時間の止まった晶洞に、再び戦いの音が戻ってきた。
時穢が身を隠そうとした瞬間、その首筋を銀の矢が射抜いた。空間の歪みによって不意打ちを阻まれた怪物は、獲物を見失った獣のように身をよじる。矢を放ったフォルティ・ネブラは、砕けた壁の向こうから弓を構えたまま、戦場を見渡した。
「今考えると、一瞬でも迷ったのがバカみたい」
その背後から、ルクレス、ミーシャー、ミーナが続いて姿を現す。時間の流れから取り残されたはずの彼らが、今ここにいる。それは時穢が作り出した時間の抜け道を、彼ら自身の意志で踏み越えてきた結果だった。
フォルティは弓を引き絞り、妹へ視線を送った。
「これ、獣退治でしょ? アンタの弓の腕と未来を読む力は立派だけど、どうしたって当たらないものを当てられるようにできるわけじゃない。それなら、そこはこのフォルティお姉ちゃんに任せておきなさい!」
アルクシアは短く姉を見返した。言葉を重ねる必要はなかった。彼女たちには、互いの腕を知り、互いの矢を信じるだけの時間がある。
その間にも、時穢は動き出していた。
巨大な四肢が岩盤を砕きながら迫る。狙われたスティレイト・ガヴは、身を翻して攻撃を避けようとした。だが、怪物の爪が通り過ぎた後には、空間そのものがねじ曲がったような傷跡が残る。まともに受ければ、鎧も肉体もひしゃげて潰されていたに違いない。
「受け流す……のは無理だな! これほどのを、
スティレイトは歯を食いしばり距離を取った。影を相手にしながらこの怪物をあしらっていたススルーシィは異常過ぎた。時穢の攻撃を凌ぐだけでは勝てない。四体の影を倒しながら、怪物の回避を支える空間の歪みを削り、仲間が本体に攻撃を通す隙を作らなければならない。
その役割を理解しているかのように、アルクシアはすでに弓を構えていた。
彼女の視線の先にいるのは、フォルティの姿を借りた影――アンチ・アルクシア。影はアルクシアの弓を欲しがり、獣じみた声で叫んだ。
『その弓ハ……私のものダァァアア!!』
「うーわ、何あれ。アレが私?」
フォルティは露骨に顔をしかめた。アルクシアは問い返す。
「ほしい?」
「んー、いらないっていうと嘘になるけど」
フォルティは大弓を構え直した。その声には、嫉妬に取り憑かれた影とは違う、確かな欲があった。アルクシアの弓が欲しいのは、持っている者が偉いからではない。自分がそれにふさわしい射手になりたいからだ。
「その弓って、手に入れれば偉いってわけじゃないじゃない。偉いから手に入れるのよ。だから私はもっと偉くなって、強くなって、正々堂々アンタより優れた弓の名手として――いつか『どうか受け取ってください』って言わせてやるんだから!」
「待望」
アルクシアは、ほんの少し口元を緩めた。
「じゃあ、狩る」
その宣言と同時に、彼女の身体が戦場を滑る。狙いを定めたのはアンチ・アルクシアだけではなかった。視界を横切る鬱黒揚羽を射抜きながら、さらに時穢本体へと矢を向ける。敵の回避を一度に削り、次の攻撃を通すためだ。
無数の矢が放たれた。一直線に飛ぶものもあれば、まるで見当違いの方向へ向かうものもある。だが、アルクシアは迷わない。
「神弓、解放。我、無尽」
矢は岩壁をかすめ、天井へ逸れ、互いに異なる軌道を描きながら、やがて同じ獲物へと収束していく。
「我等、無駄射無」
フォルティの矢が、その軌道へ割り込んだ。
彼女が放った一本は、床と天井、壁面を跳ね返りながら加速していく。アンチ・アルクシアは砕いた岩石を雨のように飛ばし、アルクシアの矢を相殺しようとした。しかし、フォルティの矢は岩石の間に正確な穴を開ける。アルクシアの矢は、その隙間を最初から知っていたかのように通り抜けた。
