬間、砕け散った。

 

 モノリスは最後の抵抗として、時間を巻き戻そうとした。周囲の空間が捻じれ、景色が引き伸ばされる。だが、今度は違った。祓魔師たちが境界を一時的に修復したことで、加護が流れ込むことはない。時間の巻き戻りを成立させるための仕組みは、すでに封じられていた。

 

 時空の歪みが晶洞を包み込もうとしたものの、それは完成することなく途切れた。

 

 勝った。

 

 そう思った直後、砕け散ったモノリスの破片が、空中でぴたりと静止した。落下するはずの石片は、重力を失ったかのように宙へ留まっている。晶洞の一角だけ、時間そのものが止まったようだった。モノリスが立っていた場所。その足元が、青緑色に発光する。

 

 亀裂が走った。

 

 次の瞬間、凄まじい衝撃が晶洞を揺るがした。結晶の壁が震え、衝撃波が空間を駆け抜ける。周囲に残っていた界非は、その一撃を境にすべて消滅した。

 

 「揺れてる!?」

 

 クゥが叫ぶ。スティレイトは頭上を警戒し、アルクシアは弓を構え直した。ススルーシィもまた、モノリスのあった場所から目を離さない。

 

 空間が裂けた。その裂け目から、何かがゆっくりと這い出してくる。

 

 それは、現世のどの方向にも当てはまらない角度へと捻じれた存在だった。人間の目では輪郭を正しく捉えられない。一見すると、黒く、形の定まらない影にしか見えない。だが、それが何であるかを理解するのに、長い観察は必要なかった。

 

 捕食者だ。自分たちを獲物として認識している、明確な敵だった。

 

 その存在が姿を現すと、晶洞を囲む結晶の壁面に、奇妙な光景が映し出された。いくつもの風景が、鏡の中に閉じ込められた幻影のように浮かび上がる。壁面を埋め尽くしていた光景は、やがて一つの場面へと収束していった。

 

 そこに映っていたのは、『明日の道標』の小隊だった。

 

 彼らは以前と同じように界非と戦っていた。最初は数の少ない敵を退けている。だが、その直後、時間が巻き戻る。

 

 再び始まった戦いでは、先ほどよりも多くの界非が現れた。彼らはそれを退ける。けれども、また時間が巻き戻る。繰り返される戦闘のたびに、敵の数は増え、彼らの消耗も積み重なっていく。

 

 怪物は、その光景を見つめていた。

 

 時間が巻き戻ろうとするたび、怪物は結晶の壁へと食らいつこうとする。だが、壁がそれを阻み、向こう側へ渡ることはできない。怪物は苛立つように壁面を叩きつけた。結晶に亀裂が走り、青緑色の涎が滴り落ちていく。

 

 涎は壁面を伝い、向こう側に映し出された小隊の影へと落ちた。

 

 そして、染み込むように彼らの影を穢していく。

 

 幾度もの戦いで消耗しきった彼らの心は、次第に歪んでいった。本来ならば抱くはずだった悔しさも、無力感も、何かを守れなかったことへの苦しみも、別の感情に塗りつぶされていく。

 

 ――嫉妬。

 

 場違いなその感情だけが、異様なまでに肥大化していった。

 

 ススルーシィは、壁面に映し出された光景を見つめた。彼らが何度も戦い、何度も巻き戻される。そのたびに敵は増え、彼らは追い詰められていく。そうして生まれた感情が、怪物の涎を通じてさらに膨れ上がっていた。

 

 ようやく、彼らがどこへ消えたのかが分かった。

 

 彼らはここにいないのではない。時間の巻き戻りに囚われたまま、別の場所で戦い続けているのだ。そして、その戦いで生じる苦しみと嫉妬が、目の前の怪物を育てていた。

 

 怪物は、とうとう結晶の壁面の一角を叩き割った。

 

 砕けた結晶の隙間から、長い首が伸びる。怪物は向こう側にいる小隊の影へと噛みついた。肉体には目もくれず、影だけを噛み千切り、こちら側の晶洞へと引きずり込む。

 

 宙へ放り出された黒い影に、怪物が大きく口を開く。

 

 次の瞬間、影はその口の中へと消えた。

 

 モノリスは破壊した。時間の巻き戻りも止めた。だが、それによって解き放たれたものが、今まさに彼らの目の前で、別の犠牲者を喰らっていた。

 

 

 

 

 これが、最後の敵だった。

 

 

 

 

 

 

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