四肢を貫き、胴を裂き、首と頭を射抜く。アンチ・アルクシアは怨嗟の声を上げながらも、最後の一矢だけは撃ち返した。獣の腕が弓を引き、放たれた矢がアルクシアの最後の一射を打ち落とす。
その瞬間、影は自分の腕にある弓を見つめた。
何を思ったのかは、本人にしか分からない。ただ、影はアルクシアを見返し、そのまま穢れとともに消えていった。
「……あっちは片付いたみたいね」
離れた場所で縄に縛られながら、ススルーシィが呟いた。視線は一瞬だけアルクシアへ向いたが、すぐに目の前の敵へ戻る。
彼女を縛り上げているのは、彼女自身の姿を写し取った影だった。
アンチ・ススルーシィは、穢れに満ちた縄を鞭のように振るう。縄は腰に巻き付き、首を締め、幾重にも重なって彼女の動きを奪っていった。単なる拘束ではない。期待も恐怖も、相手を縛るものは一つではないのだと、影は囁く。
『ススルーシィ様ァ……貴女モ……一緒に……苦しみましょウ……?』
ススルーシィの人と比べ物にならない強靭な肉体と、呪詛を遮断する蛇鱗を持つ霊体が呪詛を受け止める。幾重もの刃が突き出た、バラ鞭のような縄でさえススルーシィの穢装を傷つけることはできない。
「ふふっ、吐息がかかりそうな距離じゃない?こんな一面を持ってたなんて、初めて知ったわ」
そもそも回避しようとすれば出来たものの、あえてススルーシィは受けて立った。
『縄は……鎖はぁ……期待は……恐怖は……一つじゃないンデスよォ……?』
縄がさらに絡み付く。逃げ場を奪い、力を削り、いつか彼女を押し潰そうとする。だが、ススルーシィは口元を歪めた。
「なら、貴方に教えてあげるわ。私を潰せる鎖なんて、この世界には存在しないってことをね!」
彼女の背後では、ミーナが静かに動いていた。ススルーシィの言葉を聞きながら、彼女は結界を張るための準備を進めている。すぐに拘束を解くことはできなくとも、戦場に残された仲間が力を発揮できるよう、できることを積み上げていた。
『終わらないワ……この束縛かラハ……逃げらレナい……』
ススルーシィは、その言葉を聞いて笑った。
「貴方の望みを叶えてあげる」
彼女は拘束を引きちぎるのではなく、足元に張られた結界そのものへと力を向けた。ミーナが縄に混ぜ込んでいた加護が結界にわずかな綻びを作っている。強固な檻であるほど、それを支える一点が崩れれば全体が揺らぐ。ススルーシィはその一点を見抜いていた。
結界を破る反動が人ならざる彼女自身にも返ってくる。肉体と霊体を削る痛みを承知で、ススルーシィは力を解き放った。
鳥籠のように彼女を閉じ込めていた縄が、軋みながら歪む。絡み合う拘束の間に、外から差し込まれた加護が弱点を作っていた。ミーナは自分の縄を通じてその象徴的とさえ言える変化を見つめていた。
「……私はただ……気づいていなかっただけ」
ミーナの声は静かだった。
「自分は蛇なのだと……手足がないのだ……そう思い込んで」
彼女は自分が何者であるかを決めつけていた。正しさを守るために、正しさから外れる自分を許せずにいた。ススルーシィの自由を羨み、その自由に惹かれる自分を責め、やがてその感情を縄へと変えてしまった。
けれど、縄は本来、誰かを縛るためだけにあるのではない。
「……ただ、気づいてしまえば何という事はありませんでしたね……。ススルーシィ様……我々は、ただの蛇ではない。翼ある蛇……竜の子であるのだと」
「ええ、その通りよ。見せてあげるわ」
次の瞬間、彼女は拘束されたまま腰を沈めた。足裏で晶洞の床を捉え、腰から下へ力を落とす。縄は彼女を引き倒そうとしたがその力は、地面へ向かう彼女の重心を支えるものへと変わった。ススルーシィは片脚を大きく引き、もう一方の脚を軸にして身体を捻る。全身を縛る縄が、彼女の回転に引きずられて一斉に張り詰めた。
ミーナの影がススルーシィの強大な瘴気出力に引きずられ傾く。
それだけで十分だった。
刹那の間隙を見逃さず放たれた、ススルーシィの壮烈な下段回し蹴りが、ミーナの影の足元と堅牢な晶洞岩盤をまとめて削り取った。爆音とともに岩肌が爆ぜ、影の身体が大地の一角ごと宙へ跳ね上がる。
同時に、ススルーシィ自身にも強引に結界を破壊した反動が返ってきた。彼女の足元を支えていた霊的な構造が崩れ、身体を覆う力が一瞬だけ失われる。縄の拘束が緩むどころか、反動によって彼女の身体まで不安定になった。自分が縛られている結界を破壊する以上、その影響を自分だけが免れることはできない。だが、彼女はその危険を承知のうえで、破壊する場所と力の向きを選んでいた。
宙へ投げ出されたミーナの影には、まだススルーシィへ繋がる縄が残っていた。拘束の網は、相手を逃がさないために張られたものだ。だからこそその縄は今、空中へ浮かぶミーナの影をススルーシィのもとへ引き寄せるための導線となった。
ススルーシィはその張力さえも利用し加速跳躍。地上で生まれた回転の勢いを殺さず、空中でさらに身体を旋回させる。音速を遥かに超える蹴撃が、彼女の周囲で空気が唸り音が遅れて追いつくほどの速度で解き放たれる!
「ヴァルーシア流爪術秘奥儀――双竜脚っ!!」
竜の咆哮を思わせる轟音が晶洞を震わせた。回し蹴りがミーナの影を捉えた瞬間、衝撃は表面だけに留まらなかった。蹴撃に込められた力が肉体を貫き、同時に、ススルーシィの牙と爪に宿る呪毒が相手の霊的な構造へ浸透する。黒い亀裂が肌の上を走り、縄へ、腕へ、胴へと広がっていった。ミーナの影は自らの身体を無数の縄へ分解して逃れようとしたが、すでにススルーシィへ繋がっていた繊維がその動きを許さない。ばらばらになろうとする身体は、引き寄せられる縄によって一つに縛り直され、逃げられない理由へと変わっていた。
呪毒に侵された身体は、砕けた岩塊とともに遥か彼方へ吹き飛ばされた。岩壁に叩きつけられた衝撃で、ミーナの影の輪郭が崩れる。絡み合った縄は次々に黒く変色し、繊維の一本一本が腐るようにほどけていった。最後までススルーシィの身体へ伸びていた縄も、張力を失って床へ落ちる。拘束は解けた。結界の基盤は砕かれ、相手を閉じ込めていた檻はもう存在しない。
それでも、ミーナの影は崩れかけた身体を支えるように縄を伸ばし、床を這い、もう一度だけススルーシィへ手を伸ばそうとする。その指先は、助けを求めているようにも見えた。あるいは、最後まで相手を縛りつけようとしているだけなのかもしれない。
「……貴女は……いつも……自由デ……」
声は、もうほとんど形を成していなかった。
ススルーシィは着地し、乱れた髪を片手で払った。息は荒い。身体には縄の痕が残り、結界を砕いた反動で全身が軋んでいる。それでも彼女は、相手から目を逸らさなかった。
「ええ。そうよ」
それ以上、弁解はしなかった。自分が自由であることを、誰かに許してもらうつもりはない。けれど、自分の自由が誰かを傷つけたなら、その事実までなかったことにするつもりもなかった。彼女はその責任を背負うことと、自分自身を否定することを同じにはしない。
「でもね。もう、誰かを縛るために、自分まで縛らなくていいのよ」
影の指先が止まった。ミーナは、自らの影からほどけた縄へ手を伸ばした。
「……もどっておいで、醜い私」
ミーナの影の輪郭が、音もなく崩れ始めた。縄は黒い灰となって散り、肉体を形作っていた穢れが細かな粒子へ変わる。最後まで残った顔には、怒りも憎しみも見えなかった。ただ、その表情が安堵だったのか、悔恨だったのか、あるいは別の何かだったのか――ススルーシィには分からなかった。
やがて最後の縄が床へ落ちた。縄は重さを失い、糸のように細くなってミーナのひらへ戻ってくる。
「……私も、あなたも悪じゃないから。ただ、ちょっと……期待に応えたかっただけ……」
ミーナは顔を上げた。ススルーシィは、彼女を見下ろしていた。
「ええ。それに……本当に何もかもイヤになったのなら。これからは、私とくればいいわ」
ミーナは目を見開き、それから小さく笑った。
「これからは縛るためではなく……繋がりとして……。私、しつこいですよ?それこそ蛇みたいに……後悔しても、もう遅いですから……」
「馬鹿ね」
ススルーシィは顔を背けた。ほんの少し、頬が赤くなっていた。
「逃げられないのは貴方達よ」
そう言い切ってから、彼女は照れを隠すように距離を取った。
同じ頃、クゥは剣を交えていた。
向かい合うアンチ・クゥは、黒い剣を構え、余計な動きを一切見せない。斬撃が走るたび、クゥもまた剣を合わせる。二人の剣が噛み合い、火花の代わりに黒い穢れが散った。
『お前も“何も持たぬもの”だっただろうに』
声にならない思念が、鍔迫り合いの隙間から流れ込む。
『何故お前は持っている。俺を裏切るな。俺とお前は同じだったはずなのに』
クゥは剣を押し返した。相手の力を受け止める腕に、迷いはない。
「何も持たない? 違うぞ!」
黒剣が軋む。アンチ・クゥの剣が押し込まれるたび、クゥは足を踏みしめ、岩盤に力を伝えた。
「ルクレスには明日の道標がある、料理も上手! そしてなにより――クゥと並び立てる!」
その言葉に応えるように、ルクレスの姿が影の背後に現れた。彼は一瞬で斬り掛かり、アンチ・クゥの注意を逸らす。影は反射的にそちらへ剣を向けてしまった。クゥではなく、ルクレスに反応してしまったのだ。
その一瞬の隙こそ、クゥが待っていたものだった。
剣を握る手に力がこもる。影が自分と同じ剣を振るうなら、同じ技を繰り返すだけでは勝てない。自分が今、何を持っているのか。それを否定する声に、行動で答える必要がある。
そして、その答えはクゥ一人の中にはなかった。
クゥの黒い剣を、アンチ・クゥの大剣が真正面から受け止めていた。押し込まれた刃が軋み、足元の岩盤が砕ける。クゥは剣を押し通そうと力を込めたが、影は一歩も引かない。こちらの攻撃を受け止めることさえ、自分の力を証明する手段だと信じているかのようだった。
「うおおおお! これも弾いてくるのか!」
クゥの叫びに、ルクレスが応えた。
「……ふ。何も言わずとも通じる、か」
彼は影の背後へ回り込み、剣を振るった。狙いは鎧の隙間、足の腱。アンチ・クゥがクゥの剣を受け止めている間に、その体勢を崩すための一撃だった。
影は反応した。クゥではなく、ルクレスに。
その一瞬の動揺を、クゥは見逃さなかった。
「クゥ一人だと、ここで弾かれて終わりだった。だけど、二人ならどうかな!」
黒剣が重みを増す。周囲の空間を歪めるほどの力が、刃へと集まっていった。クゥは剣を振り抜き、ルクレスの一撃で崩れた体勢へ、間髪を入れずに追撃を叩き込む。
「時空波状撃〈ツインパルサー〉!」
二つの攻撃が、ほとんど同時に炸裂した。
アンチ・クゥの大剣が弾かれ、黒い鎧が裂ける。内側には、何も入っていなかった。空っぽの鎧は、崩れた形を保つこともできず、穢れの霧となって散っていった。
ルクレスはその光景を、どこか満足そうに見つめていた。
一方、スティレイトはアンチ・スティレイトの剣舞を真正面から受け止めていた。
『俺を見ろォ!俺ハ、強い!!輝いていルゥ!』
影は踊る。斬撃は荒々しく、ひと振りごとにスティレイトの身体を切り裂こうと迫った。彼女はすべてを避け切れず、厄除の光が立て続けに消えていく。致命傷を防ぐ加護が削られるたび、身体に響く衝撃は重くなった。
それでもスティレイトは笑った。
「ッああ!まだまだよ!だがやっぱりいいもん持ってんじゃないか、ミーシャー!」
アンチ・スティレイトは、彼女が笑っていることを理解できない。
『なんだ……なんなんだァお前はァ。なんで……笑ってやがるッ!』
「あァ?そりゃあ腹ァ割っての殴り合いだ!楽しくないわけねぇだろうが!」
影が求めているのは、スティレイトの悲鳴だった。相手を怯えさせ、逃げ惑わせ、自分こそが戦士にふさわしいと証明すること。そのために、影は彼女を追い詰めている。
しかし、スティレイトは逃げない。攻撃を受けた痛みを誤魔化すこともなく、真正面から相手を見据えた。
「もっと!お前をぶつけてこい!その後に私も私をぶつけてやるからよ!」
その声を聞いたミーシャーが、遠くから手を伸ばす。
「スティ、俺のダンスは元々“降霊”用だって知ってたよな? よーし、そこにいろ!離れ業だが今からお前に、俺を“降ろす”!」
ミーシャーの身体が、糸の切れた人形のように倒れた。次の瞬間、霊的な彼の姿がスティレイトの隣に並び立つ。彼女の腕から放たれる炎と、ミーシャーの霊が一つの舞踏を始めた。
スティレイトが放つ熱線は、直線を進むだけではない。炎の精が踊るように軌道を変え、弾け、影の剣をかいくぐっていく。アンチ・スティレイトはそれを斬り払おうとするが、二人の動きは一人のものではなかった。
「こうやって手を取るのは久々だな。さあ、踊るぞ!」
スティレイトはミーシャーの手を握り、もう一度、炎を放った。影の回避はすでに限界まで削られている。今度こそ、逃げ道はなかった。
「私たちの火をご照覧あれ!」
黒い腕が白く染まる。熱は一点へ集束し、光となって射出された。
「赫灼白光!」
ミーシャーの霊がアンチ・スティレイトの背後に回り、そっと炎の腕を首に回す。顎を持ち上げ、その目をスティレイトへ向けさせた。
『……あれは…………』
影の剣が止まる。
『……やっぱり……眩しいな……ふ、ははっ』
光が通り過ぎたとき、アンチ・スティレイトの姿は消えていた。最後まで自分だけを見ろと叫んでいた影は、最期になってようやく、憎んでいた相手をその目で見たのだった。
四つの影との戦いは、同じ戦場で別々の答えを求めていた。アルクシアはフォルティと矢を重ね、クゥはルクレスとの繋がりを言葉にし、スティレイトはミーシャーと炎を踊らせる。ススルーシィは、己を縛ろうとする影を前に、まだ一歩も退いてはいなかった。
そして、その全てを覆い尽くすように、時穢が動く。
怪物の身体は頑丈で、放たれた矢のいくつかはその外殻を貫くことすらできなかった。だが、攻撃を避けるたびに、時穢を取り巻く空間の歪みは削られていく。アルクシアの射撃は影を倒すだけでなく、本体の防御をも崩すためのものだった。
時穢はなおも巨大な爪を振り上げる。スティレイトが受けた一撃の重さを知る者たちは、誰もそれを軽く見ていなかった。
だからこそ、誰も一人では戦っていない。
ミーナは結界の準備を続け、フォルティは次の矢をつがえる。ルクレスはクゥの作った隙を逃さず、ミーシャーは霊の姿で友の隣に立つ。ススルーシィを縛る縄はまだ解けていないが、その背後では、彼女を解放するための手が動いていた。
時穢は彼らの嫉妬と憎悪を利用し、互いを孤立させようとした。だが、影たちが望んだ孤独は、本人たちが築いてきた関係までは奪えない。
戦いはまだ終わらない。
それでも、戦場を動かすものは、もはや時穢の歪んだ時間だけではなかった。